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ダムの書誌あれこれ(102)
〜筑後川・筑後大堰〜

 これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事を一部修正して転載したものです。著者は、古賀邦雄氏(水・河川・湖沼関係文献研究会)です。

◆ 1. 筑後川の流れ

 筑後川流域をぶらぶら歩くと様々なデザインの下水道のマンホールの蓋に出くわす。そのマンホールの蓋には、必ず市町村のシンボルが刻まれており、歴史と文化の一端を垣間見ることができる。例えば筑後川上流の水郷大分県日田市のマンホールは、豊臣時代に長良川から伝わったという「鵜飼」が描かれている。下って中流朝倉市は、江戸期に築造された山田井堰から取水する堀川の三連水車が刻まれ、田主丸町では芥川賞作家火野葦平が愛した「河童」の姿がほほえましく、至る所に河童の像が建立されている。久留米市ではマンホールの中央に耳納連山と筑後川、そして久留米ツツジが描かれ、また、佐賀市内に入ると、有明海に生息する「ムツゴロウ」が愛嬌をふりまいて旅人を歓迎してくれる。なお、久留米市は筑後川の中流域の30万人の人口を擁する中核都市である。産業は主にゴム製品が生産され、ブリジストン・タイヤやアサヒ靴などが有名である。


 筑後川の流れを追ってみたい。
 筑後川は、九重連山及び阿蘇外輪山を水源に、林業の盛んな山間部及び温泉地帯を流下し、水郷大分県日田市に入り、夜明峡谷を通過し、福岡県久留米市、朝倉市等を流れ、肥沃な筑紫平野を形成し、佐賀市から早津江川を分流し有明海に注ぐ幹川流路延長143q、流域面積2,860km2の九州最大の大河である。筑後川が流入する有明海は、干満の差6mに及ぶ内湾であり、ノリの養殖をはじめ、ムツゴロウやマテ貝等多くの水産資源に恵まれる宝の海と呼ばれている。有明海のノリ養殖は日本一の生産高を誇り、冬期晴天が続くと極端に栄養濃度が低下し、ノリの色落ち被害が発生する。筑後川では、このような場合、現在では、上流の下しも筌うけダム、松原ダムから放流し、有明海に流入する栄養塩類を増加させる効果をあげている。

 筑後川の特徴は、藩境、県境の川である。江戸期までは上流から日田天領、黒田藩、有馬藩、立花藩、そして鍋島藩を流れる。現在では熊本県、大分県、福岡県、佐賀県の県境を流れる河川であるため、それぞれの藩・県の利益と損失での争いが続いてきた。


 また、筑後川の下流域は、感潮河川で塩水を含んだ水が上げ潮の時は逆流し、その上げ潮にのってきた淡水(アオ)を農業用水として、長らく利用してきたが、筑後大堰の建設によって、アオ取水が合口された。それに感潮河川・汽水域では珍しいエツなども生息する。前述のように、筑後川の流量は有明海のノリ業と密接に関係しており、この流量をめぐって筑後大堰の建設時に、ノリ生産者即ち福岡県有明海漁業協同組合、佐賀県有明海漁業協同組合との激しい利害関係が生じ、大紛争がおこった。

 また、筑後川のもう一つの特徴と言えば、筑後川中流域の湿地帯に、中間宿主宮みや入いり貝がいをつうじて皮膚から感染する日本住血吸虫病(にほんじゅうけつきゅうちゅうびょう)という風土病が地域の住民を悩ましていたことである。この対策として、戦後本格的に、薬の散布や溝渠の三面張コンクリート水路などを築造し、宮入貝の撲滅を図ってきたが、この病気が筑後大堰からの導水によって、福岡都市圏などに拡がるのではないかと懸念された。この宮入貝の撲滅対策については、後述する。

◆ 2. 筑後大堰の建設


『筑後大堰工事誌』

『筑後大堰写真集』
 筑後大堰は、昭和60年3月、筑後川河口から上流23q地点に完成した。右岸は佐賀県三養基郡みやき町大字江口、左岸は福岡県久留米市安武町大字竹島に位置する。この瀬ノ下地点は、佐賀県側の背振山と福岡県側の耳納山の裾野が、両側から延びて狭窄部となっているところで、感潮域上限域でもあり、筑後川水系の水資源開発の「要」となっている。河口23qの大堰建設後はこの地点までしか潮が上がってこなくなった。

 堰の型式は可動堰、堤高6.4m、総延長約501m、流域面積2,315km2、湛水面積136ha、門の主ゲートのほか閘門(舟通し)1門と魚道2箇所を設置。河道整備工事として、低水護岸左右両岸合計14q、浚渫・計画河床までの掘削と上鶴床固めの撤去、高水敷造成、金丸川付替工、舟着場工などを行った。大堰の貯水域は上流の小森野床固め及び宝満川の下野堰までで、総貯水容量は550万m3、有効貯水容量93万m3である。起業者は水資源開発公団(現・水資源機構)、施工者は大成・鹿島建設で、事業費は342.93億円を要した。主なる補償は土地取得面積約4ha、漁業補償9件である。


◆ 3. 筑後大堰事業の目的

 筑後大堰は治水と利水にかかわる次のような目的を持っている。

(1) 治水
 筑後大堰の設置により、既設固定堰上鶴堰を撤去するとともに、河道拡幅(低水護岸と高水敷整備)、浚渫を行い、河道の洪水疎通能力の増大と河床の安定を図るとともに筑後川下流部における塩害の防除及び既得灌漑用水の取水位の安定を図るものである。

(2) 都市用水
 筑後大堰の設置により、低水部に93万m3を貯水することにより、開発された水0.35m3/sを福岡地区水道企業団(0.076m3/s)、福岡県南水道企業団(0.157m3/s)および佐賀東部水道企業団(0.117m3/s)の都市用水の取水を可能にする。
 また、上流部に建設された江川ダム、寺内ダム、合所ダムで開発された都市用水合計4.128m3/s(福岡県南地区水道企業団(1.995m3/s)、佐賀県基山町(0.093m3/s)、福岡県南広域水道企業団(0.929m3/s)、佐賀東部水道企業団(0.972m3/s)および佐賀県鳥栖市(0.139m3/s))を取水する。

(3) 農業用水の取水安定
 筑後川下流域の農業用水は淡水(アオ)取水で行われていたが、この淡水取水の合理化を図り、筑後大堰の湛水区域から安定取水できるように行い、筑後揚水機場から最大13.54m3/sを導水し、灌漑面積15,030haを潤し、一方佐賀揚水機場からは最大18.60m3/sを導水し、13,330haの農地を潤す。

(4) 塩害の防止
 有明海は、潮の干満差が日本一で、一番大きいところで干満の差が6mに及ぶことがあり、筑後大堰によって、塩分の無い水が取水できる。




◆ 4. 筑後大堰の工事経過

 筑後大堰建設地点の河川幅は低水路約200mを含め500mで、低水路を約60m拡幅して5門の水門と1門の閘門を設置し、可動部261mの堰を築造した。堰工事は河川を横断して建設するため、洪水期を避ける必要があり、筑後川の非出水期である10月から翌年の5月までに施工した。工期を3期(非出水期の3ヵ年)に分けて行い、工事は、鋼矢板に二重の仮締切を行い、ドライワークで堰本体の築造やゲート据え付け、さらに橋梁架設を行った。

(1) 1期工事(昭和55年12月〜56年9月)
 1期工事は、工期が短いため左右岸同時着工とし、右岸側は必要最小限の施工範囲にとどめ、橋脚、堰柱、取付擁壁と魚道の一部を施工し、5月末までに仮締切を撤去した。
 左岸側は、高水敷の高さが右岸に比べ約2m高く、過去数年間の出水にも冠水したことがないので、その高さに合わせて仮締切を行い、通年にわたって、閘門、魚道、取付擁壁、橋脚、金丸川出口部を施工した。

(2) 2期工事(昭和56年10月〜57年5月)
 2期工事は、左岸側から仮締切を行い、1期工事の橋脚などの残工事を完成させるとともに、左岸堰柱2基、左右岸橋台2基を施工し、引き続きゲート2門(制水ゲート、調節ゲート各1門)の据え付けを行った。
 この他、左岸側管理橋5径間の架設を行った。さらに、施工の完了した水叩き上部に設けられる3期工事の仮締切の組み立てを行い、流心方向の仮締切を残して5月までに完了した。

(3) 3期工事(昭和57年10月〜58年5月)
 3期工事は、右岸側から仮締切を行い、右岸堰柱2基と1期工事の残工事を完成させ、引き続きゲート3門(制水ゲート2門、調節ゲート1門)の据え付け、管理橋5径間の架設を施工した。この他、左右岸の取付道路、高水護岸、高水敷保護工などの工事を完成させるとともに、河道内の浚渫を行い堰本体の工事を完了した。

(4) 河道整備工事
 堰の上下流、左右岸合わせて約14qの低水護岸、高水敷保護工、および河道の浚渫工事を昭和53年から昭和59年にかけて施工。また、上鶴床固めの撤去は既得利水に支障がでるので、ゲート操作が可能となった昭和59年1月から実施し、河道の洪水疎通能力を高めた。筑後大堰は昭和60年3月31日に建設事業を完了し、管理段階に入った。






◆ 5. 筑後大堰建設に伴う流量問題

 昭和30年代後半からの経済成長に伴い、人口、産業の急激な都市集中が進んだ。一方農業の近代化が図られるようになってきた。筑後川は北部九州の地域開発の基盤として、自然環境と立地条件の優位性が見直され、筑後川総合開発が叫ばれるようになった。筑後大堰は筑後川総合開発の一環として、前述したように現況6,000m3/s程度の洪水疏通能力を9,000m3/sに増大することと、筑後大堰貯水池内から、水道用水、農業用水の安定的な取水を可能とする目的として、昭和49年8月に調査所を発足し、紆余曲折を経て、昭和60年3月に完成した。

 この間、福岡都市圏は昭和53年5月〜54年3月までの長きにわたって、「福岡砂漠」と呼ばれる異常渇水のために、福岡都市圏では給水制限が実施され、筑後大堰の建設は急務であった。福岡大渇水は熊本県等から給水車によって続々と水が運ばれてきた。当時、福岡大渇水と筑後大堰の建設関連について社会的な問題として、大々的にマスコミに報じられた。

 この筑後大堰建設の最大の争点は、筑後川水系の水資源開発と水産業、特にノリ業との関係で、ノリ養殖を円滑に行うための不特定用水の確保と開発基準流量の決定であった。この流量問題については、なかなか了解点に達せず、協議が続き、昭和54年4月18日未解決のまま本体着工が成されようとしたが、漁民によって現地にて反対阻止闘争が強行されて、工事は中止となった。

 その後昭和55年9月12日、福岡県選出稲富稜人、佐賀県選出三池信の両代議士などの斡旋により、合意がなされた。不特定用水は上流下筌ダム、松原ダムで確保し、流量については、筑後大堰直下地点流量40m3/s以下の時は貯留、取水しないことで漁業協同組合からの着工の了解が得られた。昭和55年12月24日「筑後大堰建設事業に関する基本協定書」が締結、同年12月25日大堰本体工事が着工され、昭和58年5月31日大堰本体が完成した。同年9月28日不特定用水を確保する下筌ダム、松原ダムの再開発事業も竣工し、昭和60年3月に筑後大堰事業は完了し、4月から管理を開始した。

◆ 6. 筑後大堰建設の反対闘争

 有明海漁民が、激しい大堰の建設反対闘争を行った経過について、日本農民新聞社編・発行『まもろう有明の海』(昭和54年)に、次のように掲載されている。


『まもろう有明の海』

 昭和54年4月18日水資源開発公団は、本体工事を開始したが、漁民は猛然と実力阻止行動に立ちあがった。漁民の抗議行動は、まず午前4時過ぎ現地にぞくぞくと集結し、くい打ち作業に対する阻止闘争から始まった。漁民は「大堰建設絶対反対」、「漁民を殺すな」などのプラカード、横断幕をもって、即刻作業をやめるよう要求し、作業員を追い返した。8時過ぎ作業員が再びくい打ちをやろうと現場に現れたが、1本も打たせず追いやった。2度目のくい打ちのとき、西原恒雄大堰建設所長をトラックの荷台にあげて集団抗議交渉を行った。

 その後、田中茂佐賀県漁連、西田清福岡漁連の両会長は、副島健水資源開発公団筑後川開発局長にも同様な集団抗議を行った。さらに漁民は佐賀県宮ア副知事を現地に呼び出し、工事中止を公団に申し入れるように求めた。漁民の激しい追及に宮ア善吾副知事は着工中止の要請文を副島局長に手渡し、工事の中止に至った。
 工事中止を約束させた漁民は、この日はその一部がいったん引き揚げたが、再度の強行着工に備えていつでも動員体制をとれるようにし、また300人が現地にテントを張って連日の監視をつづけ、20日以降は福岡県の漁民も交代で現地に張り付き監視を進めた。

◆ 7. 流量問題の解決

 漁民の激しい抗議を受けて工事は中断されたが、流量問題についてはその後協議が重ねられ、前述のように、福岡県選出の稲富稜人、佐賀県選出の三池信の両代議士の斡旋などを経て、次のような基本協定書が締結され、流量問題は漸く解決した。

「筑後大堰建設事業に関する基本協定書」
 筑後川の水資源開発に当たっては、流域優先、水源地域への配慮、既得水利の尊重及び水産業特にノリ漁業への配慮を基本として行うが筑後大堰建設事業の着工に当たり、下記事項を確認し、相互に責任をもって、事業の円滑な推進を図るものとする。

1. ノリ期における新規利水の貯留及び取水は、筑後大堰直下地点流量が40m3/s以下のときは、行わない。
2. ノリ期における操作運用による流量は、瀬ノ下地点月平均45m3/sとする。
3. 松原・下筌ダム再開発事業によって得られる容量2,500万m3の水量は、大堰直下の流量が40m3/s以下になった場合に補充に充当するものとし、その操作運用は、この水量を最も効果的に使用するものとする。また、今後さらに不特定容量を確保するよう努める。
    以下、略
                      昭和55年12月24日
    九州地方建設局長    瀬戸内 充
    水資源開発公団筑後川開発局長
                副島  健
    福岡県知事       亀井  光
    佐賀県知事       香月 熊雄
    福岡県有明海漁業協同組合連合会会長
                江上辰之助
    佐賀県有明海漁業協同組合連合会会長
                田中  茂
  立会人 福岡県選出関係国会議員代表
                稲富 稜人
      佐賀県選出関係国会議員代表
                三池  信

 このように、筑後大堰の建設の最大のネックであった流量問題は、 「ノリ期における新規利水の貯留及び取水は、筑後大堰直下地点流量が40m3/s以下の時は、行わない」ことで決着した。

 このことで長期にわたった筑後川における流量問題は漸く解決がなされた。この条項の取り決めによって建設が進捗し、さらに漁業補償交渉解決の動力源になった。


◆ 8. 筑後川と日本住血吸虫病

 筑後大堰建設を機に、筑後川流域における日本住血吸虫病の絶滅が図られた。

 日本住血吸虫病とは、筑後川沿いの湿地帯で、農作業や水泳や魚取りをする人が、中間宿主の宮入貝を通じ、水中に浮かんでいる寄生虫が皮膚に侵入し、感染する病気である。感染すると、血流に乗って体内を循環して肝臓まで至る。先ず発熱、下痢、そして腹水、肝硬変、肝肥大を起こし、末期症状は腹が極端に肥大する。大正2年吸虫病の起因は中間宿主の宮入貝である事を解明したのが、九州帝国大学の宮入慶之助氏と鈴木稔氏であった。このため宮入貝の撲滅を図れば、この寄生虫病は絶滅できることが解った。


 戦後になって、本格的な撲滅に向けて動きだし、昭和31年に「福岡県日本住血吸虫撲滅対策審議会」が設置され、佐賀県も市・町単位で対策協議会が設置された。昭和41年にはこれらの組織に、水資源開発公団(現・水資源機構)と久留米大学医学部も参画して、「日本住血吸虫対策協議会」が設置された。さらに、昭和52年には、関係機関や協議会からなる「筑後川流域宮入貝撲滅対策連絡協議会」が発足した。関係行政機関、住民、大学が一体となって、宮入貝の生息調査を行った。その撲滅対策として、セザンなどの化学薬品による殺貝、火炎放射器による焼土殺貝、埋立て、盛土、河川高水敷の整備、農地整備、溝渠のコンクリ−ト化の土木事業が行われた。筑後大堰の建設事業に併せて、各地区での筑後川に係る河川改修も施工された。

 このように宮入貝の撲滅対策事業の結果、昭和58年久留米市宮の陣の新宝満川右岸での発見を最後に、筑後川流域で宮入貝は発見されていない。この地に宮入貝の供養碑が建立された。

「宮入貝供養碑(生息最終確認の地)
 我々人間社会を守るため筑後川流域で人為的に絶滅に至らされた宮入貝(日本住血吸虫の中間宿主)をここに供養する。
       平成12年(西暦2000年)3月建立
       筑後川流域宮入貝撲滅対策連絡協議会」

 余談だが、昭和30年前後、筑後川の遊泳禁止となった子供たちのために、その当時は珍しく、プールが設置されている。筑後大堰直上流の一画に、佐賀県北茂安町豆津地区の有志たちは、昭和29年幼少年の健康のためにプールを設置した。今は、このプールは使用されていないが、ここに、日本住血吸虫病研究所 片淵秀雄の書になる「水浴場記念碑」が建立されていた。また、ブリジストンの創業者石橋正二郎は、「久留米の子供たちは泳げなくて可哀そうだ」と言って、久留米市全小・中学校にプールをつくって、贈っている。

◆ 9. 建設所長の回顧

 西原恒雄筑後大堰建設所長は、 『筑後大堰工事誌』のなかで、「筑後大堰の思い出」として、次のように述べている。

 「先ず周囲の理解を得るために、湛水区域周辺の住民の方々及び工事現場周辺の方々への工事ならびに概要の説明を何回となく行うとともに内水面漁業への影響調査から着手しました。一方流下量の問題については、有明漁連との間で、九州地建、佐賀、福岡両県で説得が続けられており、昭和54年4月に一応の了解が得られたものとして、工事着工に踏み切ったところ、有明海漁連の実力阻止に合い、理事、局長と一緒に現地のトラックの上で13時間、抗議を受け、遂に工事着工を断念せざる得なくなりましたが、この事件が私にとっては強く印象に残っております。……立派に完成した大堰を見ると、この大堰の工事に従事できたことは土木技術者として私の誇りでもあります。今後は筑後大堰が地域の開発に立派に貢献し、地域住民に感謝され、愛されることを心から願うものであります。」

◆ 10. おわりに

 筑後大堰は、昭和53年の福岡大渇水で脚光を浴び、有明海のノリ養殖漁業者における筑後川の流量問題、日本住血吸虫病の対策、堰築造の技術的な難問題などを克服して、立派に完成した。

 筑後大堰は、昭和60年4月から管理段階に入り、筑後川の洪水の減災を図り、なお、福岡都市圏、筑後都市圏並びに佐賀都市圏に水道用水を供給し、さらには筑後川下流域の福岡、佐賀の両県に農業用水を送り続けており、筑後大堰は筑後川における治水と利水の要である。平成24年6月現在完成から27年の歳月が流れた。
 筑後大堰の建設に尽力された一人として、西原所長の苦労は立派に実ったが、所長は平成19年3月29日に永眠されている。

  筑紫次郎 捌く大堰 秋近し  (堤 三津子)

[関連ダム]  筑後大堰
(2015年4月作成)
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  [テ] ダムの書誌あれこれ(62)〜鬼怒川のダム (下)(川治・鬼怒川上流ダム群連携・三河沢)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(63)〜揖斐川のダム (上)(川浦・川浦鞍部・上大須)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(64)〜揖斐川のダム (下)(横山・徳山)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(65)〜長野県・味噌川ダム 〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(66)〜飛騨川のダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(67)〜木曽川水系阿木川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(68)〜桃山発電所、読書第1発電所、賤母発電所、落合ダム、大井ダム、読書ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(69)〜木曽川水系丸山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(70)〜牧尾ダムと愛知用水 (上)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(71)〜牧尾ダムと愛知用水 (中)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(72)〜牧尾ダムと愛知用水 (下)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(73)〜呑吐ダム・加古川大堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(74)〜一庫ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(75)〜利根川水系神流川・下久保ダム、塩沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(76)〜阿武隈川水系白石川・七ヶ宿ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(77)〜利根川水系渡良瀬川・草木ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(78)〜利根川最上流・矢木沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(79)〜利根川水系楢俣川・奈良俣ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(80)〜神流川発電所(南相木ダム・上野ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(81)〜雄物川水系玉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(82)〜北上川水系江合川鳴子ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(83)〜北上川水系雫石川・御所ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(84)〜北上川四十四田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(85)〜米代川水系森吉山ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(86)〜阿賀野川水系大川ダム・大内ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(87)〜東京都のダム(村山上貯水池・村山下貯水池・山口貯水池)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(88)〜東京都のダム(小河内ダム)〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(89)〜筑後川水系・藤波ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(90)〜江の川土師ダム、太田川高瀬堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(91)〜遠賀川福智山ダム・遠賀川河口堰〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(92)〜江の川水系馬洗川支川上下川 灰塚ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(93)〜九頭竜川 九頭竜ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(94)〜九頭竜川水系真名川 笹生川ダム・雲川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(95)〜九頭竜川水系真名川・真名川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(96)〜ダムマニアの撮った写真集〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(97)〜吉井川水系苫田ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(98)〜旭川水系旭川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(99)〜利根川水系薗原ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(100)〜淀川水系琵琶湖支川野洲川ダム・青土ダム・姉川ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(101)〜川内川・鶴田ダムとその再開発事業〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(103)〜阿武隈川水系大滝根川・三春ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(104)〜豊川水系宇連川宇連ダム・大島川大島ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(105)〜安里川水系安里川 金城ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(106)〜荒川水系中津川 滝沢ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(107)〜鹿児島県の川辺ダム、大和ダム、西之谷ダム〜
  [テ] ダムの書誌あれこれ(108)〜肝属川水系串良川支川高隈川 高隈ダム〜
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 (古賀 邦雄)
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