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ダムの書誌あれこれ(108)
〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会、ダムマイスター 01-014)です。

◆ 1. 大隅半島のようす

 鹿児島県の地勢は、薩摩、大隅の2大半島が主要部分を占める。その大隅地方は、九州本土最南端の佐多岬を含む大隅半島の総称である。鹿児島県下の総面積9,140km2のうち、2,100km2を占め23%の地積を有する。高隈山系は大隅半島の鹿児島湾沿いを、さらに半島の外洋に沿って、国見山系が北から南に走り急傾斜をなし太平洋に入っている。したがって、これらの山系と霧島火山脈の活動によって生じた豊富な火山群を骨格として、その周辺には火山噴出物であるシラス層の丘陵地帯が幅広く拡がり、県下の全域を覆っているため平野に乏しい。大隅地方は有明湾に注ぐ菱田川、肝属川、安楽川等が流れている。

◆ 2. 肝属川の流れ

 肝属川については、高橋 裕編『川の百科事典』(丸善・平成21年)に、次のように述べられている。

 「肝属川は源を鹿児島県高隅山地御岳(標高1,182m)に発し、肝属平野を貫流し志布志湾に注ぐ、流路延長34q、流域面積485km2の一級河川である。流域は山地が3割、平地が2割で、残りの約5割が畜産や畑作が盛んな笠野原台地である。流域の地質は、山間部が花崗岩・四万十層群で形成され、中下流部の大部分は、火山流出物のシラスが堆積している。気候は温暖多雨であり、年間降水量は約2,800oで大部分は台風期に集中している。1976(昭和51)年6月等の洪水を契機に洪水対策が実施されているが、2000(平成12)年には、鹿屋市街地を迂回するトンネル形式の鹿屋分水路(200m3/s)が整備された。水質については、環境基準をおおむね満足しているものの、九州内の河川と比較すると悪く、総窒素濃度等も高い状況が続いている。家庭雑排水や笠野原台地からの畜産排水等による汚濁がみられ、課題となっている。」

◆ 3. 笠野原台地の開発

 笠野原台地は、大隅半島の中央に位置し、鹿屋市、串良町、高山町の一市二町にまたがり、南北に16q、東西に12qあり、前述のように高隈山系に源をもつ鹿屋川と串良川に挟まれたテーブル状のシラス台地である。表面は黒色火山灰(黒土)で覆われ、その下は数十mのシラス層があり、北から南へ約百分の一勾配で、緩やかに傾斜し、面積約6,000haの広大な台地を形成している。笠野原台地は、保水性に乏しく、降雨があると流出してしまう火山灰土壌に加え、南国特有の集中豪雨と台風の常襲地帯であり、笠野原台地開発は水との闘いであった。その苦難開発の歴史を笠野原土地改良区のパンフレットから追ってみたい。

 台地に人が住み開発が始まったのは江戸時代からであったが、明治・大正になっても開発は進まず、荒地が多く、耕地は半分にも満たなかった。それは「水」がないためであり、井戸の深さは50m〜80mにも達し、水汲みの作業には多くの人手や牛の力を借り、井戸の無い人は遠くの川から水を運んだり、雨水を集めた「天水」を利用した。笠野原台地の開発が本格的に始まったのは、1920(大正9)年であった。鹿児島県は鹿屋に土地利用研究所(後の農業試験場鹿屋分場)を創り、笠野原に適した作物の研究を進めることにした。

 当時県会議員であった中原菊次郎をはじめ、小野勇市、森栄吉が中心となって、水道組合と耕地整理組合を創り、開発が始まった。「開拓のためにはまず飲料水を確保することが先決だ。」との考えから1925(大正14)年水道工事にとりかかった。工事のほとんどは人力で行われ1927(昭和2)年4月最初の給水が行われた。水道工事が終わり、飲み水の問題が解決され、今度は耕地整理が始まった。1区画3haに区切り碁盤の目のように道路を造り、1934(昭和9)年ごろまでに、約6,000haの耕地が開かれた。しかし、畑を潤すための水はまだ不十分であり、しかも、大部分が開拓会社(昭和産業株式会社)に買い占められ、土地は農民のものでなかった。また、戦時中は飛行場として軍用地となっていたが、戦後農地改革によって、農民の手に解放された。

 戦後の昭和22年、食糧不足を解決するため、笠野原畑かん事業の構想が出てきた。それは、高隈ダムを建設し、その水で台地を灌漑するというもので、その後、数年の調査が進められ、昭和30年に笠野原農業水利事業国営第一号として農林省に認定された。
 しかし、事業が進むなか、歴史に残る「反対運動」が起こった。まず、ダム建設による水没地区は当時204戸の人々が住み、田57ha、畑5ha、山林原野20haがあり、小学校もある静かな村であったが、ダム建設の話に対して、住民こぞって反対した。漸く理解し、住み慣れた土地をあとに各地移住したのは4、5年経ってからだった。また、水没地区だけでなく、受益地区でも当時「畑かんの事例」はなく、負担金などをめぐり、激しい反対運動が起こり、集落は分裂し、親子兄弟さえいがみ合う状況が続いた。しかし、何とか同意にこぎつけ、1960(昭和35)年、土地改良区を設立し、説得を続けながら、昭和40年に高隈ダムの建設に着工し、昭和42年に台地に通水がなされた。

 国営事業が終わったあと、昭和43年から県営・団体営事業の工事が始まり、総事業費85億円をかけて昭和55年にすべての工事が完成した。

◆ 4. 笠野原農業水利事業のあゆみ

 笠野原農業水利事業に伴う高隈ダム等の建設について、九州農政局笠野原農業水利事業所編・発行『かさのはら』(昭和44年)及びその事業パンフレットで追ってみたい。前述のように笠野原台地の開発については述べてみたが、改めて、年表で次のようにまとめる。

 昭和24年4月 九大野口、吉山教授人工地震による地盤調査
     8月 高隈ダム水没地区にダム対策委員会設置される
   26年4月 農林省において笠野原畑地灌漑事業として高隈ダム
        調査開始
   28年6月 串良地区において畑かん反対委員会結成、下小原
        公民館で大会を開催
     10月 高隈ダム対策委員会トラック宣伝車で村外に乗り出し
        ダム反対表明
   29年   農林省は笠野原農業水利事業計画書作成し提出
     9月 笠野原土地改良区設立連合準備委員会発足
   30年1月 高隈村鹿屋市に合併承認
        国営第一号として畑地灌漑事業採択


『かさのはら』
   32年1月 知事、市長水没者説得工作つづく、ダム反対デモをもって迎える
     4月 水没地区総会において測量承諾決議
     6月 県主催、畑かん先進地視察報告会を串良小学校で開催、むしろ旗林立
     9月 串良町の畑かん反対農民大会は町長のリコール運動に発展
        鹿屋市畑かん反対同盟結成(上祓川、東原)
   33年   鹿屋市競馬場にて1,000名反対派参集し銀輪デモ
        鹿屋市農林事務所に来た知事と反対同盟の対決は、800名のデモに包囲され、警察署長以下全員警戒にあたる
     5月 県笠野原畑かん推進事務局設置
   34年2月 笠野原事業所開設
     7月 大隅開発促進大会の出席の知事を反対派農民包囲して投石、武装警官出動
   35年11月 笠野原土地改良区を設立
   36年4月 水没地区民総会において満場一致で測量受諾
     9月 補償交渉開始
   37年8月 高隈ダム水没地区補償基準協定調印式
     11月 河野建設、重政農林両大臣列席のもとに起工式
   38年3月 水没地区解散式
   40年2月 高隈ダム定礎式
   42年3月 高隈ダム通水式
   43年11月 県営畑かん工事着工
   44年3月 笠野原農業水利事業完工

 このように、44年に約4,800haにて初めて本格的な営農が始まるが、笠野原農業水利事業の完工まで、デモなどによる事業反対運動の激しさが窺える。それを乗り越えての竣工であった。


◆ 5. 高隈ダムの諸元

 この事業は、肝属川水系串良川支川の高隈川の上流、鹿屋市高隈町下古園地点に、高隈ダム(大隅湖)を築造して1,393万m3を貯水し、これにより笠野原台地に導水して約4,800ha畑地灌漑を実施するとともに、集中豪雨から農地を守るために農地保全事業と、農道整備事業を総合的に施行し、最も近代的土地を整備し、生産性を高め、経済性の高い作目を計画的に導入して、台地農業の飛躍的発展を目的としたものである。高隈ダムの諸元は、次の通りである。

 型式は直線重力式コンクリートダム堤高47m、堤頂長136m、堤体積6.7万m3、堤頂標高160m、堤敷標高113m、流域面積38km2、満水面積104ha、満水位標高158m、利用水深15m、総貯水容量1,393万m3、有効貯水容量1,163万m3、計画取水量3.95m3/s、最大取水量3.32m3/sとなっている。起業者は農林省、施工者は三幸建設工業、総事業費は46.36億円を要した。なお、用地補償は、土地取得93.0ha、水没家屋204戸となっている。


◆ 6. 高隈ダムサイトの地質

 高隈ダムサイトは、高隈山塊の山稜部が高隈川を横断したシラス地点にあり、急峻な河谷を形成している。ダム地点の河谷の生成は、洪積世時代左岸台地内にあった旧高隈川が火山灰の堆積によって閉塞され、現位置の山稜低所に流路変更後浸食によって河谷を形成したものと推定されている。したがって、左岸台地内の旧高隈川が現位置に流路変更の間、池敷きは湖沼となった形跡を有している。ダムサイトの中生層の走行傾斜は20°〜60°と変化するが、この走行傾斜のため、右岸は差し目盤となり急傾斜の地形を示すのに対し、左岸は流れ盤となり、その傾斜方向が山腹斜面の方向と一致し走行断層破砕帯沿いにすべり易い。

 ダムサイト付近の中生層上部は火山灰土に接しているが、シラスに被覆される以前にかなり浸食、風化されたようで10〜20mにわたって風化が進行している。新鮮な中生層は砂岩粘板岩とも熱変成を受けて堅硬であるが、他の中生層に見られるように断層、割れ目に富み、ダムの基礎地盤としては好ましくない。亀裂の多い部分はかなり透水性が高い。断層の顕著なものとして、5本が数えられるが、いずれも破砕帯幅1.0m以内で部分的にある断層粘土の巾は10〜30p程度の小規模なものであった。

◆ 7. 高隈ダムのシラス対策工種

 高隈ダムの透水、貯水に対する問題として、3つの工種が必要と考えられた。

(1) 基盤山稜部の止水工
 ダム取付部より谷湧水点に連なる基盤山稜部はほぼ満水面以上に達しているが、区間中3ヵ所の低所が満水面下にあり、動水勾配が急なことより湧水、piping現象、滲出面の崩壊等危険が予想されるので、嶺部低所に部分的な止水工が必要である。

(2) 透水路末端の滲出面補強
 透水路末端として最も重要視される谷は、湧水により浸食されたシラス谷で、湧水位置の谷頭は崖面を形成し、ようやく平衡状態にあるが、透水により湧水が増加すれば再び崖面の浸食崩壊が進行するので崖面の安定工法を必要とする。

(3) 池敷左岸斜面の貯水による崩壊法面保護
 池敷左岸は殆んどシラスにより構成されているが、水中に没したシラスは摩擦力を失って崩壊し、水中の安息角が10°前後であることより貯水容積の著しい減少または崩壊地の補償問題が生じるので、法面の保護工を必要とする。

◆ 8. シラス対策工法

(1) 止水工(嶺部の補強)

@ 基盤標高が満水位下にある箇所
 コンクリート止水壁を設け、止水壁底部のグラウトホールより、風化岩に対しカーテングラウチングを併せて施工する。シラス層に対する止水工法としては他に薬液によるカーテングラウチング、イコス工法等を比較検討したが、地形、工費、確実性の点より、コンクリート止水壁案を採用。施工は地山の被りの厚い所についてはトンネル工法として3層に分けて下層より順次施工したが、地山の被りの薄い部分については、オープンカットによった。

A 基盤標高が満水位上にある箇所
 グラウトホールを設け風化岩中にグラウトカーテンを行ったが、孔長は透水テストにより10mと決定し、グラウトホールは止水壁部も含めてダム監査廊に連結させた。

(2) 透水末端工
 湧水のあるシラス崖面の安定工法としては、@シラス崖面に水抜坑を掘り、強制的に降下させる。A山留工により法面をおさえる。の2工法が考えられたが、施工の難易の点より、山留工法を採用し、施工した。

(3) 池敷法面保護工
 シラスは含水比の増加により急速にその摩擦力を消失することから、池水に飽和されたシラスは法面安定上致命的な欠陥を有すると考えられた。また、崩壊して池中に堆積した場合、貯水池の大幅な貯水量減少が懸念される。
 このことを勘案して、貯水池の対岸距離が長く、直接波浪の影響を受けると予想される、ダム地点付近400mについては法面保護を施工した。

◆ 9. 笠野原農業水利事業の完工によせて

 笠野原農業水利事業は昭和26年から紆余曲折を経て、昭和44年に完成し、笠野原台地を近代的な畑灌漑農業へ大きく変化させた。当時の関係者の声を前述の書『かさのはら』から辿ってみたい。

@ 木戸四夫・九州農政局長
 「当地域に、農業用ダムは皆無に等しく、地質的にシラス地帯のダムは不可能とされ、豊富な天与の降水量はすべて利用できなかったところに、当地方の農業振興を阻害する大きな要因があったものと思われます。本事業は昭和26年農林省が調査に着手して以来18年の歳月を要し、完成したものでありますが、工事はすべてシラスとの闘いであったと云えましょう。最近の技術の進歩に加え、土・水・人の和は、この事業に従事した多くの人たちの心の糧となり、よく難工事を征服し、台地に通水することができました。特に昭和42年西日本の旱魃に際しては、畑かんの効果をいかんなく発揮し、漸く農家の人々の注目を、あびることになったのは、今後の南九州畑作地帯開発に大きな夢と希望を与えたものと云えます。」

A 樋口 守・初代笠野原事業所長
 「事業実施時点における関係地域農家の賛成反対の対立は激しく、土地改良法に基づく諸手続き完了の可能性の見通しがつきかねる状況にあった。加えて、高隈ダム水没地の関係者は一致団結して、ダム設置反対を唱えており、私共の近づくすべもなかった。一方笠野原農業の現状は自然的、社会経済的立地条件の劣悪さから、甘藷、なたねという単純な作付形態であり、したがって農家の経済は貧困をきわめているにもかかわらず、積極的に営農改善に取り組む意欲を失い、いわばあきらめの農業であった。このような情況のもと、なお畑かん後の営農計画、配水方式、農産物市場の問題など未解決の事柄ばかりであったが、なんとしても笠野原台地に高隈川の水をあげることがさしあたっての問題であり、これが実現に情熱を傾けたのであります。」

B 塩田兼雄・鹿屋市長
 「昭和31年10月、私は時の市長永田良吉氏にこわれて鹿屋市助役に就任した。私が助役に就任して初めて与えられた仕事は、この畑かんの推進、なかんずく高隈ダム建設に伴う水没地区民の説得と補償問題であった。私は市長の補佐役として水没地区へしげしげと足を運ぶことになった。ある日、寺園知事、永田市長、北田串良町長が同道で乗り込み、地区民との話し合いの場がもたれた。ところが総出で、ムシロ旗を押し立てて柏木小学校に集まりデモをはじめた。中には焼酎をひっかけているものもあるので気勢は上がる。その勢いで会場に乗り込んできたのでたまらない。会場は知事、市長、町長にだけ椅子が用意され、あとは板の間に座るようになっていたが、それぞれが席に着くとすぐ「俺達は土下座し、貴様らだけ椅子にかけるとは何事だ」と罵声が飛んだ。こうした中で、野頭委員長が開会を宣し、永田市長が挨拶に立ったが、灰皿をなげるやら、悪口雑言を飛ばすやら、市長の話も聞き取れないぐらい騒然となった。それでも寺園知事の挨拶半ばごろには、疲れがみえたのか会場は静まり、どうやらこの会は進めることができた。
 一方、受益地区である笠野原台地では、一部農家によって強力な畑かん反対運動が展開されており、ムシロ旗を押し立てて市役所や農林省笠野原調査事務所に押し掛けたり、連日反対大会が開かれるという情勢のさ中であった。
 土地改良区の成立後、私は引き続き水没地区におもむき、反対委員会の小・中委員会にのぞみ折衝を試みた。昭和36年7月、ひとつの大きな転換期を迎えた。柏木小学校で開かれた総会で補償交渉にはいるという決定がなされたのである。」

C 西村 順・笠野原農業水利事業所長
 「今静かに目を閉じるとき走馬灯のように数々の出来事が思い出されます。赴任途中西鹿児島駅前におりたって桜島を背景に亜熱帯植物をみて、さすがに南国に来たという感激も、船に乗って垂水に上陸。今でこそ完全舗装された国道202号線も当初は激しい凸凹と急カーブ、そして晴天には特有の真っ黒な火山灰の土煙、ひとたび雨が降るとスリップして車は立ち往生。調査当時は衣食住ともに不自由な時期であっただけに合宿生活や交通機関は大変だっただろうと想像され、若い世代の人々には到底理解できないことだと思います。
 そして、台地を二分して賛成反対と底なしの激しい闘争の渦の中で計画を説明し、ダムの補償に日夜身の危険を冒して、東奔西走された方々の苦労は、今なお語り伝えられているとともに当時の緊迫した情勢が痛切に感じられます。」

◆ 10. おわりに

 高隈ダムの完成、さらに調整池(ファームポンド)が4ヵ所設置され、導水路からの水を一時貯めておき、送水時間に余裕を持たせている。1号調整池は導水路より約26m高いため、揚水機場からポンプであげる。地区外導水路は約8.5qあり、サイフォンを含むトンネル部分が5.5q、開渠部分が3qで、開渠部分では土砂や木の葉や枝などが入るので定期的に用水路の清掃を行っている。管水路は国営54q、県営70q、団体営556qあり、総延長680qもあり、また、排水路は大小11本、総延長81qあり、これらの管理に気を配っている。

 甘藷、なたねしか取れなかったような荒地であった笠野原台地は、高隈ダムで貯水した水が配水されるようになり甦った。春夏作物として稲、露地野菜、施設野菜、花き類、たばこ、飼料作物、秋冬作物として、麦、蕎麦、露地野菜、施設野菜、さらに永年作物として、茶、桑、果樹、花木、芝が収穫できるようになった。

 昭和42年、先人たちの、苦労の末にできあがった高隈ダムが通水を開始した。このときが笠野原台地の黎明の日であったと言える。寺園知事の揮毫による「黎明之碑」が静かに建っている。

[関連ダム]  高隈ダム
(2015年12月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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