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ダムの書誌あれこれ(71)
〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
◇ 7. 牧尾ダムの決定経過

 愛知用水は、木曽川水系王滝川に造られた牧尾ダムを水源として、その水は兼山取水口から取水され、岐阜県から愛知県の尾張東部の平野及びこれに続く知多半島一帯に農業用水、水道用水、工業用水を幹線水路延長112.10q、支線水路1,012qで通水されており、途中に三好ダム(三好池)、松野ダム(松野池)、東郷ダム(愛知池)、前山池等が設けられている。この愛知用水事業は昭和30年から昭和36年にかけて、主に食糧増産の目的をもって施行された。その特徴をあげると、昭和23年以降久野庄太郎ら知多半島の人々の強力な用水事業にかける熱意が、国や県市町村の首脳部の協力によって、始動し具体化され、昭和27年愛知用水土地改良区の設立(理事長伊藤佐)、そして事業主体は昭和30年に設立された愛知用水公団(総裁浜口雄彦)が行い、その資金の一部を国際復興開発銀行が融資し、さらにアメリカのエリックフロア社との技術提携がなされたことであろう。

(1) ダムサイト位置の決定結果

 当初、愛知用水の水源として、宮ノ越、薮原、滝越、牧尾橋、二子持、丸山の地点が候補地として上がっていたが、最終的には牧尾橋地点に決着する。また、ダム型式重力式コンクリートダムか、ロックフィルダムか、日米間において意見が分かれたが、ロックフィルダムに落ち着いた。このことについて、愛知用水公団編・発行『愛知用水技術誌 ダム編』(昭和37年)に、次のように述べてある。

@ 昭和26年、農林省木曽川調査事務所より、愛知用水の水源貯水池候補地として、現在の丸山ダム地点、宮ノ越地点(いずれも木曽川本川)、滝越地点(木曽川支流王滝川)など調査したが、それぞれ電力関係、水没補償、地質上の問題があって、これらを放棄した。
A 昭和28年以降は、ダムサイト候補地を木曽川支流王滝川の牧尾橋地点、二子持地点、薮原地点の3ヵ所に限って、ボーリング、横杭の掘削、弾性波探査などの本格的調査を開始した。
B その結果、薮原地点は地形、地質、施工上に難点があって放棄。牧尾橋地点も地質上(断層およびガス噴出など)があったので、二子持地点が本命となった。
C 二子持地点では、13本のボーリング総延長602m、4本の横杭(総延長328m)を行った結果、河床滞積層(砂利)の厚さが、予想外に深く60mに達することが解った。しかし、農林省は、ここに重力式コンクリートダムを建設することは可能である、と結論づけた。


『愛知用水技術誌 ダム編』
D 昭和29年7月、農林省が本事業計画の予備設計を依頼していたアメリカの技術顧問パシフィック・コンサルタントおよび世界銀行は、調査資料を検討ののち「牧尾橋地点に、ロックフィルダムを建設することが、技術的に可能であり、かつ二子持地点にコンクリートダムを建設するよりも、経済的に有利であること」を、勧告した。
E そこで、昭和29年10月、農林省は、再び牧尾橋地点の本格的調査を開始する。一方米国専門技術者の招致、30年3月にはダム専門技術者の派米および清野保技術課長を米国に派遣して、コンサルタント、世銀の意向を十分に聴取した。

 こうして、昭和30年10月、公団発足までにおこなった牧尾橋地点の調査は、ボーリング13本(総延長1,110m)、横杭5本(総延長210m)に及んだ。その結果などにより、牧尾橋地点にロックフィルダムを建設することが、最終的に決定された。

 なお、このダムサイト位置決定については、清野保著『私のライフ・ワーク』(自費出版・昭和57年)に詳細に述べられている。


『私のライフ・ワーク』
(2) ロックフィルダムの採用

 牧尾ダムにおけるダム型式ロックフィルダムの採用については、愛知用水公団・愛知県編・発行『愛知用水史』(昭和43年)に論じられている。

 ロックフィルダムは、重力式コンクリートダムに比べ、ダム敷面積が広く、築堤材料の比重も軽いため、単位面積当りの載荷重は著しく小さい。したがって、ダムの基礎地盤について、重力式コンクリートダムが堅固な岩盤を必要とするのに対し、ロックフィルダムは基礎地盤の地耐力は特に考慮する必要はなく、そのために牧尾ダムのダム型式は、次のような理由でロックフィルダムが採用された。

@ 牧尾橋地点のように、河床の堆積層の厚さが25mにも及び、河床部に炭酸ガスを含む鉱泉が噴出し、8本の大小の断層を有するようなダム建設地点では、ロックフィルダムが適切なダム型式といえる。
A 牧尾ダムの場合、築堤材料となるコア・ロックおよびトランシジョン材料が、その付近で採取が可能であり、コンクリートダムの場合のようにセメント骨材を搬入する必要がなく、経済的に極めて有利であった。
 また、ロックフィルダムの場合、中心コア型式と傾斜コア型式が考えられ、公団内部で比較設計を行った結果中心コア型式が経済的であることが判明した。しかしこの結果は、さらにシカゴのコンサルタントの会議に十分検討されて、以下の理由によって中心コア型式に決定した。

@ ダム建設地点の地形は、中心コア型式に適していて、傾斜コア型式にした場合、上流側の仮締切りダムを築造する余裕がない。
A 傾斜コア型式にした場合は、コア部分とロック部分を切り離して施工できる利点はあるが、中心コア型式にした場合でも、コア部の幅を薄くすることによりロック部分の施工速度の調節は可能である。
B ダム建設地点の両岸袖部(堤体が地山に取り付く部分)が急な傾斜をなしているので、コアの部分の不等沈下による割目や破壊が心配されるが、中心コア型式の方が影響は少ない。
C ダム建設地点一帯の気候からみて、比較的含水比の高いコア材料を使用しなければならないが、傾斜コア型式では、その部分がせん断抵抗力の小さいすべり面を形成するおそれがあり、上流斜面の安全率が低下する。
D 傾斜コア型式にした場合、止水壁の位置が上流の地質不良部分にかかり、そのうえグラウトの総延長が長くなる。
E 傾斜コア型式とした場合、付近にあるトランシジョン材料を使える範囲が少なくなる。
 以上の理由で述べてきたように、ダム地点は牧尾橋地点に、ダム型式はロックフィルダムに、そして中心コア型式にそれぞれ決定したが、その決定にはアメリカにおけるコンサルタント会社による技術提携に大いに影響され、なおかつ牧尾ダム施工段階でも、完成までその技術指導がなされた。

◇ 8. 牧尾ダムの建設

 牧尾ダム(御岳湖)は、木曽川水系王滝川の長野県木曽郡王滝村、木曽町三岳地先に昭和30年から調査・設計がなされ、昭和32年11月着工し、36年3月に完成した。延べ130万人の労務者と150台を超える建設機械をもって、68億円を要している。その工事期間において、施工者はダムサイト仮排水路トンネルからの噴出するガス対策、余水吐掘削岩の流用、コア材料のストックおよび冬期施工に苦労が伴った。

 その当時ロックフィルダムとして、世の注目を浴びた牧尾ダムの諸元をみてみたい。
 堤高105m、堤頂長264m、堤体積261.5万m3、総貯水容量7,500万m3、有効貯水容量6,800万m3、流域面積304km2、湛水面積2.47km2、型式は中心遮水ゾーン型ロックフィルダム、起業者は愛知用水公団(現・水資源機構)、施工者は西松建設である。

 牧尾ダムの建設目的は、農業用水、水道用水、工業用水の供給する水源確保のためであった。即ち、3つの用途を持っている。@岐阜県及び愛知県の農地約15,000haに対し、最大約21.5m3/sを補給する。A愛知県の水道用水として最大約6.5m3/sを供給する。B岐阜県及び愛知県の工業用水として最大約9.2m3/sを供給する。C発電については、王滝川の発電用水利権をもつ関西電力が三尾発電所にて、牧尾ダムを上池、木曽ダムを下池として、揚水発電を行っている。出力35,000kWである。なお、木曽ダムは昭和38年に着工し、昭和43年に完成した。その諸元は堤高35.2m、堤頂長132.5m、堤体積4.5万m3、総貯水容量436.7万m3、有効貯水容量184.4万m3、型式は重力式コンクリートダムである。

 牧尾ダムの工事については、水資源開発公団編・発行『牧尾ダム建設工事写真集』 (発行年不明)があるが、ダム建設の完成まで、前掲書『愛知用水史』によって、その経過を追ってみたい。

・ 昭和32年8月 牧尾ダム工事の契約にさきだち、工事用重機械と資材を運搬する道路として、県道付替と改修工事に着手。
・ 32年11月 仮排水路トンネルに工事に着手。
・ 33年4月 牧尾ダムの請負工事は、西松建設と締結、直ちに上流仮締切りダム工事に着手。
・ 33年7月 台風11号通過後の停滞前線による連続326oの降雨にあい、工事中の仮締切りダムの一部流失。
・ 33年8月 仮締切工事は続行し、計画堤頂標高823.5mまでに達し、いよいよダム本体の河床掘削にかかる直前の8月25日、台風17号によって、仮締切りダムは中央部から右岸にかけて一部決壊し、流失。7月、8月と1,000m3/sを超える2回もの異常洪水が発生。


『牧尾ダム建設工事写真集』
・ 34年2月 牧尾ダムの中心より下流60mの右岸付替道路上、標高883mの位置に長さ2mのクラック発生。また森林鉄道の付替トンネル内にも数箇所にクラックが発生。さらに仮に付け替えした県道の土留石積、コンクリート擁壁が長さ35mにわたって崩壊。これらの原因と地すべりの範囲については、地表面に近い岩盤はそれ自体ゆるんでおり、これが山すそなり、山腹の斜面を工事で削り取ったことにより、地山自身が平衡を失ったことがその原因と考えられた。しかし、その範囲も広いので、土留コンクリートなどの構造物でこれに対抗するよりも、斜面の平衡を確保するため上位部の土を取り去り、これを斜面下部に堆積することが、根本的な対策とかんがえられたので、33年3月〜35年3月までの間に掘削を行った。その掘削は面積約17,000m2、掘削量92,000m3に及んだ。
・ 34年5月 変更仮締切りダムが完成。
・ 34年8月17日 ダム本体河床部の掘削及びグラウチングの完了に伴い、コア築堤に着手。
・ 34年8月20日 定礎式を行い、ダム本体の築堤に入った。工事は昼夜兼行で施工。
・ 36年3月26日 仮排水路トンネルを閉鎖し、貯水を開始し、同月28日にはダム本体盛土工事完了。コア部の盛土を開始して1年半という短期間であった。
・ 36年4月 余水吐工事はダムの築堤と並行して進められていたが、工事の大部分を完了し、テンターゲート4門の据付完了。
・ 36年5月28日 牧尾ダムの完工式。

 ダムは木曽川支流王滝川(王滝川の木曽川への合流地点より10q上流)に完成した。当時岐阜県の御母衣ダムにつぐわが国有数のロックフィルダムが誕生した。ダム湖誕生には次のような水没者の協力があった。補償についてみてみたい。

 水没した地域は、三岳村の和田・黒瀬の2地区で42戸、206人、王滝村の淀地、崩越、田島、三沢の4地区で198戸、797人、計240戸、1,003人がそれぞれ移転を余儀なくされ、村内、村外(豊橋市、愛知県三好町、岐阜県中津川市、松本市、東京都など)に移った。また二子持地区は水没はしなかったものの、ダム建設のためのコア用粘土や岩石の採集地となった。土地面積約235haが水没した。

◇ 9. 牧尾ダムの技術的特色

 牧尾ダム建設には、2つの原則が貫かれた。それは(1)ダムサイトの至近距離で入手できる材料を、もっとも経済的に利用できるような断面とすること(2)気象条件、施工速度、その他の施工条件を、十分考慮に入れて、技術的に不安の残らない断面とすることであった。その原則にそった技術的な特色について、前掲書『愛知用水技術誌 ダム編』からいくつか挙げてみたい。

@ 250万m3をこえる堤体の全量を、ダムサイトから直線距離1q以内で採取する、という好条件に恵まれた。また、気象条件からみて、コア部分の施工日数が、年間70〜100日に制限され、これがダム全体の築堤速度を支配するものと考えられたので、コア最大幅と堤高の比率を、27m:105m≒1/4という限界までコア部分を減少させた。なお、トランシジョン及びロック部分の施工は冬期でも雨天でも可能である。
A コア用土としては、粒径4.4o以上の粗粒子を平均60%含む材料を使用することによって、圧密沈下及び間げき水圧発生の難問を解決した。これは、アメリカ陸軍土木部及びフランス電力会社における豊富な経験を基礎とし、牧尾ダム現場において、MBTS(牧尾橋突き固め試験仮基準)、粗粒分混入に現場透水試験、現場転圧試験、冬季盛土試験、パイピング試験など、数多くの慎重な試験を重ねた結果、決定されたものである。このことは、コア材料としての粗粒分含有率の限界を示すものであり、従来の日本のアースダム築造上の常識を大きく打ち破った。
B 築堤材料、特にコア材料のストック・パイルを実施して、大いに効果をあげた。当初の主目的は、洪水対策その他の理由から、中心コア部分の築堤を、河床地盤まで急速にあげる必要性から行ったが、実際には、コア材料の土性改良(含水比の減少、れき含有率の均一化など)の効果が著しいかった。夏季にストックした材料は、冬季になってもその潜熱をもちつづけ、毛管作用からの絶縁とあいまって、コアの冬季盛土を可能としたことは、予想外の収穫であった。
C 堤体の安定計算には、円形すべり面法よりもさらに精密な修正ヘレニュース法を用いた。地震時の安定については、とくに京都大学において、1/130の模型震動実験を行って、チェックした。一方、日本における過去1,300年間における地震被害記録から、200年確率震度を推算し、それに加速度感応度と、地盤による係数を加味して、水平震度0.15gをえた。これによって、種々の場合における堤体の安定を計算した結果、最小安全率=1.37となった。
D ダムの左岸部に、大昔の河床が、火山噴出堆積物によって埋没されたと考えられる和田サドルがある。ダム完成後貯水した場合、ここからの漏水がどのくらいになるかを知るために、約2ヵ年の期間と、1,500万円の経費をかけて、注水、揚水、水位回復など、あらゆる種類の現場透水試験を実施した。なかでも、排出量1m3/s、揚程100m、40HP水中モーターポンプを使って実施した揚水試験は、きわめて大規模なものであり、その結果、この地域の平均透水係数は1.1×10−3p/s、ダム完成後の漏水量は53l/sに過ぎないことが明らかになった。
E 余水吐は、シュート型で、ダムの左岸側に、堤体と離して設置した。最大洪水量3,200m3/sに対して、設計されたオージー型超流ぜき幅47.2m、クレスト標高はEL.870mである。余水吐ピア3基(各幅2.4m)のために、クレストの有効長さ40mとなり、4区間、各区間長10mとなる。4基のテンターゲート(各幅10m×高さ10.5m)によって、余水吐の流量を調節する。シュートは、幅47.2mで、30°の傾斜をもって、静水池につながる。この設計は、アメリカコロラド州立大学における模型実験の結果、完成された。

 以上、牧尾ダムの技術的特色をみてくると、ダム造りの情熱が伝わってくる。そしてダムはその地形と地質に大きく左右され、そこには様々調査、実験が繰り返され実施されて、ダム施工がなされる。高橋進愛知用水公団工務部長は、 「木曽の水を知多半島に導くことは過去数百年の農民の悲願であり、その愛知用水も昭和36年12月ついに全面的に完成した。わが国初の総合開発事業として、高度の技術と機械力を駆使して短時日に工事を完成した背景には、幾多の苦難と関係技術者の血の出るような努力の集績があったことを忘れてはならない。」と、指摘する。その血の出るような努力のなかには、アメリカの技術者たちがいたことも忘れてはならない。さらに、以下の三つのダム完成もまた技術者等の尽力には頭が下がる。

◇ 10. 三好ダムの建設

 愛知用水の区域内に建設された、三好ダム、東郷ダム、松野ダムについて追ってみたい。これらのダムは、愛知用水公団法第20条第1項の事業基本計画における補助ため池の項で、 「区域内の適当な地点にあるため池の土堰堤をかさ上げ、または新設し、必要な増加貯水量約1,500万m3の貯水を確保するものとする。本工事を施行する補助ため池はおおむね次のとおりとする。曲り池 旭大池 青山池 明治池 鎌ヶ谷池 半田池 椎池 長成池 明神池 松野池」と、記されおり、この規定より築造された経過がある。

 三好ダムは、幹線水路延長のほぼ中央より分岐している三好支線(最大取水量2.5m3/s)の途中より1.5m3/sを取水して、200万m3の水量を確保し、さらにダムから県委託工事である三福分線及び水洗分線がでる計画であり、取水量はあわせて0.646m3/sである。三好ダムは、愛知県西加茂郡三好町字新屋地先に位置し、新池、曲り池、中池、下池を改良して建設された。その諸元は、堤高19.74m、堤頂長430m、堤体積23.4万m3、型式は中心コア式ドレーン、施工者は鹿島建設、総事業費2.8億円であった。そのダム施工の特徴について、次のことがあげられる。

@ 岩盤のない基盤上に造られたダムであること。
A 旧堤頂ぎりぎりまで貯水しながら、その下流30mのところに築堤したこと。
B 土木用重機械を能率的に駆使して工事を行ったこと。
C 15ヵ月間という短い工期で工事の完成をみたこと。

 この三好ダムに従事した人々は細心の注意と最大の努力をもって取り組み、工事中に発見された改良すべき点は十分な検討の後、遅滞なく変更実施された。そしてこれらの貴重な体験は、次に建設された東郷ダムに活用された。


◇ 11. 東郷ダムの建設

 さきの公団法の事業計画には、補助ため池として調整池に相当する池は記載されていなかった。愛知用水の調整池として役割をもつ東郷ダムは、次のような建設までの経過があった。

 「幹線水路の路線選定の際、知多郡八幡町に造られる予定であった八幡ポンプ場が管理経費の点で問題を生じ、廃止の機運にあり、このポンプ・アップを前提として予定されていた日進町の大落差工によって、幹線の水位を無駄に落とすことが妥当でないことが議論され、ここにこの落差を利用して、貯水池を建設すれば、これより上流幹線の用水量のピークがカットできて、断面が縮小され、また当初10箇所予定されていた補助ため池の大多数が、統合されて、工事費が節減できると考えられた。この考えにもとづいて、日進落差工の付近で、ダムサイトとして適当である地点を調査したところ、愛知県東郷村諸輪付近が浮かび上がってきた。これは昭和31年3月初旬である。」(『愛知用水技術誌 ダム編』

 この調整池の役割を持つ東郷ダム(愛知池)が、昭和34年12月から36年12月に至る2ヵ年で完成した。東郷ダムの諸元は、堤高31m、堤頂長975m、総貯水容量900万m3、有効貯水容量860万m3、型式は傾斜コアアースダム、施工者は鹿島建設である。

 前述したように、この東郷ダムは幹線水路112.1qのほぼ中央に位置し、幹線の標高差を利用して、900万m3を貯水する。そして東郷ダムは、木曽川の余剰水を数回にわたり反復利用することができるだけでなく、このダムより下流の部の灌漑用水、水道用水、工業用水に供給する水を有効に調整するもので、愛知用水の胃袋と称されている。なお、現在、東郷ダムから、下流の幹線水路へ放流する時の落差(約20m)を利用して、発電を行い、この電力は愛知用水の管理用に使われている。

 続いて、東郷ダムの技術的特徴を挙げてみたい。

@ 基礎岩盤がなく、砂と粘土の互層という基礎条件であったこと。
A 湿度の高い築堤材料などの難題を抱えながら、高性能の機械力を投入して施工したこと。
B このため、堤体のなかには、間げき水圧計、地震計、沈下計など数多くの計器を埋設し、この観測値をよりどころとして、施工速度、施工量を調節し、工期2年の短期間で完成したこと。
C 東郷ダムは、機械力と近年著しく発達した土質学の後押があったこと。

 東郷ダムの完成によって、年間1億数千万m3の用水が調整できるようになり、愛知用水が多目的に、さらに有効的に利用される重要な役割を担うこととなった。


◇ 12. 松野ダムの建設

 松野ダムは、岐阜県瑞浪市日吉町松野に位置し、岐阜県可児川防災ため池事業と愛知用水事業との共同施設として、施行された。この可児川防災ため池事業とは、木曽川支流可児川及びその支流久々利川の流域に9ヵ所の防災ため池を建設し、洪水調節をするとともに、流域の水田の植付用水を供給する目的で計画された。松野ダムは、防災ため池の一つとして、昭和28年着工し、資材運搬道路、仮排水路トンネル、床掘りの一部、コンクリート止水壁を昭和30年までに施工した。31年に、松野ダムを愛知用水事業の補助ため池とする計画より、工事を一時中止し、基礎的調査検討を行った結果、貯水量を331.3万m3とし、そのうち235万m3を愛知用水事業の灌漑用水に使用し、残りの96.3万m3を可児川防災事業の洪水調節計画分とした。

 灌漑用水分235万m3は、標高322.1m以下21m間に貯水し、愛知用水水源別放流計画に従い、可児川に放流し、下流約15qの可児郡御崇町瀬戸地内において、取水工を新設して、最大1.0m3/sを取水し、延長3,500mの水路を新設導水し、可児郡可児町川会地内で愛知用水幹線水路と合流させる。

 一方、洪水調節分96.3万m3は、標高322.8mから余水吐クレスト325.8mまでの3m間に貯水し、可児川防災ため池管理、操作規定に従い、洪水期には、あらかじめ空としておき、出水と同時に全量を貯水し、ついに満水となれば余水吐より越流させる。即ち、灌漑用水と洪水調節の両機能をあわせもつ多目的ダムとなった。松野ダムの諸元は、堤高26.7m、堤頂長215.0m、総貯水容量331.3万m3、型式アースダムである。

 松野ダムの工事は、公団が共同建設事業として、岐阜県に委託したので、岐阜県関係者の理解と協力が得られ、昭和33年9月に工事を再開し、予定どおり36年6月に完成した。なお、洪水調整の特殊性から余水吐については、特に岐阜大学に依頼してモデルテストを行ったほか、堤体の施工管理についても、種々のテストを経てその完璧を期し、取水塔はスライド工法により、短時日でコンクリート打設を終えている。

[関連ダム]  牧尾ダム(元)  三好池  東郷調整池  松野ダム
(2011年1月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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