1.越流情報
今年に入って3月までに、いくつかの試験湛水中のダムが次々に満水に達した。 毎年、試験湛水を行っているダムはたいていいくつかあるので、さほど珍しい話ではないが、最近は満水が近づくと、ダムマニア、中でも放流マニアがそわそわし始めて、現地の関係者にも「いつ頃越流の予定か」とか、「一般の見学は可能か」など、結構問い合わせがあるらしい。
ダムがいつ満水になるかは天候次第という側面もあるので、他の行事のように何ヵ月も前から「この日」と決めることはできない。最近ではそれぞれのダムのホームページで水位の推移を表示しているところも多いので、これらをもとに満水に達する日の見当を付け、いよいよとなったら現地関係者に直接問い合わせるしか術はない。 現地のダム担当者にしても、ある程度は取水設備などからの放流で満水になるタイミングを調節できるだろうが、それでも基本的には天候に大きく左右される。 クレストゲートのあるダムでは、何時何分にゲートオープン!放流開始!!ということができるだろうが、自由調節方式の非常用洪水吐きからの越流はそうはいかない。特に湛水面積が広いところでは予測はかなり難しいだろう。
例えばクレストゲートのあるダムでは、何日か前に○月○日に放流を行います、という事前アナウンスが可能であろうが、そうでないダムでは予測より早くなったり、あるいは満水直前まで行ったものの、その後ダム湖への流入量が少なかったり、下流での水の使用量が増えて試験湛水に回せなくなったりなど、様々な理由でなかなか水位が上昇せず、結局、サーチャージ水位まで水位を上げることができずにそのまま水位を下げなければならなかったダムもあるようだ。 越流の情報そのものを知らなかったり(これは常にどのダムが試験湛水中で、現在どれくらいの水位であるかを常時チェックしてないといけない)、また、事前に放流日がわかったとしても、こちらの都合が合うとは限らず、日程の都合が付いたとしても、遠いところのダムでは行くこと自体がたいへんだったり…と、試験湛水の満水放流を見るのもそう簡単なことではない。
そういうわけで私自身、これまで越流の瞬間を直接見た経験はなかったが、今回タイミング良く、2日続けて2つのダムのサーチャージ越流を見学することができたので、その報告も兼ねて、つらつら考えたことなどを書き留めてみる。
2.最近試験湛水で越流したダム
今年の2月、3月に試験湛水でサーチャージ水位に達し、越流したダムは私の知る限りでは次の通りである。
@石川県の辰巳ダムは今年の1月11日に試験湛水を開始し、2月17日には洪水時満水位に到達、越流。土木写真家の西山芳一先生を初め、ダムマニアも何名か越流を見に行ったらしい。 A島根県の尾原ダムは3月3日に無事越流。 B新潟県・佐渡の外山ダム(北陸農政局)は去年の11月に試験湛水を開始し、3月6日に越流。 C岐阜県・高山市の丹生川ダムは3月8日に越流。 Dその翌日の3月9日、福井県おおい町(最近は大飯原発の話で話題に上ることが多い)にある大津呂ダムが越流。 E3月25日には(独)水資源機構の大山ダム(大分県)が越流。 F3月30日には近畿地整の大滝ダムが満を持して越流。下流のカスケードではみごとな水のショーが見られたらしい。
このうち丹生川ダム、大津呂ダムの越流は運良くその瞬間を見ることができた。
3.明日越流します、明後日越流します
丁度外山ダムが越流した3月6日、近々越流しそうなダムについて、ダムマニアがTwitterで情報交換しているという話を聞き、こちらも丹生川ダム本体JVの大林組現場作業所と大津呂ダムの清水建設現場作業所に電話して聞いてみた。この時点では、丹生川ダムはその週の週末に、また、大津呂ダムは翌週に入って越流しそうだとの話であった。 丁度その週の週末には車でどこか遠出をしようと考えていたので、ならば、飛騨高山まで足を伸ばしてみるかと考えた。しかし翌週の大津呂ダム越流までは見られないだろうと残念に思っていた。
ところが翌日になって様相が変わった。7日水曜日、丹生川ダム、大津呂ダム両方の作業所から前後して電話がかかってきた。その内容は、丹生川ダム作業所からは明日8日越流するとの連絡、大津呂ダムからは明後日9日越流するとの連絡であった。丹生川ダム、大津呂ダムは地図で見ると、東京から見てほぼ同じような西の方角にある。しかも自宅−丹生川ダム−大津呂ダムはほぼ等距離である。順序としても、丹生川ダムが先に越流するので行程的にも好都合。これは絶好のチャンスと、早速休暇を取ってサーチャージ越流を見に行くことにした。
行程を考えると、大津呂ダムの近辺に宿を取った方が良い。早速、ネットで安宿を手配し、ダムの位置を確認する。丹生川ダムには一度行ったことがあるが、大津呂ダムは初めてである。Googleの地図で調べたが、当然まだ載っていない。だが、航空写真に切り替えると、明らかに施工中のダム現場が見て取れた。
4.丹生川ダムへ
3月8日、午前3時過ぎに出発。計算では丹生川ダムに午前8時過ぎに到着の予定であった。が、環八の大渋滞で1時間弱のロスタイム。裏道を抜け、4時45頃に調布IC到着。7時に松本IC。そこから国道158号線をひたすら走る。 この道は、ダムマニアならば一度は通る道だろう。稲核ダム、水殿ダム、奈川渡ダムの東電ダム3兄弟を横目で見ながら、後ろ髪を引かれる思いで素通り。早朝で混んでないことと、ほとんど信号がないこと、そして15年前に供用開始した安房トンネルのおかげでその後は時間のロスもなく順調に走ることができた。平湯峠を過ぎると、あとは延々と下り坂だ。 丹生川町へ入り、大きくUターンするような格好で丹生川ダムのある荒城川を遡っていく。
午前9時、丹生川ダムJV作業所の脇を通り抜ける。窓を開けると放流を伝える防災無線(或いは有線放送か?)が響き渡るのが聞こえた。 午前9時5分、ダム直下に向かう分かれ道に着いた。その時、放流を知らせるサイレンがすぐ近くで鳴り響いた。すでに越流が始まったのかと訝りつつ堤体に向かう。
サーチャージ越流前の丹生川ダム。減勢工に河川維持用水を放流している。
サーチャージ越流開始。減勢工への維持用水の放流は止まった。 しかし、非常用洪水吐きからの越流を知らせるサイレンではなかったようで、到着した時点では、減勢工で河川維持用水とおぼしき放水がされていた。 先に駐めてあった車の列に並べて道路端に車を駐めると、こちらの姿を認め、ダム本体の施工を担当している大林組のN所長ともう一人の見知らぬ人物が近づいて来た。挨拶をすると、その方は県の元丹生川ダム担当者だった。 ダム建設に携わってきた人にとっては、試験湛水で満水に達するというのは、我が子の誕生を待つ父親の気分に似ているのかも知れない、などと考えつつ、丹生川ダムについて、あれこれ話をする。特に記憶に残っているのが、丹生川ダムの景観デザインの話である。
丹生川ダムのデザインは景観検討委員会が設置され作られていったらしい。それは例えば越流部上部のバルコニーのように円形に広がった天端であったり、等間隔(ジョイント毎だろう)に設置された下流側のピア状の出っ張りだったり。なかなかカッコよく出来上がっているが、施工には結構苦労されたらしい。
現場には、工事関係者、地元のマスコミの他に顔見知りのダムマニアでありダムマイスターでもある萃香氏とひろ@氏の2人がすでに到着しており、カメラを抱えてダムの撮影に余念がなかった。 当日は時たま薄日が差し、周囲に残雪は見られるが、春の暖かさを感じるたいへん心地よい陽気であった。この暖かさのおかげで融雪が早まり、ダム湖への流入量も増え、予定より早めのサーチャージ水位到達となったのだ。
10時になると再度サイレンが数回鳴り響き、河川維持用水の放水が徐々に絞られてゆく。どうやらクレストからの越流開始の合図のようだ。しかし、先にも述べたように、自由調節式の場合、それでどっと一気に水がクレストを超えてくるわけではない。直前にはほぼ非常用洪水吐きのクレストぎりぎりに湛水しているが、それでも広大なダム湖の水位はそう急激には上昇しない。おそらく1分にコンマ何oといったオーダーで水位が上昇するのだろう。
想像するに、この瞬間が施工者にとっては固唾を呑む瞬間なのかも知れない。完璧に横一線で越流、というのはまず不可能だろうが、それでもあまり差が無く流れ落ちて欲しいと念じているのではないだろうか。クレストがきちんと水平に仕上がっているだろうかという事は、越流の瞬間を見守る誰もが、口にはしないが大なり小なり考えていることでもあろう。
減勢工への直接放流が止まって30分ほど経っただろうか、ツツーッと非常用洪水吐きのクレストから最初の一筋が流れ落ちた。流れは徐々に広がっていき、十数分後には、洪水吐き導流部全面を覆った。しかしまだ、波状の模様が姿を現すほどではない。 11時を過ぎると、越流する水量も増し、洪水吐き下流面に白く波状の紋が浮き出て見えるようになった。ダム湖側では映像記録用の遠隔無線操縦ヘリコプターでの撮影が始まったようで、チェーンソーのような、あるいは巨大な蜂の羽音のような音が届いてきた。 導流部を流れ落ちる水量も安定したようなので、今度は、堤体天端とダム湖へ行ってみることにした。
ダムの堤頂へ行くには、車で一旦下流側の来た道を引き返し、先程の分かれ道を右折し、上ってゆく。結構な距離があるので、歩いて行ったらかなり時間がかかるだろう。ダム完成の折には、ダムの上下を移動する階段が一般開放されると良いのだが。 ダム湖はその大部分が雪と氷で覆われていた。そのダム湖を左手に見ながらカメラ片手に堤体へと歩いて行く。
ダム湖はほぼ一面が雪と氷に覆われていた。 上流や下流の風景を眺めつつ、堤頂部を往復した後、車でダム湖の上流へ向かう。しかし道は次第にダム湖から離れていった。ダム湖撮影のベストポジションと思われる場所は、深い雪に閉ざされていて、行けそうにもないので、再びダム直下へと戻った。 ダム直下の細越(ほそごえ)洞(ぼら)橋では、ダムマニアのおふたりが撮影を続けていた。挨拶をすませ、次の目的地である大津呂ダムへと向かった。 (つづく)
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