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文献にみる補償の精神【19】
「私共は、用地知識を
積極的に水没者に与えることによって」
(寺内ダム)

古賀 邦雄
水・河川・湖沼関係文献研究会

 これは、財団法人公共用地補償機構編集、株式会社大成出版社発行の「用地ジャーナル」に掲載された記事の転載です。
1.年金のありがたさ

 「今じゃ、年金をもらえるようになって、いい身分ですバイ。私はダムができてよかったと思うちょる。なにせダムがこなかったらむこうの畑で一生耕して老いていたかも知れん。ダムができると、すぐに近くの工場に働きに行くようになって、そのお蔭でいまでは、年金をもらっちょるバイ。年金てありがたいなー」
 このような話が返ってきた。この老婦人は、昭和53年1月福岡県甘木市大字荷原地先に建設された寺内ダムの水没者の一人である。

 現在65歳の高齢者人口が20%を越えるようになった。人口1億2千万人のうち2400万人を占める。平均寿命は女性の85歳、男性77歳という。定年後の人生が20年〜30年続く時代であり、益々少子化と老齢化が進む。このことから年金の受給の恩恵は大きい。水没者の年金受給のありがたさを物語っている。


2.寺内ダムの建設

 寺内ダムは福岡県甘木市のほぼ中央を流れる筑後川水系佐田川の上流域に昭和53年1月に竣工した。ダムの目的は、
・ダム地点の計画高水流量 300m3/sのうち 180m3/sの洪水調節を行い、佐田川および筑後川本川沿岸の洪水被害の軽減を図る。
・筑後川下流の既得取水の補給を行うなど、流水の正常な機能の維持と推進を図る。
・両筑平野の甘木市など2市3町の農地約5900haに農業用水最大8.05m3/sを江川ダムとの総合利用により補給する。
・水道水3.65m3/s(福岡地区水道企業団 1.669m3/s、福岡県南広域水道企業団 0.777m3/s、佐賀東部企業団 1.065m3/s、鳥栖市 0.139m3/s)の必要補給量を江川ダムとの総合利用により供給している。

 ダムの諸元は、堤高83m、堤頂長 420m、堤体積 300万m3、総貯水容量1800万m3、地質は黒色片岩、ロックフィルダム、総事業費 254億円、起業者は水資源開発公団(現・水資源機構)、施工者は(株)間組、日本国土開発(株)共同企業体である。なお、補償関係については用地取得面積 114ha、水没関係5集落 147世帯のうち移転数57世帯となっている。


3.寺内ダムの補償経過

 寺地ダムの交渉団体は水没者の「寺内ダム建設対策地主協議会」(約 160名)と、ダム直下の住民たちによる「寺内地区ダム対策協議会」(42戸)の2団体である。特筆されることは、調査所開設以降、1年6ケ月間の短期間で一般補償基準妥結したことである。
 その補償交渉を追ってみる。

昭和46年2月   寺内ダム調査所の発足
    3月30日 水没標示等の測量及び技術関連の一切の調査に関し
         「協定」の締結
    7月11日 「土地測量及び物件等の補償調査」に関し協定締結
    10月30日 「土地及び物件等補償調査」に関し協定の締結
    12月26日 補償基準の提示
  47年4月   寺内ダム建設所の発足
    7月22日 8部会(土地、家屋、山林、果樹、残存残地、通損、
         課税対策、特産物)の合意項目、基準額すべて確認
    8月9日 補償基準の調印式
    12月22日 公共補償基本協定書の締結
  48年3月   各自集団移転でなく、全戸移転終了
  53年1月   寺内ダム竣工式


4.補償の精神

 寺内ダムの建設については寺内ダム建設所編・発行『寺内ダム工事誌』が発行されている。当時、補償交渉に携わった草場不磋夫用地課長は『全国用地(第8号)』(昭和52年)に、寺内ダムの用地交渉について述べているが、ここに「補償の精神」をみることができる。

【調査所が発足いたしまして実質的に業務が軌道にのりましたのは、46年の3月に入ってからでございました。まず最初は、形どおりの事業説明会を開きまして各地区を廻ったようなわけでございますが、ただ、初期の段階におけますこの種の交渉の成否如何によっては、その後の交渉事を大きく左右する素因にもなりかねないということを十分に戒め、慎重に対処いたしました。特に、用地問題に多くの時間をさき、水没者等の質問に対しましては、抽象的な表現をできるだけさけ、その場で理解願える意志をもって具体的にわかり易く説明することを心がけておりました。私共は、用地知識を積極的に水没者に与えることよって、諸問題の解決のための判断材料にしてほしいという考えからでございます。】

 その「補償の精神」は、水没者の一番関心事である用地問題(生活再建)に多くの時間をさいて、用地知識を積極的に与え、アカウンタビィリティー(説明責任)を十分に果たしたことである。


5.アカウンタビィリティーの対応

 水没者との信頼関係を構築するために、「用地知識を積極的に与える」という具体的なアカウンタビィリティーについて、いくつかまとめてみる。

・繰り返すことになるが、最初の説明会では、ダムの必要性、技術的な説明は控えめにして、用地補償の件について多くの時間をさき、抽象的な表現は避け、その場で理解できるようにわかりやすく説明を行った。
・役員に『損失補償基準要綱の解説』の本を配付し、補償に係わる学習を行い、用地補償の知識を積極的に吸収することによって、補償問題の解決のための判断材料としてもらうように心掛けた。
・建物、立木、庭木の調査方法には、水没関係者の注視のもとで、モデル調査を実施した。
・土地調査については、国土調査法に基づく地積調査が完了済であったため、一筆調査に代え、公図の使用の了解を得た。
・調査の了解時に、水没線標示杭設置の測量も併せて了解を得た。これによって、相互に補償物件の適格な状況が把握可能となった。
・調査前に、補償基準を示せとの要求に対し、水没者全員注視のもとで、水没家屋の平均的な1戸を想定し、隣接の昭和44年における江川ダムの妥結補償の基準を採用し、補償額を算定し、今後の生活設計の目安にしてもらった。
・調査時には、役員と一緒に氏神様に調査の無事息災を祈願した。

 これらを通じ、最初の調査時に水没関係者との信頼関係を得たことは、その後の補償基準、上下流地区に係わる公共事業、事業損失の各々の交渉にも労苦はあったものの、より良い結果をもたらした。なお、昭和49年8月9日、用地補償基準の調印式には水没者夫婦同伴の出席のうえ行われている。


おわりに

 以上、寺内ダムの補償交渉について述べてきたが、「私共は、用地知識を積極的に水没者に与えることによって、諸問題の解決のための判断材料にして欲しい」という、「補償の精神」は草場用地課長をはじめ用地担当者の水没者との信頼関係の構築につながったといえる。またこのことは、すでに「情報公開法」の基本的な考え方を先取りしたともいえよう。
 用地担当者の労苦を振り返るとき、「ダムができてよかったバイ、年金をもらえるようになった」という老婦人の言葉が重なってくる。

 寺内ダムは完成後30年経った今日、水害の防止を図り、かんがい用水、水道用水を供給しながら筑後川流域の人々に大きく貢献している。

    眠らんとする山々やダム光る
                (斉藤 和雄)

[関連ダム]  寺内ダム
(2006年4月作成)
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