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ダムインタビュー(87)
足立敏之氏に聞く
「土木の人間は全体のコーディネーターを目指すべき」

 足立敏之(あだち としゆき)先生は,昭和54(1979)年,京都大学大学院工学研究科交通土木工学専攻修士課程を修了し建設省に入省。その後,土木技術者として兵庫県庁への出向を経て,玉川ダム工事事務所等で現場経験を積まれた後,宮ヶ瀬ダム工事事務所所長に就かれます。その後は平成21(2009)年に四国地方整備局長,平成23(2011)年中部地方整備局長,平成24(2012)年国土交通省水管理・国土保全局長等を歴任し,平成25(2013)年に国土交通省技監に就かれます。
 平成26(2014)年に退官された後,平成28(2016)年の第24回参議院議員通常選挙において当選。


現在は参議院国土交通委員会理事,参議院災害対策特別委員会理事,自由民主党国土交通部会長代理,国土強靭化推進本部事務局長代理,災害対策特別委員会事務局次長を兼任。
全国各地で災害が発生すると直ちに現地に向かい,被災地の皆さんの声をお聞きして直ちに復旧復興の支援,さらには制度創設・改定や予算確保など土木技術者としての経験を活かした政策立案に取り組んでおられます。また公共工事品質確保に関する議員連盟事務局長代理としても取り組まれ,建設産業再生に向けて,精力的に活動されています。

 皆さんご存じのとおり,本格的ダムマニアであり,道の駅マニアでもあり,地方を回る際には,ちょっと寄り道してダムを見に行ったり,道の駅で地のものをお土産に買ったりされております。

 防災・減災や国土強靭化といった観点から,ダムや河川改修に関連する話題及び近年の激甚化する豪雨被害への対応策や,老朽化した道路,橋梁をはじめとするインフラの点検改修,コロナ禍により大きく落ち込んだ経済の立て直し,さらには特にダムマニアとしてのお考え等についてお話を伺って参ります。

(インタビュー:中野 文・編集・写真:事務局)

土木とのかかわり

中野: まずは土木との関わりをお聞きしたいと思います。大学で土木工学を選ばれたのには何かきっかけがあったのですか?それとももともと土木がお好きだったとか。

足立: 子供の頃一時期,京都に住んでいたことがあったので,いずれ京都大学に行きたいという希望がありました。高校では理工系クラスにいたので,工学部の航空工学か建築に行きたいとまでは考えていたのですが,どちらに行こうか最後まで決められずにいたのです。結局,2月の節分の日,願書を持って,当時住んでいた和歌山から京都大学まで出しに行きました。その朝,たまたま見ていたNHKの「スタジオ102」という番組に,工事中の関門橋の現場が映っていました。巨大な吊り橋を海の上に掛けていて,「自分も、こういう仕事がやれないか」と思ったのです。その時ヘルメットをかぶった技術者の人がインタビューを受けていましたが,聞いていると「最新の土木技術」とか言っている。もしかしたら土木工学科に行くと,こういう物が造れるのかと思って,決めかねていた学科を土木工学科にしたのです。

中野: 初めは橋梁だったかもしれませんが,土木のどんなこと,どんな分野に興味を持たれていたのですか。

足立: まず大きな構造物を造るという技術に魅力を感じました。モノづくりですね。自分のやった仕事が,地図に残るというようなことをやってみたい。橋を造って,九州と中国,本州が結ばれれば人の役に立つ,漠然とそういう事をやってみたいと思ったんだと思います。

中野: では,就職される時に具体的にどの方面に行こうと思いましたか。

足立: その当時は大学に残るという発想はなくて,4回生になった時にはゼネコンに行こうと思っていました。ちょうどオイルショック直後で大不況の真ん中,就職難の時代になっていたので,すごく勉強はしました。結局,履修科目の平均点が4回生後半には,上位の方になっていました。その成績を活かしてゼネコンに行こうと思っていたら,景気が悪くて採用枠がなく,先生からは公務員,大学院を薦められたのです。この時どちらも受かったのですが,もう少し大学にいようと思って大学院に行くことにしました。

中野: 大学院に進んで次の就職の機会をみつけようと…。

足立: 酷い不況で,行きたかったゼネコンには全く求人枠はありませんでしたから。

ダムとの関わり

中野: 大学院を終えて,建設省に入られてからすぐに兵庫県に出向されたのですか。

足立: 結局,ゼネコンに行けずに,役所に行くことにしたのですが,当時は建設省の新人の3分の1ぐらいは県庁に出向,3分の1ぐらいは建設省の現場に行って,残りの3分の1ぐらいは土木研究所(研究機関)に行くという感じでしたね。この時代,最初の4年間でうち2年は県庁,2年は国の出先という感じでしたが,その国の出先をスキップして,そのまま本省に戻りました。本省の3年間は,ダム建設を担当していた河川局の開発課で係員を1年,係長を2年やりました。係長の時には,竹林征三補佐が上司,その後,後任の脇雅史さん(前・参議院議員)のもとで,ダム工事積算基準の改定をやったのです。その経験を活かして玉川ダムの現場事務所に出させていただきました。

様々な経験をした玉川ダム


玉川ダム(撮影:ダミアン華魔堕)

中野: では,その玉川ダムのことをお聞きします。初めて本格的なRCD工法で造られた高さ100mのハイダムですが,以前,別の方のインタビューでお話をお聞きした時,当時は,RCD工法が実用化されたばかりで,まだ現場で施工するというのは難しい時期だったとお聞きしていましたが。いかがでしたか。

足立: 初めて本格的に導入される技術ですから,誰も経験がない。ですから恐る恐るです。玉川ダムにその道筋をつけたのは下村周さんという建設省の大先輩です。以前,当時開発課長であった廣瀬利雄さんが,下村さんがいるので玉川ダムはRCDでやったとおっしゃっていました。
当時の東北地方建設局は反対だったのですが,なんとかやることになりました。下村さんの後任は原田譲二さんで,私は原田さんに玉川ダムに呼ばれたと思っています。

 RCD受け入れを決めた時の所長は下村さん,調査設計課長が柳川城二さんでした。柳川さんの後は,ちょっと間があいていて,半年後に私が工務課長で行ったのです。行ってみて分かりましたが,RCD工法の発注というのは,当時,全国どこのダムでもやっていませんでした。玉川ダムの本体1期工事の発注は,従来型の柱状ブロック打設を前提に発注されていて,工事は進んでいた訳です。ですから,支払いベースはその内容になっているので,本体2期工事の発注タイミングで施工方法をRCD工法に変更しなければなりませんでした。

中野: 工事が始まっていた途中から工法変更になったのですか。今,考えるとすごいことですね。

足立: ええ,大掛かりな改定作業ですから,それは大変です。さらにダム工事積算基準も変更になっていて,歩掛りをやめて工数にするとか,間接費とかそういうのは全部,率化するとか,極めて斬新な,今日的な積算基準に変わっていたのです。実は,その改定を私が係長として担当していたのですが,その頃,そういうやり方で本体の工事発注をやったダム現場は全国に一つもありません。

 初めてやるのが玉川ダムだったので,部下たちは「こんな新しい基準なんか使えない、1期工事はこうやって発注しているのに、2期工事の中身はどうするんだ」と文句がでました。結局,1年間工務課長をやって,なんとか本体2期工事の発注をやり遂げました。なお,その後1年弱は調査設計課長をやりました。

中野: 工務課長をやった後に調査設計課長になられたのですか。

足立: そうですね。事務所の序列では格下の調査設計課長になって,RCDの打設を1リフト75cmから,1リフト1mに上げるのを担当しました。一方,当時の玉川ダムにはいろんな新しいプロジェクトが進められていました。その1つが酸性水対策です。上流に強酸性の玉川温泉があったので,それが影響して下流の水が酸性化していました。昔はそれを薄めようとして,田沢湖に導水したら田沢湖も酸性化してしまい,生息していた固有種のクニマスが絶滅してしまい,随分と悪者にされてしまいました。近年,さかなクンがクニマスの国内での生息を確認して,一躍脚光を浴び世間の注目を集めましたね。そうしたこともあって酸性水処理施設をダムに付随して建設するということに取り組んでいました。また,下流側にある鎧畑ダムが,古くなっていて放流能力が小さいので,玉川ダムで開発した都市用水の水量をそのまま流すことが出来ないので,新たに放流管を新設するというプロジェクトも行っていました。これは既設ダムの堤体に穴を空けて,新たに放流管を設置して放流設備を設けるという,日本で最初のダム再生事業でした。私はその調査を担当していたのです。

中野: 初プロジェクトがいくつもあって,すごいですね。


足立: 玉川ダムでは,結果的に多種多様な仕事をさせていただきました。この時の再開発事業についてはその後本省の局長の時に「ダム再生」というネーミングにしました。それまでは「ダム再開発」といっていたのですが,名前をつけ直して「ダム再生」にしました。

中野: 最初のダム現場でいろんな経験が出来たということですね。

足立: そうですね。


現場所長に出る前に経験したこと

中野: 玉川ダムのRCDの施工では,ダム現場の合理化施工を経験されたと思いますが,次は宮ヶ瀬ダムの現場に所長として行かれたということですね。

足立: 平成4年9月からですね。

中野: ここではRCDを本格的にやろうということになったかと思いますが,宮ヶ瀬ダムの現場において,田代民治さん(JV所長)と,足立先生(国交省所長)で取り組まれたことをお聞かせください。

足立: 私は玉川ダムの後に東北地方建設局の企画部に行って,さらに国土庁にも行きました。それから建設省開発課に,平成2年4月に戻り,ダム担当課長補佐をさせていただきました。その時は長良川河口堰問題が噴出していて,課長補佐としてそちらも担当していたので,2年半ぐらいの間はとても大変でした。

中野: そうでしたか。

足立: 当時は,長良川河口堰だけはなく,八ッ場ダムだとか,揉めているダムのプロジェクトがいくつかありまして,反対運動も大変な事になっていました。役所にいるからには,とにかく前向きに進めていくという仕事をしていたのですが,その後,湾岸戦争があって,国内では反対運動も少し小康状態になった時に,現場所長に出してもらったのです。

 私は,同期の仲間からすると所長になったのは大変遅いです。ずっと異動が凍結されていた感じです。その時の局長は近藤徹さんで,豊田高司開発課長,竹林開発調整官,竹村公太郎建設専門官。その後,荒井さんが開発課長になられた時に宮ヶ瀬ダムの所長に出させていただきました。

宮ヶ瀬ダムの所長として

中野: そうでしたか。宮ヶ瀬ダムに行かれた時はどんな状況でしたか。


現場で指揮する足立所長


足立: 着任したのは定礎式が終わった直後で,全体200万m3のうち50万m3は既に打設が完了していました。その時点から引き継いだのです。私としてみれば,RCD工法は2つ目ですから,ある意味集大成だと思っていたのです。しかし,行ってみたら実は思っていたのと大きく違っていたのです。というのも玉川ダムでやっていたRCDと比べると,かなり異なったことをやったりしていたので,現場JVの田代さんをはじめ,いろんな方と意見交換をして,修正すべきところはやり替えました。
 宮ヶ瀬ダムは鹿島建設が主体でやっており,川治ダムというアーチダムの現場にいた人たちが移って来ていましたが,玉川ダムをやっていた人は余りいない。つまり,RCDを経験していないから,アーチダムのやり方で造ったりしているところがある訳です。すでに50万m3も打っていましたが,そこでやり方のせめぎ合いが始まったのです。毎月定例会議をやりますが,それは技術的な議論をする会議であり,工程についても議論するし,技術的な課題は全部そこで両トップが議論して決めていくという場です。私が行った時は,田代さんはまだ副所長でしたが,田代さんと議論を重ねて本体コンクリート打設完了の時期を半年程度前倒しすることができたのもそうした場で真剣に議論した結果だと強く感じています。それにより,様々なやり方を変えることが出来たと思います。

中野: そうなんですか。RCDがまだ新しい技術だからこその課題があったのですね。

足立: 先程も申しましたが,私は長良川河口堰の担当もやっていたので,反対運動の洗礼を直に浴びました。
 その時の経験を踏まえ宮ヶ瀬ダムでは,一般に向けてのPRに力を入れました。宮ヶ瀬ダムは神奈川県民の大切な水瓶ですから,宮ヶ瀬ダムが出来ないと他県から水道水を貰わなくてはいけなくなる。人口が増えているので自前の水源がある方が絶対に良いので,宮ヶ瀬ダムへの理解を深めていただくための広報に取り組みました。神奈川の人が宮ヶ瀬ダムという名前を聞いたら,あの大きなダム,行ってみたいダムだと思ってもらえるような広報を進めました。そういう点では田代さんとも問題意識を共有することが出来,一生懸命協力して広報活動に取り組みました。

現場をひとつにするイベントを

中野: なるほど。スムーズに造ろうとしても人手がいるし,現場の人たちの気持ちが一つにならないと出来ない事ですよね。

足立: 最初に現場に行った時は,みんなが一致団結してという雰囲気には必ずしもなってなかった。そこから,色々な工夫と提案,広報も積極的に取り組んで,なんとか現場を明るくして,雰囲気を良くしていこうと取り組みました。途中からはみんなが本当に一体となって,一日も早く造ろうというようになれたのが良かったと思います。

中野: そういったところで田代さんの協力があってうまくできたというところもあるのですね。工事現場で,ウォークラリーとかコンサートとかをやったというのもその頃の事ですか。


フーチングウォークラリー

足立: コンサートもやりましたね。私が発案したのもありますし,ウォークラリーは鹿島建設からの提案でしたね。

中野: 一般の人が,現場を歩いて見て回ることが出来たのですね。ダムの工事現場というのは専門家だって隅々まで見られるのは珍しいのに,まして見学者を入れる前提で工事をするとなると,とても気を遣って大変ですよね。

足立: 一般の人に堤体打設面の上を歩いて貰ったり,フーチングの階段を上ったり,堤内仮排水路トンネルを歩いていただいたり,考えたらもう無茶苦茶ですよね。冷や汗もの(笑)。一方で宮ヶ瀬ダムは作業員の皆さんをすごくケアしながら,建設工事を進めました。現場作業員のためのコンサートを企画したり,レクリエーション用のイベントを実施したり,年賀状をお送りしたり。

中野: 年賀状は所長連名で出されたというのを聞きましたが…。
足立: ええ,田代,足立連名で出しました。

中野: 現場の人を大事にするという目線がないと出来ませんね。宮ヶ瀬ダムにある記念碑が私は好きです。ダム建設に従事した方,全員の名前が刻んであるじゃないですか。これは,すごいことと思います。

足立: この碑は,私が所長の時からずっと言っていて造ってもらえました。最初に,思ったのは,発注者も受注者も全ての人の名前を全部あいうえお順にしようと言っていましたが,出来上がったのを見たら,発注者と受注者は分けて書いてありました。

中野: ちょっと残念でしたでしょうかね。

足立: ただ,発注者も受注者も両方書いてある碑は,多分,全国でここしかないと思います。大分川ダムが同じような発想でやっていましたので嬉しかったのですが,碑は発注者・受注者,別々だったと思います。

宮ヶ瀬ダムは インフラツーリズムの原点

中野: ダムは,出来る前から,地元の観光資源にもなるという良いお手本ですね。今では,ダム現場の広報のために力を入れていて,施工中でも一般の人に現場を見せるようになって来ましたね。

足立: 宮ヶ瀬ダムは,神奈川中央交通というバス会社にお願いをして,宮ヶ瀬ダムの現場内に路線バスを走らせました。一般の人が,路線バスで展望台まで行って,二百何十円払って帰る。そうするとどんどん人が来てくれると思って取り組みを進めました。

中野: あれは足立先生の仕掛けだったのですか。

足立: 所長の時にお願いしました。路線バスにすると視察の人数が桁違いに増加しました。私の時には,月間1万人とか,そんなオーダーを目指していたので,路線バスにしました。ですから,最終的に年間10万人以上宮ヶ瀬ダムに観光客が来ました。


宮ヶ瀬ダム(撮影:copter)

中野: 私は以前,土木学会のイベントで「黒部ダムVS宮ヶ瀬ダム」というのを企画して大勢の方に来場して頂きました。あの時のコンセプトは,年間100万人の観光客を集めるダムというので,山奥の黒部ダムと都会に近い宮ヶ瀬ダムを色々な側面で比較し,それぞれも魅力を出し合うというものでした。

足立: 宮ヶ瀬ダムは黒部ダムを超えるつもりで造っていましたよ(笑)。だから,工事用インクラインを後々,観光客を乗せるケーブルカーに使えるように,工事後には転用可能なようにあらかじめ考えてました。

中野: どう実現されたのかなと思っていました。革新的な考えの方が思い切ったことをしないと出来なかっただろうと…。

足立: 先輩方が地元にいっぱい約束をしていたのでそこはもう腹据えて取り組みました。今は,社会見学で小学生も来るし,ドライブやデートコースにもなっています。都会に近いという強みがあるから,皆さん見に来てくれます。

中野: 観光資源になっている宮ヶ瀬ダムはインフラツーリズムとしても先駆者で,その頃から沢山の人を集めることが出来ていてすごいですね。

八ッ場ダムは宮ヶ瀬ダムがお手本

足立: 八ッ場ダムに対しても宮ヶ瀬ダムがお手本だという自負があります。八ッ場ダムの現場の人達に話しをしてくれというので「宮ヶ瀬ダムはかく造りき」というパワーポイントを準備して,単にダムを造るだけじゃなくて,現場も地域も一体となってダム造りを進めるという気持ちになってやって欲しい,特に広報には力を入れて,こんな工事をやって,これだけ大きなものを造っているというのを直接見て,実感し,理解していただくことの大切さを現場の方々に,1時間位レクチャーしたことがあります。

中野: 足立先生が実体験として説明したのですか。

足立: 丸々1時間,熱く説明しました。もともと八ッ場ダムの前哨戦が宮ヶ瀬ダムという認識が,関東地方整備局の中にはあったので,そういう意味では,思いはきちんと引き継がれていったんじゃないでしょうか。

中野: 宮ヶ瀬から八ッ場に思いが引き継がれたのは良かったですね。しかも,八ッ場ダムは令和元年,夏の台風の時に一晩で満杯になって洪水を止めました。令和の奇跡…。反対運動が長く続いた結果,二転三転した結果ですからね。このことに関して,足立先生はどのように八ッ場のことを思っておられますか?


八ッ場ダム(提供:国土交通省 関東地方整備局)
足立: 私は,民主党政権から自公政権に戻った時の水管理・国土保全局長です。その時は,太田大臣の下で局長をやっていて,八ッ場ダムの建設に向け動かそうと考えていたのです。実は,八ッ場ダムを動かすというのは,太田大臣の前の羽田大臣,さらに羽田大臣の前の前田大臣の時代にかじを切っていたんですが,前田大臣の時は民主党政権で,八ッ場ダムはやらなくてはならないと大臣ご自身がいわれていたのですが,うまくいってなかったのが実情でした。民主党政権下では,反対の立場の人が色々と横槍を入れてきて,なかなか着工まで行きつけなかった。焦ってやってもうまくいかないので,慎重にいくというのが太田大臣の方針でした。大臣室では,「足立、分かっているだろうな、八ッ場ダムは相撲で言う、すり足で行け。一歩一歩着実に進めて行くんだ。無理に一気に前へ出たりするな。慎重に、慎重に」と言われ続けました。

八ッ場ダムの奇跡

中野: 八ッ場ダムは,紆余曲折ありましたが,利根川の氾濫を防いだことで,その効果は絶大でしたね。

足立: 平成25,26年で,本体発注をやり直しました。そのおかげで,令和元年の出水に何とか間に合って八ッ場ダムの効果で,首都圏が洪水から免れたというのは素晴らしい事だと思うし,快挙だと思います。あの時,私は国会で質問しています。野党議員に向かって「八ッ場ダムがちゃんと出来たから利根川が守られたんだ!」と,言葉は乱暴になりましたが,本当にそう思って主張しました。地元の人たちに迷惑を掛けたのに,最後は台風の豪雨に何とか間に合った。ホントに良かったというのが正直なところです。

中野: 確かに,一番分かりやすかったです。試験湛水前,一番空っぽの時でしたからね。

足立: ただ悲しい現実もありました。「奇跡の八ッ場、悲劇の川辺川」でした。ダムが出来なかった川辺川のある球磨川では,令和2年の豪雨で沿川の60人以上もの人が亡くなっています。

中野: そうですね。ちょうど同じような頃に,熊本でも豪雨があって,死者が出てしまった。川辺川ダムについても,今は少しずつ違う感じになってきたのではないでしょうか。


足立: 川辺川ダムについては,流水型のダムに変えて計画は一歩ずつ進んできています。この流域の安全のためには川辺川ダムをやるしかないのですから。

中野: 相変わらず洪水被害がすごく出ているとなれば,やはり舵を切り直さなければいけないですね。

ダムアワードへ参加する

中野: ダムのことに関して,ダムの活躍を顕彰するというイベントの「ダムアワード」。1年間のダムの活躍を振り返って,ダムマニアさんたちがノミネートしたダムを投票で選んでいくというイベントがありますね。




足立: ずっと私は行ってますよ。

中野: 最初はお台場のカルチャーカルチャーで始まり,今は渋谷に場所が変わってしまったのですが,一般の方にダムの役割や効果がわかりやすく伝わることについてはどのような感想をお持ちですか。

足立: ダムを顕彰するというのは,とても良いことだと思います。ダム関係者としては,ありがたいことだと思っています。
 私は,八ッ場ダムでも,宮ヶ瀬ダムの時の色々なアイデアを思い出してもらって,地域の人とか,ダムマニアの方々にも参加してもらって,皆さん一緒になってダムを盛り上げて,造っていくというのが大事だと思っています。

中野: そうですね。現場で造っている人が頑張るだけじゃなくて,地元の人,ダムが好きな人,いろんな人に入って貰って,様々な経験が出来るということは,それ自体に価値があり,情報発信していって貰えると,ダムってこういう大事なものというのが分かって貰えますからね。

足立: 私たち役人は伝える能力が低いというか,思いが強過ぎて伝わらないというか,そういう面では向いてないのでしょうか。第三者的な見方でダムに対する愛情も持って頂いているダムマニアの方にダムの話をしてもらうというのはすごく大きいことだと思います。

中野: 全くその通りですね。

足立: ダムアワードを見ていると,洪水調節の話とか利水の話は国交省の役人でもあのように上手に話せる人はいないと思います。いつもこの人たちは,本当にただのマニアなのかと思いながら聞いてます(笑)。

中野: 専門家が話すよりも詳しいというか,自分がまず理解しようということで勉強するから,一般の人に分かり易い。噛み砕いて話されてますね。

足立: すごいと思います。

ダムの写真は自分で撮る

中野: ダムに興味があるので気持ちが乗って,たくさん調べられているので,普通の人にも分かりやすく伝わるというところがありますね。足立先生はダムマニアとしても,いろんなダムの写真を撮られていますね。SNSの「ダムを行く」というのを拝見しましたが,全部ご自身で撮られたのですか。

足立: 自分が撮ったものです。ダムが好きですし,ダム愛があります。

中野: 足立先生は,ご自身で沢山写真を撮られているので,現場の魅力を伝えるには,やはり写真の力はすごいと思います。飛行機から撮られている写真は良いですよね。ダムは地図に残る仕事なので,空から見てみるとまた違いますよね。

足立: 私は,飛行機に乗るときは,窓際の席でずっと窓の下を見ています。頭の中には日本地図が入っているので,川がこう流れている時は,今下にあるダムは,何ダムのはずだと思って見ています。

中野: 飛んでいる時間経過で,大体この辺にダムがあるなというのが分かるのですか?

足立: 頭の中にはダムの地図がありますから(笑)。

中野: それはすごいですね。私も飛行機に乗った時には一生懸命に下を見ているのですけど,なかなか分からないです。

足立: 私は子供の頃から地図をずっと見ている少年だったんです。いわゆる地図マニアとでも言いますか,地理マニアかな。


ダム空撮
地球温暖化とダムの役割

中野: ダム愛を前提に,地球温暖化のことについても,足立先生のお考えをお聞きしたいと思います。

著書がありますが,その中でも温暖化に絡んでの防災・減災ということを考えなければというのがありますが,実際にどのような取り組みをされてこられたのかというところをお聞きしたいです。

足立: 私が地球温暖化問題に関わり始めたのは,河川計画課長の時だから,平成20年ぐらいです。IPCCのいろんなレポートが出始め,温暖化が脅威だという話を聞いて,水管理・国土保全局としてしっかり検討しなくてはいけないと初の委員会を立ち上げて検討を始めた訳です。


そこでは,温暖化の影響で日本でも雨の降り方が大きく変わってきていて,今世紀末にはこの位まで雨量が増えそうだという試算を発表し,対策としてこんな事をすべきという一応の結果は出せたのですが,残念なことに,そこで民主党政権に交代してしまった。時の国交大臣は前原大臣で,彼は利根川に対する基本方針を変えて,洪水流量を減らし,計画の対象雨量を減らせば八ッ場ダムは要らなくなるので,そういう方向に政策を切り替えようとした訳です。立ち上げた委員会もやめざるを得なくなり,せっかく取り組んだ温暖化対策は頓挫してしまいました。世界をリードしていたのに,結局大きく遅れをとってしまいました。後になって,もう一度立ち上げたのは,私が局長になってからです。

中野: そんな事があったのですね。

足立: もともとは,河川計画課長の時に,それまで難しかった河川整備基本方針の策定に取り組み,球磨川,淀川,木曽川,それらに全部取り組んで,全国109水系の河川整備基本方針を再構築しました。その時にまとめた治水対策はもう効果がなくなっています。それ位,雨の降り方が変わって来ているので,これは全国的に一斉に見直して,温暖化の進行を先取りしたような,河川整備基本方針に変えなくてはいけないと考えて,取り組もうとしたのですが,結局出来ませんでした。だから今,あちこちの川で計画を超えるような規模の洪水が起こっています。

中野: そうですね。

足立: そういう洪水が実際に起こったら,できる限り早く河川整備基本方針を切り替えて,必要な施設の配置とかも考え直す必要があると思います。その時にダムの必要性が出てくる訳です。

中野: 温暖化対策の一環としてダムを計画に含めようと…。

足立: 要は,現状に即した考え方の中にダムを置こうというものです。実際,川は町の中を流れている訳だし,そこで川幅を広げることはほとんど無理ですから,出来ても川底を掘るぐらい。さらに海に近い下流部では,川底を掘っても流れないので,そうなるとどうしても上流に少しでも水を貯留する施設を造る必要があるのです。そこで,新設ダムが難しければ,既設ダムの再生をやり,洪水調節能力を高めることが必要だと考えていたのです。ただ,当時の民主党政権下では,なんでもダメだというので,「ダム再生」という名前に変えて,なんとか生き延びさせようと思っていました。

 私の思っていた「ダム再生」というのは,実はダムの再開発だけじゃなくて,建設も“再び生まれる”という思いを込めて「ダム再生」にしていた。いずれにしても,そういう意味で地球温暖化対策を考えていく中で,ダム,遊水地も含めて,河川の上流部に少しでも水を溜める施設が不可欠になると思っていたのです。

中野: そうですね。少しでも流下時間を稼ぐという事で,洪水被害を少なくするという,減災に対応する施設は,非常に分かりやすいと思うのですが,そのために日本に約2 800基ダムがあって,これを有効に使わない理由がない。嵩上げとかの再生や,堆砂の除去等もあるとは思うのですが,大事なインフラなので長く使っていって欲しいと思います。

日本のインフラは世界一流ではない

中野: インフラ整備についてお聞きしますが,インフラ投資や維持管理について,日本は世界でも有数のレベルと思っていたのですが,現状はどうでしょうか。

足立: 今,国会でも問題にしていますが,この20年,25年ぐらい公共投資をおろそかにしてきたツケが出てきてしまっているのです。欧米には当然負けているし,韓国にも負けているような貧弱なインフラになってしまっています。それは大問題ですよ。

中野: 過去にせっかく造ったものに対して,きちんと維持管理をしないでいるのが問題ですよね。造ったら造りっ放しという側面もあるのではないですか。

足立: これまでずっと,予算が削られ通しだったから,そうなってしまった。平成10年頃は15兆円位あった予算が,民主党政権の最後の野田内閣では,4.6兆円ですから,3分の1以下になっている訳です。新規の大規模事業,ダムだとか高速道路とかバイパス,そういったものは全部やめても,全体で3分の1ですから,維持管理する予算すらない訳です。そんな状況にしたので,日本は次第に荒廃していった訳です。我々国交省OBが協力して『荒廃する日本 これでいいのかジャパンインフラ』という本を書いたのはそのためです。



携わる人自身が大きな展望を持つこと

中野: 高度成長期の時は,どんどんインフラ投資も出来て日本はよかったのでしょうが,その後のフォローが出来てないのではと思いますね。今,土木に関わる方々は心配されていると思います。今は国会で色々御活躍だと思いますが,これからの5か年計画のことについてお話を聞きたいと思います。これからのインフラ整備の着実な進め方について,どのような話になっているのですか。

足立: まずその前に,インフラ投資,いわゆる公共事業に関しては,世の中ではそれ程大事に思われていないという事をご理解頂きたいです。つまりバイアスがかかっているマスコミによって情報がゆがめられているので,国民の皆さんがその必要性をストレートに感じられない。そんな状況になっていると思うのです。例えば,こんなに大雨が降って大変な水害が起きているのに,ダム建設をやらないのかとか,治水対策やらないのとか,そういう声が広まらない。誰もがまさかうちの地域ではそんなことにならない,と思っている人ばかりです。つまりは他人事。日本全体で,公共事業予算をちゃんと増やして,そういうことに対する予防措置を取らなくてはいけないという方向に進まない。では,それで困るのは誰かということですが,直接被害を受けてみないと,そう考えることが少ないのです。

中野: そうですか。厳しい闘いが続いていくという感じですね。

足立: 昔のように5ヶ年計画や10ヶ年計画という大きな枠組み,将来ビジョンをしっかりつくって,取り組んでいくことが大事だと思います。今,谷口博昭土木学会会長も学会でビッグピクチャーをとりまとめ提言するといわれてますが,ぜひやらなくてはいけないと思います。

中野: そうですね。そうやって声を上げてくれている人がいないと,だんだんと国土が衰退してしまう心配がありますね。

足立: 土木については,携わる人自身が大きな展望を持つことが必要だと思いますね。


土木技術に関わる若手技術者に 向けてエールを

中野: 今は,コロナ禍で働く人の環境も大変ですが,これから土木に関わる若者に対してのエールという意味では,重要な視点になるかもしれないですね。足立先生は,土木をどのように盛り上げていったらいいのかということを伺いたいと思います。

足立: 大事なことは,自ら展望を持って欲しいということです。第12代神戸市長の原口忠次郎さん,私の大学の大先輩でもあります。その方が,本四架橋の構想を練っておられ,施策を市議会に提案したのですが,議会から激しく批判され「市長は白昼夢でも見ているのではないか」,「そんなことは国に任せろ」などの声があがったと言います。それに対して,「人生すべからく夢なくしては叶いません」と市議会で答弁され批判の声を抑え込んだと聞きます。つまり,人間は夢というか,ビジョン,そういったものを持って,皆が共有していかないとうまく行かない,何でもそうだと思いますが,大きなビジョンを共有してこそ成し遂げられるものがあるということですね。

中野: そういう視点はとても大切ですよね。

足立: もう1つ,土木に携わる人間は,何をしなくちゃいけないかいう問いに対して,初代の土木学会会長の古市公威さんが言っている事ですが,「指揮者を指揮する人、即ち、いわゆる将に将たる人を要する場合は、土木において最も多しとする」と。つまり,土木には,指揮者を指揮する,将をまた指揮するような,人を束ねるような人物が重要だということです。要は,土木というのは総合的な学問,総合技術だから,「いろんな学問を束ねて、それで成立しているのが土木なので、土木の人間は全体のコーディネーターを目指すべき。特定分野のスペシャリストを目指すのではなくて、ゼネラリストを目指して、それで社会に貢献していくことを考えなくちゃいけない」という事です。私も以前から思っていますが,先程の夢を持てとか,ビジョンを共有するとか,そういう事にも通じることだとは思いませんか?
実現させたい新たな政策について

中野: なるほど。そう考えてみると,これからの土木の世界を支えてくれる若い技術者にはもっと沢山来て貰いたい。しかし,余り人気がないというのも実情です。何か対策というか,土木の魅力をどう広めていけば良いのでしょうか。現場の皆さんから魅力ある現場であると感じられることはありますか。


西松・岩田地崎・岩倉特定建設工事共同企業体
平取ダム工事現場

足立: 今も,魅力ある現場はいっぱいあると思います。先日,北海道の平取ダムの定礎式や栃木の南摩ダムの定礎式に行きましたけど,いい現場だなと思いましたし,やはりそこにいる人が大きな要素になっているような気がします。魅力ある現場にしている人は,リーダーシップがあって人をまとめる能力もあると思います。

中野: 建設業というのは,縁の下の力持ち的な存在で,大事なものだというのはみんな分かっているのでしょうが,若い人にはもっと希望を持って飛び込んで来て欲しいですよね。
足立: 建設産業というのは社会を下支えする役割だけど,災害が起これば,真っ先に頑張って復旧・復興に当たらなくてはならないし,普段から街づくり,地域づくりの担い手,としての役割を果しており,人々の暮らしに対しては,物すごく重要な役割を担っている訳です。にもかかわらず,その産業に志を持って入って来る若い人が少ないというのはやはりアピールの仕方がまだまだ少ない,きっと現場に入って来てくれれば分かってくれるんじゃないかとみんな思っているのでしょうが,そこに至るまでのきっかけがない。そういう意味では,きっかけの1つになるかと思い,「いいね! 建設産業 本当の魅力」という本を出版しました(笑)。

新刊本 「いいね! 建設産業 本当の魅力」

中野: 2022年2月28日,出たばかりですね。「いいね! 建設産業 本当の魅力」(日経BP社)ですか。どんな内容ですか。

足立: 最先端の現場と,そこで使われている最新技術の紹介はもちろん,青函トンネルや黒部ダム,本州四国連絡架橋等,歴史的なプロジェクトを振り返り,カーボンニュートラルや環境配慮の工夫,AI活用,そして女性の活躍といった建設業の今についても網羅的に紹介している本です。この本は,少しでも建設産業の魅力に接することが出来たら,この業界に入ろうと思う人も増えるのではと思ったからつくることにしましたが,それは男性だけじゃなくて,女性も含めて土木の魅力について,いいね!と思ってくれる若い人を増やそうという気持ちもあって制作することとしました。

いいね! 建設産業 本当の魅力

中野: 表紙には,エッセンシャルワーカーとも書いてありますけど,インフラに携わる重要な仕事だということ,その魅力,そこの現場にいる人たちの輝いている様子を伝える本なんですね。

足立: そうだと思います。それを学生だけじゃなく,ご両親等にもご理解頂きたいのです。「うちの息子は、屋外で働くようなところに出したくない」という話はよく聞きます。今はもう少し変わってきているはずですが。
中野: 私も成瀬ダムの現場に何回か行っていますが,自動化施工の現場としてはIoTやDXの最先端ですし,川上ダムは町の近くにあってタワークレーンが活躍してます。ダム現場でタワークレーンを試せると,ダム以外の建設現場でも使えます。ダム現場は大きくて魅力的ですし,総合土木と言われますが,まだまだ発信力が足らないのでしょうか。

足立: ある意味,自分で満足しているのかも知れませんね。

中野: 相手の声を聞くことも,伝わる力になると思わないといけないのですね。
現場の魅力を伝えたい

足立: この本に出ている現場は,どこもみんな魅力的ですよ。黒部だけじゃなくて,国立競技場もそうだったし,昔に造った色々な現場だって,みんな誇りを持って仕事をしていたと書いている。この原稿は皆さんに分担して書いてもらっていますが,私の現場はこうだった,もっとよく話を聞いてください,これは日本一だったのですよと,現場の魅力というものを精一杯書いておられます。ですから,現場の良さ,土木の働き甲斐の真実に目を向けて欲しいのです。

中野: これは足立先生が原稿をまとめられたのですか。

足立: いや,私はこういう本を作ろうと言っただけでして。私が直接書いている訳ではないです。今回は冒頭の「はじめに」のところにちょっとした思いは自分で書いていますけど,少し関わっているぐらいです。

中野: なるほど。でも,そうやって発案して,賛同してくださる方々がいらっしゃって,それで,こうして3冊,4冊と重なってきたという…。

足立: これまでに出した3冊も,読者の皆様には結構お褒めを頂いているので,またやってみようかと思ったのですが…。

中野: 取り組み姿勢がすごいなと思っています。バイタリティーがあって。うちの方でも,今,足立先生のご著書『水害列島日本の挑戦』を参考にさせて頂いて,ダムの本を編集真っ最中でなんですけど…(笑)。

足立: ダムの本が出るのですか?私もダムの本をいずれ作ろうかと思っていたので,次の参考にさせてください。

中野: 本当ですか。ぜひご協力をお願いします。

 もう少し,新刊本のことをお聞きしても良いですか。

足立: この本は,今まさに言われたように,若い人たちに建設産業のこと,土木の仕事というものの魅力を知って欲しいという思いでまとめたものですが,建設産業というのは,だいたいは一面的にしか捉えられていないという思いもありました。職種にしても色々ありますし,いわゆる上流から下流まで様々なものがあります。調査,設計業務から施工もあって,最終的には維持管理,運営業務まであるし,様々な局面において,いろんな面白い仕事があって,そういうのを君たちも1回やってみませんか,そう誘ってみたいというのがそもそものコンセプトです。

中野: 「日経コンストラクション」に載っていたようなものもありますね。

足立: 「日経コンストラクション」と一緒に作っていますから,誌面で載せた内容も出てくるのです。もちろん新しく書いているのもたくさんありますが,再掲記事のような部分もいくつかあります。

中野: そうなのですね。渋谷の再開発もあるし,身近にある土木という感じがしますね。

足立: 本当は宮ヶ瀬ダムも入れたかったけど入りませんでした。関わった人がいっぱいいて,混乱してしまうので(笑)。八ッ場ダムだって入ってない。

中野: そうですか。ではダムはどこが入っているのですか。

足立: ダムでは,黒部ダムが入っています。

中野: ラオスのナムニアップ1もあるのですが,私現場を見に行きました。インタビューした時に,ナムニアップはすごいから,第二の黒部と言われる位にすごいと。

足立: 関西電力は第二の黒部と言えるプロジェクトになるとおっしゃってました。私も2回見に行きました。1回目は工事中に行って,RCCはどう造っているのかを見て,完成してからしっかり運用できているのを確かめに行きました。


ナムニアップダムの現場視察
ダム屋の国会議員として

中野: 国会議員としての視察じゃなくて,土木技術者としてですか?




足立: 技術屋としては,当たり前ですが。私は,ダム屋として行ってきました。

中野: 先生はご自身でダム屋だとおっしゃっていますけど,ダムにはトンネルもあり,道路も橋もあり,そしてダム本体があり,本当に総合技術だと思います。そういうところが分かっている人が現場を見に行かれるということは,実際に現場で仕事をしている方達にとっても良いことだと思いますね。
足立: 土木には創生する力があると思っています。そして,さらにその上の創生力を持ったプロジェクトがダムだと思っています。と言うのも,移転住民の方に向けて,付け替え道路は造るし,移転先として新たに町を造ったりすることもあるし,単にダムという構造物を造るというだけじゃなくて,そこに住んでいる方達の新しい生活を創生していくことにもつながる。その社会を支えることになるのだと思っています。

中野: そうですね。ダムを経験することで土木技術者としては,トンネル工事もありますし,橋や道路,全ての分野の仕事が出来るので,仕事の幅が広がりますからね。

足立: 一人の技術者が色々な事を全てやらなくてはいけないから,一部の分野のスペシャリストじゃだめで,これはJVの皆さんもそうなんですが,総合的に技術を磨かないとやれない。田代さんがあそこまで力を入れてやって頂いたというのは,すごいと思います。もしもJVの所長が「俺は土木でこれだけやればいいんだ、本体だけ造っておけば良いんだ」という人だったら,宮ヶ瀬ダムはあんなふうにはなってない訳です。

中野: 色々なところの人の気持ちが分かり,色々な知識ももちろん要りますし,大きなプロジェクトだから,技術者としての総合力がないとやはりだめだと思いました。

現場への期待を込めて

中野: このところ豪雨被害が目に付きます。それにかつて大量に建設した橋梁等,インフラの経年劣化も進んで来ています。今,対策を怠るとどうにもならなくなるというのも分かっているとすれば,何とか強い日本を造っていかないといけない。今は,コロナで疲弊して,少子化で疲弊して,温暖化で疲弊してというのでは実現しません。国会での足立先生のご活躍を期待します。

足立: ナムニアップのやり方なんか見ていても,日本式というのは優れていると思います。ダムの造り方でも,韓国や中国の会社には真似の出来ないような生活再建対策工事をやったり,ダムの周辺整備をやったりして,格段に違う質の違うプロジェクトを行っています。そういう部分はもっとアピールしていって,様々な技術をパッケージにして海外に進出していったら良いと思います。日本にはそれが可能だし,必要だと思います。皆さんしっかり取り組むよう,お願いしたいと思います。

中野: そうですね。工夫出来るところはもっと工夫して,海外でもダム事業をやって行けると技術継承の面でも有意義だと思いますから。ぜひお力添えをお願いしたいと思います。

 お忙しい中,お時間を頂きありがとうございました。やはりダムの事をよくご存じの方ならではの発想といいますか,若い技術者にも役立つヒントを頂けて良かったです。明るい現場で明るく仕事ができるように今後とも宜しくお願いいたします。

足立敏之(あだちとしゆき)先生 プロフィール
昭和29(1954)年兵庫県西宮市生まれ(本籍地 京都府福知山市)
48(1973)年和歌山県立桐蔭高等学校卒業
52(1977)年京都大学工学部 交通土木工学科卒業
54(1979)年京都大学大学院修士課程修了
建設省(現 国土交通省)入省
平成21(2009)年四国地方整備局長
23(2011)年中部地方整備局長
24(2012)年水管理・国土保全局長
25(2013)年技監
26(2014)年国土交通省退職
28(2016)年第24回参議院議員通常選挙 初当選



国会議員としての主な役職
(参議院)
国土交通委員会 理事
災害対策特別委員会 理事
決算委員会 委員
(自由民主党)
国土交通部会 部会長代理
国土強靭化推進本部 事務局長代理
災害対策特別委員会 事務局次長
(議員連盟)
公共工事品質確保に関する議員連盟 事務局長代理 など
(著書)
「激甚化する水害」(2018)
「荒廃する日本」(2019)
「水害列島日本の挑戦」(2020)
「いいね! 建設産業 本当の魅力」(2022)

(各刊とも日経BP発行)

[関連ダム]  玉川ダム  宮ヶ瀬ダム  八ッ場ダム
(2022年5月作成)
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