[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]


ダムの書誌あれこれ(1)
〜小 河 内 ダ ム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。

 平成15年8月1日,「水の日」に福岡市の板付遺跡を訪れた。半地下の竪穴式住居を復元,環濠で囲まれた集落である。すぐ近くに那珂古川が流れている。この川は7月19日の未明,豪雨によってJR博多駅周辺に水害をもたらした太宰府市を水源とする御笠川と合流する。
 おそらく,弥生の人々はこの那珂古川から水を取り,稲作を始めたことだろう。堰や池を造り,水を溜め,水を導いた。水を中心とした生活が成立した。いまでも,このような水を中心とした生活環境は基本的には変わっていない。稲作のための,この小さな堰造りが日本のダムの原点かもしれない。

 ダム水源地環境整備センター編『ダム貯水池の水環境 Q & A なぜなぜおもしろ読本』(山海堂・平成14年)に,ダムの始まりは,河内国に築かれた農業用水溜池とあり,以来,白鳳時代704年の満濃池,江戸初期1633年の入鹿池を含めて,多数の溜池が造られたと記されている。
 さらに,ダムとは「河川を横断して流れを貯留または取水するために建設された構造物とあり,国際大ダム会議では堤高15m以上のもの」をダムと定義している。
 香川県の満濃池(堤高32m,貯水量1 540万m3)と愛知県の入鹿池(堤高26m,貯水量1 518万m3)については,満濃池土地改良区編・発行『満濃池史』(平成13年),入鹿用水土地改良区編・発行『入鹿池史』(平成6年)がそれぞれ発行されている。

 日本ダム協会編・発行『ダム年鑑』(2003年版)によれば,平成14年3月末までに,日本のダムは約2 700基建設されている。これらのダム建設には,年代を背景としながら,造る側と造られる側との間に必ず確執と葛藤が生じてくる。
 ダムを造る側は,灌漑用水,上水道,工業用水,水力発電の利水のために,さらに洪水調節の治水のために,水資源開発,国土開発という重大な使命を帯びている。このことを心に秘め,確固たる信念をもって,ダム建設に対処する。
 一方,造られる側は,水没に伴い生活の基盤を失う。墳墓の地を離れる不安を抱きながら日々確執と葛藤が続く。水没者に対しては,公正な,適正な,迅速な補償,すなわち生活再建対策がダム建設に重要な要素を占める。造る側がこの用地補償の解決に精力的に動く。
 造る側と造られる側との確執と葛藤が人間のドラマを生み,ここにダム建設をテーマとした小説となる所以があるようだ。多くの著名な作家がダム建設を背景とした人間模様を小説化してきた。

 石川達三の『日蔭の村』(新潮社・昭和13年)は,多摩川上流の小河内ダムの建設を描く。小河内村民,小河内村長,東京市水道局の担当者の確執と葛藤を描いている。
 小河内ダム建設の発端は,明治42年5月,当時の東京市長尾崎行雄が多摩川水源地を踏査し,ここにダムを造り,東京の水百年の計を決意したときといえる。
 ダム建設の具体化は,昭和5年,東京市水道局がダム建設の案を作成し,小河内村との交渉に入った。ところが多摩川下流にある神奈川県稲毛川崎二ヶ領用水組合から抗議を受けてダム建設が延び,昭和18年太平洋戦争のために中断に至った。ようやく,戦後再開されて昭和32年に完成した。堤高149m,堤頂長353m,貯水量1億8 540万m3である。
「夕陽は赤し,身は悲し,涙は熱久頬を濡らす,左らば湖底のわ可村よ,幼き夢能ゆりかご与」と東海林太郎の歌った「湖底の故郷」の碑が昭和41年に建立された。
 この小説を読みながら,小河内村民に対し感傷的にならざるを得なかった。実際には,山梨県丹波山村民,小菅村民も移転している。造られる側からの記録は小河内貯水池対策委員会編・発行『受難の小河内』(昭和11年),小河内村編・発行『湖底のふるさと小河内村報告』(昭和13年)の書があり,ダムに水没するについてその方針を認定して以来の経過が記されている。また,ダム建設30周年を記念して出版された『湖底の故郷』(奥多摩湖愛護会・昭和63年)は,ありし日の村内の炭焼きの暮らし,神社,各水没者の家,役場,郵便局を,写真集にまとめられている。
 この小河内ダムの貯水量1億8 540万m3は,東京都民のための上水道の確保がなされた。いまでも都民の生命の水となり,有用に利用されている。ダム建設によって465世帯,2 404人の移転者の恩恵を決して忘れてはならない。殉職された87名の方々も忘れてはならない。また,東京都水道局のダム担当者,施工者のご努力も忘れてはならない。

 ダム完成は,造る側と造られる側との確執と葛藤を乗り越えて,多くの関係者の協力を得ながら,さまざまな交渉力,精神力,技術力の結合によって導かれたものと考える。
 前述の稲毛川崎二ヶ領用水組合の問題については,当時小河内貯水池建設事務所長小野基樹著『水到渠成』(新公論社・昭和48年)のなかで,昭和8年から4年間かけて,水量調整および関係用水路改修費等を東京府も負担することで結着したと記されている。また,小野所長は,昭和11年8月18日から11月12日の間,アメリカでの第2回世界ダム会議に出席,さらにコロラド河のブルダー・ダム(その後フーバー・ダムに改称),テネシー河のT.V.A開発を視察されている。フーバー・ダムは堤高221m,堤頂長379m,貯水量352億m3の多目的ダムである。大量のコンクリート打設を実質23カ月で完了している。当時のアメリカのダム建設技術には驚く。昭和11年は,日本では,2.26事件が起こった年である。この頃までは,まだアメリカとは友好的であったことがわかる。


 小河内ダムの工事については,東京都水道局編・発行『小河内ダム写真集』(昭和32年)と『小河内ダム』(昭和35年)が刊行されている。戦後,三人のアメリカの学者が小河内ダムに招へいされ,地質等に関して,見解が述べられている。再度,ダム造りにアメリカの協力が得られるようになった。小河内ダム建設に情熱を傾けてきた佐藤志郎著『ダム男の三十年』(佐藤志郎氏有志の会・昭和50年)の書があり,さらには施工者の鹿島建設兜メ・発行『小河内ダム工事誌』(昭和34年)が刊行されている。




 昭和32年に完成した小河内ダムは昭和36年,昭和39年と渇水に見舞われた。小林重一著・発行『東京サバクに雨が降る』(昭和52年)に,昭和36年10月25日,渇水の小河内貯水池を両陛下がご視察されたことも著されている。昭和天皇は,昭和37年正月,<水涸れせる小河内のダムの水底にひとむら挙げて沈みしものを>と詠まれておられる。
 東京都の人口は,昭和11年600万人,現在では1 235万人と増加した。東京都の水道は,多摩川だけではなく相模川,荒川,利根川の水が供給されるようになった。安定的な水管理が行われている。この水管理の一環として水道水源林の育成が行われてきた。
 森林には水源涵養,土砂流出防止,土砂崩壊防止などの公益的機能を有するが,東京都水道局水源管理事務所編・発行『水道水源林100年史』(平成14年)によれば,多摩川上流域の水源林を購入し,林業経営に当たっていることが記されている。それは,森と川と海を生態的,環境的な面から一体と捉え「よりよい水環境の思想」を実践されている。まさしく,小河内ダムは,「緑のダム」と「人工のダム」が相互に補完し合っているといえないだろうか。このことは特筆に値することだ。

[関連ダム]  小河内ダム
(2003年11月作成)
ご意見、ご感想、情報提供などがございましたら、 までお願いします。
【 関連する 「このごろ」「テーマページ」】

 (ダムの書誌あれこれ)
  [テ] ダムの書誌あれこれ(2)〜佐 久 間 ダ ム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(3)〜松原・下筌 ダ ム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(4)〜児童書〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(5)〜小説を読む〔上〕〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(6)〜小説を読む〔下〕〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(7)〜三峡ダムを考える〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(8)〜台湾のダムを造った日本人・八田與一〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(9)〜温井ダムを訪れる〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(10)〜柳瀬・新宮・富郷ダムと銅山川分水〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(11)〜福岡都市圏のダム(曲淵・牛頸・猪野・鳴淵)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(12)〜佐賀県のダム(北山・厳木・天山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(13)〜筑後川水系の水資源開発ダム(江川・寺内・筑後大堰・山口調整池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(14)〜大分県のダム(白水・耶馬渓・平成大堰・行入・野津・矢田)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(15)〜大井川水系のダム(井川・畑薙・長島)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(16)〜神奈川県のダム(相模・城山・三保・宮ケ瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(17)〜香川県のダム(満濃池・豊稔池・田万・門入・吉田)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(18)〜兵庫県のダム(布引五本松・引原・安富・安室・長谷・生野・青野・三宝・大路・大日・牛内・成相・北富士)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(19)〜富山県のダム(室牧・久婦須川・熊野川・境川・利賀川・城端・上市川・上市川第二・布施川ダム・大谷・朝日小川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(20)〜吉野川水系の水資源開発ダム(早明浦ダム、池田ダム、旧吉野川河口堰)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(21)〜島根県のダム(尾原・志津見・山佐・三瓶・八戸・浜田・御部・大長見・美田・銚子)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(22)〜山口県のダム(小瀬川・弥栄・菅野・屋代・中山川・末武川・島地川・川上・荒谷・一の坂・今富・阿武川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(23)〜黒部川のダム(仙人谷・黒四・宇奈月)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(24)〜京都府のダム(大野・天ケ瀬・高山・日吉)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(25)〜石川県のダム(子浦川防災・手取川・小屋・八ケ川ダム・医王)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(26)〜奈良県のダム(猿谷・坂本・大迫・室生・布目・白川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(27)〜天竜川のダム〔上〕(泰阜・平岡・佐久間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(28)〜天竜川のダム〔下〕(美和・小渋・市の瀬・大泉砂防・横川・片桐・箕輪)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(29)〜千曲川のダム〔上〕(奈川渡・水殿・稲核・高瀬・七倉・大町)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(30)〜千曲川のダム〔下〕(奈良井・水上・小仁熊・北山・古谷・余地・金原・内村・豊丘)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(31)〜山梨県のダム(広瀬・荒川・大門・塩川・深城)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(32)〜三重県のダム(宮川・蓮・君ケ野・滝川・青蓮寺・比奈知・安濃・中里)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(33)〜庄川・常願寺川・小矢部川のダム(庄川合口・小牧・御母衣・有峰・刀利)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(34)〜愛媛県のダム(大谷池・黒瀬・台・石手川・鹿野川・野村)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(35)〜宮崎県のダム〔上〕(轟・上椎葉・一ツ瀬・杉安)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(36)〜宮崎県のダム〔下〕(川原・沖田・田代八重・瓜田・広渡・日南)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(37)〜高知県のダム〔上〕(永瀬、大森川、穴内川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(38)〜高知県のダム〔下〕(鎌井谷、大渡、桐見、中筋川、坂本)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
【 関連する ダムマイスター の情報】

 (古賀 邦雄)
 「このごろ」の関連記事(55 件)
 「テーマページ」の関連記事(159 件)
[テーマページ目次] [ダム便覧] [Home]