【司会 補償交渉はすべて忍耐が必要である。我慢して相手に当たれと、知事から「忍耐」と書いた額が工事現場に寄贈されまして、城山ダムが完成した後では、それが城山ダムのみやげ品にまでなっているということで、この交渉がいかに難航したかを物語っております】
【私がきた時分には中沢、三井、沼本の各地区は絶対反対ということでありました。広い区域ですから、地域の代表のかたがたと話合いを進めるのが一番よいのではないかということで各地区の委員長の考え方を打診したり骨を折って見たのですが、どうもやっぱりうまく行かなくて、一年かかってもなかなか話合いがつかない。今でも記憶に残るのはF地区のSさんのところに行った時のことですが、まあ簡単にいうと、自分の家に娘がいて、どうしてもあんたの娘を貰いたいとこられても、親とすれば気に入らないような人が貰いにきたということで、正面切ってはなかなか簡単にはいかない。「あんた 100回位通いなさいよ、そのうち何とかなるでしょう」というような話になってしまう。口では 100回といっても毎日毎日通うわけには行かない。それでもとにかくやらなければならない仕事ですから、補償課の連中と何回でも通ってみようということになった。確か、37年までに、この家に百何十回か通ったかな、それで最後にいよいよ交渉に応じましょうということで、妥結したのは37年3月でした。とにかく、相手に体当たりで当たって行くことですね。根がなかったらこの仕事はできないということ。相手の私有財産を何とか頂戴したいというんですから、難しい話で、われながら後になって考えてみるとよくまあ、ずうずうしく、そこまで通ったものだという気がしますよ】
【相模原市二本松など県が同意した数ケ所の移転代替地に落ち着いて新しい人生の基盤を固めている。すっかり一画の町の体裁を整えた二本松には歓迎碑の立つ遊園地で子どもたちが何もなかったように明るい声をあげ遊んでいる。】