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ダムインタビュー(76)
山岸俊之さんに聞く
「構造令は,ダム技術と法律の関係を理解するのに大いに役に立ちました」

山岸俊之さんのインタビューは2017年12月5日に行なわれたもので,ご本人の査読も済ませて頂き,後は印刷を待つだけとなっておりましたが,大変残念ながら2018年1月29日にお亡くなりになりました。ここに,ご本人のお人柄を表わすご遺稿として謹んで発表させて頂きますと共に心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 山岸俊之(やまぎし としゆき)さんは昭和38年山梨大学工学部土木工学科を卒業後,東京大学大学院数物系研究科に入学,昭和40年同大学院修士課程を修了後,建設省に入省。中国地方建設局に配属され,本局勤務の他,出雲工事事務所,太田川工事事務所等において中国地方の河川,海岸,砂防に関連する数多くの土木事業を担当して来られました。昭和51年には建設省本省に戻られて河川局開発課及び河川計画課において課長補佐として全国の河川計画事業,ダム事業の企画,計画調整,技術開発に従事されました。この時,我が国で初めてとなるダム事業における環境アセスメントを実施するに当たり,ダムに関する技術基準を作成されました。その後,昭和51年に制定,施行された「河川管理施設等構造令」に基づいて翌年12月に発行された構造令解説書のダム技術部分の執筆を担当されました。


また水源地対策室においても「水源地対策の手引き」を作成し,関係する県と調整,協議して利根川,淀川等における水源地対策基金の創設に当たられました。
 昭和56年からは八ッ場ダム工事事務所長に就かれ,およそ2年に渡り,地元の町村及び群馬県との調整協議を続けられました。昭和58年からは(財)国土技術研究センターに移られて技術開発に従事。RCD工法コンクリート締固め技術の開発やダムの排砂コントロールの技術開発を推進されました。この他,平成2年に岐阜県の土木部長として赴かれた際は,長良川河口堰事業において岐阜県はもとより地元町村議会との調整,対応に奔走されました。さらに平成5年に赴任された国土庁水資源部長としては,当時大きな社会問題となった四国地方の渇水対策に当たられた他,水資源開発公団理事としては,ダム工事総括管理技術者の認定審査委員として,論文審査や口頭試問を行なって来られました。

 ダムを始めとする数々の土木構造物にまつわる法律と技術の関わりにおいて長年お仕事をされて来られた山岸さんには,設計,施工といった現場仕事のみならず,法律に基づく指針,ガイドライン,技術解説書の作成等のデスクワークや,関係者との調整,協議といった一見地味だが,土木事業の推進には不可欠な仕事についても語って頂きます。

(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)

土木を目指したのは

中野: まず学生時代のことからお聞きしますが,なぜ土木科を目指そうと思われたのですか?

山岸: 一つには,高校時代,ある先生から内村鑑三の『後世への最大遺物デンマルク国の話』を教えられたことですね。本の中で,内村鑑三は後世に残す仕事をするのに何が一番良いかと言ったら,お金持ちになることだと言っていて,これには驚きました。でも単にお金を沢山持つのが良いというのではなく,そのお金を何に使うのかが重要だと。そういう考え方もあるのかと思いました。もう一つ,土木技術者になるのが良いとも言っています。これは,後世のためにインフラを造れる土木技術者が良いというのです。

中野: キリスト教的視点で,人間はどう生きていくかと言うことですね。


内村鑑三の本

山岸: そうですね。お金持ちになって,その金をどう使うかというのが人間の価値を決めるということです。

中野: その話に影響を受けて,土木に興味を持たれたのでしょうか。

山岸: 先生から,そういう話を聞かせてもらったという覚えがあるということですが,それとは別な理由として,父親が土木屋だったからでしょうね。当時,父は国鉄の保線区の仕事をしていました。仙台から出てきて夜学に行きながら苦労して国鉄に入りました。当時,日本の国鉄職員は,教育訓練が非常によく出来ていたと思います。毎日,酔っ払って帰ってきても,枕元に自分の服をきちんと畳んでいて,停電やら何かしら事故があっても,すぐに着て出掛けられるようにしていました。常にそうした心掛けで保線の仕事をやっていたということです。当時の国鉄はそういう意味でレベルが違うという感じでした。そんなこともあって,自分も土木の仕事を目指そうと思ったのです。
山梨大学から東京大学院へ進む

中野: 山梨大学を卒業後,東京大学大学院に進まれたということですが,何か理由があったのでしょうか。

山岸: 特別な理由はないのですが,山梨大学は,山梨高専から新制大学に移行したばかりの学校でした。全国に土木科のある高専が,山梨の他には仙台高専,神戸高専などがあり,私は土木優先で山梨大学を選んだのですが,山梨高専時代には,非常に有能な先輩が出ていたのに,新制大学になったらガタっと落ちたと言われ,山梨大学卒業後に東京大学大学院の修士課程に入学しました。

中野: 山梨大学は,そういう歴史があるのですね。

山岸: 地方でのんびりとした感じではありましたが,教育内容的には伝統があり質が高かったと思います。公務員上級試験には受かっていたので,建設省に行こうと思えば行けたのですが,先生が熱心に,勉強した方が人間が出来るからやったほうが良いと熱心に薦めてくれました。東大大学院には全国から4名来ていたのですが,そのうち2人が私と山梨大学の同級生でした。試験は連続で4日あり,ドイツ語もあってちょっとしんどかったですね。

中野: 難関だったのですね。大学院での研究テーマはどういったことでしょうか。

山岸: 地震です。岡本舜三先生という耐震工学の大家の先生が山梨大学に講義に来られていて,それが大変素晴らしかったのでぜひ岡本先生の研究室へ行きたいと思ったのです。もう1人は,当時,国土計画の権威の八十島先生の研究室に行きました。大学院へ行ったのは岡本先生に惹かれてということなのです。

入省後は中国地方建設局へ

中野: 修士を終えて建設省に入られる訳ですが,最初の配属は中国地方建設局ですね。そこで約10年間,いろんなお仕事をされたとのことですが,思い出深いことはありますか?

山岸: 私の頃は,全国で国家公務員試験の土木職を受ける人が二千何百人ぐらいいて合格するのが15名前後でした。本省の職員として訓練をするのですが,まずは現場を知らなくてはということで,直ちに現場へ出すという方針があったと思います。

中野: なるほど。技術屋は若い時は現場に行って勉強して来いという感じですね。

山岸: そういうことなのです。それで大体1人か2人を全国の地建に配属して基礎訓練といって計算法を勉強させる。当時は非常に洪水が多かったので,洪水予報の計算を勉強させて,現地へ行って洪水観測を身につけさせる。洪水になっている川で,どれぐらいの速さで水が流れているかを観測させられました。昔は中国四国地方建設局だったので,私は四国にも応援に行ったりしました。


若手の研究が土木学会技術賞に

中野: 太田川水系で,高瀬堰の建設で土木学会技術賞をとられておられますが,経緯をお聞かせください。

山岸: たまたま時期が良かったのです。特定多目的ダム法の本が出来上がる頃で,高瀬堰はダムではなくて堰ですが,流れ落ちる前のわずかな水の量を貯留量として多目的ダム法を適用したのです。満水の時,普段は平らな水面があって静かに流れているので,堰のゲート制御で,流量を変えることで貯留出来ないかという事を考えたのです。ダムは本体が大きいので多少流量が変化しても全体としての変化は少ないのですが,堰だと本体が小さい容量しかないので少しでも放流すると水面勾配がついてしまう訳です。それを全部計算に入れてゲートを上手に制御するにはどうするかということで,電気の会社や機械の会社に協力して貰って,太田川工事事務所の若手チームでいろいろ試してみたのです。それが上手くいきそうだったので事例を論文としてまとめて,土木学会技術賞に出すという話になったのです。中国地方建設局はそんなに大きな組織ではないので,若手が自由にいろいろやらせてもらっていました。自分たちで大学の先生方にこういう新しい考えを入れて制御しているのですと,一生懸命説明して回りました。そうしたら,だんだんその気になってくれて賛同してくれる方が増えました。構造物ではなくて流量制御システムに対して土木学会技術賞を受賞できたのです。

中野: ハードの設計でなくソフトとして受賞されたのですね。

山岸: 私は本局に戻って河川計画課長になり,後任で脇さんが中国地方建設局の課長になったので,実際に受賞式に行ったのは脇さんでした。

中野: 脇雅史さんですか。


高瀬堰(撮影:安部 塁)
昭和50年 土木学会技術賞(建設省中国地方建設局太田川工事事務所)

山岸: そうです。提出後,彼が引き継いでくれて,土木学会受賞式に行ってくれたのです。

中野: そうですか。新人時代,失敗とか苦労したこととか,何か印象に残っている事はありますか?

山岸: 思い出はいろいろありますが,とにかく良い仕事をさせてもらって有難かった。同世代の若い技術者と一緒に,新しいことを次々とやりましたので,そういう人たちとの思い出は,今も次々と頭に浮かんできます。いろんな事に挑戦出来たという事で幸せに感じています。

中野: 1つの目標に向かって,チームでやっていったというのは良い経験だったのですね。

山岸: 仕事もそうですが,皆と楽しく酒を飲んでアイデアを出し合ったのが非常に良かったと思います。
新人時代は失敗もあった

中野: 記憶に残っている失敗談はありますか。

山岸: 中国地方建設局に入って2年目,出雲工事事務所の調査係長の時のことでした。ここは出雲ハマグリがいっぱい捕れて,非常に楽しい場所だったのですが,斐伊川は常に流砂といって河床を砂が流れているので,長靴で入ると,長靴の回りを砂が流れていくのが解ります。水中に何かを造る時は,普通の構造物のやり方では全然だめなのですが,そこに新たに水位計を造るということになり,係長の私がこうしましょうと言うと何も言わずにその方針でやりましょうという感じで,水路にするため河床を何mか掘っていったのですが,一夜にして,今までの仕事が全部ダメになってしまったという失敗があります。計算式は大学で教わっていたのですが,砂の粒子が一定の川ですと,浮力と掘った所のバランスが崩れると,元の状態に戻ってしまう力が働くのです。そこに私は気がつかないまま進めていたのです。

中野: 普通,砂が流れていないのでしょうから特異な川ですね。その時は,助けてくれた先輩とか,いらっしゃったのですか?

山岸: いなかったですね。

中野: お一人で苦労されたということですか。

山岸: 大きな失敗でもないのですが,こういうのは時々ありましたね。

ダムとの関わりは


島地川ダム(撮影:さんちゃん)

中野: ダムに関わる仕事はありましたか。

山岸: ダムには,随分関わりました。中国地方建設局はあまりダムをやってなかったのですが,山口県の島地川ダムをやり始める頃で,廣瀬利雄さんが専門官でおられ,本省も加わってテストしていたのですが,中国地方建設局でRCD工法の開発のテストをしないかと言われました。最初はモルタルで,試行錯誤を繰り返しつつ,結局,二軸の平練りという方法,平らな所に砂を置いておき,混ぜる方法になりました。

中野: そのお話は,廣瀬さんのインタビューで出てきました。(リンク:ダムインタビュー(55)廣瀬利雄さんに聞く)
山岸: 私がダムに最初に関わったのは,広島の太田川の温井ダムで,実調に入る時調査課長でした。その頃から中国地方建設局では新しいダムをやるようになりました。

中野: 斐伊川水系には,尾原,志津見ダムがありますね。

山岸: ええ。広域利水が出て来た頃で,日本中が水資源開発に沸いた時期があって,中国地方では良いダムサイトはないので随分探しました。尾原ダムはその中の1つですね。

ダムの環境アセスメントの技術基準に関わる

中野: その頃からダムに関わっておられるのですね。建設省本省に戻られて,行政的なことをおやりになるのですが,次にダムの環境アセスメントに関わられた経緯をお聞きしたいと思います。

山岸: それは,世界の環境問題に関係してきます。日本は主にアメリカのダムの基準を勉強して造るようになったのですが,その頃,アメリカでは環境一辺倒になっていて,もうダムなんか要らないという思想的な考えもあって環境基準は厳しい状況になっていました。政治的,行政的な問題を含めて状況が変わっていたのです。日本もそれに倣って良いのかという問題があり,本当に日本の将来のために良いのかという判断が非常に難しかったのです。そこで,環境に厳しいアメリカへ治水事業調査のため行くことになり,ダムに関する最初の技術基準を作成しました。環境基準については,私たちが中心になって作りましたが,その時に,ダム建設に大きく影響されてはいけない,将来の日本の利益になるのかという大きな課題が隠れているということを充分認識する必要があったのです。

中野: アメリカイコール日本の課題とはならないですからね。

山岸: 歴史,社会の成り立ちから違うのです。その時は,アメリカではもうダムの時代は終わったとまで言っていたのです。



ダム事業における環境影響評価の考え方
中野: そうですね。当時,日本ではダムを作っていかなくてはならない時代でした。高橋裕先生のお話では,当時のアメリカのダムの時代はもう終わったというのは,アメリカの開拓局においてという極めて限定的な言葉で,政権が交代したら元に戻ったという事をお聞きしました。

山岸: 何でもアメリカと同じにしたら日本ではもうダムの芽が出ないとなる訳です。

中野: もちろん環境に配慮することも大事ですが。

まず,ダムの存在価値が 解ってもらえないと

山岸: その辺のバランスの取り方ですね。そういう背景を踏まえながら,土木の仕事というのは八ッ場ダムもそうですが,計画から五十何年経っても進めている。もっと長いスパン,歴史の中でどういう意味があったかをみないと正直なところなかなかわからないということですね。

中野: 温井ダムもいろいろと反対派で大変でしたが,ダムは,下筌,松原から反対派の歴史がありますね。

山岸: 逆に面白いとも言えます。その辺を踏まえてダムの存在価値というもの,土木の仕事そのものを分かって貰えないと,計画は前に進んで行かないですからね。

中野: 確かにそうですね。環境問題だけで,一人歩きしてしまったら,全部ダムが悪くなってしまう。

山岸: 平成12年に河川事業環境評価検討委員会が作ってくれた資料では,新しい環境基準でも水質のことはやりますが,環境項目としてはダムについては物すごく少ないのが解ります。

中野: なるほど,ダムの環境アセスメントは重要なことだったのですね。

山岸: 重要ですね。法案として閣議決定までに行く間に,ダムはえらく簡潔にやるじゃないかという批判的な意見もあって,建設省全体の話し合いでもいろいろと議論がなされたのですが,ダムはそれでなくても上下流問題があり,利害が食い違う訳ですからね。そういう利害調整の問題も含めて解決しないと環境問題は解決出来ないということで,この辺から取り掛かって見直しながらどんどん良い方向に行こうとなったのです。

ダムに関する法律を体系化する難しさ

中野: ここが固まらなければ,ダムをつくる段階にも進めないですね。それも含めて「河川管理施設構造令」,並行して「建設省河川砂防技術基準(案)」の改訂が順番に行われいく訳ですが,ダムに関する法律の体系とか成り立ちについて教えてください。

山岸: 日本の法体系の中にダムをどういうふうに入れたらいいのかというのが,まず一番基本的な議論で,後世に残していくには法律として文書化していかねばならないのです。

中野: 今までなかった構造物ですから。まとめるに当たり苦労があったのでは。

山岸: 日本の法律体系は,まず法があって,政令があって,施行令があってという,法学からみた文書体系になっている訳です。我々は,技術的な側面から文書を作っているのでどう調和させるかが大きな課題でした。日本のダムは農林省が農業用のダムを造り,厚生省が水道用のダムを造り,通産省では電力ダム,建設省が洪水調節とかその他の多目的ダムを造ってきました。それで多目的ダム法を作ること自体が,関係する各省庁にとっては非常に大きな議論だった訳です。なぜなら,ダムが出来上がってから各省庁が「河川管理施設等構造令」で全部束ねられる訳ですから。勝手にこういう構造で造りたいといっても,造れない訳です。すると建設省が勝手に造った法なんか守らないと,究極言われてもおかしくないということです。私が各省との折衝を担当していたので,この大変さを非常に感じるのです。


改定版 河川管理施設等構造令

中野: その頃,ダムがたくさん出来ていろんな問題が出てきたところでしたね。

山岸: そうやってきちんとしたものをつくろうとすると,各方面から議論が起こるのです。この「河川管理施設等構造令」の中で専門家しか解らないところであるのです。例えば,洪水が来た時に,ダムから水を流さないと壊れてしまう危険があるのですが,その規模をどうやって決めるか。これが非常に大きな問題で,土木研究所では,実際のデータを解析しながらずっと研究していて,例えば農林省の数値は小さ過ぎるとかいう話になってくるのです。それをどうやって取り入れていくか。農林省はそれによってダムの事業費が物すごく上がる可能性がありますから,そんなのとても受け入れられないとなる。だから,この「河川管理施設等構造令」の中には,そういう一つひとつの例文が集大成されているのです。その頃は,土木研究所と本省と,直轄ダムの係と,補助ダムの係と,管理の係,全部がまとまらないといけないので,来る日も来る日も,日夜問わずにそればっかりやっていました。そうして,やっとできたのがこの「河川管理施設等構造令」なのです。
ダムの分野で日本の水法の 基礎ができた

中野: なるほど,ダムは様々な省庁が係わっていますから,折衝も大変だったのですね。

山岸: その時に,開発課の中に法学部を出た優秀な人がおられ,それも参考にして我々技術屋と議論しながら政令案の文書を構成して,練り上げて行きました。河川の大きい構造物,ダムやそういう特殊なものについては,特に注意して構成していきました。この分野では,三本木健治さんが若い頃はそういう役割を果たしていたのです。あの方は日本の水法の基礎を組み立てた人の一人ですね。農林省,通産省,厚生省,建設省を調整して土木技術研究所と技術根拠の整理など大変な作業を経て,昭和52年12月に「河川管理施設等構造令」が最初の解説書として発行されたのです。

中野: ダム技術をどう法律に組み込んでいくかということですね。

山岸: 三本木さんはそれをやり始めた人です。水源地対策の法律も構成を考えて,我々と議論して作ったのです。

中野: 最初にダムの技術を法律に入れられそれを理解して書いていくことは,勉強になったのでは。

山岸: そうですね。「河川管理施設等構造令」のダム部分の執筆,整理を担当したことがダム技術と法律の関係を理解するのに大いに役立ちました。法律を作るための教科書はいっぱいありまして,自治省からも出しています。私もそういうので勉強しながらやりました。その時,思ったのは,土木技術者は今後,住民のいろんなトラブルを法律的にきちっと位置付けて考えていかなければならない時代に入ったと,それを一番感じました。

中野: 感情に走っちゃうとうまくいかないですね。冷静に判断するには,法整備が出来ていないと解決しないのですね。

法令にするには長い時間がかかる

山岸: 実は,この構造令をまとめるには何年もかかっている訳です。たまたま,私の時代にまとめる時期に来たのです。苦労された方は10年以上も関わっておられた。それでも法律屋さんと土木屋さんの意見がなかなか合わなかったのです。それから,内閣法制局が日本の法体系を守っています。彼らからすれば,ダムというのは何ですかというところから始まる訳ですね。法的にはきちんとしていなければならない。それから,ほかの法律ではどういうふうになっていますと。それに対して,この「河川管理施設等構造令」ではこういう位置づけです。という関連性も大事です。一つひとつ文書に,こうした詰めの作業を連日細かくやるのです。
中野: 時代,時代にあわせて何度も改訂版が出ているのですが,最初の基礎を作られたということは,本当に素晴らしいと思います。

山岸: 元があれば,改訂しながら次のステップへ入れますからね。

中野: 引き継いでいく土台がないと,次の人に説明するのに上手くいかないというのがありますね。

山岸: こういうのを今,一番勉強しているのは中国です。中国では,これまでこういう法律があるというのは全く認識されていなかった。でも,日本ではこういうふうにやっているということで参考にしています。

中野: RCD工法技術もどんどん吸収されていますね。苦労せずに取られてしまうのは,ちょっとしゃくですね。

山岸: それはそうですが,モンスーン地帯では,日本の技術が役立つと思います。そうでない場所ではすぐ採用とはならないでしょう。


ダム技術会議でよかったことは

中野: 人が住んでいくためには土地を改良して,インフラを整備していかないと住めないので,大事なことだと思います。以前,廣瀬利雄さんにもお聞きしましたが,ダム建設を円滑に進めるための組織,ダム技術会議はどのような経緯だったのですか。

山岸: 先ほども少し話しましたが,ダム技術をどうやって権威づけるかという背景がありまして,廣瀬さんの発想でダム技術会議を立ち上げて,日本の有識者の中で,日本のダムを権威づけていこうということになりました。

中野: そうですか。このダム技術会議というのは有識者の人も入っておられたのですね。

山岸: これをやって良かったのは,ダムを理解してくれる法律屋さんが出来たということです。東大法学部教授で塩野先生が入っています。水源地問題の部会にも入っておられ,そこへ岡本舜三先生が出て来られて議論しました。それまで,ダムとか,河川管理施設とか,「河川管理施設等構造令」を研究してくれる人はいなかったのです。今後,法体系でトラブルが起こった時には,どうやってバランスを取っていくかというのが問題になり,そういう人に勉強して頂こうという機運があってやっと三本木さんを中心に,法学部の中で取り扱って貰えたのです。

中野: 三本木さんは,そういった経緯でも当協会の表彰選考委員になって頂いています。

山岸: 他には,金沢先生,古井先生という名誉教授がおられて,水の法律は世界でも重要だから誰かがやらなくてはいけないと,弟子の中でおまえやれと指名してくれたのですが,どうも長続きせず最後までやって下さる方がおられないのが難点で,現在も三本木さんがダム技術会議に出て来られています。本当はもっと若い人に出て貰えると有難いのですが。

中野: 学の分野から次を継いでくださる方が出てほしいというところではありますね。次ぎに八ッ場ダムについてお聞きします。

八ッ場ダムでの経験

山岸: 私は,2年と6ヵ月。八ッ場ダムの所長としてはものすごく短かったのです。毛涯さんが一番長いはずで,5年ぐらいおられた。私は短かいのでおまえなんか八ッ場の所長じゃないと言われるくらいです。

中野: すでに陣内先生,毛涯さんから八ッ場ダムの事はお聞きしたのですが,反対派の意見が強くて余り事態が進んでない時代に山岸さんが所長になられたのですね。

山岸: 陣内先生,毛涯卓郎さん,私,その次,今村瑞穂さんです。

中野: 今村さんのインタビューではダム操作の話を伺いました。八ッ場ダムはともかく時間が長くかかっていて,お一人,お一人にご苦労があったと思います。


水源地対策のあゆみ(建設省河川局開発課)
山岸: 何を話したらいいのか,非常に迷うのですが。朝から晩まで反対派の人と向き合う訳で,どういうことをやって過ごしていたかというと,毎週のように,群馬県庁へ行って,土木部長,企画部長と会って,地元の地域整備の方向や地元の関係者との協議をしていくのです。長野原の事務所に泊まる訳ですが,現場では,ほんの少しでも改修,工事はまかりならぬと地元からいわれて,修理しなくてはどうにも困るような庁舎に寝泊まりしながら,毎朝5時頃に起きて,嬬恋村の牧場まで行って,その牧場主が中曽根派で,その人といろいろ話をしてというような生活が多かったですね。

中野: 赴任された時は,工事に掛かる前の段階でしたね。

山岸: そうですね。所長でアプローチは違いますが,それぞれ地元の人の家を回るのです。あるお宅のドアを開けて,「こんにちは。八ッ場事務所から来ましたので、ちょっとお話を聞かせてください」と言う。すると,中からおばあさんが出てきて,バァッと塩まかれるのです。そういう事が随分ありました。それでも最後に補償問題が妥結した時,当時の事務所長が過去の事務所長を皆呼んでくれました。それで,かつて反対した人も皆一緒になって話をしたのですが,その時は,もうわだかまりはなかったですね。非常にいい雰囲気になっていました。それで,ようやく普通に話せたと思いました。

水源地対策を学ぶために 海外からも勉強に来た

中野: 初代所長時代からずっとご苦労をされたお話をお聞きしました。水源地対策については,陣内先生のインタビューでもお聞きしましたが,八ッ場ダムでも住民に対するいろんな基準を決められて,みなさんが納得できるようにされたのですね。

山岸: 水源地対策は,水源地域の生活環境,産業基盤などを計画的に整備し,水源地域住民の生活の安定を図り,ダム周辺地域の整備をするもので,世界には例のない日本独自の法律です。私は水源地対策室にいたのですが,実際は開発課,要するにダムに関係する企画調整係だったので各省庁のセッションとか,今後こういうふうにやろうとかを決めていく立場でした。この水源地対策については,後に,フランス,中国,韓国,カナダなど,海外からも勉強に来られた。これは評価されても良いと思います。

中野: そういう国はダムが必要なところですね。

山岸: そうですね。フランスは原子力の関係の方が勉強に来られました。これは日本独自の考え方で,いいものを作ったなと思います。要するに,反対という人の圧力に対抗する意識で作るのではなくて,うまく上下流の利害を調整しながら,どうやって折り合いをつけていくかのガイドラインを見出すような考え方でまとめるのです。

中野: 片方だけが恩恵を受けるというところがダムには必ず出てくるので,そういったことでもこの法律は有効であるということですね。

山岸: 特に基金と国庫補助がポイントでしょう。基金でもう1つ別な補償の仕組み「水源地対策基金」を作ったことがよかったと思います。

中野: 今は今度の東京オリンピックまでには何とか出来るように急ピッチで進んでいます。

山岸: なんとか,出来上がるんじゃないでしょうかね。

中野: ぜひとも完成を見て頂かないと。あそこはダムの反対運動の代表例みたいな感じですから。歴代の所長さんは,皆さん本当にご苦労されておられますから。

山岸: 最近は工事中にもかかわらず,物すごい数のお客さんが訪れるそうですね。

中野: 国交省の八ッ場ダム工事事務所もインフラツーリズムとして企画して,八ッ場ダムツアーを出していて,イベントをやるから来てくださいとか,仕掛けがすごいですね。


日吉ダム(撮影:Dam master)
ダム工事総括管理技術者に望むことは

中野: 水資源開発公団理事在任中,ダム工事総括管理技術者認定事業の技術審査委員長をされておられますが,土木に携わる技術者に何か声をかけるとすればどのような言葉をかけられますか。

山岸: 私は平成7年から9年まで技術審査委員長をやりました。個人的な考え方になりますが,ダム工事総括管理技術者の試験は,現場重視の試験方法をとっていて,在任中のモデルダムとしてはコンクリートダム(日吉ダム,月山ダム,大滝ダム)とフィルダム(摺上川ダム,忠別ダム,羽地ダム)から出題しました。口頭試問を受ける側と問題を出す側といった立場こそ違いますが,土木技術者に対しては,技術士より上の内容を持っていると思っています。この資格を持っている人は,それだけの自覚とプライドを持って頂きたいと思います。土木技術者の中でも一流の土木技術者になったということです。

中野: ダム工事というのは総合土木だと言われます。例えば,いろんなマネジメントもあり,道路や橋をつくり,移転,補償いろんな交渉。そういうことも含めて,ダム工事総括管理技術者の人はこれからも活躍の場があると思うので,ぜひとも有意義に生かして頂きたいですね。



山岸: 一番望むのは,世界のダムの現場で頑張って貰いたいということです。私は,海外であった国際大ダム会議に2回と,日本であったカンファレンスに参加しましたが,多分,これからは違う風景が見られるようになると思うのです。例えば,ワーキンググループでは英語で議論が出来る人は,日本のダム技術者の中にほとんどいなかった。私も出来ないのですが,それでも片言でやっていました。建設省の担当として,世界大ダム会議からのサーキュラーレター(回状)に対する日本の回答の作成は,事前に開発課でまとめていたのですが,そういう議論をする時には,生の英語で議論しなくてはだめということです。考え方が違ったら,その場でちゃんと反論しないと,ヨーロッパの人たちが勝手にどんどん決めてしまうので,それでは会議に参加している意義がない。
中野: 土木技術者も語学の特訓をしなくては。

山岸: そうですね。本当は簡単だと思いますよ。現場に行けば,問題点を意識して回答を用意しておいて,それを適切なタイミングで表現する。

中野: ダムの場合は,現地の方となじむのがまず一番でそこからコミュニケーション,チームワーク,やはり団結して課題に当たることが大事ですね。CMEDの人もそうですね。

山岸: 考えてみれば,みんな立場が違いますからね。

中野: 会社の枠を超えて,コミュニケーションができることはすばらしいと思います。

山岸: やっと良い試験制度になったと思います。おかげで,今もおつき合いしている人が結構います。

中野: 委員長をされていた時の思い出が受験生にもあるでしょうね。

山岸: 「私は委員長の質問で落っことされたんですよ」なんて言われると,ちょっと気の毒で申し訳ないのですが(笑)。

楽しく仕事をすること

中野: 印象に残っている先輩,上司はおられますか。

山岸: 私は廣瀬さんと一緒に仕事をした時間が長く一番思い出深いですね。開発課でも,廣瀬さんはどんなに忙しくても,仕事は楽しくやらなくちゃだめだよと常々言っておられました。私も仕事はそういう方針でやるという影響を受けています。

中野: 廣瀬さんは優しい方ですね。

山岸: 人には優しいですが,仕事の中身については厳しいですよ。仕事の本質については容赦がありません。

中野: それが本当の技術者なのかもしれないですね。技術を教えていくということと,人を作っていくということ,両方でしょうね。

山岸: 実は,RCD工法を会計検査院に認めさせるというのが非常に面白い仕事だったのです。

中野: 廣瀬さんはいろんなところで実験をして,日本の技術として世の中に広めたいと。

山岸: 重要なポイントは,コンクリートの固さをどうやって表現するかというところでした。私が(財)国土技術研究センター在任中は,まだRCD工法の技術体系も課題が多く,技術開発をしながら解決していく状況でした。そのような中で打設リフト厚の関係で,各種の振動ローラーを使ってコンクリート内に加速計を入れ,締固め効果を調査しました。玉川ダムの現場では,現場管理技術としてのVC値の活用法を検討するため随分と行きました。

中野: 廣瀬さんとは,島地川ダムのRCD工法の試験施工からつながっておられるのですね。

山岸: ダムも,人ともつながっていますね。八ッ場ダムの現場ではダム工事総括管理技術者が頑張っていますし,RCD工法の新しい改良型をやっています。

中野: 現場で使っていけるような新しい工法ができても応用出来るダム現場がないということが問題ですね。海外に持って行って実現するかどうか。もう少し見ていかないと。日本の場合,安全第一がありますから。

ダムの事故から学んだ資料を 引き継いでほしい

山岸: そうですね。アメリカでティートンダムというのが壊れました。あれが日本のダムにどういう影響を与えたかとか,アメリカでどういう取り扱いになったかという事。これは私自身が非常に勉強になりました。

中野: ダム技術会議の第二回の検討テーマになっていたティートンの決壊の影響というのは,この間,柴田功さんも話されておられました。

山岸: 当時から柴田さんも意識しておられたと思います。当時,建設省では,日本のダムは壊れないという考え方でした。しかし,ダムが壊れた時にどうするか,そういうのを見据えてやるべきではないかという議論は昔からありました。一度,大事故をやったらもう取り返しがつかないとか,いろいろな議論があったのですから,その時とは違う立場に立って,事故は起こりうるものという前提で,防ぐにはどうするか,事故が起きたらどうするか,それを考えておくべきだと私は思います。建設省として「ティートンダム現地調査団」を送り詳細な技術調査を行い「ダム技術会議」に検討をお願いしました。現地での地方公聴会の技術資料を3組作り,現在,土木学会に保管されています。

中野: ティートンの事故例ですね。


山岸: あの頃,連日,アメリカ大使館から開発課に資料が送られて来ました。新聞記事とか,広報資料も全部整理していました。それをまとめてダム技術会議に提出しましたが,結局は,地質屋さんが悪者に仕立て上げられてしまった。それは時代の流れで,被害を受けた地域の人たちが発言して地方の行政機関と一緒になって,その流れへと持って行ってしまった感があります。これには意味のある資料がいっぱいあるので,若い人で興味があればぜひ生の資料に当たって貰いたいですね。

中野: 土木学会の図書館に行けば見られるのですか。

山岸: そうです。閲覧できます。土木学会と,それから後3ヵ所に置いてあります。

中野: 土木学会の図書館はすごいデータ量がありますね。ダムの資料はダムに行けばあるはずですが。

山岸: 意外とダムが出来てしまうと整理が悪いので保存されていない例もありますね。ここはぜひ改善して頂きたいところの1つですね。

中野: それは改めて思いますね。データ整理は地道な仕事ですから。それをずっと山岸さんはされてきたのですごいと思います。

山岸: たまたま,そういう時代に遭遇したのです。

中野: 仕事は楽しんでやれという感じですね。

山岸: もちろん,毎日毎日楽しくやりましたよ。

中野: 今日は,とても良いお話が聞けました。ありがとうございました。

山岸俊之(やまぎしとしゆき)氏プロフィール

工学博士,技術士(河川・海岸部門)

土木学会フェロー

昭和14年7月 埼玉県大宮市生まれ
  38年3月 山梨大学工学部土木工学科卒業
    4月 東京大学大学院
       数物系研究科修士課程入学
  40年3月 同大学院修士課程終了
    4月 建設省入省
       中国地方建設局
       出雲工事事務所,太田川工事事務所
  49年4月 中国地方建設局河川部
       河川計画課長
  51年6月 建設省河川局開発課
       河川計画課課長補佐
  54年8月 静岡河川工事事務所所長
  56年6月 関東地方建設局
       八ッ場ダム工事事務所長
  58年12月 国土技術研究センター
       調査第一部長
  63年6月 近畿地方建設局河川部長
平成2年4月 岐阜県土木部長
  5年7月 国土庁長官官房水資源部長
  6年11月 水資源開発公団理事
  10年1月 井上工業葛Z術顧問
  13年6月  〃  代表取締役社長
  19年7月 アイ・ディー・エー
  27年7月  〃  特別顧問・取締役会長

著書,論文等
「水源地マネジメントと水環境」
(原理・規則・事例研究)2000年・技報堂
「解説・河川管理施設等構造令」
(河川管理施設等構造研究会・編)
「ダム技術」No.55(1991)「女時(めどき)のダム技術」
「多目的水資源施設による流量管理」昭和53年
水資源に関するシンポジューム 発表論文 論文集

受賞
昭和50年 土木学会技術賞受賞
 中流部多目的堰流量制御システム
 −高瀬堰建設事業−
 建設省中国地方建設局太田川工事事務所
平成27年11月 瑞宝中綬章

[関連ダム]  島地川ダム  温井ダム  八ッ場ダム
(2018年8月作成)
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