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ダム温故知新
《第7回》 豊稔池を訪ねて

写真・文 安河内 孝

上流から見た豊稔池ダム。下流からの景観とは全く趣が異なる。
当ダムは、地元に愛され何時(いつ)行っても誰かが来ている。初めての見学者の第一声は、「これダムなの?ヨーロッパのお城みたい」である。

このダムの最大の特徴は、中央部が5個のアーチと6個の扶壁(バットレス)からなる五連式マルティプルアーチ式である。このタイプは宮城県に二連式の大倉ダムがあるのみで、五連式は当ダムのみである。

「豊稔池改修事業竣工記念誌(豊稔池土地改良区)」を見ると、当初は重力式で計画されていたが、基礎掘削中に断層があり、それにより設計変更を行い、現在の形状となった。


『ゆる抜き(放水)』の時は特に多くの見物客で賑わう。

まるで『鍵穴』のような景色。

豊稔池碑を見ると、日本初の重力式コンクリートダムである「布引五本松ダム」を設計・建設した工学博士の佐野藤次郎の名前が見られる。彼は布引五本松ダムの完成後、海外のダムを視察している。彼は当地を四回視察しており、設計などの指導を行ったのではないかと推測される。どのような設計を行ったのか、大変興味をそそられるが、資料が存在しないのが残念である。

当ダムは、当時の一般常識を打ち破った新しいタイプのダムであるばかりでなく、洪水吐きをサイフォン型式とし、下流面とバットレスのコーナー部にコンクリートブロックを使用している。ダムで採用された日本初のプレキャスト工法ではないかと推測する。

この建設には、地元の受益農家を中心に構成された作業班が携わり、わずか3年で建設されている。いかに、地元の方々が水を欲しがっていたかが分かる。
施工中の写真が数枚残っているが、下流側に桟橋を設置して、人海作戦で築石などを運搬している。

当ダムは珍しく下流面に直接触ることか出来、そこから下流方向を見ると鍵穴を見ているようである。また、手を叩くと日光東照宮の鳴竜のように「ビィー」と反響する。
なお、昭和と平成に補強工事が行われ、平成18年12月19日に重要文化財(建造物)に指定されている。
(これは、「月刊ダム日本」からの転載です。)
[関連ダム]  豊稔池ダム(再)
(2012年8月作成)
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