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ダムの書誌あれこれ(86)
〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
◆ 1. 郡山市と大内宿のこと

 平成22年10月中旬、友人の車で福島県郡山の安積疏水、野口英世記念館、只見川田子倉ダム、阿賀野川水系の大川ダム、大内ダム、そして大内宿などを案内してもらった。ようやく、紅葉が色づき始めたころである。郡山市で驚いたことは、町中に久留米町1丁目から3丁目の町名があり、久留米公民館もあり、なおかつ水天宮まで遷座されていたことである。私は今、福岡県久留米市に住んでいる。ここには久留米の町が再現されていた。明治期、猪苗代湖から安積疏水による導水と安積台地の開拓に、旧久留米藩士森尾茂助ら142人が郡山へ移住し、苦難の上成し遂げた。そのことがここに歴史として検証できる。それは100年前のことである。

 もう一つ驚いたのは、野口英世記念館のあと、大内宿に行った時の、この宿の茅葺の佇まいである。地理的には奥羽山脈山中の1,000m級の山々にかこまれた658m前後にある小さな盆地の東端になる。その東側の崖下には阿賀野川水系小野川が南流する。江戸期、栃木県今市と城下町会津若松を結ぶ下野街道の脇街道として「半農半宿」の宿場であったという。丁度お昼時に着いた。山間に佇む南会津郡下郷町大内宿は、48軒の茅葺の寄棟造り民家が整然として並んでいる。多くの観光客で賑わっていた。48軒それぞれに蕎麦屋、お土産屋、民宿を営んでいる。ある蕎麦屋に入って、蕎麦を注文した。そのとき女将さんから聞いた話に大変な興味をおぼえた。

 私どもは、昭和56年ごろまでは、大変生活に困窮し、殆んどの人達が出稼ぎに行ってました。ある日、ここを訪れた武蔵美術大学の先生に、私達は、これからどう、生活していったら、良いでしょうかと、相談したところ、先生は、 「この大内宿をそのままの状態で遺しなさい」と言われた。

 それから、48軒はトタン葺から茅葺に変えて家の前の道路に、山からの自然水2本を導水し、清水路を造った。山々に囲まれた宿場は清らかな水と茅葺の家並みのバランスが良く、人々の心を安らげてくれる。江戸期の宿場町の再現である。小高いところから、宿場町を見下ろせば、イミテーションではない、江戸時代の宿場町そのものだ。

 年間100万人程の観光客が訪れる。「いまでは、苦しい出稼ぎに行くことはないんですよ」と、生活再建の喜びを話してくれた。昭和55年「下郷町伝統的建造物群保存地区保存条例」が制定され、翌年「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、伝統的な建造物そのものが重要な観光資源を構成している。これらの観光資源というより風土資源が多くの観光客を呼び、生活再建の大きな要素になっている。ここに佇むとき、ふと、ダム水没者の生活再建の様子がダブッてきた。生活再建とはこのことだ。住民の生活が持続して可能となることだ。大内宿の近接地に阿賀野川における大川ダムと大内ダムが建設されている。

◆ 2. 阿賀野川の流れ

 阿賀野川の流れについて、阿賀川史編集委員会編『阿賀川史−改修70年のあゆみ』 (阿賀川工事事務所・平成6年)に、次のように述べられている。
 阿賀野川は、新潟県を流れる下流部を阿賀野川、福島県を流れる上流部を阿賀川と呼び分けている。

 阿賀野川水系は、栃木・福島県境に位置する荒海山(標高1,580m)にその源を発し、福島県南西部の山岳地帯を北流し、田島盆地を経て、会津盆地に入る。会津盆地で山形県境の吾妻山系から水を集めた日橋川を合わせたのち、山科地先から再び山間部に入る。さらに山間部の山都町にて、福島・新潟・群馬県境の尾瀬沼に源を発し、峡谷部を流れ下る最大支川只見川を合流する。その後、福島・新潟県境の峡谷部を抜け、新潟平野に流れ出し、早出川などの支川を合流しながら、新潟県松ヶ崎において日本海に注ぐ。その流域面積は7,710km2、幹川流路延長210qに及ぶ。


『阿賀川史−改修70年のあゆみ』
 このような自然条件の阿賀川流域は、福島県北西部の会津地方全域を含め、福島県全域の約39%の面積を占め、福島県の全人口の約16%、33万9千人が同地域に居住している。また、想定氾濫区域内人口は約10万人で流域内人口の約30%を占めている。平地部には田島・会津・猪苗代盆地があり、宮川・大川(阿賀川)・日橋川等の豊富な水と扇状地特有の肥沃な土壌により、会津米の産地として古くから主要な水田地帯を形成している。この良質の水とおいしい米が、酒造りを育んでもいる。さらに近年は、木材工業や電子工業なども発展している。一方、山地が多い阿賀川流域は、森林資源も豊富で木材の搬出も盛んであり、この木材を利用して漆器類も生産されている。会津盆地のほぼ中央で阿賀川に合流する日橋川は、わが国第3位の面積を有する猪苗代湖をはじめ、吾妻山地を水源とする秋元・小野川・桧原湖があり、それらの湖を利用して早くから発電所が建設されている。

 最大支川である只見川は、奥羽脊梁山脈中にある1,665mの尾瀬沼に源を発し、その流域には群馬県と新潟県の一部も含まれる。この流域は多雪地帯として有名であり、融雪水が7月初旬頃まであり只見川の年間流出量の過半を占めている。この豊富な水量と落差を利用して、わが国屈指の水力発電地帯を形成しており、奥只見ダム、田子倉ダムをはじめ数多くの発電ダム群が階段状に立地している。こうした只見川流域は、山地が大部分を占めているため、平地に恵まれず、人口も少なく、林業が主な産業となっている。

◆ 3. 阿賀野川の水害

 近年における阿賀野川の水害状況を追ってみたい。

(1) 昭和31年7月14日(梅雨前線)
 日本海南部から東方海上にかけての梅雨前線が7月14日午後から17日の午前にかけて大雨をもたらした。総降雨量は200oを超えた所が多く、若松、猪苗代、喜多方、坂下、津川等既往最大を記録した。流出量は馬下で7,600m3/sと推定された。この洪水により、堤防決壊250m、護岸流失4,356m、護岸決壊1,845mの河川等被害があり、死者24名、負傷者9名、行方不明5名、家屋全壊・半壊・流失110戸、床上浸水5,929戸、床下浸水2,413戸の被害を受けた。

(2) 昭和33年9月18日(台風21号)
 台風21号は、阿賀野川流域で9月11日〜12日頃から小雨模様の天気が続き、地表が全般的に飽和に近い状態にあった18日、19日に50〜200oに及ぶ総降雨量があった。このため、馬越、宮古共、既往最高水位を上回り、馬越では4.65m、宮古では計画高水位5.19mに近い4.95mを記録した。山科では水位は既往第4位に相当する7.16mであるが流量は既往最大の3,276m3/sを記録した。
 この洪水により阿賀川は延べ360mの護岸が決壊し、死者3名、負傷者9名、行方不明3名、家屋全壊・半壊・流失80戸、床上浸水456戸、床下浸水3,365戸の被害を受けた。

(3) 昭和34年9月27日(台風15号)
 台風15号によって、阿賀野川流域では26日18時過ぎから降雨が激しくなり、27日4時まで降り続いた。総降雨量は阿賀川下流域50〜100o、日橋川流域50〜100o、只見川流域50〜120oであった。この雨により流出量は山科で2,080m3/sを記録し、阿賀川では6箇所で堤防が決壊し、被害延長は710mに及んだ。この洪水により、死者2名、負傷者10名、家屋全壊・半壊・流失339戸、田流失冠水470ha、畑流失冠水310haの被害が発生した。

 阿賀野川の洪水は、その後も、昭和35年7月14日梅雨前線、昭和36年8月5日台風10号、昭和41年9月25日台風26号、昭和44年8月12日梅雨前線によっておこり、阿賀野川流域に多大な被害を及ぼした。特に昭和30年代は毎年のように、梅雨前線、台風による被害を受けている。

◆ 4. 阿賀野川治水事業の変遷

 昔から、阿賀野川の洪水は起こっているが、その治水事業について、みてみたい。

@ 享保15年(1730)新発田藩により、阿賀野川下流部では松ヶ崎を分水路として、開削し、これを契機に信濃川から分離させた。
A 大正4年〜昭和8年新潟市周辺地区を洪水から防禦するため、馬下の計画高水流量を6,950m3/sとする改修計画に基づき、馬下から河口までの区間について、河道の整正と堤防を主体とする高水工事を施工した。
B 昭和22年から第二期改修工事を実施したが、昭和31年、昭和33年に計画高水流量を上回る大洪水があり、昭和38年計画高水流量を9,000m3/sとする計画を策定する。
C 大正8年上流部では、福島県が改修事業に着手したが、大正10年に直轄に移管され、山科における計画高水流量を4,260m3/sとする改修計画に基づき、袋原、土掘、泡の巻地区の捷水路掘削、築堤、護岸、水制等を施工し、湯川、宮川について放水路を開削した。
D 昭和29年山科における計画高水流量を4,300m3/sに改定し、日橋川の改修に着手した。
E 昭和41年馬下における計画高水流量を11,000m3/sとし、山科では、計画高水流量を4,300m3/sとする工事実施基本計画を策定した。この際に、基本高水ピーク流量5,000m3/sと策定し、4,300m3/sの差分を大川ダム建設により調節させることが決定した。
F 昭和60年氾濫区域内の人口・資産等の増大に対応し、治水安全度の向上を図るため、馬下における計画高水流量を13,000m3/s、山科における計画高水流量を4,800m3/sとする工事基本計画に改訂した。

 なお、河川水の利用については、現在、約50,000haに及ぶ灌漑用水、会津若松市、新潟市等への上水道用水、新潟東港臨海工業地帯への工業用水として利用、さらに豊富な水資源と有利な地形を利用し総最大出力約420万kWの発電が行なわれている。

◆ 5. 大川ダムの建設過程

 上記のように、昭和41年阿賀野川水系工事基本計画が策定され、右岸福島県会津若松市大戸町大字大川、左岸同県南会津郡下郷町大字小沼崎に位置する大川ダム(若郷湖)はこの基本計画に基づき建設された。大川ダムの洪水調節計画は、基本高水流量のうち山科地点で700m3/s、ダム地点で800m3/sを洪水調節することであった。昭和41年度より建設省(現・国土交通省)直轄として予備調査が開始され、昭和63年に完成した。大川ダム建設については、建設省北陸地方整備局阿賀川工事事務所・大川ダム管理支所編・発行『阿賀野川水系大川ダム』(昭和63年)により、その建設過程、目的、諸元等をみてみたい。

 大川ダムの建設過程について、伊藤宏美阿賀川工事事務所長は昭和62年10月20日の竣功式における工事報告で、次のように報告された。

@ 昭和41年度から予備的な調査に入り、ダム立地の可能性を探ったのち、当事務所が担当して、同46年に実施計画調査に着手しました。建設工事に着手したのは、その2年後の48年であります。また、本格的な工事に先立って、地元関係者のご協力のもとに昭和49年8月に損失補償基準を妥結調印しております。
A 昭和50年3月ダム本体工事を鹿島・大林大川ダム建設共同体と契約、同時に仮排水トンネル工事に着手。
B 翌51年9月29日には1次転流開始。この間、補償工事として国道121号、県道などの道路付替え、並びに、鉄道会津線の付替えなどをすすめており、このうち国道の第一期付替工事の完了を待って、52年11月に本体基礎掘削に着手、翌53年8月に完了。


『阿賀野川水系大川ダム』
C 昭和54年7月、本体の土台となるマット部に対して、セメントと水の量を少なくしてローラで締固める、RCDコンクリート打設開始。この直後の10月23日には定礎式を挙行し、ダム建設の安全を祈願しています。マット部は、実質9ヵ月で、昭和55年7月に全30万立方メートルの打設を完了し、いよいよ本体部に入ります。
D 本体部は通常のダムコンクリートを使用しており、まず、ケーブルクレーンと関連設備を据え付けた後、昼夜を分かたずコンクリート打設の進捗をはかり、昭和58年11月、90万立方メートルあるコンクリート部と10万立方メートルあるロックフィル部の盛立てを完了しました。
E この間には、放流設備も同時に施工し、12月には主放流設備であるコンジットゲート、翌59年11月には非常用放流設備であるクレストゲートの据付を完了しました。
F 昭和60年11月19日には、ダム本体および貯水池の安全を確保するため試験湛水を開始し、昭和61年4月には、標高391メートルの最高水位に到達せしめています。その後は水位を低下させ、工事中の管理体制に入っておりますが、すでに洪水や渇水などにおいても威力を発揮し、活躍しているところであります。
G この間、各種の観測と試験を実施して、ダム及び貯水池の安全を確認しております。更に、今後のダム管理に必要なゲート操作、情報伝達などにつきましても、万全の機電設備を備えて対処しております。これらにもとづき、昭和63年度からは本格的な管理体制に入ることになります。
H この度は、その他の関連する補償工事やダム周辺環境整備などの既成をもって、全工事の竣工した訳でございます。昭和46年にダム建設の第一歩を記して以来、17年の歳月と845億円の事業費をかけて、今日に至っております。


◆ 6. 大川ダムの目的

 大川ダムは、7つの目的をもつ多目的ダムである。前掲書『阿賀川史−改修70年のあゆみ』のなかに、次のように具体的に論じてある。なお、大川ダム容量配分は、洪水調節容量3,240万m3、維持用水容量210万m3、灌漑容量270万m3、都市用水容量130万m3、揚水式発電容量1,000万m3となっている。

(1) 洪水調節
 ダム地点の計画高水量3,400m3/sのうち、800m3/sの洪水調節を行う。大川ダムの洪水調節方式は、阿賀野川流量配分及び無害流量を考慮して、無害流量まで調節せず、無害流量から一定率調節とし、ピーク流量に達した時点より一定量放流とする方式を採用した。定率定量方式で最大800m3/sを調節し、阿賀野川上流部の山科基準地点の基本高水のピーク流量5,000m3/sを4,300m3/sに低減させる。
 平成14年10月に発生した台風21号は、10月1日15時〜24時、大川ダム地点で累加180oの集中豪雨を記録、ダム建設後、最大の流入量約2,420m3/sを記録した。このとき、約1,300万m3をダムに貯水し、下流の水位を約140p分下げ、会津盆地中央を流れる阿賀川の危険水位超過を未然に防ぐことができた。

(2) 流水の正常な機能の維持
 阿賀野川では、ダム建設に着手した時点では、流水の正常な機能を維持するための流量は正式には定まっていなかった。諸調査の結果、宮古地点での維持流量を2.5m3/sと設定した。支川宮川から0.5m3/s期待されるため、阿賀川では2.0m3/sを確保することとした。

(3) 灌漑用水
 阿賀野川沿岸の約4,400haの農地に対し、代かき期の最大19.7m3/sの灌漑用水の供給を行い、灌漑用水の安定的な確保を図る。

(4) 水道用水
 会津盆地内の阿賀川沿岸に位置する会津若松市、会津美里町、会津坂下町は、その水源を大部分を地下水に依存していたが、新たに水道用水27,500m3/日を大川ダムにより取水し、水道用水の安定的な供給を行なう。

(5) 工業用水
 会津精密工業団地の造成などに伴い、会津若松地区に対し、72,500m3/日(0.84m3/s)の工業用水を供給する。

(6) 揚水式発電
 大川ダム湖を下池、その上流に位置する支流小野川に電源開発(株)が建設した大内ダムを上池とする、揚水式発電所において、最大使用水量314m3/s、その間の落差約400mにより、下郷発電所で最大100万kWの発電を行なう。

(7) ダム式発電
 大川ダム下流右岸に設置した東北電力(株)のダム式大川発電所において、最大使用水量により、最大2万1千kWの発電を行なう。


◆ 7. 大川ダムの諸元

 このように、大川ダムは7つの目的で築造されたが、その諸元は次のとおりである。
 大川ダムの諸元は、堤高75.0m、堤頂長406.5m、堤頂幅6.0m、堤体積100万m3(内訳コンクリート90万m3、フィル10万m3)、集水面積825.6km2、貯水池面積1.9km2、総貯水容量5,750万m3、有効貯水容量4,450万m3、堆砂容量1,300万m3で、型式重力式コンクリートダム(マット)である。主な管理設備として、非常用洪水吐設備クレストゲート径間12.0m、扉高5.94m 半径9.0m 4門、主放流設備コンジットゲート水路径間5.0m 扉高5.6m 半径9.5m 5門、予備ゲート径間8.0m 扉高8.6m 2門、巻き上げ方式 自走式カントリークレーン方式 1基、低水放流設備主ゲートφ2,000o 1門 副ゲート径間1.8m 扉高1.8m 1門、選択取水設備 選択取水ゲート(シリンダー4段ゲート)no.1φ4.600m no.2φ3.850m 1門が設置されている。起業者は建設省(現・国土交通省)、施工者は鹿島建設、大林組で事業費は845億円を要した。建設費負担割合は、河川69.5%、灌漑5.2%、水道1.1%、工業用水2.1%、発電 電源開発(株)19.0%、東北電力(株)3.1%になっている。

 なお、主なる補償は、移転戸数70戸、非住家130棟、土地取得面積215.72ha、公共補償として、国鉄会津線延長5,825m、国道121号線、県道桑原停車場線などの付替えに補償工事、桑原公民館、桑原神社等には金銭補償を行った。特殊補償として、大川発電所廃止補償、南会東部非出資漁業組合等に漁業補償を行った。

◆ 8. 大川ダムの技術的特徴

 ダムサイトの地質は砂岩・頁岩及び流紋岩のため、ダムサイトの地形・地質条件には恵まれずそれを克服するために、新しい技術開発が必要とされた。このため調査段階においては、複雑な基礎岩盤の性状を正確に把握してダムの設計条件に的確に反映させるため、多様な試験方法を駆使するとともに、姿勢制御方式せん断試験という新しい方法が開発された。

 また、ダムタイプの選定においては、岩盤強度がコンクリートダムの基礎としては必ずしも十分なものでなかったのに対し、洪水処理の安全性、経済性等を総合的に考慮してフィルタイプではなくコンクリート重力タイプを基本とした。このためには岩盤の強度不足を補うため、堤体積の増大を防ぐことができるマット型式重力式を採用した。この型式は大規模ダムとしては初めてのものであった。

 このマット部は打設量30万m3、打設面積15,000m2に及ぶ大規模なものであり、かつ施工域がケーブルクレーンによる打設の困難な地形であったため、汎用機器の利用によるRCD工法を採用した。昭和51年当時、わが国においては本工法に未経験であったため、本体施工に先立って上流の仮締切りダムにおいて試験施工を行うことによって施工法の確立をはかった。これにより施工機械の開発、品質管理手法の導入等を伴った世界的にも例の少ないシステム的な取り組みによりマット部の合理化施工を成功させた。

 なお、これらの岩盤試験法やコンクリート施工法の開発に対する技術功績が高く評価され、土木学会技術賞を授与されている。

◆ 9. 大内ダムと下郷発電所

 下郷発電所は、大川ダムを下池とし、阿賀川の支流小野川の最上流部に電源開発(株)が建設した大内ダムを上池とし、この間で得られる有効落差を利用して、最大出力100万kWの発電を行なう純揚水式発電所である。

 昭和52年に工事に着手し、昭和63年4月に1、2号機(50万kW)、平成3年6月に3、4号機の運転をそれぞれ開始した。

 この発電所は、地下60mのところに長さ171m、高さ45.5m、幅22mの巨大な空洞を設けて、このなかに4台の発電電動機やポンプ車、その他の機器類を設置する地下発電所方式を採用している。

 発電時は、大内ダム左岸に設けた取水口より、最大314m3/sを取水し、内径5.7m、延長2.2qの円型圧力トンネル2条で導水し、調圧水槽及び水圧管路を経て、大川ダム左岸にある地下発電所(25万kW×4台)で発電を行なっている。そのあと放水路で大川ダムに放流する。また、深夜の電力需要の少ないときに、発電時とは反対に揚水運転をおこない、最大252m3/sの水を大川ダムより大内ダムにくみあげて貯留する。そして、この貯留した水を昼間の需要の多い時に発電運転で使用する。

 大内ダムの諸元は、堤高102m、堤頂長340m、堤体積445.9万m3、総貯水容量1,850万m3、有効貯水容量1,600万m3、型式ロックフィルダムである。

◆ 10. おわりに

 大川ダムの建設をふりかえってみると、補償関係では、移転家屋は70戸と多い移転者を抱えながら、約1年で補償基準の妥結が成されており、国、県、市町村のダム関係者と地権者の協力がスムーズに進んだ結果である。また、ダムサイトの地質に対し、マット部を設け、RCD工法での施工力は、素晴らしい。未知の設計施工に邁進する技術者達の労苦は大変なものだったと、推測される。

 最後に、大川ダムがダムの全て機能を発揮し、治水と利水と環境を取り込んだダムとして、特筆に値する。7つの目的を持ったダムは、稀有なダムである。特に国土交通省のダムで、揚水式発電を行なっているダムは、私が知る限りでは大川ダムと藤原ダムくらいである。

[関連ダム]  大川ダム  大内ダム
(2012年9月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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