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ダムの書誌あれこれ(75)
〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
◆ 1. カスリーン台風による首都東京都の水没

 河川は常に変化する。古から自然現象、それに社会の発展により河川は、治水、利水、環境から強い影響をうけてきたからである。戦後荒廃した日本の国土を台風が襲った。昭和22年9月15日〜16日カスリーン台風、昭和23年9月15日〜17日アイオン台風、昭和24年8月31日〜9月1日キティ台風である。3年連続の大型台風は、関東地方、東北地方、北海道地方などの各地域に大被害を及ぼした。利根川、荒川、北上川流域に水害をもたらしたカスリーン台風について、宮澤清治編『台風・気象災害全史』 (日外アソシエーツ・平成20年)により、追ってみたい。

 カスリーン台風は、昭和22年9月8日未明、マリアナ諸島東方にて発生、勢力を増しながら南西400qの海上を北上し、15日紀伊半島、遠州灘沖合を通過、さらに房総半島を掠め、銚子沖に抜けた。列島付近は秋雨前線が停滞しており、台風から湿った空気に影響され前線が活発化し、東日本と東北地方では、戦後治水史上に残る大雨が降った。9月13日から15日までの総雨量は、秩父611o、相模湖520o、前橋393o、仙台193o、水沢260oで、秩父では一夜で270oも降った。群馬県赤城山麓、栃木県足利市などでは、土石流や河川の氾濫が多発し、群馬県708人、栃木県437人、埼玉県103人、東京都18人、茨城県74人などの死者がでた。また東北地方では北上川が氾濫したため、岩手県一関市などで被害が生じ、岩手県88人、宮城県30人が亡くなった。

 この時の利根川の大洪水の発端は、16日埼玉県東村において利根川右岸堤防が34mにわたって決壊し、その濁流は栗橋町、鷺宮町、幸手市、久喜市に達した。さらに17日未明には春日部市、吉川市、18日夕方埼玉県と東京都の境界にあたる大場川の桜堤まで至り、19日未明にはこの桜堤も決壊し、金町、柴又、小岩付近が水没した。一方荒川では15日夜熊谷市付近で堤防が決壊し、鴻巣市に流れ込んだ。なお、台風による人的被害は、死者1,077人、行方不明者853人、負傷者1,547人、住家被害は、損壊9,238棟、浸水家屋384,743棟、耕地の流失・埋没12,927ha、そして罹災者164万人にものぼった。このような大災害となった原因については、戦前における乱伐による山林の荒廃、治水工事の不備、大量の降雨量などが指摘された。

 戦後荒廃した日本を襲ったカスリーン台風、アイオン台風被害に対し、アメリカ軍の協力がその復興に大きな役割を果している。この時人々はどのように対処したのだろう。洪水と闘った人々を描いたドキュメント、高崎哲郎著『洪水、天ニ漫ツ』(講談社・平成9年)、同『沈深、牛の如し』(ダイヤモンド社・平成7年)、同『修羅の涙は土に降る』(自湧社・平成10年)の書がある。

◆ 2. 利根川ダム建設の背景

 首都東京都を水没させたカスリーン台風によって、利根川の改修計画は全面的に見直され、従来の河道の拡幅、堤防の嵩上げなどの方法から、ダム建設による治水体系に変わっていった。昭和24年経済安定本部は、利根川改訂改修計画を策定した。それによると、利根川と烏川と合流する直下群馬県伊勢崎市八斗島地点において、基本高水流量をカスリーン台風時の洪水流量である17,000m3/sを抑えることとし、河川整備計画として、全体の14,000m3/s(70%)を河川改修で対処し、残りの3,000m3/s(30%)を上流ダム群において洪水調節を図ることであった。そのために昭和30年代以降ダム建設が進んだ。昭和32年藤原ダム(利根川)、昭和34年相俣ダム(赤谷川)、昭和40年薗原ダム(片品川)が治水を中心とした多目的ダムとして築造された。しかし、その後の利根川流域の経済的、社会的発展により、八斗島基準点における基本高水ピーク流量を22,000m3/sとし、上流ダムで6,000m3/sを調整することを骨子として昭和55年に全面的に改定されている。

 経済の発展に伴い、東京都、千葉県などへの水道用水、工業用水などの供給および治水を目的として、昭和42年に矢木沢ダム(利根川)、昭和43年に下久保ダム(神流川)、昭和51年に草木ダム(渡良瀬川)、平成2年に奈良俣ダム(楢俣川)がそれぞれ完成した。

 平成元年には渡良瀬遊水地が竣工し、利根川の水害は大きく減災された。一般的にこれらのダムは利根川水系8ダムと呼ばれている。その8ダムの一つである神流川の下久保ダムと、それに神流川水系塩沢川の塩沢ダムの建設について見てみたい。


◆ 3. 下久保ダムの建設

 神流川は、群馬県における利根川の主要な支川である烏川の右支川である。神流川は、長野県境の三国山を水源として、日本航空墜落事故(昭和60年8月12日)で知られる御巣鷹の1,000m級の尾根より流れ出し、東京電力(株)の上野ダム(平成17年完成)を過ぎ、後述する群馬県営の塩沢ダムがある塩沢川と合流し、下久保ダムに注ぎ、さらに三波石峡、群馬県営発電用の神水ダム(昭和42年完成)を流れ下り、藤岡市を通って烏川に合流し利根川に注ぐ、流路延長87.4q、流域面積407km2の河川である。

 河川勾配は、水源から13q下った三岐付近まで急峻で、中流部の三岐から下久保ダムまでの約45qが約1/100、ダムより烏川合流までの約23qが1/200と、延長の80%が緩勾配となっている。流域面積の90%以上が山地である。

 下久保ダム(神流湖)は、神流川中流域の左岸群馬県多野郡鬼石町(現・藤岡市)、右岸埼玉県児玉郡神泉村(現・神川村)に、昭和43年に完成した。ダム建設については、水資源開発公団下久保ダム建設所編・発行『下久保ダム工事誌』(昭和44年)があり、この書に基づき下久保ダム建設を追ってみる。


『下久保ダム工事誌』
◆ 4. 下久保ダムの建設過程

 前述したが、カスリーン台風の被害を受けた利根川流域の洪水を防ぐことと、東京都などの都市用水の供給を目的として計画された下久保ダム建設であった。そのダム建設完成までの経過は次の通りである。

 昭和34年4月、建設省の下久保ダム調査事務所開設。下久保ダム連合対策委員会結成。35年ダムサイトの地形、地質調査、用地測量などを行なう。36年建設省下久保ダム工事事務所に改称。37年水資源開発公団の設立。下久保ダム建設事業は公団に承継される。公団より補償基準発表。38年4月下久保ダム連合対策委員会補償基準妥結。6月万場町対策委員会補償基準妥結。39年3月ダム本体建設工事の着工。40年10月コンクリート打設。またダム本体建設工事に並行して、水タタキ、副ダム工事を行い、利水放水設備用放水管、予備ゲートなどの工事を行なう。群馬県道鬼石〜中里線の道路付替、町村道付替道路の新設。

 41年ダム本体のコンクリート打設。43年3月ダム本体コンクリート打設完了。6月湛水の承認。
 11月下久保ダム竣功式。44年1月下久保ダム管理所発足。

◆ 5. 下久保ダムの目的、諸元
 下久保ダムは、4つの目的をもって築造された。総貯水容量は13,000万m3で、その容量配分の内訳は洪水時の場合、洪水調節容量3,500万m3、不特定灌漑用水、都市用水8,500万m3、計画堆砂量1,000万m3となっている。

@ 洪水調節
 下久保ダム地点において、ダム上流から流入する2,000m3/sのうち、1,500m3/sをダムに貯めこみ、残りの500m3/sをダム下流に放流する。
A 不特定灌漑用水
 灌漑期に神流川の渡瀬地点において、10m3/sを確保するほか、利根川中流の栗橋地点において、利根川上流ダム群とともにおおむね140m3/sを確保する。また、非灌漑期には神水ダムから2.35m3/sを確保し、このほか1年を通じて三波石峡に0.323m3/sを流す。
B 都市用水
 東京都の水道用水として、12.6m3/s、埼玉県の水道用水として2.3m3/s、埼玉県の工業用水として1.1m3/s、合計16.0m3/sの河川水の利用を可能とする。この水量は約400万人の人たちが生活できる量である。この水は利根川中流の利根大堰で取水され、武蔵水路・朝霞水路を経て東京都水道局三郷浄水場へ送水されている。
C 発電
 ダム直下の群馬県企業局下久保発電所において、最大出力15,000kW、下久保第二発電所で最大出力270kWの発電を行なっている。なお、これは1年間に5,246.3万kwhの電力量を作ることができ、火力発電所でのドラム缶57,000本の重油を燃やして作る電力量に相当する。

 次に下久保ダムの特徴であるが、ダムは上流に向ってアルファベットの『L』字型に折れ曲がっている。これは貯水容量の確保と技術的問題があったという。このため埼玉側に高さ73.0mの補助ダムを設け、結果的に『L』字型のダムになった。

 補助ダムの岩盤は透水性が高かったため水を遮断する措置として上部をアスファルト、下部をコンクリートで舗装した遮水壁で水を遮っている。

 下久保ダムの諸元をみてみると、堤高 主ダム129m、補助ダム73.0m、堤頂長 主ダム310.0m、補助ダム295.0m、堤敷巾 主ダム131.0m、補助ダム51.0m、堤体積119.3万m3、総貯水容量13,000万m3、型式重力式コンクリートダム、起業者は水資源開発公団(現・水資源機構)、施工者は熊谷組・間組で事業費は約200億円を要した。




 なお、下久保ダム連合対策委員会編・発行『下久保ダムの記録』 (昭和45年)によれば、主なる補償は、水没世帯364世帯(鬼石町294、万場町2、吉田町17、神泉町51)、土地取得361.ha、公共補償として美原小学校、美原中学校の移転等、特殊補償として漁業補償、庭石採取補償、発電所廃止補償等が行なわれた。

 また、この書では、佐藤栄作内閣総理大臣の揮毫による「水没の碑」の除幕式を始め、下久保ダム対策委員、保美濃山、坂原、矢納、下久保、吉田町などの地区委員、鬼石町、神泉村、万場町の職員、補償交渉、工事状況、ありし日の木造2階建て美原小・中学校などを写真でとらえている。

 364世帯の水没者は藤岡市への移転が最も多く、鬼石町、新町、本庄市、高崎市、東京都などに移っている。


『下久保ダムの記録』
 下久保ダムの特徴については、ダムサイトがL字型であることは先に述べたが、この工事誌のなかで、水資源開発公団技師長阪西徳太郎は、次のようにダム施工について振り返っている。

 「ダムの施工設備としては久し振りにわが国ではめずらしいといわれる、トレッスルシステムを採用した。鉄骨材料、ジブクレーンあるいは機関車など非常に進歩しているので昔のような苦労はなかった。しかしこの方法ははじめての人が多く、有能な若い技術者たちにこの150万立方メートルという大きなダムで、トレッスルシステムを勉強してもらったことはたいへん有意義であった。
 ダム地点の岩盤は緑泥片岩で付近に有名な三波石峡がある。これらの岩石はコンクリート用の骨材としてはやや不適当であったので、原石山を捜すのに苦労をしたが、上流の近い所に砂岩の山が見つかったのは天与の恵みだった。採掘も容易であったが、なにぶんシルト分が予想よりはるかに多く、真空フィルターや沈殿池でこれを処理するのに、工事終了まで担当者の苦心と努力が続けられた。工事は順調に進み40年10月にコンクリートの打設を開始してから約2年後の42年11月には一部湛水を始め、43年8月には満水面近くまで貯水することができた。冬の間もコンクリート工事は続けられたが、なにぶん流量が少なく、工事用水が不足をきたし発電を止めてもらったことも何日かあったくらいで、よく見学者などからこんな流量で何年目ぐらいに満水するつもりかと皮肉を浴びせられたこともあり、湛水の経過については多少の不安はあったが、1ヵ年以内にこんなに満々と水をたたえたことはよろこびに堪えない。年々増加してゆく首都圏の都市人口とこれに伴い飛躍的に累加する水需要に対し、この神流湖は、みるものをして心強い安心感を抱かせることになるだろう。」


◆ 6. 下久保ダム表面取水設備の必要性

 下久保ダムの表面取水設備の必要性、その工事について、水資源開発公団下久保ダム管理所編・発行『下久保ダム表面取水設備工事誌』(昭和53年)、同『下久保ダム表面取水設備図面集』(昭和53年)の2書が刊行されている。『工事誌』のなかで、永岡乙哉水資源開発公団管理部長は次のように記している。

 「下久保ダムは、昭和44年1月より管理段階に進み、不特定灌漑用水による放流量の安定が図られ、神流川の下流に展開する扇状地において、水田耕作地は昭和37年の1,340haからダム竣工後10年を経た昭和53年には2,617haと約2倍も増大した。これらの水田灌漑用水は、大部分が下久保ダムから約12qの神流川合口堰から取水される。ところが下久保ダムの運用開始後の45年頃から灌漑用水の低水温の影響による農作業上の障害、収量の減少が現れ始めた。これは、ダムからの放流が、通常時には常時満水位(EL.296.8m)から約78m低い発電取水口を通して行なわれるので、貯水池の水深の深い部分の低温の水が放流されることによるものであった。この対策について種々検討のうえ、発電取水口に表面取水設備を新設することとされたのである。完成して運用中のダムについて、下流への水の供給および発電への利用をなるべくそこなうことなく、堤体全面の底部に水理構造物を新設しなければならないことがこの工事の困難な点であった。……この設備の扉体型式として、4段式半円形ローラゲートを採用した。工事は、昭和50年度から52年度まで3箇年にわたって管理業務の中で実施されて完成し、放流水温を上昇させることに所期の効果を収めることができた。」


『下久保ダム表面取水設備工事誌』

『下久保ダム表面取水設備図面集』
 その施工上の特徴を挙げてみたい。

@ 工期を最小限短縮するための単体60tonという底部架構据付に見られるような大ブロック据付工法は、製作の段階から機械加工を多くし、工場における戸当り支持フレームの70mに及ぶ全長仮組、底部架構および扉体などの全体仮組ならびに水平ロックアンカーボルトの定着精度および既設アンカーパットとの取付関係などの計測など、反復チェックを必要とし、大ブロック運搬のための大型トレーラー、大ブロック据付のための大型重機およびユニフロート式台船を使用した。

A 現場での接合にあたって溶接を極力減じてボルト接合を多くするなどの作業の簡素化が要求された。

B 工事量が多くて工期を左右したダム堤体への454本もの水平ロックアンカーボルトの施工および堤体コンクリートの取り壊しにあたって、高性能機械の使用ならびに無収縮高強度グラウト材の使用、そのほか高さ100mに及ぶ前面直壁を作業場とし上下作業が集中するため設けねばならない二重三重の安全対策および困難をきわめた水中作業があった。
 だが、実際の施工にあたっては、昭和51年9月台風17号の襲来、予想以上の貯水池の流入量、高濁水現象の発生などに悩まされている。


 平成13年には、下久保ダム水環境事業に河川維持用水の放流が追加され、ダム完成後長年にわたり、無水区間であったダム直下流にある国の天然記念物に指定された名勝三波石峡の清流が復活した。三波石は美しい緑色を取り戻した。また、下久保ダムの計画堆砂量は1,000万m3であるが、近年計画堆砂量の約80%に達したため、平成13年3月に、貯砂ダムダムサイトから上流約8.5q地点に建設された。その諸元は堤高5m、堤頂長91m、堤体積3,500m3、型式は鋼製枠工ダムである。三面張水路の魚道工を設け、貯まった砂利は採取して有効に活用されている。昭和43年に完成した下久保ダムは平成22年現在すでに半世紀を過ぎようとしている。

◆ 7. 塩沢ダムの建設

 下久保ダム地点から、上流に向って国道462号を遡ると、万場町の中心地にいたる。万場町役場の少し上流のところで、塩沢川が神流川に合流する。

 この塩沢川に平成7年に塩沢ダム(蛇神湖)が完成した。塩沢ダムについては、群馬県藤岡土木工事事務所編『塩沢ダム工事誌』(群馬県土木部・平成7年)があり、この書からダム建設を追ってみたい。

 塩沢川は、多野郡万場町に位置し、その水源を甘楽郡との群界に位置する赤久縄山(EL.1,522m)に発し、おおむね南東に流下し神流川に合流する流域面積13.2km2の一級河川である。塩沢川からの水利用は古く、元禄時代より、万場町の生活用水として利用されている。流域の年平均降雨量は1,200o〜1,300o程度であるが、梅雨期、台風期に多く、とくに台風期の豪雨により災害が多発しており、カスリーン台風時にも被害を被っている。


『塩沢ダム工事誌』
 塩沢ダムは、この塩沢川の群馬県多野郡万場町大字塩沢地先に、3つの目的をもった多目的ダムとして建設された。

@ 洪水調節
 ダム地点の計画高水流量130m3/sのうち、75m3/sの洪水調節を行い、塩沢川沿岸地域の水害を防除する。洪水防除区域の資産について、氾濫防止面積14.6ha、氾濫防止市町村 万場町、区域内人口971人、家屋289戸、畑4.4ha、県道1.6q、町道0.5qとなっている。
A 流水の正常な機能の維持
 ダム地点下流の既得用水の補給を行う等、流水の正常な機能の維持と増進を図る。
B 水道用水
 万場町に対し、ダムサイトにおいて水道用水として新たに1,000m3/日(0.0116m3/s)の取水を行なう。


 続いて、塩沢ダムの諸元をみてみる。
 堤高38.0m、堤頂長157.0m、堤体積6.66万m3、総貯水容量30.3万m3、有効貯水容量28万m3、型式重力式コンクリートダム、起業者は群馬県、施工者は大豊建設・大日本土木・井上工業である。
 事業費は約90億円を要し、その費用割振は河川99.3%、上水0.7%、となっている。
 なお、補償関係は、移転家屋は無く、土地取得面積は6.7haであった。

 ダムの建設過程は、昭和62年6月塩沢ダム対策委員会に説明を行い、測量調査を開始。63年5月用地幅杭を設置、用地調査。12月塩沢ダム補償基準の提示。平成元年2月損失補償基準妥結。8月県道富岡万場線付替工事に着手し、4年8月に完成。またダム本体工事は平成3年3月に着手し、5年5月にダム定礎式を行い、6年6月にコンクリート打設を完了した。7年3月から試験湛水を開始し、6月に終了し、11月に竣工式で完成を祝っている。

 実施調査以来11年の歳月を要した塩沢ダム工事の特徴について、工事誌には次のように記されている。

 「洪水調節が自然調節方式である等、一定条件を満足することから「平常時巡回・洪水時常駐管理」として、管理体制の合理化を図っている」(萩原英生群馬県土木部長)
 「地元万場町と協調して、ダム周辺環境整備としてダム右岸コンクリート擁壁の壁面を利用して全国でも珍しい巨大なタイルモザイク壁画をもうけている。また管理棟や対岸の管理用道路周辺・土捨場にはポケットパークとして、四阿、ベンチ、ゲートボール場、植樹等を施工した。そして労働災害なしに工事を終えた」(小曽根耕一藤岡土木事務所長)

◆ 8. おわりに

 水害や都市の発展の影響を受けて、河川は日々変化する。利根川水系神流川を、戦後から平成22年現在までの65年間を振り返ってみると随分変わったといえる。昭和42年発電用神水ダムの完成、それに利根川の治水を図り、東京都などの水道用水を供給する、昭和43年下久保ダムの完成、群馬県企業局による下久保発電所、下久保第二発電所の発電開始、平成7年群馬県による多目的ダム塩沢ダムの完成、そして平成17年には、最上流に東京電力(株)による上野ダムが完成した。まだ変わるだろうか。おそらくこれからの神流川の流れはそんなに変化はないものと思われるが。

[関連ダム]  下久保ダム  塩沢ダム
(2011年6月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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