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ダムの書誌あれこれ(70)
〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
◇ 1. 明治の三大用水

 明治政府は、ヨーロッパ列強に対し、日本の主権を維持するために、「富国強兵」、 「殖産興業」の政策を進めた。そのために、多くの外国人を雇い、鉄道、港湾、道路、干拓、河川改修、電信などの産業基盤の整備をおこなった。また、軍需工場、鉱山の官収、官営を図り、金融制度も確立した。農業もその例外でなく、士族授産、輸出振興策に伴い養蚕、製茶などの農産加工や北海道開拓をはじめ、各地域における原野の開墾も進めた。どの地域でも「水さえあれば」、「水さえ引ければ」、農業も産業も発展することは自明なことである。利水は、河川やダムなどの水源から水をもとめ、河川で堰あげし、そこから水路で水を導き、利用するのが一般的である。だが、なかなか水利事業はスムーズに進捗しない。そこには必ずや水を求めた先人たちの苦難をみることが出来る。殖産興業政策の一環として、明治の三大用水事業といわれる明治用水、安積疏水、那須疏水における開削をみてみたい。

@ 明治用水
 明治用水は、愛知県豊田市にて矢作川から取水し、安城市、豊田市、岡崎市、西尾市、高浜市、刈谷市、知立市に対し、農業用水などの水を供給している。明治13年4月に通水した。その計画は江戸時代に始まり、碧海郡の豪農都築弥厚によって、文化5年碧海台地に矢作川の水を引き開墾を行う計画で測量が行われたが、天保4年に弥厚は病没。その後明治となり、愛知県令に対し、伊豫田与八郎、岡本兵松らは「用水路掘削溜池不毛地開拓再願書」を提出し、受領され、明治12年に本流の工事が始まった。明治用水は本流、西井筋、中井筋、東井筋の幹線と支線からなり、幹線は88q、支線は342qである。灌漑面積は約8,000haで、これによって安城市を中心に「日本のデンマーク」とよばれる農業先進地に発展した。

A 安積疏水
 安積疏水は、猪苗代湖から取水し、福島県郡山市とその周辺地域の安積原野に農業用水、都市用水を供給し、水力発電も行う。士族授産の国家プロジェクト安積疏水は、オランダ人技師ファン・ドールンの計画のもと、国直轄の農業水利事業第1号地区として着工。40万円余と約85万人を動員し、幹線水路52q、分水路78qを造った。明治12年より3年間で通水した。灌漑面積は約9,000haに及び、荒涼とした安積原野を一大穀倉地帯に変えた。その後、郡山絹糸紡績会社発電のため沼上発電所運転を開始し、郡山市上水道用水として疏水を供給、竹之内発電所、丸森発電所の運転開始、深田ダムの供用開始などが行われた。

B 那須疏水
 那須疏水は、県令三島通庸や印南丈作、矢坂武らの尽力により、明治18年9月那須野が原大農場の飲用、灌漑用水として完成した。工期は約5ヵ月間の短期間であった。その疏水の取水口は栃木県黒磯市西岩崎(現・那須塩原市)の那珂川で、千本松(旧西那須野町)まで約16qの本幹水路を掘削し、分水路は黒磯に2本、西那須野に2本造られ、第1〜4分水と呼ばれている。その後の那須野が原の開発には目覚しいものがある。昭和30年代那須野が原開発事業がはじまり、蛇尾川サイホンの完成、亀山トンネル改修完成、新木ノ俣頭首工・西岩崎頭首工の竣工、さらに深山ダム、板室ダム、赤田調整池、戸田調整池の完成と続き、那須野が原の水源の確保と農業用水の安定供給が図られた。

 このようにみてくると、水を求めた先人たちの血のにじむような尽力には自然にあたまが下がる。そしてこのことが近代国家日本の基礎を築き上げたといえるであろう。今では、明治用水取水口の矢作川上流には矢作ダム、安積疏水には深田ダム、那須疏水には深山ダム、板室ダムがそれぞれ造られ、水源の確保と農業用水および都市用水の安定供給がはかられている。自明のことであるが、ダムはダムだけでは、その効果を充分に果すことが出来ない。堰を設け、取水口を設け、その取水した水を各地域に導水する水路と一体となって、さらにあらゆる水資源開発施設によって、はじめて農業用水や都市用水は生活や産業に活かされることとなる。ダムと堰と水路と一体となった、戦後まもなく始まった食糧増産を主目的とする「夢の用水」、「世紀の大事業」と呼ばれた牧尾ダムと愛知用水の建設、即ち愛知用水事業について、その軌跡を追ってみたい。

◇ 2. 愛知用水事業について

 愛知用水公団・愛知県編・発行『愛知用水史』(昭和43年)、愛知用水のパンフレットにより、愛知用水事業の概要について、次のようにまとめてみた。愛知用水事業は、戦前から干ばつによって、農業用水、飲料水の水不足に悩まされてきた愛知県知多半島の人々が、昭和23年愛知用水運動を興し、木曽川の上流に水源となる牧尾ダムが建設され、岐阜県から愛知県の尾張東部の平野及びこれに続く知多半島一体に農業用水、水道用水、工業用水を供給するものである。起業者は愛知用水公団(現・独立行政法人水資源機構)で、昭和30年から昭和36年にかけて施工された。愛知用水の水源施設である牧尾ダムは、昭和36年木曽川水系王滝川の長野県木曽郡王滝村、三岳村地内に完成した。

 完成後の牧尾ダムにアクシデントが起こった。それは昭和59年9月14日に発生した長野県西部地震により、ダム湖内に大量の土砂が流入したことである。そのためにダム湖の回復と周辺の災害防止を図る目的で、平成7年から平成18年まで「牧尾ダム堆砂対策事業」が実施された。


『愛知用水史』
 牧尾ダムで開発された愛知用水の水は、岐阜県八百津町の兼山取水口で、最大水量30m3/sが取水され、幹線水路延長112.1qでもって、知多半島に送られ、なおその沖にある日間賀島、篠島、野島まで海底トンネルで送水されている。

 その途中には、現在松野池、愛知池、三好池、佐布里池、前山池、美浜調整池が設けられ、さらに、支線水路延長1,063qが張り巡らされており、農地約15,000haを潤す。なお、新規冬期用水の水源として、入鹿池の水を幹線水路に導入することにより、高度な利用が行なわれている。

 また、昭和36年の通水から20年を経て、水路等の老朽化と新たな都市用水の需要増加に対処するために、愛知用水二期事業として、水路施設の全面改築が、昭和56年度から平成16年度にかけて行われた。さらにその間、水需要増加対策のために愛知用水の新たな水源施設として、木曽川上流に味噌川ダムが平成8年、阿木川ダムが平成3年にそれぞれ完成した。

◇ 3. 知多農民の悲願

 さて、愛知用水の事業について概観してきたが、その道のりは大変厳しいものであった。浜島辰雄編著『愛知用水と不老会』(財団法人不老会・平成17年)、愛知用水土地改良区編・発行『愛知用水土地改良区五十年の歩み』(平成14年)により、その用水建設の運動を追ってみたい。
 さて、愛知用水の事業について概観してきたが、その道のりは大変厳しいものであった。浜島辰雄編著『愛知用水と不老会』(財団法人不老会・平成17年)、愛知用水土地改良区編・発行『愛知用水土地改良区五十年の歩み』(平成14年)により、その用水建設の運動を追ってみたい。


『愛知用水と不老会』

『愛知用水土地改良区五十年の歩み』
 「日本の真中、伊勢湾に突出した知多半島は、温暖な気候に恵まれ、また名古屋に近くて、交通の便もよく、その上、人々は勤勉で、古くからこの地を愛し農業に励んできた。しかし、夏の雨が少なく、降っても雨は馬の背を分けるかのように海に流れてしまって、大きな川もなく、毎年のように旱魃に悩まされてきた。そのため長い間、大小さまざまの溜池を谷間谷間に造って灌漑につとめてきた。その数は尾張東部から知多半島にかけて一万三千余個があたかも豆をばら撒いたように造られて来た。これは千数百年前、日本の国に稲作が伝わって以来の地域住民の汗と涙と血の結晶であった。その溜池にも年によって秋から春にかけての雨が少ない年には、満水せず、田植え水にも困った。また、無事田植えができても、夏の雨が少なければ、せっかく植えた稲も青立ちとなり、稔らなかった。」とあり、知多半島の人々はいつも旱魃の恐ろしさにおののいていた。

 前述したように、知多半島から境川、衣浦湾を隔てた三河では、江戸後期に都築弥厚が矢作川から水を引くことを計画し、測量まで行ったが、志半ばで破産し、亡くなった。明治13年弥厚の意志を引継いだ岡松兵松らによって、明治用水を完成した。これをみた冨貴村長・森田萬右衛門は知多半島にも三河の明治用水のように木曽川から水を引き、用水を造り、農業を根本的に改良すべきであると機会あるごとに、青年男女に話した。聞く青年たちも単なる夢物語とは思えなかった。夏になれば、水汲みに明け暮れていた久野庄太郎青年も何時の日か、そんな夢を実現したいと心に誓っていたという。戦後、久野庄太郎は愛知用水建設運動の中心人物になる。そしてもう一人久野同様に、木曽川からの導水を考えていたのは、安芸農林学校教員浜島辰雄であった。二人は木曽川からの導水に関して意気投合して早速用水路の実地踏査を始める。そして「愛知用水概要図」を昭和23年8月10日に作成し、それを携帯、掲示に便利なように軸装にした。

◇ 4. 愛知用水概要図の内容

 久野庄太郎と浜島辰雄が木曽川の現地調査を実施して作成した、その「愛知用水概要図」の内容は次の通りであった。

愛知用水諸元
@ 関係市町村 4市48ヵ町村
A 導水路延長 幹線120キロ
B 水源
  瀧越、丸山その他に4億立方メートルを貯留し、木曽川の最小流量を140立方メートル/秒以下にならないように調節する。
C 現況 木曽川の水利用状況は次の通り。
  農業用水52.47立方メートル/秒  
  上水道用水4.05立方メートル/秒  
  工業用水0.65立方メートル/秒  
  舟航用水55.00立方メートル/秒  
  計112.17立方メートル/秒  
  であるから、最小流量140立方メートル/秒とすれば、約28立方メートル/秒の余裕を生じる。
 なお、上流のダム建設は、河川工学の大家水谷将著『日本河川論』による河水統制の説であり、これを受け、愛知県土木部の岩塚斉が計画した。
D 愛知用水計画受益面積
  既設耕地 水田19,000町歩
       畑 11,000町歩
  新設耕地 水田4,200町歩
       開田3,320町歩
       干拓180町歩
  溜池跡地 900町歩開田(溜池の60%)
  畑地   4,000町歩
  合計   42,600町歩
E 事業費  50億円
F 本計画の特徴
 (イ) 水田の畑地化(田畑輪換)
 (ロ) 畑地灌漑(一般作物、果樹、野菜)
 (ハ) 商工業用水(飲料水)、防火用水
 (ニ) 溜池利用による洪水防禦、用水利用
G これによる利益
 (i) 増収量
  米     20万7,520石 7億6,408万円
  麦     24万200石 6億50万円
  果樹甘藷  1,670万700貫 3億円
  計     16億6,458万円
 (ii) 畜産、土壌水分増加により牧草が繁茂 乳牛は4倍 園芸作物、農村工業の増加により豚10倍
 (iii) 農村工業は原料増加と用水補給など電力増加により発展する
 (iv) 工業用水、上水道用水、防火用水、衛生用水の供給増加
 (v) 海産物、ノリ、魚介類の増加
 (vi) 木曽川総合開発による電力量、25万キロワット
   地区内落差利用による発電、1,500キロワット

 昭和23年7月23日この愛知用水の計画概要をもって、農村同志会が中心となって各学区ごとに説明会を開催。その時の決議事項は@市町村に強力に働きかけるA知多郡外、愛知、東西春日井郡、三河部にも働きかけるB水源地の現地見学会を実施するC市町村内各学区ごとの説明会を開催するD浪曲師三門博を呼んで「都築弥厚の苦心談」で人を集める、ことになった。浪曲師の件は三門博のギャラが高すぎるために、梅うめが枝え鴬うぐいすに変わったという。

 ところが、愛知用水の計画が報道されると、木曽下流取水の木津、宮田、羽島、佐屋川、筏川用水などから猛烈な反対陳情が愛知県農地部、農林省京都農地事務局名古屋建設部に出てきた。 「われわれは尾張徳川様の昔から木曽川については『山川ともに御拝領』といって、木曽山、木曽川の水は尾張様からいただいたという御墨付を持っている。いま水が欲しいといっても、木曽川の上流から一滴の水も取ることは許さない。」
 「昔から木曽川の水で農業を営む皆様方にご迷惑をかけていけないことは、同じ百姓の立場でよくわかっております。そこで、木曽川の上流にダムを建設して、雨水を貯水して利用する計画であります。」
 「そんなことはわかり切ったことだ、これから用水を造ろうとする若造が何をいうか。自分勝手な、鳶が油揚げをさらうようなことを考えずに、自分達が人に迷惑を与えないことを考えろ。」
 罵声をあびなからも、久野庄太郎らは、梅が枝鴬の浪曲「都築弥厚の生涯」を掲げ、各地区に愛知用水の計画の説明に回った。
 「浪曲がクライマックスに達し、都築弥厚翁が地域の住民が反対する中、夜、提灯の明かりで測量するあたりになって、高岡村の太田一男が男泣きに、おいおい泣き始めた。つづいて付近の一人、二人が涙にむせんで泣き出し、つづいて全員がおいおいと男泣きし始めた。みんな純な人ばかり、弥厚さんの苦心談に久野庄太郎さんの苦心を思いやり、みんな泣いた。」

◇ 5. 岸信介、佐藤栄作、吉田茂首相の協力

 前掲書『愛知用水と不老会』には、昭和23年12月23日愛知用水第一回東京陳情について、次のように記されている。

 愛知用水建設期成会は、農林省開拓局に対する陳情が終わり、翌朝巣鴨から釈放された元商工大臣岸信介を弟の佐藤栄作内閣官房長官の家に訪ね、陳情している。 「私は巣鴨から出て来た翌日に、こういう国家的大事業の話を聞くのは、まことに幸せである。この話は私が聞くより、弟に話して下さい」
 佐藤官房長官は「この話は私が聞くよりも総理に聞かして下さい。明朝10時に全員で総理官邸に来て下さい。」と、吉田首相に取り次ぐこととなった。

 同年12月25日の首相官邸での様子である。
 「佐藤官房長官は片手を挙げて、 『5分、5分、首相が待っております』と言って、われわれを中に入れてくれた。大きな部屋のまん中に大きな机が置いてあり、その正面に小さな人が腰をかけ、『ここに地図を拡げよ』と言っている。『あっ、吉田総理だ』とさっそく地図を拡げて説明を始めた。久野さんは人が変わったように落ち着いて、自信に満ちた顔で説明を始めた。首相から『食糧の増産量は? 人夫はどれくらい使うか?』と次から次へと質問が出た。一応は地図に注書してあるので答えたが、久野さんをはじめ、緋田工、三浦青一など、世慣れた人がうまく答えてくれた。最後になって、吉田首相が大きな声で『食糧増産、失業対策、よいではないか』と言われ、ほっとした。この陳情があって、農林省も昭和24年からの調査予算をつけるのにも自信をもって予算要求することができたと喜ばれた。ちなみに昭和24年より農林省は愛知用水に対する直轄調査予算をつけることができた。」

 もう一つ愛知用水にかかわる吉田茂首相のエピソードが掲載されている。それは年末御鏡餅奏呈し、大磯の吉田首相邸に揃ってお礼に上がった時のことである。
 「海岸の見える大部屋に案内されて、サンドイッチを御馳走になり、部屋に飾られた白熊の毛皮や、絵、彫刻などの美術品をいちいち説明いただいて、『ときに君達は農業者だが、日本の国は土地の値段が高いのはどういうわけかわかるかね?』と聞かれた。一行は山本孝平、榊原文英、石田季幸など、どこに出しても引けを取らない一騎当千のものばかりであったが、改まって聞かれると、即答できない。お互いに顔を見合わせて、目をパチクリしているばかり。そのうちに吉田さんは、『ないから高いんだよ。君達はその土地を開いてくれるから協力するんだよ』と言って笑われた。みんな唖然とするばかり。国の政治も、ズバリこれだなと感心して、すがすがしい気持ちとなって、元気づけられてきた。」

◇ 6. 愛知用水水源ダムの変遷

 農林省は、愛知用水の水源ダムとして、薮原、滝越、二子持、丸山の4ヵ所を候補地として考えていたが、次のような難点がみられた。

(1) 滝越地点の地質上の問題
 「本地点はダムサイトとしては一見はなはだ好地点と認められたが、日本発送電株式会社で施行したボーリングの結果及び今回の地質調査の結果より総合すれば、右岸は良質の岩盤なるも、左岸は火山灰層にして透水性であり、土堰堤として考えてみた場合、浸透線がどこで納まるのかがもんだいであり、仮に土堰堤として安全であっても河床下65m以下の掘削が現在の土木技術をもって安全かつ採算可能に工事を完了し得るかが疑問と考察される。」さらに次のように指摘する。 「左岸を構成する火山噴出物の火山灰は、ほぼ水平に成層されているが、この岩質は深さによって相違があり、電探の結果や、地表の露出層から判定して上部は細粒の火山灰であるが、下部の地層は比較的粗粒を交え、その透水性は大であると思われる。」

(2) 薮原地点
 「木曽川本流の最上流、JR中央線薮原駅付近をダム建設地点とするため、貯水量は最大であるが、水没補償(戸数450戸、田畑230ha、山林原野170ha、国鉄8,300m、国道7,500m、県道5,000m)が多大な額にのぼり、経済的に建設困難と判断される。」

(3) 丸山地点
 「当時関西電力株式会社が調査中であり、ここは木曽川水系におけるもっとも良好な場所と考えられ、農地局長は、資源庁電力局長へ現計画貯水量2,800万m3を1億m3として、堤高を35m上げることを公文書をもって要請した。これに対し、丸山ダム建設にあたっては、有効貯水量1億m3とする場合は、電力部門以外の負担金およそ70億円程度達し、その効果に対照して過大の負担となると認められるので、木曽川灌漑用水補給は、丸山ダムのみに依存せずに、他のダム計画についても調査せられたい。」

 このように、愛知用水の水源ダムは、昭和25年6月時点では、地質的、経済的な問題などから確定できなかった。ダム地点は二子持地点から、最終的には牧尾橋に決着するが、ダム型式もまたコンクリートダムか、ロックフィルダムかでもめた。ロックフィルダムに決定するも、その間日米双方で意見が分かれた経過がある。

[関連ダム]  牧尾ダム(元)
(2010年12月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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