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ダムの書誌あれこれ(101)
〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。

◆ 1. 川内川の長崎堤防

 堤防は水の溢れるのを防ぐための構造物であり、河川や海岸の水が集落や陸地に入るのを防ぐために造られてきた。今まで河川堤防について、あまり論じられてこなかったが、最近、吉川勝秀著『新河川堤防学−河川堤防システムの整備と管理の実際』(技報堂出版)が発行され、堤防を国の基幹的な社会インフラであると捉え、河川堤防の整備や管理に関する現状認識を示し、河川堤防システムの構築を図ることを明確に論じている。

 さて、鹿児島県薩摩川内市を流れる川内川左岸、河口から4q地点に江戸期干拓のために設けられた鋸(のこぎり)状の珍しい長崎堤防が見られる。そこには次のような表示板があった。


「長崎堤防
 川内市高江町の長崎新田は、かつて川内川の汐が流入する入江状の低水地で、ろくに米も採れない潟でした。「親がやろうとて行かれよか高江、高江三千石火の地獄」の歌があるように米の不作地帯でした。第十九代藩主島津光久は、小野仙右衛門を普請奉行に任じ、この地の大規模な干拓工事を命じました。工事は延宝七年(一六七九)に着工し、約八年の歳月を費やして貞享四年(一六八七)に竣工しました。川内川左岸高江地区内のこの広潟は、周囲三里、堤防の長さ三六〇間(六四〇メートル)、開発された新田の面積が三〇〇町歩(約三平方キロメートル)にも及ぶ立派な水田に生まれ変わりました。そして、この堤防を「長崎堤防」と呼びました。
 当時の工法は、そのほとんどが人力に頼り、その上、しばしば洪水に襲われ、築いては崩され、また築くという大変な難工事でした。仙右衛門は苦心の末、鋸の刃のような形の堤防を考案してやっと川内川の激しい水流を抑えることができたと伝えられています。この鋸の刃状の突起部は七ヶ所あり、潮流の調節をなすもので、工学的に価値あるものといわれています。木曽川治水工事に先立つこと六八年前のことです。また、工事を監督した小野仙右衛門を祀った小野神社の下の崖には、仙右衛門が工事完成を祈って刻んだ「心」の文字が残っています。
 この大きな困難と犠牲をともなった工事は『袈裟姫伝説』としても語り継がれています。ある夜、「娘を人柱にたてよ。その流れに沿って築堤せよ。」と告げる不思議な夢を見た仙右衛門は、愛娘の袈裟を人柱にし、お告げのとおりに鋸の刃の形に堤防を築き、ようやく工事がうまくいったと伝えられています。
国土交通省川内川河川事務所」

 この地の名をとった長崎堤防には、このような人柱の犠牲にかかわる悲哀が潜んでおり、別名「袈裟ヶ堰」とも呼ばれている。そこには「水神様」が祀ってあった。

◆ 2. 川内川の流れ

 川内川は、熊本県の白髪(しらが)岳(標高1,417m)に源を発し、宮崎県を西流し、えびの市加久藤盆地に出て、二十里川、池島川、長江川などと合流し、鹿児島県に入り、吉松町、栗野町をへて、轟狭窄部、菱刈町湯之尾にて5mの段流湯之尾滝を作り、伊佐盆地に出て、羽月川を合流して、高さ30mの景勝地曽木の滝狭窄部をへて、昭和41年3月完成した鶴田ダムの貯水池を流下し、さらに、昭和39年完成の川内川第2発電所(電源開発(株))を下り、さつま町狭窄部、宮之城狭窄部を流れ、薩摩川内市に入り、樋脇川、隈之城川を合わせて、川内平野を貫流し、東シナ海に注ぐ、幹線流路延長137q、流域面積1,600km2(山地75%、平地25%)で、九州では筑後川に次ぐ第2位の大河である。


 地形的には、河口から水源までの平均勾配は約1/100であるが、丘陵性山地と平野の交錯するところが多く、至る所に盆地を有する階段式の地形となっている。川内川の特徴の一つは、おおくの狭窄部を形成していることである。上流部は、約33万年前に噴火した加久藤カルデラの一部をなし、約2万年前に噴火した姶良カルデラ形成時の火山噴出がシラスとして広く堆積しているため、複雑な盆地と滝と狭窄部が連続している。盆地出口は狭窄部となっているため、洪水がしばしばおこりやすい河川である。

 具体的に見れば、池島川合流点付近より上流では狭窄部を形成しており、栗野〜大口盆地は北方橋より鶴田ダム上流約3qの比較的巾の狭い地域で盆地中央にて羽月川が川内川に合流する。さらに下れば、さつま町狭窄部、宮之城狭窄部が続く。
 また、降雨量をみると、川内川流域は温暖多雨地域でもあり、年平均は2,700oと降雨分布も上流水源地の南側霧島山系が特に多く、年降水量3,600oを越えている。川内川の歴史は洪水の歴史といっても言い過ぎではない。一番古い記録として、天平18年(746)の洪水が「続日本書記」、「大日本史」に記されている。以前、薩摩川内市のある市民が、戦前には「毎年、洪水に遭った」と話していたことを思い出した。天文8年(1539)〜平成22年までの現在に至るまで約200回をこえる記録があり、平均2年に1回程度で洪水が発生している。川内川の洪水発生原因をみると、台風洪水が40%、梅雨前線によるものが60%となっている。

◆ 3. 川内川の洪水とその被害

 川内川は、地形的にみて、なおかつ降雨量から洪水の起こりやすい河川であることが理解できる。川内川の洪水記録について、建設省川内川工事事務所編・発行『川内川五十年史』(昭和57年)、平成23年度川内川事業概要などにより、追ってみる。

@ 明治39年6月21日洪水
 総雨量は大口273.5o、隈之城266oで川内町において最高水位7.3mを記録し、大被害を及ぼした。
A 昭和18年9月20日洪水
 台風27号によって、総雨量は大口296.8o、水野375o、川内265oを記録し、被害は4人の死者、浸水家屋3,333戸、浸水田畑224.3haなどに及んだ。


『川内川五十年史』
B 昭和29年8月18日〜19日洪水
 台風5号によって、16日〜18日の総雨量は、飯野465.6o、京町476.4o、宮之城294.4o、川内243oを記録し、最高水位は飯野4.6m、加久藤3.0m、吉松6.61m、宮之城7.20m、川内5.51mに達し、鹿児島県内の被害は、死者13人、負傷者55人、住家流失8戸、全壊1,306戸、半壊7,246戸、床上浸水2,102戸、床下浸水10,236戸、田冠水8,584ha、畑冠水2,227haなどに及んだ。
C 昭和32年7月25日〜29日洪水
 梅雨前線によって、26日〜28日の総雨量は、加久藤304.3o、栗野281.2o、宮之城206.0o、川内233oを記録し、最高水位は吉松6.16m、湯之尾4.8m、宮之城7.8mに達し、川内市全市水びたし、被害は死者6人が出、太平橋は欄干だけが残った。
D 昭和46年8月3日洪水
 台風19号によって、3日〜5日までの総雨量は、加久藤512o、入来616.4o、紫尾529.5o、川内456.0oを記録し、最高水位は加久藤3.25m、栗野6.9m、斧淵10.15m、川内6.95mに達し、被害は死者48人、負傷者135人、家屋全壊315戸、床上浸水3,895戸、床下浸水12,423戸、水田流失・埋没280.7ha、畑流失・埋没177haなどに及んだ。
E 昭和47年6月17日洪水
 梅雨前線によって、16日〜17日の総雨量は、加久藤236.2o、栗野295.5o、川内387.8oを記録し、最高水位は加久藤2.1m、栗野5.32m、湯田6.72m、川内6.9mに達し、被害は死者7人、負傷者21人、全壊家屋78戸、床上浸水1,742戸、床下浸水3,460戸、水田流失・埋没448.5ha、畑流失・埋没81haに及んだ。10時間で300oをこえ、川内市内は大被害をうけ、濁流につかる川内市と報道された。
 なお、この水害によって、菱刈町築地地区の住民は捷水路工事施工中の未施工区間より、激流が流れ込み、耕作する水田が流失・埋没したとして、損害賠償の訴訟がおこされた。また、昭和47年7月の洪水は、鶴田ダムによる管理不備だとして、鶴田ダム下流川内川沿川住民122名が損害賠償の損害訴訟を起こしている。
F 平成18年7月18日〜23日洪水
 平成に入ってからも、洪水は平成5年8月6日の梅雨前線による洪水、9年9月16日の台風19号によって川内川流域に多大な被害を及ぼした。鶴田ダムの再開発事業を具体的に動き出させたのは、平成18年7月の大洪水であった。
 この洪水は梅雨前線によって、薩摩北部中心に5日間に1,165oにおよぶ驚異的な豪雨をもたらした。川内川の上流から下流にいたる流域の3市3町(薩摩川内市、さつま町、大口市、菱刈町、湧水町、えびの市)の約5万人に避難勧告が発令され、浸水面積2,777ha、床上浸水1,848戸、床下浸水499戸などの被害が生じた。この記録的な豪雨を受けて、ダム操作規程の見直しがなされた。

◆ 4. 川内川治水事業の変遷

 川内川の治水事業の変遷について、国土庁土地局編『大淀川・川内川主要水系調査』(昭和59年)から見てみる。
 川内川における江戸期の治水事業は、下流の高江地区の長崎堤防、八間川の開削、中流では宮之城地区の轟瀬の開削、上流では下手川の改修がある。近世にはいり、明治期臨時治水調査会で直轄河川として採択され工事が予定されたが、ようやく昭和6年〜河川改修が始められた。

@ 昭和6年〜昭和23年
 昭和6年からの改修事業は、下流のみが対象であり、川内川本川の東郷町より下流、支川については隈之城川、平佐川の計17.85qについて実施された。計画高水流量は、明治39年6月洪水を対象洪水として、川内市太平橋地点で3,500m3/sであり、主なる工事は河道掘削、築堤、水衝部の護岸施工等であった。

A 昭和23年〜昭和34年
 昭和18年9月上流部を襲った洪水により、下殿地点における計画高水流量を3,100m3/sとして、昭和23年から上流域の改修に着手し、改修対象区間は支川を含めて56qであり、えびの町、吉松町、栗野町等の市街地部の河道掘削、築堤及び護岸工事及び菱刈町の捷水路工事であった。

B 昭和34年〜昭和48年
 昭和29年8月、昭和32年7月の洪水を契機として、中下流の計画高水流量を増加した。流量増加分は中流に鶴田ダムを建設して、ダム地点で800m3/sを調節する計画とした。昭和41年3月鶴田ダムが完成した。この間の主な治水工事は、流域内の河道掘削、築堤、護岸の施工、上流菱刈地区の捷水路工であった。

C 昭和48年3月
 昭和46年8月、昭和47年6月と連続して、昭和34年の計画を上回る出水に見舞われ、これを契機として、昭和48年3月計画規模を1/100にする工事実施基本計画を改定し、川内地点基本高水流量9,000m3/s、計画高水流量7,000m3/sとした。


D 平成19年8月
 河川法改正に伴う「川内川河川整備基本方針を策定した。また、平成18年7月の豪雨災害を契機として、河川激甚災害対策特別緊急事業、さらに鶴田ダムの再開発事業がスタートした。


◆ 5. 鶴田ダムの建設経緯

 建設省(現・国土交通省)は、川内川の水害の減災を図るために、川内川河口から51q地点鹿児島県薩摩郡さつま町鶴田に、昭和41年3月鶴田ダム(大鶴湖)を完成させた。この鶴田ダムの建設、その後の鶴田ダム再開発事業について、上記の『川内川五十年史』と鶴田ダムパンフレット、平成23年度川内川河川事業概要書等で追ってみたい。

 鶴田ダムの建設経緯は、次のとおりである。

昭和6年   川内川下流部の直轄工事として河川改修工事に着手
  23年   川内川上流部の直轄工事として河川改修工事に着手
  25年   ダムによる洪水調節を計画、中流狭窄部のダム地点の
       予備調査に着手し、以来、昭和33年度まで実施
  34年   鶴田ダム調査事務所開設し、ダム実施計画調査実施
  35年4月 鶴田ダム工事事務所発足し、ダム建設に着手
  36年6月 鶴田ダム本体工事着手
  37年11月 鶴田ダム定礎式
       ダムコンクリート打設開始
  39年5月 ダム本体コンクリート打設開始
    11月 試験湛水開始
  41年3月 鶴田ダム完成
    4月 鶴田ダム管理所設置 ダム管理開始
  48年3月 川内川水系工事実施基本計画改定
       ダム地点流量3,100m3/s→4,600m3/sへ増量
       洪水調節容量4,200万m3→7,500万m3へ増量
平成18年7月 鹿児島県北部豪雨災害発生
    10月 7月の災害を受け、河川激甚災害対策特別緊急事業
        に採択
  19年4月 鶴田ダム再開発事業に着手


◆ 6. 鶴田ダムの諸元と目的

(1) 鶴田ダムの諸元は、次のとおりである。
 堤高117.5m、堤頂長450.0m、堤体積111.9万m3、堤体標高EL.162.5m、集水面積805km2、湛水面積3.6km2、総貯水容量1億2,300万m3、有効貯水容量7,750万m3、洪水調節容量7,500万m3、発電用水7,750万m3、型式重力式コンクリートダム、起業者は建設省、施工者は西松建設である。事業費は135億円を要した。
 堤高117.5mは九州第一位、総貯水容量1億2,300万m3は、宮崎県の一ツ瀬ダム2億6,131.5万m3につぐ、第二位である。
 なお、主なる補償は、土地取得面積340.7ha、移転住家90棟、非住家168棟、公共補償43棟、漁業権補償2件、発電所補償1件、特殊補償として、電柱移転1式、付替道路21.3q、工事用道路10.5qなどであった。
 残念なことだが、鶴田ダム建設に伴って殉職者が21名出ている。その慰霊碑がダムサイト左岸側に、周囲を林に囲まれてひっそりと、建立されてあった。

(2) 鶴田ダムは2つの目的をもって建設されている。
@ 治水
 ダムに流入してくる水の一部をダム下流に放流して、残りをダム貯水池に貯め込む操作を洪水調節と言い、この操作により、ダム下流に流れる河川流量を抑制する。鶴田ダムでは、計画高水流量4,600m3/sのうち2,200m3/sをダムに貯め、2,400m3/sを下流に流す。
A 発電
 電源開発(株)により、ダム直下の川内川第一発電所で、最大出力12万kWを発電し、また、ダムから約4qの川内川第二発電所で、最大出力1万5千kWの発電を行っている。



◆ 7. 鶴田ダムの再開発事業

 前述のように、平成18年7月の豪雨によって、川内川流域の市町村に多大な被害が生じた。これを契機として、平成18年10月には、「河川激甚災害対策特別緊急事業」が採択され、河道掘削、築堤、分水路、家屋嵩上げ、輪中堤などの洪水による外水氾濫から家屋などの浸水被害を解消する事業がなされている。また、薩摩川内市街地改修事業(大小路地区)、阿波井堰の固定堰から可動堰に改築する事業なども計画されている。

 さらに、この「河川激甚災害対策特別緊急事業」とあわせて、鶴田ダムの洪水調節機能の強化を図り、川内川流域の洪水被害を軽減するために、平成19年度より27年度完成を目標に事業費460億円をもって、鶴田ダムの再開発事業が進んでいる。


 その再開発事業の内容は、現在の発電容量と死水容量洪水調節容量に振り替え、夏期の洪水調節容量を現況の最大7,500万m3から、約1.3倍の9,800万m3に増量するものである。
 この増量に伴って、次のような工事がなされる。

@ 洪水調節機能の増強を図るために、現行放流設備より低い位置に、放流管三基を新設する。
A 新設する三基の放流管の下流に減勢工を増設する。
B 現2基の発電管を右下側に付替えを行う。
C 既設減勢工を改造する。

 平成23年度は、増設減勢工工事(基礎掘削コンクリート打設)及びダム堤体上流仮締切設備の製作工事が実施されている。


◆ 8. 当面の鶴田ダム洪水調節

 当面の鶴田ダムにおける洪水調節操作の検証及び洪水調節の方法の見直しなどについて、「鶴田ダムの洪水調節に関する検討会」が計5回開催され、以下のように決定し、水害の減災に対処している。

@ 平成18年7月のような大規模洪水が予想される場合、予備放流により貯水位を標高130.0mまで低下できるように基準を見直した。
A 大規模洪水が予測された(基準に該当)場合、更なる洪水調節容量を確保するため、発電放流を停止し、貯水位を標高130.0m以下に下げる。
B 計画規模を越える洪水時の操作開始水位を8割容量水位から、7割水位へ、さらにダム流入量の最大発生後の放流量を逐次見直し、放流量の増加を穏やかにする。

◆ 9. お わ り に

 以上、川内川にかかわる水害状況、その治水事業の変遷、鶴田ダムの建設、そして鶴田ダムの再開発事業について述べてきた。流路延長137qの川内川、その特徴であるいくつかの狭窄部の形成が洪水をおこす大きな要因になっており、この水害の減災へ向けての川内川の事業は困難性を伴いながらも、進捗してきた。近年降雨量が増大しており、今後、さらに治水事業の重要性が高まる時代である。鶴田ダムの再開発事業によって、水害の減災となることを期待したいものだ。
 私は平成24年5月1日、鶴田ダムを訪れた。ダムは再開発事業の最盛期でダムサイトから眺める現場は、バッチャープラントが活動し、多数のトラックの動きが小さく見えた。そのダムサイトには、次のように師弟三人句碑が建立されてあった。
〇大鶴湖佳(よ)き名ぞつくつくぼうし鳴く(米谷静二)
〇霧のダム鶴田の天の笛ひびく(脇本星浪)
〇ダム壁を忍者の登る秋意かな(大野宏峰)

 最後に、川内川に関する書をあげてみる。
@ 新満益雄著・発行『悠久の流れ 川内川改修工事の思い出の記』(平成15年)
A 建設省編・発行『川内川の経済調査報告』(昭和30年)
B 農林省農地局編・発行『川内川水系農業水利実態調査』(昭和34年)
C 国土庁土地局国土調査課編・発行『大淀川・川内川地域主要水系調査書』(昭和59年)
D 国土交通省川内川河川事務所編・発行『写真集 想い出の川内川』(平成16年)
E 国土交通省川内川河川事務所編・発行『川内川水害写真集』(発行年不明)
F (株)郷土出版社編・発行『目で見る 川内・薩摩郡の100年』(平成16年)
G 川内郷土史編さん委員会編『川内の溜池』(川内市・昭和51年)

[関連ダム]  鶴田ダム(元)  鶴田ダム(再)
(2015年3月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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