これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
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◇ 1. 阿木川と岩村川
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阿木川はその源を岐阜県中津川市焼山(標高1,709m)に発し、寺川、久須田川、岩村川、飯沼川、定蓮寺川、永田川、横町川、濁川を併合し、恵那市の市街地を貫流して大井ダム直下流で木曽川左岸に合流する流域面積133km2、河川延長21qの一級河川である。阿木川を含め、岐阜県東南部に位置する恵那峡、椋美川、名場居川などから虎石、黒石、蓬石という恵那石が採石される。いずれの石も硬度が高く、石質も緻密で、渋みのある石である。なかでも虎石は優れており、瀬田川石に劣らぬ硬度、色調、風格を備えている。
岩村川は岩村城下を流れ、下切、小沢を経て阿木川に注ぐ。この岩村城(霧ヶ城)には、戦国時代、織田信長の叔母にあたる遠山景任の妻が、武田軍に破れ戦死した景任の後を信長の5男御坊丸を養子にして、この城を守っていたが、武田軍の武将秋山春近に城の安泰を条件に結婚をせまられ、やむを得ず再婚した。これに怒った信長は岩村城を攻め、落城させた。この叔母は逆吊りの刑に処せられた。その最期の言葉は信長を罵るものであったという。哀しい物語が残っている。 阿木川、飯沼川の川筋は、愛知県春日井市より多治見、明智を経る下街道中馬街道として利用されていた。
阿木川ダムは、この木曽川水系阿木川の岐阜県恵那市東野字山本および字花無山に、平成3年3月に完成した。この阿木川ダムの建設について、木曽三川治水百年のあゆみ編集委員会編『木曽三川治水百年の歩み』(建設省中部地方建設局・平成7年)、水資源開発公団阿木川ダム建設所編・発行『阿木川ダム工事誌』(平成3年)、阿木川ダムパンフレットにより追ってみたい。
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『阿木川ダム工事誌』 |
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◇ 2. 阿木川ダム事業の背景
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阿木川ダム事業の背景について、 『木曽三川治水百年のあゆみ』には、次のように記されている。
岐阜県の東南部に位置する東濃地方は、中京圏の一角をなし名古屋市にも比較的近いという良好な立地条件のもと、交通機関や産業基盤の整備が進められてきているが、これに伴い各種企業の進出が活発となった。 岐阜県では、昭和38年度から東濃用水事業として、東濃地方5市1町に水道用水・工業用水を供給する計画を立て、翌39年1月には、地元市町村が東濃利水対策協議会を設立し、木曽川及び庄内川から水道用水・工業用水を取水する計画を立案したが、その第一期工事として阿木川からの取水を計画し、阿木川に水源施設としてのダムの建設を計画した。 また、農林省は、これらの用水の一部確保と農地防災を目的として、阿木川中流部の小沢地点に中規模土地改良事業として防災ダムを計画した。 こうして、昭和40年以降、農林省、岐阜県等により航空写真の図化・地質調査及び水文調査等の予備調査が実施された。また、そのころ名古屋市南部の工業地帯では水需要に対処することが緊急の課題となっていた。一方、治水計画では、昭和43年に工事実施基本計画を改定し、木曽川では既設の丸山ダム、すでに実施調査を開始していた岩屋ダムを初めとする上流ダム群の一つとして計画することとなった。
こうした経緯から建設省は、昭和42年度から農林省や岐阜県の調査を引継ぐ形で予備調査を開始し、治水・利水計画の大要を検討するとともに、ダム建設の可能性を検討した。昭和44年度からは実施計画調査に入り、昭和48年建設省は水資源開発公団に事業を仮継承した。昭和51年10月に公団に事業を継承し、建設事業に着手した。阿木川ダムは平成3年3月に完成した。
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◇ 3. 木曽川の出水記録
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犬山基準地点における記録による、木曽川における三つの洪水について記してみた。
(1) 昭和13年7月の出水 6月28日から30日にかけ東海地方は、潮岬南から銚子沖に抜けた台風で、不連続線が刺激され300o〜600oの降雨があり、台風通過後の7月2日〜3日にかけ再び不連続線が発達し、5日までにさらに300o〜400oの降雨があった。さらに5日13時〜15時にかけ特に木曽川中流部に再び降雨が集中し、桃山62o、読書73o、三留野72o、付知福岡108o、笠置73oの雨量を記録し、木曽川本川筋に洪水となり、犬山の水位は21時に5.76m(12,390m3/s)を示し、明治39年以来最大の出水となった。
(2) 昭和35年8月の出水 室戸岬に上陸して日本海に抜けた台風11号に続き、13日に12号が東海地方西部を通過し、日本海に抜けたが、台風通過とともに不連続線が中部山岳地帯に停滞し、降雨は14日明け方まで続いた。この雨量は、特に飛騨川流域と長良川流域に多く、総雨量300o〜480oに達した。このため木曽川は犬山で14時に最高水位3.50m(7,830m3/s)を観測し、下流各地点で警戒水位を上回った。
(3) 昭和36年6月の出水 梅雨前線の停滞で、23日頃から降り始めた雨は、26日に低気圧の影響を受け木曽川全流域に150o〜200oの日雨量をもたらした。27日に再び時間雨量20o〜30oの強雨が続き、木曽川は早朝から水位が増し、17時から21時にかけて犬山で最高水位4.60m(10,870m3/s)を記録した。
このような出水の記録に基づき、木曽川の基本高水流量を14,000m3/sとしていたが、昭和42年の改定により、流量16,000m3/sとされ、3,500m3/sを岩屋ダム、阿木川ダムなどの上流ダム群により、調節し、基準地点犬山における計画高水流量は12,500m3/sに改定された。
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◇ 4. 阿木川ダム建設の経過
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上記のように、阿木川ダム建設の背景には、中部圏の都市発展による都市用水等の供給と水害を減災する目的があった。そのダム建設の経過を次のように追ってみる。 阿木川ダム建設のあゆみ
昭和40年 水資源開発促進法に基づき木曽川水資源開発水系指定告示 42年 建設省、予備調査開始 44年 実施計画調査開始、阿木川ダム調査事務所開設 用地調査を開始し、46年に完了 48年 水資源開発公団に事業仮継承 49年 水源地域対策特別措置法のダム指定 51年 水資源開発公団に事業正式に継承 52年 補償基準発表 53年 指定ダムにかかわる水源地域整備計画の決定 岩村町小沢地区補償協定妥結 中津川市阿木地区補償協定妥結 迂回路道路(国道257号線)着工 54年 恵那市正家地区補償協定妥結 岩村町及び中津川市の公共補償妥結 木曽三川水源地対策基金による阿木川ダム事業計画の決定 56年 恵那市東野地区補償協定妥結 恵那市公共補償妥結 恵那漁業協同組合と漁業補償妥結 ダム本体着工、仮排水トンネル着工 58年 転流開始 本体盛立開始 59年 ダム洪水吐コンクリート打設開始 61年 ダム本体盛土開始 63年 ダム本体盛立完了 国道257号全線使用開始 平成元年 湛水開始 2年 法面対策、水質対策、周辺整備完了 3年 阿木川ダム完成 ダム管理開始
阿木川ダムは、昭和42年建設省の予備調査に始まり、水資源開発公団に事業が継承され、約23年間の歳月を経て完成した。ダム管理段階にはいり、すでに20数年が経ようとしている。
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◇ 5. 阿木川ダムの目的とその諸元
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阿木川ダムは、岐阜県恵那市で木曽川に合流する阿木川に建設された多目的ダムである。木曽川河口からおよそ110q上流に位置する。ダムは4つの目的をもっている。
@ 洪水調節 前述のように、木曽川の洪水調節は、基準地点犬山における基本高水流量16,000m3/sのうち3,500m3/sを岩屋ダム、味噌川ダムなどの上流ダム群により調節する計画であり、阿木川ダムでは、ダム地点における計画高水流量850m3/sを120m3/sに調節する計画となっている。阿木川ダムは、直下流に位置する恵那市はもちろん木曽川下流域を水害から守るため、洪水期の6月1日から10月15日の間はダムの貯水位を満水位より11.5m下げておき、ダムの総貯水容量4,800万m3の1/3に相当する1,600万m3を洪水調節を行うために確保する。 阿木川ダムの治水容量の考え方は、木曽川流域平均100年確率降雨を計画降雨とし、前記の昭和13年7月の洪水、昭和35年8月の洪水、昭和36年6月洪水の3つのタイプの計画洪水について、木曽川本川丸山ダムおよび基準地点犬山の2地点での調節効果を検討した結果である。木曽川基本高水の場合の阿木川ダム必要容量は、13年型で、1,270万m3、36年型で1,280万m3となり、2割の余裕を見込み1,600万m3とした。また、阿木川流域単独の集中豪雨のケースにおいて検討してみると、最大値は昭和33年8月洪水の1,590万m3となり、治水容量1,600万m3に収まる。
A 流水の正常な機能の維持 河川の正常な機能のために必要な水量として、水質保全、塩害防止、舟運、漁業、観光及び地下水の補給など総合的に考慮して決定される。木曽川の最下流基準点成戸において、維持流量50m3/sとなり、この成戸の維持流量を満たすために、阿木川ダム、味噌川ダムなどによりその容量を確保する。不特定用水計画としては、木曽川及び阿木川の流水の正常な機能の維持を図ること、及び用水の緊急補給のために必要な容量として、阿木川ダムにより、標高363.00m〜標高400.50mの容量のうち600万m3を利用して補給する。
B 水道用水の供給 阿木川ダムによって、水道用水1.902m3/sが新規に生み出され、その供給先は、岐阜県東濃地区(中津川市、恵那市、土岐市、多治見市、笠原町)に対し、最大0.8m3/sを、愛知用水地区に対し最大1.102m3/sをそれぞれ供給する。
C 工業用水の供給 阿木川ダムによって、工業用水最大2.098m3/sが新規に生み出され、愛知県愛知用水地区に供給される。 水道用水及び工業用水に対して、標高363.00m〜標高400.50mの間の容量のうち2,200万m3を利用して、併せて4.00m3/sを供給する。
これらの目的以外に、阿木川ダムの管理用水力発電設備は、ダムからの放流水最大4.7m3/s、有効落差66.98mを利用し、最大出力2,600kWの電力を発電し、この電力はダム管理用として使用するとともに、余った電力は電力会社に売電することにより、管理費用の削減を図っている。
続いて、阿木川ダムの諸元をみてみたい。 堤高101.5m、堤頂長362m、堤体積490万m3、堤頂標高417.5m、流域面積81.8km2、湛水面積1.58km2、利用水深49.0m、総貯水容量4,800万m3、有効貯水容量4,400万m3、堆砂容量400万m3、型式は中央土質しゃ水壁型ロックフィルダムである。起業者は水資源開発公団(現・水資源機構)、施工者は大林組・青木建設・大日本土木共同企業体である。事業費は1,066億円を要した。費用の負担は洪水調節50%、水道用水20%、工業用水30%となっている。
なお、主なる補償関係は、土地取得面積約254ha、補償水没戸数30戸(中津川市阿木地区13戸、岩村町飯羽間地区17戸)で、水没移転者は、中津川市、恵那市、岩村町などにそれぞれ移転している。公共補償は中津川市、恵那市、恵那郡岩村町の2市1町の林道新設、行政需要の増大に対する費用、特殊補償として漁業補償であった。
このほか関連事業として「水特法」の活用により、土地改良事業、道路等の整備事業41事業と「木曽三川基金」の活用により、土地改良事業、道路等の整備事業36事業が行政によって実施された。このことは用地交渉の進展に大きな役割を果した。
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◇ 6. 阿木川ダムの特徴
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阿木川ダムの型式は、昭和43年の予備調査の結果では、重力式コンクリートダムで設計がおこなわれたが、右岸のやせ尾根の風化、緩みが深いこと、左岸の厚い崖錘堆積物の分布などから、重力式コンクリートダムは困難となり、昭和47年ダム型式はロックフィルダムに変った。この場合地質的に右岸側に洪水吐を設けることは困難であるとの結論から、左岸側に洪水吐を設けた中央土質しゃ水壁型ロックフィルダムに決定した。
阿木川ダムの特徴は、設計面では、ダムとしては例の少ない非常用放流設備に転倒ゲート(フラップゲート)を採用したこと、施工面ではコンクリートの合理化施工として、1次仮締切にRCD工法、洪水吐の一部に拡張レヤー工法を用いたこと、さらにロック材の品質管理で「吸水率」による施工管理をとりいれたことなどが挙げられる。また、ダムの貯水池の機能と保全と活用および自然環境の面では、ダム貯水池末端に阿木川貯留ダム、岩村川貯留ダム、湯壺川貯留ダムの3つの貯留ダムを設け、粒子性栄養塩を沈降除去することにより、流入負荷の削減を図っていること、深層曝気、表層曝気、選択取水設備の設置、パイプライン等により水質対策をおこなっている。さらに、ダム湖地域は交通の便もよく豊かな自然が残されており、花無山公園、こぶし公園、中の島公園、阿木川湖パターゴルフ場が整備され、憩いの場となっている。
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◇ 7. 歴代所長の阿木川ダム建設の苦労
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この『阿木川ダム工事誌』に、歴代所長たちのダム建設に係わる想い出が掲載されている。そこから、ダム建設にかける真摯な対応と情熱がみえてくる。
河野 進(在職期間 昭和46年8月1日〜昭和50年2月15日) 「私が当ダムに赴任致しました時は、ダムの調査が全て中断され、ダムのタイプがコンクリートダムよりフィルダムに変更決定されましたので、地元にその変更理由の説明をしなければならない時でした。調査中断の地元の主張理由は、今迄コンクリートダムの調査については、全面的に協力して来たのであるから、以前から提出してある要望事項について、納得のいく回答をしてもらわなければ、今後の調査立入については、一切認められないという厳しいものでした。ダムタイプ変更理由の説明会は、何回となく行なわれ、特にダムの安全性について多くの熱気ある議論が行われ、我々は、その説明に全力を傾けたものでした。地元要望の主なものは、用水に関するものと、付替国道のルートに関するものであり、これらについて県並びに2市1町の関係者の方々と何十回となく説明会を開き、1日も早く調査再開を願う毎日でした。このダムは、昭和48年4月1日より、建設省より公団に継承されそれに伴って事務所体制を再構築しなければならなくなり、内外共に多難な時でした。このような時期でしたが関係各位の御指導御鞭撻及び地元の御協力によりまして、昭和49年9月にようやく調査立入り再開が地元に認められました。それから事務所は活気が漲り、当ダムは公団での第1号の水特法指定ダムとなり、その建設に向けて大きな一歩を踏み出すこととなり、感無量なものがありました。」 薮亀淳夫(在職期間 昭和50年2月16日〜昭和55年10月31日) 「昭和50年2月、赴任しましたが、当時、恵那市、中津川市、岩村町の2市1町とも、未だダム建設反対の旗印を降ろしていなかった時期でした。岩村町は、長年にわたる水没者の不安をおもんばかり、2市に先行して交渉を進めたい意向でしたが、ダム地点の恵那市では、東野在住者が、ダム建設に頑強に反対し、建設省の調査時代を通じ難航したものです。主としてダムの安全性についての主張でした。昭和51年6月、2市1町がやっと同じテーブルにつき、初めての連絡協議会の席上、皮肉にもアメリカのティートンダム決壊のニュースが伝わり、同じロックフィルダムであったため、蜂の巣をつついたような状況となりました。岐阜県は、地元県会議員、水資源課長などをふくめた調査団を現地に派遣し、報告会などを行って、日本のフィルダムの安全性を説いたのですが、なかなか納得されずこの時期日夜を分かたず、説明会を行いました。この種の一般市民への説明の難しさを痛感したことはまだ記憶に新しいものがあります。ともかく、岩村町の水没者の対応が先行し、昭和54年には岩村町、中津川市の公共補償が相次いで妥結したのですが、これには当時制定された水源地域対策特別措置法による移転家屋に対する利子補給、木曽三川基金に基づく地域整備事業の後押しがあったればこそだとおもいます。」
米澤卓志(在職期間 昭和55年11月1日〜昭和58年6月30日) 「赴任致しました時はダムの一般補償、公共補償、漁業補償が未解決で、何時ダム本体工事を発注するかの目途が立てられぬ状態でした。しかしながら、所内のダム本体工事発注への熱意の盛り上がりを感じる事ができ、……昭和56年3月末には全ての補償問題を解決すること出来ました。本体工事発注の翌年は工事出来高に比べて予算が足りず、本社と相談しながら、『施越し』、『借入金』などいろいろな方策を真剣に検討しましたが、幸いにも他事業所からの予算流用により急場を凌ぐことが出きました。」
阿部利雄(在職期間 昭和58年7月1日〜昭和63年5月31日) 「私が現地に赴任した時は、仮排水工の転流が3月に行われ、掘削が開始され、右岸洪水吐基礎で試験グラウト工が、基礎処理工事に先駆けて行われていた時でした。地元関係は良好で、木曽大滝地震時でも地元の理解が良く、工事を順調に進められたことは強く印象に残っています。昭和61年4月23日の定礎式は前夜までの土砂降りの雨も嘘のようで、当日は快晴の下で行うことが出来、いよいよ盛立ての最盛期を迎えることになりました。この間に思い出されることは、ダム建設調整費の制度が導入され工事が順調に進められたことです。しかし、赴任して2年目の59年の8月に事故が発生し、その後2回程生じましたが、幸い大きい事態にならずホッとしました。」
原 紀男(在職期間 昭和63年6月1日〜平成2年3月31日) 「私が在籍していた時の阿木川ダムは、本体の盛立工事は概成しており、残る工事は、湛水に向けての準備工事や管理設備の他ダム周辺の環境整備工事でした。当ダムが地域の観光の柱となるよう大きな期待が寄せられていました。この為、本体の設計、施工の段階からダム背面のリップラップ等景観の上から種々の配慮がなされていたのですが、何と言っても新しく出来るダムの水面そのものが“清澄な湖”であることが、地元の期待に答える不可欠の要件でした。水質対策工事は、かなり大規模なものですが、一部の工事は、殆ど経験したことがなかったため、設計、施工段階で色々と苦労させられたものです。悪戦苦闘の末、一連の工事はようやく湛水直前に完成し、貯水開始後からその施設は期待通りの効果を発揮し、きれいな湖が日増しに水深を深めながら美しい姿を表したときは感動したものです。」
このように、阿木川ダムは、調査立ち入り、補償交渉、ダムタイプにおける重力式コンクリートダムからロックフィル変更説明、その時に起こったティートンダムの事故の障害、そして予算不足、事故の発生など、それらを乗り越えて、平成3年3月に完成し、今ではダム湖周辺は人々の憩いの場となっている。
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[関連ダム]
阿木川ダム
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(2010年9月作成)
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[テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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(古賀 邦雄)
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