これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。
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◆ 1. 米代川の水害
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ダム建設は、その河川流域に大水害をもたらしたことがきっかけで、施行されることが多い。
昭和47年7月9日、秋田県を流れる米代川一帯は、低気圧による戦後最大の大洪水に見舞われ、甚大な被害を被った。7月10日付の秋田魁新報には「米代川はんらん、能代に大被害 堤防決壊、流れる住家 豪雨全県を襲う 二ツ井中心部も水没」、7月27日付の同新報「豪雨被災者に税を減免 臨時県会開き可決 ダムの必要痛感 被災者に救援策を行なう」と報道された。このときの洪水流量は二ツ地点で6,800m3/sで、その被害は家屋の流出・倒壊等10,951戸、田畑浸水8,288ha、公共被害は822箇所、被害額135.6億円に及んだ。この大水害を機に、米代川の改修計画が見直され、併せて水害から流域の人々の生活を守るために、米代川水系阿仁川右支川小又川に森吉山ダムが計画された。
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その後の主なる洪水被害状況は、昭和55年4月6日融雪によって、洪水流量は二ツ井地点で5,155m3/s、家屋浸水610戸、公共施設964ヵ所、被害額49億円、平成5年7月28日温帯低気圧によって、洪水流量は二ツ井地点で2,604m3/s、家屋浸水35戸、耕地71ha、公共施設165ヵ所、被害額11.7億円、平成7年8月5日前線による洪水流量は、二ツ井地点で2,469m3/s、家屋浸水47戸、公共施設130ヵ所、被害額9.3億円に及んだ。
昭和47年の大水害から35年後、平成19年9月17日の前線の大雨で、米代川二ツ井地点では、洪水流量5,800m3/s、既往最高水位を記録した昭和47年7月洪水を上回る記録的な洪水となった。最高水位は計画水位より約68p上回った。二ツ井基準地点上流の流域平均雨量は177o(24時間雨量)を記録し、おおむね60年に一度程度発生しうる降雨現象だと想定された。被害状況は、北秋田市阿仁前田地区では、特に大被害を受けた。北秋田市及び能代市では、全壊5棟、半壊214棟、床上浸水215棟、床下浸水247棟、田畑浸水2,972ha、橋梁損壊3ヵ所、公共被害433件、被害額132億円に及んだ。恐らく、森吉山ダムが完成していたら、洪水は減災されたといわれる。
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また、米代川、阿仁川では、たびたび渇水による水不足が発生し、流域の人々の生活や産業に大きな影響を与えてきた。近年の渇水被害をみてみたい。
昭和48年7月23日から8月2日まで、能代市、鷹巣町において、給水車による給水を8,739戸に対し行った。農業用水施設の取水に支障をきたした。昭和53年8月2日から6日まで、能代市において給水車による給水を11,318戸に対し行った。昭和59年8月22日から23日まで、能代市において、給水車による給水を13,361戸に対し行った。
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◆ 2. 米代川の流れ
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米代川については、高橋裕編集委員長による『川の百科事典』(丸善・平成21年)を引くと、山本浩二は次のように述べている。 米代川
「米代川水系、長さ136q、流域面積4,100km2。秋田県北部、奥羽山脈の秋田、青森、岩手県の県境に位置する中岳(標高1,024m)に源を発し、中岳から南流する切通川、八幡平から北流する兄川などを集めて岩手県安代町を南下して、向きを西に変えて秋田県の花輪・大館・鷹巣盆地を貫流して、二ツ井町附近で阿仁川・藤琴川などを合流し、能代市街で日本海に注ぐ。能代市内の河口付近は能代川とも呼ばれている。 米代川上流域は、原生的なブナ天然林が世界的にも最大規模で分布し、世界自然遺産に1993年(平成5年)に登録された白神山地、十和田八幡平国立公園や4つの県立公園となっている。また、米代川上流域には、160の鉱山があり、一帯は天然秋田杉の宝庫であったことから、江戸時代には、大量に木材や鉱石を運搬する手段として舟運が発達した。江戸時代後期の紀行家である菅江真澄は、『菅江真澄遊覧記』に米代川流域の様子を図絵と文章で記した。米代川は天然アユが遡上することから全国的にアユ釣りのメッカとして有名で、「なべっこ」「鯱流し」などの伝統行事が行なわれている。米代川は藩政時代からいくたびとなく大規模な洪水に見舞われている。」
米代川の堤防整備状況は、平成20年5月時点において、全区間136qのうち、堤防が完成した区間64.1q(64.0%)、堤防が必要な区間36.1q(36%)、堤防整備の不要な区間35.8qとなっている。
現在完成している米代川水系の多目的ダムは、昭和29年完成の森吉ダム(目的FP・総貯水容量3,720万m3・有効貯水容量2,690万m3)、昭和42年萩形ダム(目的FNP・総貯水容量1,495万m3・有効貯水容量1,165万m3)、昭和46年素波里ダム(目的FNAP・総貯水容量4,250万m3・有効貯水容量3,950万m3)、昭和51年早口ダム(目的FP・総貯水容量655万m3・有効貯水容量505万m3)、平成3年山瀬ダム(目的FNWTP・総貯水容量1,290万m3・有効貯水容量1,090万m3)、平成22年砂子沢ダム(目的FNW・総貯水容量865万m3・有効貯水容量763万m3)等がある。
なお、米代川の流域人口は約22万8千人、流域市町村4市2町1村である。平成17年3月、「米代川水系河川整備計画」が策定され、洪水や渇水から人々の生活をまもること、併せて豊かな自然環境とその風土に培われた河川文化を継承することとなり、この整備計画のなかで、洪水による災害発生の軽減等を図るために森吉山ダムも位置付けられた。
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ダムの目的をみてみると、5つの目的を持っている。
@ 洪水調節 森吉山ダム地点に流れ込む2,300m3/s(計画高水流量)のうち、大部分の2,200m3/sをダムに貯留し、100m3/sだけ流し、下流の沿川の洪水被害を軽減する。これは、100年に一回発生するような規模の大雨に対応できる能力である。
A 流水の正常な機能の維持 おおむね10年に1回起こり得る渇水時においても、二ツ井地点で流水の正常な機能を維持するための流量42m3/sを確保する。
B 水道用水の供給 北秋田市には水道用水として地下水をポンプで汲み上げている地域があり、さらに生活様式の変化で、より多くの水を使うようになってきたため、新たな水源が必要となっており、それらの地域に水道用水を供給するための必要量を確保する。
C 灌漑用水の供給 「県営担い手育成畑地帯総合整備事業」として、北秋田市の大野台地区に計画されている約200haの畑地造成に必要な灌漑用水として、最大取水量0.145m3/s、年間総取水量793,100m3を供給するための必要量を確保する。
D 発電 ダムに貯めこめられた水の落差を利用してエネルギー資源の有効活用を図る。新設される森吉発電所によって、最大10,600kWの発電を行い、年間発生電力量50,132MWhを発電する。これは月平均約14,800世帯に供給できる電気に相当する。一世帯が月当たり約280kW使用するものとして換算した。
このように森吉山ダムは多目的ダムであるが、特に、洪水を防ぐための治水ダムとしてのウエイトが大きいことが理解できる。そのことは、有効貯水容量6,810万m3のうち洪水調節容量5,050万m3が74%も占めているからだ。
なお、起業者は国土交通省、施工者は大林組・間組・五洋建設、総事業費1,750億円であり、水没総面積360ha、水没農地面積160ha、水没等家屋移転200戸となっている。
ダム施工にあたっては、森吉山ダムエコダム検討会を設け、自然と調和した、環境に配慮したダムづくりが行なわれた。@昆虫を集めないルーバー付ナトリウム灯の設置。この照明灯は、光が周囲に拡散しない構造で、光源の波長が虫の誘導性を少なくする。A視界を考慮した高欄・防護柵の設置B周辺環境との調和を考慮した四し季き観み橋の構造デザインC原石山の法面や運搬路に、掘削などで流出する土砂を防止するために早期緑化D小又川転流時の魚の引越しは、渓流魚はダム建設現場から上流へ、稚魚などは比較的流れのゆるいダム下流へ放流E小動物に配慮した側溝の設置F貴重種イトトリゲモ、イトモの移植G地質調査用横坑におけるコウモリ類の引越しH現場発生伐採・伐根材のチップ化、堆肥化を行なった。
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◆ 4. 森吉山ダム建設の歩み
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昭和47年7月における大水害をきっかけとして、森吉山ダムは米代川水系阿仁川右支川小又川に、平成23年に完成の予定である。その森吉山ダムの建設をおってみる。その過程には、水没者及びその関係者、秋田県・北秋田市・国土交通省等の関係者の並々ならぬ苦労が伴ったことであろう。
昭和47年7月 米代川戦後最大の大洪水が発生 48年4月 阿仁川ダム調査事務所開設、実施計画調査に着手 49年7月 米代川改修計画策定 61年4月 阿仁川ダム工事事務所に改称、建設採択 62年4月 建設省所管事業に係わる環境影響評価を実施 63年2月 「森吉山ダムの建設に関する基本計画」告示 3月 水源地域対策特別措置法・ダム指定 4月 森吉山ダム工事事務所に改称 平成元年3月 下流工事用道路基本協定締結、工事着手 3年6月 森吉山ダム建設事業に伴う一般補償に関する協定の締結及び基準の妥結調印 4年1月 水源地域対策特別措置法・水源地域に指定 8年7月 全戸移転完了(貯水池・付替道路・貯水池上流 合計200戸) 12年6月 「森吉山ダムの建設に関する基本計画(変更)」告示 14年3月 ダム本体工事に着手 4月 米代川水系河川整備基本方針策定 5月 「森吉山ダム本体工事監理試行業務」を契約 9月 森吉山ダム広報館開所 15年11月 小又川を仮排水トンネルへ切替(転流) 17年3月 米代川水系河川整備計画の策定 5月 広報館来館者10万人達成 6月 森吉山ダム定礎式 18年10月 洪水吐きコンクリート打設完了 19年8月 堤体盛立完了 9月 S47年洪水から35年後、再び大洪水発生 11月 広報館来館者20万人達成 20年5月 付替道路全線開通 21年10月 ダム湖の名称・森吉四季美湖に決定 22年1月 試験湛水開始
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森吉山ダムは、平成23年には完成する。平成19年10月19日に森吉山ダム本体の盛立が完了したことを祝し、さわやかな秋晴れのもと、関係者や地元の小学生を始め、北秋田市民等180名が出席して盛立完了式が開催された。ダム本体は、平成16年7月から盛立工事が始まり、約3年の歳月をかけて、高さ89.9m、長さ786m、堤体積585万m3の巨大なフィルダムの堤体が完成した。
補償関係では、上記のように平成3年6月に、「森吉山ダム建設事業に伴う一般補償に関する協定」締結及び基準の妥結調印が行なわれ、その5年後、平成8年に貯水池、付替道路、貯水池上流における合計14集落、200戸の全戸移転が完了した。
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◆ 5. 移転する前の集落の様子
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ダム移転者にとっては、故郷は宝物である。やむなく故郷を離れざるを得ない心裡は、一般の人にはなかなか理解できない。二度と故郷には帰れないのだ。いくらかでも心の中に故郷のことを残したい。その記憶を記録した齋藤直右エ門他著『森吉山ダムのふるさと』(森吉山ダム工事事務所・平成14年)の書がある。また、「小又川紀行パンフレット」に、移転前の14集落200戸の人々の暮らしが、次のように神社を中心に美しい絵で綴られている。
(1) 桐内(きりない) ダム本体が建設される桐内は、阿仁銅山や前田に近かったことから、これらの地区と木材や木炭、農産物の流通などで結びつきが強かった。集落の祭神は天照大神(桐内神社)で、春と秋の2回盛大な祭典が行なわれた。移転時の戸数は18戸。
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『森吉山ダムのふるさと』 |
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(2) 桐内沢(きりないさわ) 棚田が山の斜面に整然と配置されていた桐内沢は、かつては森吉山への登山口として各地から登山者が訪れた。森吉小学校桐内沢分校(昭和55年閉校)での運動会は、住民がひとつになって大いに盛り上がった。集落の祭神は天照大神(桐内沢神明社)。移転時の戸数は17戸。
(3) 姫ケ岱(ひめがたい) 姫ヶ岱の地名は、「小さな台地」を意味する。小又川対岸に森林軌道が敷設されると、ガソリン車に乗るため、人々はワイヤーでできた吊り橋を渡って往来した。小さな集落だったので、農作業や行事・祭りごとは、様田集落と共同で行った。移転時の戸数は7戸。
(4) 様田(さまだ) 古くから岳詣り(森吉山登山)の登山口として知られ、小又川はここで大角(おおかど)、小角(こかど)と呼ばれる流域随一の美しい渓谷をつくっていた。隣接する向様田の住民とは、冠婚葬祭やさまざまな行事で互いに協力しあい、強い結びつきがあった。集落の祭神は薬師如来(様田薬師堂)。移転時の戸数は19戸。
(5) 向様田(むかいさまだ) 集落の背後には、かつて森吉地区が馬産地であったことから、草競馬を行なった「馬の運動場」があった。さらにその一段上に台地があり、そこで森吉小学校と地区青年団合同の運動会も行なわれた。集落の祭神は様田と同じ薬師如来(向様田薬師堂)。移転時の戸数は11戸。
(6) 惣瀬(そうせ) 開村当時は惣瀬沢の奥にあり、後に川岸近くに移ったといわれている。かつて森吉方面との往来には、小又川の浅瀬「羽子の渡り」を通ったものという。応神天皇を祭神とする惣瀬八幡神社境内にそびえる大イチョウは、集落のシンボルとなっていた。移転時の戸数は17戸。
(7) 森吉(もりよし)・天津場(あまつば) 移転集落の中でもっとも規模の大きい森吉は、藩政時代の開村当時から地域全体の要として中心的な役割を果たしてきた。正確には天津場集落と森吉集落からなり、戸数も人口も多い地域だけあって、森林軌道(ガソリン車)は上り下がりは必ず停車し、学校、保育所、郵便局、駐在所、診療所などの公共施設がそろっていた。不動明王を祭神とする森吉今木神社の祭典(4月28日)は、集落あげて盛大に行われた。移転時の戸数54戸。
(8) 鷲ノ瀬(わしのせ) 鷲ノ瀬の「鷲」は、小又川流域では表層雪崩を意味する。この地域一帯がワシの常襲地帯であったことが地名の由来といわれている。鷲ノ瀬橋上流の千畳敷は、景勝地としてしられていた。集落の背後の小高い丘に鷲ノ瀬神社があった。移転時の戸数は8戸。
(9) 砕渕(じゃきぶち) 砕渕の地名は、川が出尾根に当たって砕ける様子に由来したものとされている。その名の通り弧を描いて蛇行する小又川は、この附近の随所で水流が砕け散る峡谷となって流れていた。集落の祭神は応神天皇(砕渕八幡神社)。移転時の戸数は4戸。
(10) 深渡(ふかわたり) 川向に小又川第一発電所があったことから、発電所に勤務する住民が多く、他地区からやってきた発電所勤務者との交流も生まれた。深渡から先はダム湛水区域外となるため、集落のあったあたりはダム完成後も水没しない。集落の祭神は稲荷大明神(深渡稲荷神社)。移転時戸数は10戸。
(11) 小滝(こたき) 本校の森吉小学校から5.5キロ離れた小滝分校(昭和52年閉校)は、小滝のほか上流の女木内などを学区としていた。校庭が狭かったため、村をあげてのお祭りのような運動会は1キロ離れた新平衛岱(しんべえたい)で行なわれた。薬師如来を祀る小滝薬師堂(稲荷神社)があった。移転時の戸数は17戸。
(12) 湯ノ岱(ゆのたい) 昭和初期から奥羽無煙炭鉱と東北無煙炭鉱の2つの炭鉱が操業し、最盛期の昭和30年代には、鉱夫の住宅、小中学校、映画館、商店などが立ち並び、大変な賑わいをみせたこともあった。集落移転後も国民宿舎森吉山荘と杣(そま)温泉旅館が残っている。集落の祭神は少名ひ古那(すくなひこな)湯ノ岱神社。移転時の戸数は7戸。
(13) 平田(へいだ) 湯ノ岱のさらに上流にあり、昭和28年に完成した森吉ダムと太平湖に近く、森吉山ダム建設による移転時には、小又川流域でもっとも奥にある集落であった。集落の手前の高台に応神天皇を祀る平田八幡神社があった。移転時の戸数は6戸。
(14) 女木内(おなぎない) 集落附近を流れる小又川は、新緑や紅葉が美しい女木内渓谷となっていた。だが、いったん雪が降ると雪崩の危険を避けるため、夏の道と異なった冬道を作って通行するなど、住民は大変な苦労を強いられたものであった。集落の祭神は稲荷大明神(女木内稲荷神社)。移転時の戸数は5戸。
森吉山ダムによって、14の集落の人々は、故郷をあとにせざるを得なかった。どの集落も神を祀り、そして生活を営み、有一の楽しみの行事は、春祭り、秋祭り、運動会であった。これらの行事は集落の人々の強い絆を創ってきたといえる。
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◆ 6. 水没者の心境
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ダム水没者の揺れ動く心境の様子が、秋田魁新報社編『ダムに沈む「むら」森吉町森吉』(森吉山ダム工事事務所・平成4年写真576)に掲載されており、それを追ってみたい。
○ 「あと一年か二年でしょ。この子たちには、ふるさととの思い出をいっぱい作ってもらいたい。この通り手伝いのお父さん、お母さんも懸命なのです。」(学校田の稲刈り 森吉小 金新佐久教頭)
○ 「計画を聞いて、残存地域をそのまま残すことは無理と判断した。移転に当たっての条件闘争をおこなうための対策協議会だったが、水没地域の上流にある残存地域を移転対象に入れることが、当面の目標になった。ダム建設はそのものについては公共のためにということで、前向きにとらえざるをえなかった。」(森吉・石川作治町議会議長)
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『ダムに沈む「むら」森吉町森吉』 |
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○ 「正直に言って、下流のためになぜオレたちがこの土地を離れなければならないのか、という気持ちはあった。自分たちの生活の中でダムの必要を感じていなかったわけだから。」(様田・庄司徳之蔵)そして、ダム建設反対運動の先頭に立って旗を振った。しかし、反対の旗を振り続けることは大変だった。反対の立場の人たちは、「郷土を守る会」を組織し、条件闘争に移行した。
○ 「若いモンがみんなむらを出てしまった。ダムができなくたって、このままではあと十年か十五年すれば、ここはだれもいなくなってしまう。先祖からもらった土地をダムに沈めるのは並大抵のつらさではないが、時流はそんなことを一切飲み込んでしまう。」(鷲ノ瀬・石川作治郎)
○ 「鷹巣町に土地はある。もう二十年も前に買ったもの。雪にうんざりしているから、ここではもう一冬越したくない。年も年だし、これからは何にも楽しいことはないと思っていた。でも考えようによっては、ダムができることで新しい一歩が踏み出せるかもしれない。」(姫ケ岱・庄司与次郎)
○ 「ダム建設とはいえ、古里がなくなってしまうのは本当に寂しい。おれたちはここで生まれ、育った。想い出がいっぱいあるんだから。」(桐内・湧坪鶴信)
○ 「熊手を振るっていたのは二女の恵子さん。千葉県松戸市に住んでいるのだが、育った家を壊すというので駆けつけた。思い出がいっぱい詰まった家が無くなった。」そう言って煙に目をしばたきながら、板切れを火に放り続けた。」(桐内沢・奥山梅冶)
○ 「まちに住んで生活は便利になるだろうが、四百年続いたこの家の歴史を断ち切るのがつらくて。先に越した人たちがみんな言う。引っ越しても自分の家のような気がしないって。」(惣瀬・吉田栄蔵)
平成8年には、森吉山ダムに係わる水没等移転家屋200戸は、全て移転を完了している。
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◆ 7. おわりに
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前掲書『ダムに沈む「むら」森吉町森吉』を読みながら、水没者の望郷の念は尽きない。
「ダム建設とはいえ、古里がなくなってしまうのは本当に寂しい。おれたちはここで生まれ、育った。思い出がいっぱいあるんだから。」「先祖からもらった土地をダムに沈めるのは並大抵のつらさではない。」これらの心情には心が打たれる。「年も年だし、これからは何にも楽しいことはないと思っていた。でも考えようによっては、ダムができることで新しい一歩が踏み出せるかもしれない。」この姫ケ岱集落の庄司与次郎さんの前向きな生き方に救われる。
平成21年10月27日ダム湖名称選定委員会が開かれ、ダム湖の名称を「森吉四季美湖(もりよししきみこ)」に決定した。地名である「森吉」と四季折々の美しい湖をイメージとされたからである。森吉四季美湖周辺は、森吉山県立自然公園など手つかずの自然が多く残され、新緑や紅葉などの時季には、湖と調和した新たな安らぎの憩いの場を与えてくれることとなる。
最後に、米代川、森吉山ダムに関する書を掲げる。森吉山ダム工事事務所では、森吉山ダム建設にあたって、森吉町の暮らしや歴史、自然、文化などを記録し、保存するために次のような書を刊行した。
・能代工事事務所編・発行『米代川ガイドブック』(平成12年) ・川村公一著『米代川−その治水・利水の歴史』(森吉山ダム工事事務所・平成6年) ・宮腰喜久治・絵『母と子の絵本ものがたり 阿仁川のたび』 (森吉山ダム工事事務所・平成7年) ・森吉山ダム工事事務所発行『阿仁川流域の手しごと』(平成9年) ・同発行『阿仁川流域の郷土料理』(平成10年) ・川村公一編・著『森吉路−過去から未来へ』(森吉山ダム工事事務所・平成5年) ・藤原優太郎編著『森吉山麓風土記−ブナとモロビの里』(森吉山ダム工事事務所・平成5年) ・無明舎出版編『写真記録 森吉山麓の生活誌』(森吉山ダム工事事務所・平成6年) ・森吉山ダム工事事務所発行『森吉山麓 菅江真澄の旅』(平成11年)
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[関連ダム]
森吉山ダム
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(2012年6月作成)
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[テ] ダムの書誌あれこれ(40)〜青森県のダム〔中〕(浅瀬石川、浪岡、小泊、下湯)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(41)〜青森県のダム〔下〕(浅虫、川内、天間、世増)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(42)〜山形県のダム〔上〕(白川、長井、前川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(43)〜山形県のダム〔中〕(蔵王、寒河江、白水川、新鶴子、神室、田沢川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(44)〜山形県のダム〔下〕(月光川、荒沢、月山、温海川、横川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(45)〜千葉県のダム〔上〕(山倉、高滝、亀山)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(46)〜千葉県のダム〔中〕(片倉、郡、矢那川、保台、山内)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(47)〜千葉県のダム〔下〕(印旛沼開発、利根川河口堰、東金、長柄)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(48)〜ダムの事典、ダムの紀行〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(49)〜ダムの切手、ダムの話、緑のダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(50)〜ダムの景観〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(51)〜ダム湖の生態〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(52)〜ダムの堆砂〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(53)〜茨城県のダム(飯田・花貫・小山・緒川)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(54)〜矢作川のダム(矢作・雨山・木瀬)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(55)〜埼玉県荒川のダム (上)(二瀬・有間)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(56)〜埼玉県荒川のダム (下)(浦山・合角・滝沢)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(57)〜長崎県のダム (上)(本河内高部/低部・土師野尾・萱瀬再開発)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(58)〜長崎県のダム (下)(相当・川谷・下の原再開発)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(59)〜熊本県のダム (上)(竜門ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(60)〜熊本県のダム (下)(石打・上津浦・緑川・市房)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(61)〜鬼怒川のダム (上)(五十里・川俣)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(102)〜筑後川・筑後大堰〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
[テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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(古賀 邦雄)
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