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ダムの書誌あれこれ(74)
〜一庫ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
◆ 1. 猪名川の流れ

 兵庫県と大阪府を流れる猪名川は、一級水系淀川に属し、兵庫県川辺郡猪名川町北部境大野山山麓を水源として、阿古谷川、野尻川、一庫大路次川、余野川、箕面川、千里川などを併合し、また藻川を分流し、尼崎市で神崎川に合流し、大阪湾に注ぐ、流域面積397km2、幹川延長43qの河川である。平均勾配は、上流1:65、中流1:287、下流1:724となっている。流域を構成する地質は、上流部においては丹波古生層を主体とし、中生層と第三紀層が介在する。また中下流部は、大阪沖積層、大阪海砂利層、第四紀層が混在する。

 なお、猪名川は中小河川であるが都市河川でもある。山地部で降った雨は、渓谷を呈する急流河川であるため、下流への到達時間は比較的早く、そのため、下流部の都市は大雨の都度大きな被害を被った。

 一庫(ひとくら)ダムは、この猪名川支川一庫大路次川の兵庫県川西市一庫字大山(左岸)、同一庫字唐松(右岸)地先に建設された多目的ダムである。一庫ダムの建設について、水資源開発公団一庫ダム建設所編・発行『一庫ダム工事誌』 (昭和59年)、同『一庫ダム写真集』 (昭和59年)、同『一庫ダム図面集』 (昭和59年)が刊行されている。これらの書から、一庫ダムの建設を追ってみたい。

『一庫ダム工事誌』

『一庫ダム写真集』

『一庫ダム図面集』
◆ 2. 一庫ダム計画の経緯

 昭和13年神戸地区の大豪雨による出水は、猪名川においても猛威をふるい、各所に破堤、溢水による氾濫が生じ、甚大な被害を被った。この水害により、当時の内務省土木局は、抜本的な治水対策として、上流虫生地点に、高さ45mの洪水調節ダムを築造し、ダム地点の流量1,450m3/sを1,000m3/sに調節し、下流においては猪名川を締め切ってもっぱら藻川を拡張して、洪水の疎通を図ることを意図して、昭和15年この工事に着手したが、戦争による資材不足のため中止せざるを得なかった経過がある。

 戦後、河川改修が進められていたが、昭和28年9月13号台風による出水は、近畿各河川に甚大な被害をもたらし、猪名川も各所に大被害を受けた。小戸地点での水位記録は3.40mを記録した。洪水後の痕跡調査から最高水位を3.8mと推定し、その流量は1,600m3/sと推定されている。下流部の川西市、伊丹市の各所に堤防決壊、護岸の倒壊、橋梁の流失、家屋の浸水流失の被害が生じた。

 その後の水害を辿ると、昭和34年9月台風15号による洪水、昭和35年8月台風16号の洪水、昭和36年6月梅雨前線の豪雨、昭和42年7月台風7号、昭和43年8月台風10号によって猪名川流域は被害を受けた。被害状況からみれば、猪名川の水害は台風によるものが大半といえる。

 昭和28年9月の洪水を契機として、計画高水流量が再検討されたが、計画高水流量1,850m3/sの改訂まで至らなかった。しかし、猪名川沿川には大阪空港ほか大小1,000余の工場があり、阪神工業地帯のめざましい発展と地域開発に伴い、猪名川が占める治水の重要度の増大と水不足の問題に対処するため、治水利水の両面から検討を行うこととなった。昭和35年度より再び虫生地点を中心としたダム調査が実施されることとなった。その後、虫生と一庫地点を治水と利水の両面から総合的に比較検討した結果、猪名川上流ダム計画地点を一庫地点とすることに決定した。

 ダム地点及びダム規模の決定に当たっては、『一庫ダム工事誌』には次のように記されている。

 「ダムサイトについては、物理探査、横坑、ボーリングによる地質調査の結果からは必ずしも判然と確認することができなく、全体的に大きな断層破砕帯はなく、風化岩とかなり新鮮な岩との互層からなっており、ただ層理の傾斜が高角度であるため、どこまでをダム基礎として選定し掘削線を決定するかが鍵となる。……この問題について土木研究所に現地調査を依頼した。その結果、まず70m級のダムであれば建設可能であると判断いただいた。」

 このことから、掘削線は20m〜30mの範囲にある堅硬な岩盤までにとどめ、後は基礎処理と堤体の基礎幅等については工夫することにより、堤高70m〜80m級のダム建設が可能であると判定された。型式は地形、地質条件から重力式コンクリートダムか、フィルタイプダムにしぼられ、フィルタイプダムについては、近傍にコア材採取の適地が見当たらないことから、重力式コンクリートダムに決定した。

◆ 3. 一庫ダムの建設経過

 一庫ダムの水没地域は、兵庫県側は川西市と猪名川町、大阪府側が能勢町と東能勢村と2府県4市町村にまたがっている。

 昭和43年6月淀川水系水資源計画に一庫ダムが追加され、同年10月に事業実施方針が決定し、同年12月に実施認可をうけて着手した。その後の主なる経過をダム完成まで辿ってみる。

 昭和43年8月一庫ダム調査所が開設し、事業説明を行うが、川西市地区は絶対反対で難航する。猪名川町、東能勢村は計画説明が進み協力が得られた。昭和44年6月一庫ダム建設所が開設する。

 44年10月川西市地区(国崎、黒川、一庫、笹部の4地区)に、計画説明を行う。45年7月川西市地区関係者は絶対反対を解き、対策委員会を結成する。46年3月川西市地区は、用地調査を除く諸調査を了承し、覚書調印。地形測量、三角測量はじまる。47年12月代替用地を川西市から公団が取得する。48年用地調査を開始する。49年7月水源地域対策特別措置法の指定ダムとなる。同8月川西市一庫ダム対策委員会の交渉委員15名が選出された。50年8月「一庫ダム建設に伴う損失補償基準」妥結調印、51年11月猪名川漁業共同組合連合会との漁業補償調印、52年2月川西市との公共補償調印を行う。さらに52年5月本体掘削開始、同10月国道迂回路供用開始、同11月転流開始、54年3月ダム本体コンクリート打設開始、同10月定礎式、56年10月ダム本体コンクリート打設完了(44.1万m3)、同12月周辺環境整備着手、57年6月府県道野間出野一庫線供用開始。同7月竣功式、58年4月一庫ダム管理所の発足となり、16年余の歳月を経て完成した。


◆ 4. 一庫ダムの目的

 一庫ダムは、次のような4つの目的をもって建設された。

@ 洪水調節
 一庫ダムの洪水調節計画は、20年に一度の大雨を対象としており、ダムへの流入量が150m3/sから洪水調節を開始し、最大790m3/sが流入することが予想され、このうち640m3/sの流入量をダムに貯め、150m3/sの水を放流し、洪水調節を行い、下流の高水流量を低減させる。

A 流水の正常な機能の維持
 猪名川沿岸の既成農地に対する灌漑用水のほか、魚族保護、河川景観など流水の正常な機能の維持を図る。そのために、虫生地点で灌漑期最大2.724m3/s、非灌漑期1.10m3/s、軍行橋地点で灌漑期最大3.103m3/s、非灌漑期1.10m3/sを確保する。

B 水道用水
 兵庫県水道用水として、尼崎市、宝塚市、伊丹市、川西市、猪名川町に対し、あわせて1.922m3/s、池田市水道用水として0.365m3/s、川西市水道用水として0.116m3/s、豊能町の水道用水として0.097m3の合計2.50m3/sの供給を行う。これによって約50万人〜60万人の水道水供給が可能となった。

C 発電
 ダム管理用発電として、副ダム下流左岸地点において、発電設備を設置し、最大使用水量4.0m3、最大有効落差をもって、出力1,900kWの発電を行う。

◆ 5. 一庫ダムの諸元

 昭和58年に完成した多目的ダム一庫ダムの諸元をみてみると、堤高75m、堤頂長285m、堤体積44.1万m3、総貯水容量3,330万m3、有効貯水容量3,080万m3、型式重力式コンクリートダムである。放流設備は常用洪水吐ゲート:型式高圧ラジアルゲート(幅4.400m×高さ4.463m2門)、非常用洪水吐:型式ゲート堤頂越流ラジアルゲート(幅8.500m×高さ9.300m2門)、選択取水設備として型式:鋼製多段式シリンダーゲート1門などが設置されている。起業者は水資源開発公団(現・水資源機構)、施工者は佐藤工業・大林組で、事業費は638億円を要した。その費用振り分けは、河川62.4%、水道用水37.6%となっている。

 なお、補償関係は、一般補償として土地取得面積約168ha、移転戸数35戸、公共補償として付替道路、小学校1、プール2箇所、特殊補償として漁業補償、鉱業権補償、発電所補償などが行われた。事業用地が都市近郊に位置しており、一庫ダムは、その都市の影響を受けた補償になった。



◆ 6. 一庫ダム建設の特徴

 一庫ダムの完成までは、地元補償交渉など、また設計施工には、起業者は相当な苦労があったものと思われる。

 一般的に、ダム建設地は山奥が多いが、一庫ダムは都市の中のダム造りであった。即ち、ダム直下流には川西市の市街地が迫り、ダム貯水池の近隣にはダムから給水を待つ造成済みの大団地や既成住宅地があり、このような立地条件のため工事中や完了後の環境保全について、厳しい法規制がなされており、設計、施工上できる限りの対応を行っている。すなわち、選択取水設備の設置、利水放流の無騒音化、振動、汚濁水対策、緑地保全対策などが行われた。特に、騒音、振動、汚濁水対策については、各発生源に対し、地形上のメリットを考慮し、遮音材、制振材を取り入れ、また、汚濁水は還元再利用をはかることにより、河川への放流量を最小限に止めるように努めている。

 歴代所長の座談会が前書『一庫ダム工事誌』に、 「一庫ダム建設を語る」として掲載されている。その中からいくつか紹介する。

@ 申し入れ1年余に説明会(初代所長米田太)
 「昭和44年1月になりまして再度、文書を出して説明会のきっかけをつくろうとしたんですが、どうも具合が悪い。川西市の伊藤市長も、本格的に地元説得にあたっていただくと同時に、市長から水没者に対する完全な補償とか周辺残存地に対する借地に対する措置とか、ダム下流の問題点など10項目の公団に対する要望書が出たわけです。それに対して公団から答えたのですが、この地域は地理的に都会に近い非常に特殊な場所であるということと、下流見舞金をどうかんがえているかを求めてきたのです。その時、公団は「起業者においては措置できない」とはっきり答えているわけです。……その前に水没者から直接に「権力を発動して威圧をして事を運ばない」、「話し合いは水没反対期成同盟会を通じてやってくれ」、それから「今後いろいろ要求するが、誠意をもってやってもらいたい」という3項目の要求がございまして、公団も誠意をもってやりますと。このへんが一番しんどかったんですが、「強権を発動しない」ということについて、公団の中でいろいろ苦慮しまして、初めは「誠意をもってやります」という答えをしていたのですが、それではとうてい話にならない。結局、「みだりに反対を押し切って進めることはしません」と。みだりにというのはどういうことかと後で問題になったんですが、要するに大多数の人が反対している時はやることはないけれども、大多数の方が賛成していただいている場合には進めるという意味であることを説明しまして、44年8月からやっと1年2ヵ月ぶりに東谷農協において説明会をすることができたわけです。」

A 用地調査立ち入り(二代所長下平典夫)
 「地形測量が終わり、どうしても用地調査にはいっていかなければいけない。ところが用地調査に入れてくれ、と言うと「調査する前に補償単価を言え」と。そんな単価が言えないのですが「そんなことでは用地調査をさせるわけにはいかない」と。……そんなこともあって、調査に入らせてもらえるまで半年かかったわけです。」
 「代替宅地の決定で用地交渉が前進しました。結果的には昭和49年に等級合意までやって、50年の1月に基準発表という段階になりました。ちょうど49年、50年というのは石油ショックで予算的に抑制される時期でございました。これで本当に補償交渉をやっていいのかな、ということで妥結するためには資金を用意しなければならない。」(昭和50年8月一庫ダム補償基準妥結調印)
 「補償妥結までのところで、移住地とかいろいろな要件のなかで、公団にというだけでなく県、市への要求なんですが、知明山の開発というのが前から話がありまして、ゴルフ場を国崎のところに一つと、知明山に一つもってきてくれというような要求になりました。移住地は決まっていましたから、芝の手入れだとか、水撒きだとかキャディさんだとか、将来の生活につながるという意味で要求するんだということでした。(ときわ台カントリーの開設)」

B 上流からトンネル掘削(三代所長服部政二)
 「仮排水トンネルの掘削に入ったわけですが、これも特筆すべきことかもしれませんけれども、上流から掘ったんです。本来、下流から掘っていくのが常道なんですが、たまたま一庫温泉さんの音の問題がありまして、下流から掘ると音が直接こっちに来るわけです。それから下流にもその他の家がいくつかありますので、なるべく御迷惑をかけないという考えのもとに、ちよっとこれは冒険だったかもしれませんけれども、上流からトンネルを掘っております。実際には出水がなくてトンネルは助かって順調に掘れたということです。それが昭和52年9月に貫通しました。」
 また、服部所長は、仮設備の位置をダム上流側の引っ込んだ所に設置した。それについて、「そうすると音の問題から、粉塵の問題から、いろんな公害面が緩和できるということがありました。そのかわりベルトコンベヤーが長くなりました。」また、一庫ダムの基礎処理は透水性のかなり高い部分が存在したため、入念に行われた。特にコンソリデーショングラウト工において、基礎岩盤の均一化のみでなく、透水性の改良も配慮され、基礎処理の延長は約50,000mに達したという。

C 白鳥を守りながら試験放流(四代所長桶谷明憲)
 「実は小戸井堰は以前から問題がございまして、ダムをつくったために井堰の上流が堆砂したのではないか。したがってダムのせいだから公団で土砂を撤去せよ、というような話が出てきたわけです。うちではご存じのとおり濁水も流していないし、掘削土も全部外に運び出している。そういうことは到底できない、ということで御理解を得まして、兵庫県で浚渫していただいたわけですが、そこに白鳥が住んでおりましたので、最上流の洲だけ残したわけです。ところが今度は放流試験をするということになると、その白鳥が流されるのでは。たまたま昆陽池から飛んできた白鳥のつがいでございますが、恋の逃避行をしてその愛の結晶が巣の中に卵として残っているわけです。いかにして白鳥の巣を守るかが問題になりまして、最終的には、川西市も一緒になって白鳥の巣を守ろうじゃないかということになり、堰の水位を嵩上げしていたものを取り払って水位を下げて、放流しても巣が流れないようにしたわけです。これは一時騒がれまして……」


D 湛水試験の結果(五代所長大西健彦)
 「本来ならば1日に20pあるいは30p程度の水位を降下させていくわけですが、1日に2mの降下を2日連続やりまして、2日間で4m下げる。これはどういうことかといいますと、将来、洪水があってサーチャージ水位まで水位が上がった時に、次の洪水を迎えるまでに制限水位までさげなければいけないわけですが、ほぼ1週間あればなんとか次の洪水に間に合うだろうという前提のもとに、1日2mで1週間で14mということで、149mから135mまで1週間あったら下げられるようなことを考えまして、1日2m、2日連続でやりまして、貯水池の各地区の地滑り等を調査したわけでございます。その結果は、お蔭さまで急降下の水位低下に対しての地滑りという挙動はほとんどありませんでした。」

◆ 7. 一庫ダムの管理

 一庫ダムは、昭和58年4月より管理に入った。一庫ダムの制御設備は、管理に万全を期すために放流設備制御装置が設けられている。この装置はダム諸量の監視、表示(貯水位、ゲート開度、放流量、流入量等)及び記録を行うとともに、洪水調節設備の主ゲート、利水放流設備の自動制御ができるシステムで構成されており、これらの作業は管理所内のコンピュータにより集中的に、かつ自動的に行われている。

 管理開始から平成14年までの洪水調節をみてみると、7回の調節を行い、猪名川の洪水量を軽減させる効果を十分に果たし、水害から地域の人的、物的な被害を防いだ。平成12年には、中小洪水に対して効果を発揮するため、当初の洪水調節量200m3/s〜650m3/s(一定率一定量放流方式)を150m3/s(一定量放流量)に変更した。

 また、水道用水として、兵庫県尼崎市、宝塚市、伊丹市、川西市、猪名川町などに対し、およそ60万人分の水を供給している。一庫ダムは昭和58年完成以来、平成21年現在すでに26年過ぎ、その間、60万人の命の水を送ってきた。その役割は大きい。

 一庫ダム湖は知明湖と命名され、ダム環境整備事業として、ダム湖下流に上ノ畑公園、唐松公園、上流には知明湖キャンプ場、千軒キャンプ場、などが設けられ猪名川渓谷県立自然公園と一帯となって、水と緑のオープンスペースとして地域住民に憩いの広場として親しまれている。また、秋には川西一庫ダム周遊マラソンが開催され、多数のランナーが健脚を競っている。

[関連ダム]  一庫ダム
(2011年5月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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