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文献にみる補償の精神【7】
「移住者の従前の生活水準を漸次的に達成するか
ないしは陵駕するようにする」
(三峡ダム)

古賀 邦雄
水・河川・湖沼関係文献研究会

 これは、財団法人公共用地補償機構編集、株式会社大成出版社発行の「用地ジャーナル」に掲載された記事の転載です。
 ただただ驚くばかりである。ダム建設によって 113万人が移住するからである。現在(平成16年10月)大半の人が移住を完了している。このダムは長江に建設されている三峡ダムのことで、移住者 113万人はわが国では富山県の総人口にほぼ匹敵する。
 松浦茂樹、唐 軍の『中華人民共和国水法』(「水利科学」no278 )によると、2002年10月中国は旧水法を改正し、水資源の合理的な開発、利用等の利水を主とする「新水法」を施行した。水資源の所有権について、次の条文が掲載されている。

第二条 本法律の適用範囲は、中華人民共和国領域内での水資源の開発、利用、節約、保護、水資源の管理及び水害防御である。本法律で称する水資源とは、地表水と地下水である。
第三条 水資源の所有権は国に属す。水資源の所有権限は、国務院が国家を代表して行使する。農村集団経済組織が所有する溜池と農村集団経済組織が建造し管理している水庫(ダム湖)の水は、当該農村集団経済組織が使用する。

 この水法には、水資源である地表水と地下水の所有権は国に属し、水資源の所有権限は、国務院が国家を代表して行使すると規定されている。この根本理念は旧水法から引き継がれ、大規模な水資源開発施設の建設事業は国務院において行われている。なお、洪水防御については、1998年『中華人民共和国洪水防御法』が施行された。

 1949年10月中国人民共和国建国以降、中国では本格的なダム建設が始まった。このダム建設は新中国の治水、利水の要として重要視され、近代化のシンボルとして位置づけられてきた。1950年代には、石漫灘ダム、官庁ダム、新安江ダム、十三陵ダム、蜜雲ダム、塩鍋峡ダムなどが建設され、1960年代には、汾河ダム、新豊江ダム、劉家峡ダム、丹江口ダムなどが建設され、続いて、1970年代には葛洲 ダム、八盤峡ダムと1980年代までに、大、中、小型あわせて86,000基のダムが建設された。このうち堤高15mを越えるハイダムは22,000基以上で、ダムの全貯水容量は 4,600億m3という。

 ダム建設における移住者は、新安江ダム 306,000人、丹江口ダム 383,000人、三門峡ダム 319,000人、東平湖ダム 278,000人、小浪底ダム 188,000人となっており、1989年までの移住者は 1,020万人にのぼる。その内訳は1950〜59年 460万人、1960〜69年 320万人、1970〜79年 140万人、1980〜89年 100万人であり、現在のダム建設によって、さらに移住者は増加している。以上、ダムの移住者に関しては、鷲見一夫他著『三峡ダムと住民移転問題』(明窓出版・平成15年)に拠った。


『三峡ダムと住民移転問題』
 ここで、藤村幸義著『中国の世紀−鍵にぎる三峡ダムと西部大開発』(中央経論社・平成13年)によって、三峡ダムの建設を追ってみたい。

 三峡ダムは長江の河口上海から1800km上流の湖北省宣昌県三斗坪地点に、1993年〜2009年の工期で進められている。長江における西陵峡などの三つの峡谷を三峡と称し、水没地内に含まれる。
 1919年三峡ダムは孫文が提唱して以来、その建設をめぐって長く、激しい論争を重ねてきたが、1992年全国人民代表大会で建設が採択され、1994年4月に着工された。現在2009年の完成に向けて、すでに第1期、第2期工事が完了し、第3期工事が進められている。事業者は中国国務院直属企業「長江三峡工程開発総公司」である。
 三峡ダムの諸元は、重力式コンクリ−トダムで、堤高は 185m、堤頂長2,309.47m、総貯水容量 393億m3、長さ約 570km、面積 1,084m3、年間発電量 846億kwh、1993年時点総事業費2039億元(1元=15円で約3兆円)である。
 なお、水没する都市13市、移住者 113万人、水没する歴史的遺産1208基、また、長江の生きた化石と呼ばれる「ヨウスコウカワイルカ」など中国第1級、第2級保護動物たちも影響を受ける。

 国務院は、ダム建設に関し、次のような利点を挙げている。

・ 10年1回の洪水を 100年に1回に抑えることができる。
・ 発電能力1820万kw、年間発電量 846.8億kwhをおこす。
・  昌から重慶まで 660kmの水運が危険個所、単線航行の個所がなくなる。
・ 水位が上ることによって、「大足石刻」、「高嵐」、「小三峡」、「神農加」の名勝地は新名勝地に生まれ変わる。
・ 移住者は移住先地で家をつくり、道路や橋も建設され地域の経済発展、生活の向上を発展させることができる。
・ 発電年間 4,000万トンから 5,000トンの石炭使用が削減され環境汚染が軽減される。

 このように、国務院は三峡ダムの利点を挙げているが、治水、観光、生態保護、開発住民に関して、メリットのみをもたらすとは一概に言えないようだ。

 この書では、移住者の生活向上に関し、次のようにその問題点を指摘している。

 住民移転対策費をすべて個人に頭割りで配分して補償するのでなく、住宅の整備、工場等の建設、住民の職業訓練なども併せて実施するやり方である。例えば、住宅の場合、移転先の地方自治体が代わりに補償費を受け取り、新しい家屋を建設して、移転住民に現物支給するケ−スが多い。・・・・・・このように補償費の全額が直接移住者に支払われないことが問題を複雑にしており、住民の不満を募らせる原因となっている。・・・・・省は省の中、市は市の中、県は県の中、郷は郷の中、村は村の中で移転問題を解決していく。農家の場合は原則として、いまの居住地の後背地に移転する。後背地に適当な土地がない場合には旧居住地から2キロ以内で政府が責任を持って探すことになっている。また、市街地住民の場合には市街地への移転が原則だが、全く新しい新市街地を政府が建設し、都市機能をまちごと移転させるやり方も平行して進めていく。

 このような基本方針がどうしても無理な場合には、域外へ移転することとなっており、さらに「二次移民」の問題も生じている。当初の移住者 113万人を越えて 180万人に増加するとも言われている。

 これらの住民移転対策については、前掲書『三峡ダムと住民移転問題』によりみてみたい。1982年『中国新憲法』10条の土地所有権について、次のように論じている。

・都市の土地は、国家的所有に属する。
・農村及び都市郊外地区の土地は、法律により国家的所有に属すると定められたものを除き、集団的所有に属する。宅地、自留地および自留山も集団的所有に属する。
・国家は、公共の利益の必要のために、法律の定めるところにより、土地を収用することができる。
 このように、農村および都市郊外の土地は、農民集団所有の下に置かれているのであるが「公共の利益」の必要がある場合には、国家により収用されるとされている。この場合、土地を収用される側での同意は必要とされない。換言すれば、国家の側での一方的意思だけで土地収用行為が実施されるのである。

 次に、住民移転対策については、条例を挙げて、その問題点を指摘している。

 1991年1月25日には、国務院により、「大中型水利水電工程建設征地補償和移民安置条例」(大中型水利・水力発電プロジェクト建設の土地収用補償と移住者の再定住に関する条例)が制定された。この条例では、「開発性移民」という新たな概念が導入された。この点について、第3条では、次のように規定されている。
「国家は、前期に補償と補助を提供し、後期に生産支援を行うという方法での開発型移住を唱導し、かつ支持する」また、この条例でも、「従前の生活水準の維持」という保証は明記されていない。その代わりに、第4条第2項では、次ように定められている。「移住者の再定住、ダム貯水池の建設、資源開発、経済発展のそれぞれを結び合わせて、移住者の従前の生活水準を漸次的に達成するかないしは陵駕するようにする。」

 さらに、この書では、開発型移住について「長江三峡工程建設移民条例」に、次のように規定されている、とある。

 「定住者は、まず最初に、当該の県と区において再定住が図られる。当該の県と区で再定住できない場合には、湖北省と重慶市の人民政府により、それぞれの行政区域内のその他の市、県、区において再定住が図られる。・・・・・湖北省と重慶市において再定住できない場合には、その他の省、自治区、直轄市において再定住が図られる。」
「三峡ダムの貯水池地域の農村移住者が、政府組織による外遷と親戚や友人を頼っての自主外遷を行う場合には、三峡プロジェクトの受益地区と良好な条件を備えた省、自治区、直轄市、並びにそれらの市、県、区は、これを受け入れるものとし、また適時に関係手続きを処理し、移住者の生産と生活を統一的に按配するものとする。」

 このようにみてくると、まず、国家の収用行為には異議を唱えることはできない。次に、補償については開発型移住方式である。即ち「移住先地に新築の家屋を与えられるものの、生活の安定は、移住先地開発における経済発展に伴って、移住者の従前の生活を漸次的に達成するか、ないし陵駕するようにする」とある。前述したように、移転対策費は住宅の整備等の実施により、地方自治体に支払われる。この費用をもって自治体は産業等の発展を計る。このように補償費が移住者に直接支払われない仕組みとなっているため、補償費をめぐって汚職が広がっているという。新しい産業による経済発展はタイムラグを生じ、また計画的に発展できるかどうかも明らかではない。この「補償の精神」に係わる基本的な考え方があまりにも漠然としている。行政側はあくまでも努力はしますが、保証はできませんよと言っているようなものである。さらに、再定住については、三峡地区に適当な移住先がない場合、行政側からその他の省、市、県へ斡旋(外遷という)を受ける。これでも移住できない場合は、立ち退きの補償金によって、親戚、友人を頼って自主的に再定住を図らねばならない。自主外遷と呼ばれ、移住者に対して公平な生活再建対策とはいえない。これらの補償もまた移住者は国家に対し、何ら異議の申し立ての権利は認められていない。これに反し、不満をもって異議を唱えれば公序秩序を乱したとして罰せられる。

 三峡ダムにおける補償の精神は、わが国のように「適正な補償」、「公正な補償」、「生活再建対策」を基軸に置いていない。「適正な補償」ではなく「適当な補償」である。あとは、移住先地の経済発展を待たねばならない。その経済発展によって生活安定を図ることとなってくる。生活の安定まで、移住者は自助努力、自己責任を負うこととなる。非常に厳しい補償制度であるが、そのまま、国情の違いが「補償の精神」を貫いている。

    たんぽゝや 長江濁る とこしなへ
                   (山口青邨)

(2006年2月作成)
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