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ダムインタビュー(74)
岡本政明さんに聞く
「ダムの効用を一般の人々に理解頂けるようにしたい」
岡本政明(おかもと まさあき)さんは,昭和45年埼玉大学理工学部建設基礎工学科を卒業後,建設コンサルタント会社である(株)新日本技術コンサルタントへ入社。以後およそ半世紀に渡ってダムの調査,計画,設計,施工管理,そしてダム運用など,ダム一筋の技術者として数々のダム事業に携わって来られました。
昭和のダムブームとも言えるダム計画ラッシュ時代を経験された岡本さんでしたが,平成13年2月に田中康夫長野県知事が発表した「脱ダム宣言」によって下諏訪ダムの中止という事態に直面することになりました。このダムの調査・計画に携わってこられた岡本さんは,頭が真っ白になり何とも言い難い気持ちになったとのこと。この時期を境にダムは大きな逆風を受けることになります。
さらに,平成21年に民主党政権が誕生すると,ようやく建設計画が進み始めたばかりの八ッ場ダムの事業中止が発表され,時計の針は50年も巻き戻されてしまいました。その後,事業仕分けの大義名分のもと全国のダム計画について,計画続行か中止かを迫るダム検証が行われます。こうした逆境の時代を経て,現在は
ダムカード
やダムカレーの話題がメディアに取り上げられる等,少しずつダムへの関心が高まって来始め,八ッ場ダムについても計画中止が覆り本体工事も着工されて急ピッチで施工が進んでいる状況です。
今回は,岡本さんにダムへの想いや,これからのダム事業のあり方等についてお話を伺って参ります。
(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)
土木へ進んだきっかけ
中野:
大学で土木を学ぼうと思われたのは,どういう理由からですか?影響を受けた事柄や人物はおられますか?
岡本:
父が機械屋,兄が建築屋,うちに同居していた男が化学屋,全員理系でした。毎晩,食事をしながら理系の話ばかりで,母には疎外感があったのではと思います。機械屋だった父の話は難しく閉塞感がありました。高校3年生の昭和39年に新潟地震が起きて,液状化現象や昭和大橋が落ちたというニュースがありました。私にはそういう分野が手薄に思え,これから必要だから,勉強するならそちらの方面がいいかとなんとなく思いました。
中野:
土木・地質系ですね。
岡本:
物を造るという事が好きだったので,機械か建築か土木かという中から,消去法で土木に進むことにしたのです。当時,高校の地学の先生が学会を通じて大学の先生方と交流があり,たまたま埼玉大学で新潟地震の液状化現象を研究する地盤工学の学科を設立するという話を聞いて来られ,興味を持ったのです。学部の設立準備には岡本舜三先生が関わっておられたそうです。実際に私が入学したのは,土木学科ではなく理工学部の建設基礎工学科です。
中野:
なるほど。ご家族の影響でなく高校の先生のお話からそちらに行かれたと。
岡本:
土木学科だと,橋梁工学,鉄道工学,河川工学という個別の講座があるのですが,建設基礎工学科にはそういうものはほとんどなくて,基礎的な土質,
コンクリート
工学,構造力学,水理学など土木に必要な工学科目と,理学,すなわち地質学,岩石学,岩盤工学,地震学という理学科目が半々の学科でした。だから理学部と工学部が一緒になって理工学部ですね。
中野:
研究室では,水理,構造,材料,土質,岩盤,基盤など総合的な勉強をされたということですね。
岡本:
はい。幅広く問題を捉えるというか,そういう物の見方をする。例えば,地震波については,今では当たり前にやっていますが,当時は余りしていなかったこと,平らなところの常時微動と崖のへりの常時微動は違う。そういう地形による常時微動の違いの解析をしていました。私の卒論は,堆積岩の上下方向の地震波の伝わり方と左右方向水平方向の伝わり方の違いについてでした。
就職はコンサルタントへ
中野:
大町先生に地震の研究の話をお聞きしたことがありました。卒業後,コンサルタント会社に就職されたのは,どういう理由ですか?
岡本:
それもまた消去法でした。行くとすれば公務員か,ゼネコン,コンサルタントか,もう1つは,理学をやっているので地質調査会社,大学院に行くかということでした。理学は凝り過ぎで面白くなさそう,公務員試験は落ちそうという感じがありました。当時就職は,理工学部の場合,大学の教授の薦めで大体決まっていました。就職担当の岡本舜三先生のところに面接に行ったら,コンサルタントがいいか,ゼネコンがいいかといわれ,体力に自信がなかったのでコンサルタントに行きたいと言ったら,いきなりその場で先生が電話を掛けてそれで決まりました。設計をして,自分で何か形をつくっていきたいということもありコンサルタントを選びました。
中野:
岡本先生が薦められたのは,どのようなコンサルタントだったのですか。
岡本:
岡本先生の姪御さんが嫁いだ先が(株)新日本技術コンサルタント(現・ニュージェック)の専務だったのです。いきなり岡本舜三先生が専務のところへ電話をされて,こんな学生がいるけど,使ってくれないかいという話をされ,すぐに決まってしまいました。家に帰ったら,会社からの内定の通知が自宅に入っていましたのでびっくりしました。
中野:
そういう時代だったのですね。
岡本:
今の学生のように就活などまったくせずに,3分か4分,先生と面談をして決まってしまいました。全く選択の余地はありませんでした。
中野:
ニュージェックの前身である新日本技術コンサルタントは,黒部ダムの技術者が集まって作った建設コンサルタント会社だと伺いましたが…。
岡本:
そうです。先生から,黒部ダムをつくった技術屋さんたちが設立した会社だからいいと思いますと言われ,すぐにダイヤルに手がかかっていました(笑)。
入社後,郡ダムの現場へ
中野:
即断即決だったのですね。その後,ずっと勤められることになるのですが,最初に配属された部署はどこですか?
岡本:
本社は大阪ですが,東京の陣容が足りないので,東京支社の配属になりました。入社式は大阪で東京へ戻ってきて席へ着いたら,いきなり午後から千葉県の郡(こおり)ダムへ行けといわれました。
中野:
新人研修もそこそこにダム現場の仕事ですか,どのように感じられましたか?
郡ダム(撮影:KAキ)
岡本:
行ったのは,千葉県君津の郡ダム施工監理でした。昭和45年当時は,高度経済成長期の真っ只中で,郡ダムは新日鐵が君津に移転してくるのでその工業用水を供給するダムでした。前の年に設計をしていざ発注というタイミングで測量ミスが見付かり,早速,構造物の設計のし直しになり,それを全部やれということでした。上司と2人で行ったのですが,その日に上司は帰ってしまい,私だけ一人残されてしまいました。
中野:
郡ダムは堤頂が長い
アースダム
ですね。再測量をして,設計ミスを直す。それを新入社員がひとりでやるのですか?
岡本:
今なら全然考えられないですね(笑)。今のような計算機がないから,タイガー計算機をしょって歩いて測量して回りました。すると
ダム軸
が38cmか40cmかずれていました。クランク型ダム軸で,
洪水吐
きがあって,
天端
に上がるカーブのある道路が交差しているので,高さ,長さが違う取り合い部の寸法が全部狂っていて,洪水吐きと取り付け道路の全てを修正しました。日帰りのつもりが1週間の出張になってしまいました。それから現場駐在をすることになり,千葉県の職員と一緒に郡ダム工事事務所にコンサルタントとして一人放り込まれてしまいました。群馬県から転籍されてきた山田課長さんがすごくいい方で,親切にご指導頂きました。残念ながらもう亡くなってしまわれましたが。
群馬県から転籍された ダム屋さんの指導
中野:
そうでしたか。経験豊富なダム屋さんと一緒に仕事をされたのですね。
岡本:
当時,千葉県では亀山ダム,片倉ダム,豊英ダムと急にダムを造ることになって,全然技術屋が足りない状態でした。一方,群馬県では,水力ダムは大体出来ていたのでダム工事の経験のある職員が一遍に十何人か千葉県へ転籍されたのです。工事事務所には職員が二十数人いてコンサルタントは私1人。プロの測量屋さんは別として,私が測量のリーダーになって,県の職員さんや,私より年上の人を使って測量することになってしまいました。土取り場の測量もできていない状況で,6月に業者が決まって入ってきて,夜に図面をつくり,昼間は測量や土質試験をして,雨が降ると図面を描きというような事を9ヵ月,翌年の3月までやりました。
厳しい現場で鍛えられた
中野:
そんな厳しいところが最初の現場だったのですね。将来ずっとダムをやろうと思われましたか。
岡本:
厳しいけれど,自分が徹夜で描いた図面を,翌朝,山田課長が来てチェックしてくれて,承認印を貰って青焼きしたら,横で鹿島建設の主任さんが待っていて,図面を持って走って行き,すぐに鉄筋を組み立てるという話で,絵を描いたものが翌週には現物になっているという繰り返しでした。だから,厳しい割には楽しかった。やり甲斐というか,リアルな達成感がありましたね。すでに時効なので言えますが,その頃の残業時間は延べ200時間近かったと思いますね。
中野:
すごいですね。その厳しい環境を乗り越えられたからこそ,ずっとこの仕事から離れられなくなってしまったということですね。
岡本:
そうですね。
アースダム
でしたからロックはないので,材料は土と砂だけです。千葉県には
骨材
となる石がなく,茨城から骨材を購入し
コンクリート
を製造し,トンネルの巻き立てコンクリートを
打設
しました。トンネルの中の構造物や
ゲート室
も配筋図面を描き,一通りやりました。エレベーターはありませんでしたが,殆ど全ての設計を経験したことになります。
大川ダムの岩盤試験
中野:
ニュージェックは,黒部ダムの技術者が集まって作った建設コンサルタント会社ということですが,どういう特徴がある会社ですか。ご自身もいろいろなダムに関わっておられますが,印象に残っているダムはありますか?もっとも苦労したダムは?
岡本:
大川ダムは,芦ノ牧
断層
という断層帯の中に計画されており,とてもダムが出来そうもない場所に造るということで,応用地質学の大御所でC H,C Mという岩盤分類法を決められた電力中央研究所の田中治雄先生が当社の最高顧問でおられたので,田中先生が建設省から呼ばれ,田中先生の会社にやらせたらいいのではないかということで,当社が設計することになったと聞いております。もう一つ,今は60cmの大きさのブロックで基準が決まっていますが,黒部ダムの岩盤試験では,どんな大きさのブロックが適当かということで3m,2m,1m,60cmと,いろんな大きさのブロックを造り,それでロックテストをやっている経験があり,岩盤試験に当社は強かったのです。私と上司は黒部ダムの岩盤試験をやっていた技術者2人に教えてもらいながら,4人で3週間ぐらい,横坑の中に入って
コンクリート
ブロックや,岩盤の切り出しを行い,
応力
をかけてブロックせん断試験やロックせん断試験を直接やりました。また大川ダムでは,粘土まじりの岩盤のダム基礎としての真の強度がわからないということで,姿勢制御せん断試験も行いました。
中野:
黒部ダムでそういった試験をずっとされていた人たちがいたというのは心強いですね。
岡本:
当社は,関西電力が主力部隊ですが,東京はその他にも電発のOB,北陸電力のOBもおられた混成部隊だったので,いろんな知恵を持った人が上司に沢山いたので,判らないことがあれば誰かに聞けば答えて貰えるような状況でした。当時の東京支社長は,黒部ダムで岩盤試験をやっていた総大将でした。
中野:
以前,足立紀尚先生にインタビューで,黒部ダムの剪断試験というお話をお聞きしたことを思い出しました。いろいろつながりがありますね。
大川ダム(撮影:Dam master)
岡本:
黒部ダムでやっていた技術屋さんが50人ぐらいいたなかで40何人が当社に来ています。約1割は本社へ戻って偉くなられましたが,一癖も二癖もあるような技術屋が当時,大川ダムを担当していました。
大川ダムの設計
中野:
大川ダムの
RCD工法
を経験されたということですか。竹村公太郎さんにもインタビューでお聞きしましたが。
岡本:
竹村公太郎さんは,昭和52年頃は,阿賀川工事事務所の開発調査課長でした。ダム基礎部に人工岩盤として大きな座布団のようなベースマットを
RCDコンクリート
で造ることになっていました。なるべくジョイントを造りたくないので,
温度応力
的にどれぐらいの長さまで許容できるかということになって,温度応力計算をして,最終的に90mぐらいまでだったらノージョイントでいけると判断されました。ダムは68mですから90mのベースマットを敷いて,その上に載せる。でも90mだと剪断力に余裕がないので,下流まで延ばして180mのマット
コンクリート
にする。ただし,90mのところで大きなスロットジョイントを入れる。その設計,計算の上から形を決めていくという作業を当社でしました。私は主としてマットコンクリートの必要厚さ,温度応力解析を担当しました。
基礎処理とグラウチング解析
中野:
計算が大変そうですね。
岡本:
これにはもう1つ,
温度応力
のほかに,
断層
帯ですから
グラウチング
が物すごく難しかったのです。黒部で
グラウト
を担当していた部長が直接設計をやり,一方では,小合澤さんが現場におられ,議論しながら,グラウト技術指針ではないような形のグラウチングをして,非常に苦労はしました。日々現場から上がってくる膨大なデータを速やかに処理するため,メーカー,専業者と共同で「グラウトデータ管理装置」の開発をしました。ちょうどその頃,七ヶ宿ダムのグラウチングテストの業務が同時並行で入ってきました。
七ヶ宿ダム(撮影:kazu_ma)
中野:
グラウチング
テストは,大川ダムから七ヶ宿ダムに受け継がれたのですね。
岡本:
昭和55年から大川ダムをやっていて,七ヶ宿ダムが昭和58年からです。七ヶ宿ダムの基礎は非常に柔らかい,軟岩というのか岩と呼べないような,新第三紀のもっと新しいようなところで,通常の注入圧力がかけられない。1kgf/cm2もかけると限界圧力が出てしまって,基礎が壊れてしまうようなところでした。じゃあどうしようかということで,普通の
セメント
だと1kgf/cm2以上かけないと入らないから,セメントを小さくしようと。
今は超微粒子
セメント
が普通にありますが,まだ当時は超微粒子セメントがほとんどなくて,辛うじて新日鐵の室蘭で作っていたのですが,七ヶ宿まで,仙台で荷揚げしてくると3日,4日かかり,風邪を引いちゃって,逆に粒子が大きくなってしまい困りました。
七ヶ宿ダムの湿式粉砕微粒子セメント
中野:
風邪を引くとは,水分を含むということですか。
岡本:
今はちゃんとビニールコーティングした袋に入っていますけど当時は紙袋でしたから。そこで上司が,
セメントミルク
をすりつぶすことを考えられ,新たな装置を開発しました。それは,すりこぎの様なものでなくて,セメントミルクと小さなパチンコ玉のようなものを洗濯機のような機械に入れて羽根で下から回して
セメント
をすり潰すというものです。普通のセメントではブレーン値,比表面積が3 700から3 800cm2/gですが,超微粒子セメントは5 000から1万cm2/gぐらい。現場では,さらに細かいのを造ろうというので,七ヶ宿ダムでは湿式粉砕機を使って12 000cm2/gくらいまで細かくし,圧力はとことん低くして,じわっと注入させるということをしました。
中野:
湿式粉砕セメントの使用ですか,いろんな方法があるのですね。
岡本:
当時,川ア専務が調査課長でした。岩盤内の注入状態は上からでは見えないので,「
バックホウ
でトレンチを掘って、中に実際入って岩盤を見れば確実にわかります」と提案したところすぐに「それをやろう」と,所長を含めて事務所が前向きでした。七ヶ宿ダムは苦労もしましたが,提案したことがすぐ採用され,結果,評価ができたので,とても面白かったです。2年に渡って
グラウチング
テストをしたのは七ヶ宿ダムだけです。
湯田貯砂ダムの設計のヒントは
中野:
岩盤内注入状態のトレンチ観察,上載圧注入試験,湿式粉砕
セメント
の使用と七ヶ宿ダムでは,いろんなチャレンジがあったのですね。他に印象に残ったダムはありますか。
岡本:
国土交通省の湯田ダムでは,夏に
洪水期制限水位
を下げてしまうと,上流端の緩斜面が全部裸地になって出てしまい,上流端に砂やヘドロがたまりやすい。しかも貯水位を下げるとヘドロがむき出しになってブタクサが生えて花粉症の原因になったり,移転家屋の土台が出てきたりする。そこで,対策として,夏に水位が下がっても上流端に池が残るように上流端付近の貯水池の中に,砂が入らないように,小さな
貯砂ダム
を造ることになりました。
中野:
そこで湯田ダムの貯砂ダムの設計をされたのですか。
湯田
貯砂ダム
(撮影:kei)
岡本:
そうです。湯田ダムはカスケード型でダムそのものは美しいのですが,貯水池の上流端は自然公園と運動場になっていて何とか一般の人々が水に親しむようにしたいという事務所の要望がありました。
貯砂ダム
で何かいいアイディアはないかと思って,たまたま前の年に国際会議でカナダに行った時に立ち寄ったナイヤガラの滝で,滝の水を観光用のトンネルの中から見る「後ろ見の滝」を思い出し,この際,貯砂ダムの中にギャラリーを設けて通り抜けが可能にし,大きな窓を開けて流れ落ちる水を後ろから見られるようにしてはどうかという提案をしました。はじめは,「貯砂ダムの中にギャラリーなんかつくった例はない、馬鹿もん」という話もありましたが,別に造っても構造上問題はありません。電気が来ないところなので,逆に明かり取りをつくればいい,下流側に穴をあければ,上には水が来ても,下流側には水は来ない。穴を開けるのだったら,大きくしようと,どんどん話が大きくなって,結局,貯砂ダムの上にひさしがあって,全部外がみえるものにしてしまいました。
水のカーテンが出来た経緯
中野:
あれは,水のカーテンのようにすごく綺麗に流れていますね。
岡本:
設計では,1ブロックに1本の柱を立てる形でしたが,景観委員会の議論の中で柱は邪魔だということになったようです。しかし,水が流れる先端部分が細くなっているので,低周波のボーという音が出てしまい,対岸300mぐらい奥に旅館街があるのですが,そこからクレームが入り,なんとか音をとめるために数年後にスタビライザーがつけられました。
中野:
水の音が問題になるとは,思わぬ結果でしたね。
岡本:
元々は,ところどころ柱をつける設計にしました。しかし景観委員会で,柱は邪魔と言われ,外してしまったので自励振動するようになってしまいました。河口堰も,メタルの
ゲート
は,水切りをつけて振動しないようにしています。
今では観光名所になった
中野:
今では「後ろ見の滝」ということで,観光名所になっていますね。
岡本:
そうですね。流れ落ちる水が滝のようになって,昨年,湯田ダム50周年記念事業で,トンネルの中から水のカーテン越しに7色の光を当て,ライトアップをして下流の橋からみると水の流れが綺麗に見えるので人気になっています。
中野:
設計の途中でいろいろあったようですが,西和賀町役場の観光課が
貯砂ダム
『湯田ダム 錦秋湖大滝(水のカーテン)』としてHPで大々的に宣伝していますね。
岡本:
設計もそうですが,穴を開けるということを思いついたのもナイヤガラの後ろ見の滝がヒントでして,最初は,相当怒られました。何考えているのだと。普通に考えたら,貯砂ダムに穴を開けるなんてとんでもない話ですからね。構造的には問題はないのですが,鉄筋が少し入りますが,くり抜いている部分だけ
コンクリート
が少ないのでトータルとしてはそんなに工事費はアップしてないです。
中野:
実際には,紆余曲折があって完成したのですね。
岡本:
貯砂ダムのギャラリーは自然公園の散策路へ直接抜けるようになっていて,ブタクサの花粉問題がなくなり,日本でただ1つの例ということで,話題になっています。
中野:
人が訪れるダムとして,オンリーワンの成功例ですね。
岡本:
設計している時は,大馬鹿呼ばわりされたりして大変でした。後になってみたら,たまにはこういうものを造ってもいいのではと思っています。
人のつながりが大事なダムの仕事
中野:
印象に残ったダムのことをお聞きしてきましたが,ダムの仕事をしていく中で大事にしてきたことはありますか。
岡本:
国交省のダム屋さんは他の業務分野より人数が少ないので,二度も三度も同じ方にお会いすることが多いのです。一番大切にしてきたのは,発注者である事務所の職員の方,所長も含めて現場の施工者の方々,メーカー,設計者の人間関係ですね。要するに,やりっ放しではなく,人とのつながりと信頼関係は絶対必要だと思います。一回失敗すると,この業界はなかなか戻れません(笑)。
中野:
そうですね。発注者,施工者,設計者とか,いろいろと連携してやっていかないと造れないですからね。
岡本:
コンサルタントは毎日現場にいるわけではないので,発注者と施工者だけで,図面の意図がわからなくても推定でやってしまう。下手すると,欠席裁判で「図面が間違っている」といわれるようなことがあります。それは勘弁してほしいので,CMED会とコンサルタントの年1回の交流会の時に,三者会議をやろうともちかけました。ダムの分野が一番最初に始めたのです。その当時は手弁当で交通費は自腹でした。後で図面を直せといわれるのは構わないですから。平成15年頃,私は建設コンサルタンツ協会でダム発電専門委員会委員長,大林組の三好さんがCMED会の会長の時,それまでCMED会は,国交省とか水機構とか土研と意見交換会をしていましたが,民間同士ではやっていなかったのです。それで民間の勉強会をやろうということで,第1回の議題が「ダムにおける設計意図の伝達について」でした。今では国交省のダム以外の分野でも,設計意図伝達のために三者会議をやることになっています。
中野:
そうですね。仕事の都合も多々あるので,勝手に決められるのは困りますし,民間同士で情報がないと,設計から直さなくてはいけないとなると大変ですね。
岡本:
建設費も工事費も高くなってしまうことがあります。例えば,我々はここまで掘削してほしいと,ある調査精度に基づいて描いても,実際掘削してみたら,予定深度,設計線より手前で非常にいい岩盤が出たとしても,施工する側は,ここまで掘れと設計図に描いてあるから,そこまで掘削してしまう。我々が頻繁に現場に行っていれば,そこで止めて貰える訳です。そうすれば掘削も少なくなるし,
コンクリート
も減るので,工事費の節減にもなるし,いい岩盤を傷つけずに済みます。
中野:
岩盤調査は大事ですよね。
岡本:
今はコンサルタントも地質調査する人,岩盤スケッチする人,設計,施工管理する人と分れてしまっていることが多いのですが,岩盤スケッチをして岩盤判定をする人と設計をする人が,別々の会社だったら,合同会議をして,掘削状況をみながら掘削線を変えていくべきだと思いますね。少し脱線しますが,日本の設計図はきちっと,豆腐を切ったようにダムの正面図が描いてありますが,海外の図面をみるとそういう風には描いてないのです。もっと大まかに描いてあるんですね。どちらかというと,それが正解で,豆腐を切ったようにかたい岩盤を一生懸命切るから,
グラウチング
施工側からいって岩盤を傷めてしまっているケースが結構あるのです。
下諏訪ダムと脱ダム宣言
中野:
そこは,CMED会との交流が出てきて三者会議ができるようになって良かったですね。時代が戻るかも知れませんが,下諏訪ダムの設計をされていた当時,脱ダム宣言を聞いた時はどのように感じられましたか?
岡本:
平成元年に下諏訪ダムを受注して,調査から設計,最終的な工事数量を拾って,積算まで終わって,平成12年度,これから発注というところまで行った時に,田中康夫氏が知事に当選されて,1週間後に浅川ダムと下諏訪ダムの予定地をみて,その夕方,中止という話になったのです。
中野:
突然の「脱ダム宣言」でしたね。
岡本:
唐突過ぎでしたね。いとも簡単に中止と言っておいて,その責任とらない方が多いですね。何ら根拠もなく,単に好き嫌いで計画中止とも捉えられること。特に長野の場合では,もうこれ以上ダムは造らないというので,ダムの目的はある程度は判ってやっているのです。
中野:
そうですよね。本当に要るダムと,要らないダムという感覚じゃなくて,これだけあるからもういいだろうという観念論だけですよね。
岡本:
好き嫌いだけです。ダムなどの公共事業を増やせば,お金が地元に回るということは判っていますが,知事の発想は,100%東京に持っていかれて長野県に何も残らないという勘違いをしているのです。8割近くは地元に落ちているはずで,実際,東京から行っている企業体の人間はせいぜい10人もいない。ほとんどは地元の建設会社で作業員の90%近くは地元です。そこに金が回るはずです。調べもしないで,思いつきで言ったのではないかと疑います。どこかの企業体の財務をみればわかるのではないでしょうか。
地元を守るダムが中止に
中野:
非現実的ですね。地元の人はひどく迷惑な話に巻き込まれてしまっていますね。
地元を守るというか,住民の安全を守るという大事なところが……
岡本:
砥川流域は諏訪湖へ入るところに医王渡橋があって,神社があります。そこは数年に1回洪水にあっています。諏訪湖の北に位置するダムは,反対も少なく,上社周辺のJR中央線の北側の洪水対策,下諏訪町の上水道,水質浄化対策を目的とした住民待望のダムだったのです。中央線が盛り土になって,2ヵ所しか道路がないので,ちょっと雨が降るとたまってしまう。もし下諏訪ダムを造らないのだったら,中央線を高架橋にして水が抜けるようにしなくては,中央線が仕切っているので町の水が諏訪湖へはすぐに出ないのです。今の砥川だけで出そうという考えなんですね。そういうこととセットで物を考えないと,住んでいる人はお気の毒です。
中野:
そうですね。毎回大雨が降ると洪水被害があって。
岡本:
河川堤防は狭小な地形のため,十分な流下能力をとれず
内水氾濫
のような形になっているのが現実です。それから,もう一つは,土砂がどんどん貯まるので天井川になっていて,諏訪湖は毎年浚渫しているんです。
中野:
下諏訪ダムは,地元を守る,住民を守る大事なダムですね。ところが,まだ計画が止まったままというところですね。
岡本:
下諏訪ダムの話も,やるべきか,やるべきでないかといったら,もしかすると環境省も,あそこには希少種がいるからダムは造るべきではないというかもしれない。そのかわりに,中央線を全部高架にして,下を通過できるようにしましょうという話がセットだと,沢山お金がかかるので,ここにいる希少種に一遍どいてもらって,できたらまた戻ってもらえばいい。例えば,貴重な植生があるとすれば,そういうことで解決できますよねということを説明すると,反対派の人は別として地元の人たちはわかる筈です。
中野:
本当にどうしてこんな目に遭うんだろうというところが,やっぱり申しわけないという気がします。
岡本:
反対派の人たちは,いわばプロですからね。これは理解しようがないです,何をいっても。
中野:
どこに行っても同じ反対派の人がいますね。それがどうして地元の意見になるのか不思議ですが。
岡本:
反対派の人たちの中にはあるダムで反対運動をして,次に別のダムへ行って反対運動をし,さらに別のダムに行っている人達がいる。そういう人達は特殊な人だということを,地元の人たちにも教えてあげなければと思いますね。
中野:
そうですね。最近は,だんだんそういう流れが判ってきた。いろんなところに出没して反対する人たちがいるのは,本当に困りますね。
ダムの広報について
中野:
ダムに携わる技術者の目から見て,土木事業や公共事業に対しての見方,考え方は変わりましたか?ダムについて,どうダムを広報していったらいいか。
ダム工学会
の会長やダムの設計に関わってこられた経験から,ご意見をお聞かせ下さい。
岡本:
前政権からの交替があって,今は国民も少し理解してきたのでは?と思います。例えば,八ッ場ダムを中止している間にも洪水が各地であって,もしかしたら要るのかもしれないということが判ってきた。ダムが嫌いな人,好きな人,ニュートラルな人の割合は,1:1:8ぐらいとすれば,そのニュートラルな8割の人に対して,第二地元民とも言われる反対派の人が先に彼らの情報を流してしまうから世論としておかしくなるので,ニュートラルな人たちに対して,最近ではダムファンの人たちが地道な広報活動,説明活動をして下さっているので,ニュートラルな人たちが何が正しいのかが判ってきていて,だんだん良くなってきたのかなという気がします。
中野:
そうですね。岡本さんも当協会のダムマイスター(専門家)として広報にご協力頂いていますが,ダムが一般の人にどうすれば,知って貰えると思われます?
岡本:
私自身は,ダムファンの方々が説明し切れないことに対して後方支援をしたいなと思っています。例えば,彼らとfacebookをやっていると,判らないことを聞いてきたりするので,私のところにはダム屋がいっぱいいますから,私の判らないことは他の人に回すとか。特に個別のダムで,あそこの
洪水吐
きはどうしてあの形なんですかという質問になると,関西のダムは私は判りませんから,設計図が当社にあれば,それを見て,これはこんな理由だよというのを教えてあげると喜ばれる。彼らも今度はそれをネタにして,さらに一般の人にイベントを通じて説明されているのだと思いますね。
中野:
ダムアワードで紹介されていますね。
岡本:
ニュートラルな8割の人,普通の国民は普段は別のことをしているわけで,いちいち目くじら立てて文句をいうことはありません。その人達に常識的に情報が行き渡ればいいなと思っています。正しくない情報を遮断するためには,こちら側から少し強目の正しい情報を先手先手で流していけばいいのではないでしょうか。
ダムファンを増やそう
中野:
そうですね。非現実的という話がありましたが,別に悪い事ばかりではないのでそういったところの誤解を解くことが大事ですね。
岡本:
それからもう一つ,ダムを見に来ている人が,ダムの看板を見て,管理水位って何ですかと,管理所のドアを開けて聞く人はまずいない。子供がお父さんに聞いて,お父さんも何だろうといって終わることが多い。そういう,お父さんの立場がない時に,私がやることとしては,「ちょっと失礼ですけど」といってお父さんに代わって説明してあげると,ファンが1人増えると思います。ダム見学するところへ行って,一般の人が疑問に思っていたら,管理所の人に声をかけて聞きましょうと伝えるようにしています。
中野:
ダム見学でそういった場面をみかければ,声かけは大事ですね。ダムは初めてという人は何もわからないので,こちらから説明をしてあげないと。
岡本:
ちょっと興味があってダムに来ている人に,もう少し後押ししてあげるとファンになってくれるのかなと思います。知られているようであまり知られていないダムの用語,効用を一般の人々に理解してもらいたいですね。
宮ヶ瀬ダムとの関わりについて
中野:
話が前後するかも知れませんが,岡本さんと宮ヶ瀬ダムとの関わりはどのようなものですか?
岡本:
脱ダム以前にもいろいろダム反対運動がありました。ダムに限らず公共事業へのバッシングが盛り上がる中,長良川河口堰の反対運動に対しては,当時,建設省開発課長だった竹村公太郎さんが,情報を全て公開すればわかってもらえるという発想でおられました。その延長線で,一般の方々にダムを身近に感じて,ダムの役割をよく知ってもらうための広報を宮ヶ瀬ダムでちからを入れておられました。私が宮ヶ瀬ダムに関わったのは,竹村公太郎さんが宮ヶ瀬ダムの所長の時でした。
中野:
竹村さんとは以前大川ダムでもご一緒でしたね。
岡本:
先ほどもお話ししましたが,大川ダムの設計で
温度応力
解析を担当した時にお会いしていました。宮ヶ瀬ダムが本体設計と工事仮設備計画の発注の頃,私が竹村所長に呼ばれて,よもやま話をしていたら,広報の話になって,「宮ヶ瀬は開かれたダムとしたい。何かいい知恵はないか」と聞かれたので,「ギャラリーというのは知らない人にとっては神秘的なので大きくして一般の人が自由に入れるようにしましょう」と提案しました。通常の2×2.5mだと1人がすれ違うのがやっとで,そこに計測設備等があると,すれ違いもなかなかできないので,この際,3×3.5mの大きめのダムギャラリーにという話をしたのですが,本省から「馬鹿もん」と怒られたらしいです。構造的に安定であれば問題ない訳で,空洞が大きくなる分
コンクリート
を打たなくていい訳ですから,型枠は大きくなりますが全体としては
コスト縮減
になる筈です。
大口径ギャラリーと大型エレベーター
中野:
岡本さんから見て宮ヶ瀬ダムの良かった点を挙げるとすれば,どんなところですか?
岡本:
大きめのギャラリーにすると,直接的には
グラウチング
の工事の速度が上がるというメリットがあります。ギャラリーはでき上がってからは計測のためですが,工事中はそこからグラウチングするので,2×2.5mの断面だと,1.5mのロッドしか使えない。ところが,3×3.5mの断面にしておくと,3mの長尺のロッドが使えるので,ロッド継が半分で済みます。施工者は嫌がるかもしれませんが,穿孔歩掛が,トンネルだと明り工事の1.2倍ですが,3.5mならば割増がなく,
コスト縮減
になります。
中野:
なるほど。宮ヶ瀬ダムは完成後にも使える工夫がいろいろとあったのですね。
宮ヶ瀬ダム(撮影:安河内 孝)
岡本:
宮ヶ瀬ダムの場合は,荒井治所長当時,
グラウチング
計画で旧指針に従ってダム高程度までパイロットを伸ばせと指示されました。ダム高は156mですから,最深部ではプラスアルファで180mとなっています。この穿孔を1.5mロッドでやると120回ロッド切,継をやらなきゃいけない。その代わりに3mにしたら半分になると言ったら,それはいい話じゃないかとなり,竹村所長があちこちに意見照会をしたら,問題ないということになって,結果として3×3.5mということになりました。また,エレベーターは小学校の1クラスが1回に乗れる大きさになっています。1クラス全員と先生と引率のバス会社の方が一緒に乗って1回の移動で下まで行けます。待たなくていいのですごくスムーズです。降りたら,そのままずっと2列になってギャラリー内を歩けるという訳です。そして出てきたところで
インクライン
を使って帰るという動線の設計をしました。
中野:
インクラインの後利用も含めて残しておいて観光用にしたということですね。
岡本:
この見学コースが出来ると,ダムは安全のため様々な計測をしているところを見学してもらえる。1クラスずつ行けば,説明するほうも楽ですし。ちょうど説明が終わった時に次のエレベーターで2組目が来るのでとても効率的です。
中野:
大きなギャラリーは他にありますか。
岡本:
ギャラリーとしては,宮ヶ瀬ダムのほかに日吉ダムがあります。機械搬入のために下流から入っていって
ゲート室
まで行く水平の部分が大きくなっています。
中野:
確かに大きくするといいですよね。
岡本:
しかし,施工している人たちからすると常識を外れている。確かに3.5mの型枠を支えるとすると,
打設
する時のパイプサポートが大きくいるので,その辺はご苦労をかけることになり申し訳ない気がします。
中野:
一長一短はあるとしても,後々見学できるところは良かったですね。エレベーターが広いから,下まで行って放流がみられるということですから。宮ヶ瀬ダムも湯田ダムも,後になって人を呼べるダムになって成功していますね。
再生可能エネルギーについて
中野:
既設ダムの有効利用について再生エネルギーの可能性をJAPICで検討されておられるとお聞きしたのですが。
岡本:
我が国のダムは,明治以降,最初に電力ダムが出来て,次に農林のダム,国のダム,県のダムが出来てきて,現在はおよそ2 700基になります。そのダムを,竹村さんが委員長のJAPIC水循環委員会で,何かいい知恵はないかということになり,仮に我が国の全てのダムを全部
水力発電
に出来たらどうなるかということをやってみたら,出力930万kW,324億kWHの発電の可能性が試算されました。つまり,我が国の水力発電量は現在の約2倍にまで増大することが出来る。再生可能エネルギーとして水力発電の可能性はとても大きいということが出来ます。ダムはストック効果が大きいので,一般の人にもこうしたことを知ってもらいたいですね。
中野:
なるほど発想の転換ですね。
岡本:
確かに奇想天外でそんなことがすぐにできるはずないという話があるのですが,最近国交省で発表された「ダム再生ビジョン」は,この考え方に近いと思われる記述があります。ソフト面から見れば洪水予測技術,
渇水
予測技術の精度も上がっているので,治水容量はここまで,ここが発電容量,これが工業用水というふうに個別ではなくて,ここの部分はある時は治水,ある時は発電として使っていくというような,容量の相互利用に関する研究(検討)が考えられます。これは,いわゆるダムの高度利用,ダム再生の考え方の1つだと思います。ハード面から見れば,堤体穿孔,
仮締切
施工法などの実績もあるで,ダム容量全部を水力発電というのは究極の話でそのままは実現しないと思いますが,それに近づける第一歩として常時は治水容量の一部分を水力に回し,必要な時には発電容量の一部も治水に使う。こうしたダブル,トリプルで貯水池を使うというやり方をしていって,Win-Winの関係にしていこうというプランが動き始めました。
中野:
既設ダムを最大限に活用する
水力発電
ですね。
岡本:
そうですね。原子力はもう少しは回復するかも知れないけど,火力発電用の化石燃料の輸入は毎年3兆円ということですから,少しでも水力で補うことが出来れば,経済的な負担が減るので良いのではないかと思います。また水力発電は,気象変化に対して安定した発電が可能ですから,発電が不安定な太陽光,風力等の再生可能エネルギーへの安定化にも大きく貢献することができるのです。
中野:
水力発電は純国産の自然エネルギーなので,ぜひダムや水力施設を活用してほしいですね。
岡本:
ただし,
水力発電
は初期コストが高いので,その問題をクリアしなくてはなりません。FIT(固定価格買取制度)で賄い切れないほど莫大なものとなるケースもあるのです。非常に小さい水力はいいのですが,中規模以上になってくると,初期コストが10億,20億という金額になってしまうので,民間ではとても出来ない。その辺を政府の政策で支援するようなことが出来ればと思います。
ダム再生ビジョン検討会に期待する
中野:
治水・利水でダムが果たしてきた役割を考えると,さらに既設ダムの有効活用の重要性が高まっていることが判りますが,今後のダム再生の方向性についてどのようにお考えですか。
岡本:
水力発電
を最大限にやっても,今の全発電量の20%いくかどうかです。先日「ダム再生ビジョン検討会」のヒヤリングにJAPICとして参加しました。そこで,国土交通省や資源エネルギー庁だけでなく実際に動くのは地方なので,地方整備局で地元の電力会社との意見交換,
河川管理者
と発電事業者の情報交換を推進するような意見交換の場ができるよう,政府と民間が協同して既存ダム等の施設を最大限発電に活用できるような枠組みの提案をさせていただきました。
中野:
先ほどもお話にでましたが三者会議のようなコミュニケーションの場は必要ですね。いろんなところにつながると思います。
岡本:
お互いが疑心暗鬼でどこか1ヵ所でも意見が違うとガードを固めてしまうので話が通じなかったことを,数を重ねて意見交換会をやっていけば話が通じてきます。お互いそんなに違うことをいっている訳ではないですからね。実際,意見交換会ではすごくいい意見が出ると思いますのでぜひ進めて欲しいと思います。
中野:
そうですね。少しずつダム再生ビジョンも進んでいけばダムへの理解も進んでいくのではないだろうかと思います。
ダムに関するコンサルタント業の将来
中野:
コンサルタントとしてのお立場から今後のダム事業を進める上での課題についてお聞かせください。
岡本:
ダム事業は一時と比べて,今は少し増えました。昔のようにダムは全部反対ではなくて,ダム検証でも8割近くがGOサインが出ました。少しずつ元に戻ってきたのではないかと思います。コンサルタントもゼネコンも,ホームページで丁寧に業務内容を説明しているので,最近の学生さんは,エントリーシートを書く時,この会社は何をやっているのかが昔より理解が早くなったと思います。
中野:
だから,将来についてそんなにめげるようなことではないなと。
岡本:
ただ,せっかく入っても辞めてしまう人も多い(笑)。私の部下でも結構辞めています。辞めた理由も,その3分の1が,仕事がきついという理由です。親に言われてとか,嫁さんに言われてとかいう話で辞めて公務員になってしまうことが多い。他のコンサルタントや,企業に行くよりも公務員になる者が圧倒的に多い。官庁側も技術者が足りないから,上限年齢を35歳くらいまで引き上げ間口を広くしているようです。特に地方公務員の場合は,転勤・出張は例えば東京都ならば奥多摩までですから,再就職には向いているのでしょう。
中野:
そういう意味での公務員人気もありそうですね。
岡本:
一番つらいのが,やめて公務員になった元部下が,発注者ですから甲乙の甲になり,我々元上司が乙になることですね。建設コンサルタンツ協会も毎年国交省や地方自治体と意見交換会をして,金曜日に発注して月曜日が納期という注文は絶対やめてほしいと要望を出しています。また,納期の平準化についても10年近く前から言い続けてきて,やっとここ二,三年で業務の平準化ができはじめました。以前は,納期が90%以上年度末の3月でした。それが,今では60%ぐらいに下がってきました。理想的には12分の1になってほしいですね。
中野:
年度末に納期が集中すると,コンサルタントの人は12月ぐらいから毎日徹夜とか。
岡本:
今,1月〜3月で50%。その前の9ヵ月で50%という目標でやりなさいという指示が国交省から出ています。年度初めにそのように計画されるのですが,設計変更だの,地元の調整がつかないだので,予定が遅れて,計画50%が実績60%ぐらいになっています。私の現役時代は3月に10日ぐらいは徹夜がありましたが,こうした改善があり,今では若い人は徹夜は非常に少なくなったと思います。
いろいろなダムを経験して
中野:
いろいろなダムに関わられておられますが,最も印象に残ったダムはどこですか。
岡本:
私は,現在まで,東北,北陸,関東地方のダムを中心に,ダムの調査,設計,施工管理,特に
グラウチング
の施工管理をやってきました。グラウチングの施工管理は,東北地方整備局のダムが多く,東北地方整備局のダム屋さんの約半分くらいの方の顔が判ります。今ではだんだん卒業される方が増えましたが。これらの地方以外では,近畿地方整備局の大滝ダムで,埋戻し材輸送用に,磁石輸送システムを提案,設計をしました。いまでもところどころ橋脚が残っています。そんな中で最も印象に残るダムは,福島県の木戸ダムです。木戸ダムは非常に残念なダムです。昭和48年に調査・測量から始めて,平成20年に完成。2年間だけ運用したところで,東日本大震災が起き,ぎりぎり福島第一原発から半径20km圏に入っているので退去命令が出て,
ゲート
もバルブも開けっ放しにして退去になっていました。避難指示の解除がこの4月に出たのですが,住民の方は2割しか戻っていないですね。水道と工業用水のダムなのですが,戻ってきた人たちが,木戸ダムの水を飲みたくないと言っているそうです。セシウム137というのは水に溶けずに沈降していくので大丈夫なはずですが,やはり心理的には飲めないのでしょう。
中野:
震災では木戸ダムも犠牲になってしまったのですね。他に印象に残ったダムは?
奥三面ダム(撮影:Dam master)
岡本:
奥三面ダムは,
アーチダム
ですが,設計して,施工管理,
グラウチング
解析もやりました。重力式,グラビティー,ロックフィル,
アースダム
をやりましたが,バットレス,ホローグラビティはやったことがありません。構造計算上は面白いとは思いますが,もう作らないですから,やりたいといってもできませんね。
中野:
バットレスとかは難しいでしょうね。保守も大変ではないでしょうか。
岡本:
保守は大変でしょうね。相当いい岩盤でないとできませんし,それを設計する人と,本当に安全かどうかという判断できる人がもういないですね。古い文献を調べればわかるかもしれませんが,手間ばかりかかるので,他の
型式
で造ったほうが早いのでしょう。
中野:
好きなダムはどこですか。
岡本:
やはり宮ヶ瀬ダムですね。それから,大川ダム。
フィルダム
部があって,グラビティーがあって,ロックテストを直営でやった思い出と,マット
コンクリート
のあるダムで,日本でも3つか4つしかない。
グラウチング
で苦労したということもありますが,苦労したダムも好きなダムになっていくのですね。
これからのダム事業について
中野:
ダムの長寿命化で維持管理や
再開発
に向かうと思いますが,これからのダム事業についてはどのようにお考えですか。
岡本:
維持・管理でいうと
堆砂
が一番の問題です。これからつくるダムは,構造的にとか,水量的に許せば,宇奈月,出し平ダムの連携排砂形式だとか,
濁水
を入れない旭ダム
清水バイパス
方式だとか,いろいろな形式が考えられますが,いずれにしても,あらかじめ堆砂の問題を検討しておく必要があると思います。通砂にするか,排砂にするかという話がありますが,まず維持・管理ですね。ダムは,100年でも1000年でも持つので,本体はいいですが,電気,計装類は何年かに一遍はとりかえなきゃいけない。近年維持管理費の平準化等の検討がなされていますが,丁寧に使えば何年でももつのがダムだと思います。
中野:
現状では,新規のダム計画はあまり期待出来ない状況となっていますが,我が国のダム将来像はどのように思われますか?
岡本:
気象変動の激化によって洪水被害が少なかった北海道,東北地方に昨年大きな災害が起こりました。こうした地方には,緊急にダムが新規に必要になってくるのではないかと思います。これから造るダムは,自然環境・社会環境の変化への対応が容易な構造にしておくとか,排砂,通砂,掘削除去などを考えメンテナンス負担の小さいものが望ましいですね。
中野:
本日は貴重なお話を有難うございました。
岡本政明(おかもとまさあき)氏プロフィール
昭和22年7月28日東京都 生まれ
昭和45年3月 埼玉大学理工学部
建設基礎工学科 卒業
昭和45年4月
(株)新日本技術コンサルタント入社東京支社勤務
(現,ニュージェック)
平成6年9月 仙台支店 技術部長
9年4月 東京本社 河川部長
13年7月 大阪本社 河川部長
15年3月 取締役 国内事業本部長代理
20年3月 常務執行役員 技術統括
23年4月 技師長
24年7月 特別顧問 現在に至る
【社外活動等】
(土木学会)
昭和63年6月〜平成10年5月
コンサルタント委員会幹事
平成10年6月〜13年5月
コンサルタント委員会幹事長
(建設コンサルタンツ協会)
平成9年6月〜19年5月
技術委員会委員
10年6月〜19年5月
技術ダム発電専門委員会委員長
17年6月〜21年5月
情報部会委員
17年6月〜26年5月
常任委員会委員,
対外活動委員会副委員長,
白書委員会副委員長
(
ダム工学会
)
平成15年5月〜21年5月 評議員
23年5月〜26年5月
理事,副会長,
編集委員会副委員長
26年5月〜27年5月 会長
26年5月〜現在 顧問
[関連ダム]
郡ダム
大川ダム
七ヶ宿ダム
湯田ダム
宮ヶ瀬ダム
木戸ダム
奥三面ダム
(2017年12月作成)
ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、 までお願いします。
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