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位置未確認ダムを探して…唐川池

安 部  塁
1.経緯

 三重県伊賀市予野の唐川池は、かつては位置未確認とされていたアースダムでした。当時、一応推定される位置情報(北緯34度42分31秒,東経136度05分36秒【位置未確認】)がダム便覧に掲載されていました。この位置にある溜池が「唐川池」である可能性があるものの、確定的な根拠がないために位置未確認扱いであったものだと思います。唐川池のある伊賀市に隣接する名張市に、青蓮寺ダムがあります。


青蓮寺ダム(撮影:艦長!)
 青蓮寺ダムは近鉄大阪線の名張駅から、何とか徒歩圏内にあります。(ただし、少し頑張って歩くことになりますが、)名張駅は、大阪上本町行の準急や、区間快速列車が頻繁に停車し、周辺は大阪南部のベッドタウンとなっています。ところがダムサイトから上流は、現在でも携帯電話の電波がほとんど届かないエリアです。このような場所でも事業活動を営まれている方がいます。私の宮仕え先が、お世話になっている取引先様もその一つです。多分このお客様に伺うのはこれが最初で最後になることでしょう。しかし、せっかく近くに来ましたので、用件が済み時間があれば「唐川池」を見ておこうと思いました。
 こうして、唐川池とされている場所を訪ねてみたところ、堤高が低くとてもアースダムとは思えない溜池でした。


 軽トラックで通りかかった方に唐川池について尋ねてみると、この場所は唐川池ではないことがわかりました。さらに、正しい唐川池への行き方をおおまかに教えていただくことができました。その方は、私の姿を見て唐川池に行く目的を逆に問いただしてきました。
 「あなたでは、無理ですよ。」(革靴にスーツでは無理ということです。)

●唐川池は、このように(略図を書いて)行く。
●車で行けるのはこの辺までで、あとは山道を10分か20分位歩く。
●青蓮寺ダムが完成してから、農業用水は青蓮寺ダムから引くようになったので、農家の者も最近では唐川池には行くことはない。さらにこの時季(夏)には、その山道も大人の腰から胸の位まで草が生い茂っている。

ということでした。

 加えて、当日はこの地方に雷注意報が発令されておりました。このため、実際に堤体まで行くことは断念して日を改めることにしました。

 地元の方に伺ったところでは、興味深いことに唐川池は『失業対策』のために造られた溜池であるということです。

 後日、日本ダム協会さんに調査をお願いすると、地元の方から教えていただいた場所が「唐川池」であるとの裏付けがとれました。こうして唐川池は「北緯34度41分36秒,東経136度05分37秒」と確定し、晴れて位置確認済ダムとなりました。しかし、肝心の堤体を確認するまでには、相当の時間を必要としました。

※なお、唐川池は、ダム便覧では「からかわいけ」となっています。そして、この読み方が正式名称です。一方で、地元では「からこいけ」もしくは「からこのいけ」という通称で呼ばれているようです。

2.青蓮寺用水

 地元の方が話をしていたように、唐川池から直線距離でわずか3q程の場所に、「青蓮寺用水中央管理所」が設置されていました。



 同所には青蓮寺用水の下流調整池があり、はるか青蓮寺ダムから導水された農業用水を一時的に貯水しています。


下流調整池
 かんがい用水は、ここから下流にある予野分水工を経て唐川池付近の水田に供給されています。さらにまた、青蓮寺ダムからの農業用水は、新たに「青蓮寺開畑団地」という農地をも誕生させました。



青蓮寺開畑団地
 この新しく造成された農業団地は、総面積514haに及ぶものです。



青蓮寺開畑団地に設置された給水バルブ
 現在、唐川池のかんがい用水を利用している水田は、聞いたところでは3haあまりであるということです。

3.時代的背景…戦前の農業…

 唐川池が完成したのは、太平洋戦争前のことです。
 戦前と戦後の農業で大きく異なる点は、自作農の比率です。自作農でない者は小作農と呼ばれていました。自作農とは、自己の所有する農地を耕作し収益を得る農家のことで今日この形態が一般です。一方、小作農は地主から農地を借りて耕作し、土地の使用料を納めるという立場にある農家でした。

 大学や専門学校等で民法を学ばれた方は、小作には永小作権(えいこさくけん:民法上の物権の一つ)と賃借小作(民法上の債権・非典型契約)があったことを思い起して下さい。物権である永小作権は相続の対象となり、地主の承諾なくして権利を譲渡することが可能である等、物権としての本質が認められています。しかし、債権である賃借小作はこれらの物権的請求権がすべて否定される非常に弱い立場にありました。そして、わが国の戦前の小作農のほとんどが賃借小作でした。

 戦後GHQによる農地解放で大幅に自作農が出現するまで、農家の多くは賃借小作農でした。これが、第二次世界大戦以前の日本の農業の実情であったのです。

 小作農は、土地の使用料すなわち地代を地主に納めなければなりません。たとえ天災で収穫がないとしてもそれは農家の責任で、地主の責任ではありません。農作物の価格が下落し、収入が減ったとしてもこれもまた農家の責任で、地主には関係ありません。どのような事情があっても「あらかじめ定められた地代を地主に支払う」これが契約の本質です。契約を履行しなかった場合、小作農は二度と農地を借りられなくなります。小作農は、本当に今晩の米も欠くような経済的弱者であったのです。凶作は、現代の私たちが考える以上に深刻な打撃を農家に与えていたのです。

4.失業対策としての唐川池築造

 昭和初期、「農業恐慌」が勃発しその影響で多くの小作農が路頭に迷いました。現在の日本もサブプライムローン破綻とリーマンショックで、「100年に一度の不況」などと言われています。しかし、社会福祉・社会保障などのセーフティネットが整っていなかった当時、現代より相当悲惨な状態であったことは想像に難くありません。

 当地もまた例外ではありませんでした。失業者が増え生活困窮者が増加するなか、この事態を打開するために唐川池築造が計画されたということです。中心となった指導者は、西岡利三(にしおかりぞう)という人物です。

 西岡家は、この地で代々地酒の醸造を行う酒屋を家業としていた資産家であったそうです。西岡利三氏は、予野唐川の谷に溜池を築造し、これまで桑しか栽培できなかった荒地にかんがい用水を導くことで米の増産を企図しました。また、溜池建設に従事する小作農や失業者に工賃を支払うことによって、彼らに現金収入をもたらすことができることも中心目的であったということです。
 すなわち、短期的視点から現金収入の道を拓き、長期的展望から米作を振興して安定的な収入を確保できるように画策したのです。


西岡利三氏邸
 工事は、県の補助を得て行われたそうですが、多くは西岡家個人の資産提供により建設費が捻出されて唐川池が竣工したという話を伺いました。
 公共事業で私腹を肥やす現代の政治屋とは、全く対極的な行為です。殊に、このような社会政策が個人主体で行われたという偉業は特筆しなければなりません。

5.今後の課題

 夏から秋にかけて、この唐川池に近づくことは困難でした。草木が腰の高さほどまであってとても進めませんでした。行けるとしたら、冬枯れを待つしかありません。ようやく、解禁の季節となって確認できた唐川池はこのような姿でした。




 産業構造の変化と減反政策で専業農家が減少して行くとともに、唐川池の水利権を放棄する農家が増えて行ったということです。青連寺ダムが完成してからは、唐川池の役目はほぼ終わったようです。
 たとえて言えば、いままで路面電車が走っていた道路の下に新たに地下鉄が開通したようなものです。唐川池は十分にその使命を果たして退役しつつあるのですから、これは賞賛に値するものです。

 ところが一方で、唐川池付近の住民は、このように放置された溜池に対して不安を感じているようです。地元の方からは、次のような話を聞いたこともまた事実です。

・唐川池には、青蓮寺ダムからの水が直接流入しているので上流に大雨が降ったら唐川池が決壊するかもしれない。(これは誤解です。)
・専業農家が少なくなったので管理が不十分で田圃の水が、道路にあふれることがある。
・大雨のときは、決壊するかと思うと眠れない。

 素人観察ではありますが、堤体の構造は地元の方が考える以上にしっかりしていました。流入河川も大きいものではありません。貯水池周囲の森林も比較的管理が行き届いていました。このため、池に大量の枯木が流入する危険性少ないと思います。また、地形的に土砂崩れの想定される場所もないようです。余水吐も相当余裕のある構造になっていました。この唐川池は、そう直ちに決壊の恐れはないと思われます。

 しかしながら、地元の方は現在の唐川池に不安を感じていることは紛れもない事実です。行政が綿密な調査をしたうえで必要があれば公費を投入して方策を講じるべきです。最低限でも、緊急時に貯水池に急行できる道路を整備する必要があると思います。また、近い将来、この貯水池に公費を投入して管理釣場や親水公園などへの転用を検討すべきではないでしょうか。

 西岡利三氏の血縁者にお話を伺うことができました。残念ながら、現在の西岡家には唐川池に関する資料は全く残されていないということです。しかし、地元農家に語り継がれた西岡氏の善行は、広く知れわたって然るべきことです。

 このレポートをまとめるにあたり、地元の方々に様々な情報をお聞きすることができました。この場を借りて深くお礼を申し上げます。


[関連ダム]  唐川池  青蓮寺ダム
(2010年5月作成)
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