これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
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◆ 1. 吉井川の流れ
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ダムに明けダムに暮れたる歳月は こころ休まることもなかりき (檜山貴久枝)
この歌は奥津町編・発行『ふるさと 苫田ダム記念誌写真集』(1997)に掲載されていた。苫田ダムは、吉井川上流岡山県鏡野町久田下原の地に、52年の歳月を経て完成した。ダムサイトは吉井川の谷底平野がいったん広がりをみせた直下流の狭窄部に当たり、ダムサイトとしては理想的な場所である。半世紀の間、水没者の一人である作者は、ダムのことから一時も離れずに、〈こころ休まることもなかりき〉と、その心情をつぶやくように詠んでいる。
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『ふるさと 苫田ダム記念誌写真集』 |
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『川の百科事典』 |
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苫田ダムが築造された吉井川について、高橋裕編集委員長の『川の百科事典』(丸善・2009)から次のように追ってみた。
吉井川は中国山地の三国山に源を発し、岡山県津山市を貫流しながら加茂川、吉野川、金剛川などを合流して、岡山県西大寺で児島湾に注ぐ、延長133q、流域面積2,110km2の一級河川である。吉井川流域は、約1700年前に開発されたと言われており、出雲地方と近畿地方を結ぶ交通の要所であり、高瀬舟による舟運が早くから栄えた。江戸期の豪商・角倉了以は17世紀初めには、この高瀬舟を手本にして京都大堰川に水運をひらく河川開発を行っている。また、池田光正が岡山藩主であった1679(延宝7)年に、開発された新田への用水確保と舟運連絡を図るために、倉安川が開削された。この川に吉井川から導水するために、石垣水門として、吉井川側に「一の水門」、倉安川側に「二の水門」が設置された。 この水門は二重構造になっており、この水門の構造は、当時では最先端技術の「閘門式」となっている。この閘門式は、1762(宝暦12)年、福岡藩における遠賀堀川の中間の唐戸に採用された。 吉井川の水害は藩政期には毎年のように起こっている。戦後の水害を辿ると、1945(昭和20)年9月枕崎台風で死者92名、浸水家屋14,798棟をだし、1963(昭和38)年7月、1972(昭和47)年7月、1990(平成2)年9月、1998(平成10)年10月に大水害が起こっている。 吉井川は旭川、高梁川と並ぶ岡山県下の三大河川の一つで、三川の中で最も東に位置する。極めて支川の多い川で扇を半開きにした形で流域が北に向かって拡がり、その中に分散する二次、三次支川の多さは群を抜いている。
地形的には中流部における吉井川は静謐な流れを保っているが、この地域での目立たない浸食により谷が拡がり河川勾配も緩やかになり、さらに肥沃な谷底平野を形成する。その周辺のなだらかな丘陵は集落を立地するのに最適な場所である。 地質は、北部山間地帯は花崗岩を主としており、中北部地帯の中心に位置する津山盆地の沖積層を主として、秩父古生層、第三紀層、石英粗面岩が広く分布し、西大寺を中心とする沖積層とともに主な部分を占めている。
吉井川の気候は、全般的に温暖な瀬戸内海型気候に属しており、北部の山間部では日本海型気候の影響を受け、冬季には積雪も多い。年降水量は南部で1,200o前後と日照晴天が多いが、北部では、1,800o前後と南部と比較すると約1.5倍多くなっている。
水利用については、吉井川に依存する農業用水などの取水施設は、加茂川合同用水、田原用水、大用水、坂根堰(昭和55年完成)、新田原堰(昭和61年)がある。一方、水力発電は最上流部の恩原ダムをはじめ、黒木ダム、久賀ダム、香々美ダムにより、河川水を利用して、流域周辺に電気を供給している。
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◆ 2. 吉井川の河川改修と水害
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吉井川の水害は、藩政時代には毎年のように起こっている。流域の住民は洪水の苦しみからなかなか逃れられなかった。しかも水害は川下において特に頻発し被害もまた甚大であった。特に承応3年の大水害、明治25年、26年の連続的大水害、昭和9年及び20年の大風水害はその被害は甚大であった。昭和20年の大災害をうけ、それが動機となって、地元民の要望が容れられ、翌21年度から建設省直轄河川として、災害復旧改修工事が着手された。その後、西大寺市西大寺地区の吉井川河口から4.8q地点右岸堤防及び港湾改良工事竣工、西大寺排水樋管竣工、邑久郡行幸村地区洪水敷施工、和気郡和気町地区の吉井川河口から29.8q地点付近左岸堤防施工、金岡地区の築堤工事竣工など、堤防の施工を行っている。
上述したように、吉井川の水害は、昭和20年代以降も、度々起こり流域住民の苦難は消えなかった。苫田ダムの建設事業は、昭和28年4月岡山県が吉井川総合開発調査に着手したことから、始まったといえる。
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◆ 3. 苫田ダムの建設過程
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苫田ダム(奥津湖)は、昭和28年岡山県の吉井川総合調査から開始され、昭和32年11月農林省と岡山県による農業用ダム構想の記事が山陽新聞に掲載されると、当時の苫田村は、村議会で反対を表明した。昭和38年に建設省(現・国土交通省)に移管された。激しいダム反対闘争を経て、構想から42年後平成11年に漸く苫田ダム工事本体起工式が行われ、平成17年3月に完成した。52年の歳月を経て苫田ダム建設事業は完了。それまでの過程について、国土交通省中国地方建設局苫田ダム管理所監修・発行『奥津湖誕生』(2006)及び奥津町編・発行『ふるさと 苫田ダム記念誌』(2006)により、見てみたい。
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『奥津湖誕生』 |
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『ふるさと 苫田ダム記念誌』 |
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昭和9年9月 室戸台風により吉井川上流部は大きな被害を受ける 20年9月 枕崎台風により吉井川大出水となり、津山市を中心に大氾濫となる 28年4月 岡山県が吉井川総合開発調査に着手 29年4月 建設省が岡山県より吉井川総合開発調査を引き継ぐ 32年11月 山陽新聞に農林省所轄の苫田ダム建設構想記事が掲載される 苫田村民大会でダム建設絶対反対を決議、苫田ダム建設阻止期成同盟会を結成 33年4月 阻止同盟会員が「団結の碑」を建立 34年4月 苫田村、羽出村、奥津村の三村合併により奥津町が発足 36年9月 第2室戸台風が襲来 38年7月 吉井川洪水発生 11月 県と中国地建が土生橋下流で吉井川治水対策説明会を開催 治水対策説明会に阻止同盟会員600人が橋上で抗議 39年12月 苫田ダム阻止総決起大会が久田小学校で開催 40年1月 県は公報で、苫田ダム立入調査を告示 3月 現地予備調査開始 立入調査を阻止同盟会員500人が阻止 41年11月 苫田ダム阻止総決起大会400人の参加で開催 42年4月 県庁で吉井川総合開発事業苫田ダム調査協定書に調印 47年7月 吉井川洪水発生 48年3月 吉井川水系工事実施基本計画決定 7月 渇水被害が起こる 54年4月 (財)吉井川水源地対策基金設立 56年4月 苫田ダム調査事務所を苫田ダム工事事務所に昇格 57年2月 標高234m以下を苫田ダム河川予定地に指定告示 3月 水源地域対策特別措置法の指定ダムに指定 6月 境界杭設置開始 8月 水没地域の家屋土地立入調査を開始 61年5月 ダム推進派地権者団体は、損失補償協定、生活再建対策費などの協定調印 11月 補償契約済91戸に補償金の支払い 第30回苫田ダム建設阻止総決起大会開催 平成2年4月 森元奥津町長ダム建設を前提とした町政への転換を表明 8月 苫田ダム水没者補償交渉対策会発足 3年2月 阻止同盟から56人が脱会、新組織をつくる 4年4月 久田小学校、泉小学校閉校、奥津小学校新校舎へ移転 苫田ダム環境デザイン委員会設立 10月 国道179号付替に伴う土地・物件調査開始 5年2月 国道179号付替に伴う苫田第1号トンネル起工 3月 国道179号付替に伴う湯ノ坂トンネル起工 6年8月 町が阻止条例を廃止 奥津、鏡野町2町と国、県が苫田ダム建設事業に係る基本協定書締結 11月 ダムのボーリング調査開始 7年3月 阻止同盟が立入調査に同意、38年の反対運動に幕 「平成7年3・21会」が発足 9月 水特法の水源地域の告示 12月 水特法の水源地域整備計画の告示 8年11月 国道179号付替に伴う苫田第2号トンネル貫通 10年11月 国道179号付替、鏡野町〜奥津町黒木間供用開始 11月3月 苫田ダム本体1期工事着手 4月 仮排水路完成、転流開始 6月 苫田ダム起工式 13年8月 鞍部ダム建設工事開始 14年12月 ダム堤体打設完了 16年2月 鞍部ダム堤体完了 4月 貯水池の名称を「奥津湖」に決定 5月 試験湛水開始 11月 苫田ダム完成式 17年4月 ダム管理運用開始
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◆ 4. 苫田ダムの目的と諸元
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苫田ダムは、水害を防ぎ、水道用水、灌漑用水、工業用水を供給し、さらに水力発電をおこなう多目的ダムである。
@ 治水 治水として、150年に1回の確率で発生すると考えられる洪水に対し、ダム地点で2,700m3/sの約80%である2,150m3/sを調整し、水害の減災を図る。 A 水道用水 岡山県南西部へ最大40万m3/日を供給する。 B 灌漑用水 吉井川沿岸の約243haに対し、灌漑用水として、補給する。 C 工業用水 吉井川下流の工場へ8,500m3/日の工業用水の供給を行う。 D 水力発電 ダムサイトの地点に、岡山県企業局によって、水力発電所が設置され、ダムの利水、放流水を利用して、最大4,600kWの発電を行う。
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苫田ダムの諸元は、堤高74m、堤頂長225m、堤体積30万m3、流域面積217.4km2、湛水面積330ha、利用水深41m、総貯水容量8,410万m3、有効貯水容量7,810万m3、型式は重力式コンクリートダムである。起業者は国土交通省、施工者は佐藤工業・鴻池組・アイサワ工業である。事業費は2,040億円を要した。一方、苫田郡鏡野町塚谷に完成した苫田鞍部ダムの諸元は、堤高28.5m、堤頂長259m、堤体積18万m3、型式はロックフィルダムで、施工者は大成建設である。
主なる補償関係は、水没面積330ha、水没農地面積155ha、水没戸数504戸(奥津町477戸、鏡野町27戸)で、そのほかの施設として、1997年奥津町役場が移転し、現在市町村合併により、鏡野町役場奥津振興センターとなっている。久田神社は2001年に国道179号線久田大橋付近に遷座。中国電力久田発電所は、上流に位置する羽出発電所と統合して、奥津第二発電所として2002年に運転を開始した。
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◆ 5. 補償問題の長期化
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苫田ダムの建設において、補償の問題が最大の課題と言っていいだろう。とにかくも、箱地区、西屋地区、河内地区、得谷地区、久田上原地区、久田下原地区など多くの関係地域があり、水没戸数が500戸越えたことと、水没面積には優良農地が大半を占めたことなど、水没者は故郷への愛着はとくに強く、「団結の碑」を建立し、地元のダム反対の団結力は、強固であった。そのダム反対闘争については、苫田ダム阻止写真集刊行委員会編『ダムとたたかう町』(手帖舎・1993)に記録されている。
当初から苫田村行政がダム建設において中立の立場でなく、苫田村当局がダム反対であった。当時の苫田村は村議会でダムに断固反対を表明し、村民大会でダム建設絶対反対を決議し、苫田ダム建設阻止同盟会が直ちに結成され、阻止同盟、村長、議長など代表が県に出向き反対を陳情し、奥津町は苫田ダム阻止特別委員会条例を制定し、それ以降30数回の苫田ダム阻止総決起大会を開催し、全国的にダム反対の運動を展開した。その間、ダム反対の町長が当選を重ねた。
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『ダムとたたかう町』 |
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苫田ダムは理にかなうか、治水に対する有効性を疑問視し、強制調査に反感を持ちながら闘争を続行した。「ふるさとバンザイダム反対」、「次代にダムは残すまい」、 「燃える闘志でダム阻止貫徹」の幟がはためく。このような反対闘争も、平成3年森元町長の建設への方向転換に及んで、徐々にダム建設へ進むこととなる。長野知事は森元町長らを訪ね、森元町長のダム問題解決への努力に敬意を表明、全面解決へ県もできる限り努力すると約束した。また阻止同盟会の顧問元町長岡田氏が「苫田ダムを考える会」を発足し、 「苫田ダムは不要不急という思いは変わらない。水没地権者の8割以上が移転に同意し町外に移転した人が多い現状を考えると、ダム阻止一点張りでは町の発展はない」と決意した。その後、平成7年3月21日阻止同盟が立ち入り調査に同意、38年の反対運動が幕を閉じ、「平成7年・3・21会」が発足した。それはおそらく苦渋の選択であっただろう。
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◆ 6. 苫田ダムの技術的特徴
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平成23年12月4日、私は初めて苫田ダムを訪れた。JR岡山駅から津山線に乗り換え終点津山駅で降りた。午後2時ごろで、今にも雨が落ちてきそうな天候だった。駅から国道179号線を吉井川沿いにのぼっていくと、途中で水没者の新しい移転家屋があっちこっちに建っている。ほどなく苫田鞍部ダムに達し、苫田ダムの湖面が見えてきた。湖岸道路にはいると波もない水面に浮島が浮かんでいる。ここではよく句会が開催されるという。俳句が詠まれるダム湖は情緒があっていい。そこを過ぎると団結の碑があった。
ダム湖を一周してみると、苫田ダムはどこから眺めても威圧感がないし、道路の凸凹もないし、荒廃地も見えない。橋と道路と湖面が一体のような不思議なダム風景がそこにあった。というのは、目線を極端に見上げるのでもなく、見下げることもないダム空間だったからだ。素人である私はダム技術のことはよくわからないが、ダム築造の過程においてこまかな気配りがされていた。
苫田ダムの技術的特徴について、前書『奥津湖誕生』には次のように述べられている。 宮間俊一中国地方整備局河川部長は、 「苫田ダム建設にあたっては、国内で初めてのラビリンス型自由越流頂の採用、世界で初めてのダム堤体内での引張型ラジアルゲートの設置、鞍部ダムでのCFRDなどの新技術の開発及び新工法の採用や、ダム本体及び鞍部ダムへの現地河床砂礫の活用により、施工性の向上、品質確保、コスト縮減を図りました。また、ダム現場からの廃棄物ゼロの達成や地域の魅力ある風景を創出するグランドデザインなど環境、景観への配慮も行いました。これらの取り組みは平成17年度の「土木学会技術賞」 「ダム工学会技術賞」 「全建賞」の受賞として、広く認められることとなりました。」と、語っている。もう少し、具体的にその技術的特徴を追ってみよう。
@ ラビリンス型自由越流頂の採用 非常用放流設備である自由越流頂は、当初一般的な直線の越流型式で計画されていたが、設計洪水位(EL.232.9m)で洪水調節放流設備と合わせて、ダム設計洪水流量の2,920m3/sが放流可能な能力が必要であり、自由越流単独でも2,350m3/sが求められる。さらに鞍部ダムを考慮した割り増し分を含めると、3,504m3/sになる必要放流量を支障なく放出するためには、直線とした堤頂長が不足し、さらになる堤高、基礎掘削量が必要となる。このため、径間が比較的短く形状が複雑になる中央付近を除き、ラビリンス型越流頂を検討することとし、旧土木研究所水工水資源研究室において、水理模型実験を行って理論的裏付けを行った。ラビリンス型越流頂は、ダム軸に対し、平面線形をジクザクにしたものであり、実質的な越流延長を大きくし、水路単位幅当たりの越流量を大きくするものである。苫田ダムにおいては、この型式を採用することで、堤頂長を約35m短縮することが可能となり、ダムサイト法面の縮小化とコスト縮減を生み出すことが出来た。
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A 引張りラジアルゲートの採用 水位維持放流設備については、当初ジェットフロー式の放流設備で計画されていたが、堤体下流面に大きな突出部が出来てしまい、景観上好ましくないことから、ダム施工の合理化及びコスト縮減の観点からも、ゲート形式として、引張りラジアルゲートを採用。結果的に、コストは約15%の縮減となり、さらに副産物として、余剰空間に全面ガラス張りの見学室を設置。この結果、放流水をまぢかに見学できることで、一般への開放とアピールに役立った。引張りラジアルゲートの利点としては次のことが挙げられる。 i) 水圧を支える部材への主たる作用力が引張力であるため、座屈を考慮した場合に圧縮より引張に強い鋼材の特性を活かすことができる。 ii) ゲート扉体及び開閉装置を放流管と切り離して据え付けることが可能であり、施工の合理化を図ることができる。 iii) 従来型ゲートでは、扉体及び脚柱の設置・移動のため、放流管出口下流に大きな空間が必要であったが、引張りラジアルゲートでは、荷重伝達板の移動が放流管側部の小さな空間でできるため、コンパクトな空間配置が可能となる。
B 鞍部ダムにおけるCFRDの採用 鞍部ダムは苫田ダムの左岸上流300mに位置し、洪水調節容量確保のため苫田郡鏡野町塚谷地区内に建設された、堤高28.5m、堤頂長259m、堤体積18万m3の表面遮水壁型ロックフィルダムである。ダムサイトの原地形標高は常時満水位(EL.210.5m)程度で、サーチャージ水位(EL.229.7m)より低い。 鞍部ダムは、地形、地質、コスト面から検討の結果、日本では最近採用されていないCFRDの型式を採用。先行建設された岐阜県揖斐郡の揖斐川水系の徳山ダム上流二次締切CFRD試験施工を踏まえた施工技術の検討を行い、平成13年8月に準備工の着手、平成16年2月に堤体完了となった。
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C ゼロエミッション工事・5R活動 苫田ダム工事において、ゼロエミッション工事をかかげ、発生抑制(Reduce)、再利用(Reuse)、再生利用(Recycle)、搬入抑制(Refuse)、再生材購入(Return)の5活動を通じて、その達成に取り組んだ。第1期工事が終了する平成14年3月末までの、産業廃棄物の再利用は99%、発生土は場内及び隣接他工区で100%転用することができ、これにより、建設副産物全体でほぼ100%に近い再生利用率を達成した。
D 骨材の水没予定地内からの採取 ダム本体コンクリートに使用する骨材は、水没予定地内から無破砕で良質な河床材料が十分確保できることから、すべてこれを利用。従来実施されている原石山の用地取得・骨材採取後の景観整備等の必要がなくなることを含めて、大いなるコスト縮減に繋がった。
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◆ 7. 苫田ダムのグランドデザイン
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苫田ダムのグランドデザインは、トータルコンセプトを確立し、デザイン指針の作成、長期にわたって設計施工を見守れる環境・体制を作るため、平成4年に、河川、植生、景観、色彩、建築ごとに専門の学識経験者からなる「苫田ダム環境デザイン委員会」が設立され、平成16年までの12年間、33回ものデザイン委員会が開かれ、苫田ダム環境に関するデザインが具体化された。そのグランドデザインの理念を前書『奥津湖誕生』から追ってみる。
@ 苫田ダム本体のデザイン 苫田ダムの全体景観的な特徴は「ダムの基本形状を尊重したズッシリとしたデザイン」、「縦・横のラインを活かした安定感のあるデザイン」となっている。 非常用洪水吐きにラビリンス越流型式を採用したことにより、他には類を見ないリズミカルなイメージを創出。一方常用洪水吐きに引張りラジアルゲートを採用したことで基本形状が際立ちコスト縮減とともにシンプルな景観美が創出できた。細部デザインに関しては、ダム天端から立ち上がりを小さく抑えることで諸施設の存在感を少なくし、ダム全体としての違和感が生まれにくいデザインとなっている。
A 橋梁の景観デザイン 橋梁整備に関しては、「奥津湖」全体の景観保持と経済性の観点から道路機能、景観的特性を整理することで「図」と「地」の役割に分類。「図」の橋梁としては、橋梁そのものが、「図」(絵)的要素を備え、周辺環境と相俟ってシンボリックな存在となりうるものをいい、「苫田大橋」や「久田大橋」はその代表的な橋梁となっている。一方「地」の橋梁とは「図」の橋梁以外のもので、ダム湖全体のコンセンプトである、湖畔の風景に溶け込む控えめな土木デザインにそった橋梁である。これらは、ダム湖周回道路に架かるものと、国道179号付替に伴って整備されたものに、さらに分類される。いずれも、経済性と、連続した景観、維持管理面を考慮してコンクリート橋を採用している。 久田橋は、橋長が188mのPC上路式固定アーチ橋と呼ばれる。奥津湖に流入する支川河内川を跨ぐもので、付替えられた国道179号を支え、谷地部の風景にあう橋梁として、また、近隣に整備計画のある町の集客施設等にも配慮し、見上げる景観も考慮されている。デザイン面では、アーチリブを変断面の放物線として中央部と一体化させることで伸びやかさを表現し、アーチ部の鉛直材とアプローチ橋の橋脚支間を統一することで、視覚上の連続性が確保されている。
B 道路の景観デザイン 湖岸道路の景観デザインは、次のような理念で行われた。 i) 湖岸の風景の中に溶け込むような「地」のデザインを基本とする。 ii) 法面の植生回復を基本とする。 iii) 断面の画一的・人為的な印象をできるだけ緩和する。 このことから、道路計画の線形を見直し、切土法面2段以下を目指すことで、法面規模を大幅に縮小し、コンクリート吹き付け法面を極力抑え、構造物が見えにくい緑の多い湖岸を創出できた。
C トンネル坑口のデザイン トンネル坑口は、「面壁形状」「擁壁形状」「斜面安定処理」「水処理」の4点に整理して、次のような理念で施工された。 i) ダム事業の付替道路に伴い整備されるトンネルを、一連の施設群として認識されるよう形状要素やテクスチャー(素材感、材質感)、色彩などを共通にする。 ii) トンネル地形改変を小さく、構造物の出現を極力少なくする。 iii) 谷側抱き擁壁は樹木及びツタ類により隠蔽し、周辺の景観に配慮する。 以上の観点から国道179号の矢谷山トンネル、雲井山トンネル、塚谷トンネルについては、施設を眺める視点、景観的特徴の整理が行われ、デザインされている。
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D 管理庁舎のデザイン 管理庁舎のデザインは、ダム施設の管理を基本におき、狭い敷地を活かすように、以下の点を留意してデザインされている。 i) 上下流を目視と音を聞くことによって確認できる操作室を設けるために、庁舎はダム軸上とする。 ii) 管理機能の優れた1フロア構造を採用。 iii) ダムコンピュータを大地震から守るために、管理庁舎としては初めての免震構造を採用。 iv) ピロティ構造を採用し、広場空間を創出する。 以上の管理・構造面を加味したうえで、デザインでは、ダム本体を引き立たせるために、直線を基本としたシンプルなものとなっている。
なお、苫田ダムのグランドデザインについては、篠原修編『ダム空間をトータルにデザインする』(山海堂・2007)に、山形県小国町を流れる荒川の支川横川に建設された横川ダムとあわせて、詳細に論じられている。
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『ダム空間をトータルにデザインする』 |
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◆ 8. おわりに
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以上、苫田ダムについて述べてきたが、ダム完成が開始から52年の歳月を経たこと、水没移転者の数が504戸と、多くの方々が故郷を離れざるを得なかったこと、そして、ダム反対闘争は激しく、38年もの長期にわたり継続したことなどが、他のダム建設からみると突出している。さらにダム技術の観点からは、重力式コンクリートダムの非常用洪水吐きでは国内初のラビリンス型自由越流頂の採用、世界で初めてのダム堤体内での引張型ラジアルゲートの設置、鞍部ダムでのCFRDの採用などの新技術開発及び新工法の採用、そしてゼロエミッション工事に見られるように、ダム本体及び鞍部ダムの骨材に現地河床砂礫を利用、また現場からの廃棄物の再利用を図り、施工性の向上、品質管理、コスト縮減を行ったことは特筆に値する。
さらに、苫田ダムのグランドデザインについても、12年間もの長きにわたって検討され、ダムを治水、利水だけでなく水源地域の活性化の核と位置付け、水源地域の自立的、持続的活性化を図り、水循環等に果たす水源地域の機能の維持、水辺環境、伝統的な文化遺産を広く利用可能としたダム造りにも心から拍手をおくりたい。素晴らしい奥津湖の誕生である。
物事には必ず、プラスの面とマイナス面があり、一般的に『ダム工事誌』によれば、ダムのプラスの面は掲載されているが、マイナス面の記載はない。この『奥津湖誕生』には、「ダムはプラス側、いわゆる効用・便益だけではないことも公表して、そのマイナス部分をゼロにしようとする真剣な努力も見ていただかなければなりません。例えば水質問題、堆砂問題あるいは環境整備の維持管理のあり方について、いい事例をつくっていかないと、ダムという施設はいいものだなと真剣には理解してもらえないだろうと思うのです。」と、はっきりと言い切っている。起業者側からダムのマイナス面を述べられた書は、私の知る限り、初めてである。この勇気もまた特筆に値するものだ。
最後に吉井川に関する書を掲げる。 ○藤井駿編著『吉井川史』(吉井川下流改修促進協力会・昭和32年) ○岡山河川工事事務所編・発行『吉井川坂根堰の管理について』(昭和53年) ○吉沢俊忠・文 川の会・写真『吉井川』(山陽新聞社・1994) ○岡山理科大学『岡山学』研究会編『吉井川を科学する』(吉備人出版・2004) ○宗田克巳著『吉井川』(日本文教出版・昭和50年) ○吉井川総合開発調査事務所編・発行『吉井川の災害』(昭和48年) ○農林省農地局編・発行『吉井川水系農業水利実態調査(第1、第2分冊)』(昭和32年) ○津山郷土館編・発行『高瀬舟(上)』(昭和62年)
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[関連ダム]
苫田ダム
苫田鞍部ダム
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(2014年1月作成)
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[テ] ダムの書誌あれこれ(17)〜香川県のダム(満濃池・豊稔池・田万・門入・吉田)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(18)〜兵庫県のダム(布引五本松・引原・安富・安室・長谷・生野・青野・三宝・大路・大日・牛内・成相・北富士)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(19)〜富山県のダム(室牧・久婦須川・熊野川・境川・利賀川・城端・上市川・上市川第二・布施川ダム・大谷・朝日小川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(20)〜吉野川水系の水資源開発ダム(早明浦ダム、池田ダム、旧吉野川河口堰)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(21)〜島根県のダム(尾原・志津見・山佐・三瓶・八戸・浜田・御部・大長見・美田・銚子)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(22)〜山口県のダム(小瀬川・弥栄・菅野・屋代・中山川・末武川・島地川・川上・荒谷・一の坂・今富・阿武川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(23)〜黒部川のダム(仙人谷・黒四・宇奈月)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(24)〜京都府のダム(大野・天ケ瀬・高山・日吉)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(25)〜石川県のダム(子浦川防災・手取川・小屋・八ケ川ダム・医王)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(26)〜奈良県のダム(猿谷・坂本・大迫・室生・布目・白川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(27)〜天竜川のダム〔上〕(泰阜・平岡・佐久間)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(28)〜天竜川のダム〔下〕(美和・小渋・市の瀬・大泉砂防・横川・片桐・箕輪)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(29)〜千曲川のダム〔上〕(奈川渡・水殿・稲核・高瀬・七倉・大町)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(30)〜千曲川のダム〔下〕(奈良井・水上・小仁熊・北山・古谷・余地・金原・内村・豊丘)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(31)〜山梨県のダム(広瀬・荒川・大門・塩川・深城)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(32)〜三重県のダム(宮川・蓮・君ケ野・滝川・青蓮寺・比奈知・安濃・中里)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(33)〜庄川・常願寺川・小矢部川のダム(庄川合口・小牧・御母衣・有峰・刀利)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(34)〜愛媛県のダム(大谷池・黒瀬・台・石手川・鹿野川・野村)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(35)〜宮崎県のダム〔上〕(轟・上椎葉・一ツ瀬・杉安)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(36)〜宮崎県のダム〔下〕(川原・沖田・田代八重・瓜田・広渡・日南)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(37)〜高知県のダム〔上〕(永瀬、大森川、穴内川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(38)〜高知県のダム〔下〕(鎌井谷、大渡、桐見、中筋川、坂本)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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(古賀 邦雄)
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