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1.用地補償業務は感情労働か
本来、働くことは辛いことである。人間は働くことが嫌いであって楽をしたいものであるが、生きていくにはそうはいかない。 労働には、「肉体労働」、「頭脳労働」、「感情労働」の3つに分類される。このなかの「感情労働」という言葉は、「自分の感情をひたすら押し殺して、相手に合わせた態度と言葉で対応する。きびしい自制心を求められる仕事だ。」(平成19年6月12日付朝日新聞・天声人語)とある。さて、用地補償業務は、どの労働にあたるのだろう。立竹木・建物等諸調査では肉体労働、補償要綱に基づく補償積算では頭脳労働、そして被補償者との交渉では感情労働の仕事といえる。用地マンは常に3つの労働のなかで仕事をしており、退職後もダム水没移転者とのつながりはなかなか消えない。
2.集団移転地の物件
用地マンOBの話であるが、あるダム水没移転者から次のような相談を受けたという。その人は20年程前に大規模な代替地に集団移転した。最近、ある事情で代替地の物件を売らざるを得なくなり、街なかの申し分のない土地と物件を不動産に依頼した。ところが全然買い手がつかない。「手ごろな価格で買ってくれる人はいないか」と。このことは移転地物件の売買の流通の少なさを物語っているが、何故このような現象が生じるのだろうか。
代替地における生活再建の対策については、 ・ダム現地でのズリ上がり方式による集団で移転する。 ・個人で探して個々に移転する。 ・そして大規模な代替地造成による集団で移転する。
一般的に、用地担当者は苦労しながら代替地・集団移転地を提供する。そのことは、従前の水没地内の生活におけるコミュニティの継続にあり、地域共同体の構成員である水没者の相互に生活・支援し合う関係を維持することにあるからだ。寄り合いや、祭り、子供会の行事等もこの移転地内で行われる。
ところが、このような集団移転地内での生活のなかに、他の住民が移り住むことは極めて困難である。そこには水没者の生活コミュニティが既に形成されており、他の人が移り住んで生活を共にすることは大変な違和感が生じてくる。逆に、周囲からは水没者移転地としての特異な地域が形成されていると観られている。また、全国的な現象であるが、集団移転地を含め、20〜30年前に造成された団地では、子どもたちが巣立ち、高齢化が進み、限界集落に変化しつつあり、益々活気が喪われている。このようなことから、水没者移転地の物件に買い手がつかない要因となっている。さて、現在行われている大規模な代替地対策が良策であるのかと考えさせられる。
3.持続する生活再建を
ダム建設によって、水没者の生活基盤が喪われ、その生活再建がなされねばならないことは自明である。現在その対策は、損失補償、代替地提供、感謝金、ダム基金で担っている。しかしながら、どうも生活再建対策という言葉が気にかかっている。それは一時的な生活再建対策に過ぎないように見えてならない。水没者の老後を含めたもっと将来をみつめた生活再建、即ち「持続する生活再建方策」という考え方が、今の時代にふさわしいような気がする。それには次のようなことが考えられる。
4.持続する生活再建の一方策
水没者のコミュニティの喪失と同時に、経済的、財政的な損失からその対策として大規模あるいは中規模な集団移転地を造成してきたが、21世紀を迎え、この制度も曲がり角にきているようだ。そのことは前述の移転地の物件が手ごろな価格で販売ができなく、二度目の生活再建に支障を来しているからだ。この二度目の生活再建をスムーズに図るにはどうしたらよいのだろうか。
それには、これからの代替地の提供は、街なかに、いくつかの小規模な代替地をつくることが理想のようだ。このような代替地での生活は、従前の水没者同志のコミニティを図りながら、さらに地域住民の交流もまた行われるからである。また、この物件を売り出しても、「手ごろな価格で買ってくれる人はいないか」と探す苦労は解消されるだろう。そのとき、2度目の生活再建が可能となるであろう。
5.水没者の年金
これもまた、水没者からの用地マンOBへの相談である。協力感謝金の一時金を「水没者年金」として活用できないのか、ということである。水没者の安定的な収入を得る職の機会が少なくなった。そこで老後の安心・安全を図るうえで、年金として受けとれるような制度を設けたらどうか、という提案である。わが国は少子高齢化社会が進み、多くの人たちはそのためにも各種の年金の確保が必要となってきた。
暴論であるが「水源地域対策特別措置法」、「補償要綱」等のなかで、自治体からの協力感謝金・ダム基金を「原資」とする「水没者年金制度」を設けたらどうであろうか。今までの国民年金プラスアルファの水没者年金を受けとれるとした制度である。 私は、年金制度については詳しいことは分からないが、このような制度は一つの個人年金となり、高齢化が進む山村社会では、なお一層の重要な位置を占めることは確かだろう 。
6.補償の精神
ダムを造られる側とダムを造る側双方に補償の解決まで、幾多の不信感や確執が必ずや生じる。このことは勘定と感情の対立であるが、この「カンジョウ」の対立が融和したときに補償交渉の解決はなされる。補償の精神とはなんであろうか。その補償の精神の根底を流れるものは、被補償者の幸福を制度的に構築することだ。それは老後における被補償者の安心・安全を確保することも一つの方策だと思われる。
繰り返すことになるが、従前の水没者コミニュティと、地域住民とのコミニュティが同時に図られるいくつかの小規模の代替地の提供、そして「水没者年金制度」が、持続する生活再建につながってくるのではなかろうか。この二つの方策が確立したときに、21世紀に向けての用地補償業務もまた新たな段階に進むことになるだろう。
団栗を懐に去るダムの人 (吉永貞志)
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