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位置未確認ダムを探して・・・岩坂池

安 部  塁
 
1.はじめに

 京都府の南部に位置する井手町は、昭和33年に当時の井手町と多賀村が合併して誕生しました。標高400mあまりの比較的なだらかな山脈の北側(旧多賀村)に南谷川、南側(旧井手町)には玉川が流れています。その川の流れに沿っていくつもの集落がつくられていますが、これは今日でも平凡で日常的な田園風景でしょう。この南谷川と玉川はそれぞれ、木津川に合流します。

 そして、その木津川は、天ケ瀬ダムの下流で淀川に合流します。南谷川の上流には岩坂池があり、玉川の上流には大正池がありました。


 このレポートは平成21年7月、ダム便覧から静かに削除された「岩坂池」に関するものです。
なだらかな山脈、それはまた脆く崩れやすい風化した花崗岩層を意味するものでした。脆いということは粗く、したがってまた透水性は高いのですが、ある程度水を含むと瞬時にして斜面を駆け下りるという大変恐ろしい土砂なのです。さらに、この山城地方は天井川が多いという特徴があります。国道24号線に設置されているこの構造物は何でしょうか?


 これは、JR奈良線玉水駅付近の写真です。線路の上をコンクリート橋で渡っているものが玉川です。これが天井川の実態です。


 現在の井手町はこのような特異な地形の上に発展した町でした。その井手町からそう遠くない場所に天ケ瀬ダムがあります。天ケ瀬ダムには、これまで何度か訪れています。しかし、その付近にあるらしい「岩坂池(位置未確認ダム)」には一度も行ったことがありませんでした。そこでどんなダムなのかを確認したいと思い、当地に赴くことにしました。

2.岩坂池?

 岩坂池がダム便覧に掲載されていた当時、位置未確認でありながらも、所在地と推測される位置情報(経緯度)が掲載されていました。このため、比較的簡単に行けると思っていたのです。ところがその場所に到着してみますと、そこにあったものは予想していたアースダムではなく砂防堰堤とみられる湛水池でした。
 ※後日の調べで、当所は「清水奥(しみずおく)堰堤」という名称であることがわかりました。


■ここは岩坂池ではない。どうやら、岩坂池は別の場所にあるらしい。
 農作業中の人に「岩坂池」について尋ねてみますと、岩坂池の場所をよくご存知で大まかな行き方を教えてもらうことができました。少しだけ不思議なのは、私の使用している地図にはその場所に貯水池らしいものが何も描かれてないことでした。山奥のことですからこれは仕方がないことだと思い、多少疑問は残ったものの自身を納得させてその場所へ向かうことにしました。

■岩坂池には水がない。
 その方は、加えて「今、岩坂池に行っても水はないよ。」と教えてくれました。非かんがい期に外来魚対策としてため池の水抜きをすることは、決して珍しいことではありません。その時は特に不思議には思っていませんでした。
 意外と簡単に教えてもらえましたので、簡単に行けるものと思っておりました。ところがその道は、次第に険しさを増してゆくのでした。

■本当にこの道でよいのか・・・、
 少し不安になったため森林伐採をしている方に、再度道を尋ねてみますと、「岩坂池へは、軽トラックなら何とか行ける。でも、あなたの車で行くのは難しい。車がキズだらけになっても知らないよ。」ということでした。

■地元の方の忠告を無視してはならない。今日はこれで断念し、後日リベンジしよう。
 帰宅後、Yahooの航空写真で確認してみますと、教えていただいた岩坂池とされる場所に写っていたものはアースダムではなく明らかにコンクリートのような構造物でした。

■Eではなく、Gだったのか。
 そこで、日本ダム協会さんを通じて井手町に確認をお願いすると、「岩坂池は重力式コンクリートダムである」との回答が得られたのです。
 ネットでダムや砂防に詳しい方にもご意見を伺いましたが、やはり「これは、砂防では」との結論でした。

3.岩坂池には到達したが

 ○○池と称するダム名は、概してアースダムを連想させます。しかし、必ずしもアースとは限りません。現在の大正池も然りです。沢池(大阪府)も古風な重力式コンクリートダムでした。これから目指すのは、重力式コンクリートダムの岩坂池です。

■Uターン可能な所まで車で行って、途中から徒歩に切りかえる。
 こうして、紆余曲折はしましたが、何とか岩坂池に辿り着くことができました。ところが、そこに存在していたものは、巨大な砂防堰堤の風貌をしたコンクリート構造物だったのです。
 この地に着くまで、南谷川に設置された砂防堰堤をいくつも通過してきました。しかし、ここにあるコンクリート構造物は今までのものとは比べ物にならないほど大きなものでした。「これはどう見ても砂防?」




■これが農業用のダムを称する岩坂池の真の姿なのだろうか?

■聞いた通り、貯水池はみられない。

■水通しのような部分があって形は砂防堰堤だ。

■よく見ると、上半分と下半分の境目に近年改修されたような痕跡がある。

■それにしても、この場所は本当に岩坂池に間違いないのか?
 ※現地には、岩坂池を示す石碑・標識等は見当たりませんでした。後日、『第2次井手町総合計画』(1998年、井手町総務課編)の中の地図で、この地に「岩坂池」の文字が記されていることを確認しました。公的な文書で初めて位置の確認ができました。

4.古老の話

 京都山城地方の微妙な方言とアクセントの再現が難しいので、以下標準語で簡潔に記します。

■「農作業中のところすみません。いろいろな人に聞いて、岩坂池という所に行ってみたのですが、こんな場所でした。デジカメの写真を見てください。岩坂池をご存知でしょうか?」
□古老「ん。岩坂池まで行けたのか。あんな山奥には、最近ではこの辺りの者も滅多に行かないのだが、ああ、これは岩坂池だ。間違いない。」

■「岩坂池をご存知でしたか!」「この池に水がないことは、以前、別の方に聞いて知っていました。どうして水がないのですか?」
□古老「わしが、30かそこらの頃、やっとの思いで岩坂池が完成した。だが、水が貯まらなかった。川の水はコンクリの下に潜ってしまい、岩坂池はため池にならなかったのだ。」

■「それでは、岩坂池は完成以来、一度も満水になったことはないのですか?」
□古老「マンスイ? だから、岩坂池には水が貯まらないよ。堰堤ができて貯水を始めたが、いっこうに水が貯まらない。京都大学の偉い先生や府庁からも技師が来ていろいろ工事をしてみたが、水は全部地面の下に抜けてしまった。それで岩坂池はそのまま放棄されたのだ。」

■「本当ですか?」
…ここでその古老のご婦人が口を開き、
□夫人「この人はねぇ、もう80の後半です。主人の言うことをあまり本気にしないでくださいね。」

■一般にご高齢の方は、最近のことはよく忘れるが、昔の記憶は鮮明に覚えているという。折角の機会だ、しっかり教えてもらわなければ・・・。

■「岩坂池の堰堤はコンクリートで作られたと聞いたのですが、そうなのですか?」
□古老「そうだ。」

■「それでは、当時かなりの費用がかかったのに誰も何も言わなかったのですか?」
□古老「その通りだ。多額の税金をつぎ込んで、税金の無駄だと世間から咎められた。」
□古老「それでも・・・。」

■「それでも何なのでしょうか?」
□古老「それでも、岩坂の堰堤はため池としては役に立たなかったが、大雨が降ったときには、大水を防いでくれたのだ。」

■「大水ですか。」「畑作業中、本当にありがとうございました。大変参考になりました。」

5.南山城水害と大正池



 現在の大正池は、二ノ谷池と大正池(以下、旧大正池と表記します。)という2つのため池が昭和28年8月の南山城水害で決壊し、昭和35年二ノ谷池の跡地に重力式コンクリートダムとして新たに竣工したものです。二ノ谷池は堤高12.3m、堤長60mの均一型アース堰堤、旧大正池は堤高18.6m、堤長80mのゾーン型アースダムであったということです。両池とも、決して小規模なものではありませんでした。旧大正池は現存していればダム便覧にも掲載される正真正銘のアースダムでした。
 それぞれ決壊事故さえなければ、今日でも現役として機能を果たしていたことでしょう。


 新しい大正池のダムサイトは、二ノ谷池跡地付近です。このため集水域が狭く、小堰堤(取水堰)を玉川(旧大正池への流入河川)に設け、導水路を経て取水しています。



 もし、玉川上流に激しい雨量があっても導水路の流入ゲートを閉鎖すれば大正池にはほとんど影響を及ぼしません。洪水は、小堰堤越流させて下流に設けた砂防堰堤群に処理を任せればよいのです。
 「大正池は二度と決壊させない。」という強い決意の表れと、決壊事故で被害を受けた方への配慮があるのだと思います。

6.大水

 ところで、古老が話をしてくれた「大水」とは一体いつの大雨のことでしょうか。
調べて行くうちに、この地域は、過去幾度も水難被害を受けていたことがわかりました。その中でも最大のものが前述の「南山城水害」です。この水害で、マスコミが『集中豪雨』という言葉を初めて使ったという程の災害でした。

 この豪雨は時間雨量80ミリを超えるものであったということです。この集中豪雨で決壊した旧大正池のコンクリート遺構が今も残存しているということで、現地の方に案内していただきました。恐らく余水吐の一部だと思われます。




 大正3年の竣工当初、旧大正池の余水吐は地山を削っただけでのいわゆる「素掘り」で、岩盤が剥き出しの状態であったそうです。その後、昭和24年に余水吐に大幅な改修工事が施されコンクリートで補強されたということです。そのわずか4年後に決壊事故に遭遇するとは誰が予測できたことでしょうか。本当に自然の猛威とは恐ろしいものです。

7.おわりに

 資料館などで過去の記録を調べましたが、岩坂池堰堤に関する記録は今のところほとんど見当たりません。南山城水害に関することで判明したことは次の記録です。

町村罹災者総数死者行方不明重傷軽傷全壊戸数流出戸数半壊戸数床上浸水床下浸水
井手町3,849921638390107166147168189
多賀村8801012411910646
   昭和28年8月の水害被害状況(昭和28年9月15日発表)抜粋

 私見を申し添えますと、当時の河川整備状況で時間雨量80ミリも降れば、仮にため池が決壊しなくても相当の被害が出たはずです。
 旧井手町と比べて、旧多賀村の被害が少ないのは岩坂池堰堤が活躍してくれた結果と判断すべきなのでしょうか?

 今般、「岩坂池」は、砂防堰堤と判断されダム便覧からは削除されることになりました。便覧には掲載されなくなりましたが、岩坂池堰堤はこれからも砂防堰堤として、末長く活躍してくれることでしょう。

 岩坂池堰堤を建設した先人に敬意と感謝。あなたがたが、御苦労され完成させた岩坂池堰堤は、お米を作る役割は果たせませんでした。それでも、ずっと下流域の人々の「生命と財産」を最大限守って来たのです。
記録には残っていませんが、記憶には残っています。



本年、岩坂池という京都のアースダムを見学しようと試みました。
その結果を、地元の方に聞いたことを中心にまとめました。
文献的な裏付けが少ないので誤りがあるかもしれません。
できるだけ、主観を排して、聞いたこと・調べてわかったことのみ公表しました。
新しい事実や、内容に誤りがあれば、是非ご意見を下さい。

[関連ダム]  大正池(再)  大正池(元)
(2009年8月作成)
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