別の雑誌に書評を書いたのだが、「だむかん」という小説がある。ダム屋ならすぐにそうではなかろうかと思うように、ダム管―ダム管理所のことである。表紙のカバーに洪水吐きの写真があるし、そうに違いないと思って、はじめのほうを読んでみると~、川の中洲でキャンプをしていて、ダム放流で押し流されて、家族や友人を失った生き残り二人のうちの一人で、もう一人は訴訟を起こしているが、私は自分の責任だと思っているという書き出しだ。
最近はダムの悪口をいうのが普通なのに、めずらしいことだと思って、これはノンフィクションなのか、評論なのかと思いながら読み進めたら、昨年、第25回太宰治賞をもらった小説だった。事故そのものはテレビでも実況放送された99年の神奈川県の玄倉川の事故にヒントを得ているようだが、あちらは貯水容量のほとんどない取水堰のようなものであったのに対し、こちらは高さ150メートルのアーチダムと立派なものになっている。
しかし、話はこの事故のことではなく、タイトルどおりダム管理所のことだ。ダム管理は地味な仕事だ。勤務地もたいていは辺りに何もない山の中だ。雨さえ降らなければ、ダム本体や機器の点検をしたり各種の測定値の整理をしたりしていればよい。ならば、必要なときだけ出かけていけばいいという話にもなるが、突発的な事態に備えるためには最小限の人間は配置しておく必要がある。ダムは使ってこそ意義があり、その中から計画のあり方や設計の問題点など、いくらでも考えることはあるのだが、考えるつもりがなければ、こんな退屈な仕事もない。
昨年のダムナイト3で、ウェブサイト「雀の社会科見学帖」の管理人夜雀さんが、09年10月の18号台風時の名張川の洪水調節の状況を動画にして見せてくれて、そのあまりの迫力につい涙ぐんだほどだったが、頭の中は別として、実際にはこれほどの迫力のある状況にはならない。管理所にいる人間が、俺はボタン押し屋にしか過ぎないと自嘲しながら漫画を読んでいるシーンがこの小説の中にあるが、やや誇張があるものの、こういう人も少なくないと思う。
Photo:夜雀 この夜雀さんの動画はダム協会のホームページ「ダム便覧」の「このごろ」の欄を見ると見つけ出せるので(動画+「ハイドログラフで泣いてくれ」)、ご覧になっていない方は、ぜひ見てほしいと思う。公開時の音声がつけられていないのがやや残念であるが、その代わり夜雀さん自身による「ハイドログラフで泣いてくれ」というすばらしい解説が付いているので、これは専門家を自任する人にも読んでもらいたいと思う。ハイドログラフをこれほど分かりやすく解説したものは、専門書にもあまりないと思う。
この名張川の洪水調節は結果として大変成功したわけだが、実は、このような操作を常に期待することには大きな危険が伴う。貯水池がいっぱいになったときに、予期しない次の出水があった場合、完全にお手上げになってしまい、場合によっては被害を大きくしてしまうことがあるからだ。予報技術が進んできたので、かなりの程度危険は避けられると思うが、神様運転は極力避け、できることならいくつかのパターンを作っておき、それに則って操作することがのぞましい。
(これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事の転載です。)
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