井川ダム底をあらはに榛の花 大坪貞子
この句は山田春生編『新編 地名俳句歳時記』(東京新聞出版局・平成17年)に所収されている。榛(はん)の木は、カバノキ科の落葉高木で、秋にできた蕾が、翌早春に葉に先立って花を開く。水田のそばに植えて稲架に利用する地方もある。
大井川流域の産業の発達は、まず金鉱石、木材であり、茶であり、さらに近代化をもたらした水力発電開発である。大井川水系の水力発電開発は、明治43年小山発電所から始まっているが、ダム技術の向上によって本格的なハイダムが築造されたのは戦後である。その最初のダムが井川ダムであった。
井川ダムは、大井川の上流の接阻峡入口に当たる静岡県安陪郡井川村井川(現・静岡市葵区井川)に水力発電を目的として、中部電力(株)によって昭和32年(1957)に完成した。これから高度経済成長が始まるときである。ダムの諸元は、堤高103.6m、堤頂長243.0m、堤体積43万m3、総貯水容量1億5000万m3、最大出力6万2000kw、型式は日本初の中空重力式ダム、事業費163億円、施工者は(株)間組である。井川ダムでは、井川村総戸数550戸のうち35%にあたる193戸が水没した。
昭和32年を振り返ると、白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫の三種の神器がもてはやされ、巷では、島倉千代子の「東京だよおっ母さん」、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」が流れていた。井川ダムの完成は、高度経済成長期に向けた象徴的な出来事であった。
|