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文献にみる補償の精神【50】
「貴家は秩父市民の注目の的になっている」
(浦山ダム・埼玉県)

古賀 邦雄
水・河川・湖沼関係文献研究会

 これは、財団法人公共用地補償機構編集、株式会社大成出版社発行の「用地ジャーナル」に掲載された記事の転載です。
 
1. 秩父の4ダム

 秩父地方は埼玉県の西部に位置し、標高1,000m〜2,500mの険しい山々が連なっている。そのほぼ中央に四角形をした秩父盆地と山あいの平地斜面が人々の生活の舞台で、古くから林業や秩父銘仙で栄え、近代では武甲山の石灰岩の採掘によるセメント産業が興った。東京都心から秩父までの距離は70qあまり。東京と直結しているため、今では観光開発が進んでいる。

 この秩父地方の荒川水系に、昭和36年二瀬ダムが完成しているが、最近3つの多目的ダムが建設された。それは秩父市、荒川村に浦山ダム(平成11年完成)、小鹿野町、吉田町に合角(かっかく)ダム(平成15年完成)、大滝村に滝沢ダム(平成20年完成)である。「水はみんなで分けて使うものだから」と言って父祖伝来の地を去っていった。その移転者の数は、二瀬ダム30世帯、浦山ダム50世帯、合角ダム75世帯、滝沢ダム112世帯で、合わせると267世帯となる。


2. 荒川4ダムの治水と利水

 荒川の流路延長は、甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)直下の荒川起点から東京湾の河口まで173qであるが、そのうち山地区間41q(23.6%)、盆地区間約23q(13.9%)で、残り100q(62.5%)が平野を流れている。全流路に対する平野区間の割合は、日本の主要河川の中で最も長い。この荒川流域は東京都と埼玉県にまたがっており、日本の人口、産業の約3分の1が集中している。

 このような人口の増大と産業の発展から、荒川における治水と利水のために、荒川上流にダムが建設された。

@ 荒川水系の治水
 荒川水系の治水計画は、荒川の基準地点である岩淵で200年に一度の頻度で起こるような洪水流量14,800m3/sを上流のダム群や河川の河道改修、調整池で、7,000m3/sにまで低減することである。

A荒川水系の利水
 荒川流域では、昔から地下水を利用してきたが、近年の都市化に伴って水需要が増大し、地下水だけではまかなえなくなった。しかも地下水の過剰な揚水は広範囲にわたり地盤沈下を起こしてきた。
 このため、二瀬、浦山、合角、滝沢ダムで開発された水は、ほとんど秋ヶ瀬取水堰で取水され、埼玉県の水は大久保浄水場、東京都の水は朝霞浄水場を経て各戸に配水される。
 また、二瀬ダムについては荒川中部の農地に年間を通じ、かんがい用水に利用されている。


3. 浦山ダムの建設

 秩父4ダムの1つである浦山ダムの建設を追ってみたい。
 浦山ダム(秩父さくら湖)は、荒川の河口から上流へ170qほど遡ると、支流浦山川が流れ込む。この浦山川へ2q入った左岸の埼玉県秩父郡荒川村大字上田野、右岸の同村大字久那地先に、前述のように治水と利水のための多目的ダムとして、平成11年に完成した。

 浦山ダムの諸元をみてみると、堤高156m、堤頂長372m、堤体積約175万m3、総貯水容量5,800万m3、有効貯水容量5,600万m3、洪水期洪水調節容量2,300万m3、型式重力式コンクリートダムである。起業者は水資源機構、施工者は飛鳥建設、間組、竹中土木特別企業体で、事業費は1,844億円を要した。


4. 補償の経緯

 浦山ダムの補償に係る地域は秩父市と荒川村で、主なる補償は移転家屋が50戸、土地取得面積237ha、付替道路(県道約6.6q、市道約6.9q、村道約2.5q)、秩父市役所浦山出張所、診療所、農協、それに漁業補償1件、鉱業補償1件、発電所1ヶ所、高圧電線路6基であった。

 水資源開発公団編・発行『水資源開発公団30年史』(平成4年)に、補償の経緯が次のように記されている。

当該に係る水没協議会は、秩父市に3協議会(浦山ダム対策協議会、浦山ダム建設地元対策協議会、浦山ダム対策同志会)と荒川村に1協議会(荒川村浦山ダム対策協議会)の4協議会があり、用地調査については、秩父市関係は昭和54年2月、荒川村は同年5月に立入協定を締結し、同年6月から調査を開始、昭和59年1月には物件調査を含め概ね完了して、昭和61年1月一般補償基準を提示、昭和62年4月妥結した。公共補償は平成3年3月妥結、特殊補償についても発電所は昭和63年3月、高圧電線路は昭和62年8月、漁業補償は平成2年3月妥結した。

 また、生活再建対策については、浦山ダムはすべて個人移転であり、代替地の取得等については埼玉県の協力を得るとともに、利根川・荒川水源地域対策基金により、利子補給を行うほか生活相談に応じた。


5. 補償の精神

 ダム建設の1つの前提条件は、一般補償では家屋移転土地取得、立竹木等の物件補償をはじめとして、公共補償、特殊補償等すべての補償の解決が終了しない限り、ダムは完成しない。

 浦山ダムは、昭和42年4月予備調査の開始から、平成11年4月完成まで30数年が経過した。水資源開発公団浦山ダム建設所編・発行『浦山ダム工事誌』(平成11年)に、10代にわたる歴代所長の座談会が掲載されている。ここからは、リーダーとしてのダム造りの高い志と気概、そしてダム技術のレベルの高さ、補償問題の解決の苦労が読み取れる。さらに補償の精神もみえてくる。

 7代目倉信健所長は、平成元年4月1日から平成4年3月までの就任。その間、本体の工事発注、原石山の工事発注、転流開始、平成2年12月本体掘削、それに特別補償の解決に当たった。
 倉信所長の回想の中に補償の精神がみえてくる。

原石山関係者との交渉は、地主が原石山の実態をよく研究していたのか、立方買いの要求がでて解決が長引いておりました。しかし6月には原石山を発注したいと思っていましたので、結局最後は、奥さんも含めて話し合いの場を持ち、その帰り際、貴家は秩父市民の注目の的になっている、それくらいの名家だと思います。それが山のことで、かりかりしているとみんなの感情がどうなるか考えたことはありますか、と大きな声で言ったことがあり、それが功を奏したのか、数日後に妥結できました。おかげで31日入札と約束を果たすことができました。

 ところが、倉信所長は、翌日から体の具合が悪いわけでもないのに起きることが出来ず、次の日も辞令交付しなければならないのに、やはり起きられない。自分はストレスなどたまるような人間ではないと思っていたが、あれは相当ストレスがたまっていたのだろう。どこも痛くないし、頭はスカッとしているのに2日間も起きられなかった、という。


6. 共有の理念

 たった一言が相手の閉ざされた、かたくなな心を開かせることがある。

貴家は秩父市民の注目の的になっている、それくらいの名家だと思います。それが山のことで、かりかりしていると、みんなの感情がどうなるか考えたことはありますか

 補償の精神の底を流れているのは勘定と感情のぶつかり合いであって、この2つのカンジョウがどのようなカタチで折り合うかではなかろうか。倉信所長の一言がこの折り合いのカンジョウをつけたと思われ、ここに補償の精神の成立をみることができる。

 水は個人だけのものではない。ある移転者の「水はみんなで分けて使うものだから」という、ともに共有し、ともにワイズユースする精神に共感を覚える。

[関連ダム]  浦山ダム
(2009年9月作成)
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