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文献にみる補償の精神【37】
「お嫁さんを迎えた気持ちで、これからの生活に市としても万全を図りたい」
(寒河江ダム・山形県)

古賀 邦雄
水・河川・湖沼関係文献研究会

 これは、財団法人公共用地補償機構編集、株式会社大成出版社発行の「用地ジャーナル」に掲載された記事の転載です。
 
1.それはダムの子だ

 日本には、約2700基のダムが完成している。これらのダムが誕生するまで、必ずドラマが生まれる。悲劇も生まれる。
 ダム現場で働いていた男の話である。

【 侠気が強く、面倒見がよく、仕事の勘が抜群で現場で秀でていたのは誰もが認めていた。現場を踏んでいたせいか上からも下からも慕われ、調法がられた。そのせいか、余計な仕事がまわってきたり、頼み込まれると「ああいいよ」と忙しい男であった。
「今日も家に帰れないな」留守の妻子に申し訳なさそうにつぶやいた。ところが、男が帰らない間に妻は愛人の子を孕んでしまう。2人の子供がいるのに妻は自分の気持ちを裏切れず、正直に告白し、「別れさしてください」と手をついた。だが男は「それはダムの子だ。ダムが授けた子だ」こう明るく言い切った。そして男児が生まれ、2年後に男はガンで倒れた。「ダムの子を大事に育ててくれ、願わくはおれの骨をどうかダムの底へ埋めてくれ」遺言にいわれた上司は、痛切な友情を感じ、コンクリートにこっそり骨を塗り込み、男の願望を叶えてやった。】

 この男の話は、水戸部浩子著「月山ダム物語(上)」(みちのく書房・平成12年)に載っている。


2.寒河江ダムの建設経過

 ダム造りには、ダムを造られる側とダムを造る側との信頼関係をいかにして構築するか。このことがダム造りがスムーズに、そして短期間のうちに建設可能となるかの大きなキーポイントとなる。起業者にとっては、総務課、経理課、用地課、工務課、調査設計課、工事課、機械電気課等の職員が一体となって水没者等関係者に対し、信頼を得るために日夜務めることとなる。当然チームワークが大切である。           
 寒河江ダムの完成は、このチームワークの勝利といえるであろう。東北建設協会・制作「寒河江ダム工事誌」(寒河江ダム工事事務所・平成3年)によりそのダム建設をみてみたい。

 寒河江市は山形盆地の西側に位置し、人口44000人で周辺地とともにサクランボの生産地として有名である。寒河江川は朝日岳北麓を水源として大越川、八木沢川、熊野川を併合し、寒河江市で最上川と合流する流路延長59.2km、流域面積478.4km2である。寒河江川流域は年間雨量は4000mmに及ぶが、急勾配の地形と相まって沿川地域に幾度となく大水害をもたらした。また降水量に恵まれて入るにもかかわらず、急勾配のため保水性に乏しく一度干ばつになると、水不足を来した。これらを解消するため寒河江ダムが施工されることとなった。

 平成3年3月建設省(現国土交通省)によって、寒河江川上流の山形県西村山郡西川町大字砂子関字横手、同大字月岡字ガバチの地点に完成した。
 このダムの建設経過を追ってみた。

昭和43年予備調査
47年実施計画調査
49年4月寒河江ダム工事事務所開設
5月土地建物調査
50年3月損失補償基準発表
6月損失基準の協定調印式
51年6月少数残存者補償契約
52年3月水資源地域対策特別措置法によるダム指定
6月本体工事起工式
53年10月仮排水トンネル完成、寒河江川転流
56年7月国道112号(月山花笠ライン)開通
62年9月フィル堤体本体盛立完了
63年水ケ瀞発電所の廃止
平成 元年10月試験湛水開始
2年2月竣工式
3年3月寒河江ダム完成


3.寒河江ダムの諸元・目的

 ダムの諸元は堤高112m、堤頂長510m、堤体積 フィル堤体1035万m3、コンクリート26.5万m3、総貯水容量109OO万m3、有効貯水容量9800万m3、型式は中央コアロックフィルダムである。起業者は国土交通省、施工者は飛島、三井建設共同企業体、事業費は13306億円を要した。建設費負担率は河川73.2%、水道9.8%、灌漑11.9%、発電5.1%となっている。

 このハイダムは5つの目的を持った多目的ダムである。
・ダム地点における計画高水流量2000m3/Sを最大300m3/Sに調整して放流することで、白川ダムや長井ダムの上流群と合わせて最上川の下野地点(村山市)の基本高水流量7000m3/Sを5600m3/Sに低減し、下流地域の洪水を防ぐ。
・寒河江川及び最上川沿川の既得用水に対し用水を補給するとともに、ダム下流の寒河江川及び最上川に対し維持流量を補給し、流水の正常な機能の維持と増進を図る。
・最上川、鮭川沿川の農地約5900haに対し、最大9.46m3/Sの農業用水を補給する。
・村上地域6市6町(山形市、寒河江市、上山市、村上市、天童市、東根市、河北町、西川町、朝日町、大江町、山辺町、中山町)に対し、村山地区水道事業所から最大239000m3/日の水道用水を供給する。
・ダム下流の本導寺発電所において、ダムに貯めた水の落差を利用して最大出力75000kwの発電を行い、また、寒河江川に築造された逆調整池を利用した水ケ瀞発電所において最大出力5000kwの発電を行う。


4.寒河江ダムの補償

 主なる補償の関係は、水没等土地取得面積327.26ha、家屋移転105世帯、月山沢小学校等の公共補償、漁業補償、発電所補償であった。

 寒河江ダム工事事務所編「寒河江ダム補償と生活再建」(東北建設協会・昭和53年)によると、昭和50年3月28日に損失補償基準発表、3ケ月後の6月26日に損失補償基準の協定締結がなされている。水没等移転105世帯の内訳は、水没93、付替道路3、少数残存者9で、地区別では西川町砂子関33世帯、月山45世帯、四ツ谷8世帯、二ツ掛19世帯である。生活再建については、白川ダム、釜房ダム等の先例視察を始め、職業の斡旋、工場見学、職業の指導、西川町に集団移転地の造成、さらに山形県は移住者の移転の促進を図るために利子補償など積極的に行われた。その結果、移転先は西川町22世帯、寒河江市55世帯、山形市20世帯、天童市5世帯、中山町1世帯、県外2世帯とそれぞれの新生活がスタートした。


5.信頼関係の絆

 前述のように、損失補償基準提示から3ケ月後、超短期間での補償妥結調印がなされたことは特筆に値する。それは双方が信頼関係を築いていたからであろう。この信頼関係は、次のような先例視察のことからも理解できよう。

『水没住民のための釜房ダム視察に随行したときのことです。たまたま仙台七夕の期間でもあり、一番丁通りを見物させたことです。日中あつい暑中を、見物人の人込みの中を迷子?にならないようにお互い手をつなぎあってもらい、また私達は前後に立ち、寒河江ダムの小旗を目印に、幼稚園の先生よろしく、水没住民(オバチャン)達をフーフー汗をかきながら引率した思い出が、今でも目に見えるようです』(高橋貞男)

 お互いに手をつなぎあって引率した情景は微笑ましい。
 また基準交渉において、積算根拠を十分に丁寧に説明した結果であろう。

『議論のなかで当局の説明を聞いた同盟会側の反応は「ダムさんを信頼して基準通りで結
構です」とか、「説明を聞けば聞くほど基準が正しいように思えます」とかの発言等があり、当局に対しての信頼感を強く感じられた。』(藤田司)

 この早期解決の一因は白川ダムの補償交渉の好影響を受けているようだ。白川ダムと同様に水没関係者と起業者は、誠実に用地調査や交渉を積み重ねるなかで、双方に「善意と信頼」の絆が自然にできたといえる。

 ダムの施工技術は次のダム建設に応用されることが多い。そして補償交渉もまた他ダムへの影響が強く反映されることがある。


6.補償の精神

 前述のように、水没等移転者105世帯の移転先は西川町22世帯、寒河江市55世帯、山形市20世帯、天童市5世帯、中山町1世帯、県外2世帯とそれぞれの新生活がスタートした。

 昭和51年4月29日、寒河江市民センターにおいて、西川町の55世帯221人の人たちを迎える寒河江市主催の「ダム協力者歓迎のつどい」が開かれた。この時のことを、

【武田市長は「お嫁さんを迎えた気持ちで、これからの生活に市民としても万全を図りたい」と挨拶、横山町長が「お嫁さんは言いたいこともなかなか言いづらいもの。実家になんでも何でも相談して下さい」と行政側から暖かいエールの交換。
 転入者代表者に渡部八郎さんが「故郷を失った気持ちは言葉では言えないが市民として立派な生活を送ります」と心構えを述べた。】

と、昭和和51年4月30日、山形新聞は報道している。
 当然移転は新しい家に住むことになる。それは正しく、嫁に行くようであり、また嫁さんを迎えるような心境であろう。嫁さんが新しい家に暖かく迎えられることが何よりである。武田市長の「お嫁さんを迎えた気持ちで、これからの生活に市としても万全を図りたい」との言葉は何よりもありがたいものだ。生活再建対策の心構えをみるようである。ここに「補償の精神」の根底が流れている。


7.おわりに

 昭和51年5月20日、西川町寒河江ダム建設協力会によって、西川町開発センターで、山形県知事、東北地方建設局長を始め、多数の出席を得て、水没移転者の新天地における生活再建への激励と感謝の意を表す「寒河江ダム移転者新生活激励会」が開催された。
 この時も、行政側は「お嫁さんを迎えるように暖かいやさしい気持ちで歓迎した」ことであろう。

  ダム移転 新妻迎えし 春の日に (吉永貞志)

[関連ダム]  寒河江ダム
(2009年11月作成)
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