邑消えて桜吹雪が池に散る 川端定三郎 この句は、川端定三郎著『岡山のダム』(日本文教出版・平成6年)に収められている。 邑(むら)は、岡山県久米郡鶴田村(現・岡山市北区建部町)のことで、池は旭川ダムをさしている。旭川ダム(旭川第一ダム)は、旭川中流部、児島湾河口から約40kmの岡山市北区建部町に位置する。旭川ダムは、昭和26年に着手し、昭和29年に完成した。その諸元は、堤高45m、堤頂長212.0m、堤体積14.6万m3、総貯水容量5738.2万m3、型式は重力式コンクリートダムである。完成までには紆余曲折であった。
旭川ダム 旭川ダムの計画は、大正10年頃から発電を供給する河水統制事業から始まった。昭和9年9月の室戸台風の水害をうけて、計画が変更され、治水、利水の目的でもって、岡山県が着手したものの、世界第二次大戦による物資不足から、中止となってしまった。 戦後、電気需要の増大に伴い、旭川総合開発が立案され、治水、灌漑用水、水道用水、発電を目的とした、多目的ダムとして築造された。特に発電は、旭川ダム下流に、同時に竣工した旭川第二ダムとあいまって、行っており、岡山県の電力エネルギー源となっている。
旭川第二ダム 旭川ダムの建設によって、443にも及ぶ水没世帯は村を去って行った。今ではダムサイトの直下流は公園が整備され、桜も植樹されて憩いの場になっている。春ともなれば、桜吹雪に風情を感じる人は多いだろう。だが、故郷を離れていった人は、ダム湖に散る花吹雪に哀しさを覚えるのであろう。
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