【 侠気が強く、面倒見がよく、仕事の勘が抜群で現場で秀でていたのは誰もが認めていた。現場を踏んでいたせいか上からも下からも慕われ、調法がられた。そのせいか、余計な仕事がまわってきたり、頼み込まれると「ああいいよ」と忙しい男であった。「今日も家に帰れないな」留守の妻子に申し訳なさそうにつぶやいた。ところが、男が帰らない間に妻は愛人の子を孕んでしまう。2人の子供がいるのに妻は自分の気持ちを裏切れず、正直に告白し、「別れさしてください」と手をついた。だが男は「それはダムの子だ。ダムが授けた子だ」こう明るく言い切った。そして男児が生まれ、2年後に男はガンで倒れた。「ダムの子を大事に育ててくれ、願わくはおれの骨をどうかダムの底へ埋めてくれ」遺言にいわれた上司は、痛切な友情を感じ、コンクリートにこっそり骨を塗り込み、男の願望を叶えてやった。】
『水没住民のための釜房ダム視察に随行したときのことです。たまたま仙台七夕の期間でもあり、一番丁通りを見物させたことです。日中あつい暑中を、見物人の人込みの中を迷子?にならないようにお互い手をつなぎあってもらい、また私達は前後に立ち、寒河江ダムの小旗を目印に、幼稚園の先生よろしく、水没住民(オバチャン)達をフーフー汗をかきながら引率した思い出が、今でも目に見えるようです』(高橋貞男)
『議論のなかで当局の説明を聞いた同盟会側の反応は「ダムさんを信頼して基準通りで結構です」とか、「説明を聞けば聞くほど基準が正しいように思えます」とかの発言等があり、当局に対しての信頼感を強く感じられた。』(藤田司)
【武田市長は「お嫁さんを迎えた気持ちで、これからの生活に市民としても万全を図りたい」と挨拶、横山町長が「お嫁さんは言いたいこともなかなか言いづらいもの。実家になんでも何でも相談して下さい」と行政側から暖かいエールの交換。 転入者代表者に渡部八郎さんが「故郷を失った気持ちは言葉では言えないが市民として立派な生活を送ります」と心構えを述べた。】