名にしおう木曾の春水堰とめて (高浜虚子) ダムを見てここに蛍の蘇水郷 (高浜虚子)
大沢伸生 伊東孝著『ダムをつくる』(日本経済評論社・平成3年)所収。作者は俳人の第一人者、「ホトトギス」を主宰。
ダムとは、丸山ダムのことである。丸山ダムは、木曽川水系木曽川の河口より約90km地点の岐阜県御嵩町、同八百津町に建設された。企業者は関西電力(株)、施工者は間組で、そのダムの諸元は、堤高98.2m、堤頂長260m、堤体積49.7万m3、総貯水容量7952万m3、有効貯水容量3839万m3、型式は重力式コンクリートダムである。
この書に、「丸山ダムは、わが国初の重機械化工法施工で施工されていることがあって、工事期間中各方面からの視察が跡を絶たなかった。その数は2年7ヵ月の工事期間中で、数万名に達したという。それだけ注目を集めた工事だったが、視察者は日本国内だけでなく、アメリカ、フィリッピン、インドネシア、メキシコ、ビルマ、タイ、インド、中国など諸外国に及んでいる。そうした中で異色の視察者は竣工直後の昭和29年6月に訪れた俳人高浜虚子と家族の一行。」と、ある。
そのときに、この2句がうまれたという。間組社長神部満之助は、虚子と親交があり、黄子の俳号をもつほど、俳句に造詣が深かった。さらに、虚子は、〔花植ゑよ而して花のダムとよべ〕と詠み、丸山ダムの竣工を心から祝福している。
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