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ダムインタビュー(61)
田代民治さんに聞く
「考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力」

 田代民治(たしろたみはる)さんは、昭和46年、東京大学工学部土木工学科卒業後、鹿島建設株式会社に入社。その後、川治ダム、恵那山トンネル、厳木ダム、宮ヶ瀬ダム、温井ダムなど、同社が建設した数々のダム現場や大型土木工事の現場でエンジニアとして活躍されます。そして、平成12年に東京支店土木部長、平成17年執行役員兼東京土木支店長、平成19年常務執行役員土木管理本部長、平成21年取締役専務執行役員土木管理本部長、平成22年からは代表取締役副社長をされておられます。

 田代さんは、エンジニアとして社外でも多彩に活動して来られ、これまでダム工事総括管理技術者会(CMED会)会長、学会ではダム工学会副会長などを歴任。常にダムに関わる人たちを引っ張って来られました。


 今回は、田代さんのダム工事にまつわる様々なご経験と、これからの土木技術のあり方、将来像、若手への期待などについてお伺いします。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)

初めてダムと関わった川治ダム

中野: 就職後、最初の配属は志望通りでしたか?

田代: 私が入ったのは本社の土木工務部というところで、今でいう土木管理本部でした。本当は現場に行きたかったのですが、本社の中では一番現場に近い部署だったので、自分としては、仕方ない感じでした。

中野: 最初はダムではなのですね。

田代: ダム専門の部署ではなかったのですが、ダムを含めて工事全体を管理する部署の一員でした。

中野: その後、現場に行かれたのはどういう経緯でしたか。

田代: 私の部署の課長には、いつも早く現場へ行きたい、現場へ行かせてくれと言っていたので、その課長が川治ダムの所長になることになって、一緒に連れて行って貰った訳です。

中野: それで、ようやく念願のダム現場に行けたわけですね。

田代: 入社して3年目でした。ある程度は計画面の仕事もしていましたから、現場に出る準備は出来ていたと思います。仕事仲間も何人かはそのプロジェクトをやる時からの顔見知りでしたし、所長と一緒に現場に行ったので不安も少なかったと思います。むしろ、これからさぁやるぞ、という気持ちが強かったですね。

知力と体力の両方が生かせるのが土木の仕事

中野: 土木の道を志そうと思われたきっかけからお伺いします。ご出身が福岡とのことですが、九州から東京の大学へ行くということについて、ご家族とはどういうお話になっていたのでしょうか?

田代: うちの親が九州大学でしたから、九州大学には行きたくないという気持ちだったので、ならば東京大学を目指そうということにしたのです。文系、理系では最初から理系に行こうと思っていました。東大を志望した時には応用物理とかを何となくイメージしていたので、理科T類を目指しました。最初は土木なんか全く考えていませんでした。(笑)

中野: 東大時代には少林寺拳法をおやりになっていたとのことですが、これは大学で始められたのでしょうか?

田代: 大学時代から始めました。もともと運動は好きで何かやりたいと思っていましたから。

中野: どうして土木工学科を選ばれたのですか?

田代: 一番のきっかけは在学中に東大闘争が起こって、勉強するどころか大学の中で研究などとは言っていられない状況になってしまったこと。その頃、「黒部の太陽」の映画を見たことも刺激になったと思いますが、最も強く感じたのは体を動かしながら仕事をしたいということでした。そういう中で、知力と体力と両方うまく使えるのは土木の仕事だと感じたのと、世の中の役に立つ仕事だというのが第一の動機でした。

中野: ご自分としては性に合っているなと感じられたのですね。卒業後、鹿島建設へ就職されますが、どういうふうに選んで入ったのですか。

田代: 特に鹿島建設を希望した訳ではありませんでした。就職担当の教授に、鹿島建設は今、希望者がいないから行くかと言われて、鹿島建設は私も知っていましたが、そのころはインターネットもなく、会社を調べたり他の会社と比べる情報はなかったので、お願いしますということでした。

中野: 入れそうな就職先に鹿島建設があったので、そこに決めたという訳ですね。

田代: 教授が紹介してくれているので断る理由もありませんでした。当時は結構教授が斡旋してくれましたから、それに従ったということです。ゼネコンなら現場仕事がいっぱいあるだろうから、早く現場に出たいと思っていました。

中野: 就職難の時代ではなかったということですね。

田代: 当時の就職状況は、大学を卒業すれば誰でも就職出来る雰囲気でした。あんまり就職で苦労した覚えはないですね。

何もない渓谷の上にダムが見えるか?

中野: 川治ダムではどういう経験をされたのですか。

田代: 一番の経験は、現場に赴任して1ヵ月ぐらいたった頃「ちょっと一緒に来い」と言われて、所長車でダム現場の上流部の山道に連れて行かれました。車から降りたところで、ダムサイトを指して「君には、あそこに出来上がったダムが見えるか」と、言われたのです。山は雪が溶けて新芽が出始めている時でした。

中野: 上流から見ると渓谷がある、自然の風景な訳ですね。そこにダムが見えるかという話ですね。

田代: 私には何も見えませんでした。山の稜線のどの辺りがダムの天端のなるのかもよく分からない。所長から「ここにダムが見えるか」と言われても、とてもじゃないけど見えないと答えたら、「それが見えるようになったら一流のダム屋だから、それまで頑張れ」と言われました。所長は、頭の中に三次元の図面を描いて、何もない渓谷に完成したダムの姿を見ていたと思います。

中野: それが最初のダム現場の印象ということですか。仕事のうえで失敗したことはありましたか。

田代: ダム現場では、新入社員がぽんと行っても一人で出来るというものではなく、先輩たちの後を付いていくのに一生懸命でした。失敗した事というより、むしろ失敗した事すらも分からなかったのかもしれません(笑)。


川治ダム(撮影:田中創)
中野: 山の中にダムを造っていくという夢があって、それに突き進んでいったという感じですね。

田代: 目の前で巨大なダムがどんどん実現して行くのを見て、仕事が辛い苦しいというより、出来上がっていくところを見るのが面白かったし、ひとつひとつが自分でも勉強になりました。当時の建設省、今の国交省にもよく現場を知っている方がおられたので、教えて貰った事が沢山ありました。先輩からも現場の職人さんからも親切に教えて貰ったと思います。その代わりいろいろやらされましたが、やる事全てが身につく感じでしたから何でも一生懸命にやりました。


 
ダム造りの大事な所は現場で学んだ

中野: 現場ではどういうことが身についたのでしょうか?

田代: 例えば、取り付け道路など図面を見て忠実にやろうと思うのですが、職人の目からは、どこも同じように見える斜面でも所々に緩やかな部分があり、そういうところから切っていく方が安全だということを知っているのです。発破職人は岩盤の目を見て、土石の崩れ方や崩れる方向を予測し、ブルドーザーでの押す方向や土捨て場に運びやすい方向を考えて、爆薬や詰め物を調整していました。だから土木技術者も図面と睨めっこしているだけでは仕事にならない。自然が相手だから現場をよく見て、そこの地形や地質を知ることが大事だということを身につけたのです。

中野: 川治ダムといえば今でも我が国第4位のアーチダムですから、土木技術者として最初から大きなダムに取り組めて良かったですね。川治には何年ぐらいおられたのですか。

田代: 自分としては最高だと思いました。アーチダムの仕事は結構難しかったですが、川治ダムには湛水まで8年半いました。

宮ヶ瀬ダムで初めて三次元CADを導入

中野: 一流のダム屋は渓谷を見ただけで完成したダムの姿が見えるという話ですが、それを実現するのが三次元CADだと聞きました。田代さんが初めてダム現場に応用されたのですか?

田代: 動機はまさに川治ダムで完成したダムの姿が見えるかと言われたことです。ちょうど宮ケ瀬ダムが始まった頃、三次元CADを使ったプレゼンテーションで、ゴルフ場で球を打ちながら進んで行く動画を見せられたのです。それで、コンピュータでこんなことが出来るのかと思い、ダムの工事で初めて施工計画に応用したのです。私が新入社員の頃はまだ「タイガー計算機」が現役でした。足し算、引き算の加減計算を連続で行うことで加減乗除が出来るようになっていました。その後、関数計算機が出てきて、パソコンになり、測量の世界では光波やレーザー機器が普及し、今ではGPSも利用出来るようになって、土木の世界でのソフト機器の進歩を見ていると隔世の感があります。

中野: 三次元CADでダムが出来る工程が映像化出来たのですね。

田代: 地形、地質、設計図、工程のデータを全部入れて、三次元CADで表現すれば、仮想現実の世界でダムの完成まで見えると思ったのです。

CAD図面から見えた設計変更の理由


宮ヶ瀬ダム左岸天端取付け道路

中野: 二次元の図面では見えないところが三次元になって良かった事は?

田代: 実際に掘削していなくてもCAD図面にすれば、掘削した後の形状が見えます。この見えないものを見える化するメリットは相当に大きい。宮ヶ瀬ダムでは左岸側の上流から明かり掘削で取付け道路を計画していたのですが、CAD図面に示した結果、本体掘削工事に道路掘削を重ねると予想以上に大変な工事になるという事が判ったのです。そこで、明かり掘削からトンネル掘削に変更する案が浮上し、国交省の人も悩んでおられて、その案が採用となって、スムーズに計画を変更することが出来ました。

中野: 三次元CADを導入して成功した事例ですね。
田代: そうですね。ダム工事の現場では、早い段階で道路を付けておかないと、運搬がネックとなって工程が難しくなることが多いのです。宮ヶ瀬ダムでは、そういうこともあって左岸側は、ダムの天端へ行くのにトンネルを通るようになっているのです。今、そんな経緯があったとは想像出来ませんよね。

宮ヶ瀬ダムでの思い出

中野: 宮ヶ瀬ダムは、一般の方にも開かれたダムを目指すということで、毎年多くの方が訪れているのですが、確かスローガンがありましたね。

田代: そう「ダム造りは夢づくり」「21世紀への贈り物」というものです。宮ヶ瀬ダムは、東京都心からおよそ50Km地点にある堤高156mの巨大ダムで一般の方々に人気が高かったのです。ダムの打設中は神奈川中央交通が定期的に見学バスを運行し、それに対応するためインフォメーションレディを最盛期には8人採用しました。水と電力などいかにインフラとして大切か、このためのバックボーンがいかに作られているかを、都市に住んでいる人は感じてとって欲しいと思って開かれたダムを目指しました。

宮ヶ瀬ダム(撮影:安河内孝)

インフォメーションレディが見学案内
中野: 以前、廣瀬利雄さんのインタビューでRCD工法のお話をお聞きしましたが、宮ヶ瀬ダムではどういう経緯で始まったのですか?

田代: ちょうど私が川治ダムをやり始めたころ、廣瀬さんはダム工事の合理化施工として、面状施工、つまりRCD工法の開発を提唱されておられました。私もダム屋として合理化施工をやっていく必要があると感じていましたので、玉川ダムで初めてRCD施工が行われた時にはよく見学に行っていました。うちの会社でもその後多くのダムで取り組みましたが、合理化施工という割に、思うような実績が出ていないのがダム屋の中でもジレンマでした。

中野: 宮ヶ瀬ダムは本格的なRCD工法で造られましたが、実際にはどのようなご苦労があったのでしょうか。

田代: 宮ヶ瀬ダムは平成3年10月に本体のコンクリート打設を開始して平成6年11月に完了しました。合理化施工という点では成果があったと言えます。RCD工法では、それまで実績のあった玉川ダムのコンクリートの量が100万m3ですが、宮ヶ瀬ダムはその倍の200万m3の規模です。その頃のRCD工法採用のダムの多くは、何十万m3という規模でしたから、大量のコンクリート施工に対する対応には心配がありました。しかし、一方で宮ヶ瀬ダムの 200万m3というのは、堤体積としても文句なしの大きさだし、ここで何とか合理化施工を集大成し、早く打設したいという気持ちは持っていました。

中野: RCD工法で早く造るということは、宮ヶ瀬ダムでは主要な1つの目標だったのですね。

田代: 役所でもいろんな施工の制約を外していくことが出来ないかと挑戦的な考え方がありました。放流管もボルト接合を採用して箱抜きをやめて合理化しましたし、グリーンカットの合理化や、大型型枠をフォークリフトでつかんで固定したまま引き上げられる型枠スライド方式を採用して、安全で早く施工出来るようにも工夫しました。

放流管

型枠スライド機
足立敏之さんと目指したRCD高速施工

中野: いろんな工夫があったのですね。廣瀬さんから、玉川ダムのケースではRCD工法の導入に反対の役職員を転勤させて、新たに開発課から所長、課長を送り込んだというお話をお聞きしましたが、宮ヶ瀬ダムで田代さんと一緒に仕事をされた足立敏之さんが課長として玉川ダムに行かれていたそうですね。

田代: 足立敏之さんは玉川ダムでRCD工法を経験されてから平成5年に宮ヶ瀬ダムの所長として来られました。ちょうどコンクリートを打ち始めており、200万m3のコンクリートを打つ本当に最盛期の所長さんでした。私が宮ヶ瀬ダムへ行った時の所長は、竹村公太郎さんでしたから、私からいえば4代目の所長になります。


宮ヶ瀬ダム所長時代
中野: コンクリート打設の最盛期ということだと、毎日のように施工について議論とかなさったのですか。

田代: そうですね。最大のポイントは、施工するコンクリートの品質についてで、足立さんは硬派で、私は軟派と言われており、それについては沢山議論をした覚えがあります。足立さんはRCD工法プロジェクトのはしりの玉川ダムを経験されていたので、RCD工法としては、少し固めのコンクリートで施工をすれば、一番良いコンクリートが施工出来るという経験則を持っておられました。私は玉川ダムより大量のコンクリート打設をしなければならない宮ヶ瀬ダムでは、少し柔らかめにして、より早くて安全な施工を確保するようにしたいという考え方でした。ただ、とにかく品質の良い物を早く施工しようという気持ちはお互いにすごくありました。

中野: そこに関しては意見が一致して、お互いに頑張れたのですね。

田代: 足立さんも玉川ダムで作った記録を破るんだと言って、月間11万7000m3を打設させたり、一層約1万m3以上の連続施工に挑戦するぞと言ってくるのです。直轄の所長がそんな大胆なことを言っても良いのかと思ったりしたのですが、RCD工法を成功させることが大きな目標ですから何とかして達成しなければという思いがありました。

工事中のダムでコンサート

中野: 熱い方ですね。そう言えば、足立さんが、国土交通省水管理・国土保全局局長をされていた時、当協会のダム表彰式典の来賓として挨拶をされました。そこで「私は、ダム屋と言われる技術屋です。ダムの現場は人生で玉川ダムと宮ヶ瀬ダムを担当させて頂きました」と、お役所の方としては型破りな挨拶されたのがすごく印象に残っています。しかし、現場の職員の方にとにかく早くやれと言うのも大変でしょうから、何か工夫されたのですか。

田代: 足立さんは、現場で働く人たちを大切にして、働きやすくしてあげることを十分理解している人でした。その意味では、年始に礼を尽くすということで当時500人以上いた作業員全員に、足立(建設省所長)と田代(JV所長)の連名で、ダムの写真を年賀状にして出していました。作業員の中には、これは俺の記念品だみたいなことを言っていた人もいましたから、我々の気持ちは通じていたのだと思います。それから、工事中にも関わらずいろんなイベントも実施しました。高さ156mもあるダムのフーチングを降りるルートを取り入れたウォークラリーもやりました。これは足立さんと私だけが骨を折った訳ではないのですが、現場の皆も盛り上がってくれたのです。鮮明に覚えているのは、工事中のダムの上でコンサートをやった事です。さすがに工事中の現場に一般の人を大勢入れることはまずあり得ないので、企画当初は、何を?という雰囲気でしたが、最後は作業員もよく協力してくれました。
フーチングを降りるルートを取り入れたウォークラリー

工事中のダムの上で日米交流交歓コンサート
中野: ダムのPRとしても素晴らしい取り組みですね。ただ早く造るんだというだけでなく、そういうイベントにも取り組めば雰囲気も良くなりますね。結局、早く造る記録はどうだったのですか。

田代: 玉川ダムを上回り、月間11万7,000m3という記録を達成して一番を取ったなと思ったのですが、その昔、田子倉ダムで月間14万m3ぐらい打った記録があって残念ながら日本一にはなりませんでした。しかし、月間10万m3以上打った記録は、堤体積が10万〜20万m3のダムは一般に幾つもありますが、それを1〜2ヶ月で打設する、そう考えたら、すごい記録だったのです。


祝195万m3突破
中野: 本当にダムが好きというか、皆で協力して造るということをすごく大切にされる方なんですね。

田代: 足立さんは、宮ヶ瀬ダムの良いイメージもうまく醸成して頂いたと思います。もともとそういう流れは竹村さん、いや、それ以前の所長さんたちからあったのかもしれないのですが、そういう思いが引き継がれて足立さんが実現されたのだろうと思います。普通の柱状施工のダムでは工事中にコンサートなんか絶対に無理です。しかし、RCD工法という面状施工をしていたから、可能になった。また、本来は運搬用のインクラインには人を乗せられないのですが、特別な許可を取ったりとか、いろんなアイデアが出てくるのは、面状施工だったからだと思います。あの宮ヶ瀬での取り組みは今でもすごいと思っています。

工事に携わった関係者全員の名前を記念碑に

中野: 人を大事にするという事は現場を大事にする。結局、それで人が付いていくことになるのですね。


現場で指示する足立さん

田代: 足立さんは、建設省という役所の中でもダム屋だと自負するくらいだから、現場を大事にしていました。それから、新しい事に対してチャレンジする意欲が非常にありましたね。宮ヶ瀬ダムで、足立さんはそれまでなかった定期的な会議をやって何か問題があるとすぐ決めるクイックレスポンスを重視していました。それに何と言ってもリーダーシップがある。安全大会でも人を引きつけるような話が出来る。私などは、だらだらしゃべってしまい、作業員も聞き飽きたような感じになっていましたが、足立さんが話すと、オッというような顔をしているから、やっぱりちょっと違いますね。

中野: 人を引きつけるような魅力がある方なんですね。

田代: そう。自然に人が付いていくような人柄ですね。
中野: だから宮ヶ瀬ダムはうまく工事が進んだのでしょうか?

田代: 宮ヶ瀬ダムの場合は、発注者も施工者も現場で一丸となって取り組むことが出来たのが良かったのだと思いますね。そういうのは、代々の所長に受け継がれて、完成時にはゼネコン、下請け関係なく、1年以上工事に携わった人間の名前をまとめて五十音順に並べて彫って記念碑を建てました。

中野: 銘板ですね。あれはすごく有名ですよね。

田代: 足立さんだけがやった訳じゃないけど、ああいう事をやろうという伝統は、代々の所長に受け継がれていたから、最後に全員の記念碑を作ろうという話が湧き起こるのです。話がでた頃は、本当に出来るのかと思っていましたが、本当に出来きました。

中野: そこに名前が刻まれていたら、その刻まれた人はお子さんとか連れてくるじゃないですか。自分がこのダムを造ったのだと言えますしね。

田代: 作業員にしたら絶対嬉しいはずで、私らの喜びの価値とは全然違うと思いますよ。家族にも俺がやったと自慢できるじゃないですか。



宮ケ瀬ダム記念碑
 
土木工学の全部盛りがダム造りの醍醐味



中野: 田代さんにとってダム造りの醍醐味というか、面白いという所はどういうことでしょうか?

田代: やはりダムは総合技術だという事に尽きるでしょう。学生時代に土木工学で学んだこと、例えば水理学とか、コンリート工学とか、材料力学とか、土質工学とか、いろんな科目がダムには全て含まれています。土木の学問の集大成がダム造りということです。例えば、ダム型式も、ダム本体を土で作るアース式から、ロックフィル式、コンクリートによる重力式、アーチ式と色々ありますし、それに付属する橋もトンネルもありますし、グラウチングなどの地中の技術もあります。堤体の下の岩盤も目には見えないダムだと言いますが、地中処理を含めて、ダムは土木全般の技術の塊なのです。

中野: ダムを造るには全部の土木技術が必要なのですね。
田代: ダムが湛水を始めると上流に向かって水が溜まっていくので、かつて一度も水に浸ったことがない斜面の地滑りまで気にしなければならない。そういう意味で本当に総合土木だと思います。いろんなものが集まった工種で面白いというのがダム造りの魅力の一つですね。例えばトンネルだとずっと土の中を掘り続けているような感じじゃないですか。でも、ダムの仕事は、山を上から下に掘削した後に、逆に下から上にコンクリートや盛土を作っていくそのイメージが非常に楽しい、要するに3次元的変化のある仕事なのです。

中野: 言うならば、仕事としてスケールが大きいという事ですね。

田代: だから飽きない。言葉は悪いかもしれないけど、あれだけ長期間、同じ現場で仕事していくのに決して飽きないということは大きい要素だと思います。いろんな種類の工事があるし、時間の経過でいろんな事が起きる。地質もそうですし、どんな事態にも自然を相手にして現場で工夫していかないとダムは出来上がらないという所が本当に面白い。考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力だと思います。

アーチダムを2つ造ったダム屋

中野: ところで、田代さんがお好きなダムは川治ダムですか、宮ヶ瀬ダムですか。

田代: 自分が造ったダムは全部好きです。(笑)川治ダム、温井ダムもいいですね。
 一つ人に自慢出来るのは、アーチダムを2つ造ったことです。アーチ式では、昔は黒四ダムとか奈川渡ダムとか多く作られましたが、最近ほとんどアーチ式は作られないので、2つのアーチダムをやれたのは、ダム屋としては感謝したいし、すごく珍しいと思います。


温井ダム(撮影:けんさん)
失敗をしないためのルールを教えてもらった現場

中野: なるほど、お話を聞いていると、田代さんはすごくスムーズにダム造りをされて来たのではないですか?大きな失敗とかはしていないのでは?

田代: ダムというのは、きちんと考えてやっていけば失敗しないように造れるルールを大先輩が昔から考えてくれていたと思います。我々が失敗してとんでもないことになる前に、出水や土砂崩れ等の問題に対してはこういう対処をしていくべきと、現場での基本を教えてもらいました。ダムというのは重要な構造物だから、造った後で壊れたら大変な事になるので、初めからきちんとやらないといけない。発注者側もそうですが、受注者側もそうやって先輩から教え込まれて来ました。今は、現場で鍛えるのにふさわしいダムの現場が少ないので、これからの人にどうやって伝えたら良いのかが悩みと言えば悩みです。

中野: いろいろな土木技術が詰まったダム現場が少なくて若い技術者を鍛えることが出来ないのが悩みですか。

田代: ダム工事の現場はスケールが大きいですから、細かなミス、例えば測量ミス等も往々にしてあることなのです。でも、決定的な問題にはならないし、すぐに修正もやっていました。我々の時代は、ミスをする前に間違えないような手順を組み立てる工夫や考え方をするように、いつの間にか身についた感じで、とんでもない失敗は経験したことがないのです。

ダムは悪くない

中野: 新規のダム現場が減る中で、鹿島建設さんではどのように若手の技術者を養成しているのかをお聞きしたいのですが。

田代: 総合技術の塊であるダム現場が少くなった面では若手の養成には苦労しますね。既設ダムの改修、再開発のようなことで学ぶだけでは足りない所があります。我が国の現状を考えると、極端な雨の降り方など気候もどんどん変わってきているし、様々な条件を考慮してでも、ヒステリックにダムは要らないという主張は当たらないと思います。冷静に考えればダムは要るのではないかと思っています。治水面では今でも大きな水害が発生して多くの人が亡くなったりする。日本は今でこそ世界でも経済的に大きな位置を占めるようになりましたが、水やエネルギーといったインフラ整備をきちんとしてきたからだと思います。国土の隅々まで水とエネルギーが安定して行き渡ることは、国の安全・安心の為にはとても重要な事で、これからもダムが果たす機能は非常に大きいと思います。ダムを語る上では、このポイントはちゃんと押さえておかないといけないと思っています。
 今は、水力発電には陽が当たらないけれど、原子力発電がこういう状況だとそろそろ見直されてもおかしくない。環境問題でCО2削減の話になったら新型火力も限界があります。

中野: ダム技術を伝承していくためには、専門性を高めなければいけないと思いますが、そういう意味では、CMED資格は重要だと思いますが、その辺りはどのように思われますか?

田代: CMEDというダム技術者の資格制度ができたのはすごく良かったと思います。この制度のお蔭で、他の工種よりは、まだ技術者を育てていける環境にあると思っています。土木全体でみるとやはり技術者不足ですから、育てる環境作りは重要です。その意味では、ダムについては、現場が減ってはいますが、まだダム技術者は育っていると期待も込めて言いたいです。

見える化技術でより安全に

中野: 次世代に技術を残していくということは大事なことですが、宮ヶ瀬ダムで取り入れた三次元CADのような新しい技術は、今もいろいろ考えられているんですか?

田代: 土木は経験工学と言われますが、もう少し見える化というか、定量化、デジタル化出来ないかと考えています。土木では造った後のデータも貴重です。維持管理に役立つので、今後は土木工事の施工中の技術データや成果をデジタル化して、ストックし、後で自由に引き出したりしていくことが非常に重要になってくると思います。

中野: まだやるべきことは山のようにあるということですね。昔の工事日誌とか設計図とかは紙がぼろぼろになっていますし。

田代: 図面はもちろん工事記録もデジタル化していって、誰でも引き出せるようにすれば、若い人も使える。例えば、東京の地下埋設物がどのようになっているとか、地下水がどういうふうに流れているとか、地質の情報までも可視化できるようになると素晴らしいと思います。

中野: そうですね。東京は人口集中で軟弱地盤にでも家を建てたり、ビルや道路が入り組んでしまっています。

田代: 普段、東京に住む人は、安全で便利なところだと思っているかも知れませんが、相当に危ない所もあると思います。不安を煽るようなことはいけないですが、インフラが重要というのは、そういうことも含めて、人々の生活を土台から支えているものなので、足元の土の中がどうなっているのか全く解らないというのは心配になるのです。

中野: 地震も水害も心配です。少し雪が積もるだけでも交通が麻痺しますし、安全・安心に暮らせるということは、やはり土木の力があってのことですね。

ダムは自然の中にある材料で造る

中野: 私はダム工学会でも学生さんたちをダム現場に連れて行って、勉強会の企画をしていますが、ダムについて知る機会が少なくて現地に行くとやっぱり凄いという感想を聞きます。大学生になるまで、それも土木工学科に入らないとダムを見に行く機会もないというのでは寂しい感じです。これではダムのイメージも変わっていきませんよね。

田代: そうですね。ダムは環境破壊と言われますが、ダム湖には水があって豊かな自然があります。確かに工事をする際には、山を削り、谷を掘り、現地の自然に大きな負荷をかけるでしょうが、完成すればダム湖を中心に新たな自然環境が整うことになります。周辺道路も整備されます。例えば、宮ヶ瀬ダムも都会からアプローチし易くなり、首都圏の皆さんには本当に憩いの場として親しんで貰っています。また、コンクリートは人工構造物の象徴のように言われますが、コンクリートの材料は、セメント、砂(細骨材)、砂利(粗骨材)、水です。骨材は現地の山から採った石、セメントは石灰石、あとは水だけですから自然のものを混ぜてできているのです。

中野: ロックフィルダムだと、材料も全て地産地消ですね。

田代: そう。ロックフィルダムは山を削り、その土や石を選別して、河川の上に動かしたようなものです。全く人造の材料は使わない訳です。ダムが環境破壊だというのは謂われのないことだと感じます。ダムには水があって、緑があって、空気はきれいだし、なぜダムが自然破壊なのかと問いたいところですが、本当に何故その様な風潮がでたのかが悔しいです。

小学生にダムを教えたい

中野: そういったことは、小学校でも教えてもらいたいという感じがしますね。

田代: 何も難しいことを教えるのではありません。ダムは現実としてどう役に立っているか、どう造っているか位は教えてもらいたいですね。

中野: 当協会でも広く一般の方々に、ダムの実態、役割、魅力などについて知って頂くために、それを支援するダムマイスター制度を実施しています。

田代: そうですね。ダムだけではなく、土木構造物全般について、教育の機会と一般の人に興味が持てるような解説をして貰えると、より理解が広まっていくと期待しています。

中野: 昔の技術者の方はとても偉かったと思います。八田與一さんのように孤軍奮闘しながら台湾の農業を大発展させることができた。田代さんが言われるように、インフラを整備したメリットというのはとても大きな事だと思います。

田代: 日本には今、海外から多くの観光客が来るようになりましたが、水道の水をそのまま飲めると言うと、かなり驚かれるそうです。水道水が飲める国は、世界でもそう多くはないのが現実です。日本人は日本にいる限りそういう良さには気がついていないのです。電気だって停電が殆どない国も多くはありませんし、交通機関が正確に運航している国もありません。インフラのメリットを真に感じてもらうとともに、インフラの整備や維持管理が遅れて、今の機能を維持できない時代がくる恐れも感じて欲しいですね。

土木の世界をもっと明るく

中野: インフラは本当に大事だと思いますが、日本はメンテナンスも優れていて、少し壊れても、すごくきちんと直すという几帳面さがあって、一般の人もそれで当たり前だと思っているのでしょう。

田代: 私たちの側からすれば、ちょっとやり過ぎた気がしています。昨年の鬼怒川の決壊に直面すれば、現場では一週間くらいは不眠不休で頑張るようなことは当たり前の状況になっています。災害現場ですからそれは当然でしょうが、緊急性が低い場合も現場が寝ずに間に合わせる、気がつけば、4週8休をしていないのは、土木現場や建設工事現場だけです。今の時代、そういう所には若い人が来ませんから建設業に携わる人間はどうすれば解消できるかを真剣に考えていかなければいけないと思っています。

中野: 今まではインフラを造ることばかりを考えていたからでしょうか?

田代: 造る喜びを過剰に言い過ぎたということでしょうか。技術屋は、造る喜びがあるから何でもかんでも我慢しろというのではなくて、ワークライフバランスを健全化するというのを考えなくてはいけない。我々世代のようにモーレツに働いた人間が、そういう発想を持たないと人は付いて来ないと思います。

土木学会での新しい挑戦

中野: 田代さんは、土木学会の28年度会長になられる訳ですが、今度はダムに限らず土木全般をみてどのような展望をお持ちでしょうか。我が国のゼネコンは今、海外にもどんどん出て行っているのですが、海外事業も含めてこれからどのような発展が望めそうですか?



田代: さっきも言いましたが、狭い日本の国土で資源もなにもない、それでいて広大なアメリカや中国に次いで経済発展を遂げているということは、きちんとしたインフラの支えがあってのことだと思います。私たち土木の人間からすれば、日本の底力は、しっかりとしたインフラがあるからこそだと。交通、水、エネルギー。この大きな3つの要素がきちんと整っている。地球儀を見たら、日本なんて本当にちっぽけな国です。そんな国が今の経済的な発展を手にした訳ですが、このまま放っておくとどんどんインフラの力も落ちてしまい没落していくでしょう。インフラがひとたび衰え出したら大変な事になると心配しています。だから、その大切さをより多くの人に理解して欲しいと思います。

中野: 私も土木学会で土木広報センター社会インフラ解説グループのお手伝いさせて頂いて、一般に向けて情報発信する様々な取組みを行っていますが、28年度会長になられたらどういうことに力を入れたいですか?
田代: 今、土木の世界では人材不足が問題で、特に現場の担い手の確保が大問題です。本当に人がいなくて、特に現場が疲弊しているのが見ていて本当に不安になります。今はもう現場に若い人が入って来なくなっています。そこが本当に心配なので、若い人を支えるような取組みをやらなくてはと思っています。特に私は現場育ちですから、現場の人の大切さを知っているので、もっと現場に目を向けていくことを強調しながら会長職にチャレンジしようと思っています。

中野: とても貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。




 田代さんからのインタビュー後、田代さんと足立さんが会う機会があるというので、お邪魔してご一緒に宮ヶ瀬ダムの思い出をお聞きしてきました。

中野: 足立さんは宮ヶ瀬にどのくらいおられたのですか。

足立: 2年半です。やれることはみんなしました。

中野: 玉川ダムでやり残したことをやりたかったのですか

足立: 違います。宮ヶ瀬ダムは日本一のダムでしたらから、日本一らしく造らなくてはいけない。玉川ダムでやり残したこととは、月間打設量ですね。月間10万m3を打ちたかったのですが、丁度、定礎式に重なってうまくいかなかった。
 月間9万7千m3しか打てなかったのです。ひと月が31日だったら打てていたので、技術屋としてはとても悔しい思いをしました。

田代: 足立さんは玉川ダムで作った記録を破るんだと言って、宮ヶ瀬で月間11万7000m3を打設させました。

中野: 打設完了で、苦労をされたことはありますか。


足立: 広報に努めていたのですが、100万m3打設の式典がマンネリと言われていたので、今度は150万m3式典を夜間にやってみたら、首都圏のニュースで取り上げてくれました。

中野: なるほど、目の付け所が違いますね。それが平成5年12月21日だった。

田代: 本番は、寒かった。

足立: 打設完了の前の年で電飾をつけたトラックがインクラインを降りてきてカッコ良かったです。何が大事かというと、みんながこのダムを日本一のダムにするアイデアを出していた事です。

中野: 足立さんは、現場で働く人たちを大切にして、働きやすくすることを十分理解している人でした。ということを田代さんが話されておられましたが、足立さんはどんなことをされたのですか。

足立: 実は、工期を守る工程会議の席上で、JVから「来年の3月完了です」と言われ、「そんなのではダメだ。年内に打て」と言ったのですが、年内をいつにしようかということで、そうだ「土木の日」の11月18日に打設完了だと言ってしまいました。

田代: 私も建設現場の人に年内に打設完了したら一人10万円出すと言ったのです。


夜間打設

足立: 一人10万円というのは、食堂のおばちゃんも入っています。職員500人くらいいましたから、全部で5千万円。

中野: すごいですね。

田代: 1ヶ月工期を短縮したら、5千万円はすぐに元を取れる話です。みんながどんどん仕事してくれました。

足立: 最後の区画だけ残しておいて、そこにダンプでコンクリートを降ろして締め固めして打設完了。約束通り11月18日に式典をしました。実は、その時期に神奈川県国体のカヌー大会のために宮ヶ瀬ダムを使うので、早く水を貯めないということもあったのです。
田代: 以前に150万m3を夜間に打設していましたから、打てるはずだからからやれと言うわけですよ。本当は天端の上の方は細くなっていて施工に時間がかかり難しいのです。

足立: その代わり設計を変更する提案が出てくるわけです。当初は天端のコンクリートは堤体からアールをつけて張り出して施工するはずだったのですが、間に合わないから真っ直ぐ施工したいと。設計の基本三角形は変わらないからと即決しました。田代さんとはこんな感じでした。

田代: クイックレスポンスでやりました。

足立: そこで決めないと次ぎのリフトの施工が始まる訳だから。

中野: すごい実行力ですね。そうやってやる気が出できたのですね。

足立: 発注者も受注者もみんな自分たちのダムだ、日本一のダムだとわかっていましたから。

中野: 足立さんにとって、宮ヶ瀬ダムはやはり一番好きなダムですか。

足立: そうですね。打設完了までいましたから。

田代: 歴代所長さんの中で、ダムの最盛期に所長をされておられたから。

足立: いいことばかりではなく、一番最後というのは先輩たちの課題を全部片付けないといけないので大変でした。しかし、自分たちは日本一のダムを造るんだということで、ニコ二コしてやっていましたね。

中野: 宮ヶ瀬ダムは見学者が多いということでも有名ですが、何か工夫をされましたか。

足立: 当時、インフォメーションレディが8名ぐらいいて、彼女たちは英語が出来、中国語も勉強していました。見学者のため土日までオープンしていました。ダムの堤体にバスを止めて、定期的に観光バスが運行していました。
 また、こんな危険なところで一般の人たちのウォークラリーやりました。これは、役所側からではなくてJVからの提案でした。やれるものはやろうということでした。


田代: これはすごかった。

足立: 2,500人から3,000人が参加しました。

中野: 初めての打設面でやったコンサートはどのようにされたのですか。

田代: これは今でもどこもやってない。一段高いステージがRCD工法のワンリフトなんです。(笑)

足立: 作業員の皆さんが主体で、抽選の一般の人も入れて行いました。このステージで、何日か本体施工を止めているはずです。

田代: この場所でコンサートをやることで施工計画を作っていましたから、そんなに止めていませんでしたよ。

中野: 作業員の方の協力もあってできたのですね。

足立: 僕は日本一のダム現場だから作業員宿舎も一番にして下さいとお願いしました。ミストサウナもある宿舎ってなかなかありませんよ。

田代: ミストサウナは24時間稼働してました。

中野: そこで働いておられた方々には思い出になるダム現場ですね。田代さんからは、1年以上ダム工事に携わった人間の名前をまとめて五十音順に並べて彫って記念碑を建てたということもお聞きしましたが。

田代: 銘板は絶対思い出に残りますよ。

中野: 合理化施工で放流管の工夫はどうでしたでしょうか。

足立: レア工法を利用して、放流管の中央を残して周辺のコンクリートを先行打設しました。全部レア打設で上げていって最後に中央部の打設に合わせてボルト接合をしたのです。今までの先輩には反対されましたが、合理化施工のための工夫でした。このやり方はJVだけではなくて施工していた人たちも知恵を出してくれたのです。今からすると20年位も前に、宮ヶ瀬ダムではこんなにいろいろ工夫していました。先日、八ッ場ダムの現場で、宮ヶ瀬ダムのことをもっと勉強してほしいと話しました。ある意味、宮ヶ瀬ダムは八ッ場ダムの露払いでしたからね。

田代: 宮ヶ瀬ダムはみんなで造るという気持ちがすごかった。今はみんなで行う思いが少なくなったような気がしますね。

中野: その後、宮ヶ瀬ダムで苦労された足立さんが国土交通省の技監をされて、田代さんが土木学会の28年度会長をされるわけです。お二人が日本一の宮ヶ瀬ダムを契機に官・民のトップとして日本の技術を先導する象徴のような気がいたします。楽しいお話を有難うございました。




(参考)田代民治さんプロフィール

田代 民治 (たしろ たみはる)
昭和23年8月21日生

昭和46年 6月 東京大学 工学部 土木工学科 卒業
昭和46年 7月 鹿島建設株式会社 入社
昭和49年 1月 同社 東京土木本部 川治ダム本体工事
昭和57年 12月 同社 土木本部 恵那山トンネル工事
昭和60年 3月 同社 九州支店 厳木ダム建設工事
昭和62年 11月 同社 横浜支店 宮ケ瀬ダム本体工事事務所
〜平成 7年9月     工務課長、次長、副所長、所長を歴任
平成 7年 10月 同社 広島支店 温井ダム工事事務所 工事長
平成 9年 4月 同社 土木技術本部工務部担当部長
平成12年 6月 同社 東京支店土木部長
平成17年 6月 同社 執行役員東京土木支店長
平成21年 6月 同社 取締役専務執行役員土木管理本部長
平成22年 6月 同社 代表取締役副社長執行役員土木管理本部長
平成23年 4月 同社 代表取締役副社長執行役員
(現在に至る)

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(2016年3月作成)
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