電気料金の請求書を見ると、「太陽光促進付加金」なるものを取られている。別に太陽光促進を頼んだ覚えはないのだが、否応なしに取られている。現在の首相を辞めさせるためには、何かまたこの手のものを大々的に払わなければならない法案を通さなくてはならないという条件をつけられているようだが、どうしてこんな恣意的な法案がまかり通るのだろう。
自然エネルギーを活用したいというのであれば、水力や地熱、風力もあるわけで、なにも太陽光に限る必要はない。わが国に最も適した発電方式は何か、それを真剣に検討したうえで、その方式を促進すべきであり、太陽光がいいなどというコンセンサスは得られているとは思えない。
われわれが生きる上で必要なエネルギーは、もとはといえば太陽から得たものを様々な形で利用しているに過ぎなくて、なにも太陽光や太陽熱を直接使うのが効率がいいというわけではない。バイオエネルギーと化石燃料を区別してみても、それは単にタイムスパンの差でしかない。何年前に植えた植物を燃やすのはいいが、何百年前、何万年前のはダメという理屈は、今後何年を見据えるかということを考えると、正当性があるとは思えない。
地球はこれまでも温暖化や寒冷化を繰り返してきたが、現在の温暖化が化石燃料を燃やしすぎたせいだという仮説にはあまり正当性がない。そもそもあと何年で石油は枯渇すると何回も脅かされてきたではないか。そうであれば、なんの施策をとらなくても、石油を燃やすことはなくなってしまうはずで、いずれ解決する問題をとやかくいうのは無駄なことだ。
ある仮説にとらわれてしまうと、周りが見えなくなる学者という存在は昔から大勢いて、それが学者というものの定義かと思えるくらいだ。近年ではダイオキシン騒動というものがあり、有史以前から行われていて、なんの問題もなかった焚火を禁止してしまった。それをまた法律(条例)にしてしまったから、迷惑極まりない。庭の焼却炉でゴミを燃すことまで禁止してしまったから、ゴミは増え、それをどこかに運ぶ車による排気ガスを増やしている。焚火によるダイオキシンの有害性は世界的にも否定されているのだが、条令のほうは未だに廃止されていない。ダイオキシン学者も口をぬぐっている。
それはともあれ、モンスーン地帯に位置し、世界有数の降雨量を誇るわが国で、なにゆえに水力発電を促進しようとしないのか。太陽光発電と同等の単価で計画してもいいというのであれば、直ちに設置可能な水力発電所の候補地はいくらでもある。
ソーラーパネルを設置する屋根も土地も持たないものから金を巻き上げ、比較的金に余裕のあるパネル設置者に補助金を出すなどという施策はとんでもない間違いである。今またそれを大々的にやろうとしているようだが、ソーラーパネルのメーカーが喜ぶだけで、電力の安定供給につながるとは思えない。太陽光発電は太陽が出ていなければ発電することができないというはなはだ質の悪い電力である。日本の平均日照時間からいうと、1年のうち2割強の時間しか発電できない。いくら値段を下げても、主力の電力供給施設にはなり得ないのである。
(これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事の転載です。)
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