全項目表
 
ダム番号:1991
 
温井ダム [広島県](ぬくい)



ダム写真

(ダム日本 2003.2)
045217 加藤敦
060094 Dam master
060143 Dam master
069542 さんちゃん
069546 さんちゃん
069603 さんちゃん
014091 けんさん
019865 けんさん
D-shot contest 入賞作品   →ダム便覧トップ写真   →フォト・アーカイブス [ 提供者順 / 登録日順 ]
どんなダム
 
大規模なアーチダム
___
堤高156m。アーチダムとしては日本では黒部ダムに次ぐ高さ。また、堤頂長は第4位、堤体積は第2位。アーチダムの美しい曲線が周囲の自然環境とも調和。堤体遊歩道を歩くとその大きさを再確認できる。
[写真]建設中の温井ダム。ブロック工法で建設された。(撮影:安河内孝)
堤体コンクリート骨材は全量を基礎掘削ズリから流用
___ 原石山を持たず、堤体コンクリート骨材は全量を基礎掘削ズリから流用。日本初の試みだという。この結果、一般的に行われている骨材を原石山から求める方法に比べて、本体工事費について10%のコスト縮減になったという。
優れた堤体デザイン
___ 大規模なアーチ式ダムだが、下流から見ると堤体は簡潔ですっきりしたデザイン。見た目にも美しい。
国内最大級の選択取水設備
___ 上流左岸側の斜面に沿って選択取水設備を設置。通常は、ダム本体と一体に直立の取水塔の形式だが、温井ダムはアーチ式でありダム本体に設けることができないので、本体とは別の施設に。取水範囲が71mで国内最大級。取水頻度の高い上部は多段式ゲート、取水頻度の低い下部は多重式ゲート。国内初の複合型取水ゲート。貯水池の水温や水質の状況に応じて取水する深さを自由に選択。
切手になった
___
平成14年2月22日、郵便切手「広島県北散歩」が発行された。ふるさと切手。80円切手が2枚セットで、1枚が完成間近の「温井ダム」、もう1枚が国の天然記念物の「雄橋」をデザイン。原画作者は大江清治氏(グラフィックデザイナー・洋画家)。
ダム公開で加計町の観光客が2.4倍に
___ 加計町の2002年の観光客総数が、前年の2.4倍の50万人近くに達し、過去最高を記録。同年4月から、ダムの一般公開が始まったことが大きな要因。
周辺観光整備が進む
___ ダムの周辺は公園として整備され、レンタサイクルもある。湖畔には保養型のリゾートホテル「温井スプリングス」が、ダム湖中央に突き出る半島には自然生態公園が完成。そのほか施設も多数でき、観光拠点としての整備が進む。
ダム湖は「龍姫湖」
___
「りゅうきこ」。温井地区に伝わる「江の渕の大蛇物語〜大蛇(龍)が化けた娘(姫)の伝説」にちなんで名付けられた。試験湛水中の最高水位に到達する機会に、平成14年1月22日に命名。
[写真](撮影:さんちゃん)
シリーズ ダム百選 投票から
第 6 回  『 美人顔ダム 』
■ とても広く大きいく、エレベータで地下まで行けてダムの中まで通れて迫力満開でした。 (片田奈歩)

第 13 回  『 デザインの良いダム 』
■ 大きく、清潔感があり、包み込んでくれるような感じが好きです。 (北島宏幸)

第 25 回  『 クールなダム 』
■ 普段は九州のダムを中心に見てきましたが、アーチならではのスマートな佇まいと普通のダムでは近づけないような場所からダムが見れたりダムを支える岩盤に触れられたり他では体験出来ない魅力を沢山持っているのがクールだと思います(((o(*゜▽゜*)o))) (西港のダム好き)

第 36 回  『 ダムに興味の無い人をダム好きにするダム 』
■ 堤高が、ダム全体では6番目ですが、アーチ式としては2番目。一目見たら、きっとダム好きになると思います。4月中旬から5月末まで、毎日放流も行われ、GWには間近で見ることもできます。今年は完成15周年を記念したダムカードも発行されました。また、近くの飲食店では、温井ダムカレーも食べることができます。 (dam H-D)
テーマページ ダムの書誌あれこれ(9) 〜温井ダムを訪れる〜
第2回 D-shot contest 受賞作品
ダム放流動画集
ダムツーリング -史上最大の作戦・第二次九州/中国地方-
ダムのサイト・自己紹介 〜 けんさんのへや 〜
「理の塔、技の塔」 〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜 (10) 高度経済成長と水資源開発
「理の塔、技の塔」 〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜 (8) 地元補償:「水特法」の精神
第20回 「水とのふれあいフォトコンテスト」 受賞作品
ダム切手コレクション
(財)ダム技術センター第20回「ダムフォトコンテスト」受賞作品
ダムインタビュー(76) 山岸俊之さんに聞く 「構造令は,ダム技術と法律の関係を理解するのに大いに役に立ちました」
ダムインタビュー(61) 田代民治さんに聞く 「考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力」
ダムインタビュー(88) 門松 武氏に聞く 「組織力を育てられる能力は個人の資質にあるから, そこを鍛えないといけない」
このダムどんな人? ・・・ダムの擬人化イラスト集・・・
減勢工って何?
第2回 D-shot contest 〜こんな写真も〜
第1回 D-shot contest 〜こんな写真も〜
第1回 D-shot contest 受賞作品
「温井ダム体感ツアー」参加レポート
広島の初夏の風物詩・・温井ダム放流写真集
文献にみる補償の精神【1】 「来てくれと頼んだ覚えはない」(温井ダム)
このごろ 迫力のツインホロージェット〜温井ダム水位低下放流〜
左岸所在 広島県山県郡安芸太田町大字加計  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯34度38分02秒,東経132度17分57秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  王泊(7km)  柴木川(9km)

河川 太田川水系滝山川
目的/型式 FNWP/アーチ
堤高/堤頂長/堤体積 156m/382m/810千m3
流域面積/湛水面積 253km2 ( 全て直接流域 ) /160ha
総貯水容量/有効貯水容量 82000千m3/79000千m3
ダム事業者 中国地方整備局
本体施工者 鹿島建設・西松建設・五洋建設
着手/竣工 1974/2001
ダム湖名 龍姫湖 (りゅうきこ)
ランダム情報 【ダム湖百選】(財)ダム水源池環境整備センターのダム湖百選に選定される(H17.3.16公表)
【コンクリートダムの工法】ブロック工法
【ダム工事年表】仮排水路(1989.1〜1990.3) 本体掘削(1991.10〜1994.4) 本体打設/盛土(1994.5〜1998.12)
【ダムカード配布情報】2021.8.1現在 (国交省資料を基本とし作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver1.0
○温井ダム管理所 9:00〜16:30(土・日・祝日を含む)管理所玄関のインタ-ホンを押してください。
ダムカード画像コレクション
温井ダム Ver.1.0 (2007.07)
[協力:X-DAM]
温井ダム15周年記念カード
内部リンク 「月刊ダム日本」2001年10月号表紙・温井(ぬくい)ダム
リンク DamDrive・【放流動画】 温井ダム放流 (2010/10/17)
DamDrive・温井ダム(2回目・その1)
DamDrive・温井ダム(2回目・その2)
DamDrive・温井ダム(2回目・その3・放流中)
DamDrive・温井ダム(2回目・その4・放流中)
DamDrive・温井ダム(その1)
DamDrive・温井ダム(その2)
Dam's room・温井ダム
Damstyle・温井ダム
THE SIDE WAY・温井ダム
ウィキペディア・温井ダム
けんさんのへや・ダム写真集
けんさんのへや・温井ダム関係レポート
ダム
ダム『京』・温井ダム写真集
ダムニュース/第3回安芸太田(あきおおた)しわいマラソンが開催されました(ダム技術センター)
ダムマニア・温井ダム
ダム好きさん【温井ダム】
ひろしのダム発電所見学記・温井ダム
温井ダム管理所(国土交通省中国地方整備局温井ダム管理所)
吉備の国 風景撮物帳・温井ダム
吉備の国 風景撮物帳・温井ダム 放流
広島県北散歩切手のデータ
日本全国ダム紀行・温井ダム
参考資料
■温井ダムの職場改善とイメージアップ /川上俊器
【ダム日本 No.583(H5.5)】
■温井アーチダムの設計と施工 中国地方建設局温井ダム工事事務所所長 為 沢 長 雄
【第37回ダム施工技術講習会(H07.07.12)】
■温井ダムの施工について −コンクリートの施工管理− / 為沢長雄
【ダム日本 No.621(H8.7)】
■温井ダムのコンクリート骨材について/森田義則
【ダム日本 No.646(H10.8)】
■巨大アーチダムの建設 − 温井ダムの施工について − 中国地方建設局温井ダム工事事務所 技術副所長 中 江 兼 二
【第44回ダム施工技術講習会(H10.11.26)】
■【カラーグラビア】写真で見る大ヶ洞ダム巨大アーチダムの建設〜温井ダムの施工について〜
【ダム日本 No.652(H11.2)】
■【カラーグラビア】写真で見る温井ダム
【ダム日本 No.684(H13.10)】
■【日本のダム】 堤体デザイン;小里川ダム・温井ダム・月山ダム
【ダム日本 No.700(H15.2)】
関連書籍 ■太田五二 『湖底の郷愁』 温井ダム対策協議会 1998
諸元等データの変遷 【06最終→07当初】河川名[滝山川→小阪部川]
【07当初→07最終】河川名[小阪部川→滝山川]
【12最終→13当初】本体施工者[鹿島・西松・五洋建設→鹿島建設・西松建設・五洋建設]

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「温井ダム体感ツアー」参加レポート

 2004年10月17日、広島県安芸太田町にある温井ダム近辺で「2004龍姫湖まつりin温井ダム」というイベントが行われました。これは、そのイベントの一環として行われた「温井ダム体感ツアー」という温井ダムの見学会に参加した、「けんさんのへや・新館」の ”けんさん”によるレポートです。
■いよいよダム本体の見学

 さて、温井ダムの概要を勉強したあとは、もう一つの班と交代で、ダム本体の見学です。案内してもらえたのは放流設備と放流設備までの通路・・通称キャットウォーク監査廊です。

 エレベータで降りて、まず中位標高放流設備へ案内してもらいました。監査廊(かんさろう・設備の点検などのために使うトンネル状の通路です)を歩いて、キャットウォークに・・キャットウォークとはアーチダムの前面に設置してある通路です。温井ダムの場合、ガラスの覆いがあり悪天候でも濡れずに歩けますが、他のダムの場合は、通路があるだけで雨の時は雨がかかるそうです。キャットウォークの片方はダム本体のコンクリートです、ダムのコンクリートをさわって確かめている人もいらっしゃいました。


中位標高放流設備の内部です・・ここの下にホロージェットバルブがあります。ここから下に降りてバルブを見ることができました。
 中位標高放流設備はホロージェットバルブという形式のバルブが2つあり、最大で毎秒60立方メートルの水を放流できます。洪水の初期や小規模な洪水、ダムの水位を調整する時、それと、春先のフラッシュ放流などで使われます。バルブの前で、職員さんがバルブの動作の仕組みを説明してくれました(写真参照)・・バルブは間近で見るとても大きく、その迫力に圧倒されます。参加者皆さんバルブの写真を写したり、バルブのある場所から下流の方向を写されていました。普段入れない場所だけに、貴重な写真になりそうですね・・

(左)ホロージェットバルブの動作を解説する管理所の職員さん・・職員さんに比べて後方のバルブがかなり大きいことが分かります。
(中)ホロージェットバルブの動作の説明・・上が放流している状態、下が閉じている状態・・バルブの中のコマのような物を油圧で動かして制御するそうです。
(右)ホロージェットバルブ・・ジェット機のエンジンを連想させるようなカタチです。
 中位標高放流設備の次は・・台風18号の時に活躍した常用洪水吐コンジットゲート)へ案内してもらえました。エレベータでさらに下に降りて、しばらく監査廊を歩き、キャットウォークへ、先ほどのキャットウォークより下に設置してあるキャットウォークです。ダムの曲がり具合が違うことに気が付いた方がいて、職員さんに質問されていました・・「温井ダムはコンピュータで綿密にシミュレーションして設計していて、複雑な曲面になっています。それで、上のキャットウォークと下のキャットウォークでダムの曲がり具合が異なるんです」ということだそうです・・

(左)キャットウォークを歩く参加者と管理所職員さん・・温井ダムのキャットウォークはこのようにガラスで覆われています、床に板がしいてあり下は見えません。他のダムでは覆いは無いし、床には格子状の物がしいてあるので、下が丸見えで怖いそうです。
(右)螺旋階段を降りて、常用洪水吐(じょうようこうずいばき)へ向かいます。ちょっと怖いです。目の前に超高圧ローラゲートの支えが見えています。
 常用洪水吐へ行くには、さらに螺旋階段を降ります・・ちょっと怖いです。先に、コンジットゲートの下へ到着している参加者から、すごい!・・なんて言葉が聞こえてきます。見上げると・・本当に、大きくて迫力のあるゲートです。

 コンジットゲートは超高圧ローラゲートというゲートで、高い水圧がかかっています(ちなみに、このゲートの裏まで水がきています)。そのため、ものすごく分厚い・・ただ、中が全て金属というわけでなく、分厚いゲートの中は中空になっていて、強度を確保するためリブがたくさん入っているということです。また、ゲートを見学している私たちが立っている出っ張りを施工するのは難しかったそうです。アーチダムは薄いので、ちょっとした出っ張りもいろんな工夫が必要なんだそうです。また、ゲートを両側から支えている部分は高い強度を持ったH鋼形の金属ですが・・これが丸出しだと、ダム本体のコンクリートとデザインの調和がとれないということで、塗装の色などが工夫されているという話もされていました。
常用洪水吐(じょうようこうずいばき)の超高圧ローラゲートです。普通のローラゲートとは全く違うカタチになっています。下から見上げると、とても大きかったです。

常用洪水吐の下にある出っ張り・・私たちも、ここから見学しました。管理点検のために必要なのですが、造るのは難しかったそうです。
 普段入れない所ということもあり、皆さんいろいろ撮影されていました。下流方向を見ると、減勢工の側壁よりこっちが低いんですね・・・ 

 ダムの見学が終わると、もう一つの班は資料館での勉強が終わっていました。最後に、おみやげの温井ダムグッズをもらいました・・管理所職員さんと記念撮影される方もいました。

 温井ダム管理所の皆様、どうもありがとうございました。


龍姫湖まつりin温井ダムのメイン会場です。当日は多くの観光客でにぎわいました。

 さて、2004龍姫湖まつりin温井ダムのメイン会場はたくさんのお客さんが集まり大盛況でした。ちなみに、メイン会場の大きなステージは、実は工事の時に使われた施設を取り壊さずに改造した物なんだそうです。
 イベントも楽しく、特に子どもさんにも楽しめる催しも用意されていました。楽しいひとときを過ごすことができて、よい思い出ができました・・。
 ・・・→ 全文はこちら
(2004年10月作成)



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広島の初夏の風物詩・・温井ダム放流写真集

 これは、「 けんさんのへや・新館 」のけんさんによる投稿です。温井ダムをたびたび訪れて、写真を撮ったり、詳細なレポートを書いたりしているけんさんが、温井ダムの毎年初夏の風物詩となっている中位標高放流設備からの放流を、写真集にまとめたものです。
 広島県安芸太田町にある西日本最大級のダム・・温井ダムでは、毎年初夏に冬季の常時満水位から雨量の多い夏に備え、夏期制限水位へ水位を9m下げるため、中位標高放流設備と呼ばれる放流設備からの放流が行われます。
 温井ダムの放流のニュースが流れたら、そろそろ梅雨だな・・なんて感じる・・広島の初夏の風物詩の一つでもあります。

 この放流は概ね5月から6月にかけての平日の昼過ぎに10分程度行われます。放流の実施日や時刻は毎年若干異なるので、事前に調べておくとよいと思います。今年(2005年)は5月10日から6月10日までの平日、午後1時半から10分間行われています。
(ダムから水を流すことを、一般的に放水と呼ばれる方が多いようですが、正式には放流と呼びます)

 温井ダムの放流がすごいのは・・温井ダムがアーチダムだからです・・アーチダムは概ねダムの上の方が下流側にせり出していますから(ダムの上が下流側にせり出していることをオーバーハングと言うそうです)、水を放流したら空中を飛ぶのです・・

 
※ 参考・通常の重力式コンクリートダムの放流・・斜面を流れ落ちるような感じです。

(写真1)・・40mm相当
広島県世羅町の三川ダムの放流・・・2004年冬撮影


 
 アーチダムで国内最大規模の黒部ダムでも放流が行われますが、黒部ダムはハウエルバンガーバルブ(フィックスドコーンバルブ)という形式のバルブが使われており、水が拡散しながら飛びます・・それに対し、温井ダムはホロージェットバルブという形式のバルブが使われています。バルブの形式名から連想されるように、まるでジェット噴射のように水が放物線を描いて飛びます。黒部ダムの放流とはイメージが全く異なります。

 ここでは、温井ダムの放流の写真を集めてみました・・なお、放流が10分間だけで、一度だけではいろんな方向から写せないという事情もあり、2004年の秋に行われた放流の写真が多く含まれていることをあらかじめご了承下さい。



(写真2)・・35mm相当
管理棟側から・・(2005年初夏撮影)

温井ダムの放流を見物するため、たくさんのお客様が集まっています。




(写真3)・・54mm相当
アップ・・(2005年初夏撮影)

温井地区に伝わる伝説の龍が蘇ったようなイメージです。




(写真4)・・19mm相当
下流側から・・(2004年秋撮影)

ダム直下からの様子です・・水しぶきが飛んできて、カメラのレンズに付いてしまっています。ダム直下から見る場合、デジタルカメラやビデオカメラといった電子機器の扱いには気を付けてください。水に弱いので、水しぶきの影響で壊れる場合があります。




(写真5)・・28mm
(写真6)・・35mm相当
下流側から・・(2004年初夏撮影)

このように傘をさされている方も多いです。まさに初夏のシャワー・・とても涼しく感じます。実際に見ると大迫力です・・そして、水が頭上を飛んでいることに不思議な感じがします。






(写真7)・・85mm相当
(写真8)・・105mm相当
下流側から・・(2004年秋撮影)

中位標高放流設備のアップ・・放流された水が頭上を飛んでいるので、太陽の光が透けて見えます。(写真7)それと、減勢工へ着水する様子。(写真8)






(写真9)・・24m相当
管理棟の対岸から・・(2004年秋撮影)




(写真10)・・19mm相当
堰堤の上から・・(2004年秋撮影)

実は、管理棟の対岸や堰堤上からは、太陽の角度にもよりますが、虹が見えるんです・・・虹が自分よりはるかに下にある・・不思議な気持ちになります。




(写真11)・・35mm相当
堰堤の中央から・・(2004年秋撮影)

堰堤の真ん中から見ると・・真上から見る分飛距離が短く感じられます。ホロージェットバルブから放流された2本の水の柱が、まっすぐ飛んでいることが分かります。
 
温井ダムの放流は・・管理棟側、堰堤の上、管理棟の対岸、ダム直下と、いろんな場所から見学できますが・・10分の間に、ダム直下とダムの上の両方から見ることは難しいです・・無理をして、見学通路を走ったりしては危ないですから、放流を見学される場合、放流前にどこから見るか決めておく方がよいかと思います。

写真は、写真5がフィルムカメラによる撮影でそれ以外がデジカメによる撮影です。焦点距離を併記しましたが、デジカメ写真は35mm判フィルムカメラ換算の焦点距離です。撮影の時の参考になれば幸いです。これを見て分かると思いますが・・ダム全体を入れた構図にするには、28mm程度かそれ以上の広角が必要です。もし、お手持ちのカメラの広角側が35〜38mm(35mm判フィルムカメラ換算)程度の場合、ダム全体を入れる構図は多少無理があります・・無理をしてダム全体を狙うより、放流設備のアップを狙ってみるとか、縦写真にしてみるとか(縦位置なら入る場合があります)、撮影場所を変更するなど・・いろいろ工夫された方がよいと思います。

温井ダムは国道からすぐにアクセス可能、駐車場もダムのそばにあります。近辺にはレストランや宿泊施設、子ども用の遊具、トイレなども整備されており、快適に見学できます。また管理棟3階には温井ダムの資料館もあり、温井ダムについて分かりやすく解説してあります。今年、見学に行けなくても、放流は毎年行われると思います・・ぜひ、機会があれば、大迫力の温井ダムの放流を見学にお越し下さい。

(2005年5月作成)



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文献にみる補償の精神【1】
「来てくれと頼んだ覚えはない」(温井ダム)

古賀 邦雄
水・河川・湖沼関係文献研究会

 これは、財団法人公共用地補償機構編集、株式会社大成出版社発行の「用地ジャーナル」に掲載された記事の転載です。
 雪化粧のダムはスリームで上品なダムに見えた。実際に、気品のあるダムだ。2004年3月4日春雪の降る、広島県山県郡加計町の温井ダムを訪れた。このダムは、太田川の支流滝山川に2002年3月完成している。堤高 156m、堤頂長 382m、総貯水容量 8,200万m3、アーチ式コンクリートダムである。アーチ式ダムでは 186mの黒部ダム(富山県)に次ぐ高さを誇っている。取得面積は道路用地を含めて225.31ha、支障移転家屋27戸、このうち集団移転地の新温井地区に21戸、広島市等に6戸、それぞれ移転している。企業者は国土交通省で、施工者は鹿島建設、西松建設、五洋建設である。

 ダムサイトの傍の温井スプリングスホテルに泊まった。ホテルから眺める雪のダムの風情も良い。この雪が貯水量を安定させてくれる。ちょうどホテル前に、ダム湖畔に向かって、小さな半島が突き出ている。この半島を自然生態公園として、あずまや、展望台、バンガローが設置され、散策には森林浴もできるようになっている。いまは、静かな湖面に映る温井ダム(龍姫湖)である。しかしながら、ダム建設は、造られる側と造る側との葛藤と確執が必ずや生じたはずだ。

 中国新聞の記者であった真田恭司著『来てくれと頼んだ覚えはない』(どんぐり舎・2002年)は、1967年の予備調査着手から2002年の完成まで、温井ダム建設34年の軌跡を描き出している。この書を手に取ったとき「来てくれと頼んだ覚えはない」の言葉が何を意味するのか、すぐには理解できなかった。ベレー帽の和服姿の老人が、蝙蝠傘でブルドーザーを指している。この人が温井ダム対策協議会会長(2代目)佐々木寿人である。


 この書から、次のように引用する。

    一、「来てくれと頼んだ覚えはない」。つまり温井の住民の誰一人とし
   て「私達が住んでいる温井を水の底に静めてダムを建設してください」と
   国や県、広島市に頼んだりお願いした者はおりません。
    一、現在、温井の住民の誰一人として生活に困っているわけではありま
   せん。土地を手放してまで生活を変える必要は、詰めの垢ほどもないので
   す。今の生活を続けられることが十分に幸せなのです。
    一、だからダム建設に対して温井の住民全員が反対なのです。
    一、ただし、ダムができることにより益を受ける下流域(広島市など)
   に、私達の親類縁者もたくさん住んでいます。その人達を困らせるような
   ことはしたくありません。またわれわれの子々孫々のために、どうしても
   必要な施設であるというのなら、頑強に「反対」ではなく話し合うだけの
   度量は持ち合わせています。私達だけで社会や国を構成しているわけでは
   ありません。要は共存共栄ということです。
    一、ただし、話し合うには条件があります。
   
    条件というのは、
    一、ダムの湖畔に温井地区の全員が住めるような新しい土地(団地)を
   造ってもらいたい。ただ団地をつくるのではなく今の集落を再現したい。
   つまり住宅はもちろんですが学校、神社も今まで通りのものを建設しても
   らい、その地で今まで通りの近所付き合いをし以前と変わらぬ生活を続け
   たいということです。
    一、私達か望んで土地や家を手放すわけではなく国の政策により立ち退
   くのですから、現在以上の生活が保証できるような環境整備計画を示して
   ください。
    一、その整備計画を見たうえでイエスかノーか答えます。
    一、前にも申しましたが、あなた方(国)が「来たい」といって一方的
   に来たのであって、私達が「来てくれ」と頼んだわけではないので、こち
   らから「あの計画はどうなりましたか」と問い合わせたり、用事があって
   も、こちらからわざわざ出向いて行く筋合いはありません。だから整備計
   画などできたらその都度あなた方からダム対策協に内容を示してください
   。動くのはすべてあなた方ということです。
    一、窓口はダム対策協と国(建設省)の二者に絞ってすっきりとした形
   で交渉したい。間に加計町や広島県、広島市などが入るとややこしくなり
   成るものも成らなくなるからです。それに、私達にもそれだけの人と暇は
   ありません。ですから町や県、広島市がダム対策協に用事があったらすべ
   て建設省を通して私達に伝えてください。

 このように、佐々木寿人会長は、調査や工事よりも、常に水没者の生活再建対策について重要視した。交渉にあたっては、「立ち退き後の将来ビジョン」を示させ、その条件を水没者の全員が納得したときに、初めて調査や工事を了解した。この手法を「温井ダム方式」と呼ぶ。会長は「温井ダム方式」の理念を補償の精神として根底にすえ、事にあたった。このことが「来てくれと頼んだ覚えはない」の表現と連動してくる。



 この地域は農業と林業を主とした生活であり、当初水没家屋13戸、非水没家屋14戸と分かれ、水没農地も少なく、温井ダムは「水源地域対策特別措置法」に基づく対象のダムとはならなかった。このために企業者は、非水没家屋14戸における補償の取り扱いを含めて、大変苦慮した。
 熟慮を重ねた結果、企業者は、水底になる国道 186号線から標高差にして 150m上がった小温井、後温井地区非水没家屋14戸の存する地域を集団移転地に決定し、非水没家屋14戸を補償の対象として取り込むこととした。関係者の了解を得て、山を掘削し、谷を埋めて、宅地一区画平均約 1,000m2、農地1戸あたり平均約 4,000m2の造成を行った。この移転地は温井ダムサイト右岸側から至近距離のところに位置し、ダム湖畔が目の前である。

 いまでは、集団移転地の新温井団地内に、加計町から浜田市方面へ付け替えた国道 186号線が貫いている。新温井団地には集会場、グランド、消防水利兼用プールの公共施設を中心に、それを取り囲むように国道の両側に新家屋が建っている。山側には河内神社、共同墓地が移転され、近くに農地が点在し、農業作業所、ぬくい木工センターも設置された。それぞれの家屋、公共施設、農地がほどよい間隔で配置され、従前の集落が再現されたように、社会的、文化的なコミュニケーションがよく保たれている。移転者のほとんどが新温井団地で生活再建を図り、従前と変わらない生活、いやそれ以上の生活が行われている、といえる。前述の「ダム湖畔の地で、今まで通りの近所付き合いをし、以前と変わらぬ生活を続けたい。現在以上の生活が保証できるような・・・。」という、佐々木会長の生活再建の希望が叶った。

 温井ダム建設の特徴をいくつか挙げてみる。

■温井ダムは、水特法の対象外のダムであったために、下流域の広島県、広島市等が地域整備事業に全面的に協力を行った。
■加計町は、「温井ダム建設を起爆剤として町の活性化を図る」の方針で地元民に対し親身になって、温井地区の再編事業に取り組んだ。
■企業者は、非水没家屋の地域を移転地と決定し、非水没者を補償の対象者として取り込んだ。
■温井ダム対策委員会は、補償交渉にあたっては「温井ダム方式」を貫いた。
■温井ダムの施工にあたっては、原石山を選定せず、ダムサイト地点を掘削し、原石を採取し、骨材に使用した。
■工事期間中の施工者の宿泊施設は「川・森・文化交流センター」に引き継がれ、文化ホール、図書館、民俗資料館、学習室、研修、宿泊施設として多目的に利用され、加計町における文化の発進地となっている。
■材料置き場等の跡地は、多目的広場、公園、グランドに利用され憩いの場となり、また温井ダム湖祭りのイベント会場にも使用され、さらに、温井ダムには自然生態公園の散策やダム施設見学を含めると、年間35万人が訪れている。
■雇用については、新温井団地から至近距離にある、「温井スプリングスホテル」、「ぬくい木工センター」、「レストラン」、「サイクリングセンター」、「川・森・文化交流センター」の施設に採用されている。

 紆余曲折を経て、多くの方々の尽力と協力によって、温井ダムは、1986年11月に補償基準の調印式が行われた。1988年11月新温井団地での生活が始まった。1991年3月ダム建設本体工事に着手、1994年5月ダム堤体コンクリート打設を開始、2002年3月竣工式を迎えた。
 温井地区の移転者が綴った太田五二編『湖底の郷愁』(温井ダム対策協議会・1998年)に、「温井ダム音頭」(作詩大倉正澄・作曲佐々木浩司)が、次のように掲載されて
いる。

  ハアー温井大橋アーチダム
     恵みの水の行く先は
     平和の都ひろしまと
     花とミカンの瀬戸の島
     ほんに良いとこ(ハ、ヨイショ ヨイショ)
     ホンマニ ヨイトコ 温井ダム

 温井ダムの完成によって、広島都市圏の洪水を防ぎ、安定的に都市用水(3.46m3/s)を供給し、最大出力 2,300kwを発電し、公共の福祉の向上が図られている。

 佐々木寿人会長は「来てくれと頼んだ覚えはない」との信念を持ち、広島県、広島市の行政関係者、さらには企業者に対し媚びることもなく、「温井ダム方式」を貫いた。それ故に、一人の脱退者も出さずに27戸80余人の被補償者をベストリードの基を築いた、といえる。1984年6月12日「わしもダムを見て死にたかったのう」とポツリと本音をもらし、その78歳の人生を閉じた。

(2006年2月作成)


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