浅野老はイキナリ平野君に向つて『君は、材木が流れぬと云つて、水力電気工事に、故障を申立てゝ居るそうだが、怪しからんぢゃないか。』と、云つた。是れは、老一流の經濟觀から立論したもので、傍若無人の云ひ分ではそう云つても惡毒く聴へぬのが老の徳であつた。平野君は老と争ふ気はないが、そう云はれゝば、何とか返事をせねばならぬので、『流れぬものを流れぬと云つた處で、別段差支ないぢやありませんか。』と、小さな聲で答へた。 無論、老には聴えない。老は聴えようと聴えまいと、平野君の返事には頓着なく、手取り早く此問題を片附けようと掛り、『君の山には木が幾本ある、一本幾らだ…。山ぐるみ殘らず買つてやらう。値段を云ひなさい。』と出た。 これでは丸で山の取引に來たやうなものだ。平野君には返辭が出來ない。そこで平野君は止むを得ず良三君に向つて其旨話をすると、良三君は兎も角も親爺の云ふ事を一ト通り聴いて呉れと云ふ。 浅野老は一人で勝手にしゃべり續けるのであつた。『君が山の木を伐つて、流れないと苦情を云ふのは要するに金にならないからであらう。だから、俺が君の所の木を買つてやる。それでよからう。名古屋の相場で山ぐるみ買つてやる。そうすれば君の方に文句はない筈だ。』と、老は一人で決めて一人で合點して居る。 平野君はこれに對して何とか返事をしたいが、如何に雄辯を振つても哲人然と構へて居る浅野老の耳へ届きそうもない。そこで又止むを得ず良三君に向つて云ふのであつた。『どうも御老人と私等とは目標が違ふから困る。私等は山の賣買を目的として居るのではない。庄川にダムが出來て、木材が流れなくなれば、其流域に屬する山林が全部立ち腐れになつて了ふ。之を憂ふるのが我々の根本思想である。云はゞ我々は國家の山林の爲に抗議をして居るのだ。之を諒解して貰はなければ話は出來ん。』 平野君が斯う云ふと、良三君は親爺の耳許へ口を持つて行つて其意味を傳へた。 すると、親爺は噛んで吐き出したような態度で、『君は何と云ふ物の解らぬ男だ。世の中で金で話の付かぬ事があるか。誤って人の命を失つても、金で話が付くぢやないか。俺は今まで君のような物の解からぬ男に會つた事がない。』と云ふ。すると平野君も負けて居らず、『私も貴下のような物の解らない人に會つた事がない。』と云ひ返してやつた。 話せば話すほど兩者の距離は遠くなつて、到底纏まりそうもない。そのうち、浅野老は、出掛けなければならぬと云ふ。平野君は旅行から歸つたばかりだから、歸宅せねばならぬと云ふ。 それで兩者は物別れとなつた。
【 被申立人は伐木流送を營業とする以上この其有すると主張する流木權は、該營業を維持するに付いての唯一重要なる權利を以て、單に財産的価値のみに止まらず、一面人格的価値をも有するものと看做すを妥當とする。】
【 電力會社が事故の權利を行使するに際し、他人の權利を侵害する虞れあるものに對しては、誠意ある態度を以て其解決を計る可きのである。にも拘らず、之に就て何等の努力をなさず、只工事の進捗に汲々たりしは甚だ遺憾である。】
【 被申立人(飛州木材(株))が湛水後運材設備の改造改善、若しくは之による損害の賠償の權利を行使し得るを以ての別途の方法により、結局法律上客観的に見て満足すべき状態に置くことを得べきにより、双方地位利害の均等を保持し得可しと認めらるる以上は民事訴訟法第七五九條に所謂特別の事情ありとし、保證を立てしめ其取消を爲すを妥当の處置なりと認む。】
【 平野増吉は、後に庄川流木争議を振り返り、「電力の開発は国策上の緊用事であるのみならず、とうじと比して、民衆の生活権を充分尊重し、保障の如きも、充分以上に国家でこれを与える。(中略)現在のような国家的保障があれば民衆は国家自立の将来のため、進んで電力ダムの建設のため犠牲になるべきであると考えている。これは立場の相違ではなく時代の変化である。庄川事件当時、現在のような制度(憲法)が完備されていたら、あのような事件は起らなかったかもしれぬと思う」と述べている。つまり、平野増吉は、自己の「流木権」を主張することで、主な目的を利潤追求に置いて補償問題を軽んじる電源開発の波から、地域産業及び流域住民の庄川を利用する権利(慣行水利権)を守ろうとしていたのである。】