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ダムの書誌あれこれ(91)
〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
 
◆ 1. 遠賀川の流れ

 博多駅からJR福北ゆたか線で、40分程で新飯塚駅に着く。降りて西に向かって少し歩くと遠賀川に出合う。ここの芳雄橋付近は左から遠賀川(嘉麻川)、右から穂波川がちょうど合流する地点で、水害もたびたびおこる位置でもある。南にむかって、忠隈炭鉱の3つ並んだ石炭のボタ山がそびえる。しかし今ではボタでなく、緑がうっそうと繁り、自然の山にしか見えてこない。筑豊富士とも呼ばれる。

 遠賀川流域について、新公論社発行『日本の川−自然と民俗』(昭和62年)に、その地形、地質、水文等が次のように記されている。


@ 地形

 遠賀川は、馬見山に源を発し、筑豊地帯を東北に貫流し、直のお方がた市で英ひ彦こ山さんを水源とする彦山川とY字形を形成して合流し、さらに、犬いぬ鳴なき川等の支川を集めて北流し、響灘に注いでいる。その流域は6市25町1村にまたがり、流域面積1,030km2、幹線流路延長61qに及ぶ九州有数の河川である。
 遠賀川流域は、その大部分が筑豊平野であり、東方を福智山・英彦山群、南方を釈迦岳・馬見山群、西方を犬鳴山群のそれぞれ標高500m〜1,000mの山並みに囲まれている。筑豊平野も太古は深い入江であったが、それが上流から流出する土砂によって埋め立てられ、さらに、響灘から絶えず吹き付ける北西風が海からの砂を運び、干潟を形成し、それが発達して筑豊平野が造成されたとされている。
 遠賀川の幹川筋は、河床がやや緩勾配(500分の1〜2,000分の1)で、千手川、穂波川、山田川等の各支川を合わせながら、筑豊平野の西部を北流し、飯塚市を経て、直方市へと至る。一方、一大支川彦山川は秀峰英彦山に源を発し、流域の東南部にあたる田川地区の平地をかなりの急勾配(200分の1〜600分の1)で北流し、田川市を経て金辺川、中元寺川を合流しつつ、直方市で幹川へ合流する。
 直方市日の出橋付近で彦山川と合流した遠賀川は、さらに緩勾配(2,000分の1〜2,700分の1)となり、川幅も350mと広くなって河口より15.4q付近で左支川・犬鳴川と合流する。ここで、川幅は500mとなり笹尾川、黒川を含め、広大な耕地を擁した筑豊平野北部を緩やかに北流し、河口付近で右支川・江川、左支川西川を合流し響灘に入る。このように、遠賀川水系は多数の支川があり、本川である遠賀川を幹として、穂波川、彦山川、中元寺川、犬鳴川、西川等の枝的支川、そしてその他の小枝支川から成る。いわば典型的な枝状形態を呈しているといえる。

A 地質

 遠賀川流域の地質は、筑豊炭田の生成に象徴されている。筑豊平野の西縁部では、中生代、古生代などの古期岩類を古第三紀層が不整合に覆っている。すなわち、下位の基盤岩石が形成されていた時代の地表面が、一度浸食を受けて水中に沈下し、その上に新しい地層である古第三紀層(石炭生成の基となる原生植物が同時に沈殿)が堆積したものである。また、東縁部では、古第三紀層が下位の基盤岩と断層をもって境としている。古第三紀層の走行はほぼ北西で、東に向かって10〜30度傾斜する単斜構造をなし、広く正断層が発達している。この厚さは2,000〜3,000mに及ぶ厚い層で、深い箇所で炭層が発達している。

B 水文

 遠賀川流域を含む北部九州は、日本海型の気候を示し、冬の気候が特徴的である。これは、地形的にみて、中国山地とこれに続く筑紫山地を背にしているので、冬季の海を越えてきた湿気を吸った北西季節風がこの山地に吹き付け、そのため曇天や雨天の日が多く、九州の他地方に比べて快晴になる日が少ないことに象徴される。
 遠賀川流域の年間降水量は、平地部で1,500o〜1,700o、山間部で2,500o〜2,700oで、最も多い時期は6月〜7月の梅雨期である。地域的に降水状況をみると、4〜10月の分布は、彦山川筋の山地が最も多く、下流部に行くに従って少なくなっている。11月〜3月の分布は周辺山地が平均して多くなっている。
 遠賀川の年間流出量は基準地点・日の出橋でみると、約9億m3(昭和31年〜52年の平均)である。これに犬鳴川(宮田橋・1.5億m3)の支川流出量及び利水量を加えると、水系全体で約11〜12億m3と推定される。

C 水質

 遠賀川の水質汚濁は、筑豊炭田の歴史とともに始まった。昭和初期にはすでに洗炭が開始され、その汚濁水がすべて遠賀川へ排出された。このため、河川の無機性汚濁は著しく「黒い川」・「ぜんざい川」と呼ばれていたが、昭和40年代になって、エネルギー革命による石炭産業の衰退にともないこの種の水質汚濁は低下していった。しかし、時を同じくして、流域の開発と生活様式の都市化にともない、あらたに都市型有機性汚濁が進行してきた。現在、遠賀川流域には約66万人が生活している。


◆ 2. 遠賀川の水害

 遠賀川の水害は、1620(元和6)年から1981(昭和56)年までの間の361年間に、約128回の水害が記録されている。従って約3年に1回の割合で水害が発生している。近代の水害は、明治22年、34年、38年、大正15年、昭和10年、16年、28年に起こっている。特に昭和28年6月27日の水害は多大な人的、物的被害を及ぼした。遠賀川において植木堤防が180mにわたって破堤。この堤防は明治40年〜43年に築造され、以前の河床であったことと昭和10年頃より鉱害が生じていたことなどから、堤防下に透水層ができており、漏水、決壊に至った。この破堤によって遠賀郡中間町(市)、遠賀村(町)の平坦地は一面泥海と化した。その他彦山川、中元寺川、犬鳴川、笹尾川筋において計8ヵ所の堤防が決壊。死者23人、被害家屋39,744戸、被害田畑13,377町、橋、鉄道施設等の被害となった。この大水害の27年後の昭和54年6月、55年8月には、28年の水害の雨量に匹敵する洪水が起こったが、破堤までは至らなかった。それは28年以降進められてきた河川改修などの結果であった。

 しかし、近年では、平成13年6月集中豪雨、さらに平成15年7月19日未明の集中豪雨では、穂波川では計画高水位を超えたが、堤防の決壊は起こらなかった。この時の雨量は飯塚で、1時間雨量80o、総雨量329oに達し、飯塚・穂波地区全体で、家屋等の浸水被害が約4,000戸以上、うち床上浸水被害は2,000戸に及んだ。

 遠賀川流域における水害の特徴について、次のことがあげられる。

@ 記録をたどると、大洪水のほとんどが6月〜7月に発生している。梅雨期による洪水が全部といってよい。台風による洪水は例外的にわずかに存在するのみである。さらに、近年では、異常気象ゲリラ豪雨が発生し、一時的に大量の降水量が生じてきている。

A 遠賀川の水害は、明治以降石炭採掘による鉱害の影響が大きく、表面より見えない堤体内に知らぬまに透水層ができており、また、樋管や井堰等も弱体化して危険な箇所が一概に予測できない。

B 遠賀川水系に橋梁、井堰等の付属構造物が無数にあって、乱流、堰あげなどの障害を生じている。

 明治38年第1期改修工事における計画高水流量は河口地点で、約4,170m3/sであったが、未曽有の災害をもたらした昭和28年6月の洪水を契機に再検討され、同年11月に計画高水流量を4,200m3/sと決定した。しかし、近年の産業の発展に伴い流域氾濫区域の人口、産業、資産の増加は著しく、治水計画の安全度をあげる機運が高まり、昭和49年4月1日雨量確率を1/150(流域平均2日雨量405o)として、基準地点日の出橋地点における基本高水流量3,700m3/sを4,800m3/sに、河口部芦屋橋地点における基本高水流量4,200m3/sを、6,000m3/sに改訂している。


◆ 3. 遠賀川の歴史

 昭和28年の大水害を契機として、治水計画が見直され、堤防の改修、洪水の流れを阻害する橋や堰などの施設の改築、ダムや河口堰の築造、排水機場の設置が行われてきた。また、昭和30年代より高度成長期に入り、北九州市を含む水道や工業用水の水需要が急激に高まり、遠賀川の水の必要性が高まり、多目的ダムとしての力丸ダム、陣屋ダム、犬鳴ダム、久保白ダム、福智山ダム、そして遠賀川河口堰などの建設がなされた。遠賀川流域に係る明治以降の炭鉱の開発、水害、水道の開始、溜池の築造、ダム建設などの足跡について、NPO法人遠賀川流域住民の会編・発行『もっと知りたい遠賀川』(平成18年)、福岡県土木部編・発行『福岡県のダム事業』(平成14年)、日本ダム協会編・発行ダム年鑑2011』(平成23年)等で追ってみる。

(1) 明治期から大正期

明治5年 麻生太吉が目尾御用炭を採掘する
  14年 杉山徳三郎が目尾炭鉱でポンプにより水をくみ出すことに成功
  18年 貝島太助が大之浦(宮田町)炭鉱を開く
     麻生太吉が忠熊炭鉱を開く
     遠賀川流域水害おこる
  22年 遠賀川流域大水害起こり、死者20人
  24年 岩崎炭鉱(中間市)水害で69人が死亡
     若松から直方まで鉄道が開通
  27年 日清戦争
     7,000艘の川ひらたが遠賀川を上下する
  30年 八幡製鉄ができる
  34年 遠賀川流域水害おこる
  37年 日露戦争
     遠賀川流域大水害起こり死者1人
  38年 遠賀川流域大水害起こり死者12人
  39年 遠賀川第一期改修工事、大正4年に完了
  43年 日の岡溜池(泉河内川)の竣工(桂川町)
大正3年 伊藤伝右衛門が大正鉱業(中間市)を設立
  6年 本入溜池(本入川)の竣工(小竹町)
      E A 15.7m 55万m3
  11年 後藤寺水道(株)が後藤寺町に給水開始
  14年 飯塚市、穂波川の伏流水取水で水道開始

(2) 昭和前期

昭和5年 遠賀川流域水害おこる
  7年 直方市、遠賀川の伏流水取水で水道開始
  8年 中間市、遠賀川の伏流水取水で水道開始
  9年 白木ダム(白木川)の完成(北九州市)
      E W 22.2m 38万m3
  10年 遠賀川流域大水害おこる
  12年 釜底溜池(犬鳴川)の竣工(若宮町)
      E A 20m 21.4万m3
  14年 遠賀川から川ひらたがなくなる
  15年 鳥尾溜池(庄内川)の竣工(頴田町)
      E A 16m 14.7万m3
  16年 太平洋戦争(〜20年)
     遠賀川流域大水害起こる

(3) 昭和後期

明治5年 麻生太吉が目尾御用炭を採掘する
  14年 杉山徳三郎が目尾炭鉱でポンプにより水をくみ出すことに成功
  18年 貝島太助が大之浦(宮田町)炭鉱を開く
     麻生太吉が忠熊炭鉱を開く
     遠賀川流域水害おこる
  22年 遠賀川流域大水害起こり、死者20人
  24年 岩崎炭鉱(中間市)水害で69人が死亡
     若松から直方まで鉄道が開通
  27年 日清戦争
     7,000艘の川ひらたが遠賀川を上下する
  30年 八幡製鉄ができる
  34年 遠賀川流域水害おこる
  37年 日露戦争
     遠賀川流域大水害起こり死者1人
  38年 遠賀川流域大水害起こり死者12人
  39年 遠賀川第一期改修工事、大正4年に完了
  43年 日の岡溜池(泉河内川)の竣工(桂川町)
大正3年 伊藤伝右衛門が大正鉱業(中間市)を設立
  6年 本入溜池(本入川)の竣工(小竹町)
      E A 15.7m 55万m3
  11年 後藤寺水道(株)が後藤寺町に給水開始
  14年 飯塚市、穂波川の伏流水取水で水道開始

(2) 昭和前期

昭和5年 遠賀川流域水害おこる
  7年 直方市、遠賀川の伏流水取水で水道開始
  8年 中間市、遠賀川の伏流水取水で水道開始
  9年 白木ダム(白木川)の完成(北九州市)
      E W 22.2m 38万m3
  10年 遠賀川流域大水害おこる
  12年 釜底溜池(犬鳴川)の竣工(若宮町)
      E A 20m 21.4万m3
  14年 遠賀川から川ひらたがなくなる
  15年 鳥尾溜池(庄内川)の竣工(頴田町)
      E A 16m 14.7万m3
  16年 太平洋戦争(〜20年)
     遠賀川流域大水害起こる

(3) 昭和後期

昭和23年 遠賀川改修工事始まる
  25年 特別鉱害復旧臨時措置法が公布され、復旧工事がはじまる
  28年 遠賀川流域大水害おこり死者20人
     福智山池(福地川)の竣工(福岡県)
      E A 22m 41.6万m3
  30年 石炭から石油へのエネルギー革命で炭鉱閉山はじまる
     畑ダム(黒川)の完成(北九州市)
      G W 43.3m 734.9万m3
  32年 笠城ダム(庄司川)の完成(幸袋町)
      E A 16m 39.9万m3
  34年 遠賀川流域水害おこる
  36年 遠賀川伊佐座取水開始
  40年 力丸ダム(八木山川)の完成(福岡県)
      G FWI 49.5m 1,320万m3
  41年 弁城ダム(岩屋川)の完成(福岡県)
      E A 23.1m 20.8万m3
     遠賀川水系一級河川に指定
  42年 大渇水おこる
  43年 頓田第一ダム(遠賀川)の完成(北九州市)
      E WI 21.6m 501.1万m3
     頓田第二ダム(遠賀川)の完成(北九州市)
      E WI 21.6m 529.3万m3
  45年 久保白ダム(久保川)の完成(福岡県)
      E AWI 25m 416.4万m3
     呉ダム(金辺川)の完成(福岡県)
      E A 24.5m 41.4万m3
  46年 花の木堰改修着手(〜50年完了)
  48年 貝島大之浦炭鉱閉山、坑内掘炭鉱が筑豊から姿を消す
  49年 遠賀川河川改修計画樹立
  50年 切畑ダム(大分川)の完成(福岡県)
      E A 38m 36.1万m3
  51年 大之浦露天掘炭鉱が閉山し、筑豊炭田から炭鉱がなくなる
     陣屋ダム(中元寺川)の完成(福岡県)
      G FNWI 48.5m 265万m3
  53年 尾崎ダム(遠賀川)の完成(直方市)
      G W 27.2m 37.8万m3
     大渇水おこる
  54年 遠賀川流域水害おこる
     岡森堰新設
  55年 遠賀川流域水害おこる
  58年 遠賀川河口堰(遠賀川)の完成(国土交通省)
      FG FWI 6.5m 1,140万m3

(4) 平成期

平成6年 大渇水おこる
  7年 犬鳴ダム(犬鳴川)の完成(福岡県)
      G FNWI 76.5m 500万m3
  13年 遠賀川流域水害おこる
  15年 遠賀川流域水害おこる
  16年 遠賀川堀川開削200周年
     福智山ダム(福地川)の完成(福岡県)
      G FNW 49.5m 271万m3
     遠賀川水辺館開館
  19年 明星寺川床上浸水対策特別緊急事業完了
  21年 飯塚穂波地区床上浸水対策特別緊急事業完了
  22年 居立川床上浸水対策特別緊急事業完了(直方地区)
  23年 北部福岡緊急連絡管事業の竣工

 以上、遠賀川における堤高15m以上のダム建設は、19基みられる。年代的内訳は明治期〜大正期1基、昭和前期3基、昭和後期13基、平成期2基となっており、遠賀川の支川に大半が築造されている。その特徴は、どちらかといえば利水に重きを持ったダムであり、遠賀川の利水は筑豊地域と北九州市へ供給されている。目的は多岐にわたっているが、水力発電のダムはない。このことは遠賀川の河床が緩やかであることを示しており、発電ダムとしては適さないことが推察されるし、その必要性が乏しかったからであろう。しかしながら、遠賀川支川の犬鳴川に犬鳴ダム、八木山川に力丸ダム、福地川には福智山ダムがそれぞれ建設されており、今日、自然エネルギーが見直されてきたため、これらのダムの落差による小水力発電を起こす施設を設置する必要に迫られているといえるだろう。なお、総貯水容量1,000万m3を超えるのは、力丸ダムと遠賀川河口堰に過ぎなく、小規模のダムが多い。

 具体的に以下、福智山ダムと遠賀川河口堰の建設をみてみたい。

◆ 4. 福智山ダムの建設

 福智山ダムは、遠賀川水系彦山川右支川福地川の上流、福岡県直方市大字頓野地先に、平成16年福岡県によって建設された。

 福地川は、直方市東部の北九州国定公園内の福智山(標高900.6m)に源を発し、遠賀川水系彦山川に合流する流域面積15.7km2、流路延長7.8qで、彦山川に合流する。彦山川は福地川合流後北流し、直方市日の出橋付近で遠賀川と合流する、流域面積327.6km2、流路延長43.8qの河川である。

 福智山ダムの建設については、福岡県編・発行『福智山ダム工事誌』(平成16年)により追ってみたい。

 ダムの必要性については、昭和28年6月の大水害、昭和34年における大渇水、それに近年都市化による水需要へ対応するものである。昭和43年〜49年にかけて予備調査が行われ、54年に事業が採択された。その後59年8月補償基準の妥結、平成7年10月一般補償完了、10年10月ダム本体工事着手、12年3月ダムコンクリート打設開始、13年12月ダムコンクリート打設完了、16年3月竣工した。本体打設工法は、福岡県内で初の合理化施工であるRCD工法が採用された。


『福智山ダム工事誌』
 ダムの諸元をみてみると、堤高64.5m、堤頂長255m、堤体積20.2万m3、総貯水容量271万m3、洪水調節容量129万m3、利水容量127万m3、型式重力式コンクリートダムである。洪水吐きとして、常用洪水吐き型式自然調節方式、非常用洪水吐き型式正面自由越流方式となっており、最大放流量は23m3/sである。起業者は福岡県、施工者は大成建設・前田建設工業・為広建設で、事業費217億円を要した。

 なお、主なる補償は、土地取得面積21.4ha、水没家屋2戸、鉱業権補償である。
 福智山ダムは、3つの目的をもっている。

@ 洪水調節
 ダム地点の計画高水流量100m3/sのうち、88m3/sの洪水調節を行い、福地川沿川の水害を防除する。

A 流水の正常な機能の維持
 ダム地点下流の福地川沿川の既得用水の補給を行う等、流水の正常な機能の維持と増進を図るため、維持流量として0.035m3/sを確保する。

B 水道用水
 ダム地点下流直方市に対し、ダム地点において水道用水として、新たに2,500m3/日(0.029m3/s)の取水を可能ならしめる。


 直方市の水道の変遷を辿ると、明治時代までは井戸水であったが、昭和7年人口27,000人となり、遠賀川の伏流水でもって水道を開始した。そのころは一人1日100lの使用量である。その後人口の増加と炭鉱の開発によって遠賀川が汚染され、水源を表流水に変更を余儀なくされた。さらに昭和40年八木山川の力丸ダムに水源を求め、12,000m3/日が供給されている。現在(平成23年)人口58,800人に対する水道は、遠賀川の表流水と、力丸ダム、福智山ダム、地下水を水源としている。現在の一人1日水使用量はほぼ300lである。



◆ 5. 遠賀川河口堰の建設

 遠賀川河口堰は、遠賀川河口より2q地点の左岸福岡県遠賀郡芦屋町字所江、右岸同県同郡水巻町字猪熊に位置する。河口堰の必要性については、流域内の重要地区において、資産と人口が増大しており、より安全度の高い治水計画が要求され、阻害する北九州工業用取水堰を改築することが重要視されていた。また、利水面では、沿川地区、北九州地区の水不足も深刻化しており、その水対策が必要であった。昭和44年より調査に着手し、昭和58年に国土交通省によって完成した。

 この堰の建設については、建設省遠賀川工事事務所編・発行『遠賀川河口堰工事誌』(昭和56年)により、追ってみる。


『遠賀川河口堰工事誌』
(1) 河口堰の諸元

 長さ517m、敷高T.P−4.2m、常時満水位T.P+1.5m、総貯水容量1,114万m3、有効貯水容量884万m3、湛水面積2.94km2、湛水区間9.3qである。ゲートとして、魚道ゲート1門(3連)、微調節ゲート1門、調節ゲート1門、制水ゲート7門が設置されている。型式はフローティングゲートダムである。起業者国土交通省、施工者大林組・奥村組で、事業費は308.56億円を要した。主なる補償は、土地取得面積2.2ha、芦屋漁業協同組合などに対する漁業補償、河口堰湛水に伴う農地の湿田化防止対策等の事業損失補償であった。

(2) 目的

@ 治水
 河口より8,600m付近にある北九州工業用水取水堰(昭和36年完成・伊佐座堰)は固定堰であり、計画高床より約27m突出しているため、治水上大きな障害になっている。この堰を撤去し、河口堰を建設して高水疎通能力の増大を計るとともに、河道掘削に伴って増大する塩分の遡上を防止する。
A 都市用水
 河口堰による貯留水を利用して、2m3/sの取水を行い、周辺市、町および北九州市への都市用水を確保する。その内訳は上水0.825m3/sは、北九州市、中間市、芦屋町、遠賀町、水巻町、岡垣町に供給される。工水1.175m3/sは、北九州市へ供給される。

 この河口堰工事の特徴について、『遠賀川河口堰工事誌』には、次のように記されているが、ダム施工とは、また違った苦労がみえてくる。

 河口堰の立地するところは、今もなお遠賀川の多大な恩恵をうけ漁業、農業面においても広く生活が営まれており、そして堰本体は古第三紀層を基盤とする複雑な地質の上に立脚している。また、河口堰により確保される水位は標高1.5mにあり、これを下回る地盤は広範囲にわたる。この河口堰を完成するにあたり、課題とした事項は、複雑な地質に構築する堰本体の施工、田面を上廻る水位を確保することによる湿田化の把握とその対策、あらゆる気象、水文状況に適正に対応し得るゲート操作の方法である。工事にあたっては、微粉炭層での施工が工程を圧進し、その上浚渫に伴う河川水の汚濁、浚渫船の騒音等が若起し、この対策に苦慮した。また、基礎地盤の複雑さや工事区域に住宅密集地が隣接していることから、基礎工事に多大の労力を費やした。


 湿田化対策においては、学識者の参画による検討委員会を設け、漏水防止矢板の施工、排水機場の設置、堤脚部水路の改修等を実施した。さらに、完成後の河口堰を運用するための基本となるゲート操作においては、常時において標高1.5mの水位を保つことはもとより、出水時には洪水を安全に流下させ、塩水の侵入防止するための各種制御方式を組み込み、コンピュータによる自動制御も可能とした。



◆ 6. おわりに

 昭和40年以降、完成した主なる遠賀川におけるダムは、力丸ダム(昭和40年完成)、頓田第一・頓田第二ダム(昭和43年完成)、陣屋ダム(昭和51年完成)、遠賀川河口堰(昭和58年)、犬鳴ダム(平成7年)、福智山ダム(平成17年)であり、これらのダムは、北九州市と筑豊地域の高度経済成長と水需要増大の都市化のための治水と利水に対応する多目的ダムである。さらに、平成23年4月から北部福岡緊急連絡管(通称福北導水)47qの完成によって、水不足に悩んでいた福岡県福津市、宗像市、古賀市、新宮町にも水道水が供給されるようになった。遠賀川の水は、多岐にわたって利用されている。

 本年(平成23年)、筑豊の炭鉱を記録した山本作兵衛の絵や日記が、「ユネスコの世界記憶遺産」に登録された。日本初の世界記憶遺産である。炭鉱労働や生活の風景が彩色画、墨絵で克明に描かれている。作兵衛が描いた筑豊炭田は、昭和51年大之浦露天掘炭鉱の閉山を最後に、炭鉱がなくなった。今では、黒い川、ぜんざい川と呼ばれていた遠賀川は水質の浄化が、かなりすすんだ。遠賀川上流嘉穂町に鮭神社があるように、かつては遠賀川には神の使いであるとされた鮭が遡上し、鮎も群生していた。このような遠賀川を目指して流域市民の意識が高まり、青少年の環境教育に取り込む「遠賀川水辺館」、 「堀川再生の会・五平太」、建花寺川を考える「龍王・山・里・川の会」の活動をはじめ、沢山の環境団体が設立され、遠賀川流域の水環境の向上に取り組んでいる。
 終わりに、いくつかの遠賀川に関する書を挙げる。

・香月靖晴著『遠賀川 流域の文化誌』(海鳥社・平成2年)
・林 正登著『遠賀川流域史探訪』(葦書房・平成元年)
・野間 栄著・発行『写真集遠賀川水系の橋』(平成3年)
・西日本文化協会編・発行『西日本文化NO441遠賀川』(平成21年)
・倉掛晴美著『サケよふるさとの川へ』(石風社・平成15年)
・遠賀川下流域河川環境教育研究会編・発行『遠賀堀川の歴史』(平成20年)
・堀川再生を考える実行委員会編・発行『昭和の遠賀堀川』(平成17年)
・澤田憲孝編著・発行『犬鳴川流域思考研究資料集』(平成17年)

[関連ダム]  福智山ダム  遠賀川河口堰
(平成25年6月作成)
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 (古賀 邦雄)
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