団栗を懐に去るダムの人 (吉永貞志)
団栗という名の木は実際にはないが、この実を手のひらにのせて見ると、不思議と故郷のことが甦ってくる。昔から団栗は飢饉のときの食物であった。ところが、水没者にとっては、飢饉時とは、差異はあるにしても、ダム建設によって、ふるさとを去らねばならないことは、人生の一大事である。日頃、目にも留めない団栗、それを拾い上げ、懐に忍ばせて、去っていく。新たな生活に向けて歩き出す。
この句の作者は誰を対象に詠んだのであろうか。勿論、ダムの人とは水没者を指していることは確かだろう。ダムは紆余曲折を経て完成するが、そこには多くの人が関わってきた。ダムの企業者などにおける用地担当者、技術者たちもまた完成すれば去っていく。この人たちも団栗を拾って、ダム建設を偲んだかもしれない。団栗の実から芽が出て、苗木となり、新たな命が甦る。団栗はまた故郷を回帰させてくれる。
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