全項目表
 
ダム番号:1084
 
丸山ダム(元) [岐阜県](まるやま)

 → 新丸山ダム(再)

ダム写真

(撮影:ToNo)
028846 灰エース
054902 Dam master
065403 さんちゃん
065385 さんちゃん
D-shot contest 入賞作品   →ダム便覧トップ写真   →フォト・アーカイブス [ 提供者順 / 登録日順 ]
どんなダム
 
戦後初の大ダム工事
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堤高98.2mの重力式コンクリートダム。我が国初の100m級ダムとも言われるようだ。大型機械を導入した。戦時中の昭和18年に着工したが中断。その後、昭和26年に本格的に再着工、30年竣工。
[写真](撮影:Hisa)
講和丸山出張所
___ 建設当時、間組のダム建設出張所の名前は講和丸山出張所だった。戦後初の大ダム工事で、戦後は日米講和条約から始まったことを受けたものか。「日本のダム王」とも呼ばれた神部満之助社長のネーミングだという。
この柱は何?
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建設当時に使用した骨材選別塔が残る。日本最初の骨材プラントだとも。柱状で中が空洞。砕かれて大きさごとに分けられた骨材はベルトコンベアーで塔上部に運ばれ、塔の下に骨材が溜る。塔ごとに骨材の大きさが異なる。何となく、遺跡のようで、珍しい。
[写真](撮影:ToNo)
日本唯一?の形式の旅足橋
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ダム湖(支川)に架かる国道418号の旅足(たびそこ)橋は、トラス補剛をケーブルに組み合わせる構造で、日本唯一の形式ではないかという。
[写真](撮影:琉)
人道の丘公園と杉原千畝記念館
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ダムの近くに人道の丘公園がある。人道の丘公園は、第二次世界大戦時にビザ発給により多くのユダヤ人を救った外交官杉原千畝の功績を称えるために作られた記念公園。その中に杉原千畝記念館がある。
[写真]「世界に奏でる平和へのビザ」のモニュメント(撮影:ToNo)
ダム湖は「丸山蘇水湖」
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昭和31年頃から自然発生的にこう呼ばれるようになった。この辺りの渓谷は蘇水峡と呼ばれた。丸山は大字名。
[写真](撮影:さんちゃん)
シリーズ ダム百選 投票から
第 28 回  『 ○○が美味しいダム 』
■ 岐阜県八百津町にある、三勝屋のパーコー定食が美味しいです。パリパリに揚げられた豚肉の天ぷらにポン酢を付けて食べると絶品です!メシが良く進む (小柳弘行)

第 34 回  『 酷道ダム 』
■ 無理すると、死にます。ダム湖の右岸を奥に進み、旅足(たびそこ)橋をさらに奥まで進むと、写真の湯谷橋が架かっています。ここまででも曲がりくねった細い道で注意を要します。 ダム湖畔の国道418号線はここを右折しますが、「通行止め」の文字が。そしてこの先は「キング オブ 酷道」と呼ばれる418号線の本領発揮。 町道分岐点のゲートまでは、なんとか4輪車でも行けるかもしれませんが、御覧の通り、道は非常に悪いです。その上、すれ違える場所やU-ターンできる場所はほとんどありません。くれぐれも無理はしないでください。 (たろちゃん)

第 37 回  『 ダム初詣に行きたいダム 』
■ 自分にとって一番身近な大ダムである丸山ダムに、今年もいいダム巡りができるようにお祈りしてきました。最近はバイクで巡るので、少し遅めのダム初詣になりましたが… (たろちゃん)
テーマページ 平成20年度 「森と湖のある風景画コンクール」 受賞作品
平成17年度 「森と湖のある風景画コンクール」 受賞作品
ダム放流動画集
ダム放流写真集
減勢工って何?
第4回 D-shot contest 受賞作品
ダム温故知新 《第6回》 丸山ダムを訪ねて
「理の塔、技の塔」 〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜 (4) 敗戦・GHQ・復興それにダム建設
ダムの書誌あれこれ(69) 〜木曽川水系丸山ダム〜
Let's visit a historical dam  file.08  丸山ダム 「永遠のミスター・ダム」
このごろ DVDを見ながら思った
ダムをうたう(18) -ダム竣工を祝う-
高浜虚子の俳句
女子美祭でダムの日本画
丸山ダム湖巡視体験参加レポート
丸山ダム建設60周年記念シンポジウムが開催されました。
ダムカレーによる観光客集客
丸山ダム管理所新庁舎お披露目会開催
左岸所在 岐阜県加茂郡八百津町字安渡  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯35度28分08秒,東経137度10分20秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  新丸山(再)(0km)  前沢(4km)  谷山防災溜池(5km)  真名田防災溜池(6km)  大洞防災(6km)  兼山(6km)  松野(7km)  上飯田調整池(8km)  小渕防災溜池(9km)  川辺(9km)

河川 木曾川水系木曾川
目的/型式 FP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積 98.2m/260m/497千m3
流域面積/湛水面積 2409km2 ( 全て直接流域 ) /263ha
総貯水容量/有効貯水容量 79520千m3/38390千m3
ダム事業者 中部地方建設局
本体施工者 間組
着手/竣工 1950/1955
ダム湖名 丸山蘇水湖 (まるやまそすいこ)
ランダム情報 【ダムにいる鳥】国土交通省「河川水辺の国勢調査」(2002)
カイツブリ、カワウ、ゴイサギ、ササゴイ、アオサギ、オシドリ、マガモ、カルガモ、ミサゴ、ハチクマ、トビ、オオタカ、ハイタカ、サシバ、クマタカ、コジュケイ、キジ、ヤマドリ、イソシギ、ドバト、キジバト、アオバト、ホトトギス、フクロウ、ヨタカ、ヤマセミ、アカショウビン、カワセミ、アオゲラ、アカゲラ、コゲラ、ツバメ、コシアカツバメ、イワツバメ、キセキレイ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、サンショウクイ、ヒヨドリ、モズ、カワガラス、ミソサザイ、カヤクグリ、ルリビタキ、ジョウビタキ、ノビタキ、イソヒヨドリ、トラツグミ、クロツグミ、シロハラ、ツグミ、ヤブサメ、ウグイス、センダイムシクイ、キクイタダキ、キビタキ、オオルリ、サレコウチョウ、エナガ、ヒガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、メジロ、ホオジロ、カシラダカ、ミヤマホオジロ、アオジ、アトリ、カワラヒワ、ベニマシコ、ウソ、イカル、シメ、スズメ、ムクドリ、カケス、ハシボソガラス、ハシブトガラス
【ダムカード配布情報】2021.8.1現在 (国交省資料を基本とし作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver2.0
○木曽川水系ダム統合管理事務所丸山ダム管理支所 7:30〜19:00(土・日・祝日を含む)
ダムカード画像コレクション
丸山ダム Ver.1.0 (2007.07)
[協力:声姫]
丸山ダム Ver.1.1 (2008.08)
丸山ダム Ver.2.0 (2015.04)
[協力:声姫]
丸山ダム No.1 (2017.04)
丸山ダム・発電所 Ver.1 (2010)
丸山ダムカレー誕生記念 Ver.1.0 (2016.02.03)
丸山ダムカレー誕生記念 Ver.2.0 (2017.03.10)
丸山ダムカレー誕生記念 Ver.3.0 (2017.08.01)
リンク Dam master・丸山ダム
Damnist・丸山ダム
Dam's room・丸山ダム
dashelo の 『さて、見にいこ。』・丸山ダム、見てきた。
dashelo の 『さて、見にいこ。』・新丸山発電所、見てきた。
NAUTIS’s Site・丸山(元)ダム
THE SIDE WAY・丸山ダム
サラリーマンの休日「ちょっと行ってくる」・丸山ダム2005.03
サラリーマンの休日「ちょっと行ってくる」・丸山ダム放流中!!
ダムの風景・丸山ダム その1
ダムの風景・丸山ダム その2
ダムの風景・丸山ダム その3
ダムの風景・丸山ダム その4
ダムの風景・丸山ダム その5
ダムの風景・丸山ダム その6
ダムペディア・まみーおふ2日目/まみーおふふつかめ(2005/08/15)
ダムペディア・丸山ダム
ダムペディア・森と湖に親しむ旬間2009〜丸山ダム〜
ダムマニア・丸山ダム
ダムマニヤ倶楽部・丸山ダム
ダムマニヤ倶楽部・丸山ダム(2005/11/23)
ダムマニヤ倶楽部・丸山ダム大放流
ダムマニヤ倶楽部・放流チゥ丸山ダム
ダム好きさん【丸山ダム(元)】
ひろしのダム発電所見学記・丸山ダム
丸山ダム(社団法人日本土木工業協会)
水力ドットコム・丸山発電所
水力ドットコム・新丸山発電所
雀の社会科見学帖・MM2009 丸山ダム 見学 その1
雀の社会科見学帖・丸山ダム 60th
雀の社会科見学帖・丸山ダム 60th その1
雀の社会科見学帖・丸山ダム見学 その1
弥生の森の散歩径・旅足橋
関連書籍 ■千賀東重 『湖底に沈む村』 大衆書房 1974
諸元等データの変遷 【06最終→07当初】河川名[木曾川→子浦川]
【07当初→07最終】左岸所在地[加茂郡八百津町字安渡→可児郡御嵩町小和沢字北浦山] 河川名[子浦川→木曾川]
【07最終→08当初】左岸所在地[可児郡御嵩町小和沢字北浦山→加茂郡八百津町字安渡]
【08最終→09当初】堤高[98.2→98]
【09当初→09最終】堤高[98→98.2]

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ダムをうたう(18) -ダム竣工を祝う-

 
  名にしおう木曾の春水堰とめて (高浜虚子)
  ダムを見てここに蛍の蘇水郷 (高浜虚子)

 大沢伸生 伊東孝著『ダムをつくる』(日本経済評論社・平成3年)所収。作者は俳人の第一人者、「ホトトギス」を主宰。

 ダムとは、丸山ダムのことである。丸山ダムは、木曽川水系木曽川の河口より約90km地点の岐阜県御嵩町、同八百津町に建設された。企業者は関西電力(株)、施工者は間組で、そのダムの諸元は、堤高98.2m、堤頂長260m、堤体積49.7万m3、総貯水容量7952万m3、有効貯水容量3839万m3、型式は重力式コンクリートダムである。

 この書に、「丸山ダムは、わが国初の重機械化工法施工で施工されていることがあって、工事期間中各方面からの視察が跡を絶たなかった。その数は2年7ヵ月の工事期間中で、数万名に達したという。それだけ注目を集めた工事だったが、視察者は日本国内だけでなく、アメリカ、フィリッピン、インドネシア、メキシコ、ビルマ、タイ、インド、中国など諸外国に及んでいる。そうした中で異色の視察者は竣工直後の昭和29年6月に訪れた俳人高浜虚子と家族の一行。」と、ある。

 そのときに、この2句がうまれたという。間組社長神部満之助は、虚子と親交があり、黄子の俳号をもつほど、俳句に造詣が深かった。さらに、虚子は、〔花植ゑよ而して花のダムとよべ〕と詠み、丸山ダムの竣工を心から祝福している。

(2009.12.25、古賀邦雄)


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丸山ダム湖巡視体験参加レポート

 
11月6日(金)に丸山ダムで開催された湖面巡視体験に参加してまいりました。
良く晴れた秋晴れの空の下、平日にも関わらず私を含め6名の参加者が集まりました。

私自身、丸山ダムには何十回と訪れていますが湖面巡視体験に参加したことがなく、ドキドキわくわくの参加となりました。
集合場所の国土交通省丸山ダム管理所から巡視船に乗るために丸山ダム堤内の監査廊を通っていきますが、普段見ることのできないアングルからの丸山ダムに早くも興奮です!!


ダム天端に移動したらライフジャケットを着用しいよいよ巡視船に乗り込みます。
丸山ダムの管理は国土交通省様と関西電力様が共同管理していることもあり、乗船場所が2箇所あるようで珍しいですね。

天気は快晴。ぽかぽか暖かい日差しの下出発進行。
出航してすぐの普段見ることができない湖面からの丸山ダムです。


巡視船はどんどん速度を上げて進みます。
ちょっと早めでしたが紅葉もとても美しく参加者全員辺りをきょろきょろ。


ダム湖畔の紅葉の様子…だけではなく法面や山肌で土砂崩れ等が起きていないかもちゃんと巡視しましたよ(笑)


湖面からは日本で唯一、世界でも5か所でしか建設されなかったという貴重なトラス橋と吊り橋のハイブリッド「旅足橋」を見上げることもできました。


新丸山ダムができたら見ることができなくなってしまう可能性がある旅足橋。
そう思うとますます貴重に思えてきます。

とっても楽しく、でもいつか現在の丸山ダムが見られなくなってしまう…とちょっぴり寂しい気持ちになりながら1時間以上の巡視体験が終わり乗船場に戻ってきました。


各地のダムイベント等で湖面巡視体験を行う場合がありますが、水面から見るダムは普段の角度とは違っていてとても楽しく貴重な体験になると思います。
イベントなどで見かけた場合は参加することをお勧めします!!

最後になりましたが貴重な体験をさせてくださった国土交通省丸山ダム管理所の皆様にこの場をお借りしてお礼申しあげます。ありがとうございました。

(2015.11.9、佳)


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丸山ダム建設60周年記念シンポジウムが開催されました。

 
 丸山ダム建設60周年記念シンポジウムが12月3日(土)、丸山ダムのある岐阜県加茂郡八百津町の八百津ファミリーセンターにて開催されました。


 シンポジウムに合わせて丸山ダムの見学会も実施、人気のため早々に満席となったそうです。


 シンポジウムでは、ダムマイスターの佳氏、神馬シン氏の講演もあり、この講演を聞こうと地元の方のほか、全国から多くのダム愛好家が駆けつけました。


 シンポジウム当日より丸山ダムカレーが発売となり、2種類のダムカレーを楽しむことが出来ます。価格がそのままダムの堤高の値になっているところも面白いです。


 しんまる親子カレーは丸山ダムと新丸山ダムを模したボリューム満点のダムカレーです。2人で食べるのを推奨と書かれていましたが、1人で平らげる方もいらっしゃったようです。


 会場の外ではダムマイスター佳氏による、丸山ダムの写真の展示がありました。


 シンポジウムではまず、丸山ダム管理所 所長の筒井様より開会の挨拶、その後ご来賓の方々からの挨拶と続きます。


 八百津町錦津公民館館長 和田様からは木曽川で最も古い旧八百津発電所の資料の収集活動について、丸山ダム管理所所長 筒井様からは丸山ダムの生い立ちや建設時のお話がありました。


 そしてお次はいよいよ、ダムマイスター佳氏による「丸山ダムの魅力」のお話です、冒頭の「丸山ダムが特に大好きなダム好きのOL」という自己紹介に始まり、四季折々の丸山ダムが見せる表情を熱心にお話されており、とても丸山ダム愛に満ちあふれたお話でした。


 一つのダムをここまで観察しているダム愛好家は他に見たことがなく、佳氏の丸山ダムに対しての想いがとても伝わりました。


 次はダムマイスター 神馬シン氏による「ダムツーリズムの楽しさ」のお話です。
 各地で行われている変わったダムの見学会、取り組みを紹介しながら、ダムツーリズムを成功させる為の秘訣をわかりやすく解説されておりました。


 講演の最後は、新丸山ダム工事事務所 所長の川瀬様より、新丸山ダムのご説明がありました。

 講演としては以上ですが、最後に来場の方々へのお楽しみとして、ダムビンゴが開催されました。


 急遽会場に来ていた私も含めたダムマイスター数名がかり出され、ダムビンゴをすることになりました。
 主に近畿、中部地方のダムと八百津町の観光地がビンゴになってます。引かれたダムについてダムマイスターが説明を挟めるなど、会場の盛り上がりに少しは貢献できたのかなと思います。


 シンポジウムは盛況のうちに終了し、来場者の方々も満足して帰られたそうです。
 この日は1日中天気が良く、丸山ダムの背後に広がる青空も、丸山ダムの60周年を祝っているようでした。

(2016.12.7、ダムマイスター 04-049 炭素)


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ダム温故知新
《第6回》 丸山ダムを訪ねて

写真・文 安河内 孝

下流からだと重なって見えるが、ダム直下流には吊り床版橋の「のぞみ橋」(手前)と古い吊り橋の「小和澤橋」が架かっている
当ダムは、国内初の100m級ダムとして戦争中の工事中断を経て、再度1950年に着手、1955年完成した。

このダムの最大の特徴は、本格的に重機機械工法を用いたことである。工事記録の映画や工事誌を見たが、いろいろな問題点に対して綿密に計画し、難工事にトライした事が分かる。特に洪水対策と、資機材の運搬には苦心している。その後、当ダムでの経験から開発された技術を用いて、佐久間ダムや黒部ダムが建設されている。ダム内部に入る機会があったが、丁寧に施工されていることが分かる。恐らく、そのままの状態でも数百年はその美しい姿を保つと思われるが、洪水調整のゲート操作が頻繁に行われることから23.4mの嵩上げが決定している。かなりの部分が残るが、その重厚で威風堂々とした姿は、我々の心に深く刻まれるであろう。

当地には、日本のシンドラーといわれたこの町の出身の杉原千畝の記念館があり、国指定重要文化財「旧八百津発電所」や珍しいタイプの吊り橋と共に、必見である。


そろそろ還暦を迎える堤体からは永年水圧を支えてきた重々しさを感じる
(これは、「月刊ダム日本」からの転載です。)
(2012年6月作成)



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Let's visit a historical dam 
file.08 
丸山ダム 「永遠のミスター・ダム」

by  『THE SIDE WAY』 あつダム宣言!

所在地: 左岸 岐阜県可児郡御嵩町
右岸 岐阜県加茂郡八百津町
ダム形式: 重力式コンクリートダム
堤高: 98.20m
堤頂長: 260.00m
竣工年: 1956年
目的: 洪水調節・発電
ダム事業者: 国土交通省・関西電力(株)



丸山ダムはわが国初の100m級ダムとして戦争中の工事の中断を経て昭和30年に完成した。
建設には大型機械の使用など、本格的な近代ダム工法を導入しその功績は後の佐久間ダム、黒部ダムなどに繋がってゆく。


 


訪れた日は前日の雨の影響で、5門あるクレストゲートから一斉に放流が行われていた。

轟々と音を響かせ舞い上がる水飛沫。
丸山ダムは当初、関西電力(株)の発電専用のダムとして計画がスタートし、後に旧建設省との共同事業として治水を目的に加えられ完成している。

 


その為、このダムには洪水調節を操作する国土交通省の管理所と、発電をコントロールする関西電力の管理所の二つが存在する。

写真は国土交通省のダム操作室。大雨などで定められた流入量を超えると、関西電力の管理所からゲート操作のバトンを受け取る。

 


監査廊の入口に掲げられる「静中動」の文字。

竣工当時の関西電力社長 太田垣士郎氏の書である。

見上げる堤体の肌は長い歳月を語りかけてくる。

 


手動扉の時代を感じさせるエレベータで天端へ移動。

大きなゲートピアを迂回するようにダム湖側へクランクする天端通路。

部分的に縞鋼板となっており、足元に放流の鼓動が伝わって来るように感じた。

 


天端から右岸を見ると関西電力の管理棟が見える。新丸山発電所への取水口はこの入り江の中にある。

雨による出水のため、今日の湖面は濁ってしまったが、普段の湖水は深く澄んだグリーンである。

 


振り返って左岸を眺める。
森に囲まれてダム建設時のクレーン架台跡が見える。赤白のラインは「新丸山ダム」の天端位置を示す。

森の中にはかつては建設資材が残されていたが、使用できるものは関西電力が総力戦で挑んだ黒部ダムへ送られたのだという。

 


放流中のゲートの上から下流を望む。視線の奥は景勝地蘇水峡。

ダム直下には2つの橋が架かる。
一つは丸山ダム建設用に掛けられたもので、馬車を想定しており現在は歩道として使われる。

そのすぐ下流の橋は、新丸山ダム建設に合わせ新しく架けられたもので、着々と世代交代が進められているのを感じる。

 


クレスト部分の横顔を観る。

力強いピアが印象的であるが、上部のアーチ形状やゲート間の扶壁を渡る回廊、丸く下流側へ望むテラスなど、装飾を抑えながらもその形はエレガンスを感じさせるもので、上流にある関西電力大井ダム、笠置ダム直系の血脈を感じる部分だ。

 


クレストには一定間隔で角柱状のアクセント。その上部はテラスになっている。
このテラスはダム湖側もシンメトリーに配される。

車両の往来を想定するその後の天端にはほとんど見られない様式だと思う。

青々としたつる性植物が茂る堤体は味わい深い。

 
 


天端を後に左岸を下流へ歩くと不思議な塔が見えて来る。

これはダム建設時の骨材選別塔の遺構だそうだ。
他のダムでは見る事のないもので、何故この丸山にだけ存在するのかはわからない。

積極的に新しい工法を導入した丸山ダムの建設は、それ故に発展途上の技術も多かったのではないだろうか。

丸山ダム。
その重厚で威風堂々とした姿は、だれもが思い描く「ダム」に近いものではないだろうか。
それはこの丸山ダムが築き、後世に受け継いだ近代コンクリートダムの姿であり、我々の心に深く刻まれる姿になるのだろう。
(2009年11月作成)


→ ダム便覧の説明
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