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ダムの書誌あれこれ(82)
〜北上川水系江合川鳴子ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
 
◆ 1. 北上川の流れ

 北上川は、宮城・岩手の両県にまたがり、その源を岩手県北部の岩手町御堂に発し、流路東側の北上高地及び西側の奥羽山脈から発する大小幾多の支川を合わせて岩手県のほぼ中央部を北から南へ縦貫し、一関下流狭窄部を経て宮城県へ入った後、宮城県津山町柳津地先で旧北上川を分派する。この地点より北上川は東へ流れて追波湾に、旧北上川はそのまま南下して石巻湾に注いでいる。その幹川流路延長は249q、流域面積は10,150km2の東北第一の河川である。全国的にみれば流域面積で第4位、延長で第5位の規模を有している。

 流域の形状は、南北に長いほぼ長方形で、本川を中心に左右から多くの支川が流入する。典型的な羽状流域の様相を呈しており、南北の長さ約250q、東西方向の幅の最も広いところは花巻附近の90q、最も狭いところは盛岡附近の約50qとなっている。

 北上川の支流を少し追ってみたい。北上川に流れ込む支流は216を数える。岩手県域では、北上山地の左岸から本流に加わる丹藤川、中津川、簗川、稗貫川、猿ヶ石川の諸河川、奥羽山脈の右岸からは松川、雫石川、滝名川、豊沢川、和賀川、胆沢川など。宮城県に入った北上川の流れは蛇行しながら、西から迫川、江合川が合流し、宮城県の北部に広大な仙北平野を形成する。この流域地帯は南の仙台平野から、仙北平野、北上縦谷地帯へ続き、いわゆる盛岡〜白河構造線を形成している。そしてこの南から北への構造線の枠内に、東北の中枢機関を果たしている諸都市が散在して、政治、経済、文化、交通の要衝となっている。

 江合川は、その上流を荒雄川と呼び、宮城県の西北端荒雄嶽に源を発し、宮城県の穀倉地帯大崎平野を貫流し北上川に注ぐ、北上川下流部における一大右支川である。その流域面積は577km2、流路延長は89qである。ダム流域面積は210.1km2で、そのほとんどが栗駒国定公園に指定されており、約90%を森林面積が占めている。そのうち自然林が70%、人工林が30%の割合となっている。江合川の水源近くには奥州三名湯のひとつ鳴子温泉がある。ここは鳴子こけしで有名である。また全国でも数少ない天然蒸気を使って発電する鬼首地熱発電所がある。鳴子温泉のほぼ上流に鳴子ダムは昭和33年に完成した。

◆ 2. 江合川の洪水

 有史以来、北上川の洪水に関する記述のある最も古い史書は『日本後記』であり、その中には平安初期(811年)大和政権による陸奥開拓の前進基地であった志波城(盛岡市)が降雨のために兵糧の輸送が停滞していること、また河川(往時の雫石川)に近いため、たびたび洪水による被害を受けていることなどが記されている。

 明治期における最大の洪水は、明治43年8月から9月にかけての長雨によるもので、また、昭和22年のカスリン台風などで、北上川流域は甚大な水害の被害をうけた。
 江合川の水害の様子について、鳴子ダムのパンフレットより追ってみたい。

@ 明治43年8月の水害
 「バシャバシャと屋根に音を立てて降る雨。夕方からは青白い光とともに、バリバリと大地を引き裂くような不気味な雷も鳴り始めました。「川は大丈夫だろうか。」川をよく見てみると、少しずつ水が増えています。ゴウゴウとうなりながら、勢いよく流れる川。いつ堤防が崩れるか、人々は不安を抱きながら見守っていました。
 日が暮れていくにしたがって、雨はますます強くなり、雷と一緒になって地響きのような音を立てます。さらに裏の山までがゴーッと鳴り始め、まったく生きた心地がしませんでした。「山崩れだ!逃げろーっ。」低い所では水が出て危ないからと、山の上に避難していたのに、その山が崩れ落ちて沢山の人々が土砂にのみ込まれてしまいました。「助けてー。」「助けてくれー。」倒れた家の下から、かすかに声が聞こえます。人々は急いで駆けつけて屋根を壊し、下敷きになっている人を助け出しました。どこかで火事が起きたらしく、大きな炎が夜空に向って吹き上げています。あちらこちらから、逃げ遅れた人の叫び声が聞こえてきました。
 この水害により、鳴子・川渡地区だけでも110人が死亡、行方不明28人、水に流された家173戸、雨や風などで倒れてしまった家158戸などこれまでにないほどの被害となりました。」

A 昭和22年から4年間の洪水
 「昭和22年、日本各地で大きな被害をもたらしたカスリン台風。鳴子地区でも9月3日から雨が降り始め、大きな爪あとを残しました。川の堤防が次々と決壊し、あふれ出した水で、町はまるで湖のようになってしまいました。それでも雨は降り止まず、15日の朝には鬼首(おにこうべ)にある荒雄川大橋が流されました。鳴子温泉では激しい流れと山崩れで、たくさんの旅館や家が流されたり押しつぶされたりしました。
 江合川のそばにあった鳴子分院は、川からあふれた激しい水を正面から受け、あっという間に流れにのまれてしまいました。あまりに急な出来事に、鳴子分院にいた人々は逃げ出すことができず、水の中に取り残されて危険な状態でした。しかし、消防署の人たちが駆けつけ、危険な状況の中、必死になって救助にとりかかり、全員の無事が確かめられました。

 カスリン台風による被害の復旧作業が進んでいた昭和23年9月12日、再び大きなアイオン台風が町を襲い、人々の大切な財産を奪っていきました。翌年の8月末、そしてさらに翌年の8月初めにも台風や大豪雨が町を襲い、普通の暮らしができなくなるほどの大きな被害をもたらしたのです。4年連続で起きたこの水害で、町の人々は「安心して生活できるよう、しっかりと川を治める工事をしてほしい」と県や国にお願いしました。」

◆ 3. 北上川の治水計画の変遷

 北上川の洪水は、その後も昭和56年8月(台風15号)、昭和62年8月、昭和63年8月、平成6年9月に起こった。北上川における治水計画の変遷を、国土開発調査会編・発行『阿武隈川・北上川・雄物川・最上川−その治水と利水−』(平成元年)からみて見たい。

@ 北上川下流部の当初計画(明治44年)
 明治43年の大洪水を対象として策定された。その目的は高水制御と逆流に起因する湛水防除及び航路の改良にあった。
(1) 北上川本川下流の計画高水流量を5,570m3/sとし、柳津地先で旧北上川へ840m3/sを分流する。
(2) 本川として柳津〜飯野川間に河道を開削し、これにより下流は旧追波川を拡幅・築堤し、新北上川として計画流量4,730m3/sを流下させる。
(3) 舟運維持と農業用水のため、要所に床固工、可動堰を施工する。
 この計画に基づく事業は明治44年から昭和9年まで24箇年継続事業として実施された。

A 北上川上流部の当初計画(昭和16年)
 この計画は大正2年8月洪水を対象として計画流量を定めたものである。洪水時における一関での最大流量は7,100m3/sと推算されたが、その後の降雨状況を考慮すると7,700m3/sに達すると推定される。これに対し一関下流の狭窄部を流下した最大流量は5,600m3/sに過ぎず、すなわち、このことは狭窄部が穴あきダムとして作用し、下流(宮城県)流量を調節する結果となった。以上の状況を基礎として計画流量が定められた。
(1) 狭窄部の開削により流下量を増加させることは技術的には可能であるが、前述の制約(下流部において計画流量5,570m3/s対応の改修工事が完了していること)を受けるため、流下量の最大を5,600m3/sとする。
(2) 一関市狐禅寺における最大流入量7,700m3/sを最大流下量5,600m3/sに低減させるため5箇所にダムを設けるものとする。そのダムの位置は、北上川本川(渋民)、雫石川(御所)、猿ヶ石川(田瀬)、和賀川(大沓)、胆沢川(石淵)の5箇所とする。

B 上下流部の第一次改定
 昭和22年9月(カスリン台風)の大出水により狐禅寺における流量は、当初計画の基本高水7,700m3/sをはるかに越える9,000m3/sに及ぶ既往最大を記録し、全流域にわたって大災害を惹き起こした。翌年9月(アイオン台風)においても前年度に匹敵する大洪水に遭った。このため当初計画では流域の安全性を確保できないことが実証され、計画を全面的に改定する必要が生じた。この計画は昭和22年9月の大洪水を対象として計算したものである。
(1) 一関における基本高水流量を9,000m3/sとする。
(2) 狐禅寺下流狭窄部は若干掘削し、計画高水位は昭和22年9月洪水の実績より1.46m低いT.P.26.0mとする。この時の最大流下量(計画高水流量)を6,300m3/sとし、基本流量9,000m3/sとの差2,700m3/sは上流部5大ダム及び舞川遊水地(一関市附近)で調節するものとする。なお、下流部(宮城県)の計画高水流量は6,500m3/sとする。
(3) ダムの計画を見直し、調節能力の強化を図る。
(4) 河道部は、新たに決定された計画高水流量と計画高水位に対応し、河幅、堤防高など全面的に計画を改定する。
(5) 下流部においては、旧北上川への分流量を0m3/sとして、追波湾まで6,500m3/sの流量を流下させるものとする。

C 上流部(岩手県)の現計画(昭和48年)
 北上川の基本高水のピーク流量及び計画高水流量は、狐禅寺地点において昭和22年9月カスリン台風による出水を対象に9,000m3/s及び6,300m3/sと定められているが、その後も計画高水流量に迫る大出水が相次いで生起した結果、再度見直した。
(1) 北上川においては、計画の安全度を異常現象の生起確率で評価することとし、その指標として流域平均2日雨量を採用することとした。計画2日雨量確率は明治橋上流1/150、狐禅寺上流1/100、中流部1/50とした。
(2) 基準地点狐禅寺における計画高水のピーク流量を13,000m3/sとし、新規のダム群を含めた多目的ダム群及び一関遊水地により4,500m3/sを調節し、計画高水流量を8,500m3/sとする計画に改定した。

D 下流部(宮城県)の現計画(昭和48年、55年)
 前述の昭和48年上流部改定計画に併せて下流部においても、北上川本川の計画改定が行なわれた。狐禅寺8,500m3/s計画高水流量を受けて、さらに下流の残留量を合わせ、岩手県境から追波湾まで計画流量8,700m3を流下させるものである。しかしながら、旧北上川筋においても新計画が必要となってきたため、昭和53年3月、隣接する鳴瀬川水系をも含めた総合的な検討を行い、現計画が策定された。
(1) 計画高水流量は、旧北上川和渕地点で計画規模1/150とし2,500m3/s、他の基準点では1/100の計画規模とし迫川佐沼で1,000m3/s、旧迫川三方江で350m3/s、江合川荒雄では1,800m3/sの計画流量とした。
(2) 新江合川から800m3/sを鳴瀬川(北上川流域外)に分流することとし、新江合川分派後の江合川の計画高水流量を1,000m3/sとした。
(3) 洪水調節地としては既存のダム施設のほかに、旧北上川の桃生遊水地を組み入れた。

◆ 4. 鳴子ダムの建設

 鳴子ダムは、江合川の上流宮城県大崎市鳴子温泉字岩淵地先に、建設省(現・国土交通省)によって、昭和32年に築造された。鳴子ダムは戦後の経済復興に当たって建設資材の節減を目指し、従来の常識を破った薄肉アーチダムであり、アーチダムの先鞭をつけたものである。日本における本格的なアーチダムとして九州電力(株)の上椎葉ダム(宮崎県)を初めとするが、外国人の指導技術を仰いでいるものであり、日本人の手によるアーチダムとしては鳴子ダムが最初である。この鳴子ダムの建設について、鳴子ダム工事事務所編・発行『鳴子ダム工事誌』(昭和34年)により、その建設過程、諸元、目的、ダム技術の特徴などを追ってみたい。

 鳴子ダムはすでに昭和16年、宮城県土木部によって江合川河水統制事業として計画立案され調査に着手、その後昭和21年以降、昭和25年までにダムサイト附近の予備的な地形、地質調査が行われていたが、昭和26年8月北上川下流部総合開発計画調査の一環として、東北地方建設局江合川調査出張所が設立され、本格的な建設へ動き出した。鳴子ダムの経緯は次の通りである。


『鳴子ダム工事誌』
大正6年(1917)  江合川改修工事始まる
昭和10年(1935)  湧谷町長ら宮城県知事に江合川上流に貯水池設置の要望
昭和16年(1941)  宮城県土木部が鳴子ダムの計画をたてる
  17年(1942)  江合川流域旱魃起こる
  22年(1947)  宮城県による予備調査が始まる
         カスリン台風により、江合川沿いの町は大災害を受ける
  23年(1948)  アイオン台風により、大災害を受ける
  24年(1949)  キティ台風で三たびの災害を受ける
  25年(1950)  大豪雨でまたも大災害を受ける
         建設省江合川改修工事湧谷地区工事に着手
  26年(1951)  鳴子ダムの調査を建設省が引き継ぎ、実施計画調査が始まる
  27年(1952)  鳴子ダム工事事務所を設置する
         重力式コンクリートダムの築造として、ダムサイト選定
         水文調査、仮設備計画のための諸調査などを実施する
         用地補償を実施する
  28年(1953)  ダム型式をアーチ式コンクリートダムに変更
         ダム工事用道路を造成する
         ダム本体建設工事・仮設備を設置する
  29年(1954)  基礎掘削を施工する
  30年(1955)  堤体コンクリート打設開始
  32年(1957)  鳴子ダム完成
         試験湛水を実施する
  33年(1958)  鳴子ダム管理開始
  49年(1974)  既往最大の854m3/sの水がダム湖に流入
  54年(1979)  ダム周辺環境整備事業に着手
  55年(1980)  貯水池保全事業として貯砂ダム工事に着手
  60年(1985)  貯水池保全事業貯砂ダム工事完了
         大渇水となるも、過去最高の農業生産を記録
平成3年(1991)  ダム周辺環境整備事業が完了
         「ひとめぼれ」開発
  5年(1993)  冷害により農業生産が大きく落ち込む
  8年(1996)  ダム施設改良事業に着手
  12年(2000)  堤内昇降設備を新設
  14年(2002)  ダム施設改良事業が完了
  15年(2003)  取水設備(板見堰)の更新工事に着手
  17年(2005)  放流バルブ予備ゲートの更新工事に着手
  18年(2006)  取水設備(板見堰)の更新工事完了
         放流バルブ予備ゲートの更新工事完了
  19年(2007)  カスリン・アイオン台風60年
         鳴子ダム完成50年
  20年(2008)  鳴子ダム管理50年
         仙台・宮城デスティネーションキャンペーン実施

◆ 5. 鳴子ダムの諸元・目的

 鳴子ダムの諸元は、堤高94.50m、堤頂長215.0m、堤体積18万m3、流域面積210.10km2、湛水面積2.1km2、総貯水容量5,000万m3、有効貯水容量3,500万m3、堆砂容量1,500万m3、洪水調節容量1,900万m3、利水容量 洪水期1,600万m3、同非洪水期3,300万m3、型式アーチ式コンクリートダムである。起業者は国土交通省、施工者は鹿島建設(株)で、事業費は32億円を要し、アロケーションは河川69.0%、特定灌漑18.3%、発電12.7%(東北電力(株))となっている。

 なお、主なる補償は、水没世帯数26、土地取得面積168ha、特殊補償としては、漁業権1、鉱業権6、発電所4、それに蟹沢温泉源泉などであった。

 鳴子ダムは、アーチ式コンクリートダムであるが、三成ダム(斐伊川、島根県)、上椎葉ダム(耳川、九州電力(株))に次いで、国内3例目であった。昭和26年から昭和32年に7年の歳月をかけて完成した。鳴子ダムは3つの目的を持っている。


@ 洪水調節
 鳴子ダムは、堤防への負担を減らし、また人々の暮らしを守るため、洪水時に江合川に流れ込む水量を抑え、安全に保つ調節機能を持っている。1年のうち、大雨による洪水が最も心配される時期(洪水期間)7月1日〜9月30日の3ヵ月と定め、ダム湖に貯まっている水を一定の数値(制限水位244.5m)まで減らして1,900万m3の空間を確保し、洪水の発生に備えている。
 平成6年9月に起きた洪水は、鳴子ダムがなかったら、江合川の水位が約1.8m上昇し、堤防が決壊する恐れがあった。この場合、桶谷町中心市街地は、ほぼ全域にわたり浸水被害が生じたと想定される。

A 灌漑用水
 雄大な大崎平野を中心に広がる水田は、約10,000haで、鳴子ダムは、これらの水田に必要な灌漑用水を十分に確保し、最大使用量22m3/s(5月10日〜9月5日)を供給する。
 江合川下流部に必要となる水は、発電用水路や放流バルブを通じて供給され、川の各ポイントに設置した頭首工(取水堰)によって水量を調整され、各地域へ送水される。

B 発電
 鳴子ダムの直下に設置された鳴子発電所は、東北電力(株)としては宮城県内で一番大きな規模の水力発電所である。最大21m3/sの水で、最大18,700kWの電力量を発電する。ダム左岸の上流700mの位置に設けられた取水塔では、最大有効落差105mを利用して、年間で毎時8,625万kwhの電力量を発電し、これは大崎平野の一般家庭およそ15,000世帯分をまかなえる。



◆ 6. 鳴子ダムの技術的特徴

 鳴子ダムが完成した昭和32年は、日本は高度経済成長期に突入した時期である。その鳴子ダムの技術的特徴について、建設省東北地方建設局河川部編・発行『東北のダム五十年』(平成5年)では、4つをあげている。

@ 日本独自の最初のアーチダム築造
 わが国のコンクリートダムは、そのほとんどが重力ダムであったが、その頃、欧米からの技術指導により、九州電力(株)の上椎葉ダムがわが国最初の本格的なアーチダムとして施工されていた。
 鳴子ダムの地形は左岸右岸が大断崖で谷底20〜30m幅の急峻なV字峡谷を成していた。地質は左岸、右岸とも2種類の岩盤からなり、問題もあったが、コンクリート置換工法を実施し安全を確保することとし、アーチダムの検討がなされた。設計計算には荷重分割方式の最新技術を取り入れ築造した。

A パイプクーリング工法の採用
 コンクリート打設後、セメントの硬化熱による温度応力を抑え、ひび割れを防止する目的で一次クーリング(約半月から1ヵ月間)を実施。その後継目グラウチング施工に先立ち、コンクリートの内部温度を最終安定温度程度まで低下させ、収縮継目(横目地)を広げるために、二次クーリング(一般には冬期間1〜2ヵ月間程度行なう)を実施。
 鳴子ダムでは、水和熱を抑えるため中庸熱セメントを採用し、クーリング計算によるコンクリートの適正な温度管理をパイプクーリングにより行ない、横継目グラウチングを成功することができた。当時の欧米からの最新情報を応用して温度管理技術の先駆的役割を果たした。

B 洪水放流部特殊設計
 洪水放流については、アーチダム中心線と下流河道方向が偏心しているので、河道に流れを導くために次のような工夫を行った。アーチ本体下流エプロン部にデフレクターを設け、減勢と流水方向を変向させた。また、デフレクターの型としては楔形、等角螺線、楕円形と種々考えられたが、模型実験を各々について行った結果、楕円形を採用することとした。この楕円形デフレクター採用により、越流水は河道に沿って流下している。

C 斜坑トンネル洪水吐
 鳴子ダムでは堤体に大きな孔を開けることは応力解析より不利となるため、トンネル洪水吐きで流下させる計画とした。呑口部は地形地質の関係から平面曲線と縦断曲線とが複合的に変化する極めて複雑な形状を有している。流水は平面曲線による遠心力のため外側に押されて天井を這い、斜坑部水平坑部においては撹乱される。この影響を除去するため平面曲線の終点附近のトンネル上部にデフレクターを設けて流水の整正を図った。このように外観から見ることができない箇所においてもきめ細かな計画設計がなされ、流水に対して安全な構造物が施工されている。

 このような4つの鳴子ダムの施工における技術的特徴をもって、最も経済的なダム型式としてのアーチダムが建設できた。これにより、重力ダムの場合に比し、コンクリート量は1/2となり、総工費において4億円の節減、工期において1ヵ年の短縮を図ることができた。



◆ 7. 国産アーチダムの試練

 照井隆三郎・前東北地方建設局長は、鳴子ダム工事誌に寄せてのなかで、日本技術の試練台として、名実ともに国産アーチダムの誕生について、昭和28、29年の頃大変な決心が必要であったことを、次のように述べている。

 「岩盤調査は一喜一憂の間に進められてきましたが、河床にも両側にもそれぞれの弱点が出て来て、容易ならぬ事態が予想され、一方九州電力会社施工の上椎葉アーチダムを見学した際に見せられた2米以上もある無傷のボーリングコアを想い出すと、とかく決心もにぶるものでした。
 然るにダム工事事務所長以下の熱心の研究の基とし、局あげての検討批判、土木研究所、建設省本省の温かい指導など、29年後半においてこのための会合幾度なるかを知らず、関係者一同全知能を傾注して、ついに詳細綿密なる具体策を決定し、ここに自信をとりもどし、31年1月アーチダム実施のことに最後の踏切りをつけたものであります。
 岩盤の補強処理は河床の断層と、右岸側粘土噛合部分とに対しては、掘削のうえ破砕岩並に粘土を除去し、コンクリートを填充し、両側の全般的な弱体部に対しては、二股コンクリート横柱を入れてグラウトを併用し、アーチ本体よりの横圧力を岩盤深奥部に誘導するようにし、強度に万全を期したのでありますが、この計画の確実なる施工によって、予想以上の好結果をもたらしたことは、今後の建設に大きい指針を与えるものと期待されています。
 岩盤の外に問題になったことは、洪水放流についてでありますが、左岸岩盤に弱点を生かせず、且つ下流の原河道に流下水がなじむように螺旋斜形のスピルウェートンネルを掘り、又薄くて垂直に近いアーチ本体下流面に着水のままオーバーフローせしめ、その水流を水叩に造った独特の壁に受けて、水をはねとばし、これによって水勢を殺すと共に、原河道とダムサイトの方向が斜めに変わっているために右岸におこる洗掘を防止するようになっていますが、何れも水理的難点を克服して計画さていることは特筆されてよいと思います。また貯水池の死水の利用と沈砂除去のための万一に備え、最低水位よりはるかに低位に放水管をとりつけたことも他の多目的ダムには見ない例であります。」

◆ 8. おわりに

 国産第一号のアーチダム鳴子ダム建設は、このようなさまざまなドラマを生み、昭和32年に完成した。この年日本で起きた出来ごとを見てみると、南極観測隊が観測船宗谷でオングル島に上陸し、昭和基地と命名した。日本が国際連合に加盟。死者856人及ぶ長崎県諫早水害が起こっている。聖徳太子の肖像5,000円札、100円銀貨発行。仙台空港開港。また、ダム関係では、特定多目的ダム法の公布。桂沢ダム、小河内ダム、殿山ダム、鎧畑ダム、井川ダムが完成した。

 翌33年には、インスタントラーメン発売。死者331人に及ぶ伊豆地方の狩野川水害が起こっている。皇太子と正田美智子さんとの婚約発表、ミッチーブーム起こる。東京タワー完工。八久和ダム、黒又川第一ダム、美和ダム、笹生川ダム、上野尻ダム、宇連ダムが完成している。

 歌謡曲は、島倉千代子の「東京だよおっ母さん」、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」、若原一郎の「おーい中村君」が流れていた。牛肉100g48円、醤油2リットル155円、内閣総理大臣の給料15万円であった。

 このような時代から、鳴子ダムは半世紀以上も経てしまった。その間、鳴子ダム(荒雄湖)周辺は人々の心身の健康増進に役立つよう憩いの広場として整備され、河川に棲息する生物調査、河川空間の利用実態調査がなされた。さらにダム施設の改良として、洪水吐き予備ゲートの増設、貯砂ダムの建設などが行なわれた。また、鳴子ダムは旧北上川合流地点まで放流警報所21ヵ所、警報表示板10ヵ所を設置し、放流の前には、サイレンを鳴らしたり、警報車でパトロールを行なって、安全を図っている。

 鳴子ダム管理50周年がすぎたが、これまで鳴子ダムはその治水、農業用水の供給、電力の供給の3つ役割を十分に果たしてきた。洪水と渇水を防ぎ、日本有数の米どころである大崎平野約10,000haに水を供給し、米の生産に役立ってきた。アツアツご飯の湯気の向こうに鳴子ダムが見えてくるようだ。

[関連ダム]  鳴子ダム
(2012年3月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(20)〜吉野川水系の水資源開発ダム(早明浦ダム、池田ダム、旧吉野川河口堰)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(21)〜島根県のダム(尾原・志津見・山佐・三瓶・八戸・浜田・御部・大長見・美田・銚子)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(22)〜山口県のダム(小瀬川・弥栄・菅野・屋代・中山川・末武川・島地川・川上・荒谷・一の坂・今富・阿武川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(23)〜黒部川のダム(仙人谷・黒四・宇奈月)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(24)〜京都府のダム(大野・天ケ瀬・高山・日吉)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(25)〜石川県のダム(子浦川防災・手取川・小屋・八ケ川ダム・医王)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(26)〜奈良県のダム(猿谷・坂本・大迫・室生・布目・白川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(27)〜天竜川のダム〔上〕(泰阜・平岡・佐久間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(28)〜天竜川のダム〔下〕(美和・小渋・市の瀬・大泉砂防・横川・片桐・箕輪)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(29)〜千曲川のダム〔上〕(奈川渡・水殿・稲核・高瀬・七倉・大町)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(30)〜千曲川のダム〔下〕(奈良井・水上・小仁熊・北山・古谷・余地・金原・内村・豊丘)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(31)〜山梨県のダム(広瀬・荒川・大門・塩川・深城)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(32)〜三重県のダム(宮川・蓮・君ケ野・滝川・青蓮寺・比奈知・安濃・中里)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(33)〜庄川・常願寺川・小矢部川のダム(庄川合口・小牧・御母衣・有峰・刀利)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(34)〜愛媛県のダム(大谷池・黒瀬・台・石手川・鹿野川・野村)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(35)〜宮崎県のダム〔上〕(轟・上椎葉・一ツ瀬・杉安)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(36)〜宮崎県のダム〔下〕(川原・沖田・田代八重・瓜田・広渡・日南)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(37)〜高知県のダム〔上〕(永瀬、大森川、穴内川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(38)〜高知県のダム〔下〕(鎌井谷、大渡、桐見、中筋川、坂本)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(39)〜青森県のダム〔上〕(目屋、久吉、早瀬野、二庄内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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