「多くの人が西山平に移り住むという当時の選択と、その後の生活について、どちらかというと満足しているということである。まず、交通の便が良くなり、生活が便利になったということであるが、満足の最大理由は自分たちの暮らしが維持できて、子ども世代がより高い教育を受けて自立したことにあった。ダム建設前は子どもたちは村の中学校を卒業するとほとんど仕事に就いた。」 「米作りについては、移転後10数年は一生懸命取り組んだし、自分たちで作った米を食べられたことは嬉しかったと多くの人が語る。ただし、中部電力や静岡県が望んだ米作りの計画があったからこそ西山平に移転した意見はなかった。西山平移転の決め手は世帯ごとの事情によるが、ここに代替地を得られるということにあったようである。」
「昭和38年の調査では、多くの移転者が静岡市や富士宮市で農業を営み、商業やアパート、下宿経営を行う世帯も多く、おおむねその生活は安定していると報告された。移転25年後では、富士宮市に移った専業農家はほとんど離農し、サラリーマン生活を送っていた。失敗や挫折を乗り越えて再起した人たちがいる一方で、成功から苦難の道へ転落した人たちもいる。」