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文献にみる補償の精神【23】
「俺は故郷を売り渡してしまった」
(美和ダム)

古賀 邦雄
水・河川・湖沼関係文献研究会

 これは、財団法人公共用地補償機構編集、株式会社大成出版社発行の「用地ジャーナル」に掲載された記事の転載です。
 
1.天竜川の流れ

 昭和33年11月、美和ダムは天竜川左支川三峰川の長野県上伊那郡高遠町大字勝間地先に、多目的ダムとして完成した。48年前のことである。このダムによって 105世帯が移転せざるを得なかった。

 天竜川は諏訪盆地の水を、すべて集めた諏訪湖を水源とする。釜口水門を出ると伊那盆地に入り、左岸で沢川、三峰川、小渋川、遠山川を、右岸で横川、大泉川、太田切川、中田切川、与田切川、片桐松川、飯田市で飯田松川を合流し、天竜峡の名勝地を過ぎ、泰阜、平岡、佐久間、秋葉、船明の各ダムを流下し、遠州平野に出てまもなく遠州灘に注ぐ。 標高 730mの諏訪湖からほぼ真直線一気に遠州灘まで 213kmを下る。

 天竜川は、3000m級の山々がそびえ立つ中央アルプスと南アルプスに囲まれた急流河川である。しかも標高差が大きく急峻な地形を流れる支川は、わが国でも屈指の急流河川であり、三峰川、太田切川、小渋川、遠山川、片桐松川はまるで滝のようだ。

 一方天竜川の流域の地質は、風化しやすい花崗岩などが広範囲に分布し、日本列島を縦断する「糸魚川−静岡構造線」、「中央構造線」が走っており、脆い地質構造を形成している。このため山の斜面では大規模な崩壊が起きやすい。さらに年間降水量は中央アルプス山岳部3000mm、南アルプス山岳部2800mm、飯田市等市街地1700mmと多い。このような条件から伊那盆地における天竜川は、洪水時に大量の土砂が流れ込み、水害や土砂災害を引き起こす。この土砂の堆積は、今後の美和ダムの管理運営に支障を及ぼすことになる。


2.三峰川の水害

 三峰川は、仙丈岳3033mの山麓より発し、小瀬戸ノ湯を流れ、塩平、中尾を流れ小黒川を合わせ美和ダムに注ぐ。さらに流下し高遠ダムに入り、高遠町を流れ、山室川、藤沢川を合わせて伊那盆地に入り、伊那市を貫流して天竜川に合流する延長73kmである。急流土砂河川で、古くから荒れ川で天竜川の氾濫のもとをなしていた。今でも三峰川沿いには霞堤や波除け堤(石垣の下の石積)が遺っている。

 三峰川における水害は大正3年、12年、昭和13年、15年とおこり、戦後も昭和21年、22年(カスリン台風)、23年(アイオン台風)、24年(キティー台風)25年(ジェーン台風)、26年(ルース台風)、26年と連続して、大きな被害を及ぼした。

 昭和24年キティー台風に直面して、林虎男長野県知事たちはアメリカへT・V・A(テネシー総合開発公社)の視察に出かけ、帰国後直ちに三峰川総合開発事業にとりかかる。

 この三峰川総合開発は、建設省(現・国土交通省)が美和ダムを建設し、さらに美和ダムの下流に長野県が高遠ダムを建設する。両ダムによって、治水、発電、かんがい用水事業を実施することとなった。


3.美和ダム建設の目的

 美和ダムの建設は次の三つの目的をもっている。

洪水調節として、ダム地点の最大流入量1200m3/sのうち 900m3/sを調節し、天竜川合流後最大流量3100m3/sを2000m3/sに低減する。
・灌漑用水として、三峰川沿岸2512haの農地に補給する。農業用水として、高遠ダムから三峰川両岸の段丘上へ 10.76m3/sを導水する。これによって新たに 355haが開田され、この開田と併せて両岸約2500haが灌漑される。
・美和発電所によって最大出力1万2000KWの発電を行い、さらに放流水は下流の高遠ダムへ流れ、高遠ダムからトンネルを通って春近発電所にて最大出力2万6000KWの発電を行う。

 美和ダムの諸元は堤高69.1m、堤頂長 367.5m、堤体積28.6万m3、総貯水容量2995.2万m3、型式重力式コンクリートダムである。起業者は建設省、施工者は(株)大林組、事業費は 30.46億円を要した。


4.美和ダム建設の経過

 美和ダムは昭和28年8月着工し、31年7月定礎式、32年12月補償基準の妥結、33年11月美和ダム、高遠ダムが竣工した。

 この時代を振り返ると、NHK東京地区でテレビ本放送開始(28年)、日本住宅公団、入居者募集開始、佐久間ダムの完成(31年)、東京−神戸間特急電車「こだま」運転開始、一万円紙幣発行、東京タワー完工(33年)、一方家庭では三種の神器(白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫)が重宝された。わが国における高度経済成長が始まった。特に、33年に起こった岩戸景気(〜36年)は10%を越える実質経済成長率を記録した。美和ダムも成長を支えた一要因であったことは確かだ。

 この美和ダムによって三峰川沿いの最も豊かな水田地帯を擁する美和村(現・長谷村)が水没した。長谷村編・発行『藍深き湖に映え−美和ダム完成40周年記念写真集』(平成12年)に、その補償経過を記している。

【この三峰川総合開発事業に伴う最大の難関は、関係地域住民に対する補償問題であった。昭和27年9月、美和村(現・長谷村)では早速村民大会を開き、この事業に反対を表明して一切の協力を拒否し、ダム構築のための調査さえ受け付けないという態度にでた。29年6月対岸の河南村(現・高遠町)も同様に反対の態度をとるに至った。
 美和村にあっては、このダム構築は一村の運命をも決する程の重大問題であって、これによって水没する水田の31%に及び、畑地その他を含めると甚大な損害となり、集落によっては今後到底立ちゆかない程の状態であったから、この問題に対して真剣に立ち向かわない訳にはいかなかった。】

 即ち、美和村の全耕地面積約 226haのうち約46haが水没し、水没家屋は黒河内地区、溝口地区、非持地区3地区の 105戸に及んだ。一村の運命を決する大問題であった。

【これに対し、県及び建設省側は事業計画を進める一方、円満な妥結について努めたが容易に一致点に到達せず、一時は成否さえ危ぶまれる程であった。しかし度重なる折衝の末、29年暮れごろに至り順次これが解決を見、31年4月に一部の地区を除いてほぼ円満な妥結に到達することができた。】


5.美和ダムにおける補償の精神

 水没者 105世帯は大部分が農家であった。移住先地は、伊那市西春近等が最も多く、長野県内では長野市、松本市、県外では愛知県の開拓地や干拓地、さらに遠くは東京都、埼玉県、大分県であった。このように故郷の美和村から全国へ去っていった。 北原優美編著『三峰川ものがたり』(建設省天竜川上流工事事務所・平成12年)によると、ある一人の移転者に対し同情を寄せている。

【もちろん、その後の燃料革命によって薪炭の需要はほとんどなくなり、国内産の木材の需要も厳しい時代になってくると、山林経営に依った山間の集落が消えるのは時間の問題だったという人もあるかもしれません。しかし、愛知県で出合った美和村からの移住者「俺は故郷を売り渡してしまった」という、絞り出すような言葉を忘れることができません。相互扶助で互いに助け合って暮らしていた村から離れて農業をし、「よそ者」として暮らさなければならなかった人の悲しみは金銭で換算できないものだったのではないかと思います。】

 美和村を去らざるを得なかった心境が、「俺は故郷を売り渡してしまった」ということでは余りにも酷だ。しかも第二の故郷移住地では、よそ者として暮らさざるを得なかった。

 故郷とはなんであろうか。自分が生まれ育った土地に変わりはないが、美和村には、三峰川が流れ、水田があり、その水田には、苗代を作り、馬で田んぼを耕し、代掻き、苗取り、田植え、田の草取りを行いすべての人々が力を併せて、稔りの秋を迎え、収穫祭をみんなで祝った。ここに山里の暮らしが息づいていた。ダムによって、このようなすべての共同の暮らしも湖底に没してしまった。故郷は水没者にとって全人格的なものであろう。

 水没者は、故郷という全人格的なアイデンティティを全て喪失する。だが、現行の補償制度ではあくまでも金銭補償が主である。ここに「補償の精神」における限界がみえてくるようだ。水没者にとっては、惜別の涙は熱く、いつまでも「俺は故郷を売り渡してしまった」という心境は消えることはないであろう。故郷の喪失は、絶対に金銭では換算できないからだ。

  捨てた村 訪えば青葉に 風騒ぐ (前川元巳)


おわりに

 今日、美和ダムは昭和33年11月完成以来48年をすぎた。この間、前述のように急流土砂河川である三峰川は、美和ダムに水とともに土砂も流しつづけた。その結果美和ダムは約2000万m3の土砂が堆積し、そのうち砂利採取業者により約 500万m3(コンクリート材料に利用)を除去している。土砂の除去を続けない限り、ダムの機能が阻害されてくる。

 この対処のために、美和ダムは全国直轄ダムでは、初の土砂流入を抑制する恒久堆砂対策事業が施工され、平成17年に完成した。この恒久堆砂対策施設は貯砂ダム、分派堰、洪水バイパストンネル(全長4308m、最大流量 300m3/s)からなっている。

 いま美和ダムは、堆砂によって悩まされているが、恒久堆砂対策施設に期待したい。
 そして最後に、美和村を去った 105世帯の水没者の方々の幸せを祈らざるを得ない。

[関連ダム]  美和ダム(元)  美和ダム(再)
(2007年3月作成)
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