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ダムインタビュー(15)
安河内孝さんに聞く
「”碎啄同時(そったくどうじ)”という言葉があります。モノづくりの技術の継承は、教える側と教わる側の力が寄り添ってこなければ、うまくいかない」

安河内孝さん(清水建設株式会社)は、トンネルやダムという土木の花形とも言える分野の第一線で、34年の長きにわたりご活躍されてきたエンジニアです。また一方では、写真や映像といった分野にも造詣が深く、掘削中のトンネル内部など貴重な現場の記録写真はもちろん、ダムサイトの四季の写真など、見て楽しいものまで、数多くの作品を残してこられました。(社)土木学会・土木技術映像委員会や当協会の写真コンテストの選考委員としてもご活躍です。

そうした安河内さんの豊富な現場経験を踏まえて、ダム工事の記録映像や写真といったビジュアル資料の活用についてという視点からさまざまなお話を伺いたいと思います。

(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)



ダムとの出会いの前に…

中野: まずはダム建設に関わることになったきっかけを教えてください。清水建設に入社されてたまたまダムの担当に配属になったということですか?それとも学生時代から土木をやるならダムと目指されていたとか?

安河内: いえ、ダムを目指していたわけではありません。しかし、土木の仕事自体は小さい頃から、やりたいと思っていました。私は小さいころ長崎県佐世保市にいました。その近くに針尾瀬戸の湾にかかる「西海橋」というのがあります。その橋台を清水建設が施工していました。また、針尾島は世界大戦時、ハワイの真珠湾攻撃を行った時の攻撃命令を出した鉄塔があり、『ニイタカヤマノボレ』で有名なところです。当時、父が当社の建築部門にいた関係でその現場にちょこちょこ連れて行ってもらった記憶があります。で、工事が進み、次第に橋が出来ていく訳ですが、完成後、初めて渡った時にちょうどバスが通過し、その瞬間、橋が大きく揺れて、みんな「キャー」と言って欄干にしがみついたりしました。この時「揺れても壊れない、橋の不思議さ」を感じたのです。それで子ども心に「橋梁」が好きになり、将来仕事としてやりたいと思うようになりました。ですから目指していたのは、実はダムではなくて橋梁なんですよ。

中野: お父様も清水建設で、建築のご専門だったのですか?

安河内: ええ、父は建築部門にいたので、私を建築屋にしたかったんです。ですから小さい時からよく絵のデッサンとかをやらされていました。それは絵心をつけるというより、感性を学べということです。だけど、自分としては、橋を造りたいという気持ちをずっと思っていました。ただ子どもですから、建築も土木もわからず、高校生になった時に、初めて土木工学科というのがあるのを知りました。それで大学受験の時に、親には黙って土木工学科を受けました。それがわかった時、実はお袋が泣きました。やはり、お袋も建築屋にしたかったんでしょう。父の後を継いでね。高校の先生も驚いてました。高校の仲間でも土木を選んだのは私くらいでしたから。



中野: では、大学では、橋のことをおやりになって、それで清水建設に入られたのですか?

安河内: ええ、大学では橋梁研に入り、卒論もニールセン橋というのの理論解析をやっていました。ただ、その一方では仲間を募って「隧道研究部」というクラブを作って遊んでいました。当時の国鉄の人に来てもらい、勉強会の後に現場を見に行くとか、そういうことを年に1〜2回、友達なんかを集めてプライベートでやっていた訳ですよ。就職先は、親父にぜひ清水に入れということで言われて、受けることになり、就職しました。
最初は、トンネル

中野: では、会社に入ってからダムへということなんですか?

安河内: いや、そうでもないのです。面接の時「隧道研」というのをやっていたと言ったら「それは面白い、君はトンネルだね」と言われ、初仕事は山陽新幹線の広島のトンネル現場に出されました。で、その時初めてうちの会社が、橋梁本体をやっていないというのを知ってがく然とした訳です。(笑)
でも土木をやりたいという気持ちは変わらず、掘ってみたいという意識もあったので山陽新幹線のトンネルを、それは全長2800mありましたけど、掘りました。それが土木屋としてのスタートです。

その後、四国に転勤し、徳島で旧吉野川の河口堰などを担当していましたが、ある時、愛媛県の建設省の野村ダムの現場にいた元上司から遊びに来いと呼ばれたので、行ってみたら、そのまま型枠・埋設担当にさせられてしまいました。初打設が3月28日の私の誕生日で、四国では珍しく雪降る中での打設になり、今でも鮮明に記憶しています。

その後は、日本道路公団発注のNATM工法のトンネル現場に5年程いて、またダムに戻って、群馬県の道平川ダムRCD工法を経験しました。その頃からダム屋というふうに見られてきたように思います。この現場では、原石山を担当しましたが非常に危険を伴う工事となり、以後、社内では『安河内→危険な作業』みたいな、変なレッテルを貼られてしまったようです。その後、沖縄の海水揚水発電所や、最近では旧山古志村の災害復旧工事、その他に、廃棄物の最終処分場を2箇所経験して、今は本社におります。ですから、職歴から見ると純粋にダム屋という訳ではありませんね。実は今でも100mクラスのコンクリート製のアーチ橋を架けてみたいという夢があります。(笑)

中野: トンネルは掘り下げる、ダムは盛り上げると言いますか、単純に言えばそういう違いになりますが、技術者からみて、トンネルとダムではどう違いますか?

安河内: そうですね。トンネルの場合は、まさに『一寸先は闇』というヤツですね。とにかく掘ってみなければわからないと…。今でこそ、掘削前に切羽を調査する方法として電気探査などがあります。しかし、やはり現実は掘ってみなければわからない。お医者さんが手術の時によく言いますが、『開いてみなければわからない』と説明される場合があります。同じようにトンネルの場合も掘ってみなければわからないんです。一回の発破ごとに違いますからね。トンネルの仕事には、そういう緊張感がありますね。

中野: それが、面白さというか、やりがいにつながってくるんですね。

安河内: いや、面白さというか、なんというかそれが仕事ですから。山の場合はおとなしい時には良いのですが、いったん悪くなると…。山が泣くとよく言いますが、実際ギシギシといって泣きます。時には、ヒステリーを起したように大きな音を出すこともあります。

黒部の太陽でも、ヤマ場はトンネル

中野: 山が泣くのは怖いですね、同じ様なシーンが、「黒部の太陽」にもありましたが…。

安河内: ええ、正直言って怖いです。H鋼が、例えば、200Hが座屈するというか、曲がるのは皆さんも見たことがあると思いますが、座屈、グシャとH鋼がつぶれるんですね。その怖さは、トンネルをやってみなければ、実際に体験しないとわからないでしょうね。でも、そうした怖い山の仕事にも慣れてくると、山の機嫌が悪くなる前に、ある程度わかるようになります。駄々をこねる前兆というか。それで、切羽を見て、岩の走り、傾斜を把握して、傷口が大きくならないように対策を講じたりすると、山も応えてくれます。

トンネルでは、貫通が最大のイベントなんですが、実際の貫通は、探りを入れるビットによるものです。この記念のビットは手に入れることはできません。坑夫のものなんです。「黒部の太陽」では、石原裕次郎がレッグで削孔し、ビットが抜けた瞬間を良い映像にしていました。その後、貫通発破をかけますが、その時は、坑道を空気が走ります。淀んでいた現場の空気が一瞬のうちにきれいになります。その瞬間「空気がうまい、測量が合っていて良かった」と感じますが、全てはその一瞬に凝縮されていますね、トンネル工事のやりがいは。(笑)

中野: では、ダムの場合はどうですか。ダムには、橋もあり、トンネルもありということでいろんなものを造らなければいけないのですが、そのあたりはどうですか?



安河内: ダムの場合はとにかく平面上に大きく広がっているので、その分、周囲との取り合い部も多くなるので、いろんな構造物、周りのこともある程度知っておかなければいけないです。それと、ある意味、環境に対する影響も大きいと思います。トンネルの場合は、入り口を入ってしまえば、その中での工事になりますから。ダムの場合はとにかくいろんな周りのことに影響してくるので、一人前に仕事をするまでには、実に多方面の勉強が必要になります。ですから現地の植物、そこの山に生えてる木の名前についても知っておかなければ…ということ。

でも、たいていの人はほとんど知らず興味を持っていません。現地にたくさんある植物の名前も知らないのではね。これからは環境にやさしくと言いますが、昔のように周囲の環境に無関心ではいけないと思います。
中野: ご自身のお仕事では、トンネルとダムを交互にご経験されていた訳ですよね。

安河内: ええ、その他には廃棄物の処分場なども含めて、トータル34年間ほど現場に出ていましたが、17現場を渡り歩きました。その中には、いろんな工種がありました。トンネルとかダムとか河口堰とか、それに下水道も。

中野: そうした中で、土木の仕事のやりがいというか、誇りに思うのはどんなところですか?

安河内: どう言うのかな、自分としては大変だったけど、やるだけやったというか、そういう成果となるものがその地にずっと残るというか。苦労してやったという達成感が現場に残っていくということでしょうか。そうして出来たという所には、何度も行ってみたいと思いますね。逆に、いろんなトラブルのあった現場というのは、あまり行きたくないと。(笑)

中野: 確かにそれはそうですね。ところで、ご自身もダムの写真などをよくお撮りになっておられることはよく存じておりますが、土木学会における映像委員会のメンバーにもなっておられますね。この委員会はどのような目的でどういう活動をされているのでしょうか?

安河内: ええと、この委員会の仕事は私は二年ほど前からやり始めたんですね。土木学会には、以前から入っていましたがそれまで地方を転々としていたこともあって、委員会には入っていませんでした。でも、ある方から電話をいただいて、佐久間ダムの映像があるのでそれを見てくれと。古い記録映画を見て何を感じるかを、ある会でしゃべってもらいたいという依頼でした。その時は、その会でおしまいだと思っていたら、大野さんという、現委員長がおられるんですけど、現役のダム屋さんが委員にいないからぜひにと言われましてね。(笑)

この委員会は、学会によれば「土木技術者の啓発ならびに土木技術の普及を効果的に行うため、土木技術に関する映像について研究し、それを効果的に活用することにより、土木技術の継承および共有化を推進すること」という目的をもって活動しています。堅いでしょ。(笑)

中野: 委員の皆さんは、各社で選ばれるのですか、また、出身は?どういうところに所属されているのですか?

安河内: 選ばれたというか、あれは全員ボランティアですから。やっても何も出ないですよ。(笑)すべてボランティアで映像が好きな方が集まってやっているんですね。所属はさまざまですよ。例えば、NHKの関連会社の方だったり、東京メトロだったり、国交省の方だったり、いろんな方が集まっているんです。あと大学の先生とか、それから女性の方も何人かおられます。

中野: そうなんですか。映像委員会では、先日も映画「黒部の太陽」の上映会を開催しておられましたね。土木学会と聞くとなかなかお堅いイメージが先行してしまい、ああいう映像を使ったイベントというのが珍しく感じたのですが?

安河内: 実はですね、学会には膨大な資料、写真や映像、記録映画とか。それらは昔から学会が購入したりして集めたものが、本当に大量にあるんですよ。そういう記録映画とかを見ると、昔はダムとかトンネルとか、モノづくりというのを一般の人に見せるというコンテストみたいなものも行われていたんですね。ですから、ダムのようにスケールの大きい工事は最適です。黒部ダムもそうですが、丸山ダムとかいろんなところの映像が全部あるんですよ。上椎葉(かみしいば)ダムもあるんですね。タイトルだけ見ていくと、最初はあまり価値のない、単に古い映画だろうと思っていたら、ある意味、当時から今と同じことをまるっきりやっているんですよ。ですからそれなりに参考になります。大変貴重だと思います。

中野: 土木学会ではそういう資料についての閲覧や貸し出しもきちんと行われていて、しっかり運営・管理されていますよね。

安河内: 資料は、学会附属の図書館にはたくさんあります。工事誌もあります。もう膨大な数です。昔の産業映画など、戦前のものから数えると数万本、土木分野に限っても一万本に及ぶと言われていますが、映像委員会では、こうした映像作品をさまざまな角度から評価し、それらを利用可能な環境に整備していくことに取り組んでいます。今後は、劣化の心配のないデジタル化にも積極的に取り組んでいきたいです。

現在、当委員会で選定された作品は、土木図書館映像ライブラリーに収められており、およそ520本の講評付きデータのほか、約2700点の土木技術映像データベースが構築されています。これらは会員のほか一般の方にも貸し出しや映画会への提供などを行っています。また、約二ヶ月に一度のペースで土木学会の講堂で『イブニングシアター』というイベントも開催しています。たくさんの方に見ていただきたいと思います。

映画『黒部の太陽』上映会には、2000人

中野:黒部の太陽」の上映会は、けっこう反響がありましたか?

安河内: あの黒部の上映会は、平成21年1月16日に文京シビックセンターの大ホールで、熊谷組のご協力を得て実現したのですが、昼と夜の部、合わせて約2000人の来場があり大盛況でした。当日は、最初に佐久間ダムの記録映画を14〜5分やったんですけど、あれもぜひ見たいという声が多かったんです。佐久間ダムのは、工事の記録フィルムで全部で三巻に分れてます。ですから、またいずれどこかの会場を借りて上映会をやろうと考えています。ただ、大きな場所でとなると会場費もかかるし、運営にけっこうお金がかかるのがネックです。

黒部の太陽」上映会のポスター(土木学会土木技術映像委員会提供)

黒部の太陽」上映会会場風景(土木学会土木技術映像委員会提供)
中野: やはり会場費が大きいのでしょうか?

安河内: そうです。それに会場費の他にもこまごまと。映写機を扱ってもらう人とか、いろんな裏方さんの費用とか。それで、いろんなところから少しずつ協力して出し合ってもらって、ようやく実現できました。費用的な面ではこれからも課題が残ります。それと…。

中野: 何かほかにも問題が?

安河内: 問題は、膨大なフィルムなどの資料の保存についてですね。古いものはどんどん劣化していっているので、これからのことを考えるとかなり不安です。保存は、低温の4度にしていますが、映写の際には時間をかけて室温に戻していきます。そういうフィルムは、デジタル化していくことにしていますが、その維持管理にとにかく費用がかかるのが最大の問題です。

中野: 国立フィルムセンター等、何か公的なところで手伝って貰えないのでしょうか?

安河内: ええ、そこら辺を今後どうやっていくかも含めて大きな課題です。私から見てもそういう映像というのは、ある意味では国の宝だと思うんですね。それを、一つの民間の組織の一部署で悩みながらやっているというよりも、ある意味、日本国としてのそういうものをきちんと残すべきではないかと、そういう気がするんです。なかなか声が届きませんが…。

現場の知恵と工夫が映っている

中野: なるほど、そういう記録映像を見ると、若い技術者にも伝わるでしょうね。

安河内: そうですね。佐久間ダムの映像をみてびっくりしたことがありました。担当された方はまだご健在なので、先日、上映会に来ていただいてお聞きしたんですが、ダム工事のはずが難関はトンネルなんですね。工事全体の流れで見ると、転流工を掘るためのトンネルをいかに早く掘るかが肝心だったそうです。工程スピードの問題です。堤外にトンネルでバイパスを造るのですが、長孔発破をかけているんですね。佐久間では6mの長孔発破。つまり一回の発破で長く掘るという技術です。今でこそ、工期短縮という中で考えられているアイデアですが、あの時代で、それがもう当たり前に行われていた。その他にコンクリートのポンプ車も使われていた、と。かなりすごいのです。

もう一つ驚いたのが、あの川の河床は、砂礫層が非常に厚い。ですから掘れば掘るほど、水の問題が出てくるんです。それをどう処理するかということですが、下流側の減勢工の付近の地下にトンネルを掘っているんです。そこに水を全部集めて、ポンプアップして排水する。それで作業エリアを常にドライにしてやっているんです。そういう現場ならではの工夫には、とくに感心します。


中野: それで、技術的にはそういう部分を見たいという声があった訳ですね。

安河内: そうですね。いずれまた、半年に一回とか時期を考えてね。できれば夏休みの時期に子どもといっしょに見られるようにするとか、それもダム以外にもいろんなものがある訳ですからね。実際、東京タワーの工事映像なんかみるとびっくりしますよ。(笑)

こうした昔やっていたアイデアというか工事の工夫は、十分今でも通用するものがあります。黒部ダムではコンクリートバケットに質の高い鋼材を使用して軽量化し、その分コンクリートを多く積んだりしています。
また、工事誌も参考になると思います。計画通りにいかなかった点も、原因と対策というようにきちんとまとめられていますから。ダムでは「有峰ダム」の工事誌が素晴らしいと思います。これは土木学会にありますので、ダム屋さんにはぜひ見てもらいたいと思います。

中野: 話は変わりますが、安河内さんには、当協会のダム写真コンテストの選考委員になっていただいておりますが、一般の方がお撮りになるダムの写真をご覧になって、どのようにお感じになりますか?

安河内: 写真はですね、一つは、明らかにねらいを定めて写しに行かれた方と、もう一つは、何気にダムに行ってパチパチ撮った方とが、いらっしゃると思いますね。大きくはこの二つですね。それで、ねらいを定めたのものは、当然、あちこち探し回って良い場所を選んで撮ったものですよね。それはわかるんですけど、やっぱり見てびっくりするのは、何気なくパチパチ写したものの中にも、ハッとするものがあります。だから、写真というのはああいうコンテストになると一つの表現になるので、出したら恥ずかしいとかそういう気持ちが多少なりとも皆さんあるんでしょうけど、私はとりあえず写してみたらと言いたい。デジカメなら見るのにお金はかからないのですから、写してみたらどうですかと。自分では駄目かも知れないと思いながらも、他の人から見たら感銘するかも知れませんから。

中野: やはりダムの写真というのは、感覚、感性が最優先になるのでしょうか。

安河内: ダムを美しいと思うかどうか、ダムを美しく見せられるかどうかにかかっていると思います。ダムは大きいので、スケール感をどのように表すか。写真の場合は、大きく写すのと、部分を、例えば、越流する瞬間とか、そこだけを絵として切り取るのと、どっちのやり方があるだろうか?と。私はやっぱり大きく写す方にいってしまいますが。それは好きずきなのでどちらでも構わないと思いますが。

中野: ダム工学会のイベントなどで使わせていただいている黒部ダムの写真は安河内さんのものが多いですね。黒部ダムと言ったら安河内さんのという、定評があります。

安河内: そう、回数だけは重ねていますから。黒部ダムは、比較的簡単に行けますよ。極端な話、朝6時24分の新幹線に乗ったら、10時15分にダムサイトに立てるんですよ。それで2時間写せばその日の夕方には帰れます。私は14回くらい行っていますが、明日は天気が良さそうだと思ったら、次の日パッと行けば良いんですよ。でも、それだけ行った中でも、うまく写せたのは5回程度ですから。相当に天気が左右する。行ってみたら曇っていたりね。逆に天気が良過ぎてもいけないんです。日差しが強いと下流面が黒く影になってしまいますから。

黒部ダム(撮影:安河内孝)

黒部ダム(撮影:安河内孝)
中野: 今まで写真を撮ってきたダムの中で、お好きなのはありますか?

安河内: うーん、好きなのは、実はダムではなくて、小さいものなんですが、青森県むつ市にある「大湊第一水源地堰堤」。高さが15mないのでダムには入りませんが、石張り、粗石でありながらアーチなんです。これは、大正13年に完成したものですが、設計されたのが、東京駅の側にあった昔の丸ビルを設計された、桜井小太郎氏という方です。昔は建築屋も土木屋もデザインしてやっていたようです。


大湊第一水源地堰堤(撮影:安河内孝)
古いダムに、魅かれる

中野: ダムの新しい、古いというのがあるとすると、やはり古いもの、土木遺産的なものがお好きですか?

安河内: 新しいダムは、見ればだいたいわかるので、どちらかというと古いダムに魅かれますね。どういうふうに造ったのかというところです。どこにどう仮設をおいて、資材はどういうルートで運んできたかとか。昭和30〜40年代だと、当時はお金もモノもない時代なのに、あれだけの工事をする訳ですから、相当に工夫したんだと思います。それはすごい技術力ですね。だから、そういう意味では古いダムに興味があるのです。

中野: 実際に見に行くダムは、そういう古いものですか。

安河内: そうですね、新しいダムの場合はもう規格化されていますよね。越流のさせ方とか、もう何から何まで規格化されていて、正直言うと昔のダムの方が手造りというか、一芸があるように感じるんですよ。その方が見るのに面白いと感じます。

今は兵庫県淡路島のダムに凝っているのですが、3つの粗石のダムがあるんですね。その中で、成相(なりあい)ダムが面白いですね。新しいダムを造るにあたって、上流側にある昭和25年に出来た古い石張りの、粗石モルタルのダムの上部の一部を切り欠いて残しています。その切り口をみてがく然としました。ワイヤーソーで切ってあるのですが、昔のものなのに、コンクリートがしっかり充填されているんです。非常に施工が良いんです。

成相池堰堤(撮影:安河内孝)

成相池堰堤・切り欠き部分の切り口(撮影:安河内孝)
神戸の布引ダムも、目地へのモルタル詰めが、ものすごくきれいでした。ガチガチに突き固めてあるというか、目地から水が漏れてはいけないというのがあってきっちり突き固めてある。やはりその場、その時、考えられるだけのものを用いて、ダム造りをしている。それが百年ほど経ってもまだ使われ続けているというのが良いと思います。

ダム造りは、資材を運ぶことから

中野: 昔と今は環境も造る側の意識とかも違っているとは思いますが、随所に先輩方のご苦労があるんですね。

安河内: そうですね。ダムは一般にはコンクリートの技術と言われるんですけど、私には別の側面もあると思っています。一つには『モノを運ぶ技術』だと思うんです。映画の「黒部の太陽」でも、あれはダムそのものの工事より、ダムと発電所に使用する資機材を運ぶトンネル工事がいかに重要だったかということを描いているわけです。

中野: 上映会については、その他には何かご意見はありますか?

安河内: イベントでのアンケートを見ると、意外に多いのが「親子で記録映画を見る機会が欲しい」というものです。それについては、なるほどという思いもありますが、逆の立場で言えば、ああいうのを見せると子どもが土木屋の道には行きたがらなくなってしまうのでは、と心配しますが。(笑)

中野: そうですね、あんなに苦労するのかと。それに、現場に行きっぱなしになるし…。

安河内: でもね、人間は有史以来、モノを造ってきたものだから、ダムだけではなく、食べ物でも洋服でも、なんでもモノを作るというのが大前提なんだろうと。ですから、そういうのを見て、何人かでもやってみたいと思ってくれればいいと思います。大きく言えば、土木は国造りをする仕事ですから。

そういう目で、いろいろ調べていくと、歴史でもまずは国造りというのがわかります。例えば、徳川家康でもあれだけの戦をやって武士だと言われているが、1600年に関東に来て最初にやったのは、実は利根川を迂回させて、関東地方をドライにさせるというのを何十年もかかかってやり始めたんですからね。ですから地形、気象、いろんなことを読み解いて、町造り、国造りを始めたんです。そういう発想は実は土木屋の仕事だと思うんですよ。

中野: あと、ダムは環境に悪いとか、世間的なイメージというにも向かっていかなければなりませんよね。

安河内: ある意味では、土木屋さんは宣伝が下手だと思いますよ。そういう視点から考えると、現場を見せるのも良いと思います。例えば、子供が休みの土日を利用して親子揃ってダム工事の現場を見てもらう。なかには工事中しか見られない場所というのもありますからね。そういう実物を見せると、インパクトというか効果が全然違います。

中野: なるほど。ダムを見るという視点から言えば、ダム好きさんたちは自分の興味や知識欲でダムを見ているのですが、彼らの気持ちがわかるとかいうのはありますか?

安河内: 彼らとはあまり交流がないのでよくはわからないのですが、スケールの大きい見方、ダムの見方というのはあると思うんです。ダムの減勢工というのは、完成したら我々でも絶対に行けないところですが、まぁ、補修があれば行けますが、まず99%行けないところ。だけど造っている時には行けるんです、工事中は。だから、子どもをそこに連れていって下から見上げれば、そこで写真を撮って送ってあげると、それは皆びっくりしますよ。大きくなっても誰ももうそこから見ることはないのですから。そういうのを見せてあげればインパクトがあるかなと思います。

見て解るから、写真が良い

中野: 写真というか、カメラについては、いつ頃からどのようにして取り組まれてきたのでしょうか?

安河内: 意識して撮り始めたのは、仕事の中でですね。写真には昔から興味があったのですが、趣味としては若い頃はあまりお金がなくて手が出ませんでした。で、直接のきっかけになったのは昭和56年にやっていた仕事ですね。日本道路公団のトンネル工事で、NATM工法というのをやっていました。そこで約1800mのうちの5〜600m掘ったところで、直径が11mのトンネルが2日間で38cm動いたんです。トンネル径が38cm縮んだんですね。山が崩壊するというか、どんどん縮まってくるんですね。データとして直径を測っていると、刻々と変化する。

それでいろんな対応をして、手当てをするのですが、すごく費用がかさんでいく。NATM工法というのは計測をすごく重要視してやる工法なので、いろんな計測機器を入れて刻々変化するデータを読んでいくんですね。その時ちょうど外部の調査があって、我々はグラフなどを示して現場の状況を説明するのですが、よくわからないと言われました。それで、何か見るものがないかというので、その時にたまたま私が撮影した写真がありましたので、それで説明したら、山の悪さ加減がよく解ったと…。写真を見て、トンネルが38cm縮むというのがよく解ったということでした。ダムの場合はオープンになっている場所ですから山の悪いのも解りやすいですが、トンネルの撮影は難しいんです。現場の写真が仕事に役立つというのが後から聞いて解りました。それで、次のダム現場で本格的に撮り始めたんです。

中野: なるほど、始めは実用性から写真を撮り始めたということですね。

安河内: その時思ったのは、実は現場ではみんな写真は撮っているんですね。でも、それはあくまでも検査用の写真として。しかし、絵になる写真というのはまったくないんです。例えば、群馬の道平川ダムでは、インクラインを使って関東地方では始めてRCD工法というのをやったのですが、その時にパッと見たときに全体を見渡せて、全部解るという写真がないのです。で、私は24mmという広角レンズを買ってきてそれで写したんです。今でもネガはありますが、それを見ると、現在は当たり前ですが、目地切りと転圧状況から進入路とか、インクラインで来ているところなどが、全部解る写真です。


中野: 写真はたくさん撮ると、整理などが大変ですね。

安河内: そうですね、整理は大変ですが、また重要なことでもあります。

私の写真の最初の整理方法は、当初は、型枠は型枠、打設は打設と工種別に分類、整理してたんです。ところがそれだと最後は解らなくなるんですね。フィルムがバラバラになるから。で、ある時から日付順に整理するようにしました。すると、仕事でも日常生活でも、だいたいいつ頃、何をしていたかというのが解りやすい。例えば去年の秋頃は何をしてたかという記憶があるからです。

次の問題としては、そうして整理したデータを誰がどこで保管するかという点です。で、日本の会社のやり方をみていると上司はだいたい部下を呼んで、持ってこさせるでしょう。多くの人数がいる時はそれでも良いでしょうが、これからはそういうふうにはいかない。だからなるべく必要なデータは共有化していくようにします。現在、仕事で写したものだけでも約15万枚あります。今はデジタルですからハードディスクに入れてます。それも日付順ですが。またネガフィルムもたくさんありますので、これらを全部整理しようとするととても大変なんです。

火薬は、リュックでかついて持っていった

中野: お仕事の上では、思い出に残るダムはありますか?ご苦労なさったことはどういうことでしたか。

安河内: つい先日も見てきましたが、群馬県の道平川ダムです。このダムでは、原石山を担当しました。原石山があまりにも急峻なためどこから登ってよいのか分からないので、最初は営林署の担当者に連れて行ってもらいました。ほぼ垂直であるためロープや梯子を用いて登りました。高さは150mほどあり、山頂まで約30分ほどのかかりました。

道平川ダム(撮影:安河内孝)

道平川ダム原石山(撮影:安河内孝)
山頂はラクダのコブのように2山になっており、2〜3名が立てるほどの広場しかありませんでした。当然ですが、河床から山頂までの工事道路を付けることは不可能で、いろいろと悩みましたがヘリコプターで重機を運搬することにし、最初に人力で10m2の広場を造成し、その後0.05m3のミニバックホウをヘリコプターで運搬し、100m2ほどの広場を造成しました。その後、国内最大級の4.0t吊りヘリコプターで0.45m3のバックホウとクローラドリルを運搬し、組み立てを行いました。その後2回ヘリコプターを用いています。発破に使う火薬は、作業員がリュックで運びました。私も数回運んだことがありますが、背中にダイナマイトがあるのは、あまり良い気持ちではありません。昼間に発破・掘削を行い、河床に叩き落し、夜間に積み込み運搬を行いました。それで約15万m3を半年間で施工することができました。やがて河床からのパイロット道路が付き、工事用道路が付いた時は、これで工事は終わったと思ったほどです。

ところが一難去ってまた一難です。ロウソクのような山が中腹にくっ付いていました。このロウソク岩は、高さ32m、直径30m、約12,000m3もあり、先端が尖っているため、そこにヘリコプターで重機を運搬し、組み立てることが不可能でした。いろいろと検討した結果、ビル解体に用いられる手法と同じ工法を検討しました。発破で下部を取り払って上部を落下させ壊す工法です。使う火薬の量は約2.4トンで、装薬には3日かかりました。

いろいろと不安でしたが、目の前で山の下部が爆発し上部が落下して、全てが破壊された時は正直ホッとしました。熊谷組の八木所長と抱きあって喜んだことを今でも覚えています。その時のビデオテープは宝物です。それ以来、かなり危険できつい工事もしましたが、苦しいと思った事はありません。

中野: ダムのように大きな構造物は、今後、いかに長く使っていくかというのが大きな課題の一つだと思います。ダムのリフォームについては、どのようにお考えでしょうか?

安河内: まず将来はですね、日本の人口は減るんです。約5000万か6000万人とかにね。だいたい江戸末期時代と同じくらいです。その時、日本はどうなっているのでしょうか。人口は減りますがそれでようやく自給自足の生活ができるようになると思います。が、いちばん必要なのは何でしょうか。実は水なんです。今までの便利な生活を落としたくないとすれば、何がいるか、水と電気なんです。日本は食糧でも何でも海外から輸入してきました。しかし、人口が少なくなり、国の勢いがなくなれば、海外から入ってこなくなる訳ですから、今あるダムをきちっとリニューアルするなり、ちゃんと使えるようにしておくことだと思います。イザという時にその水が自由に使えるように、今我々が考えておいてあげないといけないと思います。水さえあれば人間は生きていけます。

中野: 次に、技術者の育成という観点からお尋ねします。若い人への技術の継承という面では、これまでどういうことに意識して後輩の指導をされてこられたのですか?また、どんな期待感をもっておられますか?

安河内: そうですね。若手の指導という点では、なるべく相手が困る寸前までは黙っておくのがいいように思います。現場で所長の時はヤンヤン言ってましたが、本当は、相手が相談してくるまで待つことが大切ではと思います。以前に禅寺のお坊さんに習った言葉で『碎啄同時(そったくどうじ)』という言葉があります。どういう意味かというと、卵からヒナが孵化しようとする時、ヒナは中から殻をつつきます。それを察知して親鳥が外から同じところをつついてあげる。それが同時にうまくいくとヒナは傷つかずに生まれるということです。技術屋に置き換えると、教える側と教わる側の力が寄り添ってこなければ、技術の伝承はうまくいかないと思います。


また、若い人にぜひ知って欲しいことは、どんな場合でも希望があるということですね。それと常に先を見据えて動いて欲しい。例えば、5年先の自分がどういう立場になっているかを考えてやって欲しい。常に自分が将来どうあるべきかと考えながら現場を運営して欲しいのです。現場というのは、苦しいことの連続かも知れませんが、完成した時はホッとするでしょうから、そういうふうになれるように、いつも「なぜ」と自問して欲しいですね。

私は、今からおよそ40日後には定年となります。おそらくこの記事が掲載される頃には、私は会社にいません。その私からこれから土木の最前線に赴こうという若い人に、3つの『カン』という言葉を贈りたいと思います。それらのカンをバランスよく、摂ってもらいたいということです。

まず一つ目は、『感』です。
心に感じるのカンです。毎日、何かを感じてください。感激のカンでも良いのですが、できる限り五感を働かせて、精いっぱい心で感じとって欲しいと思います。

二つ目は、『観』。大局観のカンですね。ものを大きく見てもらいたいということですね。若い時は、2、3日、数日先でも良いかも知れませんが、中堅になったら数ヶ月先の動静がわかるように。それで所長クラスになったら全体がわからなければいけないと思います。だから、ちょっとずつものを大きく、大きく見てもらいたい。私なんかもよく言われたのは、山の上に行って一回下を見てみればとね。落ち着いてよく見ると、なんか筋が通ってないなとか、なんとなく見えてくるものがありますね。俯瞰して冷静に見る、というのでしょうか。だから問題があったら引いてみて、全体のレイアウトがどうなっているかを見るようにする。

そして、三つ目は、勘が良いという意味の『第六感のカン』です。
これを鍛えるのはいちばん難しいかも知れません。いつもと同じなのに何かが違うというか、それが解るにはかなりの訓練がいるかも知れません。この感覚は第六感に近いというか、なんとなくおかしいというのが感じる時があるんですね。議論している時にはわからないです。が、酒を飲んで寝ようとした時、風呂に入って一息ついた時、朝パッと目が覚めて起きた時、いろんなその時々で、閃くというか感じる時があるのですが、こればっかりは人に教えられるものでもないようですので、どのように訓練すれば良いかも自分で考えてみてください。
これら三つの『カン』をバランス良く身につけられることを祈っています。

中野: ありがとうございます。若手の技術者にとっては、厳しい環境にある中、先行き暗い話が多くなりがちですが、今日は久々に元気の出る良いお言葉をいただきました。まもなくご定年とのことですが、自由な時間がたくさんできたなら、思う存分四季折々のダムの写真を撮りにいらしてください。本日はどうもありがとうございました。


 
(参考)安河内孝さんプロフィール

安河内 孝(やすこうち たかし)
昭和24年3月28日生れ

[略歴]
S46 清水建設(株)入社
S46.7 山陽新幹線 廿日市トンネル工事
S48.8 高知市江ノ口川 幹線暗渠築造工事
S49.6 旧吉野川河口堰本体工事
S52.2 野村ダム建設工事
S57.1 四国横断自動車道 明神トンネル南工事
S61.2 道平川ダム建設工事
H3.8 海水揚水発電技術実証試験パイロットプラント建設工事
H6.1 本社
H10.10 日光馬道水源災害復旧工事
H11.10 松山市 一般廃棄物最終処分場埋立施設建設工事
H13.12 土木東京支店
H14.4 小坂最終処分場建設工事
H14.11 本社

(2009年4月作成)
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 (ダムインタビュー)
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  [テ] ダムインタビュー(63)太田秀樹先生に聞く「実際の現場の山や土がどう動いているのかが知りたい」
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