【 地域の住民を災害から守り、あるいは生活を保障するための大谷池を造成するには、その陰に、永年住み馴れた家屋敷、永年耕して来た田・畑を犠牲にして、提供しなければならない人々のあったことを忘れることはできない。 住居を移転しなければならない家庭が七戸あった。 家屋移転という大変なご迷惑をおかけした七戸の戸主は次の方々である。(敬称を省く) 上三谷古池ノ内四0二九番地 水口長五郎 上三谷大字建石四一0四番地 林 儀太郎 原町村大字七折字大谷三八八番地 曽根 亀吉 原町村大字七折字大谷三七二番地 平田 谷次 原町村大字七折字大谷甲三七0番地 竹内 美坂 原町村大字七折甲三七二番地 橋本長五郎 原町村大字七折甲三六九番地 小笠原鶴一 この方々が居住家屋から立ち退くことを承知していただかなければ、いかに地域の多くの人々のためとは言え、この造成は不可能であった。】
【 長期にわたる大谷池築造工事中に、不幸にして不慮の事故に遭い、若く尊い生命を捧げた方が三名あった。どの方も地元出身で前途有為の青年であり、家族の皆様の悲しみいかばかりであったかと心から痛惜の念に堪えない次第である。 用排水改良工事組合では、この三名の事故の度に直ちに役員会を開き協議の結果、遺族に対する扶助料その他を次の通り決定し支出して遺族に贈呈した。 但し、大谷池工事は昭和一七年以降、県直営となったので丸橋貫一殿(昭和一八年死亡)の遺族扶助料等は、不詳である。一、労働者災害扶助法施行令第八条及び第十五条第一項第三号に依り遺族扶助料として金弐百八拾八円を支出すること。二、労働者災害扶助法施行令第九条及び第十五条第一項第三号に依り葬祭料として金参拾円を支出すること。三、他に弔慰金として金壱百円を支出すること。 ここに、この尊い工事犠牲者三名の住所・氏名と当時の年齢等を記し、深い感謝をこめて永遠の御冥福を祈りたい。伊予郡南伊予村上三谷平松(現在伊予市上三谷) 故高橋進平殿 当時一九歳 昭和一0年一二月二日、大谷池築堤工事現場において、土砂運搬作業中崩壊して来た土砂の中に埋まり、そのまま死亡した。伊予郡南伊予村上野下郷(現在伊予市上野) 故水口勝吉殿 当時二0歳 昭和一一年五月九日正午頃、大谷池築堤工事現場において、土砂運搬作業中突然崩壊して来た土砂に逃げおくれたため下半身生き埋めとなり、居合わせた人たちに助け出されたが瀕死の重傷で、直ちにタンカで自宅まで連れ帰られたが、間もなく死亡した。伊予郡郡中村米湊(現在伊予市米湊) 故丸橋貫一殿 当時四0歳 昭和一八年三月七日午前八時頃、大谷池築堤工事現場において、土砂運搬作業中突然崩れ落ちて来た土砂に全身生き埋めとなり、幸いにも周囲の人の必死の救出で一命は取り止めたかと思われたが、翌三月八日遂に死亡した。 翌昭和一九年になって右の殉職者三名の供養塔建設の議が起こり、大谷池堤防の西端龍王社社殿の側面に石碑を建て、その霊を永遠に祀ることとした。この碑の入魂式が昭和一九年一二月二四日しめやかにかつ厳粛に行われた。】