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ダムの書誌あれこれ(78)
〜利根川最上流・矢木沢ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
◆ 1. 利根川の流れ

  奥利根湖生きて韻きて雪に眠る
             
金子兜太

 「韻きて」は「ひびきて」と読む。この句は『利根川322キロの旅』(上毛新聞社・平成9年)に掲載されている。作者は日本を代表する俳人、現代俳句協会会長を務める。奥利根湖とは利根川の最上流地点に建設された矢木沢ダムのことである。上越新幹線上毛高原駅から北へ遡ること約37qで、利根川の最上流、群馬県利根郡みなかみ町藤原字矢木沢に位置する矢木沢ダムに到着する。矢木沢ダムは、水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)によって、昭和42年に完成し、奥利根湖と命名された。その命名は、この地域が奥利根と呼ばれていること、利根川本川の最上流部に位置することなどによるという。地域に親しまれ、かけがえのないダムとして、ダム湖百選に選ばれた。

 ダムサイトからの眺めは壮大な、優美なアーチ型の勇姿とともに、奥利根湖の湖面には、背後の関越国境の山々を映し、一大パノラマを形成し、ダム湖の周囲に道路は少なく、周りの山々の景観を壊すことなくダム湖を美しく見せる。夏は緑に、冬は雪山に囲まれて、奥利根湖は四季おりおりに表情を変える。

 作者は「奥利根湖は上越の雪峰を背に静まりかえっていた。利根川の源流のすべてをここに集めてどこかに微笑みを含んで」と表現する。ここ矢木沢ダムでは、雪にも強い、スウェーデン製水陸両用車「しろがね号」が活躍する。

 利根川の水源は、昭和29年探検隊によって、矢木沢ダムより遡った大水上山(標高1,840m)の三角形の雪渓と確認され、ここに利根川治水100年史を記念して「利根川水源」が建立された。
 利根川の水は、矢木沢ダムから須田貝ダム、藤原ダムを下り、群馬県みなかみ町を過ぎ、赤城山、榛名山、子持山など火山に挟まれた沼田市、渋川市をとおり、関東平野に流れ込み、関東平野を南東に貫流する。その間片品川、吾妻川、烏川、渡良瀬川、鬼怒川、小貝川などを合わせ、そして千葉県銚子において太平洋に注ぐ、幹線流路延長322q、流域面積16,840km2、流域内人口約1,170万人のわが国最大の河川である。

 利根川上流には、治水や利水の目的でダムが造られてきた。矢木沢ダムを最上流として、奈良俣ダム(楢俣川・平成3年)、須田貝ダム(昭和30年)、藤原ダム(昭和33年)、玉原ダム(発知川・昭和56年)、相俣ダム(赤谷川・昭和34年)、薗原ダム(片品川・昭和40年)、下久保ダム(神流川・昭和43年)、草木ダム(渡良瀬川・昭和52年)などである。矢木沢ダムの建設について、追ってみたい。

◆ 2. 矢木沢ダム建設の背景

 矢木沢ダム建設の始期は、河水統制事業の思想に基づいていると言える。
 河水統制事業は、河川の水をダムに貯め、河川水量の調節を行うことで、大正末期、物部長穂・東大教授内務技師土木研究所長と萩原俊一・内務技師によって提唱された考え方で、即ち河川の上流において洪水を貯留するダムを造り、水害を減災すると同時に、利水をもあわせもつ総合的な河川開発を行うものである。戦後河水統制事業は、昭和26年に河川総合開発事業に継承された。

 利根川における河川総合開発に関する調査は、河水統制調査として昭和12年から群馬県土木課が行った奥利根河水統制調査に始まるという。矢木沢ダムを中心とする奥利根開発は、灌漑、東京都の上水道および水力発電を目的とする多目的ダム計画で、12年6月からダムサイト、貯水池、利水計画等の調査に着手、14年度末には計画がまとめられた。昭和15年2月に発電、水道に係わる水利願が認可になり、4月には群馬県庁内に奥利根河水統制事業を担当する利水が設置されたが、河水統制事業そのものは、戦争のため認可にならず、利水局も19年に廃止された。

 昭和22年9月カスリーン台風による大洪水を契機として、23年4月には、利根川の水源地に洪水調節を根幹とした多目的ダム群を建設し、洪水調節を行うことによって、上流端八斗島における計画高水流量を14,000m3/sに抑える基本方針が治水調査会小委員会で打ち出された。昭和26年建設省はこの方針にもとづき、翌年藤原ダム建設に着手した。東京都は、戦後復興するにつれて、東京周辺の人口は増加の一途をたどることを予想し、水道用水をどうしても利根川に水源を求める以外にないとして検討していた。昭和27年戦前群馬県営として認可になりながら未着手のままになっていた利根川河水統制事業が、国土総合開発法に基づいて国で実施することに決定されるや、都の水道水源を利根川に求めることを建設大臣に要請した。昭和30年1月、群馬県、東京電力(株)、東京都の3者の間で「矢木沢ダム建設共同調査委員会」を設置し、水量配分等を検討した。このように、利根川における治水と利水とを一貫した国土総合開発を進めることが必要となってきた。そこで、建設省は前記の「矢木沢ダム建設共同委員会」の中にはいり、4者間で意見の調整を行って、昭和33年9月、矢木沢ダムは特定多目的ダム法に基づき発電用水、灌漑用水、上水道用水に洪水調節の目的を加えて、建設省が施工することとなった。昭和34年に着手し、37年建設省から水資源開発公団に移管され、42年8月に竣功式を迎え、10月管理所へ移行した。ダム完成まで8年6ヵ月を要した。

◆ 3. 矢木沢ダムの建設過程

 矢木沢ダムの建設については、水資源開発公団矢木沢ダム建設所編・発行『矢木沢ダム工事誌』(昭和42年)、同『矢木沢ダム図集』(昭和42年)、水資源開発公団矢木沢ダム管理所編・発行『矢木沢ダム30問』(昭和63年)により、その建設過程、目的、諸元、ダムの技術的特徴をみてみたい。

『矢木沢ダム工事誌』

『矢木沢ダム図集』

『矢木沢ダム30問』
 ダム工事の経過についてであるが、前述したように、矢木沢ダムは、特定多目的ダム法に基づく多目的ダムで、昭和34年4月建設省の直轄事業として施工することが決定した。矢木沢ダムの建設は、東京電力(株)などが行った調査資料が完備されていた。建設省はそれを引継ぐことによって、調査期間も少なくて済み、すぐ建設に着手できる状態にあった。しかし、12月中旬から翌年の4月下旬までは、降雪によりコンクリートその他の作業が不可能という特殊な地理的条件下でのダム造りであった。昭和34年度から昭和42年度の主な工事は以下のとおりである。

(1) 昭和34年度
 沼田市内に、矢木沢ダム工事事務所を設置し、航空測量に平面図の作成、ダムサイトの地形、地質調査原石山の新候補地の踏査選定、総合自動気象観測装置等による水文、気象観測などを行った。また、矢木沢〜須田貝間の工事用道路の測量を行い、一部ダムサイト付近の延長600mの調査用道路工事を実施した。

(2) 昭和35年度
 ダムサイト下流の矢木沢川合流点付近に、事務所、合宿所を建築し、それと矢木沢〜須田貝間の工事用道路を建設した。さらに変電所、通信設備を新設。ダムサイトにおいては、測量、地質調査、原石山候補地の調査を続け、仮排水トンネル工事に着手。左岸法面の表土剥ぎ工事を実施した。

(3) 昭和36年度
 仮排水トンネル工事完成に併せて、本締切工事に着手。また、原石山の決定により、連絡道路の建設、原骨材輸送設備としての索道の建設を行い、ダム用仮設工として、フルイ分け工場、製砂工場、ケーブルクレーン走行路、コンクリート運搬線、セメントサイロ、コンクリート混合工場等の諸設備の基礎工事を実施し、これら建設機械の発注、購入を行った。

(4) 昭和37年度
 本締切工事の完成をまって、ダム本体掘削工事に着手、本格的なダム建設の第一歩が始まった。仮設工事のほうも急ピッチで進められセメント、コンクリート、骨材関係の諸機械の据付が行われた。また、建設省土木研究所では、大型模型実験によってアーチダムの最終形状を決め、その細部の設計検討が続行された。10月1日、矢木沢ダムは建設省から水資源開発公団に移管され、矢木沢ダム建設所と改称された。11月16日待望の本体コンクリート打設を行った。この年の施工量は、掘削が約358,000m3、コンクリートが約8,000m3であった。
(5) 昭和38年度
 ダム掘削の進行により、コンクリート運搬線が橋梁に架設換えされ、その完成と同時に、ダムコンクリート工事が再開された。この年には掘削量が約155,000m3で、掘削の重要部は終わった。一方コンクリートは149,000m3を打設、これに伴うコンクリート冷却工、ボーリンググラウチング工等を実施した。また、新たにわきダムの表土剥ぎ、ウイングダムの基礎掘削が行われ、利水設備を施工した。調査、設計関係では、右岸鞍部を詳細に調査し、わきダムの設計検討を行い、中央にイコス工法による止水壁を設け、本体掘削ズリを盛り立てるフィルタイプ型式とする案に決定した。

(6) 昭和39年度
 本体コンクリート約265,000m3を打設した。ウイングダムの掘削、イコス工法によるわきダム止水心壁工事およびわきダムの盛土を一部施工し、利水放水設備を施工した。この年にはアーチプラグの継目グラウチングを行い、仮排水トンネル閉塞のための準備工事を行った。

(7) 昭和40年度
 本体コンクリートはその1工事(ケーブルクレーン打設)分466,591m3を打設完了、その2工事(ジブクレーン打設)分は累計91,000m3を打設して、ウイングダム(クライミングクレーン打設)の打設を合わせるとコンクリートの総累計は約578,000m3となった。わきダムはEL.842mまでの約52,000m3を盛り立て、EL.808mまでの継目グラウチング工、昇降設備を含む堤頂設備等を実施した。9月11日仮排水路トンネルゲートがおろされ、湛水の開始により、仮排水トンネルの閉塞を実施した。




(8) 昭和41年度
 アーチダム本体570,960m3、ウイングダム30,771m3、わきダム110,230m3、余水吐ゲート等各主要工事を順次完成し、ボーリンググラウチングは累計63,453mを施工した。余水吐水路は、フルイ分け工場、骨材貯蔵所の中央を通るため、本体とウイングダムなど主要なコンクリート打ち込み完了と同時に撤去し、本格的な水路建設にとりかかったが、基礎が複雑なうえ、事故も重なって難行した。次に管理用として、左右岸広場の整地、ダム取付道路、矢木沢橋梁取付け工事を行った。雪解水を利用して本湛水を開始した。

(9) 昭和42年度
 前年度に引き続き、仮設備、建設機械の撤去、転用売却等の残務整理を行った。ダム地点では、わきダム取付け部のリムグラウチング、湛水による補助カーテングラウチングを実施、取付け道路及び管理用道路等法面保護やダム取付け部、余水吐水路側面の整地工事を施工、記念碑、慰霊碑を設置した。8月10日竣功式。10月1日管理所へ移行し、8年6ヵ月に大事業は完了したが、ダム関係者は完成まで言い知れぬ多くの苦難を乗り越えた。

 ただ残念なことは、昭和41年7月27日矢木沢ダム余水吐水路工事において、ハリ式支保工が脱落し、作業員17名が地上に落下し7名が死亡したことである。ダム完成までに計27名の殉職者がでている。

◆ 4. 矢木沢ダムの目的

 矢木沢ダムは、5つの目的をもっている。

@ 洪水調節
 ダム地点における計画高水流量900m3/sのうち、600m3/sの洪水調節を行い、残り300m3/sを下流に流し、利根川上流群とともに、下流域の人々の生命と財産を守る。

A 流水の正常な機能の維持
 利根川上流ダム群とともに矢木沢ダムによって、利根川沿岸の既成農地に対する灌漑用水の補給を図る。

B 農業用水
 赤城・榛名山麓に展開する約1万haにおよぶ農地に対し、群馬用水等によって、平均7.99m3/s(最大15.87m3/s)の灌漑用水を供給する。

C 水道用水
 群馬県内の水道用水のため、岩本地点において最大3.2m3/sの水量の取水を、東京都の水道用水のため、灌漑期間を通じて、行田地点において4.0m3/sの水量をそれぞれ確保するように放流する。
 放流された水は、利根川中流部の利根大堰から武蔵水路を通って、荒川に導水され、荒川の下流秋ヶ瀬取水堰から朝霞水路によって、東京都の朝霞浄水場に導かれ、ここから東京都水道局によって、各家庭に配水される。

D 発電
 ダム直下に東京電力(株)が設けた矢木沢発電所で、最大出力24万kWの揚水発電を行う。矢木沢発電所は、深夜に余裕のできた火力や原子力の電気を使い、水車を逆回転させて、下流の須田貝ダム(洞元湖)から矢木沢ダム湖に水を汲み上げ、昼間電気が沢山使われる時間にその水で集中的に発電する揚水発電所である。

◆ 5. 矢木沢ダムの諸元

 矢木沢ダムは、群馬県みなかみ町藤原字矢木沢地先にあり、新潟県境まで8q、谷川岳の北東15q、尾瀬沼の西約20qに位置する。上越国境山々に囲まれ、ダム本体の最上面の標高は856mもあり、この地域はわが国でも有数の雪が多いところである。ダムの諸元は次のとおりである。堤高131.0m、堤頂長352.0m、堤体積57万m3、総貯水容量20,430万m3(その内訳・洪水調節容量2,210万m3、利水容量11,550万m3、発電容量3,820万m3、堆砂容量2,850万m3)、有効貯水容量17,580万m3、型式アーチ式コンクリートダム、起業者は水資源開発公団、施工者は熊谷組、事業費は119.14億円を要した。その当時の物価をみてみると、鉄道国鉄初乗り20円、たばこハイライト70円、大学初任給27,500円であった。事業の費用の負担割合は、治水(国が負担)19.22億円(16.1%)、農業不特定用水(国が負担)18.71億円(15.7%)、農業特定用水(国が負担)16.93億円(14.2%)、水道用水(東京都が負担)29.28億円(24.6%)、発電(東京電力が負担)35億円(29.4%)となっている。主なる補償関係は土地取得面積611.96ha(主に国有林地)、特殊補償として、湯の花温泉補償、利根漁業組合等の漁業補償であった。

◆ 6. 矢木沢ダムの技術的特徴

 前述したように、アーチ式コンクリートダム矢木沢ダムの諸元は、堤高131.0m、堤頂長352m、堤頂幅7.9m、堤体積57万m3、総貯水容量2億430万m3であるが、使われた資材はどのくらいの量だったのだろうか。セメント約17.1万トン(セメント袋約340万袋)、砂利約90万トン(ダンプトラック約10万台分)、砂約30万トン(ダンプトラック約3万台分)、鉄筋約2,100トン等多量の資材が使われた。矢木沢ダムの建設にあたっては、技術者達は地質的、地形的な難しさを十分に把握し、それらを技術的に克服し、設計、施工にあたった。

 その矢木沢ダムの技術的な特徴について、水資源協会編『水を拓く−ダム・堰・湖沼開発の技術史』(水資源開発公団・平成14年)に、次のように4項目が述べられている。

@ 堤高130mの非対称三心円不等厚アーチダムの座取りと設計
 アーチダムの基礎岩盤は、良質な矢木沢型花崗岩であるが、その周辺は風化の進んだ須田貝型花崗岩で囲まれている。左岸においては、標高が上がるにつれて矢木沢型花崗岩と須田貝型花崗岩の境界が見られ、須田貝型花崗岩の風化の度合も進み、亀裂も多くなり、アーチアバットの位置が制限された。また、右岸側は薄い尾根に連なっているが、尾根は厚さ約50m、延長約140mに及ぶ河床堆積層よりなっている。このような地質条件や地形条件のなかで、堤高130mのアーチダム及びスラストブロック、右岸スラストブロックに接続するウイングダム(重力式コンクリートダム)、ウイングダムに接続するわきダム(フィルダム)が計画された。地形・地質に合った最適アーチダムの設計、ウイングダムを越流部とするスキージャンプ式洪水吐きの採用、フィルダム止水工法としてコンクリート連続地中壁の採用等、それぞれの技術的課題を克服した。これまでアーチ式の設計は、手計算と模型実験によって行っていた。矢木沢ダムは設計で、当時急速な進歩を始めた電子計算機を使用した、わが国で最初のダムである。
 手計算では、等厚アーチを設計の基本としていたが、矢木沢ダムの設計を契機に、不等厚アーチダムの解析プログラムを開発し、矢木沢ダムは非対称三心円不等厚アーチダムとして設計することができた。矢木沢ダムで開発した不等厚アーチダムの試算荷重法のプログラムは、アーチダム設計の自由度を飛躍的に拡大し、アーチダム設計のバイブルとされている。


A 堤体外にスキージャンプ式洪水吐きを採用
 揚水式発電所及び変電所の位置が、ダム下流河道内以外に適地が見つからないため、洪水吐きの位置をダム本体、スラストブロックに求めることができなかった。トンネル式洪水吐きについても検討したが、対象流量が1,300m3/sと大きいため経済的にも不適当であった。そのため、重力式コンクリートダムであるウイングダムに越流部を設置し、右岸沢地形に沿って約400mの開水路を有するスキージャンプ式洪水吐きとし、ダム下流で利根川に流入する右岸支川の矢木沢川に放流水を自由落下させることにした。右岸部には骨材製造設備が配置されており、また右岸鞍部にわきダムが築造されたため、設計施工にあたってはこれらの関係を十分に配慮した。

B 右岸鞍部河床砂礫上に設置したわきダムと、コンクリート連続地中壁による止水
 右岸鞍部は長さ約150m、最深部の厚さ約50mの堆積層である。この鞍部堆積層は上部透水層、中部透水層、下部透水層の三層から構成されているため、鞍部堆積層を残す場合、上部堆積層と下部堆積層の遮水対策が課題となった。検討の結果、遮水対策として以下の理由からコンクリート連続地中壁(イコス工法)による止水工を採用した。
1) 地山堆積層がよく締まっており、遮水壁は一様連続な弾性支承上のハリとして設計が可能である。
2) 比較的容易に施工可能である。
3) コンクリート壁の厚さは60pとなり、比較的薄く可撓性があることから、地震時の挙動はフィルダムに追随しやすい。
4) コンクリートは、場所打ちするため堆積層とのなじみも良好である。
 この工法は、その後、急速に発展した連続地中壁工法の先駆けとなった。

C 原石運搬に大規模索道を採用
 原石採取場よりダムサイト骨材プラント間(全長約6q)の輸送方法として、ダンプトラックベルトコンベヤ、索道等が考えられ、比較検討した結果、安全性、経済性の面から索道による原石運搬を採用した。骨材プラントの能力は400t/hであり、この規模の索道による原石運搬はわが国でも例がなかった。特に停留場が多いことから磨耗も多いと考えられるので、最も経済的な運搬能力を検討した。
 単線式を数条設置することは、停留場の大きさや用地の確保および運転管理等で不経済となることから、複線式1条とすることとした。運搬能力については、当初150t/hで計画していたが、工事中の索道増設は不可能であり、運搬能力によっては、工程が著しく左右されることから、予想される最大打設量、最大日運転時間を考慮して、輸送量250t/hの単線式に決定した。

 矢木沢ダム建設の技術的な特徴について、4項目挙げてみたが、その技術はその後、わが国のダム造りに大きな貢献を果した。

◆ 7. 矢木沢ダム歴代所長の思い

 特に、その後のアーチダムの建設には矢木沢ダムの技術は先駆けとなった。歴代所長は、前書『矢木沢ダム工事誌』に、次のように述べている。

阪西徳太郎初代所長
 「利根川の水源に近い地帯を奥利根と称しているが、その奥利根の人跡まれな所に地理的条件と気象的条件を克服してダムを建設することは容易なことではなかった。まず、道路の建設から始まり、キャンプから仮設備に至るまですべて積雪を考えてのたえまなき努力であった。今日竣功にあたり、このダムを見る人は、人の力は偉大なものであるといい、また金の力を口にする人もある。しかし、近代技術の精華でもあるダムは、所詮民族の力であるといわざるをえない。」

望月邦夫2代目所長
 「私は在任中、ダムの生命はコンクリートにあるとの信念のもとに、常に品質の良いコンクリートを打設するというきわめて明確なしかも根気のいる仕事を黙々と続けることを最も大切なことであると思っておりました。したがって新奇をてらうような工法は、余りとらなかったと思っている。ただ右岸鞍部の処理については、大方のご意見を聞いて、イコス工法の採用を決めたのでありますが、このやり方は、今後のダム工事に大いに貢献するものと思っています。よく、矢木沢ダムで一番苦労したことは何か、と聞かれたが、私は常々ダムの基本を忠実に守ることに苦労することと、建設所の職員が、いかにして愉快に作業できるかについて配慮することであると答え、なにか面白い話を期待した質問者をがっかりさせていたと思う。しかしこれが私の実感であった。」

近藤邦二3代目所長
 「人跡未踏といわれました奥利根地区の工事は、洞元湖に舟艇を浮かべて、工事用資材、人間の運搬から始まり、夏は蝮に驚かされ、冬は豪雪に蟄居をよぎなくされました。1年のうち工事期間は、4月の半ばより11月一杯までの7ヵ月余り、また建設に従事する人は家族と別居等、これらの悪条件と戦い、これを克服して遂に事業を完成に導いたものは、若さと情熱の賜物と思います。
 矢木沢ダム工事のため尊い犠牲になられた殉職者27柱の霊に捧げて、謹んでそのご冥福をお祈りする。」

◆ 8. おわりに

 矢木沢ダム地点は豪雪地帯で、冬期には2m前後の積雪となるが、この雪は水資源のもとになり、東京都民等にとっては、命の水である。

 このような豪雪地帯におけるダムの管理は、大変なことである。主にダムの管理は、電気通信設備や機械設備の点検と整備、そして貯水池をきれいにするため、定期的に水温・濁度の測定、水質の調査や流木・塵芥の処理、貯水池の周辺での地すべりの監視、さらに、ダムを適切に操作するため貯水位、貯水量、流入量、放流量、雨量など毎日観測している。ダム管理所は交代で仕事をし、交代の途中で雪崩や落石の危険にさらされることもある。また屋外作業では気温マイナス15〜20℃のもとで行わねばならない。矢木沢ダム湖に入ってくる沢には、水位・雨量観測所が置かれており、雨が降ると自動的に水位と雨量を知らせるようになっている。この資料はダムの管理に欠かすことができないものである。

 矢木沢ダムは昭和42年10月に管理にはいり、平成20年現在すでに43年が過ぎた、その間、矢木沢ダムは治水、利水に大きく貢献してきた。


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(2011年9月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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