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ダムの書誌あれこれ(110)
〜沖縄県における北部ダム群〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会、ダムマイスター 01-014)です。

◆ 1. 沖縄県の情況

 沖縄県は、九州の南から台湾の間に連なる南西諸島の南半分を占める琉球諸島に属する大小160島から成り立っている。これらの島々は、およそ北緯24度から28度、東経122度から131度に位置し、距離にして東西約1,000q、南北約400qに及ぶ広大な海域に点在している。琉球諸島は、沖縄諸島、先島諸島、尖閣諸島、及び大東諸島から構成され、面積が大きい順に、沖縄本島、西表島、石垣島、宮古島となっている。この四島で県土面積2,269km2の8割を占めている。沖縄の気候は、亜熱帯海洋性気候に属し、琉球諸島の西側海域を北流する黒潮の影響をうけて四季を通じて温暖多湿で、気温は年平均気温22.4℃である。沖縄本島の年間降水量は平均2,037oで、全国平均1,714oと比較して多いが、人口一人当たりの年平均降水量は2,133m3/人/年と全国平均の5,105m3/人/年の半分にも満たない。
 沖縄は熱帯低気圧(台風)の進路にあたり台風の被害を受けやすい地理的環境にある。夏から秋にかけて毎年数回にわたって猛烈な台風に襲われる。1955年〜2000年の45年間に発生した1,251個のうちの約4分の1の336個を記録している。これらの台風は、沖縄近海でその進路を西よりから北よりに変えて進むことが多く、またこのような転向時は台風勢力も最盛期の場合が多いため、しばしば大災害をもたらす。一方では豊かな水をもたらす。しかしながら、渇水もまたしばしばおきる。
 沖縄本島は、北東〜南西方向に延びる細長い島であり、その地形は、残波岬−嘉手納−知花−天願を結ぶ線によって起伏量の大きい山岳地帯から北部と、主に台地や低平な丘陵地からなる中南部とに分けられる。北部は、本島の延びと平行して標高300〜500mの山稜が連なる山岳地帯が多く、この山稜が北部を東西に分ける分水嶺となっている。一方中南部は主にサンゴ礁で形成された石灰岩層が地殻変動で隆起したものであり、ゆるやかな丘陵地となっている。
 沖縄県の人口をみてみると、1939年(昭和14)55万8千人、1946年(昭和21)51万人と沖縄戦で減少したものの、戦後経済成長を背景に1972年(昭和47)の日本復帰時点では96万人、1975年(昭和50)104万2千人、2000年(平成12)では131万8千人、2013年(平成25)1月現在141万3千人と増大している。なお、人口は沖縄本島に県総人口の約9割が住んでおり、なかでも沖縄本島中南部(那覇市32万人など)に本島内の約9割(県総人口の約8割112万人)の人々が集中している。さらに観光客数は復帰前約20万人、復帰の年1972年(昭和47)約44万人、沖縄国際海洋博覧会開催時1975年(昭和50)156万人と大幅に増加し、1998年(平成10)400万人を突破し、2012年(平成24)583万人と増大した。沖縄には人口の4倍以上の人々が観光に訪れる。


◆ 2. 02の河川

 沖縄県には、大小300余りの河川があり、そのうち51水系75河川(うち、沖縄本島では38水系58河川)を沖縄県が二級河川に指定して管理している。沖縄県には一級河川の指定河川はない。沖縄本島北部の河川は中央部の山稜で二分され、北西または南東方向に流れているため流路延長が短い。また河床勾配が急で流域面積も平均12km2程度しかない。このことが沖縄の河川の特徴である。したがって、降雨時には急激に増水し、沿川に洪水被害をもたらす。逆に、少雨傾向が続くと、流量が著しく減少して渇水被害をもたらしてきた。
 沖縄本島中南部では丘陵地の表面を覆っている琉球石灰岩が水を浸透させやすいため、地下水は豊富であるが、北部に比べて河川の少ない丘陵地となっている。沖縄の河川の延長と流域面積をいくつか挙げてみたい。沖縄で一番大きな河川は西表島の浦内川の延長19.4q、流域面積69.4km2であり、沖縄本島では、比謝川の延長13.4q、流域面積50.2km2、福地川の延長12.3q、流域面積36.0km2となっている。

◆ 3. 沖縄県の水事情

 沖縄の村落には、 「村ガー」と呼ばれる湧水や井戸があり、人々はこの水を利用してきた。水を売る商売も盛んだった。那覇市は1933年に水道事業を始めるが、沖縄戦で壊滅的な打撃をうけた那覇市はささやかな井戸水、わき水に頼るしかなかった。1950年米軍は、 「琉球列島米国民政府」を設立し、沖縄の恒久基地化に向けて施設設備を行った。水道については「琉球全島統合上水道」を設立し、沖縄本島のみならず、離島についてもすべて米軍管理下において水道の整備を進めていった。
 1958年9月、琉球列島米国民政府は、広域的な水道組織として、「琉球水道公社」を設立し、住民の生活と産業等に必要な水の集得、処理、送水、配水及び販売にあたる施設を取得、維持及び運営することとなった。これにより、水源の開発、改修及び浄水の生産は、実質的には米国陸軍が行い、その飲料水を琉球水道公社が買い受け、これを各市町村へ卸価格で販売するシステムが完成した。米軍は1959年12月〜61年2月にかけて瑞慶山ダム、1959年7月〜61年10月にかけてハンセン(金武)ダム、1964年7月〜67年5月にかけて天願ダムを完成させた。
 しかしながら、人口の増加と生活環境の近代化に伴って水問題は依然好転しなかった。1958年の長期旱魃、1963年の大旱魃のときには、水道の長期断水が行われ鹿児島や神戸・大阪などの船便で水が運ばれた。その後も続き、1981年7月10日〜82年6月6日まで326日間の最大長期給水制限がなされた。


◆ 4. 福地ダムの建設に向けて

 こうした深刻な水問題に対応するために、琉球水道公社は1970年に福地ダムの建設に乗り出した。一方日米両国間で交渉が続いていた「沖縄返還」は1959年11月の佐藤首相とニクソン大統領会談に基づき1971年6月日米間で「沖縄返還協定」が締結され、1972年5月15日をもって沖縄の本土復帰が実現した。これに伴い琉球水道公社の業務は沖縄県へ、建設途中の福地ダムは日本政府に引き継がれることになった。
 1972年5月15日、沖縄の本土復帰と同時に沖縄開発庁は沖縄総合事務局北部ダム事務所を開設し、沖縄本島に安定した水資源を確保することを最大の目的として福地ダムを含む沖縄本島北部の多目的ダム建設を国直轄事業として促進することとなった。復帰直後の混乱した時代にもかかわらず、建設途上の福地ダムの承継に関する日米交渉やダム設計施工に関する日米の技術的相違への対応など多くの難問を解決して、1973年12月から取水を開始し、1974年にダムを完成させた。

◆ 5. 北部ダム群の事業経緯

 沖縄本島におけるダム開発は、沖縄北部の水資源開発によって、人口が集中している那覇市等に送水する「北水南送」の考え方がある。そのダム開発について、西系列の2ダム倉敷ダム、大保ダム、それに金武ダム(現在億首ダムとして再開発中)、漢那ダム、羽地ダム、東系列の5ダム、福地ダム、新川ダム、安波ダム、普久川ダム、辺野喜ダムと合わせて10基のダムが建設された。その経過を沖縄開発庁沖縄総合事務局北部ダム事務所編・発行『北部ダム20年のあゆみ』 (平成5年)、沖縄建設弘済会編『水とともにこれからも−北部ダム事務所30年のあゆみ』 (内閣府沖縄総合事務局北部ダム事務所・平成14年)、「北部ダム事業のあらまし」から、次のように追って見たい。


『北部ダム20年のあゆみ』
昭和40年9月 米国陸軍工兵隊による福地ダム周辺の地質調査
  42年5月 天願ダム完成
  44年5月 琉球水道公社と東村間で福地ダム土地賃貸契約
    7月 福地ダム第一期工事起工式
  45年5月 福地ダム第二期工事起工式
    9月 建設省沖縄水資源調査団による沖縄北部河川総合開発事業計画書作成
  46年4月 安波ダム、普久川ダム、新川ダム実施計画着手
    11月 藤城武司調査団来沖・福地ダム承継交渉
  47年2月 野島虎治調査団・福地ダム技術的問題掌握
    3月 山住有巧調査団・福地ダム承継
    5月 沖縄返還 沖縄県発足 琉球水道公社から沖縄県企業局へ
       沖縄開発庁沖縄総合事務局発足・名護市に北部ダム事務所を設置
       福地ダム日本政府へ承継(盛立52%)
       新川ダム、安波ダム、普久川ダム建設事業に着手
    11月 福地ダム盛立完了
    12月 「沖縄振興開発計画」の発表
  48年3月 送水管敷設工事の起工式
    4月 福地ダム管理出張所設置
    9月 新川ダム建設に関する覚書調印(国・県・東村)
    12月 福地ダム上流洪水吐き等追加工事完了
  49年1月 沖縄渇水対策連絡協議会発足
    2月 北部4ダムの建設に関わる基地返還(日米合同委員会)
    4月 新川ダム起工式
    12月 福地ダム管理開始告示
  50年3月 新川ダム定礎式
    4月 辺野喜ダム実施計画調査着手
    7月 福地ダム取水開始(125,000m3/s)
       新川ダム取水開始
       沖縄国際海洋博覧会開催
  51年4月 羽地ダム実施計画調査着手
    12月 安波ダム関連工事に関する覚書に調印(国・県・国頭村・区)
  52年3月 羽地ダムの実施計画調査に関する覚書調印(国・県・名護市)
       ノグチゲラ、国の特別天然記念物に指定
       新川ダム管理開始告示
  53年3月 安波ダム、普久川ダム建設に関する覚書調印(国・県・国頭村・区)
    7月 安波ダム起工式
  54年1月 安波ダム、普久川ダム、新川ダム、辺野喜ダム、福地ダム再開発に関する基本計画告示
    3月 沖縄水資源基金の設立
    5月 福地ダム再開発事業に関する覚書調印(国・県・東村)
    10月 辺野喜ダム出張所を設置
  55年2月 普久川ダム起工式
    3月 安波ダム定礎式
  56年2月 普久川ダム定礎式
    4月 羽地ダム建設事業に着手
    7月 渇水のため制限給水開始
    11月 国頭村与那の新種の鳥ヤンバルクイナと命名
  57年2月 普久川ダム試験湛水開始
    3月 安波ダム試験湛水開始
    4月 漢那ダム、瑞慶山ダム建設事業に着手
    6月 昭和56年7月述べ326日におよぶ制限給水を解除
    7月 辺野喜ダムの建設に関する覚書調印(国・県・国頭村)
    8月 第2次沖縄振興開発計画策定
    12月 ヤンバルクイナ国天然記念物に指定
  58年3月 瑞慶山ダム建設事業に関する基本協定調印(国・県)
       福地ダム再開発事業概成
    4月 安波ダム、普久川ダム管理開始
       沖縄唯一の水力発電・福地ダム管理用発電所運用開始
    10月 安波ダム竣工式、普久川ダム竣工式
  59年12月 羽地ダム、中川地区道路の施工に関する協定書交わす(国・県・区)
       漢那ダム関連工事に関する覚書に調印(国・県・村)
  60年1月 辺野喜ダム定礎式
    5月 ヤンバルテナガコガネ、国天然記念物に指定
       羽地ダム建設計画、安全性に十分配慮 住民代表に回答書(国・県・地主会)
  61年2月 福地ダム再開発工事発注、取水設備改築工事に着手
       辺野喜ダム試験湛水開始
    5月 瑞慶山ダム建設に伴う覚書調印(国・県・沖縄市・養鶏団地組合)
    10月 辺野喜ダム竣工式
       7河川から取水、県、国頭村が覚書締結
  62年7月 北谷浄水場一部完成、通水開始
       第一回福地ダムまつり(以降、毎年開催される)
    11月 「北部訓練場及び安波訓練場内の貯水池及びその他地域の在日合衆国軍の共同使用に関する協定」締結
    12月 漢那ダム本体工事に関する覚書、損失補償基準に関する協定書に調印(国・県・宜野座村・地主)
  63年4月 辺野喜ダム管理開始 東系列5ダム統合運用開始
    6月 ひめゆり平和資料館開館
    12月 瑞慶山ダム補償基準調印
平成元年1月 大保ダム実施計画調査に関する覚書調印(国・県・大宜味村)
    3月 渇水のため地域別隔日給水開始(4月26日まで)
    12月 漢那ダム定礎式
  2年3月 ノグチゲラ人工営巣木実用化試験
    12月 漢那ダム、小学生ら苗6,200本記念植樹、下流にマングローブ植栽
  3年7月 渇水のため地域別隔日給水開始(7月27日まで)
    10月 漢那ダム試験湛水開始
       福地ダム再開発関連工事「取水設備」竣工
    11月 瑞慶山ダム定礎式
  4年3月 漢那ダム第2貯水池に湿地ビオトープ創出
       大保ダム基本計画に関する覚書調印(国・県・大宜味村)
    10月 漢那ダム竣工式
       羽地ダム補償基準に関する協定書調印(国・ダム対策地主協議会)
    11月 福地ダム日米承継20周年記念式典開催
  5年4月 億首ダム出張所を設置
       漢那ダム管理開始告示
    11月 海水淡水化施設起工式
  6年1月 瑞慶山ダム試験湛水開始
    11月 沖縄県赤土砂流出防止条例
  7年2月 瑞慶山ダム竣工式
    9月 西系列幹線導水施設建設に着手
    11月 羽地ダムの本体工事に関する覚書調印(国・県・名護市・ダム対策委員)
    12月 瑞慶山ダム米軍用地返還
  8年3月 羽地ダム本体工事着手
    4月 瑞慶山ダムから倉敷ダムに名称変更、倉敷ダムの管理開始、沖縄県に引き継ぐ
    6月 大保ダム補償基準調印
    8月 ノグチゲラ人工営巣木の生産実験開始
  9年2月 エコダム宣言を公表
    4月 海水淡水センター全面供用開始(最大4万m3/日)
  10年5月 人工営巣木でノグチゲラの繁殖を確認(辺野喜ダムの近く)
    12月 羽地ダム定礎式
       国頭村安波訓練場、正式に返還
  11年4月 ダム空気エネルギーシステム開発(福地ダム)空気式噴水を設置
  12年11月 億首ダム建設に伴う損失補償基準に関する協定書調印(国・億首ダム地主協議会)
  13年2月 金城ダム竣工
    3月 大保ダム本体工事に関する覚書調印(国・県・大宜味村)
    7月 羽地ダム試験湛水開始
  14年7月 大保脇ダム本体建設工事発注
       我喜屋ダム定礎式
    11月 美ら海水族館開館式典
  15年2月 大保本ダム本体建設第一期工事発注
    8月 沖縄都市モノレール開業
  16年5月 羽地ダム資料館開館
    6月 羽地ダム試験湛水終了
    12月 座津武ダム事業中止
  17年1月 羽地ダム竣工式
    2月 我喜屋ダム竣工式
    4月 羽地ダムより水道用の取水開始
  18年7月 億首ダム用地返還について日米合同委員会で合意
    8月 億首ダム本体工事にかんする覚書調印
    10月 大保ダム定礎式
    11月 大保脇ダム盛立完了式
  19年1月 福地ダム湖でペイント弾発見
  21年3月 億首ダム本体建設工事着手
    4月 大保ダム試験湛水開始
    8月 億首ダムCSG施工技術委員会を開催
  22年11月 奥間ダム事業中止
  23年2月 大保ダム試験湛水終了
       億首ダム定礎式
    4月 大保ダム供用開始
    9月 億首ダム堤体コンクリート最終打設
  24年1月 沖縄県企業局新石川浄水場(16万5,600m3/日)の通水式
    9月 億首ダム試験湛水開始


◆ 6. 北部ダム群の各諸元

 既に述べてきたように、北部ダム群として10基のダムの諸元をみてみる。
@ 福地ダム
 1974年完成、1991年再開発、所在地 国頭郡東村 福地川水系福地川、型式ロックフィルダムゲート ドラムゲート2門、堤高91.7m、堤頂長260m、総貯水容量5,500万m3、目的FNWIで、日本復帰の際、米軍から承継し完成、沖縄一の貯水量を擁する。
A 新川ダム
 1977年完成、所在地 国頭郡東村 新川川水系新川川、型式重力式コンクリートダム、ゲート ゲートレス(自然越流方式)、堤高44.5m、堤頂長177m、総貯水容量165万m3、目的FNWIで、沖縄初の重力式コンクリートダムである。
B 安波ダム
 1983年完成、所在地 国頭郡国頭村 安波川水系安波川、型式重力式コンクリートダム、ゲート ゲートレス(自然越流方式)、堤高86.0m、堤頂長245m、総貯水容量1,860万m3、目的FNWIである。亜熱帯に属する沖縄での気候に対応するため、様々な暑中コンクリート対策を実施。コンクリートの打ち込み温度は一般的な既定値である25℃を緩和して施工した。
C 普久川ダム
 1983年完成、所在地 国頭郡国頭村 安波川水系普久川、型式重力式コンクリートダム、ゲート ゲートレス(自然越流方式)、堤高41.5m、堤頂長210m、総貯水容量305万m3、目的FNWIである。ダムの流域面積が小さく、洪水の流出速度が早いことから、常用洪水吐きとして自然越流方式を採用するとともに、非常用洪水吐きとして、当時は実績が少なかった全面越流方式を採用した。
D 辺野喜ダム
 1986年完成、所在地 国頭郡国頭村 辺野喜川水系辺野喜川、型式重力式コンクリート・フィル複合ダム、ゲート ゲートレス(自然越流方式)、堤高・堤頂長G:42.0m・230m、R:35.0m・330.0m、総貯水容量450万m3、目的FNWIである。辺野喜ダムは、地質条件により国内でも採用例の少ない重力式コンクリートダムとロックフィルの複合型式を採用した。
E 漢那ダム
 1993年完成 所在地 国頭郡宜野座村 漢那福地川水系漢那福地川、型式重力式コンクリートダム ゲート ゲートレス(自然越流方式)、 堤高45.0m、堤頂長185.0m、総貯水容量820万m3、目的FNAWである。ダム本体は沖縄の城(グスク)をイメージした石積み模様を施しており、また直下流のバルブ室にはシーサーを設置するなど、沖縄らしさを演出している。
F 倉敷ダム
 1995年完成 所在地 左岸うるま市、右岸沖縄市 比謝川水系与那原川、型式ロックフィルダム、ゲート ゲートレス(自然越流方式)、堤高・堤頂長本ダム33.5m・441m、脇ダム 15m・200m、総貯水容量710万m3、目的FNWである。
 倉敷ダムは、昭和36年に米軍によって建設された利水専用の瑞慶山ダムを利水と治水の目的の多目的ダムとして再開発したダムで、国と沖縄県企業局の共同事業として、昭和57年度より建設に着手し、総事業費490億円を投入し、平成8年3月に完成。平成8年4月〜沖縄県が管理している。
G 羽地ダム
 2005年完成、所在地 名護市 羽地大川水系羽地大川、型式ロックフィルダム ゲート ゲートレス(自然越流方式)、堤高66.5m、堤頂長198m、総貯水容量1,980万m3、目的FNAWである。羽地ダムは名護市街地に近く、堤体付近はグラウンドとして利用できる多目的広場があり自然の中でスポーツを楽しむことできる。
H 大保ダム
 2011年完成 所在地 国頭郡大宜味村 大保川水系大保川、型式重力式コンクリートダム 脇ダム ロックフィルダム ゲート ゲートレス(自然越流方式)、堤高・堤頂長77.5m・363.3m、脇ダム 66.0m・445.0m、総貯水容量2,005万m3、目的FNWである。
 特別天然記念物に指定されているノグチゲラの保全対策として、ダム周辺森林に人工営巣木を設置し、建設期間中の生息環境を一時的に補った。
I 億首ダム
 2014年完成予定 所在地 国頭郡金武町金武 億首川水系億首川、型式台形CSGダム ゲート ゲートレス(自然越流方式)、堤高39.0m、堤頂長461.5m、総貯水容量856万m3、目的FNAWである。億首ダムは、新技術である「台形CSGダム」を世界で初めてダム本体に採用するとともに、2002年に「特殊な構造の河川管理施設等」として日本で初めて国土交通大臣の認定を受けた。

◆ 7. 北部ダム群の利水

 沖縄建設弘済会編『沖縄における多目的ダムの建設』(内閣府沖縄総合事務局北部ダム事務所・平成15年)及び(株)アイ・エヌ・エー新土木研究所編『調整水路工事誌』(沖縄開発庁沖縄総合事務局北部ダム事務所・昭和61年)により、北部ダムにおける利水をみてみたい。


『沖縄における多目的ダムの建設』

『調整水路工事誌』
一. 東系列5ダム群の利水

沖縄本島北部の辺野喜ダム、普久川ダム、安波ダム、新川ダム及び福地ダムの各ダムは、効率的な水資源開発を行うため、自然流下を原則とした調整水路でそれぞれ連結されている。これらのダムについては、次のような特徴を有しており、調整水路を使って、福地ダム及び安波ダムを中心とした貯水池統合運用を行うことにより、開発効率を向上させている。
@ 新川ダム(総貯水容量165万m3)、普久川ダム(305万m3)及び辺野喜ダム(総貯水容量450万m3)は、地形地質上から可能な最大の高さであるにもかかわらず、流域面積に比して貯水容量が小さい。
A 福地ダム(総貯水容量5,500万m3)及び安波ダム(総貯水容量1,860万m3)の両貯水池は流域面積に比して比較的大きな貯水容量を有し、長期にわたってかなりの空容量を生じる。
B 福地ダム及び安波ダムは、取水ダムを含めた流域の面積及び降雨特性はほぼ同じにもかかわらず、利水容量の規模の違いにより両ダム間の空容量に差が生じる場合がある。
 そのため、辺野喜ダム、普久川ダム、新川ダムの流入量を調整水路を利用して、安波ダム、福地ダムに導水することにより、これらのダムの無効放流量を最小限に抑えることができ、辺野喜ダム及び普久川ダムは安波ダムの、新川ダムは福地ダムの「取水ダム」として位置付け、安波ダムと福地ダムは「取水ダム」からの導水を貯留する「貯留ダム」となっている。
 また、安波ダムと福地ダムの両貯留ダムは、相互の流入量、貯水容量等の違いを考慮して、無効放流を最小限に抑えるため、両ダム貯水量に応じて「空容量一定方式」、「安波ダムを福地ダムの流域変更的統合方式」及び「貯水量一定方式」の3方式に分けて統合運用を行っている。
 一方、このような統合運用を可能とする調整水路は、辺野喜〜普久川間、普久川〜安波間及び安波〜福地間をそれぞれ連結し、さらに新川ダムから安波〜福地間の調整水路へは立坑によって連結しており、いずれも一方向導水である。


二. 西系列13河川導水と利水

西系列13河川利水は、沖縄本島の地理的・地形的条件から水源開発には不利な状況にある小規模河川を効率的に開発するために沖縄県が開発したものあり、西系列水道水源開発事業と称している。この事業は、需要地である本島中南部から遠く離れ、単独の開発では経済的に不利な北部西海岸に注ぐ13河川(宇喜川、辺野喜川、佐手川、佐手前川、与那川、宇良川、比地川、田嘉里川、外堀田川、我部祖河川、満名川、西屋部川、名嘉真川)の河口付近に取水堰を設けて、利用されないまま海に流出する余剰水を取水し、西海岸沿いに敷設した導水管を経て、貯留施設に導水することにより安定水源として開発する。
 国、県の協議の結果、倉敷ダムと大保ダムの組み合わせによる水資源開発が開発水量、経済性で有利との結論に至った。西系列水道水源開発事業の一環として、水道事業者が単独で行う計画であった瑞慶山ダムの再開発は、治水機能を兼ね備えた倉敷ダムに計画変更し、治水と水道の両者による共同事業として行われた。
 その結果、大保ダムと倉敷ダムは貯留施設として、位置づけられ、塩屋湾以北の8河川からの取水は大保ダムにより、塩屋湾以南の5河川からの取水は倉敷ダムにより調整し、安定を図ることになった。

◆ 8. お わ り に

 私は2013年2月11日〜16日まで、沖縄を訪れた。首里城、中城城跡、浦添城址、今帰仁城跡、沖縄美ら海水族館を見てまわった。沖縄独特の光景に出あった。それは角々に魔よけの石カントウ、屋根にシーサー、亀甲墓、拝所があり、屋根には水タンクが設置してあった。14日に倉敷ダム、漢那ダム、山城ダム、億首ダム、羽地ダム、真喜屋ダム、そして翌日15日は、大保ダム、福地ダム、新川ダム、安波ダム、普久川ダム、辺野喜ダムの12基のダムを北部ダム事務所の方に案内してもらった。倉敷ダムと漢那ダムは脇ダムが大きく、最初見たときは、こちらが本ダムかと見間違えてしまった。脇ダムは琉球石灰岩で施工されており、秀麗である。首里城や今帰仁城跡を彷彿させてくれる。羽地ダム、真喜屋ダム、福地ダムも同様なロックフィルダムで美しい。ずっとダムサイトに立ち続けたいと思った。
 漢那ダムは重力式コンクリートダムであるが、沖縄の城(グスク)をイメージした石積み模様を施し、直下流のバルブ室にはシーサーが設置されていた。福地ダムを除いて、すベてのダムはゲートレス自然越流方式であった。沖縄のほとんどの河川は延長が10qほどであり、これらの河川にダムを造り、貯水し、トンネルと導水管によって、北部から人口密集地の那覇市などへ送水する。このことを「北水南送」といい、小河川の水をぎりぎりまで使う「限界水開発」だとの説明をうけた。平成6年以降、沖縄本島では断水がおこっていないという。

[関連ダム]  福地ダム(再)  新川ダム  安波ダム  普久川ダム  辺野喜ダム  倉敷ダム(再)  羽地ダム  大保ダム  金武ダム(再)
(2017年5月作成)
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 (古賀 邦雄)
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