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ダムの書誌あれこれ(83)
〜北上川水系雫石川・御所ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
 
◆ 1. 御所ダムの利用状況

 御所ダムは、昭和42年6月実施計画調査を開始、昭和56年10月に建設省(現・国土交通省)によって完成した。御所ダムの所在地は、北上川水系雫石川の岩手県盛岡市繋字山根で、盛岡市中心地から12qに位置し、都市に隣接したダムである。高さ52.5m、総貯水容量6,500万m3、湛水面積6.4km3、型式重力式コンクリートダムフィルダム複合ダムである。

 このような水景豊かなダム湖周辺には、振興センター、手づくり工房、催し広場の盛岡手づくり村(総面積6,273m2)、ゴーカート、ローラースベリ台、サイクル列車の乗り物広場(総面積199,104m2)、野球場、テニスコート、多目的グラウンドの御所大運動場(総面積67,975m2)、つなぎスイミングセンター(148,405m2)、大芝生広場やお花見広場のファミリーランド(総面積114,616m2)、それに四阿(総面積11,000m2)、塩ヶ森水辺公園(総面積16,091m2)、尾入野湿生植物園(総面積18,358m2)、さくら公園(総面積104,330m2)が整備され、これらの施設は岩手市や第3セクターでそれぞれ管理運営されている。


 また、イベントとして夏季にはつなぎ温泉観光協会主催の御所湖まつり、秋季には、トライアスロン大会、御所湖一周ロードレース大会が開催され、市民の憩いの場となっている。ダム近くには小岩井農場もある。

 御所ダム湖の利用状況は、ダム完成を期に始められた御所湖祭りは8万人の人出で賑わい、またダム湖の年間利用状況は115万7千人(平成9年度)にのぼるという。手づくり、スポーツ、釣り、ボート遊び、散策、お花見に多くの利用者を集めており、観光バスのルートになっている。御所ダムその一帯が盛岡地区における観光、レクリェーションの拠点である。このようなダムは全国的に非常に珍しいといえる。

◆ 2. 北上川水系雫石川の流れ

 北上川は、岩手県北部の岩手郡岩手町御堂に源を発し、流路東側の北上山地及び西側の奥羽山脈から発する大小幾多の支川を合わせて、岩手県のほぼ中央部を北から、盛岡、花巻、北上、水沢、一関の各都市を南へ縦貫し、一関市狐禅寺下流の一大狭窄部を経て宮城県に入り、柳津地先で、新、旧北上川に分流され、新北上川追波湾に、旧北上川は石巻湾に注ぐ。その幹川流路延長は約249q、流域面積は約10,150km2の東北地方最大の河川である。

 御所ダムの建設地点は、雫石川と北上川との合流する地点より約12q上流の地点である。雫石川の流域は、東西約20q、南北約32qの長方形状を呈しており、流域面積は635km2である。雫石川の流域は北から順に、葛根田川流域、竜川流域、南川流域の3つの小流域に分割され、それぞれ特徴を持っている。

 葛根田川流域は、羽状流域で形状係数が小さく、比較的長い流域で、流域面積181km2、流路延長27.9q、流域内流路延長103.5q、流域平均幅6.49m、形状係数0.233、河川密度0.572、流域平均高度778m、流域平均勾配0.362となっている。

 竜川流域は、並行流域であることから、形状係数と流域平均幅が比較的大きい。流域面積143.3km2、流路延長18.6q、流域内流路延長94.7q、流域平均幅7.7m、形状係数0.414、河川密度0.661、流域平均高度651m、流域平均勾配0.425となっている。

 南川流域は、河川密度が大きい。葛根田川流域と同じ羽状流域であるとはいえ、かなり大きな支川である鶯宿川をも含んでいる。密集度が比較的大きいことから、円に近い流域であることがわかる。ともかく複雑にいりくんだ河道から構成されている。流域面積119.3km2、流路延長20.7q、流域内流路延長120q、流域平均幅5.76m、形状係数0.278、河川密度1.006、流域平均高度426m、流域平均勾配0.432となっている。

◆ 3. 北上川上流5大ダムの建設

 御所ダムは、河川総合開発事業の一環として、北上川上流改修計画の根幹をなすダム群による洪水調節計画の一翼を担い、石淵、田瀬、湯田、四十四田の後を受ける第5番目のダムとして建設された多目的ダムである。御所ダム建設の背景について、北上川ダム統合管理事務所編・発行『湖に夢を託して 御所ダム竣工から20年、そして未来へ』(平成13年)に、次のように述べてある。

 北上川の治水は、藩政時代からも大きな課題であったが、洪水対策が岩手県議会で論議されるようになったのは、市町村制が確立した明治22年からであった。明治44年から下流部、昭和初期には上流部でも改修工事が行なわれた。しかし、目だった効果は上がらなかった。北上川は一関狐禅寺から宮城県境までの間に、約28qにもおよぶ狭窄部を持つ。そのため洪水時に、流水を速やかに下流に流すことができず狭窄部上流部の一関周辺に流水が滞留し、大きな被害を出していた。

 盛岡から一関間の改修計画がまとめられたのは、昭和16年に至ってからであった。昭和10年頃から東北振興熱が高揚し、岩手県から改修促進運動が展開され、また軍需面から電源が必要となり、河水統制思想と相まって、昭和16年多目的ダム群による洪水調節をもつ北上川改修計画が樹立した。


『湖に夢を託して 御所ダム竣工から20年、そして未来へ』
 北上川での計画の大要は、北上川本川及び雫石川、猿ヶ石川、和賀川、胆沢川にダムを設けるというものであった。

 昭和16年、先頭をきって猿ヶ石川に田瀬ダムの工事が開始された。だが、戦争が激しくなり、工事は昭和19年に一時中止。以後、改修計画は、昭和22年のカスリン台風、翌23年のアイオン台風など、従来の計画の再検討をせまる大きな災害の経験を経ながら、何度か改訂された。その後、昭和25年には、特定地域総合開発計画による北上川総合開発計画の構想がつくられた。アメリカ、テネシー渓谷開発会社の創立と理念(TVA計画)を取り入れようとしたもので国土保全と食糧増産、電源の開発を行なうという特徴があった。かくして、胆沢川の石淵ダムは昭和28年、猿ヶ石川の田瀬ダムは翌29年、和賀川の湯田ダム、北上川本川上流の四十四田ダムは43年、そして御所ダムが昭和56年に完成となるのである。

◆ 4. 御所ダムの建設

 雫石川は、幹川流路延長約40q、流域面積782km2、年間総流出量14億m3の豊富な水量を誇る河川で、北上川水系屈指の大支川である。奥羽山脈の急峻な地形と崩壊性に富んだ地質、流域の降水量の多さなども原因して、古くから北上川水系のなかでも手のつけられない暴れ川であった。御所ダムは、この雫石川をせき止めて造られた。

 建設省の予備調査が始まったのは昭和28年のことだった。建設予定地として、御所地区が指定されたが、さまざまな事情で、具体的な建設計画は示されなかった。住民は、いつダム建設が具体化するか分からないまま、いつ移転させられるかという不安にさいなまれ、また農地を耕す意欲も薄れる一方だった。ついに「ダム建設は取り止めだそうだ」という噂まで流れた。やっと着工のための本格調査に入ることが決定・発表されたのは昭和41年夏、最初の予備調査から13年もの時間が経過していた。


『御所ダム工事誌』
 御所ダムの建設について、建設省東北地方建設局御所ダム工事事務所編・発行『御所ダム工事誌』(昭和57年)により、その建設過程、諸元、役割と効果、ダムの特徴などを追ってみたい。

 御所ダム建設のあゆみは、次の通りである。

昭和42年6月  御所ダム調査事務所開設
        実施計画調査の開始
  43年10月  御所ダム対策事務連絡会は「御所ダム建設に伴う生活再建等連絡協議会」を組織
  44年4月  御所ダム工事事務所開設
    11月  繋地区用地調査完了
  45年7月  雫石地区用地調査完了
  46年8月  御所ダム建設に伴う損失補償基準発表
    12月  損失補償基準妥結
  47年3月  御所ダム本体建設工事契約
  48年3月  仮排水路通水
  49年4月  本体コンクリート打設開始
    7月  水源地域対策特別措置法に基づく指定ダムとなる
  52年10月  堤内仮排水路通水
  53年9月  フィル堤体盛立開始
  55年6月  繋大橋開通
    7月  フィル堤体盛立完了
        コンクリート堤体完了
    10月  シオン像建立
    11月  試験湛水開始
  56年10月  御所ダム竣工式
  57年4月  御所ダム管理支所開設
  58年4月  県立御所湖広域公園が施設管理開始
    5月  のりもの広場完成
    9月  県立御所湖広域公園艇庫完成
  60年6月  つなぎスイミングセンターオープン
  61年5月  盛岡手づくり村オープン
平成元年    レイクパーク事業着手
  2年    塩ヶ森水辺園地完成
  3年    尾入野湿生植物園開園
  9年7月  ファミリーランド開園
  11年3月  レイクパーク事業完了

 御所ダムは、本格的な予備調査が昭和42年開始以来、15年ほど経て完成した。

◆ 5. 御所ダムの諸元

 御所ダムの諸元を見てみたい。
 型式は中央コア型ロックフィル、コンクリート重力式複合ダムである。堤頂標高186.50m、堤高52.5m、堤頂長327m、堤頂幅フィルダム10.0m、コンクリートダム7.0m、堤体積フィルダム約98万m3、コンクリートダム約22万m3、コンクリート堤体法勾配上流1:0.06、下流1:0.80、フィルダム堤体法勾配上流1:3.3、下流1:2.5、非常用放流設備クレストゲート巾11.5m、高さ9.5m、4門、常用放流設備オリフィスゲート巾5m、高さ6.5m3門、地質左岸 火山泥流堆積層、右岸 安山岩質集塊岩となっている。


 一方、貯水池の諸元をみてみると、湛水面積6.4km2、湛水延長8.0q、平常時最高貯水位180.0m、洪水時最高水位182.0m、低水位標高172.2m、総貯水容量6,500万m3、有効貯水容量4,500万m3、堆砂容量2,000万m3、洪水調節容量4,000万m3、灌漑容量300万m3、発電容量3,270万m3(洪水期100万m3)、上水道容量100万m3、計画高水流量2,450m3/s、計画放流量1,200m3/s、計画調節量1,250m3/sとなっている。

 起業者は建設省(現・国土交通省)、施工者は鹿島建設、西松建設で、総事業費は約488億円であり、費用配分は、河川(治水・不特定灌漑)98.09%、上水道0.83%、発電1.08%である。

 主なる補償関係は、水没家屋448戸(520世帯・移転者数約2,200名)、土地取得面積583.4ha、公共補償として安庭小学校、盛岡市役所繋支所、繋・御所両診療所、青森営林局雫石営林署所管の戸沢担当区事務所・西庭担当区事務所の補償を行なった。また特殊補償としては、東北電力(株)繋発電所の廃止、原石山の採石権、雫石川漁業組合に対する漁業などの補償を行なった。水没者は、盛岡市162世帯、雫石町321世帯、滝沢村15世帯などに移転した。

 なお、繋地区の望郷の碑が建立されている。

「わが故郷は、御所ダムの建設によって千古の歴史を秘めながら永久に湖底に没し去った。私達つなぎ地区の水没関係者一同は永久に往時を偲びつつ絶ちがたい望郷の念をこの碑に刻み新しい町づくりに努力することを誓いあうものである。」

 御所ダムにおける水没520世帯という多くの地権者に係わる用地補償の特色について、次のことがあげられる。

 昭和42年6月御所ダム事務所を開設以来、地権者の深い理解をもとに、幾度かの紆余曲折を経て、岩手県、盛岡市、雫石町及び国のたゆみない努力と生活再建対策を推進した結果、遂に46年8月補償基準を発表し、同年12月に妥結、そして47年3月には本体建設工事の契約を行なうことができた。この間、各省庁地方局を含む「生活再建等連絡協議会」の設立による水没農地回復のための県営パイロット事業推進など「御所ダム方式」と呼ばれるいくつかの協力体制が組まれたことは、地権者の生活再建に大いに効果を発揮した。ダム建設に協力が生じたのである。そして、このことが今日の水源地域対策特別措置法(昭和48年法律第118号)に先鞭をつけるものとなり、のちの同法の「指定ダム」の第1号とされることとなった。


◆ 6. 御所ダムの役割と効果

 御所ダムの目的は、次の4つの役割を持っている。前掲書『湖に夢を託して』からみてみたい。そしてその効果も述べてある。

 北上川上流の改修計画は、河道整備を進める一方で、多目的ダム群一関遊水地により洪水の流量を調節しようとするものである。具体的には、岩手・宮城県境の狭窄部の影響による水位上昇を低減するもので、一関の狐禅寺地点における洪水流量13,000m3/sを8,500m3/sに低減する。洪水時にダム群及び遊水地で4,500m3/sの調節を行い、この調節により、危険とされる箇所の水位上昇を抑えることができ、洪水氾濫を防ぐことができる。
@ 御所ダムの洪水調節

 洪水期における御所ダムの洪水調節は、基本的には流入量が500m3/sを超した場合に実施し、治水容量4,000万m3を使って行なう。調節方法は一定率一定量という方式である。具体的には、ダムへの流入量が500m3/sを超えた場合には流入量に応じて放流量を決定(一定率)し、ダムの流入量の一部を貯留する。さらに流入量が最大(計画上2,450m3/s)となった時点の放流量を維持し、一定量の放流(計画上1,200m3/s)は維持する。したがって、計画通りの流入量が生じた場合、最大ダム調節量(貯流量)は1,250m3/sとなる。

 御所ダムは昭和56年からの20年間に33回の洪水調節を実施した。昭和23年9月のアイオン台風の場合、この時はまだ5ダムはなかったが、5ダム完成後、昭和56年8月台風15号の洪水の場合には、5ダムの洪水調節が大いに発揮され、一関狐禅寺地点での水位はアイオン台風時14.74mから12.51mに低減されており、人的被害、住家被害も激減した。

A 不特定灌漑用水の供給

 雫石川下流域に広がる広大な田畑はかつてこの川が洪水とともに土砂を運んで形成した沖積平野である。この豊な実りをもたらす大地を安定的に潤すのが御所ダムの灌漑用水である。御所ダムから北上川合流点までの雫石川には鹿妻穴堰、大欠堰、久保用水があり、これから取水した用水は北上川右岸を中心とする盛岡市、矢巾町、紫波町など約5,000haの農地に供給されている。

 ダムだけでは、水の供給は出来ない。用水路施設等も当然必要だ。少し横道にそれるが、南部藩御用水堰における鹿妻穴堰の開削の歴史を辿ってみたい。
 南部氏26代信直は、三戸(青森県)から不来方(盛岡市)の地に居を移すべく築城を開始した際、藩経営のため、岩手・紫波両郡の北上川西部に水田耕作地域の開発を計った。その命を受けたのは、鉱山師の鎌津田甚六であった。甚六は河床の高い雫石川から分水することを考えた。それは、現在地、湯坂山の連崖剣長根に長さおよそ6間、巾1間の隧道を掘って雫石川の流れを導水しようというものであった。完成は1599年、不来方城築城開始から2年後のことであった。こうして開削された穴堰から取水された水によって作られた米は、藩内きっての良米として知られ、そのことごとくがお蔵米として藩に取り立てられたという。その後、鹿妻穴堰は1650年、初代堰守・甚七による穴口拡大工事や、藩による鹿妻新堰開削援助などにより、用水堰は次第に各地域にその枝葉を伸ばしていった。

B 水道用水の供給

 盛岡市に対して、新たに最大64,800m3/日の水道用水を供給する。

C 発電

 北上川5大ダムによる発電出力は、最大12万9,000kWで、岩手県内で発電される量の40%を占める。このうち御所ダムの水を利用する御所発電所では、最大60m3/sを取水し、1万3,000kWを発電、一世帯あたり2kWと想定すれば6,500戸分の家庭の電気をまかなうことができる。

 岩手県営による御所発電所は、昭和48年4月に着工、56年1月に運転を開始した。ダム本体右岸部で貯水池から最大60m3/sを取水し、27.32mの落差を利用して発電し、その大部分を東北電力に売電している。御所発電所の入り口のところに「水力無尽」の竣工記念碑がある。これは、当時の中村直岩手県知事の揮毫による碑で、尽きることの無い水の力に願いをこめたものである。

◆ 7. 御所ダムの特徴

 御所ダムの特徴について、建設省東北地方建設局河川部編・発行『東北のダム五十年』(平成5年)などから、挙げてみたい。

@ 護岸堤を築く

 御所ダムは、山峡に建設されてきた既往のダムと異なり、盛岡市郊外の比較的平坦な場所に建設されたダムである。用地取得の範囲は洪水時満水位EL.182mに背水、波浪の影響等を考慮して2mの余裕高を加えたEL.184以下の土地であり、その総面積は626haに及ぶ。また、貯水池の湛水面積6.4km2であり、平均水深10m程度と浅く、上流部では湛水深の浅い状態で膨大な農地が水没することになる。このため下久保、繋、兎野の3地区においては、護岸堤を築いて土地の水没を防ぐとともに、土地の有効利用を図って生活再建の一助とした。なお、3地区とも埋め立て工事を実施し、県営圃場整備事業など併せて行った。また、兎野地区を貫流する黒沢川、クキタノイ川に対しては逆流堤を築き、貯水池水位による洪水の防禦を図った。

A 複合ダムのセパレートウォール設計

 御所ダムのコンクリート堤体と、フィル堤体の接合方式については接合部の中央河床部が高さ約45mと大規模となるために慎重な検討が行われた。小規模の例はフィルダム洪水吐きコンクリートとの接合に多く見られるが、中央河床部の深い位置で接合の例は少ない。昭和43年に完成した四十四田複合ダムの接合部の高さ約25m(軸部)が建設省直轄ダムで唯一の前例だった。四十四田ダム、永源寺ダム(農林省)では地震時振動によるクラック発生などを考え、接合接触面を広くとったタイプCを採用する。この接合Cは、フィルダムの全断面をコンクリートの翼壁に突き当たらせる。この場合アースのコアが当たる部分にはテーパーのついた溝(Groove)を設け、この場合1:0.1程度の傾斜がついているとアースのコアが溝の中にしっかり食い込んで漏れを最小限に防ぐ。この接合タイプは面接合で、「フィルダムの中には剛性構造を入れない」という原則に立っている。御所ダムでは既設の複合ダム四十四田ダムにおける経験のもとに、接合タイプCを基本とした。接合面勾配の主応力、せん断直応力などをさらに検討のうえ、センターコア部は重力式、ロック部は半重力式鉄筋コンクリートとして施工した。


B 火山泥流堆積物の処理

 ダムサイトの地質は複雑で、左岸部は下位より凝灰岩質頁岩と角礫凝灰岩が整合的に堆積し、その上を火山泥流堆積層が厚く覆っている。このため、昭和50年度まで6次にわたるフィル堤体部のグラウチング試験を行なった。特に、泥流堆積層が当ダムロックフィル堤体の直接基盤であるため、下位にある開口クラックや乱堆積層に泥流を通して、グラウチングすることに不安が残った。一方、ダム敷から泥流層を全部除去することは工事量・工期・費用などの面でより不可能に近かった。この頃に、ティートンダム決壊事故が発生。それを契機として改めてフィルダムの安全性の問題を提起したことから検討を重ね、昭和52年5月にフィル堤体部の基礎処理方針を決定した。

(1) 河床部の泥流堆積層のうちコア敷にかかる部分は着岩するまで掘削除去し、角礫凝灰岩内に監査廊を設けた。
(2) 左岸段丘部の泥流堆積層と、角礫凝灰岩の接触面を縫うような位置にトンネル監査廊を設け、管理所から立坑によりエレベーターで連絡することにした。
(3) 監査廊工事の大半が進捗した時点で、地山とのコンタクトを目的とした、周辺グラウチングを実施した。また、主カーテングラウチングを監査廊内より施工した。以上のことを実施し基礎処理の効果を図った。

 なお、このことについては、御所ダム工事事務所編・発行『北上川御所ダム 監査廊の設計』(昭和47年が刊行されている。


『北上川御所ダム 監査廊の設計』
C 上流二次締切をアスファルトコアで施工

 御所ダムの上流二次締切は高さ15m、天端幅10m、上流勾配1:3.3、下流勾配1:1.7のフィルダムの設計で施工した。止水工法として冬期間の施工となるため、施工上の難点を考慮し、冬期施工に適合した工法であること。また、工期的にも有利で経済性に富んでいるアスファルトコア案を採用し、応力・変形・透水性・基本構造などを技術的に検討を重ね、解明すると共に実施に導いた。当時、日本国内ではアスファルトコアダムの施工は少なく、いかに当時の技術者が先進的であったかが窺われる。

◆ 8. 御所ダム工事事務所長の苦労

 御所ダム建設における現場の所長は、常にさまざまな用地的、技術的なダム問題に遭遇し、一時の安らぎの時間をむかえることは、なかなか困難である。その労苦を追ってみたい。

@ 戸部昭三郎所長

「われわれが全く予想もしなかった中東戦争勃発、日本経済も根底から揺るがす歴史的事件であるオイルショックが起こりました。高度経済成長をつづけてきたさしもの日本経済も、一転して低成長経済時代に突入への翳りをみせ、国の予算も果たして49年度から強力な総事業抑制策がとられ、ダム事業を含む建設事業が殆んど沈滞の方向へと向かっていったのです。
 丁度この時起こった痛恨この上ない石幡所長の殉職事故は、苦難の時代を迎えて呻吟するあの頃の象徴的な出来事として無念な憶いにかられるものでした。
 事実ダムもこれから最盛期を向えようとしていた本体工事や道路付替工事の遅延はもとより、残されていた公共補償や環境問題のからみがあった原石山採掘の地元の合意も容易に得られず、充たされぬ日々を送っていたことを思い出します。
 困難を極めた用地問題や環境保全の問題をめぐっては、「生活再建等連絡会」の設立と“御所ダム方式”による水特法第1号ダムの指定とか、このことを記録した映画“用地交渉の記録”の作成、また「御所湖汚染防止対策調査委員会」の成果と「御所湖開発協会」による水没予定地内の砂利販売資金を活用した「貯水池周辺の環境保全事業」の推進、そして原石採掘後の緑化を目的とした「見手が森原石山緑化懇談会」の設立等、幾つかの特筆すべき試みがなされましたし、また技術的な問題としてもロックフィル堤体の基礎処理をめぐって他に類例を見ない地質的悪条件を如何に克服するか、心血を注ぐ調査が繰り返し行われ、ありとあらゆる検討を昼も夜も続けてきたことが、今となっては忘れえぬまま脳裏に深く刻まれています。
 こうした苦闘が次々と引き継がれ、ともに“生まれ出ずる悩み”を味わいつつ遂に御所ダムの完成を見たとき、そこに互いに世代を超えて建設に携わった者達の“生きた証し”を見る思いがいたします。ダムの竣工の日、広い湖面を白い航跡を残して走り去る一隻のボートを見て、ついこの間まで、この湖面に古い歴史と伝統をもった沢山の人々が生活し、またダムを造るために如何なる努力も惜しまなかった多くの人達がいたことを思い、深い感慨に誘われるのでした。」

A 笹川栄志所長

「私が御所ダム勤務を命じられたのは、昭和51年8月で、オイルショクによる影響も終わり、ダム本体工事も、コンクリート部が約半分の10万m3まで打設が進みいよいよフィル堤体部の着手に向けて、実施設計を確定すべき時にあった。
 このダムには、技術的に解決しなければならない2つの大きな問題があった。その1は右岸越流をコンクリート重力式堤体とし、中央から左岸にかけて非越流部を、中央コア型ロックフィル堤体とする複合ダムであるため、この接合部をどのようにするかであり、その2は河床部から左岸部を厚く覆っている、火山泥流堆積物の処理である。
 1の接合部については、本省土研の指導と協力を得て、各種の解析と検討の結果、ダム軸方向の勾配を1:0.65とし、やや上流に傾ける事で解決されていた。
 2の火山泥流堆積物の処理については、河床部の火山泥流堆積物を掘削するかどうか、決定しなければならないが、この火山泥流堆積物の性状、その下の基礎岩盤である角礫凝灰岩の岩質、更にこの間に挟在する旧河床堆積物の分布と性関等これまでの調査ボーリングを主体とした調査では確かめ得られない点があった。このため、調査ボーリングに加え、竪坑によって直接観察することとした。
 一方、昭和51年6月米国のティートンダムの決壊があって、フィルダムについても監査廊の必要性が再認識され、本省、土研その他の方々の指導を得て、河床部の火山泥流堆積物を掘削し、基礎岩盤に監査廊を設計、更に左岸部について、この境界部の処理を兼ねて100mのトンネル監査廊として終端からシャフトを立ち上げて、管理所へと接続させることとした。このため、セパレートウォールの一部変更、監査廊の設計、ボーリンググラウトによる岩盤基礎処理等、技術上の問題で悩まされたが、関係の皆さんの努力で一つ一つ解決されていったものであります。」

◆ 9. おわりに

 既に述べてきたが、御所ダムは、地質状況にあわせて堤頂長327mのうち、右岸越流部をコンクリート重力式堤体・堤頂長117m、中央から左岸にかけての非越流部を中央コア型ロックフィル堤体・堤頂長210mとする複合ダムとなり、優雅なダムを醸し出した。

 また、御所ダムは自然環境環豊かな水景を創り出した。そしてダム湖周辺には、環境保全型のレクリェーション地域として、レイクパーク事業、岩手県による御所湖広域公園事業等が完成した。盛岡市から12qの至近距離に位置する御所ダムは、人々の憩いの場を提供することとなった。御所ダムは、治水や利水を目的としているが、新たに人々に、スポーツや散策などの健康増進、植物観察など教育的な役割を果たしているといえる。


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(2012年5月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(17)〜香川県のダム(満濃池・豊稔池・田万・門入・吉田)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(18)〜兵庫県のダム(布引五本松・引原・安富・安室・長谷・生野・青野・三宝・大路・大日・牛内・成相・北富士)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(19)〜富山県のダム(室牧・久婦須川・熊野川・境川・利賀川・城端・上市川・上市川第二・布施川ダム・大谷・朝日小川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(20)〜吉野川水系の水資源開発ダム(早明浦ダム、池田ダム、旧吉野川河口堰)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(21)〜島根県のダム(尾原・志津見・山佐・三瓶・八戸・浜田・御部・大長見・美田・銚子)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(22)〜山口県のダム(小瀬川・弥栄・菅野・屋代・中山川・末武川・島地川・川上・荒谷・一の坂・今富・阿武川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(23)〜黒部川のダム(仙人谷・黒四・宇奈月)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(24)〜京都府のダム(大野・天ケ瀬・高山・日吉)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(25)〜石川県のダム(子浦川防災・手取川・小屋・八ケ川ダム・医王)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(26)〜奈良県のダム(猿谷・坂本・大迫・室生・布目・白川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(27)〜天竜川のダム〔上〕(泰阜・平岡・佐久間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(28)〜天竜川のダム〔下〕(美和・小渋・市の瀬・大泉砂防・横川・片桐・箕輪)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(29)〜千曲川のダム〔上〕(奈川渡・水殿・稲核・高瀬・七倉・大町)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(30)〜千曲川のダム〔下〕(奈良井・水上・小仁熊・北山・古谷・余地・金原・内村・豊丘)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(31)〜山梨県のダム(広瀬・荒川・大門・塩川・深城)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(32)〜三重県のダム(宮川・蓮・君ケ野・滝川・青蓮寺・比奈知・安濃・中里)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(33)〜庄川・常願寺川・小矢部川のダム(庄川合口・小牧・御母衣・有峰・刀利)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(34)〜愛媛県のダム(大谷池・黒瀬・台・石手川・鹿野川・野村)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(35)〜宮崎県のダム〔上〕(轟・上椎葉・一ツ瀬・杉安)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(36)〜宮崎県のダム〔下〕(川原・沖田・田代八重・瓜田・広渡・日南)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(37)〜高知県のダム〔上〕(永瀬、大森川、穴内川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(38)〜高知県のダム〔下〕(鎌井谷、大渡、桐見、中筋川、坂本)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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