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ダムの書誌あれこれ(72)
〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
◇ 13. 長野県西部地震の発生

 日本列島は複雑な地殻の上に形成されており、地震の起こりやすい国である。地震は、人には感じないものを含めると、毎日のように全国各地で起こっているといえる。

 昭和59年9月14日午前8時48分、御嶽山南麓を震源とした長野県西部地震マグニチュード6.8の地震が起こった。その震源地は、王滝川支流大又川中流部右岸の北緯35.8°、東経137.6°の王滝村で、その震源の深さは約2qの内陸直下型の地震であった。余震は9月14日に646回、15日600回、16日257回と続き、最大余震は9月15日発生したマグニチュード6.2で、滝越付近で起こった。当時降り続いていた雨のため、地震発生直後に各所で大規模な土砂崩れが発生した。特に、御嶽山南側の「御嶽崩れ」と呼ばれる山の崩壊によって、約3,450万m3の土砂が伝上川の両岸を削りながら、濁川温泉の旅館を飲み込み、標高差約1,900m〜2,500m、距離約10qを、平均時速80q〜100qというスピードで流下し、延長約3qにわたって最大50mの厚さで堆積した。氷ヶ瀬の渓谷では厚さ30m以上の土砂が堆積し、谷を埋めた。この地震による王滝村等の被害は死者29人、重軽傷者5人、家屋被害は、全壊14棟、半壊73棟、一部損壊517棟に及んだ。なお、全壊家屋はすべて土砂崩壊による倒壊と流出であった。

 愛知用水の水源施設として昭和32年から昭和36年にかけて長野県木曽郡王滝村、木曽町三岳地先に完成した牧尾ダムもまたこの西部地震で大きな被害をうけた。牧尾ダムは震源地から直線距離で4.8qの至近地であったが、ダム本体には致命的な被害は生じなかったものの、地震で発生した大規模な土石流と泥流により、ダム貯水池内へ大量の土砂、流木が流入し、貯水機能の著しい低下を招いてしまった。このため、貯水機能の回復と保全及び災害の未然防止を図ることを目的として、様々な現地での調査がなされ、平成8年3月から愛知用水二期事業牧尾ダム堆砂対策が開始し、平成19年3月に竣工した。本事業の実施について、堆砂除去工事等は、貯水池運用に合わせて水位が低下する限られた期間での施工となり、また、度重なる出水などに遭遇し、苦労されている。

 西部地震の状況には、水資源開発公団愛知用水総合事業部編・発行『長野県西部地震に係わる牧尾ダム災害関係写真』(昭和61年)、また、牧尾ダムの復元工事については、独立行政法人水資源機構愛知用水総合事業部編・発行『愛知用水二期事業 牧尾ダム堆砂対策工事記録』(平成19年)が各々刊行されている。これらの2書により、牧尾ダムの被害とその復元について、追ってみたい。


『長野県西部地震に係わる牧尾ダム災害関係写真』

『愛知用水二期事業 牧尾ダム堆砂対策工事記録』
 なお、牧尾ダムの諸元は堤高104.5m、堤頂長264m、堤体積261.5万m3、総貯水容量7,500万m3、有効貯水容量6,800万m3、流域面積304km2、湛水面積2.47km2、型式は中心遮水ゾーンロックフィルダムである。

◇ 14. 長野県西部地震による 牧尾ダムの被害

 前述したが、西部地震の被害の象徴といえる御嶽山の大崩壊(御嶽崩れ)は、伝上川の上流部の標高2,550m付近を滑落崖とする斜面崩壊(崩壊土量3,400万m3)が岩屑なだれ・土石流・泥流となり、濁川を経て王滝川まで流下し、最末端は氷ヶ瀬地区まで達し、王滝川を遮断して上流に自然湖が出現した。この崩壊の原因は、新規御嶽火山噴出物のうちテフラ層と深い関係が認められると言われている。すなわちこのテフラ層が秋雨前線によって、地震動が引き金となって崩壊したという。一方、大又川右岸の松越の崩壊は、軽石層上面をスベリ面として大礫から中礫の亜角礫ないし亜円礫からなる木曽谷層が崩壊したという。これらの大規模崩壊のほか、591箇所で新たな崩壊が発生し、156箇所で既存の崩壊箇所が拡大、再発した。

 地震発生後、愛知総合事業部は直ちに、ダム周辺の巡視点検を行った。その巡視結果から牧尾ダムにおける具体的な被害状況を見てみたい。

@ 堤体の被害
 堤体は、法面の崩壊や異常漏水は認められず、致命的な被災はなかったが、ダム天端舗装と上下流法肩には、はく離及び沈下が生じていた。また、下流法面道路の石積みの一部にひずみが発生していた。
A 余水吐きの被害
 流入部左岸護岸の一部にひずみが生じ、右岸法面の一部に小規模な崩落が生じ、モルタル吹きつけも一部崩落した。ゲート類は点検の結果正常に稼動することが確認できた。
B 貯水池の被害
 湖岸が各所で崩壊し、上流から押し寄せた土石流が貯水池上流部に堆積し、また、営林署等の貯木場の木材を含む大量の流木が貯水池内に流入した。
C 建物の被害
 右岸アバット付近の地山のり面にかなりの崩壊が生じ、また、建物関係では、無線中継施設、管理事務所等が被災した。

 これらの被害復旧工事として、昭和59年度に管理用道路復旧、余水吐法面復旧工事、堤体右岸地山復旧、管理所補修、貯水池流木処理、昭和60年度に上流部堆砂除去、流入流木処理を行った。

◇ 15. 牧尾ダム堆砂対策事業

 西部地震による牧尾ダムに流入した土砂はどのくらいの量であったのであろうか。

@ 地震発生前年の昭和58年に測定した堆砂量は387万m3
A 地震発生3ヵ月後、昭和59年12月には、621.2万m3に増加
B 昭和60年11月には、841万m3となり、2ヵ年で454万m3の土砂が貯水池内に流入

 牧尾ダムの計画堆砂量は100年間で、700万m3であり、西部地震前までは、計画堆砂量とほぼ同程度で推移していたことがわかる。だが、ダム完成後24年において、西部地震発生の影響で100年計画を大幅に超えてしまった。なお、この堆砂について、貯水池の最深部の最大堆積深はダム軸から約7q上流地点で、約12mに達していた。

 これらの堆砂対策事業の開始まで、様々な調査及び検討がなされた。その経過は次のようであった。

@ 水資源開発公団(平成15年水資源機構に移行)は、昭和59年から平成元年度にかけて、学識経験者による基礎調査検討委員会を設置し、土砂流入量の予測、土砂流入の防止と除去対策の基本方針の検討。さらに、堆砂測量、堆砂地質調査、濁度試験、植生試験調査を実施した。
A 東海農政局は、平成元年9月牧尾ダム堆砂対策検討プロジェクトチームを設置し、本格的に対策の検討に入った。平成3年7月牧尾ダム堆砂対策として、貯砂ダム2ヵ所、堆砂除去685万m3、総事業費350億円の計画が公表された。
B 東海農政局と水資源開発公団は、全体実施計画を基に、牧尾ダム堆砂対策について、関係機関と調整に入り、堆砂除去量を約545万m3、事業費約300億円で、平成7年7月内諾が得られた。
C 平成7年8月中旬から10月上旬にかけて「愛知用水二期事業に関する事業実施方針の変更」について、関係機関に正式に説明に入った。
D 平成7年12月に、第2回変更の事業実施方針の指示が出された。
E 平成8年3月事業実施計画の認可を経て、ここに「牧尾ダム堆砂対策」事業化されることとなった。
 認可された事業計画の内容は、堆砂除去量約548万m3、貯砂ダム2ヵ所、床止工1ヵ所、かんがい排水、水道、工業用水及び発電の用途に供される施設に要する費用の概算額300億円であった。

 なお、牧尾ダム堆砂対策は、ダムの新築ではなく既設ダムのいわゆるリフレッシュ事業で、失われた貯水機能回復を行う事業であるために、国の定める環境影響評価法、長野県の環境影響評価条例は適用されない。しかしながら、大規模なダム湖内の堆積土砂の掘削は、長野県の自然環境条例に定められている大規模開発調整区域内の大規模開発行為(30ha以上の土石採取)に該当することから、自然環境影響調査を実施し、モニタリングも実施している。環境影響調査で確認された次の貴重種は保護された。

@ ヒダサンショウウオ、ハコネサンショウウオは、工事期間中に幼体を捕獲し、事業の影響の及ばない沢筋へ移動。
A ヤマネは、事業計画地で生息が確認され、計画地の伐採、民家の取り壊しを段階的に行ったので、周辺に逃げることができたという。
B オオトラトンボは、旧河道部の繁殖区域内の伐採、埋め立てについて、ふ化を経て成虫になるまでの間、埋め立てを中止。
C ササユリは、工事着手前にササユリの球根採取を行い、事業計画地外へ移植。
D シナノショウキランは、工事着手前に根茎、土壌の採取を行い、事業計画地外の沢筋に移植。

◇ 16. 牧尾ダム堆砂対策の工事

 水資源開発公団は関係機関との協議を終え、地元への調査立ち入り、さらに設計説明を経て、工事に着手。工事は工事用道路関係を先行して施工され、ダム湖への土砂流入をできる限り制限し、堆砂除去を行う河床を安定させるための松原床止工に着手し、その後堆砂除去工事に取り掛かった。5ヵ所の土捨場とその捨土量は次のように決定した。

松原土捨場(王滝村松原地内)307万m3
松原第2土捨場(同上)83万m3
小島土捨場(三岳村小島地内)72万m3
和田土捨場(三岳村和田地内)21万m3
二子持土捨場(王滝村二子持地内)20万m3

 以下、主な工事を挙げてみたい。

@ 堆砂除去工
 堆砂除去工事は、4期9ヵ年にわたって施工された。除去の時期は、夏期期間と冬期間に分けて行われた。夏期施工は、8月7日〜10月14日の39日間、牧尾ダムの貯水位が減少するときに高位部の堆砂を除去する。冬期期間は2月1日〜4月14日の落水期間等を利用して低位部の堆砂を除去した。
 施工機械については、4.3m3または1.4m3級油圧ショベルと46tまたは10tダンプトラックの組み合わせにより、効率よく堆砂を除去している。これらの機械のほかにブルドーザ、散水車、グレーダーが加わった。掘削の方法は、高さが5m以上ある場合は、5mごとの階段状に行うこととし、幅5mの小段を設けた。切土の法面勾配は安全性を考慮して1:2とした。
 なお、松原土捨場について、王滝村は土捨完了後「王滝・水のふるさと公園」創りの予定があるため、土捨場の緑化が行われた。

A 貯砂ダム
 貯砂ダム工は、堆砂事業完了後において、王滝川上流からの土砂が貯水池内への流入を防止するもので、貯水池上流端付近に2ヵ所設置された。貯砂容量は、西部地震前における年間最大流入量29万m3とし、1号貯砂ダムでは主に土砂を、2号貯砂ダムでは1m以上の岩石を貯めることとした。
1号貯砂ダム(大岩橋上流280m地点)
 型式は8tf/コンクリートブロックで、高さ4.17m、幅51.5m、天端幅4.5m、貯砂容量28.5万m3である。
2号貯砂ダム(松原床止工直下流地点)
 型式は重力コンクリートダムで、高さ4.0m、幅83.4m、天端幅2.0m、貯砂容量0.5万m3であり、両ダムとも舟通し型魚道が設置されている。

B 松原床止工
 堆砂除去掘削に伴う貯水池上流の河床低下による土砂流入を防止する目的として、重力式コンクリートの松原床止工が設置された。
 その諸元は、現場打ちコンクリート重力式で、高さ6.8m、落差高3.8m、河床幅65.0m、舟通し型魚道3連、計画高水流量1,546m3/sとなっている。

C 階段工
 牧尾貯水池内の堆砂を除去すると、貯水池内に流入する中小河川が河床低下を起こし、貯水池内への流入部で河床崩壊を起こす。これを防止するために、大又川、溝口川、鈴ヶ沢の3河川に3階段工が設置された。

D 散水施設
 西部地震により貯水池に流入堆砂した土砂のうち、シルト質細砂が3月中旬から4月中旬に乾燥し、下流から上流に向って吹く強風により周辺地域へ砂塵となり、飛散し、集落や農地に支障を被っていた。堆砂除去工事後も砂塵の飛散が想定される。この対策として、加圧揚水機場を新設し、大型スプリンクラーにより散水し、周辺地域の砂塵の飛散の防止を行った。

E 補償業務
 牧尾ダム堆砂対策に伴う補償業務は、土捨場用地及び土捨場等への工事用搬入路用地を確保のためで、土地取得、物件移転等の補償であった。その補償の内訳は、全事業用地27.5ha(土捨場用地21.8ha、道路用地5.7ha)、家屋移転10戸、配電線等移転補償となっている。

◇ 17. 長野県等の復旧工

 牧尾ダム堆砂対策事業以外において、各関係機関はそれぞれの復旧工事を行った。長野県は、王滝川災害復旧工、東地区周辺災害復旧工、砂防ダム9基の施工、王滝川滝越地区等3ヵ所の地すべり復旧工事を行った。王滝村は農業施設として、水路、農道、頭首工、溜池の復旧がなされた。

 一方、王滝営林署では、御嶽山大崩壊に伴う岩屑・土砂流等によって伝上川、濁川は大きく浸食されたため、治山ダム139基の施工、山腹工259.47ha、森林整備42.38ha等がなされた。

 特に、御嶽山大崩壊によって伝上川、濁川沿岸は裸地となったため、この復旧には、王滝営林署において、航空実播工でヘリコプターからのオーシャードグラス、トールフェスク、ススキ、ヨモギ、等の種子を散布するとともに山腹工による植栽を行い、緑の復元に努めた。さらに、ボランティア組織なども緑化復元に立ち上がった。それは「未来世紀へつなぐ緑のバトン」運動である。この運動は、王滝、三岳両村のドングリ(ミズナラ、トチ等)の実を採取し、愛知用水の受益地の中流・下流の人々に育ててもらい、育った苗を災害復旧地等に植え、緑化復旧をはかるものである。

 このことについて、愛知用水土地改良区編・発行『愛知用水土地改良区五十年の歩み』(平成14年)に、次のように述べてある。

「愛知用水の水がめである牧尾ダムの水源村(王滝・三岳両村)の呼びかけもあり、平成11年8月の理事会に提案し、開催趣旨に賛成し、全面的に協力を決定した。平成12年5月より伴武量理事長の農園を借用し、約2,000本の苗木を育成した。また、どんぐり拾いイベント(平成12年10月)にも参加した。第1回植樹祭は平成13年5月に開催され、田中康夫長野県知事も参加し、当土地改良区からも100本余の育成した苗木を持参し、また、各流域で育てた苗木も持参して、3haの災害跡地へ植栽した。今後も毎年植栽は継続される予定であり、緑豊かな水源を守るため、より多くの組合員の参加が望まれる。」


『愛知用水土地改良区五十年の歩み』
◇ 18. 愛知用水二期事業の水路改築

 中部圏に対する農業用水や都市用水の安定供給を図るには、牧尾ダムだけでは、その効果を十分に果すことは不可能であり、兼山取水口、導水施設、幹線水路(延長112.10q)、支線水路(延長1,063q)、調整池等水資源開発施設の機能が当然必要とされる。これらの施設は、殆んど昭和36年に完成している。だが、通水から20年経て、新たな都市用水の需要増加と水路等の老朽化が進んだ。これらに対処するために愛知用水二期事業として水路施設の全面改築が、昭和56年度から平成16年度にかけて行われた。23年間の歳月を費やしている。さらにその間、水需要増加対策のために愛知用水の新たな水源施設として、木曽川上流に味噌川ダム(平成8年完成)、阿木川ダム(平成3年完成)が建設された。水路等改築について、水資源機構愛知用水総合事業部編・発行『愛知用水二期事業工事誌 水路編』(平成17年)、同『愛知用水二期事業工事誌 水路施工例』(平成17年)により、主な施設改良と新設をみてみたい。


『愛知用水二期事業工事誌 水路編』

『愛知用水二期事業工事誌 水路施工例』
@ 取水・導水施設
 ・兼山取水口は、静水池内にバイパス用の隔壁を新設、付帯施設等の更新を実施した。
 ・犬山導水施設は、既設の当導水施設の一部を水資源機構施設に編入し、機構による一元的・効率的な利用を図る。
 ・可児導水路は、顔戸頭首工可動堰と導水路(4q)を改修した。
 ・入鹿連絡水路は、取水塔、揚水場、管路(1q)を新設した。
A 幹線水路
 ・共用区間(約85q)は、取水・分水計画に基づいて通水能力を強化するとともに二連構造に改築。このため、既設開水路を二連断面に改築し、バイパス用のトンネル、暗渠、サイホンを新設した。
 ・農水専用区間(約27q)は、開水路区間を改修。この区間は、冬期通水量が水路内の点検、保守に可能な程度なので二連水路化しなかった。
 ・既設施設の補強・補修については、トンネル、サイホン、その他の幹線水路を必要に応じて行った。
B 調整池
 ・東郷調整池は、バイパス用取水施設の新設、堤体保護工、既設取水施設の補修等を行った。
 ・美浜調整池は、幹線水路の末端部に新設された。貯水容量約10万m3は、幹線水路末端部からの大川放水工からの余水放流量及び地形、用地条件等を考慮して決定。
 ・前山池は、愛知県営かんぱい事業前山地区から公団が平成7年3月に承継し、幹線水路の補助水源施設として活用する。有効貯水容量約97.2万m3である。
C 支線水路
 支線水路は、計画かんがい面積500ha以上の国営級6路線約20q、500ha未満の125路線約492qをパイプラインに改築する。関連する揚水機場についても、老朽化しているので改築する。県営級未満の支線については、概ね5haまで改築する。
D 補償業務

 前述のように、愛知用水二期事業は、既存施設の開水路の改築及びバイパスサイホン、トンネルの新設を行い、幹線水路の二連化がおもな業務であった、従って、大半の用地は一期事業で取得ずみであり、用地業務は新設する施設の土地取得(取得面積12.7ha)、バイパストンネル等の地上権の設定(設定面積11.3ha)、工事に伴う通常損失補償などを行っている。

 工期は昭和59年度着工、平成16年度に完了し、総水路等事業費は約2,855億円を要した。
 この事業は、新たな水需要と施設の老朽化に対処するために、23年間を経て竣工したが、その間、大量の農業用水と都市用水を通水しながら工事を進めねばならなかった。このため工事中は通水及び水質管理の徹底が図られた。事業の完成によって、通水断面の確保と年間をとおして断水することなく保守点検が可能となるよう幹線水路の二連化となり、管理においても集中管理方式を導入するなど、施設機能の拡充が図られた。

◇ 19. 愛知用水の水利用変遷

 愛知用水の受益地では、昭和30代の始めころから製造業中心とする産業が盛んであった。昭和36年愛知用水施設の供用開始を機に二・三次産業も一段と加速した。

 水利用の変遷をみてみると、愛知用水の年間使用量は、昭和38年度1.4億m3であったのが、平成17年度には4.6億m3と、実に3.3倍に増加している。一方、農業用水と都市用水(水道用水・工業用水)の使用水量割合は、昭和38年度では、農業用水65%、都市用水35%であったが、平成17年度では、それが逆転し、農業用水23%、都市用水77%と、大きく変化している。

 もう少し、それぞれの用水利用の変遷を追ってみる。

@ 農業用水
 愛知用水通水後の受益地域は、基盤整備の進捗に伴って、生産性の高い露地野菜、施設園芸、果樹、畜産等を主体とした計画的な営農が可能となった。
 愛知用水地域の農業産出額について対比すると、昭和38年度約255.7億円であったが、平成16年度には664.1億円となった。とくに、果実は約12.8億円から約75.8億円に、花卉は、約2.6億円から約75.5億円と大きく増加している。
A 水道用水
 愛知用水の通水初期にあたる昭和38年度の給水人口は、愛知県瀬戸市から南知多町に及ぶ10市4町の人口20万人であった。その後、愛知用水地域の給水人口は、周辺地域の人口増加と長良導水の利用も含めた水道事業の整備・普及により、平成16年度には、12市7町の約126万人に増加している。
 このうち愛知用水を通じての供給は約83万人である。また、愛知用水の水源である牧尾ダムからは、岐阜県の東濃地域約30万人にも供給されている。
B 工業用水
 岐阜県可児市と愛知県の名古屋市南部及び名古屋市南部臨海工業地帯を含む、6市3町の約80の事業所に供給し、鉄鋼業をはじめ化学工業等の諸産業の水需要に対応している。愛知用水通水後、企業進出は著しく、昭和38年度の愛知用水関係市町製造品出荷額は、約3,259億円であったが、平成16年度は3兆6,000億円に達している。

 このように愛知用水の水利用の変遷をたどってみると、久野庄太郎らが始めた愛知用水運動はここに大きく稔り、中部圏の文化と経済発展の大基盤を創り上げたといえる。

◇ 20. 愛知用水通水50周年にむけて

 世紀の大事業、ゆめの用水といわれた愛知用水は昭和36年の通水から、平成23年9月30日をもって50周年を迎える。平成3年の30周年記念のさい、愛知用水感謝祭実行委員会編・発行『豊かな水をありがとう』(平成3年)が刊行され、そのなかに、水需要を支える愛知用水に感謝する、次のような「愛知用水サミット宣言」が掲載されている。

「私たちは、愛知用水の水源村と受益市町といった立場を越え、21世紀に向けて、限りある貴重な水の確保とこれからの愛知用水のあるべき姿について、今後引き続き、対話と強調の道を歩む必要性を認識し、この愛知用水サミットにおいて、次のとおり宣言する。
一 私たちは、愛知用水のいのちの水がめである牧尾ダムの美しい姿を後世に残すため、牧尾ダム周辺の景観整備とダムを潤す水源涵養林の保護、育成につとめていきます。
二 受益市町は牧尾ダムの建設と管理に協力いただいてきた、王滝、三岳両村の方々に感謝し、人と人との交流の拡大等を通じて、両村の一層の発展に寄与していきます。
三 受益市町は、水の有効利用や水質の保全に努めるとともに、住民に対して、これら水に関する広報、啓蒙活動をより一層活発におこなっていきます。」

 当然、通水50周年に当っても、この宣言は継続されていくであろう。


『豊かな水をありがとう』

『歌集 愛知用水』
 おわりに、愛知用水への感謝の念を謳った短歌をあげる。それは愛知用水土地改良区の組合員、農民作家 志水 孝著『歌集 愛知用水』(自費出版・平成18年)に所収されていた。

・遥かなる木曽の谷間の牧尾ダムみなもとの水は田に張られたり
・田植え終え愛知用水の有り難さ畔に座りて妻とかたりぬ
・梅林で名高くなりし佐分利の地治水社知らぬ人大かり
・生涯を愛知用水建設に命を懸けたりし久野庄太郎

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(2011年4月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(37)〜高知県のダム〔上〕(永瀬、大森川、穴内川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(38)〜高知県のダム〔下〕(鎌井谷、大渡、桐見、中筋川、坂本)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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