《このごろ》
ダムへの思いが地下水脈のように流れている

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【業界紙の書評欄で、興味深い本を紹介できました】

2007年(平成19年) 12月下旬、ダム好きさんの代表選手である萩原さんから始まったダムインタビューも2010年(平成22年) 5月、つい先日お話を伺った竹村公太郎さんで25人目となりました。足掛け三年の間にはダムを見る側だけでなく、実際にダムを計画し設計し施工する立場の方々やダムを運用、利用する方々、さらには地質、河川、土木、そして風土工学の専門家というように各界の名だたる方々にお話を伺うことができました。

いま改めて振り返ってみますと、皆さんに共通しているのは、ダムへの思いではないでしょうか。こうした中で、業界紙の書評欄で紹介させていただいた「水の奇跡を呼んだ男−日本初の環境型ダムを台湾につくった鳥居信平」(平野久美子著・産経新聞出版刊)の本も一連のインタビューのおかげで出会うことができたのだと思います。書評欄のわずか300字では、こういうタイトルの本だという事くらいしかご紹介できなかったので、ここでもう一度、鳥居信平氏とその業績について触れてみたいと思います。


【土木遺産に選ばれた烏山頭ダムの陰に、もう一人の日本人技師の活躍が(鳥居信平と八田與一)】

鳥居氏は、現在の静岡県袋井市の大きな農家の出身。優秀な成績で地元の中学を終えた後、金沢第四高等学校(四高)に進学。1904年(明治37年)に東京帝国大学(東大)へと進みます。奇しくも同じ年、台湾農業の父と慕われる八田與一氏が四高に鳥居氏と入れ替わりに入学し、やがて東大へと進んでいます。

鳥居氏は農業土木を専門とし、あの忠犬ハチ公の飼い主として知られる上野英三郎博士に師事していました。卒業後は農商務省に入り、中国大陸に渡り山西省の農林学堂で教鞭をとった後、帰国し徳島県庁に技師として勤めましたが、上野英三郎博士が台湾製糖の山本社長と親交があったので鳥居氏を推薦し、彼に台湾行きを薦めたとされています。

1914年(明治47年)に鳥居氏は台湾に赴き、台湾製糖の自社農場でサトウキビ畑の開墾に乗り出します。一方、八田氏は東大卒業後すぐ 1910年(明治43年)に台湾総督府に就職し、鳥居氏よりも早く土木技師として第一歩を踏み出しています。

【世界に先駆ける地下ダム、日本人ならではのエコ発想は80年前から】

1919年(大正8年)、鳥居氏は屏東県の山奥の開墾地に分け入り、灌漑計画を立てます。現地では、雨期にはすぐに洪水になるが、乾期には川床が干上がるほどの暴れ川を利用するしかなく、鳥居氏は、山の中をくまなく調査し豊富に流れる伏流水に目をつけます。同時期に、台湾総督府では多額の予算を計上し、八田氏による嘉南大しゅうの計画が持ち上がっていました。堤高56m 堤頂長1273m もの大きさを誇る当時東洋一の「烏山頭ダム」の計画でした。

鳥居氏は、綿密な現地調査をベースに独創的なアイデアを発揮します。自社農場の灌漑と安定した地元飲料水の確保のため、もっとも低コストで高効率な地下ダムの発想を得たのです。乾期には干上がる川床を開削して、一辺がスノコ状のコンクリート製の筐体を埋設し、伏流水の水位を高めて導水路へ流し、通年で取水できるようにしました。現地の降雨量、地質、勾配などの水文的条件を徹底して検討した後、当時まだ誰も行ったことのない地下ダム「二峰しゅう」を造営しました。

こうした灌漑施設を計画するとともに、農業の専門家でもあった鳥居氏は、乾期にはサトウキビを、雨期には稲作、それ以外は雑穀を収穫できるようにして、農場に移住してきた農民が自給できるように工夫しました。これと同じような輪作方法は、八田氏によっても大々的に広められ台湾農業を飛躍的に発展させる原動力となりました。

【土木絵本からアニメ映画「パッテンライ!」土木遺産まで】

こうした台湾での日本人土木技師の活躍についてお話を伺ったのは、(財)全国研修センターの緒方さんのインタビューでした。この中で、土木絵本シリーズが全国の小学校で副読本として活用してもらっていること。弘法大師や行基といった日本仏教界の先人達がため池や灌漑施設などの土木工事を推進し、豊臣秀吉や武田信玄、徳川家康といった戦国武将たちも堤防を築き洪水に備えた治水事業を行ってきており、特に家康は、利根川を東遷させるという超大規模な河川工事を行い、その事業は後の将軍家にも引き継がれ、やがて江戸から明治になり、現在の八ツ場ダムの計画までにつながっていることを知りました。

本体着工寸前での八ツ場ダムの建設中止という政治的判断については、皆さんも様々にご意見があるとは思いますが、その根本的な考えを象徴している「コンクリートから人へ」というスローガンは、短絡的過ぎて人々に誤解を与えそう、これからの時代はダムも活用しながら総合的に治水や利水を考えていくべきと、東大名誉教授の高橋裕先生に丁寧に解説していただきました。

東京電力の吉越さんからは、台湾の烏山頭ダムが初の海外土木遺産に認定され、土木学会を代表して賞状と銘板をお届けに台湾へ行かれたことを伺いました。そこで改めて八田氏の功績を詳しく知り、歴史の中に眠る土木のすごさを感じました。加えて、日本人は、いつ頃からダムを作り利用してきたのか?という疑問に、ダム工学会会長、八千代エンジニアリング渇長の杉野さんに「古事記」や「日本書紀」にもその名が記されている狭山池が、およそ1400年前に造営された灌漑用ダムというお話を聞き、いにしえ人の水利用の知恵の深さに驚きました。

土木はこれまでの理系の発想だけでなくより広い視野から土木構造物を計画していくべきだという、風土工学を起こされた竹林先生の解説の中で、仏教のお経には人と環境との関わりのヒントが随所に書かれてあるという話を伺い、日本人の持つ自然観、水への思いというものの源泉に触れたような気がしました。

【様々な方のダムへの思いが、地下水脈のように流れるインタビュー】

すべての始まりは、「宮ケ瀬ダムを下から見上げた時の大きさに圧倒された」という、萩原さんのダムめぐりにかける熱い想い入れの言葉からでした。「自然の中にこういう巨大なものを人間は作ることができるんだ」という驚きから「一つとして同じダムはない」という探求心につながり、滑J発設計コンサルタントの藤野さんからは、水力発電はこれからの持続的な経済発展、循環型社会の実現を考えると、できるだけ多くの水力を開発していくことが大切だというお話を伺いました。誰もが、ダムについての思いを熱く語ってくださいました。我が国では古くからダムを用いて生活を豊かに、便利にしてきたという歴史の話。自然に対してどう向き合って行くかという工夫と技術や、水にまつわるさまざまな物語りを通じて、日本がどうして水に恵まれた国といえるのかという理由。これから先の未来にも人が生きていくのに欠かせないインフラとして、社会を支えていくものとしてダムをよりよく使っていく事の大切さ等々、すごく大きな縁を感じます。

以下にこれまでのインタビューのタイトルを一覧にしてみました。

 (1)萩原雅紀さんに聞く「宮ヶ瀬ダムのインパクトがすべての始まり」
 (2)宮島咲さんに聞く「ダム好き仲間とOFF会に行くのが楽しい」
 (3)灰エースさんに聞く「ダムだから悪いという書き方はおかしい」
 (4)川崎秀明さんに聞く「ダムファンがいるからプロもやる気になる」
 (5)高田悦久さんに聞く「ダム現場では行動することが一番大事だ」
 (7)takaneさんに聞く「ダムの管理をしている人がブログを立ち上げてくれたら、僕読みますよ」
 (6)さんちゃんに聞く「ベストショットは川口ダムの夜景です」
 (8)土木写真家・西山芳一さんに聞く「いい写真は努力や熱意が伝わってくる」
 (9)阿部 繁さんに聞く「機能と造形と自然の組み合わせが面白い」
 (10)水資源機構・金山明広さんに聞く「地元、ダムマニア、ダム管理事務所がコラボレーションできれば」
 (11)古賀河川図書館館長・古賀邦雄さんに聞く「将来は1万冊を目標にしようという気持ちでいます」
 (12)中村靖治さんに聞く「ダムづくりの基本は、”使いやすいダム”を設計するということです」
 (13)江守敦史さんに聞く「ダムについて何時間も語れる萩原さん。彼と本質を突き詰めたからこそ、面白い本になりました」
 (14)藤野浩一さんに聞く「欧米では水力を含む再生可能エネルギーの開発に重点を置いています」
 (15)安河内孝さんに聞く安河内孝さんに聞く「”碎啄同時(そったくどうじ)”という言葉があります。モノづくりの技術の継承は、教える側と教わる側の力が寄り添ってこなければ、うまくいかない」
 (16)石川順さんに聞く「ふと閃いたのがダムだったんです。」
 (17)杉野健一さんに聞く「経験を重ねるというのはダム技術者にとって大事な財産」
 (18)だいさんに聞く「ダムを見るいちばんのポイントは機能美だと思っています」
 (19)琉さんに聞く「時々 ”ダム王子”とか呼ばれちゃってますけど」
 (20)西田博さんに聞く「一部分の経験しかない人が増えることで、ダム技術の継承が心配される」
 (21)緒方英樹さんに聞く「“土木リテラシー”の必要性を強く感じています」
 (22)吉越洋さんに聞く「電力のベストミックスといって、火力、水力、原子力などの最適な組み合わせを考えて、計画をたてています」
 (23)竹林征三さんに聞く「ダムによらない治水と言うが、堤防を強化して首都圏の大都市を守れるのか」
 (24)高橋裕先生に聞く「公共事業を軽んずる国の将来が危ない」
 (25)竹林征三さんに聞く(その2)「風土との調和・美の法則を追求して構築したのが『風土工学理論』です」

これらのインタビュー原稿に含まれている膨大な文字の中には、皆さんからいただいた珠玉の言葉がちりばめられています。ひとりでも多くの方にお読みいただければと思います。

(2010.6.10、中野朱美)
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