県境を分かつダム湖や水澄める (坂井順子)
この句は、介弘浩司編『さわらび(744号)』(さわらび発行所・平成21年)に掲載されていた。作者は久留米市在住、ダムは筑後川の夜明ダムで、英彦山参り後、ダム湖に寄ったという。季語水澄めるは秋である。秋になるとあらゆる水が澄んでくる。ダム湖の水もまたひときわ美しく、透き通るように変化する。
筑後川は、肥後の国阿蘇を水源として143kmを下り、有明海に注ぐ。夜明ダムは、河口から64.5km地点の右岸大分県日田市大字夜明、左岸福岡県うきは市浮羽町三春地先に昭和29年5月に完成した。建設中に昭和28年6月筑後川大水害に遭遇している。九州電力(株)の発電用ダムであり、その発電用の水はダムから直下に落とさず管水路で導水しているので、ダム水路式と呼ばれ、700mほど下った国道386号沿いに円筒形の建物がみえる。ここが夜明発電所でその出力は12000kwである。ダムの諸元は、堤高15m、堤頂長223m、堤体積2.9万m3、総貯水容量405万m3、型式は可動扉付直線越流型重力式コンクリートダムで、筑後川における本格的なダムの誕生であった。
夜明ダム地点は、筑後川の上流大分県と中流福岡県を分かつ所で、前述のように右岸は大分県日田市、左岸は福岡県うきは市である。江戸期から筑後川は御境川と呼ばれていた。上流は肥後細川藩、豊後天領日田、中流は右岸筑前黒田藩、左岸は筑後有馬藩、さらに下流では右岸肥前鍋島藩、左岸は柳河立花藩の領域をそれぞれ流れ有明海にくだる。そのため土地と水をめぐる藩益の争いは絶えなかった。夜明ダム発電所の地点には、豊後と筑前における藩境を示すかのように筑後川水系境川が流れ込み、ここに湊が設けられ、日田天領の荷が筑前の舟に移し替えられていた。この句に詠まれているように、まさしく夜明ダムは県境のダムである。湖面からボートを漕ぐ若人のかけ声が聞こえてくる。
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