工事請負人の庄右衛門が五日前に、高井戸に現れた。八人の測量衆を指揮して村のあちこちを測り、次々に標識の杭を打っていく。「今日は仮の測量じゃ。御上水の候補となる道筋を探っておる。ここが水路と決まったわけではない」 そう言って測量を続ける真っ只中に、源次が猛然と飛び込んで行って問い詰めた。 そうして名主の杉山家が上水路にかかることを知ったのである。志乃は隣村へ出かけていて留守であった。 源次は、詰問する前から水路の道筋を見抜いていたようだったと、居合わせた卯之吉は、志乃に語っている。村人たちが驚き、他の誰の家と誰の畑の上を通るのかと詰め寄ったとき、測量衆が源次に襲いかかった。 源次はひどく殴られ蹴られ、頭と肩に傷を負った。血を流して倒れた源次を、かれらは縛った。「この者、関東郡代の陣屋にて預かる」 捨て台詞を残して荷車に乗せて連れ去った。
水路の断面図である。「水路の幅は上流の羽村で広く、下流に行くに従い狭くなる。水に勢いをつけるためじゃ。この図は水路の断面を平均値で描いてある。ここ高井戸は四間だが全水路を平均すると幅は六間となる。三十六尺。水深は平均四尺。これを掛けて断面の体積を出すと、百四十四立方尺だ。つねにこれだけの水量を流す。実感しにくいかも知れぬが、江戸数十万の命を守るには、この水量が必要なのじゃ。これほどの水量を支える懸樋や築樋は、今の技術では築くことができぬ」 吉兵衛は天を仰ぎ、人々は呆然と顔を見合わす。「そこで公儀としての願い、過酷なること承知の上で申し渡す。高井戸は、家屋敷を潰される七軒、主たる名請地の畑を失う五軒、合わせて十二軒。谷の北側の、この地を代替地と定むるゆえ、引き移り、新たに高井戸新田を開発してくれい。地味、開墾の可能性、全ての条件においてここが最良と見た。我々はあらゆる援助、便宜を図る」 半左衛門は、ここまでを言い切った。そして、吉兵衛と他の名主達の顔を、一人一人、確かめるように見つめる。ややあって、吉兵衛が尋ねた。「御公儀の援助は」 伊奈半十郎が前へ出た。「御上水の道奉行として、また、地方支配の関東郡代として申す。鍬下年季は三年。三年諸役不入とする。三年間、年貢を取らず、公儀への奉仕も免除じゃ」「三年、でござりますか。谷の北に移り、諸役にも出ず、未開の地をひたすら開墾する」 吉兵衛が身を震わせて、半十郎を見上げる。「そうじゃ。各々が開墾に精出し、各々の地が物成りを生ずる田畑となったときその田畑を、開墾したる者の名請地として登録する。」「暮らす家は」「家屋敷の建替え賃は、一件につき金五両」「五両」「食料は、米一俵宛。種籾、肥料等は、必要に応じ無利子にて貸し与える。これが精いっぱいの手当てじゃ」 半十郎の一言ごとに、声が挙がった。安堵は微塵もなく、不安と苦悶の叫びと聞こえた。それは志乃自身の呻きでもある。 −−−この杉山家が、消えて無くなる。思い出のいっぱい詰まった、あの蔵も書庫も。わたしの辛夷の木も。