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1.はじめに
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高知県に、国分川という2級河川があります。2級河川ですので起点から河口まで、すべて県内で完結しています。この河川の名称は、四国八十八ヶ所第29番札所「国分寺」に由来しているものと思われます。この地に国分寺があるということは、律令時代に国府が置かれていたことを示しています。すなわち、往時この河川の中流域が土佐国の政(まつりごと)の中心地であったのです。実際、『土佐日記』を著した紀貫之が居住した地も、この国分川流域の南国市付近にあったといわれています。 国分川には現在、上流に四国電力の休場ダムがあるにとどまり多目的ダムは建設されておりません。
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国分川中流域には、位置未確認ダムが2つありました。一つが「大岩池」で、もう一つが「新池」です。両方とも所在地は高知県南国市植田(なんこくしうえた)という地区です。
ダム便覧2009によれば、 ●大岩池…位置 北緯33度37分15秒,東経133度39分49秒 【位置未確認】 ●新池…位置情報なし となっており、堤高はそれぞれ、大岩池19m、新池15mと記載されていました。
大岩池は、推定位置から殖田(うえた)神社の横に位置する池であると目されています。南国市植田には他にも規模の小さな貯水池が、神社の西方に2つあります。しかしながら、この2つの貯水池は地図の通りあまりにも小規模です。このためアースダムと考えられる貯水池は、当地では殖田神社の横にある池しか想定できません。 それゆえ、この場所が、大岩池であることが確定すると、新池はダム便覧から脱落します。また、この池が新池であるとされると、逆転で大岩池が退場しなければならないというイスとりゲームの様相を呈しています。
ここで、結論を申し上げれば大岩池・新池ともに健在でした。 しかし詳しい調査の結果、両者とも堤高不足から、河川法上のダムには該当しないことが判明しました。このためダム便覧からはいずれ削除される可能性が濃厚です。つきましては、これまでの顛末を公にし、「大岩池」と「新池」へのレクイエムとしたいと思います。
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2.殖田神社の横にある池の名前は?
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大岩池の有力な候補である殖田神社横の貯水池は、このようなものでした。池の名称の手掛かりとなる石碑や標識は確認できた範囲では見当たりません。神社の案内板によれば殖田神社は、『続日本紀』にも記述がある大変由緒のある社であるそうです。
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堤頂部右岸(神社側)に少し凹んだ部分があり、これが越流部であると思われます。越流部には天端橋梁のようなものはありませんが、設置されていなくても小中学生でも軽く飛び越えられる幅です。アースダムの仕様としてはやや稚拙感を否めません。
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堤体下流面は、竹林です。目測では堤高が低いため、「大岩池」ではなく堤高が低い方の「新池」の方がむしろ有力ではないかと思いました。
付近の住民にこの池の名前について尋ねてみると、「わたしらは新参者なので、分かりません。」ということです。少なくとも50年以上はこの地にお住まいのよう見受けられたのですが…。その代り「植田のことであれば何でも知っているおじいさんの家を教えます。たぶんあの人なら知っているはずです。」ということです。嬉しい限りです。
■ごめんください。突然失礼します。殖田神社の脇にある溜池の名前をご存知でしょうか?もし、ご存知であれば教えてください。 □ああ、あれは「殖田神社池」だ。
これは、全く予期しない回答でした。
■「殖田神社池」ですか!…あのぅ…「殖田神社池」には「大岩池」という別の呼び方もありますよね? □大岩池がどうかしたか?大岩池は違う。あれじゃない。もっと向こうだ。植田には溜池が3つあって西から順に新池、大岩池、殖田神社池だ。 ■ありがとうございました。
意外なことに神社西方の小さな2つの池が目的地であったのです。
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3.新池とされる池
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先に「新池」と教えていただいた池から訪問します。地図の通り貯水池は極めて小さいものです。
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貯水池は小さいものの、堤体下流面から見る限り堤高は、15m程あると思われました。
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石碑が確認できます。石碑は風化して判読しにくいものでしたが、 (正面)紀念 耕地整理 (側面)明治四十五年 五月落成 青年会建立 と刻まれています。石碑の5面を確認したものの、残念ながら固有名詞は刻まれていませんでした。
ダム便覧によれば、新池が竣工したのは1916年(大正5年)となっています。石碑が建てられたのは1912年(明治45年)前後ですから、少し年代に差があります。この石碑は、元は別の場所にあったものが何らかの事情でこの地に移設されたものと考えるべきです。 上流面はコンクリートで護岸されています。長年改修を加えながら大切に使われてきたことが偲ばれます。
貯水池の中にこのようなものが沈んでいます。
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以前、ダム関係のある方のホームページで見たものを連想させます。これは取水設備の一種であったと思います。引続き、畦道を歩いて「大岩池」に向かいます。
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4.大岩池とされる池
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「大岩池」に到着したところ、改修工事中で、当日は貯水されておりませんでした。新池と同じような構造物があります。貯水されていなかったため新池にあったものと同様の取水施設全貌を見ることができます。この取水施設の原理は『尺八樋』です。このようなものが実際に使用されているのを見るのは初めてです。
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下流面を見る限り、こちらも目測では少なくとも堤高15m以上を確保していると感じられました。こちらには石碑の類は見当たりません。
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ところが、ここで急に疑惑が浮上しました。この改修工事が「植田新池上取水施設改修工事」であるということを示す看板があったのです。
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この池の正体は「新池」なのでしょうか?現在改修工事が行われているこの池は、教えていただいたところでは「大岩池」のはずです。私は、聞き誤ったのでしょうか。
あいにく、当日は休工日で作業員は一人もいません。このため、失礼を承知の上で、先程の方の家に再度伺うことにしました。場所を教えていただいたお礼を述べ、写真を確認していただきます。すると、やはり最初の池が「新池」で、次の池が「大岩池」であるということです。この方が幼少の頃、村の子どもたちは夏になるとこの池で泳いだ(およそ現在では考えられないことですが…、)ということですので、話の内容に疑いの余地はありません。
改修工事中の池は新池ではなく「大岩池」で確定です。 その大岩池に「新池」の標識を出しているのは南国市当局です。 真相は工事発注者である南国市に確かめるしかありません。
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5.尺八樋(しゃくはちひ)
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新池や大岩池(改修中)にあった取水設備は『尺八樋』です。『尺八樋』は、ごく簡単にいえばアースダムの上流面に斜管を設置して、穴をあけて取水できるようにしたものです。
私が、はじめて、この面白い名前を知ったのは、「雀の社会科見学帖 狭山池その4」です。名前は笑ってしまうのですが、機能は至って真剣です。こちらのホームページでは、この『尺八樋』の模型を多角的に見ることができます。
狭山池資料館の解説によれは、 「尺八樋は、樋の形が楽器の尺八ににていることから名づけられました。寛永年間(1624〜44)につくられた尾張(愛知県)の入鹿池、讃岐(香川県)の満濃池でもこの形に近い。水の高さにあわせて水温の高い上の水から取れ、樋の開け閉めがしやすい合理的な方法である。」 ということです。
狭山池ダム(再)と、この大岩池・新池とは規模があまりにも違います。よって、狭山池にかつてあった尺八樋とは大きさや形状が異なるものです。しかし、構造的には博物館に置かれた模型とこの池にある取水施設は同じものといえます。尺八樋は、比較的水温の高い表層の水を取水するために考案されたのです。古来より日本の土木技術水準は非常に優れているのです。
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6.南国市の回答
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後日、南国市に確認してみたところ、その結果は次のような内容でした。 ・植田で「大岩池」と呼称されている溜池は、行政上は「新池上(しんいけかみ)」である。 ・植田で「新池」と呼称されている溜池は、行政上は「新池下(しんいけしも)」である。 ・「大岩池」、「新池」ともに地元民の通称である。 ということです。
工事名の「植田新池上取水施設改修工事」は、『植田新池・上取水施設改修工事』ではなく『植田新池上・取水施設改修工事』と区切って読むべきでした。これで氷解しました。
高知県芸西村には、「桜ヶ池(上)」「桜ヶ池(下)」という名前の溜池があります。「桜ヶ池(下)」は、ダム便覧にも掲載されているアースダムです。「○○池」の後ろに「上」・「下」をつける命名法は、どうやら高知県特有のようです。
日頃の農作業中に「しんいけかみ」「しんいけしも」などと会話しても、いたずらに混乱を招くだけです。地元の農家は、新しくできた2つの溜池のうち最も新しい「新池下」を単純に「新池」呼び、「新池上」を「大岩池」と呼んで区別したものだと思います。「大岩池」の語源は必ずしも定かではありませんが、“工事中に大きな岩が出てきた”という程度のことかもしれません。
ところが、冒頭でも述べましたように日本ダム協会さんに詳しく調査していただくと、堤高はそれぞれ、 ・新池上(通称:大岩池)=5.5m ・新池下(通称:新池)=5.0m であるということでした。従いまして、法的にはダムには該当しないことになります。早晩「ダム便覧」からは削除されることになります。「ダム便覧」はユーザーからの様々な情報提供によって正確性を高めて行くものですから、この結果はこれで良いのでしょう。
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7.おわりに
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便覧によれば、大岩池の総貯水量は11千m3、新池の総貯水量は15千m3となっていました。それぞれ貯水池の規模が極端に小さいものです。ダムや溜池の価値は、少ない堤体積でいかに多くの水を受け止められるかに見出せるはずです。単純に貯水量だけで考えれば無駄なものであると指摘されても、釈明の余地がありません。
大岩池・新池は現代であれば、事業仕分けの対象とされること必至です。2つも必要なのですか?1つじゃだめなのですか?果たして、貯水量がこれほどわずかな溜池を2つも築造する必要性があったのでしょうか。
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温暖な高知県は、昭和40年代頃まで二期作がさかんに行われていました。年にお米を2回も収穫するのですから、農作業は春先から晩秋まで行われ大変な仕事でした。一般に、川の水やわき水の温度は年間を通してほぼ一定です。一方、二期作を行うためにはある程度、温い水が必要とされたはずです。稲苗を植えても、水が冷たければ生育が阻害されてしまいます。
そこで比較的温い水を作るために、この大岩池・新池に特別な任務が課せられたのではないでしょうか。つまり、短時間で水温を上げるという目的で、あえて貯水量が少ない溜池の築造が企図されたのだと思います。2つの池は、貯水量が少ないため熱効率が良く短時間で温かい農業用水を作ることができたものと考えられます。一見すると無駄であると思われることも。実は非常に合理的であったという経験はよくあります。何事も机上の数字だけで線引きをするのはどうかと、改めて考えさせられます。
わき水は、この小さな溜池で一服して太陽熱を浴びて温まってから尺八樋を通って水田に送られて行ったのです。
米の生産過剰から二期作は現在ではほとんど行われなくなりました。しかし南国市は、『尺八樋』を撤去することなく改修して今後も継続して使用する見込みです。これからも100年、200年と、太陽の恵みを受けたおいしいお米を作っていってほしいものです。大岩池・新池は便覧に掲載されなくなっても一所懸命お米をつくるために働きます。
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ダムは水を強取していると大きな勘違いをしている人々がいます。これは大きな誤解です。国分川上流の休場ダムも水の落差(位置エネルギー)を利用するだけです。利用した水は河川に還元しています。農業用水も、水田で独占しているわけではなく必要以上の水は下流に流れて行きます。
水は、地球上には無尽蔵にあります。しかし、化学的にほぼ中性で塩分の含まれない「真水」という存在は全地球規模では、ほんのわずかしかありません。河川の大小にかかわらず、大切な真水をコントロールして自然と人間との共存を図ることが現代の私たちに課せられた使命ではないでしょうか。
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[関連ダム]
休場ダム
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(2010年4月作成)
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