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高橋裕先生(たかはし ゆたか、国際連合大学上席学術顧問・東大名誉教授)は、ダム工学会・若手の会主催による「第4回語りべの会」(2010年1月18日)において「永田 年と佐久間ダム」というテーマでご講演されました。その中で、かつて土木学会で行われた作家・司馬遼太郎さんとの対談を引用されつつ、高度成長時代を支えたダム建設を通して、土木の役割について語られました。
今回は、こうしたご講演などを踏まえ、今現在、ダムや土木事業が直面しているさまざまな問題解決のためには、どういったアプローチが必要なのか、また、どういった方向性での解決に道が見えてくるのかについて、水問題や河川についての幅広い観点から、あらためてご教示いただければと思いインタビューさせていただくことにします。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)
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「コンクリートから人へ」は誤解を与える?
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中野: まず初めに「土木を取り巻く諸問題について」という事でお話しを伺いたいと思いますがよろしいでしょうか?
高橋: ダムじゃなくて土木全体という事ですか。そんなに大きいテーマだと僕には荷が重いかも知れませんね。(笑)
中野: はい。ダムもそうですが、今は「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズのもとで大きな政策転換がはかられようとしています。ただ、言葉通りに受けとめてしまうと何だか誤解を招きそうに思えます。こういう状況についてご感想をお持ちでしょうか。
高橋: 標語というのはあんまり長いと魅力がないから、そういう縮め方になったのでしょう。ただ、ここでいうコンクリートが公共事業の代名詞だとすれば、何かコンクリートで作ったものは全部いけないというように、短絡的に受け取られる可能性が大きいですね。それでは誤解を与えそうに思います。要するに、言いたいことは、公共事業よりも人間の福祉とかそういう分野の方が大事だというのでしょうが、福祉を考えるうえでも国づくりのためのインフラ整備は欠かせないものなので、いたずらに公共事業はよくないというイメージを与えてしまうのは、どうかと思います。
中野: 短くてインパクトのある言葉なので、どうも悪いイメージだけが残ってしまうと…。
高橋: 以前に長野県から発信された「脱ダム宣言」も同じようなものです。田中康夫さんは、技術者ではなく、政治家ですからキャッチフレーズが大事なんでしょう。言葉の作り方がうまいかヘタかが、政治家にとっては非常に重要ですね。
政治家がそういう標語で言わんとしていることを、我々有権者はきちんと理解する能力がないといけないわけですが、どうもまだ日本の有権者の大部分は不慣れというか、残念ながらそういう能力が不足しているのでしょうか。
ダムや高速道路については、以前からマスコミでも大きく取り上げられており、とにかく無駄を削れという形で公共事業バッシングがここしばらく続いています。道路や橋を造ることがまるで悪であるかのように、環境破壊だとか言われていますが、よく考えてみれば、ひと口に公共事業といっても、相当に幅が広くていろんなものがあります。中には確かに環境に悪影響を与えたものもあるのですが、どんな公共事業も、環境を破壊しただけで終わっているものはありません。
ただ、本来の目的は果たしたけれども、残念ながら周辺の環境に悪影響を及ぼしたという例は多い。そういう問題は20〜30年前からよく言われており、公害問題が起きた初期の頃に比べれば、最近はできるだけ環境を破壊しないようにする技術がずいぶんと進歩してきたと思います。とくに日本の、環境に負荷を与えないで工事する技術、あるいは環境を良くする技術というのは、世界でも一流だと思いますね。
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マイナス要因のない河川事業は、元来あり得ない
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中野: そうですね、建設でも土木でも日本の技術は世界的にみてもトップクラスですね。
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高橋: とくに日本のダムの設計施工技術は、世界屈指だと思います。環境に悪影響を及ぼさないように造る技術も進歩してきたと思います。ところが、一旦新聞などに公共事業が悪であるかのような風評が上がると、マスコミはどれだけその技術が良くても評価してくれませんね。事業を推進する側が、しっかり環境に注意しているといっても、極くまれにしか取り上げてない。
そういう状況を踏まえつつ敢て言いたいのは、河川事業というのは必ず何かマイナス要因が出てくるということです。 |
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川という自然を相手にすれば、結果が100%プラスだけというものは存在しないんです、有史以来ほとんどそうですから。ダムを造って治水か利水かその目的を果たしたとしても、土砂が溜ります。土砂が溜まらないダムというのは、無理です。絶対にマイナス要因を作らない河川事業というものは、本来ないことをまず頭に入れておかねばなりません。
中野: なるほど、河川事業にはマイナス面もあるという事ですね。日本には稲作文化がありますから、古くから河川改修を頻繁にやっており、人間が川に手を加えたら必ず影響があるという事は、多くの人が知っているのではないですか?
高橋: どうしたら洪水の被害が少なくなるか、あるいは川の氾濫を防げるかというのはずいぶん長いこと、いろんな知恵を総動員してやってきました。大昔から国費を投じてやってきました。だからこそ全国いたるところで水害は激減しました。近代では、明治・大正・昭和と三代かけて、治水の成果が上がりました。
しかし改修工事を熱心にやった川ほど実際には洪水流量が増えていたんです。それは、明治以来の治水方針が、流域に降った雨をなるべく早く海に流し出そうという考えでしたから。高い連続堤防を作って雨水を全部そこへ押し込めたので、今まであちこちで遊んでいた洪水の流れを集めたので下流部への洪水の出足が早くなり、流量が増えたのです。日本で一番大きな放水路事業で新潟の大河津分水(おおこうづぶんすい)があります。 信濃川の下流部で日本海への放水路を造成し、昭和六年に完成しました。この放水路を掘ったことで新潟平野の大洪水、大水害はほとんどなくなり、米の生産量もあがったので、大成功でした。しかし、流れてくる土砂の大部分が放水路に行ってしまうので旧河川に流れてくる土砂が激減し、新潟海岸の決壊が始まりました。
このように河川に何らかの手を加えれば、所期の目的は達したとしても、いくつかのマイナス要因がつくのは当然です。これはいかなる河川事業、工事でも同じです。それが河川事業を理解する第一歩であって、マスメディアの方も一般の皆さんにも、ぜひ理解して欲しいですね。実際には、新聞、テレビなどでは必ずマイナス要因だけを大きく扱う傾向です。あんなにお金をかけたのに、こういう残念な事が起こったではないかと。だから失敗だ、みたいな論調になるんですね。まず初期の目的とその結果、それとマイナス面を正確に見なくては。
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マスコミは、マイナス面を取り上げたがる
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中野: どうしてもマスコミは原因を追求しますからね。あれだけ予算を使ったのに何がいけなかったかと?
高橋: 僕は昔、ある大学の河川工学の講義でこの大河津分水の話をして、放水路工事は大成功だったが、海岸決壊なども起こったと説明しました。その後、試験問題で大河津分水について述べよと出題したら、二人くらいの学生が答案に、大河津分水を掘削したから新潟海岸が決壊した、だから放水路は失敗だと書くのですね。それにはがっかりしました。
人間は、意外に思う事を聞くと、それだけが頭に残るのか?あるいは、授業中そこだけ目が覚めてて、あとは居眠りしてたのか?という疑問も湧きましたね。そういう答案が出て来て僕はがく然として、それからは講義の説明が不十分と反省し、とくに念を入れて説明するようにしています。
でも、新聞やテレビなどは、なかなか理解してくれないですね。とくにこの頃は、説明しても、とにかくマイナス面だけを大きく出しがちです。昔は、高度成長期の佐久間ダムとか、黒部ダム建設の頃は、それを非常に褒めていました。世の中としてもそれだけ期待が大きかったのでしょう。当時はマスコミが褒めるという事で、土木事業はダムにかかわらず公共事業は相当に建設し甲斐があったと思います。
ところが環境問題が出てきてからダムの評価も一変しました。ダム批判は、国際的で日本特有の問題ではありません。しかし、世の中の風潮を見ますと、マスコミでは環境に影響を与えるものはすべて悪いことになっていますね。人間が何か行動し、環境に影響を与えないものはないのに。
僕が良い面もあると話しても、マスメディアはマイナスの事しか報じない。テレビ取材も一方的で、向こうの思う通りに編集されてしまうではないですか。最初からダムはいかんというシナリオがあって、それに合うよう都合のいいところだけをピックアップしているかのようです。元河川局長の竹村公太郎さんは、それで懲りたらしく、生番組しか出ないと言っていました。録画するとプロデューサーの意図通りに編集されてしまう、編集の余地のない生放送なら出るというのは、自己防衛策だと思います。
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「ダムの時代は終わった」に隠されたメッセージ
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中野: ところで、よくダム反対派の人が米国内務省開拓局のビアード総裁の「もうダムの時代は終わった」という言葉を引き合いに出されます。国交省によれば、今もアメリカは政策的には決してダム撤去の方向に全面転換したとは言い難い状況だとされています。これについて本当のところは、どうなのでしょうか?
高橋: ダムの反対運動というのは、1980年代の後半から世界的な問題になってきました。1994年にアメリカ開拓局のビアード総裁は、ブルガリアで行われたICID(国際灌漑排水会議)で「ダムの時代は終わった」という趣旨の発言をしました。ですが、この言葉は、マスコミ的ないわゆるフレームアップした取り上げ方なのです。彼の言葉をもう少し正確に言えば、「アメリカの開拓局、つまりビューロー・オブ・リクラメーションにおいてはダムの時代は終わった」ということです。ところが、それを聞いたダム反対派の人は、世界的にダムの時代は終わったと理解した。というか、そう理解したかったのでしょう。
背景を考えますと、ビアード総裁が「開拓局においてダムの時代は終わった」と言われたのはもっともだと思います。なぜかというと、これはアメリカの、開拓局の中の自分たちの政策上のことを言ったのです。たしかに、開拓局はアメリカのダム建設で重要な役割を担ってきましたから、そこでダム建設を止めたのは重大な意味がありました。
中野: そうなんですか。世界的にダムの時代は終わったというのではなく、アメリカの開拓局においてという極めて限定的な言葉だったのですね。
高橋: 開拓局は、アメリカ政府が1902年に創立したので、かなり古いですね。20世紀の始め頃、アメリカ西部の農業開発を主目的に作られた農務省の中の一つの部局です。西部の砂漠地帯あるいは半砂漠地帯の農業開発には大量の水がいるということで、そのためにダムを造って農業用水の開発政策を実行しようとしたのです。
これについては、ダム関係者はもちろん皆さんもよくご存知の立派な成果があります。例えば、フーバーダムとかグランド・クーリーダム。その規模や当時のダム技術においても世界に冠たる大ダムを造ったのです。ほかにも大小さまざまのダムを建設しました。ですからアメリカ西部の農業開発に非常に大きな貢献をした。
しかし、農業開発が主体ですから、とくに第二次大戦以後、1980年代になると農業用水の開発にダムは採算に合わなくなってきたのです。すでにこの時点で所期の目的を達成していたんですね。
それに、カリフォルニア州とかオレゴン州などでは、農業よりむしろ都市用水の方が大事になってきた。サンフランシスコとかロスアンゼルスとか大都市の水需要が増加したからです。それで農業用水を主体とするダムは採算に合わないし、非常に良いダムサイトはほとんど造ってしまった、だから「開拓局に関する限りは、もうダムの時代は終わった」という意味で発言したわけです。
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アメリカでは、まだダムを造っている
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中野: なるほど、そういう背景があったのですね。開拓局は確かにそうだとして、アメリカ全体としてはどうなんでしょうか。
高橋: アメリカでのダム開発は、この開拓局だけではありません。実はもう一つ、これは陸軍の工兵隊ですが、コー・オブ・エンジニアーズがあります。ここでもダム建設を行っています。
西部地域が開拓局の縄張りというか担当で、主に東部地域が工兵隊の担当と言えます。例えばミシシッピー川流域は工兵隊が担当です。ここでは依然としてダム建設を推進しています。だから開拓局がダム造りをやめたからといって、アメリカ全体でダム建設が止まったという訳ではありません。
中野: なるほど、ビアード総裁の言葉は、かなり限定的なのですね。でも、どうしてそれが大きく取り上げられたのでしょうか?
高橋: ビアードの発言が94年ですが、だいたい80年代後半から世界的に環境問題が盛り上がって、ダム反対運動が非常に高まっていたからです。その象徴的なのがエジプト、ナイル川のアスワンハイダムです。このダムが出来たのが1970年で、ナセル大統領の時代です。
この事業は、20世紀のピラミッドといわれエジプトの人たちは非常に誇りにしています。僕が会うエジプト人は政府の土木関係者が多いのですが、彼らは異口同音にアスワンハイダムなくして今のエジプトの繁栄はあり得ないと言います。それは、電力開発、農業用水開発、洪水調節に非常に効果があったからです。
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冷戦構造のはざまで、標的にされたアスワンハイダム
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中野: では、なぜアスワンハイダムが批判のマトになったのでしょう。
高橋: 実は、計画当時のアメリカのダレス国務長官がこのダム建設に出資をする、つまりアメリカが資金援助をすると言っていたんです。ところが、1955年にバンドン会議があって、そこでナセルとスカルノとインドのネルー、中国の周恩来が集まって第三勢力を作りました。つまりアメリカにもソ連にも属さない第三の勢力ということを、ナセル大統領も言い出したのですから、ダレス氏は怒って、もうアメリカは資金を出さないと言って関係が悪くなった。
それを見ていたソ連のフルシチョフが今度は自分たちが資金を出すと言い出して最後にはソ連が建設資金を援助しています。しかし、出すには出したがソ連もなかなかしぶとくて完成式に俺を呼べとか、いろいろ要求したんですね。結局、アスワンハイダムは東西冷戦の中に巻き込まれてしまいました。
その後、アメリカはアスワンハイダムの事をさかんに批判するようになりました。アメリカには言論の自由があり、環境運動にも激しい発言が多くて、アメリカ国内の環境派がまっさきにアスワンハイダムは、20世紀の最大の環境破壊の大失敗例だと言い立てたんです。それでジャーナリストが環境破壊の記事を書いたり、それを盛んに宣伝しました。アスワンハイダムを造ったから海岸決壊が激しくなった。それはアスワンハイダムが土砂を溜めたからであるとされたわけです。
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アスワンハイダム 完成 1970年 ロックフィルダム 堤高:111m/堤頂長:3600m/堤体積:44000千m3 貯水池容量 1,620億m3 |
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中野: なかなか興味深いお話しですね。冷戦構造のはざまでダム批判にまでつながったというのは。
高橋: それから、これは少しまゆつばなところがあると聞いて欲しいのですが、アスワンハイダムは、ナイル川の洪水を調節する目的ですから、たしかに川は氾濫しなくなった。でも、かつて氾濫していた時に流れてきた土砂は良い肥料になっていたのに、ダム建設以降、それがなくなったのでこの辺りの農地で使う肥料が猛烈に増えた。それで、たくさんの肥料を輸入するようになったと言うんです。そのことをアメリカのダム反対の立場のジャーナリストなどが指摘して攻撃したのです。
中野: やはりあれだけの大規模なダムですから、影響も大きいということですね。
高橋: 確かにそうです。実は、ダム建設以降、ナイル川河口の水産資源は激減したと言います。つまりプランクトンが行かなくなった。ダムで止めましたからね。河口周辺の水産資源が激減し、それから肥沃な土砂が河口へ流れて来なくなって海岸決壊が起こり、ダム湖の水質汚濁も進み、これらの影響はダムが原因と考えられています。
本来、大規模な氾濫をなくしたというはかり知れない効果があったのですが、ダムに反対する側は、その他に風土病が流行ったとか、いろいろな悪い影響を指摘し反対しました。
アメリカではアスワンハイダムは大失敗だとさんざん言われた80年代、ちょうどその頃に世界的にダム反対運動が起こってきて、アスワンハイダムは格好の標的にされ、世界中のダム反対論者が一斉に批判したのです。
中野: そうなんですか。つまりアスワンハイダムが反対運動のシンボルになってしまったということですね。
高橋: ダムによる環境破壊はたしかに発生し、マイナス面もあったのですが、農業用水の開発とか電力開発を見れば遥かにプラスの方が大きいと思います。だから、大多数のエジプト人がアスワンハイダムなくして、今のエジプトの発展はないと言うのです。
あれだけ大きなダムを作れば、環境がある程度影響を受けるのは当然です。もっとちゃんと予測して環境アセスメントをし、きちんと対策を打てば良かったと思います。1970年代に出来上がって、当時はまだ世界的にもあまり環境問題は表面化していなかった。それに、アメリカとソ連の東西冷戦構造の中に巻き込まれてしまったのも、たいへん不幸なことでしたね。
中野: 当時は、環境に配慮してダムを造るという事がまだなかったのでしょうか?
高橋: 1970年頃は、それほど環境問題がクローズアップされていなかった時代ですからね。日本でも、アスワンハイダムを批判する人はたくさんいます。逆にアスワンハイダムは有益だという意見は、少ないし、まずマスコミが取り上げない。皆さんもよく知っておられる人がアスワンハイダムは失敗だったと本に書いたり、講演で話したりしておられます。いちばん先頭にたっているのが吉村作治さんですね。彼は、エジプトに詳しい方ですが、アメリカの文献やマスコミを賑わしているダム反対派の見解を尊重しているのでしょう。ほかのダム反対派の人たちも、反対派の文献を支持しているのですね。
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ブームに乗せて反対運動を盛り上げた
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中野: 具体的なマイナス例を持ち出されて、おまけにエジプトに詳しい人にそう説明されると誰でも信じてしまいますね。
高橋: さっきのビアード総裁ですが、彼はクリントン大統領が任命した人物です。当時、環境問題は米国の民主党政権の目玉だったので、クリントンとゴアは、とくに環境問題に熱心だと言われていまして、彼の政権では環境問題が政策として強く取り上げられました。
それで初期の目的を達した開拓局を縮小する、つまり予算減らしのためリストラする、そのために環境保護派だったビアードを総裁に任命したわけです。彼は、民主党の政策を非常によく体現される方ですが、それが国際会議でそういう趣旨の事を言ったので、彼はおおいにもてはやされ、世界中のダム反対派から講演などに引っ張りだこになりました。
中野: そうなんですか。ビアードさんは、日本にも来て講演をしたそうですね。
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高橋: 彼は世界中に呼ばれて行き、おそらく彼が自分で思う以上に歓迎されました。日本でも長良川河口堰反対運動のリーダーの天野礼子さんがさっそくビアードを呼んで、あちこちで講演されました。それで、新聞やテレビは、「もうダムの時代は終わった」というところだけを取り出してアピールした。だからビアードはダム反対派の英雄になってしまったのです。
その頃、ちょうど日本では長良川河口堰の反対運動が盛んでそれに乗ったのです。天野さんたちは、マスコミをうまく味方につけてPRし、それに対して、当時の日本の建設省はたいへんPRがヘタで、うまく反論を出せませんでした。もっとも反論を出したつもりでもマスコミが、反論をほとんどとりあげませんでしたが…。
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アスワンハイダムはたしかに環境破壊の事実はあるけれども、相対的に言えばプラスの方がずっと大きかったと思っています。エジプトの水資源大臣アブザイドさんと話す機会があった時、たしかに海岸が決壊したり、環境への悪影響は予想よりもひどかったが、ダムがもたらした恩恵、プラスの影響は、マイナスをはるかにしのいでいたと言っています。
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マスコミがこぞって取り上げた、幻のスローガン
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中野: 長良川河口堰問題では、当初マスコミは「本流にダムのない天然河川の長良川を守れ」というスローガンを取り上げていたそうですが、実際には、当時、長良川には本川に14もの堰、支流には3つのダムがあり、さらに3つのダムが工事中だったとか…。これは富士常葉大学の竹林先生のお話しですが…。
高橋: その通りですね。マスコミは何でもどちらかに決めたがりますね。日本のマスコミに限らず世界的にみてもマスメディアが、80年代後半、90年代に環境問題を大きく取り上げ、その傾向が強くなった感があります。
日本ではちょうど、長良川河口堰問題で、反対していた人たちがマスコミの関心を得て、メディアに出ている評論家や政治家をいち早く味方にとり込み、環境問題、とくにダムでは、だいたい論調がダムのマイナス面に大きく傾きました。
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地図から巨大湖を消した、大規模農業開発
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中野: 先生がお書きになった「地球の水が危ない」というご本がありますね。その中にアラル海の枯渇問題が出てきましたが、あれはダムを作ったことが原因とされていましたが、そういう大きな環境破壊のケースもあるのですか?
高橋: あれはダムというよりも、上流側で農業用水を大量に取水したからです。アムダリア、シルダリアという二つの大河川がアラル海へ注ぎます。当時はその地域一帯をソ連が管轄していたのです。自然改造計画という大規模プロジェクトを進め、その農業用水のおかげでソ連最大の綿花地帯を創造し大成功したと、自慢していました。
今まで水が少なかったところに大量に水を入れた綿花畑の農民は非常に恩恵に浴しましたが、川の水を途中で大量に取れば下流の流量が減るのは当たり前で、実際、アラル海に注ぐ水が激減したのです。アラル海の方は大迷惑で、時が経つにつれて、水が減っていき、農業用水開発の前は、世界で四番目の大きな湖でしたが、時とともに縮小し、今では二つの小さな湖に分かれてしまいました。分かれるだけならまだましですが、干上がった部分は塩害のある荒地になり砂漠化してしまいました。昔は琵琶湖の十倍以上の大きな湖だったわけですから、岸辺にはたくさん港もありました。それらがみんな干上がって、よく写真が紹介されますが、砂漠の中にポツンと船が置き去りにされている荒涼とした景色です。
中野: 農業用水を取った場所は、アラル海から相当に離れていませんか?まさかそんな大きな湖が干上がるとは誰も予測できなかったのではありませんか?
高橋: 当時、環境アセスメントという手法が確立されていたら、これだけの事態にはなっていなかったかも知れませんね。アラル海は今の時点でもやろうと思えば元に戻せるのでしょうが、現実にはそれもできません。今まで取っていた水を戻したら今度はせっかく開発した綿花地帯がダメになりますから。一度、開発して水の恩恵に浴したところを元には戻せないという典型的な例です。
似たような問題は、中国の黄河にもあります。こちらは川の断流です。黄河では、だいたい80年代頃から時期によっては河口まで水が届かなくなったんです。黄河四千年の歴史の中で今まではそんなことはありませんでした。
それがなぜ起きたかというと、毛沢東が指導してやはり農業のために黄河の中流部から水を大量に取ったからです。日本の稲作農業の場合は、水田で使った場合は、かなりの分が下流に戻されますが、向こうの農法ではそうはいきません。
中野: 黄河といえば、急流の日本の川と違って、満々としたゆったりした流れのイメージがあるのですが、それが河口まで流れないというのは想像しにくいですが…。
高橋: 川のタイプが違います。流量が減ったので黄河の周辺の地下水が下がって農民は非常に困っています。ただ、中国という国ではそれを直そうと思えば直すことができるのです。事実、21世紀になってからは、黄河の断流はありません。黄河の中流部で取水を減らしたから水量が戻ったんです。
これは他の国では真似出来ませんね。一度水を取って灌漑すると、その土地に既得水利権がついてしまうからです。でも中国は党の指導者がやめろと言えば可能です。もし日本だったら、水の恩恵を受けている農地には水利権があって、取水を減らせば恩恵に浴している人が抗議し大問題になります。
黄河断流の原因は、中流部で猛烈に水を取り過ぎたからですが、アラル海のような悲劇にならなかったのは良かったですね。中国に批判的なアメリカのジャーナリストが克明に記事を書いています。もっとも中国内部では、そういう政府に都合の悪いニュースが流れることは一切ありませんが…。
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犬が人を噛んでもニュースにはならない
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中野: ダム以外にも、世界ではいろんな問題があるのですね。逆に、マスコミの取り上げ方については、日本の方が問題がありそうな感じですね。例えば早明浦ダムなんか、渇水の時だけニュースになるんですが…。
高橋: 日本のマスコミがダムを取り上げる時は、ダムに水量が激減して底が見えている風景を見ると、ダム建設が失敗のように普通の人は見るんではないですか?渇水でない大部分の時はダムには水があり、台風の時も洪水にならず下流の地域は恩恵に浴しているのに、それは当然のこととしてニュースになりません。
中野: どうして日本のマスコミは、ああいう取り上げ方をするのでしょうか?根本的に意地悪なんでしょうか?
高橋: 見る人が興味を持つからではないですか?だいたい役所が失敗することは、マスコミにとっては報道すべき重要な話です。逆に、役所が成功するのはニュースにならない。よく犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになるという。情報のあり方について、我々はもっと読みとる力を持たないといけないと思います。とくに新聞の読者には、そういう能力があって欲しいですね。先進国の大部分、自由主義の国には言論の自由があるのですから。マスコミにとって行政や政治批判は使命でもあります。言論が自由だということは、マスコミが政府の姿勢を批判できる。それに応じて記事を読む側にも十分に批判する能力があってこそ、言論の自由が成り立つのだと思います。
読む人が、センセーショナルなもののみを面白がって本気にしているようでは、本質的な言論の自由が育ちにくいと思います。だから、読者にも責任があり、選挙結果も有権者に責任があるわけですね。だから有権者のレベルが低ければろくな政治にならんと思います。これは別に今の政権のことを言っているのではありません。あくまでも一般論です。(笑)
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常日頃から、ダムをアピールすべき
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中野: これまでも何度かダムのことをうまくアピールしていきたいが、なかなか上手く情報発信ができていないということで、いろんな方にアイデアをお聞きしてきました。先生はどうしたら良いとお考えでしょうか?
高橋: ダムもそうですが、なんでもうまく行っている時にはニュースにならないんです。ただ、そういう状況を嘆いていても始まらないでしょう。常日頃から発信しないと。今の世の中では少し難しいかも知れませんが、ダム関係者が頑張って上手くPRすることが大切だと僕は思っています。
そもそもダムというものは、ダムの水位が下がった渇水時にPRしても逆効果です。PRは日頃から何かにつけて、水は大事、ダムの特徴を説明しないといけないと思いますね。土木の日とか、水の日はもとより、とにかく事あるごとにPRすべきです。このダムはこういう目的で造られていますというのは、常に言っていた方が良い。
中野: なるほど、ダムの良さを言うなら常日頃からアピールすべしと…。
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高橋: とくに渇水でダムの水位が下がった時に、ダムが必要だと言うと、それは言いわけにしか聞いて貰えません。普段からダムの役割を説明する機会を作ったらいいと思います。基本的には学校教育です。どうも日本では、社会資本についての教え方が、学校教育でも社会教育でも非常に少ないと思います。
例が良いかどうかわかりませんが、この頃、土木の人気が落ちてきて大学の土木工学科の志願者が減っています。土木という名前が不人気と言って、土木工学科というのを別の呼び名にするところも増えてきています。
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以前とは環境が変わってきています。高校三年生を教える先生、進学指導する先生に、直接もしくは間接的に話を聞きますと、恐らく半分くらいの先生が、土木と建築の区別がついてないと思います。どちらが、どういうことをするのか、ということから解っていないようです。だから教えることができないのではと思います。
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土木と建築の区別がつかない高校の先生
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中野: 高校の先生が、土木と建築の区別がついていないのですか?
高橋: 土木というのは何をするんだ、建築というのはこんな事をするんだというのを高校の先生がきちんと教えて頂きたいと思います。現状は恐らく先生が教えないというか、教えるだけの知識がないのだと思います。
僕が芝浦工大にいた頃に、多くの大学で橋の設計をしたいから建築を志願したという学生がいた。橋のような格好の良いものは土木でやってるはずがないと思っていたらしい。土木というのは泥臭い、格好の悪いものをやるんだという認識です。
例えば、道路工事は土木がやっているというのは誰でも解りますね。それで、土木というのは目の前の道路をよく掘り返すものだ、あれが土木の仕事だとなる。こんな話もあります。お母さんが子どもを連れてきて、道路をほじくり返しているところを見て、ちゃんと勉強しないと、おまえもああいうことをするようになるかも知れないと言う例があったとか、そういうのが一般の人のイメージですね。ただ、土木の人たちも以前にはだいたいお行儀が悪かった。例えば、都会の真ん中で道路工事をやっている人が、みんなが見ている前で作業着に着替えたりしていましたが、そういう事が土木のイメージを落としていたのかも知れません。
中野: 行政などに理系の人が少ないというのも関係しているのでしょうか?
高橋: 川の関係の審議会がありまして、ダムの工事現場を見に行くことになりました。ところがその審議会の委員の半分近くが文科系の先生でして、生まれて初めてダム工事の現場を見、実際に現場に行くと大半が非常にびっくりしたそうです。中でも文科系のかなり著名な先生ですが、ダムというのはこうやって造るのですかと言っていました。ダムはどうも工場かどっかで大きな部品を作ってきて、組み立てるものだと思っていたらしいですね。一般の人が、高校の先生も含めて、土木というものに対して非常に認識が少ないのです。どうもその辺りにも原因がありそうですよね。
中野: なぜ文科系だと、そういうものに縁遠くなるのでしょうか?
高橋: 一つには教育が悪いですね。こう言うときっと反論する先生もいるかも知れないけれど、今の日本の義務教育では、大学の文学部と理学部の基礎教育だけをやっているとしか思えないのです。どうやら最近の小学校や中学校では、工学とは何かとか、技術とは何かというようなことを、あまりよく教えてはいないようです。ヨーロッパでは義務教育の時期にちゃんと土木や建築のこと、土木の歴史もある程度教えているとのことですね。
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土木の偉人たちを義務教育で教えるべき
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中野: そうですか。今まで小学校などはゆとり教育とかで円周率も「だいたい3」で教えていたとか…。もしそれで橋を造ったらたいへんな事になるかも知れませんね。
高橋: 例えば、ブルネルという19世紀の英国の土木技術者がいます。2002年にBBCという英国の放送局が視聴者百万人規模の大アンケートの結果を発表したのですが、英国の歴史でもっとも国に貢献した人物は誰ですかという問いで、一番がチャーチルでした。二番目がこのブルネルです。この人は、テームズ川に最初にトンネル掘ったり、港を作った。19世紀だからなんでも屋で万能な人ですが、とにかく土木事業を中心にいろんな事をやりました。
日本でも、明治の頃は土木の人もかなり万能でした。現在では、河川はわかるけど下水道はわからないとか、かなり専門分化してしまいましたが。ブルネルの銅像は生まれ故郷にもロンドンの地下鉄のパディントンという駅の構内にあります。欧米の学校では郷土の著名な土木技術者を個人の名前を挙げて教えている例が多いですね。
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中野: 日本はそうではないですよね。そこが海外と違うというか。
高橋: せめて中学か高校で、土木事業というものはどういうものかを少しでも教えて欲しいと思います。それがないと将来インフラ整備を志望する人が減らないかと心配します。歴史の中には、偉大な土木技術の先輩がいて、日本という国を造ってきたということをちゃんと知っておくべきと思います。内容はそう詳しくなくてもいいんです。戦国武将では、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康などが、みんな大規模な土木事業、治水工事をやっているのですからね。
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中野: 以前、(財)建設研修センターの緒方さんに土木の絵本シリーズのお話しを伺いましたが、その中には戦国武将のお話もありましたね。
高橋: BBCの例のように、もしもNHKが視聴者に日本の歴史で偉大な人物は誰かというのを聞いたとすれば、残念ながら土木の人物は、ベスト10にも、20にも入らないでしょうね。人気があるのはだいたい家康とか秀吉とか、大河ドラマに出てくるような人たちばかりでしょう。ひょっとしたら最近では龍馬とか。まず土木技術者の名前などは出て来ないでしょう。
BBCではベスト20なら、さらに多くの土木技術者が入ります。例えば、スティーブンソン。この人は日本では、蒸気機関車を発明した機械屋さんだと思っている人が多いけど、実は英国土木学会の会長をやった人で、土木人です。その他には、ジェームズワットとか。みんな土木屋さんですよ。英国の友人から聞きましたが、小学校から教えられるし、郷土ではみんなの誇りです。とくに英国は、鉄道発祥の地だからスティーブンソンは、みんな知っているそうです。(笑)
中野: 大学では土木工学科の名前も変わり、せっかく学ぼうと思っても、学科がないと進路にも選べないですよね。
高橋: 土木という名前の学科を卒業しないから、卒業しても自分が土木技術者という自覚がないのではと心配になりますね。実際、土木学会では困っていますよ。若い人が学会に入らなくなっていますからね。
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公共事業を軽んずる国は、滅びるのか?
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中野: 土木を出てどんな仕事をするかというイメージがないからでしょうか?そういう状況はどうしたら良いでしょうか?
高橋: 僕は直接お目にかかった事はないのですが、ローマ人の物語を書いた塩野七生さんに、前の土木学会の会長の栢原(かやはら)さんが、ローマで会って、日本の今の公共事業の話をすると大変驚いたそうです。というのもローマ帝国があれだけの歴史を築いたのはいろんな理由があるけど、インフラの整備をした事が大きいのだそうです。日本では、今たいへん公共事業の評判が悪いと言ったら、公共事業を軽んずる国は将来が危ないと、塩野さんはそうおっしゃったそうです。国が発展していくには、やはり公共事業が大事だという発想がないと、心配だと。僕もそう偉そうには言えないけれど、今の日本ほど、公共事業に理解のない国は少ないと思います。
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マスコミも諸外国の公共事業を紹介する時にも正確に紹介していないと思います。例えば、アメリカでも、今は橋の修理費に非常にお金をかけています。確かに新しい橋をどんどん造る時代は終わった。だけど、日本だって高度成長時代に造ったものが、上下水道も橋も次々に老朽化しつつあるのです。造るときは一生懸命造ったが、老朽化していくのをちゃんと維持しなかったら、将来事故発生など大変なことになります。
公共事業費を減らすことを大威張りしている時代ではないと思います。もっとも公共事業の内容は変えるべきだと思います。
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何でも造れ造れという時代ではないですけれども、補修とか維持管理していく仕事が非常に重要性を増しているにもかかわらず、地方の都道府県に行くと、橋の修理費や河川の維持費の予算が削られているという現実です。
中野: 「コンクリートから人へ」と短絡に考えるのではなく、「コンクリートはコンクリートとしてきちんと維持をしていくために」、それから「人には人のために」、それぞれ予算がいるということでしょうか?
高橋: 各県とも、今は河川改修とくに維持管理の予算が非常に減らされているようです。県レベルではだいたい堤防の草苅りをやめている所が多いとか。ああいうのは無駄だと思うのでしょうね。堤防維持管理だけではなくて、耐震性を高めるように補強して、もっと今の時代にあった環境、景観も考えて、変えていくような時代だと思うんですが。
中野: たしかに無駄なものは減らさなくてはなりませんが、全体としては単に減らせば良いというものではないすね。
高橋: 今はとにかく公共事業を減らすのが善という風潮があります。高度成長期に出したいろんな計画の中には、需要が永久に右肩上がりでいくかのようなものもあり、無駄と思われる事業もあったと思います。しかし、公共事業がなんでも不要という、予算を何パーセント減らしたというのが、政治家の自慢話になるのは困った風潮です。そういう政治家は、国や地域のインフラの将来をどう考えているのでしょうか。はなはだ疑問です。これからは改修とか改良とかね、そういうのをしっかりとやって、長く使い続けていくことを国づくりの基本にしていかないといけないと思います。
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日本は、手のかかる国土が大きな特徴
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中野: 土木というのは大きな自然を相手にした仕事ですよね。日本の場合、自然条件が厳しいという側面があるように思いますが。
高橋: 日本の国土の特徴としては、川の数が非常に多いんです。例えば、東海道新幹線で東京から大阪に行くまでに、有名なので30くらいの川を渡ります。それが、欧州へ行く飛行機はシベリア上空を飛びますが、成田からモスクワの上空に行くまでに、大陸ではそんなに多くの川がないので、大きな水系はほんの5つほどしか渡りません。
オビ、エニセイ、レナ、それから黒竜江など。もっとも支流はたくさんありますが、一つの水系としては大きく分けて、何千キロという広さの中で5つです。日本では、だいたい200キロ位の間に30くらいの急流な本川があります。外国の河川事業と違って、豪雨とか大量の土砂とか不利な条件がたくさんあります。高速道路にしても、山有り、谷有り、川有りで、至る所でトンネルを掘ったり、橋を造らねばなりません。
そういう点で、日本は道路を作るにも、川の事業をやるにも公共事業費がかかる国です。マスコミが公共事業をよく比較しますね、GDPに対する公共事業の割合が日本は非常に大きいと、だから減らせ。それは日本の地形などの自然特性を無視した考えだと思います。
中野: 日本の地形を考えますと、公共事業費はこんなに減ってはいけない?
高橋: 日本は地形からもともと国づくりに手間のかかる国です。第一に北海道から沖縄までとても細長い。それを縦貫する道路を作ろうと思えばたくさん橋をかけなければならない。フランスやドイツの地図を見てご覧なさい、平地はほぼ真四角です。日本みたいに細長いところで、トンネルあり、川あり、火山ありという国では、公共事業はGDPに対する比率からすれば大きくなるのが当然です。それを他の国よりも多いということで、減らさなければと言って、やっと外国並になったと手柄話のように言います。それは地形的および気象などの自然条件と経済発展のバランスのあり方を言っているのではなくて、単に数字を比較しているだけです。
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ダムの働きが解る、ダムマニア
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中野: 先日のダムのトークショーで、あるダムマニアさんが木津川水系の3つダムが連携して洪水を防いだという事をハイドログラフという専門的な流量グラフを用いてプレゼンテーションされました。こういうふうに現実にダムが役に立っているという事が一般の方にはなかなか伝わらないというのがすごくもどかしいのですが。
高橋: そういうダムマニアさんは、どれくらい人数がいるのですか?彼らにダムの味方になってもらい、いろいろできれば良いですね。
中野: 自分でホームページを持っている人で、だいたい2〜30人くらいでしょうか?今の話は、下流部の自治体が洪水を未然に防いだという事でダムに感謝状が贈られたという小さな新聞記事をもとにダム管理事務所に取材して、ハイドログラフという雨の流入量とゲートからの放水量を表したグラフをもとに、どれだけ大変なことだったかというのをトークイベントで発表したということなんです。
高橋: 一般の方は、新聞やテレビでダムをチラリと見るだけです。ダムは環境を破壊するという悪いイメージが、実態を知らされないままにマスコミにインプットされてしまうとしたら、恐ろしいですね。
中野: 一般の人にもぜひダムを見に行って欲しいですね。そういう機会をなるべくつくりたいと思っています。先生の土木遺産のお話で、エジプトのピラミッドでも自然に溶け込んでいて今は観光地として活かされているものもあるという話をされたことを覚えていますが。
高橋: エジプトにせよ、中国の万里の長城にせよ、造った時とは目的が変わっているんですね。万里の長城はもともと軍事目的で造ったけれども、戦争が終わったからと言って壊したりしません。エジプトのピラミッドも、なぜ造られたか種々説があるのだけれども、竹村公太郎さんのように治水政策の一つという説もありますね。本当の目的はまだよく解らなくて、建造された時の目的はもうなくなったけれども、今となってはエジプトの偉大な観光資源になっているではないですか。
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蛇口の向こうにダムが見えるように
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中野: 観光資源としては、日本でも宮ヶ瀬ダムなどは、たくさんの観光客を集めています。それから、小学生とか、若い人にもダムを見に行ってほしいですね。
高橋: 各県の教育委員会もインフラの意義をどうすれば教育に取り入れられるかを検討して欲しいですね。日本の小学校では、小学校四年生のカリキュラムで、浄水場を見に行くそうです。ところがそれっきりということで、中学校、高校、大学に行っても、もうダムに関連するような勉強の機会がない。だからダムをはじめ種々のインフラの見学をカリキュラムのどこかに入れられると良いと思います。
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全国どこの県でもダムはあるはずですから、浄水場の見学に行く前か後にダムを見て欲しい。浄水場の水はどこから来るのかを知って欲しいですね。県内ならば日帰りで行けるでしょう。そういう各県の教育委員会にダム見学をカリキュラムに盛り込むように働き掛ける運動をダム協会でやったらどうですか。
中野: そうですね。できれば、蛇口の向こうにダムが見えるようになると良いですね。
高橋: 東京都の上水道の水源は、昭和40年以前は多摩川が六割くらいだったんですが、今は絶対量が増えているから、多摩川だけでは持たなくなって、昭和40年代以降に造られた利根川のダム群の水が、現在、東京都民が飲んでいる水の八割を占めているんです。そういう事が都民の常識になっていても良いのですがね。ほとんどの都民は、知らないのではないでしょうか。
都の水道局は、今盛んに水道の味を宣伝しています。一時期、水が臭い、まずいと言われたことがあるからですが、今は高度処理をしているので全然まずくはない。それで、どんどん飲んでと盛んにPRしているようです。
中野: 21世紀は水の時代とも言われています。世界のあちこちで水不足から多くの問題が発生してくるのではないかと思われますが、こうした大きな意味での水問題の解決にはどういう方向からアプローチしていけば良いのでしょうか?何かヒントがあればご指摘ください。
高橋: 水については、たしかに日本は非常に恵まれています。なぜそうなのかを簡単に言うと、天の恵みを自分たちで使えるように努力してきたからです。ただ雨が多く降るからではないのです。
水道という分野にだけ限っても、それこそ大昔から溜池を造り、井戸を掘り、湧き水を引いて身近に利用できるようにしてきた。技術が進歩すれば、ダムや導水路、それから各地の上下水道網を整備してきました。それを担った技術者や、水資源開発のプロジェクトを作ってきた多くの人たちの努力があったからこそです。
我々の生活ではいつでも身近に水があるので、なんとなく日本は雨が多いから、水が豊富だろうと思われていますが、大事なことは、単に雨が降るだけでは水資源にはならない。水をダムが溜めて下流へ流してきた水を浄水場がきれいにして、各家庭に水を配るというシステムが諸外国と比べて完備しているからです。
最近は、給水制限もほとんど見かけなくなって、水不足で断水するという経験のない世代も多くなっています。でも、ちょっと昔、高度成長期はそれでみんな苦労しました。そういう水のインフラを昭和30年代、40年代から、50年代にかけてたいへん努力して整備してきたから、今は安心して水を使える環境があることを一般の人にも、マスコミにも解って欲しいです。
東京に限らず、今の大都市のほとんどが、渇水で給水制限という問題がなくなったのは、苦労してインフラを整備したおかげです。
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水に恵まれた日本が輸入するバーチャルウォーター
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中野: 世界の水問題では、現実に溜められているものだけじゃなくて、バーチャルなものもあるそうですが。
高橋: バーチャルウォーター、仮想水ですね。外国から食糧を輸入する際に、輸入先でそれらを生産するまでに消費した水を計算に入れるという考え方ですね。東大の沖 大幹(おきたいかん)先生が主張していますが、計算の仕方によって、いろいろ違う数値になるのですが、だいたい日本中で使う農業用水くらいにあたる量の水を輸入していることになります。
例としては、牛肉について考えてみますと、水を牛自身が飲むののとは別に、牛の飼料の生産に水を使うわけで、国産牛でも、輸入飼料の生産に使われた水がバーチャルウォーターとして計算に入り、牛肉として輸入されれば、その牛を育てた飼料を生産した水が含まれることになります。日本は水に恵まれているとは言え、食糧自給率が低いので大量の水を、何百億トンと海外から輸入していることになります。食糧自給率をあげるのは容易ではなく、いくら頑張っても45パーセント位だという農業経済学者の予測もあって、水輸入でも将来が不安視されています。
中野: 日本は、自国内に大量の水資源を持っている恵まれた国なんですね。それでもなおかつ各国から食糧という形で大量の仮想水を輸入して消費していると…。そういう視点からみるともっと水を大事にしなくてはと思いますし、ダムもきちんと維持して大事に使っていかなくてはという気になりますね。
高橋: IPCC第4次評価報告書を見ても気候変動が、地球規模で激しくなって来ると、各地で洪水と渇水の両方が心配されます。世界的に水需要が増えますから、今みたいに仮想水を気楽に輸入できなくなる恐れがある。長い目でみれば、世界的には相対的に水の値段は上がります。日本のように降水量に恵まれた国は少ないのですから。中国が食糧を輸入するようになってきていますし、今まで日本は中国から多くの食糧を輸入してきましたが、そのうちに中国が輸出する時に水代を請求してくるようなこともあると考えておかないといけないと思います。今は水が豊富だからといって安閑としてはいられない。大事に水を使っていく姿勢が大切になると思います。
これからは地球規模でいえば、相対的にはダムへの依存度が高まると思います。先進国ではもうダムはあまり造れないのですが、中国やインドとか途上国ではますます重要です。そういう国に対してもうダムを造るなというのは気の毒です。ダムのみならず水資源の開発は途上国ではこれからも必要です。砂漠の国は雨が少ししか降らないから、ダムを造ったとしても水は溜まらないから、水の再利用や海水淡水化の比率が高まっています。
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水の将来が心配になってくる
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中野: 海水の淡水化はとてもコストがかかるそうですが、今後市場は伸びるのですか?
高橋: 世界中の土地の六割が、砂漠か半砂漠地帯です。それらの地域にある国々では、今、一度使った水の再利用が盛んです。それと、海に近い国では、プラントを造って海水の淡水化事業を積極的に取り組んでいます。ですから国際的にみると、海水淡水化と再利用の分野で今後は市場拡大が進んでいくと思います。かつては海水淡水化は、非常に値段が高かったけど、現在は少しずつ値段が下がってきました。それで普及にはずみがついています。海水の淡水化で使う膜の技術は日本が断然優秀です。砂漠を中心に他の国々でも世界中で使っている膜技術のおよそ七割が日本製品です。それらが今後は有力な海水淡水化の水資源になるわけです。
こうしていろんな面から考えると、今はいくら日本が水に恵まれているとはいえ、将来的には本当に心配です。仮想水のこともあるし、世界的にどんどん使える水が少なくなっていくことを考えると、安閑としていられません。
心配は、最近日本列島の雪が減っていることです。雪国では昔から田んぼの代かきで使う水は、大部分が融雪水ですからね。東北北陸には「豪雪の年に不作はなし」と言われるが、それくらい融雪水が大事だということです。雪の害についてはかなり克服してきました。雪国のダムは季節をまたいで溜めた水を利用できるようにしているんですね。それが気候が変わり、降るべき所の雪が減り素早く溶けてなくなるようになると、夏に水不足になるんです。だからダムの役割の評価については、そういう点も踏まえていかないといけないですね。
中野: 本日は貴重なお話をありがとうございました。
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(参考)高橋裕先生 プロフィール
東京大学名誉教授 国際連合大学上席学術顧問
略 歴 1927年 静岡県興津町(現静岡市)生まれ 1950年 東京大学第二工学部土木工学科卒業 1955年 東京大学旧制大学院研究奨学生課程修了 1955年 東京大学工学部 講師 1968年 東京大学工学部 教授 1987年 東京大学退官 同年5月同大学名誉教授 1987年 芝浦工業大学工学部教授 1998年 芝浦工業大学退職 同年4月同大学客員教授 2001年 国際連合大学上席学術顧問
主な著書 「河川工学」、東大出版会(1990) 平成2年(土木学会出版文化賞) 「都市と水」、岩波新書(1988) 「地球の水が危ない」、岩波新書(2003) 「現代日本土木史 第2版」(2007)他
国際関係 1958年〜60年 フランス留学 1987年 東大退官記念シンポジュウム (南北朝鮮、中国、香港、台湾の水関係者招待) 1988年〜96年 ユネスコIHP 政府間理事会日本政府代表 1996年〜2003年 世界水会議理事
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(2010年5月作成)
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